フェイジョアーダ                           津木林 洋  あなたですか、私の話を聞きたいとおっしゃるのは。こんな年寄りの話を聞いていただけるのなら、いくらでもお話しいたしますが、あなたの仕事には何の参考にもならないのではと危惧しております。それでもいいとおっしゃるのなら、思い出す限りお話ししたいと思います。  私は一九五二年、昭和でいえば二十七年、埼玉の某所で生まれました。家は三代続く医者の家系で、私も子供の頃から大きくなれば医者になるのかなと漠然と思っておりました。ただ、私は三男でしたので親の期待も大きくはなく、兄たちほど勉強勉強で追いまくられることはありませんでした。成績は可もなく不可もなく中程度、親からは、あんたはやればできる子、と言われ、私もそう思っておりましたが、思っているだけで実際には勉強しないので、医学部の大学受験は見事に失敗、東京の予備校に通うことになりました。車の免許を取ったのはその頃です。それさえあれば何とか生きていけると自動車教習所に行かされました。高校生の頃、家にあった車を無免許で運転していたこともあったので実技は苦もなくマスター、学科もやればできる子の本領を発揮して合格、一ヵ月もかからないうちに免許証を手にしました。それからは家の車で予備校に通いました。電車、自転車、バイクで来ている予備校生がほとんどの中で、フランスのシトロエンというメタリックシルバーの車で乗り付けるのは確かに目立ちました。予備校指定の駐車場には入れず、校門正面の路上に駐車するのです。その当時は駐車違反の取締も厳しくなく、堂々と停めておりました。当然生徒たちの注目を集め、そうなると自分が一段と偉くなった気分になり、顔には出しませんでしたが、内心、どうだと胸を張っておりました。それで勉強に身が入ればよさそうなものですが、実際には逆で、車に興味を惹かれた女の子たちを入れ替わり立ち替わり乗せては豊島園に行ったり、鎌倉まで遠出したり、と遊び始めました。私の家は小遣いというものがなく、必要な金は親に申告して出してもらうというシステムでした。私は参考書を買うとか特別授業を受けるとか嘘をついて女の子と遊ぶ費用に充てました。キスも初体験も車の中でした。窮屈な車内で足の位置をこうしようとか横向きになろうとか相手の女の子と体位を工夫していますと、異様に興奮してくるのです。一直線には進まなくて時間がかかるのがそうさせるのでしょう。ですからたまにラブホテルに入った時など余裕がありすぎて戸惑ってしまうことがありました。そんな時は人体探求と称して女の子の陰部を隈なくそれこそ解剖するように観察いたしました。どこかに医者になればいずれ必要になる知識だと思っていたのかもしれません。実際、嫌がる女の子に、俺はいずれ医者になるんだから勉強させてよと言っていたくらいですから。その頃付き合ったのは十人くらいですかね。予備校には女の子自体が少なかったので、そのうちの三割くらいと付き合ったことになるでしょうか。もっとも彼女たちが私に近づいたのは外国車を乗り回している医者の息子というレッテルだったので、私に中身がないと分かるとさっさと離れていきました。当時の私はすっかりドンファンを気取っていて、女の子から、あんたって話をしたらすごく退屈と言われても、へらへら笑って、それは別れるために装っているだけさと内心で嘯(うそぶ)いておりました。親は私が毎朝決まった時間に車で出て行くものですから、きちんと予備校に通っていると思っていたようです。年末の模擬テストの成績が親元に届き、そのあまりのひどさに予備校に抗議して、私のサボりがバレてしまいました。親からは、お前を信用していたのに裏切られた、予備校にも行かず何をしていたのかとさんざん責められましたが、勉強が嫌になって車であちこち巡っていたとだけ答えました。女の子と遊び惚(ほう)けていたなどと答えたら、それこそ勘当されてしまうと恐れていました。親はあきれ、予備校を辞めさせると家庭教師をつけました。国語、英語、数学、物理、それぞれが得意な大学生を家庭教師にして、一回二時間、週四回の授業です。外に出ることは許されません。こんな突貫工事で入試に受かるわけがないと思っていましたから、当然身が入るわけがありません。家庭教師の説明を上の空で聞きながら、窓の外の晴れた空を眺めていますと、不意に女の子を車の助手席に乗せて川沿いの道を走っていた記憶が蘇り、それが車の中で彼女が下着を脱ぐ場面につながり、私は思わず勃起してしまいました。痛いほどズボンを突き上げ、私は左手でそれを押さえました。家庭教師の説明が続いています。私は見つからないように左手を動かしました。布地の上からでも敏感に反応し、私の呼吸も浅くなっていきました。家庭教師は私の異変を感じ取ったようですが、何も言いません。私はとうとう射精してしまいました。濡れた下着を気持ち悪く思いながら、気分がどーんと落ち込みました。何をしているのだろう、これではいけないと気持ちを切り替えて勉強に打ち込もうとしました。しかし今まで勉強をさせられていた人間が急に主体的になるはずもなく、当然成績は上がりません。親は兄たちが通った国公立の医学部合格を諦めて、新設された私立大学の医学部に入れようと決めました。金はかかるが仕方がないといったところでしょう。その、誰でも通ると噂されていた入試に落ちた時はさすがにショックでした。とても国公立の医学部入試に願書を出す勇気はありませんでした。親は、今年は準備不足だったので仕方がない、来年もう一度私学を受ければいい、そうしたら絶対に受かると決め、週四回の家庭教師を続けることになりました。親の作った牢獄に入れられているような気分でした。何とか抜け出して、あのドンファンだった時代に戻りたいと熱望しましたが、一度去った時代は二度と戻らないとも思っていました。  そんな時、連合赤軍が、ある楽器会社の保養所に人質を取って立て籠もるという、いわゆる浅間山荘事件が起こりました。テレビで一日中現場の様子が放映され、親や兄たちは馬鹿なことをしている、暴力で世の中が変えられるなら誰も苦労はしないと冷笑しながら、それでも気になるのかテレビはつけっぱなしでした。何人かの犠牲者が出た時には、ああ、こいつらは死刑だ、早く突入しないと人質が殺されると口々に言っておりました。私はそんな彼らを見て、何やら割り切れないものを感じました。胸の中がもやもやするのです。私は人質は絶対に殺されないだろうと確信しておりました。彼らは単なる殺人者ではない、革命を成し遂げるために信念を持って戦っているのであって、戦場において相手を殺すことと人質を殺すことは意味が違う、そんなことも分からないとはこいつらは何も分かっていない、私は生まれて初めて親や兄たちを馬鹿にしました。そうするとどうでしょう、胸がすっとするのです。しょせんこいつらは医者になって小金を貯めるだけの小市民に過ぎない、崇高な理想に生きる人間を全く理解できない凡庸な者たちなのだ、そう思うと家の中で一番下層にいた私が彼らを見下ろしているのでした。大きな鉄球が浅間山荘の壁を突き破った時、私の心にも大きな穴が空きました。こんな事をしている場合ではない、焦りに似た気持ちが芽生えました。勉強机の前に坐っていても尻が落ち着かず、立ち上がって部屋の中をぐるぐる歩き回る始末でした。とにかく家を出ようと思いましたが、家を出てからどうやって生きていくのかその展望が見えません。小遣いがないので私名義の貯金などありません。取りあえず一年間、この牢獄のような生活を我慢して来年大学に入ったら革命に身を投じようと自分をなだめました。しかしその当時の私にとって、一年というのは遙かに遠い未来のような感じで、それに一年の間に革命運動がポシャってしまったらどうしようという恐れもありました。勉強に身を入れたいのに入らない、何だか幅のない塀の上を歩いているような気分でした。  そんな五月のある日、予備校の模擬テストの案内が届きました。家庭教師の勧めもあって、私はそれを受けることになりました。当日、予備校の正門に急いでいますと、何やら拡声器のがなり立てる声が聞こえてきます。さらに近づくと、来たれ、若き戦士たちと太い字が書かれた大きな立て看板の前で、ヘルメットを被った無精髭の男が拡声器に口を当て叫んでいます。その前では同じようにヘルメットを被った男二人が通りかかる予備校生たちにビラを手渡そうとしていますが、誰一人として受け取ろうとはしません。私はドキリとしました。彼らと繋がりを持てば、自分の目指していた世界に行ける。しかしそう思えば思うほど身体が硬くなっていくのです。頭では彼らに近づこうとするのに身体が言うことを聞かない感じ。私は横目で彼らを見ながら前を通ろうとしました。その時、目の前にビラが差し出され、私はそれを手に取りました。日帝打倒とか人民のためにというゴシックの文字が目に飛び込んできます。私は正門に入ったところでビラを読む振りをしながら三人の男たちの様子をチラチラ眺めました。予備校生たちに無視されている姿が何というか崇高に見えました。目先のことしか見えない連中に対して世界のことが分かっている男たち。私がうっとりしていますと、校舎の中から何人かの職員が走り出てきて、男たちに立ち去るように言いました。男たちは自分たちの権利だからと答えてその場を動こうとはしません。職員たちは腰が引けていて、男たちとは距離を取っているのです。私は思わず笑ってしまいました。警察を呼ぶぞと言って一人の職員が校舎に戻っていきました。模擬テストの開始時間が迫っていたので、私もその職員の後に続きました。テストの間、見回りに来る講師の目を盗んではビラを読み返しました。大人に任せていては世の中を変えられない、若い君たちが立ち上がらなければならない、一部の人間たちの幸福を優先する資本主義は打倒しなければならない、その闘争に身を投じてみないか……。ビラの一番下には連絡先として電話番号と宮島という名前が書かれていました。ここに連絡すれば全てが変わる。ぞくぞくしました。これから先のことを夢想して問題に集中できないまま午前中のテストが終わり、私は急いで正門に向かいました。門が閉まっており、横の通用口から外に出ましたが、そこにはもう誰もいませんでした。立て看板もありません。朝のことなどまるでなかったかのような静けさです。あの三人の男たちの出現は自分を導くために仕組まれた運命のいたずらだと茫然としたことを覚えています。  模擬テストの結果は散々なもので、親からは叱責され、兄たちからは笑われました。しかし私は何と言われようと平気でした。お前たちとは生きる次元が違うと馬鹿にしていました。私は隙を見て家を出、ビラの連絡先に電話をかけるつもりでしたが、その前になにがしかのまとまった金を用意すべきだと考えていました。何の用意もせずに飛び込んでも歓迎してくれるはずだとは思いましたが、金を持っていけばさらに喜んでくれるはずです。私は父親の行動を注意深く観察し、ある日、診察室に飾る絵の支払いの金を用意したことを知りました。チャンスは今しかない。父親が病院に出勤し、研修医と大学生の兄たちも出かけた朝、私は父親の書斎に忍び込みました。大きな机の奥に小振りの金庫があります。どうせ父親のことだから金庫の鍵とダイヤル番号のメモは同じところに置いているに違いないと踏んで、机の引き出しを開けていきました。すると何のことはない、一番下の引き出しに銀行の封筒が無造作に入っており、中には帯封の札束がありました。百万円。私はにやりとしました。これだけあれば一年間は生活できる額です。私は部屋に持ち帰り、早速ボストンバッグに下着や着替えを詰め込み始めましたが、母親に見つかればいかにも家出であることがバレてしまうことに気づき、金だけ持って出ることにしました。玄関に出てスニーカーを履いていると、母親が奥から出てきて、どこへ行くのと鋭い声で言いました。ちょっと息抜き。まだ大して勉強もしてないのにもう息抜き? 私は無視して玄関を出ました。始めはゆっくりと、角を曲がってからは走り出しました。誰かが追いかけてくるような気がして全速力で駅に向かい、呼吸が収まるのを待ってから公衆電話でビラに書かれていた番号にかけました。ダイヤルの穴に入れる人差し指が震えています。最後の番号を回す時、これが決定的な人生の転換点になると昂(たか)ぶっていました。電話が繋がりました。もしもし、私は送話口を手で囲い、低い声で言いました。はい、意外に軽やかな男の声です。ビラを見たのですが。ああ、そうですか、それはありがとうございます。それで話を聞きたいのですが。男は私が今どこにいるかを聞き、それなら新宿の××で待ち合わせましょうと言いました。今からですか。はい。男は朝日ジャーナルを目印に持っていると言って電話を切りました。何だかあっけない感じです。私は電車に乗り、新宿で降りました。大勢の乗客とともに改札口を出て、太い柱を順番に見ていきました。人待ち顔の人間で溢れています。その中で雑誌を顔の横に掲げている無精髭の男が目に入りました。くたびれたジーパンに黒いトレーナーを着ています。私は近づいて雑誌が朝日ジャーナルであることを確認してから声をかけました。先程、電話した者ですが。ああ。男は驚いたような顔で私を見ます。きみ、高校生? 予備校生です。ふーん。何だか歓迎されていないようです。予備校の前でビラを受け取ったことを言ってやろうかと思いましたが、楯突いていると思われたら嫌なので黙っていました。それじゃあ行こうか。どこへと聞く間もなく、男は歩き出しました。早足です。人々の間を縫って歩く男の後ろ姿を見失わないように私も必死で付いていきました。地上に上がり、細い路地の角を何度も曲がりました。そして小さな公園の脇に停めてある乗用車のカローラのところで立ち止まりました。乗って。私が助手席のドアを開けようとすると、後ろに乗って、と言われました。後部ドアを開けて私が中に入るのを確認してから、男は運転席に乗り込みました。車の中はたばこの臭いが充満しています。口呼吸をして何とか臭いを避けようとしましたが、臭うものは臭います。私は顔をしかめました。しかし男は私の様子に気づくこともなく車を発進させました。動き出して、男が後ろに乗れといった意味が分かりました。外が見えるのがフロントガラスだけなのです。横も後ろも遮光フィルムが貼ってあり、流れる光景があまりよく見えません。私が何者か分からないので、これから向かう先の地図を作らせたくないに違いありません。ということは、彼らのアジトに連れて行かれるのでしょう。私は動悸を感じ、それが臭いによるむかつきを倍増させます。窓を開けてもいいですか、と私は言いました。うん? 何だか臭いで酔いそうなので。ああ、こりゃ悪かった。男がハンドルを回して窓を少し開けてくれました。私も横の窓を五センチほど開けました。風が通り、私はホッとしました。車は右に左にカーブを切り、どこを走っているのか皆目見当が付きません。三十分も走ったでしょうか、ようやく車が止まり、外に出ました。工場街なのか、スレート葺きの大きな建物が見え、あちこちから物音がしています。騒音の割には何だか寂しいところです。側には築年数の相当経っているだろう四階建てのビルがあります。コンクリートも黒ずみ、ところどころひび割れが見えます。男の後について、そのビルの階段を上っていきました。四階の一番端まで来て、男が鉄製のドアを叩くと、しばらくしてドアチェーンがかかったまま少し開きました。肩まで髪を伸ばした男が顔を覗かせます。連れてきた。ご苦労さん。ドアが一旦閉まり、チェーンと錠を外す音がして、次に開かれました。無精髭男が身体を開いて、中に入るように私を促します。私は一瞬躊躇しましたが、覚悟を決めて足を踏み入れました。脂臭い、男の体臭のような臭いに混じって鉄錆くさい臭いが私を包み込みます。部屋はアパートの一室のようで、上がり框の段差があります。スニーカーを脱ごうとすると、長髪男が脱がないでいいよと言いました。見ると、彼もスニーカーを履いたままです。私は靴のままPタイルの床に足を降ろしました。何かを穢しているような、背徳的な気持ちがし、これからの私の行動を象徴しているのだと高揚しました。廊下の奥は普通なら居間に当たるところでしょうが、そこでは真ん中に机が田の字形に四つくっつけて並べてあり、ヘルメットを背中に垂らした男が椅子に坐って何やら書きものをしています。ガリガリという音をさせているところを見ると、どうやらガリ版を切っているようです。長髪男が窓際の古ぼけたソファに座るように言いました。私が腰を降ろすと男も横に坐りました。我々のビラをどこで手に入れたんですか。**予備校の前です。ああ、あそこか、それで我々の組織に入りたいと? はい。私は浅間山荘事件をテレビで見て衝撃を受けたこと、両親や兄たちの反応とは全く逆で、過激派の人たちにシンパシーを感じたこと、自分も何か社会を変える運動に参加したいと焦る気持ちがあることを話しました。笑みを浮かべながら聞いていた長髪男が大学はどこを目指しているのと質問しました。私立の医科大学の名前をいくつか答えますと、彼は俄然興味を示しました。親は医者? はい、父親が開業医で兄二人も研修医と医大生で。ふーん、医者一家なんだ、それで君が我々の組織に入ることを親はどう言っているの。親には何も言っていません。言えば家を追い出されるかも知れないけど、言っておいた方がいいんじゃないか。もう家を出てきました。え、家出したの? はい。長髪男が眉根を寄せて下を向きました。歓迎されていないと感じた私はポケットから百万円の入った銀行の封筒を取り出し、これ、自分の生活費用として持ってきましたと差し出しました。男は中身を確認すると、いやはや、と驚きました。持参金付きの人間は初めてだな。結局そのお金が物を言った形になりました。私は組織の一員として迎えられ、エロ漫画雑誌がわんさかある無精髭男のアパートに転がり込むことになりました。無精髭男はまず部屋からの出方を教えてくれました。ドアを開けてすぐに出てはいけない。顔を出し、不審者がいないか確かめること。目的地に行く場合、公安や他のセクトからつけられていることを念頭に置いて必ず三十分は歩くこと。交通機関に乗っても目的地の近くで降りずに一駅離れたところで降りて歩くこと。自分の身を守るためだけではなく、組織を守るためでもあるのだ、と無精髭男は言いました。組織に入ったとはいえ、生活費の面倒を見てくれるわけではありません。自分の食い扶持は自分で稼がなくてはならないのです。無精髭男に教えられてドヤ街に行き、日雇いの力仕事に就きました。それまで自分で稼いだことのない私にとって、日銭をもらうのは新鮮な喜びでした。体は疲れますが、心は軽くてうきうきします。しかし同居の無精髭男の鼾がひどくて私は睡眠不足になりました。寝不足が溜まると仕事に行くのが嫌になります。私は、別のアパートで独り暮らしをさせて欲しいと長髪男に頼み込みました。長髪男は渋い表情を見せましたが、私の提供した百万円のこともあるのでしょう、結局認めてもらいました。新入りの仕事は若者を組織に勧誘する、いわゆるオルグです。そのためには自分たちの思想を確固たるものにしておかなければなりません。長髪男からはアジトにある共産主義革命に関する本を読むように言われましたが、本棚にはマルクスの『資本論』や『共産党宣言』、レーニンの『国家と革命』などの思想に関する本に混じって、なぜかクラウセビッツの『戦争論』や毛沢東の『軍事論』、果てはヒットラーの『わが闘争』まで並んでいました。分厚くて難しい内容を読むのは大変なので、私はもっぱら機関誌のバックナンバーを拾い読みし、分からないところは誰かに聞いたりしながら何とか自分たちの活動のバックボーンを理解していきました。それを試すために、ある日、二百枚ほど刷ったアジビラを携えて私がかつて通っていた予備校に向かいました。同行した先輩は別の予備校に行くつもりだったようですが、私が行き先の変更を頼んだのです。午前八時。予備校近くの路上に車を停めると、タオルで顔の下半分を隠し、ヘルメットを被って外に出ました。先輩が拡声器を持ち、私はアジビラを抱えています。校門の横に立ち、先輩が拡声器に口をつけて、予備校生の諸君、おはようございますと怒鳴りました。ひび割れた音声が響き渡ります。私たちを遠巻きにして歩いていた予備校生たちが耳を塞いで足早に通り過ぎていきます。私は彼らにビラを手渡そうとしますが、誰も受け取りません。その時、校門から見たことのある中年男が出てきました。事務局長です。事務局長は近づこうとはせず、離れたところからこちらを窺っています。日本帝国主義者たちが米国帝国主義者たちと軍事同盟を結び、資本家たちの利益誘導を図り、人民たちを搾取する構造を打ち壊さない限り、われわれの生活は豊かにならないのである……と先輩が叫んでいます。事務局長が何か言いました。私が知らん顔をして通り過ぎる予備校生たちにビラを差し出していますと、事務局長が近づいてきました。俺のことに気づくかなと思いましたが、通っていたのは一年以上も前のことだし、タオルで隠しているから気づくはずがありません。私は突然ヘルメットを取り、タオルも外したい思いに駆られました。落ちこぼれの予備校生が今や革命を叫んでいるのです。うるさいからもっと離れたところでやってくれ、と事務局長が大声で言いました。ここは公道です、われわれの演説は表現の自由で保証されています、と私は教えられたとおりの文句で言い返しました。営業妨害だ。妨害などしていません、現に予備校生たちはここを通っているじゃないですか。どうしても移動しないというのなら警察を呼ぶぞ。私は先輩に近づき、あの男が警察を呼ぶと言っていますと伝えました。分かった、俺が交渉するからお前は演説をやれ。持っていたビラの束を先輩に渡し、私は拡声器を受け取りました。胸がドキドキします。私は一回大きく深呼吸をすると、君たちは一体何のために大学に行くのかと声を張り上げました。いい大学に入って、いい会社に就職して、いい給料をもらって、いい生活をして、すべては自分のためだろう、そんな考えでいる限り資本家の搾取が続き、富める者はますます富み、虐げられた者はますます貧しくなっていくのである、目覚めよ、予備校生たち、この社会で何が起こっているのか、目を背けていては、いずれ君たちが虐げられ資本家たちの奴隷にされるのである……。私はしゃべっているうちに恍惚感で涙が出そうになってきました。予備校生たちが迷惑そうに、あるいは露骨な嫌悪を示して前を通り過ぎていく様子を目にすると、それがかえって自分をはるかな高みに昇らせてくれ、その高揚感は何ごとにも替えられない気持ちよさを与えてくれました。  その組織を仮にKということにしておきましょう。Kは浅間山荘事件を起こした連合赤軍に考え方の近い、いわゆる武力革命を標榜する組織でした。それを実現する前段として国内の各組織を統一しなければならない、統一を阻害する組織は実力で潰す、いわゆる内ゲバです。最初は角材、いわゆるゲバ棒を使った集団での闘いが行われ、私も参加したことがありました。あれは、敵のセクトが実権を握っている大学に乗り込んだ時のことです。事前の情報では相手は三十人くらいということだったので、その三倍の百人で行けば十分だろうと思われていました。ヘルメットにタオルのマスク、手には背丈よりも長い角材を持ち、緊張しながら私は集団の中にいました。突入の合図で一斉に走り出します。もうすぐ殴り合いが始まると思うと、心臓がばくばくしました。しかし構内には敵の姿が見当たりません。ヘルメットを被っているのは私たちだけで、普通の学生たちが遠巻きに見ているだけです。ちぇ、恐れをなして逃げやがったかと誰かが言いました。その時です、後ろからわーと喚声が上がりました。振り返ると、青いヘルメットを被った男たちがゲバ棒を手に突っ込んできます。私たちはあわてて向き直り、ゲバ棒を構えました。すると今度は後ろから喚声が聞こえてきます。挟まれた! そう思うと血の気が引きました。退くな、前へ出ろ! 幹部の叫ぶ声が聞こえてきますが、誰も前へ出ようとはしません。敵の数は私たちよりも少なそうですが、勢いが全く違います。ゲバ棒が振り下ろされ、木材の打ち合う音、ヘルメットが叩きつけられる音、そこに怒号が混じります。私も後ろから押されて、前面に出てしまいました。殺気立っている相手が槍のようにゲバ棒を突き出してくるので、私もゲバ棒を突き出してそれを払おうとしましたが、うまく行かず、相手のゲバ棒の先が私の二の腕を直撃しました。痛さは感じません。しかしそこから血が逆流したかのように全身がかっと熱くなりました。ヘルメットにもゲバ棒が当たり、それが滑って肩を強打しました。私はゲバ棒を振り上げ、相手の頭めがけて思い切り振り下ろしました。ヘルメットに当たり、手に反動が来た瞬間、ゲバ棒がポキリと折れてしまいました。敵のゲバ棒が次々と襲いかかってきます。体のあちこちに衝撃を受けながら、短くなったゲバ棒で応戦しつつ、私は退いていきました。見ると、私たちの人数は半分ほどになっていました。倒れている者もいますが、それは少数です。幹部の顔も見当たりません。武器が折れたのだから逃げてもいい、とっさにそう思い、私は敵のいない方向に走り出ました。私の後に何人かがついてくる気配を感じましたが、振り返る余裕はありませんでした。校門のところに青ヘルメットの男たちが二、三人いて、ゲバ棒を構えましたが、私が短いゲバ棒を振り回して叫びながら走って行くと、彼らはゲバ棒を再び立てました。彼らの横を通り過ぎる時、ちらっと見ると、目が笑っているようでした。途中でゲバ棒を捨て、ヘルメットも脱いで手に持ち、一駅分、息を切らしながら走って地下鉄に乗りました。座席に腰を下ろしてほっと一息ついたところで、二の腕と肩がじんじんと痛み出しました。そこだけではありません、手の甲も痛み、軍手を脱ぐと青黒く内出血をしています。太腿の外側も、いつやられたのか分からないのに痛みを持っています。敵の作戦にまんまと嵌(は)まった悔しさが今更のように押し寄せてきました。それと同時にいつのまにかいなくなった幹部に対する憤りも。アジトに戻ると、動員されなかった長髪男が、ご苦労さんと満面の笑みを浮かべて迎えてくれました。私は、闘いが始まった途端に逃げ出した幹部に対する不満を述べました。すると、指揮官は前線には出ない、それは軍事の常識だと逆に叱られました。それでも納得していない顔をすると、そういう指導部は乗り越えたらいいんだ、お前がのし上がれ、今や下克上の時代だと言って、長髪男はにやりと笑いました。それよりも体は大丈夫かと、彼は私の内出血した手を見て言いました。服を脱いでパンツ一丁になって点検すると、二の腕、肩、太腿、背中など五、六ヵ所に内出血しており、氷で冷やしてもらいました。どこも骨折などしていないことが不幸中の幸いでした。その日の内ゲバのことは、何日か後に出た機関誌に載りました。我が方の大々的勝利とゴシック体の太字の見出しが躍っていました。えっと私は思いました。どうみても私たちの敗北です。しかも数的優位に立っていたのに負けたのですから、大敗北と言っても過言ではありません。それなのに、大々的勝利とは。私は長髪男に、間違いであることを告げました。実際に戦った人間の言うことが正しいと。しかし、彼は、一人の兵士には全体が見えないのだから、お前の言うことが正しいとは言えないのではないかと苦言を呈しました。さらに、現場が指揮官に疑義をただすことは全体の統一を損なう行為だから慎むようにと言いました。そして、内ゲバに参加した他のメンバーを集めて、敵の機関誌を読まないように、ブル新も読まないように、どちらも書いてあることは間違いだから、と訓示をしました。ブル新とはブルジョア新聞、つまり全国紙のことです。ブル新を取っている者などいませんが、職場で見る機会があるのです。私も日雇いに行って、他の男たちの読んでいる全国紙を見ることがあるので、肩をすくめました。組織が団体での闘いよりも、個別に敵を潰していく方向に向かったのは、やはり大勝利が大敗北であったことの証左でしょう。ターゲットを選定するための調査活動が開始されました。敵の拠点大学に入って何人かの幹部たちの顔を望遠カメラで隠し撮りし、尾行して住所を確定し、在宅時間を知るために、早朝の五時から昼の十一時までと夕刻五時から深夜十二時まで家の近くに交代で立ち続けるのです。尾行には私も一回、組織の一員である若い女と一緒に行ったことがあります。女と一緒の方が怪しまれないからです。女を目にするのは滅多にないのでちょっと興奮したのですが、相手は私のことを年下と見ているのか、横柄な態度でした。私が女の顔を見詰めていると、そんなにじろじろ見ないでよ、と顔をしかめました。化粧が濃いのは分かっているわ、でもね、いくらファンデーションを塗っても化粧がのらないのよ、肌が荒れちゃって。そう思って見ると、確かに白塗りが厚く見えます。あんたはまだ痩せてないね、でもいずれわたしみたいになっちゃうよ、ろくなもん食べてないし、睡眠不足になるから。任務が終わったら焼肉でも食いに行こうかと言いたいところですが、日雇いで稼いだ金から組織にカンパしなければならないので私にも金がありません。なけなしの金の中からカンパすることに割り切れない気持ちもありましたが、革命的犠牲精神だとか革命的献身性だとかの言葉を投げかけられると、自分が不満を抱いたことが間違っていると思ってしまうのでした。何だか、女と行動を共にする興奮が萎んでしまい、意気の上がらないまま大学に向かいました。そして校門近くに張り込んで、写真の男が出てくるのを待ちました。見落としたらいけないので何度も写真をポケットから取り出して男の顔を確認しましたが、それでも気がつくかどうか不安でした。しかし男が現れた瞬間、こいつだと気がつきました。女と顔を見合わせ、腕を組んで歩き出しました。女の腕は細く、確かに痩せています。わたしはふっと、予備校時代の女の子のむちっとした腕を思い出しました。腕を組むという情況は同じなのに、まるで違う世界にいることが不思議でした。男は近くの地下鉄の駅には向かわずに、反対方向に歩いていきます。一度、さりげなさを装うように後ろを振り返った時は、尾行に気づかれたかと私はどきりとしました。しかし男は走り出すことも小路に曲がることもなく、広い道を歩いて行きます。男が大通りの信号を渡ったので急いで渡ろうと女の手を引っ張りましたが、ちょっと待ってよと女が立ち止まりました。どうやら慣れないパンプスを履いてきたせいで靴擦れを起こしたようです。我慢しろよ。何よ、その言い方、わたしはここで離れるから、あんた一人で行ってよ。私は向こう側に渡った男を目で追いました。このままここにいては男を見失ってしまいます。私は女を残して、走りました。赤信号に捕まり、いらいらしながら信号が変わるのを待ち、青になった瞬間走り出して、男の曲がった角にたどりつきましたが、男の姿は見当たりません。そんなに時間が経っていないはずなのに、と先に進み、横道を見ていきましたが、男の姿は消えてしまいました。ひょっとしたら尾行に気づいていて、どこかの建物に入り込んだのかもという気がしました。そうなると、逆にこちらが見られていることになります。私は急に恐くなって、急いでその場から離れました。結局、私には尾行力がないということになって、二度とその任務は回って来ませんでした。その代わり、車の運転ができるということで、ドライバーレポをするようにと言われました。車なら、いくつかの敵の拠点大学を回って、立て看板の内容や活動家の集結状況を調べたり、敵の出版社の前に停まっている車のナンバーを控えたりすることが短時間でできるからです。私も一人のほうが気楽でしたし、車を運転することが息抜きになりました。私のような比較的若い人間は鉄パイプを振るう実行部隊に組み入れられるのが普通のようですが、私は実行部隊を現場に運び、事の終わった男たちを直ちに逃がすためにドライバーを命じられました。私の運転技術を見極めるために無精髭男がカローラの助手席に乗りました。急発進、急カーブ、速度を上げてのジグザグ走行など彼の指示で車を走らせました。その結果、俺よりうまいねという言葉が返ってきました。お前、何乗ってたんだ。シトロエンです。へえ、フランスの車か、さすが医者の息子は違うね。皮肉っぽい言い方に嫌な気持ちになりましたが、私は知らん顔をしていました。予備校生の時に乗り回していたの? 高校生の時から乗ってました。無免許で? ええ。女の子を引っかけては遊んでいたことはおくびにも出しません。男は、いいご身分だなあと笑いました。俺も河川敷で友達の車を無免許で動かして覚えた方だけど、家が貧乏で、何とか免許証だけは手にしてやろうと必死だったからな。私は予備校に通うために親に取れと言われて。自動車学校だろう? ええ。俺なんか試験場で三回目でやっと合格したんだからな。すごいです。男はふんと鼻を鳴らしました。とにかく私は運転技術の見極めに合格し、カローラよりも一回り大きいダットサンの運転を任されることになりました。初めて襲撃隊を乗せた日のこと、ヘルメットを被りタオルをマスク代わりにした四人の男たちが乗り込んできました。手にはそれぞれ一メートル近い鉄パイプやその半分くらいの長さのバールを持っています。本当にやるのだと私は息を呑みました。武者震いというか足が小刻みに震え、エンジンキーを回すのにも手間取ってしまいました。おい、さっさと行けよ。後ろから怒鳴り声が聞こえました。先導してくれる無精髭男のカローラはすでに発車していて、遠くに見えています。私は何とかエンジンをかけると、急発進させました。わっという声が聞こえます。大丈夫か。そんな声に応える余裕もなく、私は前のカローラに追いつこうとアクセルを踏みました。何とか二つ目の信号で追いついた時はほっと胸を撫で下ろしました。それから後はだいぶ落ち着いて運転することができました。襲撃場所は都内の古ぼけたマンションの一室でした。入り口前に車を停め、五人を降ろすと、少し先の曲がり角の手前で待ちました。カローラの後ろです。そんなに時間はかからないと聞いていたので、運転席から降りず、ハンドルに手を置いて待っていました。どのくらいたったでしょうか、おそらく十分もたっていないと思います。ダダダという足音がして後ろを見ると、鉄パイプを持った男たちが走ってきます。私はあわててエンジンをかけました。助手席のドアが開き、一人の男が入って来る時、鉄パイプが車体に当たって金属の音がしました。後ろのドアからも男たちが乗り込んできます。息づかいが荒く身体全体から興奮の熱を発しているのが分かります。前のカローラが動き出したので私もアクセルを踏みました。車が動き出してからようやくドアが閉まりました。車内は汗臭く、血の臭いも混じっているようでした。カローラは真っ直ぐにアジトに向かわずに右に左にと町中を行き、時々停車しては一人、また一人と降ろしていきます。私も助手席の男の命じるまま、途中で前のカローラとは別の道に入り、車を停めては男たちを降ろしていきました。鉄パイプやバールは車内に置き去りです。アジトに着いた時、助手席の男に武器を持って上がるように言われ、私は後部ドアを開けてシートの下に落ちているそれらを一本一本取り出しました。中に濡れている一本があり、手を広げると真っ赤な血が付着しています。私はその赤をしばらく見入ってしまいました。行くぞという男の声で私は我に返り、二本の鉄パイプと一本のバールを胸に抱えて階段を上りました。そのずっしりとした重さが現実の重さなのだとふと思いました。部屋に入ると、長髪男がどうだったと助手席男に言いました。殲滅(せんめつ)した。助手席男はさも当たり前のように答えました。うんうん、長髪男が満足そうに頷きます。これ、どうしたら、と言って私は鉄パイプとバールを抱え直しました。血がついてますけど。洗って武器庫にしまっておいてくれ。助手席男が俺のも頼むと持っていた鉄パイプを私に預けました。私はキッチンに行き、流しのシンクにそれらを斜めにして置くと、まず自分の手を洗いました。しかしなかなか取れません。私は石鹸を両手で揉むようにして、何度も洗いました。どうにか血の臭いも取れたことを確認してから、たわしで鉄パイプとバールを擦りました。それが終わって自分の胸を見ると、紺色のTシャツに赤黒い色がついています。私はTシャツを脱ぎ、石鹸を擦りつけて洗いました。代わりのシャツを持っていないので、濡れたTシャツを絞ってそのまま着ました。そこへ無精髭男が鉄パイプ四本を持って入って来ました。これも頼む、そう言って鉄パイプをごろんと流しのシンクに放り込むと、手についた血を蛇口の水でざっと洗いました。彼の黒いTシャツにも血がついていましたが、後で洗うつもりなのか、それとも気がついていないのか、そのまま居間に戻っていきました。私は血を気にしたことが恥ずかしく、濡れたTシャツのままキッチンを出ることが嫌でした。それでも名前を呼ばれたので七本の鉄パイプと一本のバールを抱えて居間に行きました。男たちが今日の襲撃のことをあれこれしゃべっています。馬乗りになって頭にバールを振り下ろしたら、バールが頭蓋骨に刺さって抜けなくなって困った。頭蓋骨の折れる音って、思ったより軽いな。違う、違う、それはお前、薄いところに当たっただけだよ。彼らの早口で甲高い声を聞いていると、すごいことをしてきたんだと鳥肌が立つのを覚えました。自分だけが除外されているような気分で、私は武器庫になっている洋服ダンスを開けると中に鉄パイプとバールを立てかけました。そしてソファの端っこに坐って、Tシャツが濡れていることを気づかれないように身を縮めました。男たちは私のことなど全く気にしていないようです。時折私の運転技術のことが話題になりましたが、私は曖昧に笑うだけで、早くここから解放してほしいとそればかり思っていました。  それから何回か運転手役を受け持つうちに、私も血に慣れていきました。いやむしろ、血がないと何だか物足りない気分にもなりました。それでも二人の男に両肩を担がれて顔面血だらけの仲間が戻ってきた時にはどきりとしました。ヘルメットも割れています。三人の男たちが後部座席に入るのを首を捻って見ていました。真ん中の男の顔に当てられたタオルがみるみるうちに赤く染まっていき、血の臭いが鼻につきました。車を出せ、一人が怒鳴りました。いや、まだ一人残っています。いいから出せ。え? あいつはもういい。もういいとはどういうことか聞きたかったのですが、そんなことを聞ける雰囲気ではありません。私はサイドブレーキを外してアクセルを踏みました。病院ですか。いや、アジトに向かえ。バックミラーを見ると、真っ赤なタオルを顔に当てた男はシートからずり落ちそうな姿勢でぐったりしています。大丈夫なんですか。大丈夫じゃない! 私はアジトに急ぎました。怪我をした男をどうするか、幹部たちの議論を私は部屋の片隅で聞いていました。結局このまま放置したら死ぬということで、その夜病院に運びました。眼窩の骨折で右目は失明しましたが、命だけは何とか取り留めました。病院側は暴力事件を疑ったようですが、長髪男は建築現場での転落事故であると言い通しました。車に戻って来なかった男のことは翌日のテレビで知りました。内ゲバによる殺人がニュースになっており、死者二名のうち一人がその男でした。アジトの中は復讐だとか弔い合戦とかいう言葉が飛び交い、ぱんぱんに膨らんだ風船のような状態になりました。一挙に決着を付けるという長髪男の言葉で、大規模な襲撃が計画されました。車三台に襲撃部隊十四人が分乗、火炎瓶やドアチェーンカッターも用意されて、夜九時に現場に向かいました。八階建てのマンションです。男たちを降ろしていつものように近くで待機していますと、ボンという音がしました。運転席から顔を出してマンションを見上げると、五階あたりの一室から火が噴き出ていました。これは早く終わりそうだと思い、私はエンジンをかけました。その時です、黒い大きな車両が角を曲がって現れました。機動隊の車両です。前に止まっていた二台の車が急発進しました。私もアクセルを踏んで後に続き、機動隊の車両が現れた角とは反対側に曲がりました。しかし見ると先の方で二台の車が止まっています。道が塞がれているのです。私は後ろを見ました。道路を塞ぐ車はまだいません。私はギアをバックに入れ、思い切りアクセルを踏みました。シトロエンを乗り回していた頃、テレビ番組でカースタントマンのテクニックを見て河原で試したこともあります。それがとっさに出たのでしょう。アクセルを踏みつつブレーキペダルを踏み、ハンドルを切って車体をドリフトさせる。しかし頭でイメージしていたようにはいきません。後部が何かにぶち当たりました。それでも車体は運よく逆を向きました。パトカーが入ってきて道を塞ごうと切り返しをしています。私はパトカーが後退をして空いた空間に車を突っ込みました。赤く光る誘導棒を持った警官があわてて飛び退きました。私は現場から逃げることに必死でした。誰かを轢き殺すかも知れないという危惧はこれっぽっちも浮かびませんでした。もしあの時誰かを轢いていたらと思うとぞっとします。パトカーのサイレンに追われて赤信号の交差点にも突っ込んでいきました。後部に横から来た車が接触しましたが、何とか車体を立て直して交差点を抜けました。パトカーのサイレンが遠ざかっていきます。さっきの車に前方を塞がれたのに違いありません。それでも私は一息つくことなく右に左にとカーブを切り、ある住宅街の道に入りました。突き当たりにコンクリートの壁があり、それに沿って曲がろうとしましたが、車が入れるような幅の道ではありません。切り返しをしようにもそんなスペースはどこにもありません。バックをしようと後ろを見ると、遠くにヘッドライトの光が見えました。私はあわてて車を降り、壁に沿って走ろうとしましたが車にずっと乗っていたせいか、足がもつれてうまく走れません。それでも何とか足を運び、繁華街を目指しました。自分のいる場所が全く分からないまま、夜空を見てぼおっと明るくなっている方向を目指して歩いて行きました。午前零時を過ぎています。途中、目に入った自動販売機で缶コーヒーを買って水分を補給しただけで、空腹は我慢しました。ラーメン店があることにはあったのですが、そこに入るとすでに情報が回っていて捕まるような気がしたのです。どのくらい歩いたでしょうか、何とかネオンの輝く街に入って灯りのついている深夜喫茶を見つけ、中に入りました。店内は薄暗くて男女のカップルが多くの席を占めていました。ようやく一つの席を見つけ、やってきたウエイトレスに何か食べ物をくれと頼みました。トーストしかないと言うので、それと牛乳を頼み、しばらくして運ばれてきたそれらを食べると、ベンチシートの席に横になって目を閉じました。この三時間ほどの光景が回り灯籠のように頭の中をぐるぐるしている間に眠ってしまいました。 翌朝、ウエイトレスに起こされました。閉店だというのです。腕時計を見ると午前八時を過ぎていました。もう一日、ここにじっとしていたかったのですが、そうもいきません。私は外に出ました。ビルとビルの間からすでに太陽が照りつけており、通勤途中の人々がその光を避けるように歩いています。私は場違いな所に迷い込んだような、白日の下に自分の正体が晒されているような違和感を抱えながら彼らに混じって歩き、どこかに隠れる場所がないかと探していました。珍しくマクドナルドの看板を見つけ、ほっとしてガラス扉の中に逃げ込みました。しかし店内は外以上に人が溢れており、私はあわてて外に飛び出しました。それからはなるべく細い通りを選び、ガード下にあった小さな喫茶店に入りました。ニッカボッカの男や暇を持て余したような年寄りがいるだけの暗い店で、私は奥のボックス席に腰を降ろしました。エプロンを着た男が水を持って来、注文を聞きました。何か食べる物はありますか。モーニングセットなら。またトーストかと思いましたが、仕方がありません。それを注文し、ゆで卵、サラダ、厚切りトースト、コーヒーを腹に入れました。何とか空腹が収まり、私はボックス席に体をもたせかけて目を閉じました。誰かが野球の結果を声高に話しています。その時、都内でまた内ゲバ事件が発生しました、という音声が聞こえてきて、思わず顔を上げました。壁のコーナーに白黒テレビが設置されており、私は席を移動して画面を見上げました。マンションの一室が放火され、焼け跡から二人の遺体が見つかり、警戒中の網に容疑者たちが引っかかって逮捕されたことをアナウンサーが告げました。誰が捕まったのか名前は出ませんでした。周りに目をやると、テレビを見ているのは私一人でした。これからどうなるのか、自分はどこへ行けばいいのか、全く分かりません。財布の中身を見ると、一万円ほどしかありません。アパートに帰っても、金がないことには変わりはありません。こんなことなら百万円すべてを提供しなければよかった、半分でも手許に残しておいたらと後悔しましたが、今さら言ってみても始まりません。アジトの責任者である長髪男に連絡を取って、どうしたらいいのか尋ねるしかありません。私は喫茶店を出て、目についた公衆電話ボックスに入りました。硬貨を入れ、覚えている番号をダイヤルします。呼び出し音が何回も続きました。いい加減切ろうと思った時、電話が繋がりました。もしもし。しかし相手は何も言いません。何か変だなと思いながら、もう一度、もしもしと声を出しました。あんた、誰。しわがれた声が返ってきました。聞き覚えのない声です。それを無視して、Mさんは? と長髪男の名前を口にしました。Mはいないよ、あんたは誰。その時、警察のガサ入れだと気づき、私はすぐに電話を切りました。胸がどきどきしています。アジトに警察の手が入ったということは、自分のアパートもすでに警察に知られているに違いない。私の足はドヤ街に向かいました。もし警察に追われることになったらドヤに身を潜めたらいいと仕事に来る度に思っていたことが現実になりました。さすがに一泊二百五十円のカイコ棚みたいなところには泊まる気にはならず、千円出して三畳の部屋に入りました。近くの食堂でうどん定食を食べ、下水の臭いのするドヤの風呂に入り、手足を伸ばして蒲団に横たわりました。ここでほとぼりが冷めるまでじっとしていようと覚悟を決めました。しかし世の中、そうはうまくは行きません。何日か経って、日雇い仕事から戻って来ると、帳場の男から何か身分を証明する物を呈示して欲しい、なければ職安に行って登録して日雇いの被保険証をもらってきてと言われました。なぜかと尋ねると、警察からのお達しなので、と男は申し訳なさそうに答えました。近頃物騒な事件が多いでしょ、過激派の連中をあぶり出すために警察がローラー作戦を始めたんですわ。過激派という言葉にどきりとしました。しかし私は素知らぬ顔をして、もしそれを呈示しなければどうなるのと聞きました。その通り報告するしかないんですけど、警官が来ますよ。分かりました、明日登録してきます。もちろんそんなことをする気はありません。私は次の日、ドヤを出ました。前払いの金がもったいなかったのですが、わざわざそんなことをして帳場の男に印象を残したくはなかったのです。仕事は登録などしなくてもできますが、泊まるところを確保するのは簡単ではありません。二千円とか三千円を払ってビジネスホテルに泊まるという選択もないことはないのですが、毎日仕事にありつけるという保証がないので難しいのです。雨が降れば日雇いの仕事は激減してしまいますから。取りあえずその日はビジネスホテルに泊まろうと一泊二千円の所に飛び込んだのですが、保証金を二万円払って欲しいと言われました。私の、薄汚れたジーパン、長袖のTシャツ、持ち物といえばナップサック、そんな風体を見たからでしょう。しかし財布には一万円もありません。泊まり賃の二千円の前払いでいいのではないかと私は主張しましたが、フロントの男は首を振るばかりです。泊めたくないのが丸わかりで、私は諦めて野宿をすることにしました。十月で、風さえしのげればできないことはありません。ドヤ街で見た野宿の男たちを真似てゴミ箱をあさり、新聞紙を集めようとしましたが、そんなに都合よく捨てられてはいません。仕方なく朝刊二紙を買いました。そこには内ゲバ殺人の続報が載っていました。首謀者としてMの名前が記され、他にも何人かの名前が出ていますが、ドライバーの名前はありません。無精髭男はうまく逃げおおせたのかと思いながら読んでいくと、最後に、警察は逃げた男たちの行方を追っているとありました。そのうちの一人がここにいる、と私は自嘲しました。反面、おかしなことに、誰かにそのことを自慢したいような気持ちにもなりました。いかん、いかんと私は首を振りました。そんな気持ちでいたら、いつか他人にしゃべってしまう、自分の首を絞めることになる。殺人の共犯か幇助か知りませんが、時効が来るまで逃げおおせなければならないと私は自分に言い聞かせました。公園の便所に入りました。臭いはひどいですが、風がしのげます。しかし床に水が溜まっていて、そこに横たわるのはさすがにできません。仕方なく、外のベンチに寝ることにしました。両足に新聞紙を巻き付けてジーパンを穿き直し、Tシャツの下にも新聞紙を巻きます。その上にさらに巻いて横になりました。寒さはしのげますが、寝返りが打てません。うとうとして体が落ちそうになってはっと目覚めることが何回もありました。朝が来ても寝た気がまったくしませんでした。こんなことでは日雇いの仕事にもいけません。金がなくなって公園で野垂れ死にする姿が頭に浮かびました。私は三晩、公園で夜を明かした挙げ句、実家に電話することにしました。帰ることは許されないとしても、どこかにアパートでも借りてもらえれば、という気持ちでした。盗んだ百万円は働きながら少しずつ返すつもりでした。呼出音が途切れ、もしもし、武市でございます、という女の声が聞こえてきました。母親です。私はすぐには声を出すことができませんでした。もしもし、母親の訝しげな声が聞こえてきます。もしもし、と私は低い声で言いました。一瞬、間があってから、日出男なの! と母親が叫びました。ああ。今、どこにいるの! それは言えない。あなたー日出男よ! ごつんと受話器を置く音がします。父親がいない時間を狙ったはずなのにいたことに私は戸惑いました。休診日だったのか。曜日の感覚がないことにほぞを噛みました。電話を切ろうかと迷っているうちに、日出男かと父親の押し殺した声が聞こえてきました。私の心臓がどくんと音を立てたのが分かりました。日出男です。今頃なんだ。抑え気味の声がすべてを物語っています。アパートを借りて欲しいなどと言い出すことはとてもできません。私が黙っていると、死ね、と言いました。え? 罪を償うのはそれしかないだろう。罪? 私は思わず聞き返しました。人を殺せば報いを受ける、当然だろう。私は内心で自答しました、人を殺したのは確かです、しかしそれは向こうから仕掛けて来られたから自分たちを守るために戦ったに過ぎない、いわば戦争なのです。戦争で人を殺しても罪なんですか、と私はできるだけ感情的にならないように問いかけました。何を言ってるんだ。戦争なんです、これは。馬鹿も休み休み言え、何が戦争だ、ただの殺し合いのくせに。警察が何を言ったか知りませんが、われわれは戦争をしているのです、殺すか殺されるかの戦争です、だから人を殺してしまうこともあります。そんな理屈が通用するとでも思っているのか、さっさと死ね、お前はもううちの家の者ではない、生きていられたら迷惑だ、死ぬことが一番の親孝行だ、分かったか。あなた、という母親の声が聞こえてきます。私は公衆電話のフックを手で押し下げました。受話器から聞こえるプーという音があの家との繋がりを完全に断ったものとして耳に飛び込んで来ました。一つの儀式が終わったと感じました。父親の言った、死ねという言葉は警察に捕まって名前が出るような真似をするなということでしょう。そんなことになれば病院の経営にも影響する、兄たちの今後の人生にも暗雲を投げかけるということでしょう。しかし私は死ぬつもりはありません。逃げて逃げて逃げおおせるとその時固く決意しました。時効まで逃げて、その後堂々とやつらの前に姿を現す。そう目標を定めると、何だか生きる希望が湧いてきました。公衆電話ボックスを出て繁華街に向かい、店員募集の貼り紙を見つけては、その内容を確認していくということを繰り返しました。住み込みの仕事が理想です。しかしなかなか見つかりません。最初に見つけたのは、蕎麦屋の出前の仕事です。中に入って作務衣のようなものを着た親父に貼り紙を見たことを伝えると、胡散臭そうに私の頭から足先まで視線を走らせました。洗濯をしていないからジーパンもTシャツも薄汚れています。体が臭うかもしれないと気づき、銭湯に入ってくるべきだったと後悔しましたが、今さら言っても始まりません。まだ客のいない店内で親父とテーブルを挟んで向かい合いました。履歴書か何かありますか。いいえ。名前は? 新庄清。偽名を答えました。年齢は? 二十三です。これも嘘です。どこに住んでるの。アパートを追い出されて。どこのアパート? 私は答えに詰まりました。とっさに偽の住所が出てきません。仕方なく組織に借りてもらったアパートの住所を答えました。ふーん、ということは住み込みで働きたいということかな。そうです。それなら身元保証人がいるんだけどな。東京には誰もいないんですが。身内でなくても友達でもいいよ。それもいなくて。じゃあ、うちでは無理だ。私は頭を下げて店を出ました。その後、いくつかの店に入りましたが、主人と会った瞬間、もう決まったからと言われたり、履歴書を持って出直してこいと言われたりして、疲れ果ててしまいました。ドヤ街に戻って二百五十円のカイコ棚で一泊すると、今度は風俗街で住み込みの仕事を探しました。そういうところなら胡散臭い人間でも知らん顔をして受け入れてもらえるんじゃないかと考えたのです。その予想が当たりました。  山手線の新宿駅から裏通りを選んで歩いていると、古ぼけたビルの外壁に、照明係、場内係その他、従業員募集、年齢不問、委細面談、即決、と下手くそな文字で書かれた貼り紙を見つけました。そのビルの地下にある、アートミュージックという名のストリップ劇場の募集記事です。ストリップという言葉がまず私の心をつかみました。どうせ世を忍ぶなら、楽しんで働けるところがいいと思ったのです。それに即決なら、時間の無駄がない。私は小便の臭いがほんのり漂う狭い階段を降りていきました。ロックでしょうか、ドラムの音がばんばん鳴っています。昼過ぎなのにもうやっているようです。真っ黒いドアの横に窓口があり、能面のような顔のじいさんに、従業員募集の紙を見たことを告げました。じいさんは何も言わず、人差し指を右に向けました。通路の奥に小さなドアがあります。近づいてアルミ製のドアをノックすると、どうぞという男の声が聞こえました。中は事務所のようで、書類や冊子が乱雑に積み上がった机の向こうで黒縁眼鏡の男が顔を上げました。眉間の皺が深い中年男です。私が募集に応じたことを告げると、さして興味のなさそうな顔で、あ、そうと呟きました。ちょっとそこに坐っといて。男は横のソファーセットを指さしました。そこにもチラシみたいな紙の束や雑誌がいっぱいあって、坐るスペースがありません。私は仕方なく紙の束を一方に押しやって、ところどころ剥げたソファーに腰を降ろしました。男は机に顔を近づけて何か書きものをしています。すぐに終わるだろうと思ってその様子を眺めていましたが、なかなか終わりそうにありません。私は仕方なく部屋の中を見回しました。女の裸の写真を使ったポスターが何枚も貼られ、壁にかかっている大きな黒板には数字や文字がいくつも書き込まれています。赤いチョークで強調されている数字もあります。ロックの音楽が流れ込んでおり、微かに白粉か何かの化粧品の匂いもしています。どのくらいたったでしょうか、ひょっとしたら男は私がいることを忘れているのではないかと疑いだした頃、ようやく椅子から立ち上がりました。悪い、悪い、急いでたもんで。男はソファーの紙束を押しのけると、私の前に腰を降ろしました。アートミュージックの社長であることを告げてから質問です。名前は? 新庄清です。年齢は? 二十三です。どこに住んでるの。今、住むところがなくて。え、住所不定? はい。今日はどこから来たの。山谷です。ふーん。男は目線を宙に向けて考え込んだ様子を見せました。これは駄目だなと私は思いました。社長は視線を戻すと、生まれはどこ? と聞きました。一瞬嘘をつくべきかと思いましたが、埼玉の**ですと本当のことを答えました。ご両親はいないの? 死にました。ふーん。いつとかどうしてとか聞かれたら何と答えようかと素早く考えを巡らせました。分かった、採用しましょう。え? 早速、明日から来てくれる? ……はい、私が戸惑っていると、社長は、午前十一時から午前零時までの十三時間勤務、休みは不定期の月三回、月収六万、健康保険、失業保険、厚生年金等の社会保険は一切なし、と早口で言いました。六万? 思わずそんな言葉が口から出そうになりました。高卒の初任給でも七万は超えています。しかも労働時間が十三時間とは! 何か不満でもある? と社長が口元に笑いを浮かべながら聞いてきます。私が答えないでいると、他に特技でもあれば考えてやってもいいよ、例えば運転免許とか。免許証は持っていましたが、それを見せると本名が分かってしまいます。運転はできます、無免許ですが、私は悔し紛れに答えました。無免許じゃあダメだ、もし捕まったら俺がお咎めを受ける、他には? ありません。じゃあ、明日十時半に出勤してよね。そう言うと社長は立ち上がりました。あのう……。机の前の椅子に腰を降ろしながら社長がこちらを向きました。何。住み込みはできませんか、山谷から通うにしても午前零時に終わったら帰れないので。近くにアパートでも借りなさいよ。金がなくて。うーん。男は考え込みました。住み込みだけは認めてもらわなくては何のために今まで仕事を探してきたのか分かりません。まあ、夜は楽屋が空いているからアパートを借りられるまでそこで寝泊まりしてもいいよ、ただし、その分一万円引いて月五万、どう。ケチな野郎だと思いましたが、言い分は正しいと認めざるを得ません。一ヵ月一万円の宿だと思えばそう悪くはないと自分を納得させました。そのことを了承して部屋を出ようとした時、新庄くんという声が聞こえました。その呼びかけが自分に向けられたものだと気づかずに、私はドアのノブに手をかけました。新庄くん。もう一度聞こえてきて、初めて自分が呼ばれていると気づきました。私はあわてて振り返りました。社長はにやりと笑うと、辞めないでくれよなと優しく諭すような口調で言いました。顔が赤くなるのを感じながら、私は、はいと無理に元気よく答えました。外に出て階段を上がりながら、偽名であることはバレていたのだと私は歯ぎしりしました。おそらく今まで何人もそんな男たちを見てきたに違いありません。偽名を名乗る事情につけ込んで、安い賃金でこき使おうということでしょう。別の所を探そうかと私は思いました。しかし、とりあえず働いてみて、いやだったらその時に辞めればいい、そう考えると、気分がいくらか楽になりました。  次の日からアートミュージックでの仕事が始まりました。従業員は窓口のじいさんも入れて四人。みんな私より年上です。十一時から場内の掃除。小学校の教室よりも一回り大きい会場で、舞台の中央から花道が延び、円形の小舞台に繋がっています。私より五、六歳年上の大木という男の傍にいて、そこのゴミを片付けろ、ここを拭けという指示に従います。女の裸を見ながらオナニーをするじいさんがいるから、そいつを見かけたら気をつけないかん、時折床に飛ばしよるからその時はすぐに拭かな、乾いたらこびりつくからな。それはお前の役目だと言われているのは分かります。しかし見かけても見なかったと言い張れば済むことなので、私は、あーはいと生返事をしておきました。場内の清掃が終わりかけた頃、舞台の後ろから時折嬌声が聞こえてきました。踊り子たちが楽屋に集まっているのでしょう、私は雑巾でパイプ椅子を拭いていた手を止め、声のする方に目を向けました。自分では一瞬のつもりでしたが、実際はじっと見詰めていたのでしょう。手を止めるなと大木が怒りました。すみません、私はあわてて拭き掃除に戻りました。女の裸なんてこれからイヤというほど見れるんだからガタガタするな。はい。それからひとつ言っとくけど、見てもいいけど関係を持ったらクビだぜ。え? 踊り子とセックスしたらクビだって言ってるの。ああ、そうなんですか。お前、童貞か。いいえ。だったら我慢できるだろ、向こうが誘ってきても乗ったらダメだぜ。分かりました。掃除道具を片付け、私は大木と一緒に舞台を斜め下に見る小さな照明室に入りました。レバーのついたスイッチ箱やラグビーボール大のライトが二つ鎮座していました。午前十一時半に呼び込みのブザーが鳴ると、二十人ほどの男たちがどっと入って来、競うように円形の小舞台の周りに陣取ります。正午開演です。一番年上の従業員がマイクを握り、粘るような声質で口上を述べます。本日はアートミュージックにご来場いただきまして、誠にありがとうございます。開演に先立ちましてお客様に一言ご注意を申し上げます。ご場内でのおタバコ、写真撮影ならびに録画録音等の行為は一切お断り申し上げます。また、踊り子の衣装ならびにお肌には絶対に手を触れないよう重ねてお願い申し上げます。さて、トップステージを絢爛豪華に彩りますのはミス・エイドリアン嬢によります華麗なる花の天狗ベッドショー。それではミュージックスタート。大木がスイッチ箱のレバーを引き上げると、ロック調の激しい音楽が流れ出しました。と同時に天井から吊り下げられたいくつもの照明が点滅します。そこへ足首まであるひらひらの衣装を肩にかけた踊り子が登場します。ショートパンツにビキニのブラ。踊り子は手足を広げ、体を回転させながら小舞台を回っていき、踊りが一通り終わると、ひらひらの衣装を肩から外し、腰を捻りながらショートパンツを脱いでいきます。下にはほんの小さな下着、今で言うTバッグです。胸のブラを取って乳房を露わにすると、立ったまま一方の脚を持ち上げてわずかな布切れで覆われた股間を見せつけていきます。そうしておいて今度はTバッグを外し、同様に脚を上げて陰部をさらけ出します。観客から拍手が湧き起こりました。その時には点滅ライトに替わって照明がピンク色になり、踊り子の肌がやけにきれいに見えます。踊り子は小舞台の縁にしゃがみ込むと、体を反らせ、陰部を指で開きます。男たちが集まって覗き込んでいます。アートミュージックは回り舞台ではなかったので、踊り子自身がその姿勢で縁に沿って徐々に動いていかなければなりません。そうすると、男たちの頭も動いていきます。私は初めて見るストリップにいたく感動していました。遠くから眺めていたせいでしょうか、いやらしく見えないのです。誰かが手を伸ばしたのでしょう、踊り子には絶対手を触れないようにお願いいたしますというアナウンスが流れました。踊り子はそれから端に置いていたバスケットから天狗の赤い面を取り出すと、円形舞台の中央にそれを置き、しゃがみ込んで陰部に天狗の鼻を沈み込ませていきます。天狗ベッドショーとはこういうことなのか、と私はまた感じ入ってしまいました。踊り子は喉を反らせて眉間に皺を寄せながら尻を上下に動かし、周囲に見えるようにゆっくりと回っていきます。再び拍手が起こりました。それが終わると今度はこけしを客に手渡して、開脚した自分の陰部にそれを抜き差しさせるのです。男たちは顔を近づけて覗き込みながら、こけしを慎重な手つきで動かします。激しく動かす男は一人もいませんし、体に触れようとする者もいません。そこには踊り子との暗黙の了解があるように見えます。私は予備校生の時の、女体探求を思い出しました。開脚した谷間から顔を上げたときに見えた女の子の顔。嫌がっているような戸惑っているような表情。私は不意に勃起してしまいました。ジーパンなので大木には気づかれるはずがないと思いながらも、私はさりげなく股間の前で手を交差させました。次の踊り子はダンスを披露して陰部を見せた後、ジャンケンで勝った観客を舞台に上げ、ズボンとパンツを引き下げました。何が始まるのだろうと思っていると、踊り子は客の勃起した陰茎にコンドームを被せ、口にくわえました。そして何度も動かします。男の体がぴくんと反って射精したことが分かりました。踊り子はコンドームを抜いて確かに射精したことを示すように周囲にそれを見せました。また拍手が起こります。この、まるでピンクサロンのようなサービスはまだ理解できましたが、本番まな板ショーと称する次の踊り子は舞台に上げた客と性行為をするのです。これって違法じゃないんですか。私は思わず大木に尋ねました。違法だよ。大木は今さら何を言っているんだという口調で答えました。警察に捕まらないんですか。そりゃあ見つかりゃ捕まるさ。今まで捕まったことは? あるよ。それでも営業できるんですか。見ての通り、やってるだろ。これはマズイと私は思いました。警察に捕まるわけにはいきません。遅い昼食休憩の時、私は事務室に行き、社長に辞めさせて欲しいと頼みました。おいおい、と社長は呆れた顔をしました。まだ半日も勤めてないじゃないか。半日で十分です。誰か気にくわない奴がいたか。いいえ。それじゃあどうして。警察に捕まりたくないとは言えません。気にくわない奴がいたことにすればよかったと思いましたが、今さら肯定はできません。舞台で本番をするとは思いませんでしたから、私は苦し紛れにそう答えました。え、それどういう意味。やっぱり非合法の手伝いをするわけには……。そんなこと、ここに来る前から分かってたんじゃないの? いいえ。社長は腕を組むと、顎の無精髭を手のひらで撫でました。今時のストリップは本番なんて当たり前なんだよ、でなけりゃ成り立たないんでね、それは警察の方々もよくご存じなんだから、従業員のお前が嫌がってどうするんだ。もし捕まったら親が、と言いかけて、両親が死んだことにしていたことを思い出しました。それでとっさに、警察沙汰になれば育ての伯父に怒られるんでと言い直しました。ふーん、だったら警察沙汰にならなきゃいいんだな、それなら心配すんな、警察が乗り込んできても捕まるのは社長の俺なんだから、従業員には迷惑はかけないよ、それに滅多に警察なんか来ないから。大木さんが捕まったことがあるって。あのバカ、そんなことを言ってたのか、すぐに出てこれたくせに、まあ、一年に一回あるかないかなんだよ、あれは三ヵ月前だから、次は来年だな。ホントかなと思いましたが、そうしょっちゅう警察が来るわけでもないのは分かります。ここを辞めてまた仕事探しをする大変さを考えると、今年いっぱいくらいならいいかと私は思い直し、辞意を撤回しました。女の裸を見ながらおまんまをいただけるなんてそんじょそこらにないよ、この仕事は、という社長の言葉も少しは効いたのかもしれません。昼の部が終わって一時間の休憩に入ってすぐ、舞台のマットを片付けようと楽屋の前を通ったら、ドアが開き、濃い化粧のままの踊り子が顔を見せました。トップステージに立ったミス・エイドリアン嬢のようです。白粉の匂いがふわっと私の顔を覆いました。あんた、アンネ買ってきて。エイドリアン嬢は私に千円札を握らせました。アンネ? そうだよ、アンネ、あんた知らないの? 私が首を捻っていますと、あんた、初めて見る顔だね、アンネも知らないでこんなところに勤めてるの? すみません。エイドリアン嬢はふっと笑ってから、タンポンは知ってる? はい。それのことだよ、わかった? 私が頷いて行きかけると、パンツも買ってきて、生理用だよという彼女の声が追いかけてきました。私は窓口に坐っているもぎりのじいさんに薬局の場所を聞き、ビルの階段を上がっていきました。外は陽が傾いていましたが、秋晴れのいい天気です。そのうっすらと紫の混じった青空を目にしますと、たった四時間くらいの、今までいたところが別世界のような気がしてきます。私は大きくため息をつきました。手の中の千円札を見詰め、これを持ってこのままトンズラしてもいいかとふと思いました。四時間分の賃金にはなるでしょう。しかし私の足はじいさんの教えてくれた道を進んでいき、小さな薬局に入りました。タンポンとショーツが見つからず、カウンターにいた店員に尋ねると、彼女は後ろの棚の右の方からタンポンの箱とぴったりフィットと書かれた袋を、いくつか持ってきてカウンターの上に並べました。どれにします。私が迷ってそれぞれに目をやっていると、アートミュージックの人? と尋ねられました。はい。だったらこれとこれがいいんじゃない? 選んでくれた二つを入れた紙袋とお釣りを持ってアートミュージックに戻り、楽屋のドアをノックしました。はーいという女の声が聞こえてきます。アンネ、買ってきました。入っていいわよ。恐る恐る中に入ると、壁に鏡の張ってある八畳ほどの部屋に四人の踊り子がいて、寝そべって煙草を吸ったり、胡座をかいてカップヌードルを啜ったりしていました。そのうちの二人は乳房も丸出しで、目のやり場に困りました。それに化粧の匂いばかりではなく生ぐさい血のような臭いやカップヌードルの出汁の匂いが混じっているのかむせ返るようで吐き気がしました。私は紙袋とお釣りをエイドリアン嬢に渡し、彼女が中身を確認したらさっさと出るつもりでドアに張り付いていました。何、これ、エーザイじゃないの。エイドリアン嬢が目を剥きました。あたしはアンネって言ったでしょ、それにパンツも一番高いやつ。彼女は二つの品物を私の方に突きつけながら声高に言いました。訳が分かりません。薬局の人に選んでもらったんですが、と小声で言い訳しました。私はアンネが好きなの、だからわざわざアンネって言ったのに。その時、煙草を吸っていた踊り子が、エーザイでもいいじゃないの、おんなじタンポンなんだからとのんびりとした口調で言いました。そういう拘りがないから、あんたの芸はダメなのよ。ああ、そうですか、拘りのあるあんたの芸はさぞかし素晴らしいでしょうね。何よ、喧嘩売るつもり? 先に売ってきたのはあんたでしょ。二人ともいい加減にしなさいよ、とカップヌードルを啜っていた踊り子が口を挟みました。若い子が困ってるじゃないの。あのうと私はエイドリアン嬢に声をかけました。もう一度行って換えてきますから。エイドリアン嬢は私を馬鹿にしたように見ると、もういいわよと体を翻しました。私はほうほうの体で外に出ました。舞台に行くとマットとか小道具はきれいに片付けられていて、社長と大木が何やら話していました。お前、どこにいたんだと大木が言いました。社長がニヤニヤしながら、てっきりトンズラしたんじゃないかと思ったよ。どきりとしながら私が事情を説明しますと、社長の表情が一変しました。お前は誰から給料をもらってんだ、踊り子じゃねえぞ、まず先に劇場の仕事をしろ、劇場の仕事を。すみません。社長が去ってから、大木に、踊り子に用事を頼まれたらどうしたらいいんですかと尋ねました。そうね、今日みたいにしたらいいんじゃないの。え? でないと姐さん方のご機嫌が悪くなるから。いいんですか。社長の言ってることは建前、俺たちはいかに姐さん方に気持ちよく仕事をしてもらうかを考えなくっちゃ、こっちの仕事がやりにくくなるから。五時から夜の部が始まり、ミス・エイドリアン嬢が昼の部と同じ天狗ベッドショーをしたのには驚きました。私の買ってきたタンポンが入っているはずですが、そんな素振りはこれっぽっちも見せず、客の出し入れするこけしに身をよじっています。大木が濃いめのピンクのゼラチンフィルターをかけたスポットライトを彼女の陰部に当てているのは、万が一、血が見えた場合に備えているのでしょうか。私は息を詰めてショーを見ていましたが、何ごともなく客の拍手で終わったのでほっとしました。その後、昼と同様のショー立てで終わったのが午後十一時、舞台と客席の掃除をして午前零時まできっちり働かされました。途中で夜食のうどんが出ましたが、終わる頃には腹の虫が鳴りました。私は給湯室で水を飲み、ついでに小さな流しに裸の体を押し込み、湯で洗いました。そしてさっぱりとした体で楽屋のドアを開け、灯りをつけました。昼間の匂いが残っており、枕と座蒲団が散らばっています。昼間入った時には気づかなかったのですが、鏡の上の壁にはA4の紙がべたべたと張られています。何かなと思って顔を近づけると、女の不鮮明な顔写真と共に、芸名安中さゆり。この女を見かけたらご連絡を。謝礼進呈。という太字のゴシック体の文字、その下に電話番号が書かれていました。他もミス・マープルとか越路ミレイという名前の入った同様の貼り紙でした。まさに指名手配でした。仕事を途中で投げ出して逃げた踊り子を探しているのでしょう。そういう手配書を見ると、何だかため息が出てきました。姐さん方に気持ちよく仕事をしてもらうという大木の言葉が分かった気になりました。奥の押し入れを開けると、せんべい蒲団が積んであり、それを敷き、消灯して横たわりました。目を閉じると今日一日のことが走馬灯のように甦ってきました。長い一日です。まるで一ヵ月くらい経った感覚でした。  土曜日はオールナイトで午前四時四十五分まで公演があり、実働十八時間にもなります。その時は残業手当として二千円が現金で支給されます。そのお蔭で給料の前借りをすることなく乗り切れました。アートミュージックでは一ヵ月のうち、一日から十日までを上席(かみせき)、十一日から二十日までを中席(なかせき)、二十一日から月末までを下席(しもせき)と呼び、十日、二十日、月末日の楽日(らくび)に踊り子にギャラを支払うことになっていました。十月二十二日に従業員になった私にとって、三十一日が初めての楽日でした。その日の公演が終わって社長から少ないながらも十日分の給料をもらった後、大木からさあ行こうぜと言われました。どこへ。楽屋だよ。何のことか分からずについていくと、他の従業員も集まっていて、一緒に楽屋に入りました。いつもありがとう、ご苦労さま、四人の踊り子が口々に言いながらポチ袋を渡してくれます。エイドリアン嬢がウインクをして、これからもよろしくねと言って渡してくれたポチ袋は他の三つとは微妙に弾力が違いました。楽屋を出て袋の中身を見ると、他は五百円札一枚なのにエイドリアン嬢のは千円札が二枚も入っていました。大木や他の従業員にそれとなく尋ねましたが、みんな五百円札でした。タンポンのお礼にしては多すぎるかもと思いながらも、突然の臨時収入を喜びました。その二日後のことです。仕事が終わって、いつものように体を洗い、楽屋のドアを開けました。灯りがついています。あれと思って奥に目をやると、誰かが向こう向きに蒲団に横たわっています。長い髪にパンティの透けて見えるネグリジェ。踊り子の一人に違いありません。あのうと私は呼びかけました。踊り子がこちらに向き直ります。いつも舞台化粧をした顔しか見ていないので、ぱっと見、誰だか分かりませんでした。しかしよく見ると目元は明らかにエイドリアン嬢です。幼さの残る顔はずいぶん若く見え、ひょっとしたら自分とそんなに変わらない歳かもしれないという気がしました。ブラジャーをしていないので乳房が薄い生地を透かして見えています。私はどきりとしました。新庄くんもここで寝てるの? はい。だったら一緒に寝よ。いや、ぼくは舞台で寝ますから。何を怖がってるの、何もしないわよ。ヤバイなと思い、私は後ろ手でドアノブに手をかけました。わかったわよ、だったらあたしが舞台で寝るから。そう言うと、エイドリアン嬢は起き上がり、蒲団をたたみ始めました。舞台は寒いですからと私はあわてて言いました。でしょ、だからここで一緒に寝よって言ってるの。何だか罠にはまった気分です。それでも私はしばらく逡巡していましたが、観念してスニーカーを脱ぎました。畳の上に上がると、押し入れから薄い蒲団とよれよれの毛布を取り出し、エイドリアン嬢と離して出入り口ぎりぎりに敷きました。彼女が笑っています。新庄くんて童貞? 私は一瞬、どう答えたら彼女の興味を遠ざけることができるかと考えました。はいよりもいいえだろうと判断し、いいえと答えました。ホント? 彼女の声がまだ笑っています。私のそれまでの行動がいいえを裏切っているのは明らかです。踊り子とセックスをしたらクビなんです、と正直に言ってやろうかと思いましたが、そんなことを言うと、何もしないと言ってるでしょと切り返されるに決まっています。さっさと寝てしまうに限ると、私は電気を消し、ジーパンを脱いで毛布を被りました。エイドリアン嬢に背を向け、目を閉じて眠ろうとしましたが、眠れるはずがありません。耳が勝手に彼女の気配を窺っています。しばらく沈黙が続いた後、新庄くん、寝た? という声が聞こえてきました。私は答えず、わざとらしい寝息を立てました。何だ、寝たのか。私はホッと小さなため息をつきました。その時です。どさりと私の体に被さってきた柔らかいものがありました。耳元に息がかかり、寝たなんて嘘でしょという囁きが聞こえました。それでも私は寝たふりをしていました。エイドリアン嬢の手が毛布の中に入り、私の下腹部に伸びていきます。ほうら、ここは起きてるじゃない。勃起した陰茎がパンツを押し上げています。すみません、私は小声で言いました。踊り子と関係を持ったらクビなんで。はははと彼女が笑いました。そんなこと、あたしが黙っていたら分からないんじゃないの。でも……。ここまで来てあたしに恥をかかせるつもり? 私が答えないでいると、彼女はパンツの中に手を入れ、怒張した陰茎をぎゅっと握りました。ひやりとします。正直になりなさい、そう言うと、彼女は毛布を剥ぎ、私の股の間に入ってパンツを引きずり下ろして、陰茎をくわえました。ひやりの次はほんわりです。唇と舌づかいの巧みさは舞台で鍛えられたからでしょうか、私はあっという間に射精してしまいました。うっという声がして彼女が体を離しました。そして暗闇の中、もぞもぞと動いてから私の横に添うように横たわると、口づけをしてきました。自分のニオイがして嫌でしたが、彼女は構わず舌を差し入れてき、私はそれに少しだけ応えました。唇を離すと、溜まってたんでしょと彼女が囁きました。すみません。また謝るのね、ホントにすまないと思うのならもう一回できなきゃダメよ、と彼女は手を伸ばしてぐったりとしている陰茎をぽんぽんと叩きました。えーと思いましたが、脇腹に当たる乳房の感触、臀部の手ざわり、彼女が胸や腹をゆっくりと撫でる心地よさ、そういった肌感覚を味わっていると、陰茎がぴくんと反応しました。自分でもびっくりしました。それを触った彼女が、ほらもう大丈夫と言い、再びフェラチオをしました。十分硬くなったところで、電気つけるわよと立っていき、灯りをつけました。全裸の彼女を下から見上げる形になりました。照明室や舞台の袖から彼女の身体を何度も見ているのに、こうして近くから見ると、ギリシャ彫刻のビーナスのように見えて新鮮です。彼女は舞台で使うバスケットからコンドームを取ってきて陰茎に被せると、上から自分の陰部に沈めていきました。私は何だか自分が舞台の客になったような気分になりました。舞台に上がった客は周りから見られていることを意識するのか、結合部がよく見えるような体位を取ったり、踊り子のあえぎに合わせて腰を激しく動かしたりします。私も、ピンクのスポットライトが当たるとしたらこの辺かと思いながら、彼女を攻め立てました。彼女は舞台上で見せる大仰なよがりとは違って、自分の中に沈み込むように眉根を寄せ、声を出さずに唇を「う」の形にしています。事が終わって、ぐったりと体を預けた彼女が意外なことを言いました。ねえ、あたしと一緒に逃げない? え? ここから連れ出してよ。逃避行という言葉が頭に浮かびました。それは確かに甘い響きを持っていました。どうして。どうしてもよ、この世界から足を洗いたいの。もしその時自分が追われている身でなかったら、その申し出を受けていたかも知れません。自分はまだぺいぺいなんで、すみません。ぺいぺいがどうしたの。稼げないんで。そんなこと、あたしが稼ぐからいいのよ。すみません、できません。そう言うと、彼女はがばっと体を起こしました。険しい顔からは幼さが消え、急に十歳も年を取ったように見えました。こんなにいい思いをさせてあげたのにそれが答え? と彼女はコンドームを被ったままの縮こまった陰茎を手のひらで思い切り叩きました。痛さで私は飛び上がりました。いいから、もう出て行け! 彼女の豹変振りに戸惑っていると、聞こえただろう、さっさと出て行って舞台でもどこでも一人で寝てこい! 私は衣服と毛布を抱え、ずり落ちそうになったコンドームを引き抜いてもう一方の手に持ち、あわてて楽屋を出ました。舞台に横たわり、毛布をかけましたが、背中が冷たくて仕方がありません。楽屋に戻って蒲団を取ってこようかと思いましたが、エイドリアン嬢の怒りを考えると、その勇気がありません。その時、舞台で使うマットレスのことを思い出し、道具室から取ってきて蒲団代わりにしました。次の日、エイドリアン嬢となるべく顔を合わさないようにしていましたが、彼女は昨夜のことなどなかったかのように、いつもの調子で私に小道具を運ばせたり、カップヌードルを買いに行かせたりしました。取りあえずほっとはしましたが、仕事の後、楽屋に入るときは灯りがついているか確認することは忘れませんでした。  それから一週間ほど経った時のことです。楽日で踊り子にギャラが支払われ、私たち従業員も寸志をもらいました。エイドリアン嬢からはもらえないだろうと諦めていましたが、彼女はありがと、と言ってポチ袋を渡してくれました。中身はさすがに五百円札でしたけれども。その後すき焼きパーティをしようということになっていたらしく、大木にお前も金を出せと言われ、もらった寸志を全部取り上げられてしまいました。えー、俺の生活費がと思いましたが、久々の肉が食えるという思いがそれを上回りました。給湯室から長々と楽屋にガスホースを引っ張ってきてガスコンロにつないですき焼き鍋を乗せ、牛脂を溶かし、牛肉を焼きました。その匂いで皆のテンションが上がります。清酒の一升瓶が並び、楽屋の外にはビール瓶がケースに入っています。日本酒は燗に限ると誰かが言ったので、私が給湯室にあった鍋に湯を沸かしました。すき焼きができ上がると、八人の箸が一斉に伸びました。私が肉ばかりを食っていると、大木が、肉はお姐さん方に残しておけと私の頭を叩きました。すかさず、いいじゃないの、若い子は肉が好きなんだからと一番年上の踊り子が取りなしてくれました。最初は和気あいあいと食べて呑んでいましたが、酒が進んでくると次第に踊り子たちの間に険悪な空気が流れていきます。お互いの、マネージャーという名のヒモのけなし合い、芸歴に関係なく大きな顔をしている踊り子への非難、さらには自分の化粧品を勝手に使った、いや、使わなかったという罵り合い……。酒が切れたのを潮に私はそっと楽屋を出て、酔いを醒まそうと客席の椅子に腰を降ろしました。お姐さん方はあのまま楽屋で寝てしまうだろうから、今晩は舞台で寝るしかないかと思っていると、誰かが袖から舞台に出てきました。それも一人ではありません、二人です。暗いのでよく分かりませんが、一人はマットを引き摺っているようです。まさかここで、と私はどきりとしました。二人はマットの上で抱き合い、そのまさかが始まりました。声を引き絞るようなあえぎ声はエイドリアン嬢です。舞台を意識しているのか、楽屋での時よりも幾分派手な感じです。相手の声はどうやら大木のようです。彼女は今度は大木に狙いをつけたのかと思いました。見つかると面倒なことになりそうだったので、二人が激しく動いている隙に、私は椅子を立って客席を出ました。楽屋のドアをそっと開けると、もぎりのじいさんが、薄物の衣装を着たまま寝込んでいる踊り子たちに毛布や上着を被せているところでした。やはり駄目かと私はドアを閉め、社長室に行ってソファーの邪魔物をどけて、そこに寝ました。ドアが激しく叩かれたのは、翌朝の十時ごろでしょうか。寝ぼけ眼で立っていってドアを開けると、薄い色のサングラスをつけた男がいきなり入ってきました。刑事かと私は思いました。社長は? 居丈高な声です。まだです。お前、大木か。いいえ。大木ちゅう奴はおるか。まだ来てないと思いますけど。そうか、そしたら待たせてもらうわ。男は社長の椅子にふんぞり返ると、机に両足を乗せ、上着の内ポケットから銀色のシガーケースを取り出しました。それを開け、細くて長い煙草を一本取って銜(くわ)え、おそらくジッポーでしょう、金色のライターで火を付けました。ははんと私は思いました、こいつはエイドリアン嬢のヒモに違いないと。昨夜の二人の影絵のような痴態が頭に浮かびました。何だか面倒なことになる予感と同時に、楽屋での自分と彼女の行為も火遊びという軽いものではないかもしれないと心配になりました。逃げるのではと思われたらマズイという恐れから、社長室を出るに出られず、私は煙草の匂いが漂う中でじっとしていました。男はスポーツ新聞を読んでいます。それでも沈黙が長くなると息が詰まりそうになり、早く社長、来てくれと思ったとき、ドアが開いて社長が姿を現しました。あれ、どうした。社長が男を見て言いました。どうもこうもねえよ。男は机から足を降ろして立ち上がると、入ってきた社長に近づきました。おめえんとこに大木って野郎がいるだろ、そいつにうちのエイドリアンが可愛がってもらったとよ。それで? それで? と男の声が裏返りました。それで、とは恐れ入った言い草だな、この落とし前をどうつけてくれるんだと言ってるんだよ。そんなこと俺に言われても困るよ、直接大木に言ってくれ。おいおい、従業員の不始末は社長の責任だろ、尻拭いをするのがお前の仕事だろ。そんなことは俺の仕事じゃないよ。ちぇ、不人情な野郎だ、そしたら大木をここへ呼べ。社長は壁の時計をちらっと見ると、新庄くん、大木が来てたらここへ来るように言ってくれ。更衣室に行くと、大木が着替えようとしていたところでした。社長が呼んでるよ。え? 大木が小首をかしげ、舌打ちをしました。ここでヒモのことを教えると、大木はトンズラするかも知れません。私は何も言わず彼についていき、彼が社長室に入った後、ドアの外で耳をそばだてました。大木が私とエイドリアン嬢のことを知っていて、そのことを話すかも知れないと思ったからです。もし私の名前が出たら、即座にトンズラしてやろうと考えていました。お前、エイドリアンとやったのか、社長の声です。大木の返事が聞こえません。いつのことなんだ、それは。昨夜、飲み会の後で。大木のか細い声です。酒を呑んでたのか。はい、それで何となく意気投合しちゃって。出鱈目抜かすな、この野郎、あいつはお前に無理矢理やられたって言ってんだ、とヒモが凄みます。そんなことないです、大木の弱々しいけど甲高い声が聞こえてきます。彼女の方が誘ってきたんです、本当です、無理矢理なんてそんなことできません、彼女をここに呼んで下さい、話を聞いたら分かりますから。馬鹿野郎とヒモが怒鳴りました。あいつはな、お前にやられたショックで寝込んでんだよ、ここに来れるわけねえだろ。え、休みなのか、今日。社長が言いました。だから俺が来てるんだよ、社長、分かる? これは大変な事態なんだよ。社長室が一瞬静かになり、次に何かがぶつかる音がしたかと思うと、申し訳ありません、この通りです、という大木の叫び声が聞こえてきました。お前に土下座されたって何も変わらねえんだよ、そこでヒモが声を落として、社長、従業員がこうやって謝ってんだからさ、もうそろそろ金を出せよ、金さえ出してくれたら俺は納得するんだからさ、あんたにも少しは情けってものがあるだろ。悪いけど、金は出せねえな。どうしてもか。ああ。それじゃあ、俺がこいつに落とし前をつけてもいいんだな。煮るなと焼くなと好きにしてくれ。大木さんよ、おめえもこんな不人情な社長の下で働いたのが運の尽きだな、恨むんならこいつを恨めよ。その後、鈍い音がして、どすんと壁にぶつかる音、何かが転げ落ちる金属製の音、呻き声、また鈍い音、はあはあという息づかい。私はまるで自分が殴られているような気がして、そこを動けませんでした。どのくらい続いたでしょう、もういいだろう、その辺で、という社長の声で、ようやく物音が止みました。私は足音を忍ばせて、その場を離れました。私が更衣室で着替えをして出てくると、鼻血を垂らした大木が壁に手を突きながら、おぼつかない足取りでやって来ました。瞼や頬が腫れ、顔が変形しています。大丈夫? と声をかけましたが、大木はこちらも見ずに通り過ぎていきました。その日、私は大木の代わりに照明係をやらされました。見習いで大体のことは分かっているつもりでしたが、実際にやってみると、戸惑うことばかりでした。音楽を流すタイミングを間違えたり、ゼラチンフィルターをかけ替えるのを忘れて踊り子から怒鳴られたり、冷や汗を掻きながら仕事をこなしました。夜の公演が終わった後、社長は私たち従業員と踊り子を集めて、大木とエイドリアン嬢の事情を話し、踊り子とのセックス禁止、終演後の飲み会の禁止を申し渡しました。それから私を社長室に呼び、劇場に泊まり込むことをやめ、どこかにアパートを借りるようにと言いました。エイドリアン嬢とのことが耳に入っているのかとどきりとしましたが、社長の表情や言葉にはそんな素振りはどこにもありません。まだ金がありませんと私が抗弁すると、敷金は貸してやる、保証人にもなってやると言い、正式な照明係になったのだからとちょっぴり給料を上げてくれました。私としては一万円の家賃である楽屋から離れるのは痛かったのですが、仕方なく承諾しました。私は劇場から歩いて十分くらいのところにちっぽけな台所のついた四畳半のアパートを借りました。もちろん風呂なしで、共同便所です。大木はそれ以来姿を見せず、エイドリアン嬢の出番もなくなりました。彼女の手配書が楽屋に張り出されるのは、それからしばらく経ってからのことです。  エイドリアン嬢が抜けて三人の踊り子がそれぞれの持ち時間を延ばして対応していましたが、何日か経った朝、公演前の清掃が終わって一段落ついているところへ社長が私を呼びに来ました。社長室に入ると、壁のポスターを見ていた女がこちらに視線を向けました。真っ赤なタイツに黄色いミニのワンピース、その上に革のジャケットを羽織っています。顔の彫りが深く、くりっとした目がわずかに笑っています。髪の毛は黒いですが、腰の位置も高く、明らかに日本人ではありません。明日からエイドリアンの代わりに入ってもらうから、と社長が言いました。頼んでいた芸能プロダクションから送り込まれてきたということで、名前はソフィア、芸名はそうだなあ、エリザベスでどうだ。と社長が彼女に顔を向けました。ソフィアは片えくぼを見せると、あたし、エリザベス? うん、それでいいよ、とくせのある発音で応じました。私の戸惑いが顔に出ていたのでしょう、日系ブラジル人で日本語が通じるから心配すんな、と社長がにやっとしました。ただ、ストリップは初めてなんで、どういうことをするのか一緒に照明室に入って見せてやれ。初めて? 私はびっくりしました、そんな女を明日から使うなんて。踊れるんですか。それは向こうでやっていたから大丈夫だろう。そう言うと、社長は私の肩に手を回してソフィアに背を向けさせ、耳元で囁きました。いいか、あの玉は磨けば光る、だからご開帳から徐々に慣れさせていって最後は本番まで持っていくんだ、そうしたら評判になって客が押し寄せる、分かるな。私が黙っていると、お前が世話係なんだからしっかり頼むよ。え、俺が? 年の近いお前が最適なんだよ。いくつなんですか。二十六。俺はまだ入ったばかりですよ、踊り子の世話なんかできませんよ。お前、いつ来た? 先月の二十二日。三週間もおりゃあここじゃあベテランだよ、な。何だか言いくるめられてしまいました。私はソフィアを連れて照明室への狭い階段を上っていきました。あなた、名前は? 後ろからソフィアが聞いてきました。しんじょう。シンゾウ? 私は振り返り、シンジョウキヨシとゆっくり発音しました。キヨシね、分かった、彼女が微笑むと、浅黒い顔に白い歯がくっきりと浮かびました。笑うと大人の顔が童顔になり、見下ろした胸の膨らみとのアンバランスに思わずじっと見詰めてしまいました。照明室は二畳足らずなのですぐに香水の匂いが充満して、慣れているはずの私でもくらっとくるほどでした。ソフィアは物珍しそうにカセットテープのデッキやスイッチャー、スポットライトの前につけられたゼラチンフィルターなどを眺めています。開場のブザーが鳴り、ガラス越しに男たちがバラバラと入って来るのが見えました。十二時になって場内の照明をすべて落とすと、本日はアートミュージックにご来場いただきまして、誠にありがとうございます……といつもの粘りつく声が聞こえてきます。私はスイッチを操作して音楽を流し、天井のライトを点滅させて踊り子の登場に備えます。踊り子が袖から出てきたら、照明を戻し、彼女の姿をスポットライトで捉えます。トップステージはいきなりのこけしの入れポンショーで、こんなものを見たら、ソフィアは逃げ出すのではないかと私はちらちらと横目で見ながら、ゼラチンを替えたり、音響スイッチを入れたりしていました。踊り子がM字開脚になって陰部を押し広げ、観客に見せている場面ではソフィアは目を見開き、こけしを出し入れする場面では眉根を寄せていましたが、目を背けることはしなかったので、私はひと安心しました。ジャンケンで勝った客を舞台に上げ、フェラチオで射精させたり、コンドームをつけて本番をする場面では、さすがに両手で顔を覆い、ニッポンのストリップってあんなこと、するの? と私に聞いてきました。するよ。どうして。お客さんが喜ぶから。でもイケナイことでしょ? 確かにイケナイことですが、それをどうやって説明したらいいのか、私には分かりません。イケナイことだからみんなお金を払うんだよ、と言うしかありません。やっぱりお金なんだ。どこでもやっていることだから、やらないとお客が来ないんだ。ふふっとソフィアが声を漏らし、ニッポンジンてスケベねと言いました。私は思わず視線を舞台から彼女に向けました。もう手で顔を覆ってはいません。笑顔さえ浮かべています。私はその変わり身の早さに驚きました。社長は意外とソフィアの本質を見抜いているのかも知れないとその時思いました。昼の部が終わって休憩時間に、ソフィアの踊りを見ることになりました。社長だけではなく従業員も踊り子も円形舞台の周りに集まってきます。私は照明室にいました。ソフィアの踊りはサンバなのでそれに合うカセットをセットし、社長の合図でスイッチを入れました。袖から出てきたソフィアは頭と背中に大きな白い羽根飾りをつけ、胸と下腹部を小さく隠すだけのキラキラした衣装を身につけていました。ヒールの高い靴が長い下半身をより長く見せ、その脚を素早く動かして腰を捻ったり、身体を回転させたりします。洋梨体型の体は明らかに日本人の踊り子とは違っています。社長が胸に当てた手を広げて衣装を取れというような仕草を見せましたが、ソフィアはなかなか取らず、手足を激しく動かして踊り続けます。ついに社長が口に両手を当てて怒鳴りました。ソフィアは踊りをやめ、背中に翼状の羽根飾りのついたブラを外しました。少し垂れ気味の豊かな乳房が露わになりました。その胸を揺らしてまたサンバをしばらく踊ると、今度は下腹部のTバックの衣装も外し、舞台に寝そべりました。私は音楽をサンバの曲からスローテンポの曲に切り替えました。褐色の肌にはピンクよりも黄色がいいかなとゼラチンを替えてみましたが、やはりピンクの方がいいようです。ソフィアは先程見た踊り子の演技を真似て両足をVの字に上げ、陰部を見せました。しかし周りの客みんなに見せるということが分からないのか、その場でじっとしています。それを見かねたのでしょう、社長が一人の踊り子を舞台に上げ、指導させました。踊り子は片足を降ろして少し回り、V字になり、次にもう一方を降ろして回り、また開くという動作を自分でやって見せました。ソフィアはすぐに飲み込んで、少しずつ回る大股開きを披露しました。次に舞台の縁でM字開脚になって陰部を押し広げながら、ゆっくりと移動していくのも、踊り子の教えを受けてできるようになりました。終わって、どうだったと尋ねると、ストリップってむずかしい、とソフィアはしかめ面をして首を振りました。恥ずかしかった? そりゃ恥ずかしいよ。でも堂々としてたよ。ドードー? うーん、立派ってこと。そんなことないよ。そう答えながらも彼女はうれしそうでした。  次の日からポスターには早速、サンバの女王エリザベス嬢来演という文字が入りました。ご開帳だけのソフィアはトップステージを務めることになりましたが、やはり練習と本番は違うもの。大勢の観客を前にして臆したのか、なかなか衣装を取らず、観客のヤジで外したものの大股開きは中途半端、M字開脚では触ろうと客が伸ばした手を腿で挟んでしまう始末でした。後で社長に叱られて言い返したらしく、幕間(まくあい)の時、私に向かって、お客には触らせないって言ったじゃないの、と怒りました。触れないように注意はするけど触ってくる客は必ずいるから、そういう時はさりげなく腰を引いて避ければいいんだよ。それでも手を伸ばしてきたら? その時は触らせればいい。何だ、結局触るんじゃないの。うん、まあ、そういうことだけど。ソフィアはふんと鼻を鳴らし、顎をくいと上げました。夜の部では私のアドバイスが効いたのか、あるいは開き直ったのか、サンバの踊りから全裸、大股開き、M字開脚までの流れがスムーズになり、手を伸ばす客も気を持たせるような腰の動きであしらっていました。楽屋で、他の踊り子たちとうまくやっているかどうか聞いたところ、嫌なことを言う人もいるけど、日本語が分からない振りをしてケンカしないようにしているということでした。これなら何とか続けられそうだと世話係として安心していたところ、数日後社長に呼ばれて、お前、エリザベスの本番の練習相手をしろ、と言われた時は心底びっくりしてしまいました。いきなりですか。いやあ、俺も驚いてるんだよ、天狗ベッドショーを持ちかけたら、それは嫌だって、同じ金になるんだったら本番がいいって言いやがるんだ。踊り子とセックスしたらいけないんじゃ。それは日本人の踊り子の場合だよ、ヒモと揉めるんでな、外人はいいの。どうして俺なんですか。俺がやるつもりでいたら、お前がいいんだってさ、ただし、真似事だから挿入はしないようにな。そう言うと、社長はにやっと口を歪めました。次の日、ソフィアに照明を当てながら、挿入しないで本番の練習になるんだろうか、勢いで挿入したらどうなるのか、などと考えていたら変な気分になりました。それよりもライトに照らされて皆が見ている前で勃起するのかどうか、その心配もありました。昼の公演が終わって、飯を食う前に本番練習です。照明は別の従業員が担当し、客席の椅子に坐っているのは社長一人ですが、見物したい者は舞台の袖とか客席の後ろの方に立っています。Tバックだけのソフィアと服を着た私が円形舞台に出ていき、彼女が私のジーパンとブリーフを脱がせ、私はTシャツを脱ぎました。明るい場違いなところで裸になると、何だか銭湯にいるような気分で陰茎が萎みそうになり、私はソフィアの乳房を見下ろして、必死で欲望をかき立てました。彼女は教えられたとおり、濡れたおしぼりで私の陰茎を拭くと、手にローションを塗ってしごきました。途端に陰茎がぴんと立ちました。そこにコンドームを被せるのですが、彼女は袋からそれを取り出すと、そのままつけようとしたので、私はこうしてやるんだと精子だまりを摘まんで見せました。コンドームなんて使ったことないよと言いながら、ソフィアは膨らんでいる先を摘まんで被せていきました。最初は手でしごいていましたが、社長の、フェラ、フェラという声で彼女は私のものを口に含みました。ゴム越しにも熱を感じます。長い睫毛、つんと尖った鼻先、すぼめた唇。見ていると射精しそうになり、私は顔を上げて何とか我慢しました。はい次、と社長の声がします。ソフィアがTバックを取り、毛足のある敷物の上に横たわりました。切り揃えられた陰毛の下に陰唇が見えます。ソフィアは太腿を上げ、ショーでやるように指でそれを広げると、私に笑いかけました。照明室からは遠くて見えないものが露わになっています。私はそこに陰茎の背を当てるようにして覆い被さっていきました。ソフィアの肌からはエイドリアン嬢とは違う、もう少し強ければ臭くなるような独特の匂いがしました。両手で乳房を揉みしだき、性交の真似事をしようと体を起こした時、臍の両側に何本ものひび割れがあるのに気づきました。私がそれらを指で撫でようとすると、ダメとソフィアが私の手首を取って引っ張りました。体が密着して、彼女が私の唇を自分のもので塞ぎます。乳臭い匂いがしました。唇を離すと、ボディメイクを忘れただけ、と彼女はウインクしました、だから内緒ね。私は訳の分からないまま、分かったとうなずきました。正常位が終わると、次は後背位。この時も股の間に入れるだけだったのが、その次のソフィアが上になる体位では、彼女が本当に膣に私のものを入れたのでびっくりしてしまいました。いきなり締められて、それまで中途半端だった陰茎がシャキンとなりました。彼女の体が汗ばんでいきます。私は両手を伸ばして乳房を揉み、彼女は腰を激しく動かします。喉を反らして演技か本気か分からない声を上げ、私も思わず下から腰を突き上げました。終わって、荒い息をしたソフィアが私の上に突っ伏します。彼女の汗と私の汗が混じり合いました。よし、という社長の声がかかりました。ソフィアが体を離してぼんやりしていましたので、私は、コンドームを抜いて射精したことを見せなきゃ、と言ってやりました。そのパフォーマンスをやって私の萎んだ陰茎をおしぼりで拭うと、お疲れ様と言って、社長がゆっくりと拍手をしました。挿入したことに関して何か言うかなと身構えていましたが、何も言いませんでした。舞台の袖に引っ込んだ時、いきなり入れるんでびっくりしたわと言ってやりました。だって真似事じゃ練習にならないもんとソフィアが悪戯っぽい目で笑いかけました。あのひび割れは何? と私はソフィアに尋ねました。えっという顔をした彼女は、イリナ……と分からない言葉を発しました。そしてすぐに、日本語では妊娠の線かなと言いました。ニンシンセン? 子供がいるの? そうよ。へえー。おかしい? いや、おかしくはないけど、そう見えなかったから。男、女、男の三人よ。そんなに! 最初の子供は何歳の時? 十六の時。ふーん、と言うことは子供を置いて日本に来てるんだ。そう、日本語で言うと……出稼ぎよ。彼女が本番をすんなりと受け入れた理由が分かりましたが、私は、そんなことをして欲しくないような、母親としての姿に感心したいような複雑な気分になりました。夫の稼ぎでは生活できないの? と尋ねてみました。するとソフィアは右手の人差し指と親指を立てて、人差し指の先を私に向けました。バン。え、銃で撃たれた? そう、道端で強盗にやられたの。そうだったんだ。だからあたしが稼がなくちゃならないの、ニンシンセンのことは二人だけの秘密、と彼女は唇に人差し指を当てました。あの程度だったら支障はないと思いましたが、二人だけの秘密という響きに心をくすぐられて、もちろん誰にも言わないと私は約束しました。ソフィアはトップステージからラストステージに回り、本番を開始すると、二日目には客がどっと増えました。ポスターにも立て看板にも、外人本番マナ板ショーという文句は入れていないのに口コミで広がったのでしょう。私は照明のプロに徹して、客を受け入れて腰を動かすソフィアにスポットライトを当てました。  好調な客の入りが、突然のボヤ騒ぎで中断されることになりました。それは夜の部が始まって少したった頃でした。照明を当てていて何だか煙っているなと思っていたら、急に視界が悪くなり、ベルが突然鳴り響きました。客たちがあわてて出口に殺到しました。後で聞いたところによると、誰かの煙草の火の不始末で楽屋の畳が燃えたのです。火災報知器の音に驚いた従業員の一人が消防に電話をして、消防車が出動する騒ぎになってしまいました。被害は大したことなかったのですが、消防署から改善命令が出て、すぐにはオープンできなくなってしまいました。仕方なくアパートに籠もっていましたら、誰かがドアを叩きます。開けると、ソフィアが社長室で最初に見た時と同じミニスカート姿で、ボストンバッグを提げていました。私は一瞬、ヤバいことがあって、逃げ出してきたのかと思いました。どうしたの。キヨシ、手伝って欲しい。何を。仕事よ。どういうことか尋ねると、客の一人からお座敷ストリップの依頼が来たので、照明係をやってほしいというのです。プロダクションを通さないから儲かるよ、キヨシには一万円払うよ。私の脳裡に、大木がヒモにぼこぼこにされている情景が浮かびました。そんなことをして大丈夫なのか。いいの、いいの、黙っていれば分からないから。確かに一万円は魅力です。それにちょっとでも金を稼ぎたいというソフィアの気持ちも分かります。時間を聞くと、夜の八時からということで、まだ三時間ほどあります。私は人気のないアートミュージックに入り、照明室にある小さめのスポットライトとフィルターをいくつか、それにカセットレコーダーを紙袋に入れて持ち出し、二人でタクシーに乗り込みました。場所は電話で聞いたとおり書いたという彼女のメモを見ると、すべて平がなです。とうかいれじでんす503、と最後にあるので私はてっきりホテルだろうと思いました。ところが二十分ほど走って着いたのが大きなマンションの前だったので、私は驚いてしまいました。ストリップというのはアートミュージックのような地下の薄暗いところで密かにやるもので、日常の生活空間とは切り離されていると思っていましたから、こんなところでやるのかという気持ちでした。何だか釈然としないまま、エレベーターで五階に上がりました。ドアを開けたのは中年の男で、角張った顔に金縁の眼鏡をかけており、見たことのある顔だと私は気づきました。ソフィアのマナ板ショーの時、いつもジャンケンに参加し、一回か二回は舞台に上がったことのある男です。エリザベスちゃん、よく来たね。男がそう言うと、ソフィアは、サイトウさん、うれしいとボストンバッグを持ったまま男に抱きつきました。男の顔がにやけています。腕を解くと私を照明係の人と紹介し、男のどうぞという声で中に上がりました。廊下の突き当たりが二十畳くらいもあるリビングになっています。大きなローテーブルにガスコンロがあり、その上に土鍋が載っていて、白菜や葱、椎茸などの野菜が一杯の皿と鶏肉や白身の魚、蛤などの魚介類の皿が周りにありました。どうやらここで宴会の後、ストリップをやるようです。合図があるまでここにいてと私たちは隣の八畳間に案内されました。箪笥や鏡台のある部屋で、壁紙も桜模様を思わせるピンク色です。あの男の部屋でないとしたら、奥さんの部屋? そんな詮索はどうでもいいと私は準備に取りかかりました。機材をリビングに持っていき、用意してもらったテーブルタップにつないで、スポットライトの点灯の確認、ゼラチンフィルターの装着の順番、それにカセットで流す音楽テープの頭出しと音量の調整をしました。ソフィアは鏡台があることを喜んで、早速その前に坐ると、持ってきた化粧道具でメイクを始めました。準備が終わって八畳間で待機していると、複数の男たちの声が聞こえ、どやどやとリビングに入ってきました。おー、もう鍋の季節か。俺はしゃぶしゃぶの方がよかったな。贅沢言うな。かあちゃんは実家? 鬼の居ぬ間の洗濯。洗濯してんのは向こうじゃないの? 笑い声混じりにそんな声が聞こえてきました。そのうち、かんぱーいという声が聞こえ、グラスをぶつける音、それ取ってという声、一旦静かになってから、またガヤガヤと話し声が聞こえてきました。寄せ鍋の匂いが漏れてきてソフィアと顔を見合わせた時、襖が少し開いて、サイトウさんが瀬戸物の載った盆を畳の上に滑らせました。ご飯と寄せ鍋の具が二人分です。足りなかったら言ってと言い、宴会が終わる頃には雑炊も差し入れてくれました。時計を見ると、八時をちょっと回っています。さあ、それでは今夜のお楽しみです、お願いしまーす。サイトウさんの大声がして、私は襖を開けました。拍手が途中で止まり、十人ほどの男たちが私を怪訝な顔で見詰めています。ローテーブルが片付けられ、顔を赤くしながら身を乗り出す者や後ろで肘枕で横になっている者もいます。準備をしますからもうしばらくお待ちください。私はそう言ってスポットライトの横に腰を降ろし、スイッチを入れました。光が襖に当たるようにし、リビングの灯りを消してもらいました。カセットのボタンを押すと、サンバの軽快な曲が流れ始めました。襖がゆっくりと開き、円形の光の中、ソフィアが長い脚を差し出します。拍手が起こり、口笛が鳴りました。気を持たせるようにゆっくりと登場したソフィアは羽根飾りにビキニの衣装で、サンバを踊り始めました。狭い空間を大きく使ってうまく踊っていきます。そうしながらブラを取って乳房を見せ、下を取って黒い陰部を晒しました。その都度、拍手が起こります。私は薄いピンクのフィルターをかけ、音楽をスローテンポの曲に替えました。ソフィアはカーペットに腰を落とすと、片足を上げて陰部を見せたり、後ろ向きになって指で陰唇を開いたり、また開脚M字スタイルになって同じことをしました。男たちが顔を近づけて見入っています。あまり近づくと光が遮られるので、男たちは、下がれとか頭が邪魔とか言い合っています。劇場では見られない光景なので何だかおかしくなりながら、私はスポットライトの位置を調整しました。たっぷりと見せ、これで終わりと思っていたら、エリザベス嬢とやりたいひとー、とサイトウさんが手を上げました。まさか、マナ板ショー? ソフィアを見ると、にこにこしています。日本語が分からないのではと私は近づいて、マナ板ショーをやりたいみたいだよと小声で言うと、うん、そうだよ、と当然のように答えます。誰も手を上げないの、サイトウさんが呆れた声を出しました。まさに本番はこれからだよ、せっかく俺が呼んできたのにそれはないだろう、だったら俺が。サイトウさんはズボンをおろし、ブリーフを脱ぎました。すでに陰茎が立っています。シャツも脱いで靴下だけの裸になると、ソフィアの横に立ちました。サイトウさん、お金。彼女が顔を上げて笑いかけました。ああ、そうか。サイトウさんはあわてて脱ぎ捨てたズボンのところに行き、ポケットに手を突っ込みました。キヨシ、お金をもらって。サイトウさんから渡された紙幣を広げると、一万円札が二枚もあって、私はびっくりしてしまいました。女を買う相場は知らないのですが、いかにも高額です。ソフィアがマナ板ショーをオーケーしたのは当然かと思いました。私はもう一枚ピンクのゼラチンを被せて色を濃くし、音楽も扇情的なものに替えました。ステージと同じようにソフィアは陰茎にコンドームを被せ、口を使って刺激し、仰向けになってサイトウさんを迎え入れました。舞台の時よりあえぎ声が激しいのは気のせいでしょうか。男たちが真剣な表情で見入っている中、サイトウさんは後背位に移ることなく、あっさりと射精してしまいました。サイトウさんはばつが悪そうな顔をして、ソフィアの体から離れました。次は俺、と一人が手を上げました。その男は私に二万円を渡すとズボンとブリーフを脱ぎ、縞柄のシャツを着たままソフィアにコンドームをつけてもらいます。ソフィアはフェラをすると、いきなり向こう向きに四つん這いになって陰部を晒しました。男の顔に戸惑いの表情が浮かびましたが、両膝を床につけ陰茎の根元を持って尻の谷間にしずしずと沈めていきます。男たちが顔を低くして股の間から結合部を覗こうとしますが、暗くて見にくいのでしょう、一人が私にライトを当てろと手で示しました。私は横から当てていたスポットライトを移動させ、床につけて照らしました。その次の男の時は、ソフィアが上になりました。ステージではジャンケンに勝った一人の男で三つの体位をこなすのですが、今回はそれを三人でやろうというのでしょう。ソフィアが両手を床につけて激しく腰を動かします。喉を反らし、眉根を寄せた苦悶の表情で声を上げます。少し外側に向いた二つの乳房が揺れ、乳首がまあるく躍っています。乱れた長い黒髪が乳房にかかり、私は本番練習のソフィアと自分をそこに重ねてしまいました。陰茎がはち切れそうになって手を当てた時、彼女の臍の両側に妊娠線がまざまざと見えていることに気づきました。あ。次の瞬間、胸がきゅっと絞られる感覚に襲われました。自分でも何が何だか分かりません。動悸がして、スポットライトを持った手が微かに震え出しました。俺はプロ、俺はプロと呪文のように唱えても震えは収まりません。私は思わずライトのスイッチを消してしまいました。どうした、ライトをつけろ、何やってんだ。暗闇の中、次々と声が上がります。球が切れたみたいです、と私は言いました。ちぇ、せっかくいいところなのに、誰か電気をつけろ。灯りがついてソフィアを見ると、ライトが消えたことなど気づいていないみたいに腰を動かしています。男もそれに合わせるように尻を突き上げています。男たちがまた食い入るように顔を近づけました。その時、何してんのという声が聞こえました。見ると、リビングの開いたドアから女の人が顔を覗かせていました。サイトウさんがあわてて立っていきます。何でもない、何でもない、そう言いながら、入ってこようとする女の人を押しやってドアを閉めました。私はマズイと思って、カセットの音楽を止めました。裸の女の人がいるじゃない。だからストリップ鑑賞だって。どうしてここでやってんの。別にいいじゃないか。よくない! 揉めている声が聞こえてきます。男たちが振り返って様子を窺い、ソフィアの下になっていた男も冷めた表情になって顔を横に向けました。ソフィアは構わず腰を動かし、男がうっと小さく呻いて射精したのが分かりました。男の胸に体をもたせかけ、ぐったりしている汗だくのソフィアを促して、私は隣の部屋に逃げ込みました。彼女は事態を飲み込んだのでしょう、悪戯が見つかった子供のように笑いを噛み殺しながらタオルで体を拭き、服を着ました。二人で息を潜めていると、厭らしい匂いがいっぱいという女の人の大声が聞こえ、襖が突然開きました。仁王立ちになったチリチリパーマの中年女がこちらをにらんでいます。あんたたちもさっさと帰って。女の悲鳴に似た怒声に追い立てられて私はスポットライトやカセットデッキなどを紙袋に詰め、ボストンバッグを手にしたソフィアと一緒に大急ぎでマンションを出ました。タクシーの中で、ニッポンの男ってスケベだけど女の人に弱い、ブラジルと一緒、とソフィアは笑いました。俺もニッポンの男だけど。あんたも一緒。そう言うと、ソフィアは私をぎゅっと抱き締めました。乳房が当たり、チーズに似た少し臭みのある匂いがふわっと私を包みました。私は勃起すると同時に、切ない、甘い気持ちが胸に広がるのを感じました。こんな気持ちは初めてです。今晩だけでも彼女と一緒にいたいと思い、アートミュージックの近くまで来た時、腹が減ったから俺のアパートでカップヌードルでも食べる? と誘ってみました。あたしも同じことを考えていた、とソフィアは笑って応じました。四畳一間のアパートは蒲団が敷きっぱなしです。今さら片付けても仕方がないので、その横の畳に直にカップヌードルを置き、ヤカンで湯を沸かして注ぎました。三分間待つ間、ソフィアはわたしから受け取った六万円とバッグから出した紙幣を合わせて数えました。十枚あります。ということは、ご開帳のストリップショーのところは四万円になります。サイトウさん、結構弾んだね。はずんだ? 多く払ったということ。うん、彼、いつも来るから。ソフィアは一万円札を一枚抜き取ると、はい、手数料と言って渡してくれました。ソフィアのマネージャーをしたら結構稼げるね、と私が軽口を叩くと、彼女は急に沈んだ表情になり、キヨシと組んで自由に働けたらもっともっと稼げるのにと呟きました。ビザが出ないから? 彼女はうなずき、それとプロダクションを通さないと仕事が来ないから。しんみりとした話になったので、私は目覚まし時計に目をやって、あ、三分過ぎたと大声を出しました。二人でカップヌードルを啜り終わると、ソフィアがシャワーを浴びたいと言い出しました。ここに風呂はないから銭湯に行こう、まだ開いているから。銭湯って、裸になって大勢でバスタブに入るところ? そうだよ、行ったことない? うん。だったらちょうどいい、初体験だ。それでもソフィアはためらっています。どうしたの、シャワーを浴びたいんだろう。あたし、恥ずかしい。意外な言葉に私は首をひねりました。男女別々になっているから恥ずかしくないよ。女の人の前で裸になりたくないの。え、そうなのと驚きましたが、口には出しません。分かった、それじゃあ俺がいつもやっている方法を使おう。私は玄関脇にある小さな台所の前にビニールシートを敷き、ガスコンロで湯を沸かしました。それを風呂桶に入れ、水を混ぜて適温にしてから、ソフィアに、裸になってタイル貼りの流しに入るように言いました。一人では上がれないので、私は全裸になったソフィアの腰を抱えて上げてやりました。膝を抱えて腰を降ろすと何とか収まる大きさです。私が風呂桶の湯を頭からかけてやると、ソフィアはキャッキャッとはしゃぎました。渡した石鹸を手で揉んで泡立て、それを体に擦りつけます。陰部や脇の下を念入りに洗い、私は何回か湯をかけて石鹸を流してやりました。水に濡れた体は光を反射して、ビーナスのように輝いて見えました。体を拭き終わったソフィアは服を着ないで、寒いと言って万年床に潜り込みました。帰る気はなさそうです。私も流しで湯を使い、裸のままソフィアの隣に入りました。この蒲団、キヨシの匂いがすると言って、ソフィアは私の胸に頭をもたせかけました。私の陰茎はすでに勃起しています。しかし手を出すのがためらわれました。彼女はすでに三回もしているのです。彼女の手が下腹部に伸び、陰茎に当たりました。する? とソフィアが言いました。疲れてない? あれは演技だもん。そう言うと、彼女は接吻してきました。舌が入って来、歯の裏をなめ回します。私も舌を絡ませました。寄せ鍋とカップヌードル、同じものを食べたはずなのに匂いが違います。これがソフィアだと思うと、頭がくらくらします。私たちは舐め合い、探り合い、絡み合いながら、お互いの領地を侵食していきました。二人の微妙にずれている波が突然共鳴しだし、大きな波になっていきます。その波に呑まれまいとして私は踏ん張りますが、ソフィアの声に絡め取られてしまいます。ソフィアにすべて委ねよう、そう思うと身も心も解き放たれてどんどん高みに上っていきました。終わって抱き合っていると、どんどんと壁を叩く音が聞こえてきました。二人で顔を見合わせて笑いました。あれ、ヤキモチの音? たぶんね。だったらもう一回、ヤキモチ焼かせる? 可哀想だよ。私よりもソフィアの方が疲れているはずなのに眠気がやってこないのか、私の顔に接吻し、乳首を触り、下腹部に手を伸ばします。私は次第に回復し、もう一度セックスをしました。今度は隣からのヤキモチはありませんでした。翌朝、ドアを叩く音で目が覚めました。ソフィアは気持ちよさそうに眠っています。私は蒲団を出て急いでジーパンとTシャツを着ると、ドアのところまで行きました。誰。わし。窓口のじいさんの声です。私は鍵を外し、ドアを小さく開けました。今日から再開するから出勤してほしいってさ。じいさんがぶっきらぼうに告げました。え、やけに早いね。とにかく伝えたから。そう言うと、じいさんはさっさと去って行きました。どうしたの。ソフィアが目覚めてこちらを窺っています。今日から劇場を開けるんだって。わあ、うれしい。彼女は蒲団をはねのけ、上半身を起こすと、また仕事が出来るんだ、と両手を挙げて背伸びをしました。朝の光の中で二つの乳房が揺れていました。  早期の再開は社長が消防署にねじ込んだからでした。楽屋の畳はすべて取り替えられ、鏡も新調され、壁に貼られていた手配書もなくなっていました。ソフィアは定宿のビジネスホテルを引き払い、私のアパートに移ってきました。宿泊代は自前なので、その分節約できるというので私は喜んで同棲に応じました。口コミで再開が伝わると、エリザベス嬢目当ての客がすぐに押しかけました。マナ板ショーでスポットライトの光の中に、サイトウさんが登場してきた時は、さすがに驚きました。懲りない人だなあと半ば感心しつつ、ソフィアと交わっているのを見ると、何だか複雑な気分になりました。見知らぬ他人なら冷静に眺めていられるのに、少しでも知った人間だと嫉妬に似た感情が生まれるのはどうしてでしょう。でもあれは演技だと自分に言い聞かせ、自分との夜と比べることで心のざわつきを抑えました。サイトウさん、頑張れよ、と呟いて私は照明を当て続けました。そんなある日、仕事が終わって、いつもの待ち合わせ場所である深夜喫茶に向かうと、出入り口の扉の前でソフィアが待っていました。どうしたの。今日からもう食べない。腹が減るよ。いいから、いいから。ソフィアは私の腕を取って歩き出します。歩いて十分のアパートの部屋に入ると、今まで嗅いだことのない、いい匂いが籠もっていました。私は鼻から大きく匂いを吸い込みました。何かの香辛料のような、それに肉の匂いが混じっているような。ガスコンロには見たことのない深鍋が載っています。この鍋は? 給湯室にあったやつ。ああ、あれか。開けて見て。私は蓋を取りました。豆と何やら具の入った黒い泥水が現れて、私はえっと絶句してしまいました。匂いとのギャップがありすぎです。私の反応にソフィアは大喜びしました。何、これ。フェイジョアーダ。え? ブラジルでよく食べてるの、キヨシも食べてみて、と彼女はコンロの火を付けました。ブラジル料理の材料を売っている店があるというのを聞いて作りたくなったので、前日、昼の部が終わった後、買い出しに行って給湯室の鍋に水を入れて豆を浸けておいたと言うのです。それで今日、夜の部の出番までの間にここで豚肉を入れて煮込んだということでした。この黒い豆がニッポンにはないんだよ、と彼女はコンロの下の開きをあけてビニール袋に入った豆を見せました。黒豆を平べったくしたような豆です。鍋がぐつぐつと言い出したのでソフィアは火を止め、唯一の食器である丼鉢にお玉で泥水と具を入れ、私に持たせました。手渡されたスプーンを持ったまま、私は食べるのをためらいました。匂いはいいのですが、目が拒否をしてしまいます。ソフィアがこちらを窺っています。休憩時間をわざわざ使って彼女が作ってくれたと思うと、ここは食べるしかありません。私は思いきってスプーンを差し入れ、豆の混じった熱々の泥水に息を吹きかけてから口に入れました。見た目以上にとろっとした舌ざわりに驚きました。鼻に香辛料の匂いが抜けると同時にうまいと感じました。濃厚でいてしつこくなく、食べたことのないおいしさです。見た目と味のギャップにびっくりしてしまいました。私は立っていられず、その場に座り込むと、フーフーと冷ましながらフェイジョアーダをかき込みました。体が熱くなっていきます。どう。うまい。よかった。お代わりした中に歯ごたえのある脂身のようなものがあり、半分かみ切ってから残りを箸で持ち上げました。これ、何。豚の足。え。私は思わず、箸の先にあるものを見詰めました。そう思って見れば、見えなくもありません。初めて食べる物で、うえっとなるかなと思いましたが、大丈夫です。私は残りの豚足を口に入れました。ぷりぷりとした噛み応えがかえっておいしいとさえ思いました。私の食べっぷりを見ていたソフィアが、ニコラスに食べ方が似ていると言いました。ニコラス? あたしの息子。そう言うと、彼女は立っていき、バッグの中から何かを取り出して戻ってきました。一枚の写真です。ベッドに横たわる小さな男の子の両側に、男の子と女の子が上半身をもたせかけて笑顔で写っています。この子がニコラス、この子がイザベラ、真ん中の子がペドロ、と彼女が指を差しました。どう、どの子も可愛いでしょ。ホントだ、この子が、と私はイザベラを人差し指で示しました、一番ソフィアに似てるね。みんなに言われる、ニコラスは死んだ夫に似てるのよ。へえー、だんなさん、二枚目だったんだ。ニマイメ? 美男子だということ。そりゃそうよ、ソフィアはつんと鼻先を上に向けました。パイプベッドや枕頭台、壁の白さを見ると病室のようです。これ、病院? そう、ペドロが入院してた時に撮ったやつ、この子心臓が悪いのよ、それでもう少し大きくなったら手術をするように言われてるの。いくつなの。三歳。そうか、そのお金も稼がなくちゃならないんだ。そうなのよ。子供の面倒は誰がみてるの。ママよ、パパは可愛がるだけで何もしないの。日本人はどっち。パパよ、よく働くけど稼ぎが少ないの、喧嘩してすぐに仕事を替わっちゃうから。次の日から私の希望で、夜食がフェイジョアーダになりました。ソフィアは豚の耳や内臓を入れてみたり、ファリンニャというキャッサバの粉をかけてみたり、とひと味変えたものを作ってくれ、私はうまい、うまいと言いながら、せっせと口に運びました。ママの作るフェイジョアーダはもっとうまいよ、と彼女が言い、あんたがフェイジョアーダを気に入ったのなら、一緒にブラジルに来ない? と悪戯っぽい目をしました。どういうこと。一緒に暮らそうって言ってるの、ブラジルで。まさかと思いましたが、口には出しません。ふっと、私の頭の中に、三人の子供に囲まれ、ソフィアと笑い合っている自分の姿が浮かびました。それはまるで思い出の中の一場面のようでした。ブラジルかあ。そうよ、日系の人に頼めば仕事なんかいくらでも見つかるし、あたしも普通のダンサーに戻って稼げるし。確かにそれはいいかもしれないなあと私は思いましたが、すぐに重大なことに気づきました。ブラジルに渡るにはパスポートが必要です。行きたいけど行けないと私は言いました。どうして。パスポートが取れないから。手続きしたらいいじゃない? そういうことじゃないんだ。ソフィアは私の目を見詰め、不思議そうな顔をしています。どう説明すれば分かってもらえるか、頭を巡らせましたが、よく分からないまま、実は俺の名前は新庄清ではないんだ、と口にしていました。彼女はますます怪訝な顔をします。俺の本当の名前は武市日出男、警察に追われているんだ。ケイサツ? そう、ソフィアは内ゲバって知ってる? ウチ……ううん、知らない。どう説明しようかと思っていると、キヨシ、何をしたの、と彼女が聞いてきました。人殺しの手伝い。ヒトゴロシ! 彼女は目を見開き、両掌で口を覆いました。うん、今日本で革命を起こそうという人間がいて、考え方の違いから二手に分かれて、さっき言った内ゲバで互いを殺し合っている……。キヨシ、人を殺したの? 俺はドライバーとして実行犯を運んだんだ。殺してないの? 直接手を下していないが、同罪なんだ。言ってることがよく分かんない、とソフィアがいらついた声を出しました。殺したの、殺してないの? この手で殺したわけではないが、殺す人間を車で運んだから同じように罪になるということなんだ。なんでそんなことをしたの? 日本人にも説明しにくいものをソフィアにできるわけがありません。戦争なんだ、と私は答えました。戦争? ニッポンのどこで戦争なんかやってるの? あたし、聞いたことがない。私が黙っていると、キヨシ、ギャングなの? そうでしょ、ギャングの縄張り争いなんでしょ。私は首を振りました。ギャングじゃない、けれどギャングの縄張り争いのようなものかもしれない。ますます分かんない。もういいから、この話はやめよう。やめられないわよー、あたし、ヒトゴロシは大っ嫌い、そんな人と一緒にいたくないもん。ソフィアが畳を両手で叩きました。私はその手を両掌で握って、俺はヒトゴロシじゃないと叫びました。ホント? 脅されて車を運転しただけだ、と嘘をつきました。だったら正直に警察に言えば捕まらないんじゃないの。そんなこと、信用してくれないよ。ソフィアは私の手を解くと、それならまず神様に許してもらいましょう、と両手を組みました。え? キヨシも手を組んで。ソフィア、キリスト教徒なの? 一応カトリック教徒だけどミサにも行かないいい加減な信者なの、でもいざというときは頼りにするの、夫が殺された時もそうだった、犯人を憎んじゃいけないって言われて納得できなくて気が狂いそうになったんだけど、こうして祈っているとだんだんそうだと思えてきて、だからキヨシも祈って。私は促されるまま両手を組み、向かいにうずくまったソフィアのように、手の上に額を載せました。彼女がポルトガル語で何やら呟きます。全く意味が分かりませんが、耳に響く言葉が本当に神の声のように聞こえてきました。一連の言葉が止まったところで、彼女が頭を上げました。泣いています。私は胸を衝かれました。彼女が両手を解き、アーメンと言って胸の前で十字を切りました。私も真似をしてアーメンと口ずさみました。その晩、いつもとは反対に、私が彼女の胸に頭をもたせかけて眠りにつきました。それからフェイジョアーダを夜食に食べ、二人でお祈りをし、褥(しとね)を共にする日が続きました。  しかし、そんな、私とソフィアの蜜月は、たった一週間で終わってしまいました。昼の部のラスト、ジャンケンで勝った客を舞台に上げてソフィアが横たわり、男を迎え入れた時でした。舞台の近くに坐っていた男が突然立ち上がり、片手を上げて何か叫びましたが、ムード音楽が流れているためよく聞こえません。こんな昼から酔っ払いかと思っていると、劇場の扉が開いて、制服の警官たちとコートを着た男たちが何人かなだれ込んできました。それで警察の手入れだと分かりました。大勢の客が立ち上がり、出入り口に逃げていきます。舞台上のソフィアと客は何が起こったのか分からないのか、体を重ねたまま顔を動かして様子を窺っています。私はスポットライトのスイッチを切りました。ライトが消えて気がついたのか、二人はあわてて体を離しました。客席から立ち上がった刑事は片手を前に突き出して何か言いながら舞台に上がりました。裸の客は急いでブリーフを穿きましたが、次にズボンに足を入れようとして転倒しました。刑事が舞台に脱ぎ捨てられていたビキニの衣装を指さすと、ソフィアはゆっくりとした動作でそれを身につけました。その時、照明室のドアが叩かれました。照明係も捕まる、大木の言っていた通りです。ドアを叩く音が大きくなり、私は観念して鍵を外しました。パトカーに乗せられるとき、前のパトカーのリアガラスにこちらを振り返ったソフィアの顔が見えていました。じっと私を見ています。ソフィア、と私は叫びました。刑事が何か言い、私の頭を押さえてパトカーの中に押し込みました。逮捕されたのはソフィアと客と私、それに窓口のじいさんでした。どうしてじいさんが、と刑事に尋ねると、社長だからと言われて頭が混乱してしまいました。だったら今までの社長は雇われ社長ということなのか。しかしそれは逆でした。じいさんは肩書きだけの社長で、何かあった時に捕まる役だったのです。完全黙秘を貫くつもりで私は警察の取り調べに一言も発しませんでしたが、アパートの家宅捜索で運転免許証が見つかり、本名が知られてしまいました。どうせ使えない免許証ならさっさと処分しておくべきだったとほぞをかみましたが、いまさら後悔しても仕方がありません。私は取り調べに応じ、供述調書にサインをしました。それが終わると今度は内ゲバによる殺人罪幇助の疑いがかけられ、移送された警察では取り調べが一転して厳しくなりました。机を激しく叩かれても髪の毛をつかまれても頭を小突かれても、私は口を閉ざしていました。同志は裏切れないという意地でした。年配の刑事から、殺された若者にも君と同じように未来があったんだよとしみじみと言われた時は、さすがに胸に詰まりましたが、何も応えませんでした。弁護士との接見もできず、誰とも面会できず、朝から晩まで取調室で刑事と一対一になるのは想像以上に過酷です。勾留が何度も延長されて、私はついに自供してしまいました。ソフィアがどうなったのか、そのことだけでも知りたかったのですが、担当の刑事は自分の管轄外なのか全く取り合ってくれません。それを知ったのは、検察送致から起訴となって、国選弁護人と接見できるようになってからです。ソフィアのことを尋ねると、弁護士はえっという顔をしましたが、次に来た時に教えてくれました。ソフィアは公然わいせつ罪で起訴され、初犯ということで書類送検になり、本国に強制送還されたということでした。稼いだ金を持って出られたのかどうか、それが気にかかりましたが、確かめるすべはありませんでした。私は、内ゲバ殺人事件と内ゲバ傷害事件の二件の罪で起訴され、殺人罪及び傷害罪の幇助で、懲役十年の刑に処されました。覚悟はしていましたが、拘置所の面会にも裁判の傍聴にも身内は誰も姿を見せませんでした。控訴をせずに刑に服した私を支えていたのは、刑期を終えたらブラジルに行ってソフィアを探し出すということだけでした。アートミュージックの社長宛にソフィアの消息を尋ねる手紙を出しましたが、返事は返ってきませんでした。何度も思い返すのがソフィアとの一週間であり、彼女の作ってくれたフェイジョアーダの味であり、彼女の祈りでした。年配の刑事の言ったことも次第に重い言葉となって、私の中に浸透していきました。公判中は、被害者の身内に謝罪の手紙を書いたらどうかという弁護士の勧めに耳を貸しませんでしたが、刑務所の独房で夜、膝を抱えて坐っていますと、頭を潰されてぴくりとも動かない若い男の姿が浮かんできます。私は三日かかって謝罪の手紙を書き、担当だった弁護士に託しましたが、返事は来ませんでした。仮釈放はなく、私が刑務所を出た時は三十二歳になっていました。ソフィアの消息を尋ねるため、アートミュージックに向かいましたが、そこはディスコに替わっていました。五年前に開店したということで、元あったストリップ劇場のことは誰も知りませんでした。アートミュージックの社長に聞けば何か分かるのではと思っていた私は途方に暮れてしまいました。手持ちの現金も少なく、彼女の消息よりも生活していくことが目下の急務です。保護観察官に仕事の世話を依頼すると、彼は斡旋団体を紹介してくれました。そこの係員にどんな仕事をしたいかと尋ねられ、料理人になりたいと答えました。できればブラジル料理の店で働きたいと。ソフィアに会った時、フェイジョアーダを作って見せたら、さぞかし驚くだろうと考えたからです。係員はブラジル料理? と意外そうな顔をしましたが、別に理由を尋ねることもなく、分かりましたと答え、後日、その当時、いくつかでき始めたブラジル料理店の一つを紹介してもらいました。オーナーシェフはでっぷりと太った日系ブラジル人で、ブラジル料理に興味を持った日本人の私を珍しがり、歓迎してくれました。サンバダンサーだった女性の作ってくれたフェイジョアーダの味が忘れられなくてと言うと、おお、わがソウルフード、とハグしてくれました。そこで料理人としての基礎とブラジル料理を学びました。オーナーの作ってくれるフェイジョアーダも美味しかったのですが、ソフィアのとは微妙に違います。そのことを伝えると、フェイジョアーダはおふくろの味だから、それぞれの家庭に独自のレシピがあるんだ、違って当たり前と、オーナーは片目をつぶって見せました。オーナーのレシピを元に私の作ったフェイジョアーダを味見してくれ、こうすればどうか、ああすればいいなどと助言してくれました。ソフィアという名前のダンサーを知らないかと聞いたところ、ブラジルには何百万人ものダンサーがいるからと豪快に笑い、それは彼女なんだろうと目を細めて私の額を軽く小突きました。ええ、まあ。そうだろう、そうだろう、彼女がブラジルに帰ってお前は寂しい思いをしてるんだ、せっせと金を貯めて追いかけていくことだな。休日には、ストリップ劇場の案内を見て、外人のショーがあると必ず足を運びました。罪を犯して強制送還になった者がそう簡単に日本に入国できるはずがないと頭では分かりながらも、ソフィアかも知れないと思うと、いてもたってもいられないのでした。給料は安かったのですが、朝から晩まで懸命に働きました。こつこつと渡航費用を貯め、この調子でいけばそのうちブラジルに渡れるかもと思い始めた頃、二人の男が店にやってきました。公安の人間です。政治闘争で事件を起こした者を監視するために定期的に様子を見に来るのです。オーナーは初めて私がそういう闘争に関わっていたことを知って驚いたようでしたが、それでも以前と変わらずに接してくれました。しかし私の方が変わってしまいました。店に迷惑がかかるという気持ちと、公安に知られないところで働きたいという気持ちに押され、そこを辞めました。オーナーは別のブラジル料理店を紹介してやると言いましたが、そうすると公安に知られてしまうので、厚意だけを受け取って丁重に断りました。そして保護観察官にも相談せず、自分一人でいくつもの店に飛び込みで採用してくれるように働きかけました。面接までこぎつければまだいい方で、ほとんどの店は紹介のない者は門前払いでした。そんな中、郊外の小さなフランス料理店が仮採用をして料理の腕を見てくれました。ブラジル料理をやっていたのが珍しいのか採用になり、そこで二年働きました。金が貯まってブラジルへの渡航が現実味を帯びてくると、逆に不安になりました。ブラジルに何の伝手もなく乗り込んでも、彼女が見つかる保証はどこにもありません。冷静に考えると彼女はもう四十歳を越えており十数年も前のことを覚えていることも怪しいのです。再婚しているかも知れません。少なくとも彼女の居所が分かり、近況をやり取りして、彼女の気持ちを聞いてから渡航するのが一番いいのではないかとようやく思い至りました。そこで日本ブラジル中央協会に出向き、かつて世話になった女性にお礼を言いたいからとソフィアの捜索を依頼しました。しかし対応してくれた係員は困惑の体でした。公然わいせつ罪幇助の供述書で目にしたソフィア・ハナイ・フェルナンデスというフルネームは答えられましたが、住所はおろか出身地さえも分からないのです。彼女と一緒にいた時、パスポートを見てもポルトガル語なのでおそらく住所など覚えられなかったでしょう。サンバのダンサーであること、夫が強盗に射殺されたこと、子供が男女男の三人いて、当時十歳、七歳、三歳、ニコラス、イザベラ、ペドロ、ペドロは心臓が悪くて手術をしなければならないこと、そのくらいしか情報がないのです。彼女の作ってくれたフェイジョアーダは絶品だったのです、と言うと、係員の女性がにっこりと微笑みました。しかし当方は捜査機関ではありませんのでご要望にお応えすることはできませんときっぱりとした口調で言いました。それでも粘っていると、上司らしい男が近づいてきて係員から話を聞き、そういうことでしたら直接ブラジルの日系協会にお尋ねになった方がよろしいですよと言って、サンパウロにある協会の住所と電話番号を教えてくれました。日本語でも大丈夫ということで、電話ではどう説明していいのか分からなかったので、手紙を書きました。その返事を待っていたある日、どこで知ったのかまた公安が二人連れで店にやってきました。その時初めて私が犯罪者であったことを知ったオーナーに、私はクビを言い渡されてしまいました。途方に暮れるとはこういうことです。しかし私は、これは天の配剤かもしれないと考え方を変えました。ソフィアの居場所が分かったら仕事を辞めて向こうに行かなくてはならないのですから、今がちょうどその時なのではないか。私はパスポートを取り、ビザの申請をしました。商用ビザの場合には犯罪経歴証明書が必要ということは分かっていましたが、今回は観光という名目です。それでも私はブラジル領事館の係員に正直に話しました。係員は驚いた顔をしましたが、九十日間のビザを出してくれました。それを持ってブラジルに飛びました。飛行機に乗ったのはその時が初めてです。アメリカで乗り継ぎ、一日半かかって暮れかかったサンパウロの空港に降りたった時には疲労困憊していました。それでもようやくソフィアのいる国に着いたのだと思うと、わくわくする気持ちを抑えられませんでした。日本を出る時は厚い上着を着ていたのが、サンパウロではTシャツ一枚で過ごせることが遠くへ来たことを実感させてくれました。街は、カーニバルを間近に控えてあちこちに飾り付けがされており、サンバの音楽が流れ、浮かれているように見えました。予約してあった安ホテルにチェックインして、翌日、早速ファングンデス通りにあるサンパウロ日伯(にっぱく)援護協会を訪ねました。名前と用件を伝え、二ヵ月ほど前に手紙を出していると言いましたが、誰も知りません。さんざん待たされた挙げ句、ああ、これですねと一人がエアメールの封筒を持ってきました。仕事が忙しくてなかなかご依頼に応えられなくて。言葉は丁寧ですが、面倒なことであるのが顔に現れています。私は、人を探してくれる探偵か何かを紹介してくれと頼みました。係員は奥にいる年配の男に何事か言い、その男は電話をしました。そして受話器を降ろすと、こちらにやってきて、ご案内しますとカウンターの中から出てきました。車で連れて行かれたのは古ぼけたビルの一室で、五十がらみの日系人のやっている探偵調査事務所でした。もらった名刺にはジョージ・イノウエとあり、裏はポルトガル語でした。日本語は片言しか話せず、やりとりはもっぱら協会の男との間で行いました。ソファに向かい合って腰を下ろし、ソフィアの情報を聞いたイノウエは私にポルトガル語でいくつか質問してきました。ソフィアの夫が殺されたのはいつか、彼女が来日したのはいつか、芸能プロダクションの名前は何か、出国したのはいつか。私がそれらの質問に、たぶんという言葉をつけて答えると、イノウエはため息をつきました。それでも安くない着手金を払って頼み込み、事務所を後にしました。その報告を待つ間、私はサンパウロ市内にある郷土料理を出すレストランを巡りました。フェイジョアーダは言うに及ばず、肉や魚のブラジル料理を食べました。レストランで出されるフェイジョアーダはおいしいことはおいしいのですが、洗練されすぎていてソフィアの味とはずいぶん違っていました。それでも店のシェフに、temperoと書かれた紙切れを見せて香辛料は何を使っているのかと尋ね、教えてもらったそれらを市場に行って買い求めたこともありました。街を歩いている時は知らぬ間に道行く女の姿を目で追っていました。何日かおきにイノウエの事務所に電話をして進展を尋ね、ムズカシイデスネという彼の声を聞きました。一ヵ月の滞在期間が迫り、事務所に足を運んでイノウエに、報告は日本のここにしてくれと自分のアパートの住所を教えました。その帰りのことです。夕暮れが迫り、街灯がぽつりぽつりと灯っている中、駐車場か何かでしょう、小さな広場で若い女が三人、羽根飾りをつけた衣装でサンバの練習をしていました。下に置いたカセットデッキからサンバの音楽が流れています。私は足を止め、きらきらと光を放っている彼女らの踊りに目をやりました。その時、一人の踊り子に惹きつけられました。ソフィア? 確かによく似ています。私は近づいていきました。私に気づいた彼女たちは踊りをやめ、何ごとか言葉を交わしました。私がさらに近づいていくと、一人がカセットデッキのボタンを押して音楽を止め、私に向かって何か早口で言いました。私がその言葉に反応しないでいると、彼女は両掌を肩の辺りまで上げて、首を傾げました。ソフィアに似た女が二人に何か言い、お互いに手を振って別れました。ソフィア。私は離れていく女に声をかけました。彼女は私の声など聞こえないみたいにずんずんと歩いていきます。ソフィア、ソフィア。大声で呼びかけながら、私は走り出しました。すると、彼女はこちらを振り返ることもなく小走りになり、逃げるように建物の角を曲がりました。そこは両側の建物に挟まれた小路で、私がたどりついた時、彼女の姿は突き抜けた先の夕暮れの中にシルエットとして浮かんでいました。ソフィアが十数年前の姿であるはずがないということに突然気づきました。イザベラ。私は彼女の後を追いながら叫びました。イザベラ、イザベラ。私が走って行くと、小路を出たところで二人の若い男が突然現れて私の前を塞ぎました。なおも前を行こうとすると、一人が私の胸を突き飛ばしました。私は尻もちをつき、同時に建物の壁に後頭部を打ちました。少しの間私は気絶をしていたようです。気がついた時には辺りが暗くなっており、私は痛む後頭部を手で押さえながら体を起こしました。周りには誰もいません。ひょっとしたらとポケットから財布を取り出して調べましたが、金は盗られていないようです。安ホテルに帰る道すがら、さっきのことは夢の中の出来事のような気がしてなりませんでした。イノウエからの報告書が届いたのは一年後のことでした。ポルトガル語でいろいろと書かれていましたが、見つからなかったので、調査終了いたします、という部分だけで十分でした。  ブラジルへの渡航で貯金も底をついてしまいました。すぐに仕事をしたかった私は最初に勤めたブラジル料理店を訪ねました。しかしオーナーは人手は足りているからと申し訳なさそうな顔をし、別の店を紹介してやろうと言いました。その時私はふっと閃きました。店に雇ってもらうのではなくて、自分の店を持った方がいいのではないかと。自分の店なら、何度公安が来ようとも仕事を失うことはありませんし、ブラジルで仕込んできたレシピを自由に試すことができます。私はオーナーに金を貸してくれないかと頼みました。え? 自分の店を持ちたいんです。オーナーはうんうんとうなずきました。必ず返しますから貸して下さい。私はテーブルに両手をついて頭を下げました。それなら銀行から借りなさいとオーナーが言いました。貸すことはできないが、私が保証人になってあげるから。ああ、そういうこともできるのだと私は初めて知りました。私はあちこち探し回り、場末の繁華街の片隅に居抜きの店舗を見つけました。厨房とカウンターだけの小さな店です。それでも敷金や仲介業者に払う手数料、改装費などを合わせると結構な額になり、それに数ヶ月分の運転資金を加えた分を合わせて銀行から借りました。店はもちろんブラジル料理店です。ソフィアの作ってくれたフェイジョアーダを再現しようと寝る間も惜しんで試作を繰り返し、ある晩、これだという味にたどりつきました。それまでは何かを足すことで味を変えようとしていましたが、ソフィアはあの時限られた材料を使っていたことに気づき、極力香辛料を引いたのがよかったのです。それが店の看板料理になり、三ヵ月後にはなんとか黒字にすることができました。ストリップ劇場を回り、ポルトガル語と日本語で書いた店のポスターを楽屋に貼ってもらいました。ソフィアがストリップダンサーとして来日し、楽屋でポスターを目にして、私の店にやって来る、そんな奇蹟を夢見ていましたが、もちろんそんなことは起こりませんでした。その代わり、ある日、一人の男が訪ねてきました。忙しい昼時が過ぎてカウンターで一息ついていた時です。いらっしゃいと私は立ち上がりました。男は珍しそうに店内のあちこちに目をやっています。その髭面に見覚えがありました。一番上の兄でした。ほぼ二十年振りの再会でした。私は気づかない振りをして厨房の中に戻りました。兄は入り口近くのカウンターの前に坐り、こちらを見ています。私はお冷やの入ったグラスを兄の前に置き、何いたしましょうと言ってメニューを手渡しました。それを受け取りながら、親父が死んだよと兄が言いました。ああ、そうですか。お袋は認知症だ。それで? 兄はうん? という顔をしましたが、それ以上表情を変えることなく、今日来たのはお前に遺産相続の放棄をしてもらおうと思ってなと背広の内ポケットから封筒を取り出しました。受け取った封筒の表書きには実家の住所と兄の名前が書かれてあり、切手も貼られていました。中には折り畳まれた紙があり、開くと、相続放棄申述書という文字が見えました。そこに記名押印して送り返してくれ。分かりました。その一言が聞きたかったのでしょう、兄は口元に笑みを浮かべると、店内を見回し、なかなかいい店じゃないかと言いました。お前がブラジル料理とはなあ、全く意外だよ。私が黙っていると、結婚は? と聞いてきました。いいえ、まだ。俺はてっきりブラジルの女と結婚して二人で店をやっていると思ったよ、店の名前がソフィアだから。どうしてここが分かったんですか。え? 公安から聞いたんですか。いや分からん、調査会社に頼んだだけだから、そこが聞いたかも知れない。そうですか。用が済んだらとっとと帰ってくれと言いたかったのですが、言い出せずにいました。せっかく来たんだから、何か食べていこうか、何かお勧めがある? 私は黙ってフェイジョアーダを出しました。兄は深皿に入れられたそれを見詰め、それから顔を上げました。これが? という表情です。私は知らん顔をしました。兄がスプーンを手にして一口すくい、口に入れました。二回ほど咀嚼をすると兄の目が少し開かれました。悪くない、口にまだ食べたものが残ったまま、兄が呟きました。カレーのようにご飯にかけてもうまいですよと私は言いましたが、兄は手を振って断り、残りを完食しました。そして代金を支払おうとするのを、サービスですと私は断りました。お前が何とか生きているのを見て安心したよと言い、相続の書類、忘れないように送り返してくれと念を押して兄は店を出て行きました。その晩、早速書類に記入して封筒をポストに放り込みました。身内が店に来たのはその一回だけでした。  六十歳の時に脳梗塞を患い、右手に麻痺が残りました。料理人を続けていくことが難しくなり、人を雇って私の持っているブラジル料理のレシピを徹底的に教え込みました。特に、フェイジョアーダは火加減から煮込み時間まで細かく指示して、同じ味が再現されるように指導しました。お蔭で今は、ソフィアの味が恋しい時はこうやって自分の店に来るのです。ソフィアの消息は今もって分かりません。しかしここでフェイジョアーダを食べていると、あの頃の夜が甦ってきて私を二十一歳の時に戻してくれるのです。あの蜜月の日々がなかったら、私は料理人になどならなかったでしょうし、生き延びてこられたのかどうかも見当もつきません。  ほら、フェイジョアーダが出来上がってきましたよ。あなたも一口いかがですか。これを口にされたら、私の話が本当だときっと納得されるに違いありません。