窓     津木林 洋


 和夫は、父のベッドの横で、衣類入れの箱に坐って週刊誌を広げていた。父は三週間前に腸癌の手術をし、それからずっと、この六人部屋の窓際のところに寝ていた。手術といっても、患部を摘出したわけではなく、食物が通るように、癌で詰まった部分をはさんでバイパスを作っただけだった。そういった説明を、和夫は、看護婦詰所で、担当の医者からきいた。医者は草色の水泳帽のようなものを被り、同じ色の手術着を着ていた。和夫は一人だった。手術が予想外に早く終ったため、母も兄もいなかった。
「そうですね、三ヵ月から半年といったところだと思います。もちろん、それより早くなることもあるし、一年、二年と延びることもありますけれど、まあ、大体、半年ぐらいだと思って下さい」
 和夫の、あとどれくらいですか、という質問に、医者はそう答えた。
 手術後のあわただしい時間が過ぎると、看護の態勢も規則的になり、病院に泊り込むこともそれなりの日常になった。和夫の母は美容室を経営しているため、毎日付添うわけにはいかず、ほぼ和夫と一日交替になった。大学はちょうど春休みだった。もっとも休みでなくても同じだったに違いない。
 癌のことは誰も口にしなかった。知らせるべきかどうかという話も出なかった。父には慢性大腸炎による腸閉塞と教えてあった。父が、どうだ、切り取ったやつを見たか、ときいた時、ええ、見ましたわ、赤くて気持の悪い色をしてました、と母は答えた。和夫は、見なかった、と答えた。どのくらいの大きさだった、と父はさらにきいた。母は人差指と親指の間を五センチくらい開けて、これぐらいでした、と答えた。
 和夫は迷路の袋小路を4Bの鉛筆で、塗りつぶしていた。週刊誌のクイズ欄に載っているのである。ひとつひとつ塗りつぶしていくと、自然に通り道が浮び上がるという寸法だった。父の左腕にしている点滴に注意して、液がなくなったら、看護婦に連絡して、ビンを取り替えてもらうという仕事の他には、何もすることがなかった。たまに小便を取ることはあったが、それも一度すますと、当分の間なかった。
 部屋の扉が開いて、黄色いプラスチックのバケツを下げた青年が入ってきた。
「窓を拭きにきました」
 青年は朗らかな声で言った。向いの安川さんの奥さんは窓台のこまごまとしたものを、壁に取付けた棚へ移し始めた。和夫はそれを真似て、湯呑茶碗やティッシュペーパーの箱やらを、棚に移しかえた。
 青年は向いの窓から先に拭き始めた。まず水を含んだ雑巾でガラスを拭く、というより濡らすといったほうがいいかも知れない。次に、自動車のワイパーの先のようなもので、水分を下に押しやり、しばらく間を置いてから、乾いた布で拭く。その作業の繰り返しだった。和夫はそれが珍しくて、迷路を解くのをやめて見ていた。
「あなた、アルバイト?」
 ベッドの格子にもたれて見ていた奥さんが声をかけた。ジーンズの上下という服装がいかにもそう思わせた。乾拭きをしていた青年は、手を止めると、首だけ振り返った。
「ええ」
 屈託のない笑顔を向けている。
「大学生なんでしょう?」
「ええ、二部なんです」
「……二部って、どういうこと?」
「夜間です」
「ああ、夜間部のことなの。そう……えらいわねえ」
 奥さんは疲れたような言い方をした。青年は照れたように口ごもった。
 腕が届く範囲を拭き終ると、窓台にのぼって、さらに上を拭き、それがすむと、今度は下段の窓にまたがって外側をやり始めた。下段は高さ三十センチぐらいの押して開く窓で、上段は天井まである普通の左右に開く窓だった。片側からできるだけ広く拭いておこうというのだろうか、青年は窓をはさんだふくらはぎと左手だけを支えにして、大きく体を外に出した。この病室は四階にあった。
 あのまま落ちたら面白いだろうな、和夫はふと思った。確実に死につつある人間と不意に死ぬ人間。その対比が和夫の頭にあった。
 三日前に、隣の肺癌の患者が死んでいた。母が泊り込んだ日の早朝に死んだのだった。つらくて聞いていられなかったわ、と母が言った。奥さんの泣き声のことであった。一時間くらいですんだわ、とも言った。患者の容態がおかしくなって、看護婦が酸素吸入をし、医者が心臓マッサージを始めてから、ベッドが新しいふとんとシーツになるまでの時間のことだった。回診で部屋から出た時、母はあたりをはばかるような小さい声で話したのだった。
 残った五人もすべて癌患者だった。次に危いのは扉のそばのおじいさんだ、と和夫は思っていた。時々意識がもうろうとなって、特に、夜中、奇声を発したりした。
「あなた、ほら、生駒山よ」
 窓拭きの終った青年と入れ替って、ベッドの横に入った安川さんの奥さんが、夫の顔を窓の方に向けさせていた。和夫も窓の外に目を向けた。生駒山は青く、稜線が空を区切っていた。和夫は琵琶湖の水を思い出した。彼はボート部に入っていて、今、部員たちはそこで合宿をしているのである。
 オールを水に入れる瞬間の小さな筋肉の震え。海老のように曲げた全身を思い切り伸ばすと、手応えが腕から肩、背中、そして両足に抜けていく。
 ――ラスト、サンジュウ……
 コックスの声が風に飛ばされて、耳をかすめていく。肩や太腿の筋肉は堅く張って感覚もないが、それでも動く。曲げ伸ばし、曲げ伸ばし、曲げ伸ばし……。終ってオールを胸に上半身を突っ伏し、自分の呼吸だけを聞いている時、ふと顔を横に向けると、ボートはまだ水の上を軽やかにすべっているのだ。
 和夫は急に腕立て伏せがしたくなって、立ち上がった。
「お父さん、ちょっとトイレに行ってきます」
 父は目を開けると、点滴のビンに目をやり、
「大丈夫か」
 と言った。
「大丈夫ですよ。まだこれくらいあります」
 和夫は指で液の高さを示した。
 付添いする人のための簡易ベッドの置場になっている階段の踊り場から、もう一段上の踊り場で、和夫は腕立て伏せをした。この階段は誰も利用しないと彼は思っていた。しかし、八十二まで数えた時、顔の横に、白いゴム靴をはいた足が立った。看護婦だった。和夫はあわてて立上がり、メタルフレームの眼鏡をかけた看護婦に、軽く会釈した。彼女はおかしそうに笑っていた。和夫が階段を降りようとすると、
「構わないのよ」
 と声をかけてきた。
「いや、もういいんです」
 振り返らずにそう言うと、急いで階段を降りた。部屋に戻ると、青年は父の方の窓を拭いていた。和夫は、隣の空きベッドに腰を降ろした。
 安川さんの奥さんは、何とかして夫に生駒山を見せようとしていた。顔を横に向けさせただけでは、窓の高さより低いため見えないのだった。夫の肩の下に右腕を入れ、上半身を起そうとしたが、頭が後ろに垂れるため、十センチと上がらない。奥さんは困惑した顔を和夫に向けると、
「少し前までは、こんなことはなかったのにね」
 と言った。父が入院した時、安川さんはまだ、奥さんにつかまって便所にいくだけの体力があったのだ。しかし、ここ一週間は、ほとんど寝たきりの生活が続いている。
 奥さんはベッドの足許の方へいき、ハンドルを回した。ベッドの上半身部分が持上がり、安川さんはソファにもたれている恰好になった。奥さんは二、三回、上げたり、下げたりして、安川さんの上半身が四十五度ぐらいになる状態にした。そして、枕許に戻ると、
「ほら、生駒山が見えるでしょう」
 と頬を近づけて、窓の方を見た。安川さんは白い顔をかすかに動かして、目を外に向けたが、視線は宙を漂っているようだった。
 和夫は青年の体で見え隠れする生駒山を見ていた。というより、青年を取払い、窓をカンバスにみたてて眺めていた。何か描けそうな予感がしているのである。和夫は美術大学の二年生だった。K大学の機械工学部三年の時、美大へ入り直したのだった。もっとも三年生というのは形ばかりで、その一年間は下宿で、入学試験のための実技の勉強ばかりしていた。合格の決った日、和夫は初めて両親に報告した。母はすぐに諦めた口振りになったが、父は和夫の説明を聞いた後、
「それで食っていけるのか」
 と言った。それ以後、父は和夫のしていることについては、何も言わなかった。だが手術後一週間たった時、同じことをきいたのだった。和夫はその時、父は癌であることを知っているのではないかと思った。
「美術の先生という手もありますからね」
 と答えると、
「うーん、そうか」
 父は苦笑いの表情を見せた。
「食えなくなったら、おれの仕事を手伝え」
 と同じ表情のまま言った。
 父は三年前に保険会社を定年退職し、その後、ビルの一室を借りて、その会社の代理店をしていた。父の入院後は、事務員に仕事を整理させ、新しい仕事もすべて断っていた。しかし代理店を閉鎖することはできなかった。父が退院した時のことを考えてだった。
 窓拭きの青年が出ていき、和夫は再び衣類入れの箱に坐って、迷路の問題を解き始めた。迷路はヨットの形になっていて、帆の部分はほとんど塗りつぶしていた。通り道が白く浮び上がり、船体の袋小路をつぶさなくても解けそうだった。しかし和夫は丹念に鉛筆を動かした。
「大丈夫か」
 と父が言った。和夫は反射的に顔を上げ、点滴のビンを見た。液面がなかった。ビニール管に目をやり、同時に、体と腕を伸ばして、管の途中についているローラーを回した。ローラーの下まで液面は落ちていた。
 ボタンを押して、看護婦に、液のなくなったことを告げた。看護婦は次のビンを持ってすぐに現れ、空のビンを見ると、あらと言った。注射針を刺し直さなければならないのだ。
 和夫は立ち上がり、父の腕にゴムバンドを巻いている看護婦に背を向けて、窓の外を見た。生駒山がすぐ近くにあるように見えた。窓から墜ちる青年のイメージがそれに重なった。半分塗りつぶされたヨットは使えないだろうか。和夫は頭の中のカンバスに、生駒山を描き、両手を広げて墜落する青年を描き、青い海を疾走する迷路のヨットを描いた。しかしまだまだ空白が残っていた。そこを埋める何ものかについて、和夫は考え続けた。

 

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