画道遙かなり     津木林 洋


 朝餉(あさげ)を終えると、訥言(とつげん)は朝の勤行には向かわずに服を着替えた。墨染の衣を身に付け、白脚絆を巻く。汗でにじまないように二枚の仏画を油紙で包み、頭陀袋(ずだぶくろ)に入れる。この日のために何枚も模写した中から前夜選んだものである。
 訥言は網(あ)代(じろ)笠(がさ)を手に、僧坊の上がり框に立った。樹木を通して夏の光が差し込んでいる。草鞋を履いていると、足音がした。寺の絵所頭(えどころがしら)の行雲である。
「訥言、水を持っておるか」
「いや、持っておりませぬ」
「京まで近いと思うたらひどい目に遭うぞ。これを持て」
 行雲は手にした竹水筒を差し出した。訥言は恐縮してそれを受け取った。訥言とて、京までの道のりを馬鹿にしたわけではない。ただそんなことに意識が行かないほど、自分の模写した仏画の出来映えが気になっていたのだ。
 今日、二人で向かうのは、鶴沢探鯨(たんげい)の教えを受けた狩野派の絵師で、京五条に一家を構える石田幽汀(ゆうてい)の所である。彼にまみえた時、自分の画才を強烈に印象づけねばならぬと訥言は考えていた。ただの入門とは違う。幽汀が身を乗り出し本腰を入れて、自分の才能に惚れ込まねばならぬと気負い込んでいた。その向こうには、円山応挙(まるやまおうきよ)の姿があった。幽汀に応挙を超える画才の持ち主であると思わせることが今日会うことの目的だった。訥言十七歳の時である。

 田中訥言は明和四年(一七六七)、尾張の清洲(きよす)に生まれた。貧しい百姓の子供で、貧窮ゆえ幼少の頃に近在の日蓮宗の寺に預けられた。習字の時、いろは、ではなく武者絵や鍾馗(しょうき)の絵を描き散らしていた訥言を見て、住職は絵仏師にしたら面白かろうと考え、比叡山延暦寺に修行に出した。僧侶の修行の傍ら、絵の修練にも励み、十歳を過ぎる頃には、その画才を見込まれて仏画の模写や障壁画の修復に携わることになった。
 彼が円山応挙という絵師を身近に感じるようになったのは、一年前、一乗寺にある円光寺で竹林図屏風を見せてもらったのがきっかけだった。もとより応挙の名前は洛中洛外に鳴り響いており訥言も知ってはいたが、それまでは所詮絵を売って自身を養う一介の町絵師に過ぎぬ、仏の道を衆生に伝える自分の仕事とは全く違う世界であると考えていたのである。
 それが竹林図屏風を見た瞬間、変わってしまった。六曲一双の一方には雨に打たれる竹林を、もう一方には風に吹かれる竹林を描いているのだが、雨も風も一切描かれていない。竹の葉の広がり、幹のしなり具合だけで、雨を描き、風を描いているのである。白地に墨の濃淡と配置の妙だけで奥行きを持った竹林が現前している。
 訥言は顔に雨が当たり、僧衣を風が揺らすのを感じた。住職が側にいるにもかかわらず、訥言はひとり竹林の中に立ち尽くしていた。
 呆然とした一時が過ぎると、筆運びのどこかにごまかしがないか、ためらいがないかと顔を屏風に近づけた。そこには自分が町絵師の絵に圧倒されたことを恥じる気持ちがあった。それが訥言にむらむらと反発心を起こさせたのだ。
 住職から顔を近づけすぎていることを注意されると、訥言は袂を口に当て息がかからないようにしながら、隅から隅まで見て回った。それこそ雨中の向こうに消えかかって白地とほとんど区別のつかない薄墨の竹の葉一枚一枚にまで目を凝らした。しかしどこにもごまかし、ためらいの線がなかった。すべての線に気力、勢いがあるのだ。
 訥言は体を起こすと、ふうっと溜息をついた。
「さすが訥言殿。細かいところまでよくご覧になりますなあ」
 住職の言葉に一瞬皮肉を感じたが、その声音には素直な気持ちが表れていた。住職は続けて言った。
「絵心のない者にはそこまで近づいて見ることなどできやしません。絵全体から受ける迫力に近づくことさえ恐ろしい気がしますものを」
「これは失礼いたしました。画道を学んでいる者にとって、どうしても筆使いが気になるものですから」
「それはそうでしょうなあ」
 住職は感に堪えたように大きく頷いた。
 それからというもの、訥言の脳裡に竹林図屏風が居座ってしまった。仏画の模写だけではあんな筆使いは到底身に付きそうもないと焦りにも似た気持ちが芽生えてきたのだ。
 ここはどうしても先達に師事して教えを請わなければと訥言は思い詰め、行雲にそのことを伝えた。ただし、竹林図屏風を見て影響を受けたことは一切告げなかった。
 行雲は誰に師事するかと尋ねてきた。土佐か狩野か。かつての勢力は衰えたものの未だ絵所預(えどころあずかり)として御用絵師を賜っている両家のどちらかに学ぶのが妥当と行雲が考えたのも無理はなかった。
 しかし訥言は意外な名前を口にした。
「石田幽汀(ゆうてい)先生に学びとうございます」
「なるほど。幽汀殿は狩野の流れを汲むお方なれば、それもようございましょう」
 行雲はそう言ってから、はたと気づいた顔をした。
「幽汀殿にされるくらいならば、その弟子であった応挙殿にされたら如何か。その技倆はすでに幽汀殿を超えておるし、門弟の数も今や凌いでいると聞いておるが」
 確かに応挙はその頃、光格天皇の兄に当たる妙法院宮真仁法親王(しんじんほっしんのう)の知遇を得て、皇室の御用絵師のような仕事をしており、大寺院からの注文にも次々と応じていた。
「いや、幽汀先生の教えを請いたいと思います」
 訥言にそう言わしめたものは、竹林図屏風を見た時に感じた反発心に他ならなかった。応挙の許で学べば、応挙を超えることはできない。応挙の師事した幽汀に学んでこそ、彼を超えることができると考えたのだ。

 訥言と行雲が東本願寺近くの石田幽汀の屋敷に着いた時には、すでに昼近かった。涼しい夏にもかかわらず京の町は蒸し暑く、休み休み来たものの僧衣の下は汗びっしょりで、竹水筒はとうに空になっていた。
 屋根の付いた門の扉は開け放たれており、二人は水の撒かれた敷石を踏んで玄関先に立った。大きな衝立があり、鯉の滝登り図が墨一色だけで描かれてあった。唐画風の荒々しい滝に比べ、鯉は大和絵風の柔らかな線で描いてある。かと言って弱々しくはなく、しなやかな力強さが感じられる。涼風が吹き渡ってくるようであり、訥言は幽汀の心遣いを感じた。
 玄関に出てきた女中に来意を告げ、下男の持ってきた木桶の水で体を拭い足を洗うと、二人は女中に案内されて廊下を渡った。
 奥座敷にはすでに幽汀がいて、脇息にもたれ片足を投げ出している。
「こんな恰好で失礼とは存じますが、歳を取ったせいか近頃膝が痛くなりましてなあ」
 幽汀に勧められて、二人は円座に腰を下ろした。開け放たれた障子の向こうに灌木の生えた庭が見え、そこから風が吹き抜けていた。
 幽汀はこの時すでに還暦を過ぎており、白髪を下ろした顔は訥言には好々爺に見えた。ただ眼光に鋭さがあり、訥言はそれに負けないように自分の眼に力を込めた。
 行雲は会っていただけたことに謝意を述べ、天台座主の添え状を手渡した。行雲の目配せで、訥言は頭陀袋から油紙の包みを取り出し、中に入っていた半紙大二枚の仏画を広げた。手紙を読み終えた幽汀は目の前の仏画に目をやると、小さく何度も頷いた。訥言は固唾を呑んで幽汀の表情を窺った。
「如何でしょうか」と行雲が尋ねた。
 幽汀は顔を上げ、一つ大きく息を吐くと、
「これはこれでよく描(か)けているが、後で実際に描いているところを見せてもらいましょう」
 と言って手を叩いた。
 訥言は拍子抜けがした。この一ヵ月、寝る間も惜しんで模写を繰り返してきたのは何のためだったか。しかしすぐに、確かにもし自分が一家をなして誰かを弟子に取る時には、実際の筆使いを見るだろうなと気づき、内心で苦笑した。
 女中と下男が膳を運んできた。載っている二つの鉢には四角く切った西瓜と素麺が入っていた。
「暑い時はこういう水の物がよろしかろうと思いましてな。砂糖もありますゆえ、存分に」
 幽汀は木匙で小壺から砂糖を半盛りほどすくうと、西瓜にかけた。そして、その砂糖壺を二人の方に押し出す。砂糖を常備しているとは、町絵師とはそれほど金のあるものなのかと訥言は驚いた。
 手を出しかけて行雲を見ると、西瓜を箸でつまんで口に入れている。仕方なく自分も砂糖をかけず、西瓜を食べた。甘くはないが、清涼な水気が渇いた喉を潤してくれた。素麺は寺で食べるものとは違って、糸のように細かったが、腰があり、舌触りがよかった。
 幽汀と行雲は先日起きた浅間山の噴火の話をしており、天変地異でますます冷害がひどくなって飢饉が広がるのではないかと心配していた。岩絵具の値段も高騰してと幽汀は渋い顔をした。
 昼餉がすむと、幽汀は二人を隣の画室に案内した。十二畳ほどの板敷きの間で、意外に狭い感じがする。奥に毛氈が敷いてあり、その上に薄い座蒲団が載っている。毛氈の端にはいくつかの木箱が整然と置かれ、その中には、硯や大小の筆、絵具皿、岩絵具の入った紙袋などが入っていた。乳鉢も横にある。
 実技をすることになるとは思ってもみなかったので、袂をたくし上げる紐を持っていなかった。それで幽汀に頼んで細帯を借り、僧衣を襷掛けにしてから、促されて訥言は座蒲団に腰を下ろした。幽汀が棚から和綴じ本を一冊持ってくる。それをぱらぱらとめくると、これがいいと呟いて見開きのまま本を訥言の前に置いた。牡丹の白描画が両頁に描かれている。
 幽汀は半紙を本の横に置くと、「これを見ながら描いてみなさい」と言った。
「写し取るのですか」
「いや、臨写すればよろしい」
 訥言は合掌してから硯に水を垂らし、ゆっくりと墨をすり始めた。
 今まで戯れに梅や桜を描いたことはあったが、花そのものを絵の中心に置いたことはない。自分が仏画の模写に明け暮れてきたことを見抜いて、幽汀はわざと牡丹を出してきたのに違いない。そう思うと、訥言は身の内に力が漲ってくるのを感じた。
 墨をすり終えると、逸る気持ちを抑えるように訥言は目を閉じた。どこかの寺の境内で見た牡丹の姿が浮かんでくる。真っ赤な花弁が折り重なって、少しの風にゆるりと首を振っている。その独特の匂いまで甦ってきた時、訥言は静かに目を開いた。
 数ある筆の中から細筆を取り、墨をつけると、粉本(ふんぽん)(手本)の白描画を凝視してから、花弁の一つをためらうことなく一筆で描いた。さらにもう一つの花弁。筆使いが分かると、訥言の手の動きが速くなった。前で見ていた幽汀が訥言の後ろに回った。
 花弁を描き終わると、重なり合って密集している葉、わずかに見える茎を一気に仕上げた。
 終わって訥言は一つ大きく息を吐いた。描き始める前は幽汀に自分の力を見せつけてやろうと思っていたが、いざ筆を取ると、そんな思いはどこかに飛んでしまい、ただ牡丹の姿を写すことだけに集中してしまった。仏画を模写する時の没入の仕方とそれは同じだった。
 幽汀はしばらく言葉を発しなかった。行雲もじっと訥言の描いた牡丹に見入っている。
 訥言は合掌して筆を置いた。途端に自分がひどく汗をかいていることに気づき、懐から手拭いを取り出して顔を拭った。

 訥言の臨写した牡丹は手本より生き生きしていると門弟たちの間で評判になった。幽汀は即座に入門を許し、訥言は十日に一度の割で幽汀の許に通うようになった。もっとも直接幽汀が指導するのではなく、部屋頭の門弟が見るのであるが。
 勉強方法はもっぱら数多くある粉本の絵を写すことだった。今まで狩野派の絵を見たことはあっても、描いたことのない訥言にとってはまさに宝の山に入った心持ちだった。通う日は朝早くから比叡山を出て、昼餉もそこそこに画室に戻り、月明かりのある時には日が暮れてから帰途につくこともあった。寺にいる間も暇を見つけては唐画の筆法を何度も練習し、二ヵ月も経たないうちに部屋頭の技倆を上回ってしまった。
 そんなある日、訥言が画室で鶏(けい)頭(とう)の臨写をしていると、幽汀と連れだって一人の男が入ってきた。背は低いが小太りで貫禄があった。頭は大半がはげ上がり、残った髪の毛で小さく髷を結っている。
 訥言の横に立って彼の臨写を見ていた部屋頭が小走りに二人の許に近づいていった。
「これはこれは、応挙先生。お久しゅうございます」
 と部屋頭が頭を下げた。男は鷹揚に頷いて見せた。
 あれが応挙か。訥言は上目遣いに応挙を見た。幽汀の眼光鋭い絵師然とした風貌に比べ、大店の隠居のようなゆったりとした表情をしている。
 幽汀と応挙が近づいてきた。訥言は居住まいを正し、再び臨写を始めた。部屋頭が二人よりも先に来て、「訥言、我らの大先輩である応挙先生じゃ。挨拶せい」と訥言の肩を叩いた。
「構わぬ、構わぬ。勉強の邪魔はしたくない」と応挙は手を振った。
 二人が後ろに立つ。応挙を意識すると筆先が思うように動かなくなった。それを恥じて無理に動かそうとすると緩急がおかしくなった。訥言は筆を半紙から離し、墨をつけ直した。
「訥言殿。鶏頭なら庭に咲いておるよ。それを写したら如何か」
 応挙の声がした。訥言はきっとして後ろを振り返った。応挙の微笑んでいる顔が目に入る。
「わたくしは鶏頭を描いているのではございません。筆法を学んでいるのでございます」
「ほう、筆法をな。それは感心なことじゃ。さすれど、筆法というのは飽くまで絵を描くための手段に過ぎぬ。描く物の真に迫るには実物を写すのが一番だと思うが、如何かな」
 真写という言葉で町人たちに絶大な人気を誇っている応挙だったが、それは今まで、見えない仏を描いてきた自分の仕事を否定することに他ならなかった。心の中を写せずして何が絵師かと、訥言は内心で吐き捨てた。
「訥言」と幽汀が言った。「応挙殿の言うとおり、真写をしてみなさい。真写というのは自分の学んだ筆法がどれほど身に付いているかを測るのにちょうどよいのじゃ。それに臨写ばかりしておると、退屈するじゃろう」
 師にそう言われれば、反対のしようがない。しぶしぶ訥言は硯箱と筆を持って隣室の濡れ縁に出た。十坪ほどの庭に小振りの松や南天が植えられており、奥には石灯籠があった。万年青(おもと)の鉢が並べられていて、その向こうに紅い鶏頭がいくつか咲いていた。
 部屋頭が半紙を貼り付けた画板を持ってきてくれる。訥言は庭下駄をつっかけ、画板と硯箱を持って鶏頭に近づいた。
 その時「わしも鶏頭を描いてみようか」と応挙が言い出した。
 幽汀が部屋頭に命じて、もう一つの硯と筆と画板、それに茣蓙(ござ)を持ってこさせた。
 鶏頭の側に茣蓙を敷き、訥言と応挙が並んで坐る。訥言は応挙の真意を測りかねた。自分に真写の手ほどきをしようというのだろうか。あるいは、自分の、町絵師に対する反発を分かっていて、その鼻をへし折ってやろうとしているのか。どちらにせよ、その筆使いを見てやろうではないか。真を写す応挙とて何ほどの者かあらん。訥言は気持ちが昂ぶるのを感じた。
 応挙は鶏頭にじっと目を据えたまま、なかなか筆を下ろそうとはしない。その顔は先程までの隠居然としたのとは打って変わって、恐いくらいに厳しい表情になっている。
 応挙に負けじと訥言も鶏頭を凝視した。粉本と違って実物には輪郭線がない。どの部分をどのような筆使いで描けば、花の姿を写すことができるのか。描き損じたら新しい半紙をもらえばいいのだろうが、応挙がそうしない限り、自分も絶対にそれはしたくない。
 訥言は頭の中に鶏頭を描いてみた。細く柔らかく描く所と太く強く描く所の釣合いを保ちながら、紅い色の華やかさを墨一色で描くにはどうしたらよいか。何度も頭の中で描き直しをする。
 その時、応挙の筆が動いた。訥言はそちらに目をやろうとして思い留まった。見れば必ずそれに惑わされる。そうなれば自分の絵を描くことができなくなる。
 訥言は一つ深呼吸をしてから、筆を取った。ゆっくりと墨をつけ、頭の中の鶏頭と目の前のそれを二重写しにするように形を取っていった。手本を臨写する時のように素早く筆を動かすことが出来ない。もどかしさを感じながら、花、茎、葉と描いていった。
 終わって応挙を見ると、すでに穏やかな顔に戻っており、訥言の描いた絵に目を落としている。
「なるほど、幽汀先生がおっしゃるとおり、その才は疑うべくもないな」
 応挙が呟くように言った。自分の画才を応挙が認めた、訥言は一瞬得意になりかけたが、応挙の絵を見て愕然となった。
 墨で描かれた鶏頭を見詰めていると、その奥から紅い色が浮かんでくるのである。それは竹林図屏風を見た時とは違った衝撃だった。あの時はどこかに大きさに圧倒されたという意識があったが、今回は半紙大である。描かれているのは小さな花。しかも自分も同じ花を描いている。
 訥言は二つの絵を見比べた。どう見ても自分の絵には躍動感がない。形を取ることに汲々として、応挙の絵のように風が吹けば、今にもそよぎそうな動きが感じられない。一言で言えば、線が死んでいるのである。
 幽汀はなかなかのものだと言ってくれたし、部屋頭も遜色なしと誉めてくれたが、訥言は穴があったら入りたい心境だった。負けた、心底そう思った。
 訥言の勉強方法はそれから一変した。粉本の臨写は自分が筆法に疑問を抱いた時だけに限定し、もっぱら真写に専念した。実物を真写することが遠回りのように見えても、結局、見えないものの真の姿に到達する最善の道ではないのかと気づかされたからだった。
 訥言は庭にある草花をことごとく真写し、また同じ花を何度も描いては、幽汀を呆れさせた。

  二
 

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