写楽丸                           津木林 洋       一  蔦屋重三郎は銚子を手にして、喜多川歌麿の杯に酒を注いだ。歌麿の指先はうっすらと黒ずんだ色をしており、中指の第一関節に胼胝(たこ)ができている。 「どうだい、考えてくれたかい」 「お断りします」  歌麿はきっぱりと言った。そう来ると思ったと重三郎は胸の内でつぶやいた。 「でも、そろそろ女絵から転身してもいいんじゃないか。絵師に成り立ての頃は役者絵を描(か)いていたんだから、初心に戻るつもりでさ。お前さんの腕なら、どんなものでも描けるよ」 「私は女絵以外描く気はありません」 「でもお上の取り締まりが厳しくなって、女絵が描けなくなったらどうするんだい」 「その時は筆を折ります」 「ほおう」  その時襖が開いて、仲居が大きな角形の盆を持ってきた。  日本橋浮世小路にある料亭百川(ももかわ)は卓袱台に料理を盛った大皿を載せ、それを皆が小皿にとって食べる、いわゆる卓袱(しっぽく)料理屋で、その食べ方が珍しくて繁盛していた。  仲居が盆の中の物を卓袱台に並べていく。ギヤマン皿に鯛の蒸し揚や鰹の膾(なます)が載っている。  二人は大皿から鰹の膾をそれぞれの小皿に取って口に入れた。茗荷の香りが効いている。 「私なんかに頼むより、鉄蔵か久次郎に任せたらどうですか」  鉄蔵というのは、勝川春章という浮世絵師の下で修行した勝川春朗の本名であり、久次郎は同門の勝川春英を指す。  二年ほど前に春朗には、市川蝦蔵(えびぞう)の文覚上人や松本幸四郎の幡随院長兵衛、市川高麗蔵(こまぞう)の白井権八を描かせて板行したこともあるし、春英には今年の初め、岩井半四郎、市川男女蔵(おめぞう)、大谷鬼次や、市川高麗蔵、坂田半五郎、中山富三郎といった役者の三人大首絵を描かせたことがある。しかしどれも売れ行きがぱっとしなかった。 「あいつらでは駄目だ。師匠の絵から一歩も出ておらん。豊国に勝てん。描かせてみてよく分かった」  版元の和泉屋が歌川豊国を使って、来年の歌舞伎の初春興行に間に合わせるように役者絵を売り出すという情報を得ていた。  豊国はまだ二十代半ばの今売り出し中の絵師で、大店の西村屋も彼の挿絵で黄表紙を出版している。重三郎も豊国を使いたいが、和泉屋や西村屋が囲い込んで手が出せないのだ。  十年前に始まった天明の飢饉で米の価格が高騰、深川辺りで発生した騒動が江戸全域に広がり、質屋、米屋など千軒近くが打ち毀された。それを受けて質素倹約を推し進める寛政の改革が始まり、江戸の芝居街は大打撃を受けていた。幕府公認の三つの芝居小屋のうち、経営の安定しない森田座はすでに三年前に河原崎座に営業を譲っている。さらに今年に入って中村座と市村座も借金が嵩んで興行ができなくなり、控櫓(ひかえやぐら)の都座、桐座が五年間の興行権を得ていた。その控櫓三座が十一月の顔見世をするとのもっぱらの評判で、それらの座元から浮世絵を板行している版元に、役者絵を描いてくれと要請が来ているのだ。両者が手を携えて歌舞伎人気を盛り上げ、お互いに儲けを図ろうというわけである。  二年前に、遊里を描いた山東京伝の『娼妓絹篩(きぬぶるい)』『仕懸(しかけ)文庫』『錦之裏』の三作が絶版のお咎めを喰らい、財産の半分を没収、店の間口も半分にさせられる、いわゆる身上(しんしょう)半減の処罰を受けた重三郎にとって、商売を盛り返す、こんな機会は滅多にない。しかも芝居街の復興にも役立てるのだから。 「あの二人が駄目だったら、他の絵師を当たって見て下さいな。何と言われようと、私は役者絵なんぞ描く気はさらさらありませんから」  歌麿は杯に残っていた酒をくっと飲み干した。 「俺を助けると思って引き受けてくれないか」重三郎は歌麿に酒を注いだ。「豊国の姿絵に対抗するのに、同じ物を描いていては太刀打ちできない。大首絵しかない。だが、勝川の連中が描く大首絵は古すぎる。お前もそうは思わないか」  歌麿は返事をしない。返事をしないことが、そのことを認めている証しだ。ここで、そう思うと言えば、だからお前に頼んでいると言われかねない。重三郎は歌麿のだんまりをそう解釈した。 「分かっていると思うが、お前は女絵を一変させた。ただ美しい女という絵から、女の心の中までを写し出す絵にな。人の見方が変わったのだ。それと同じことを俺は役者絵でもやろうと思っている」 「そんな絵が売れますかね」歌麿の声は冷ややかだった。「役者絵は役者と役柄が一体となった絵ですよ。誰も役者の心の中まで見たいとは思ってませんよ」 「それを思わせるようにするのが、絵師の腕じゃないのかい」  歌麿の表情がわずかに動いた。 「それができるのは喜多川歌麿、お前しかいない」 「……ありがたいお言葉ですが、お断りします」  重三郎は体をずらせて、歌麿の前に両手をついた。 「この通りだ。頼むから役者大首絵を描いてくれ。女絵と並行して描いてくれていいから」  深々と頭を下げる。 「私がこれまでになれたのも蔦重(つたじゅう)さんのお蔭なんだから、恩義は重々感じていますよ。しかしそれとこれとは話は別。私は断じて役者絵は描きません。役者絵を描いて売れたって、そんなもの、絵師の力ではなく役者の力だって言われるのがオチ。そんな仕事、誰がするもんですか」  予想していたこととは言え、重三郎の胸の内に苦いものが残った。  歌人の加藤千蔭(ちかげ)から面白い男がいると聞かされたのは、それから数日後のことだった。歌人仲間である村田春海の隣に住んでいる斎藤十郎兵衛(じゅうろべえ)という申楽(さるがく)役者が歌舞伎好きが嵩じて役者絵を描いている、春海にその絵を見せてもらったが、なかなかどうして玄人はだしの絵を描くと言う。 「どうだい、見てみるかい」 「先生、勘弁して下さいよ。誰でもいいからとは言いましたが、素人じゃあ困りますよ」 「やはり駄目か。面白いとは思ったのだが」  素人の絵描きに絵師が務まるほど、この世界は甘くない。どの絵師も修練に修練を重ねて、それでやっと自分の線が描けるようになるのだから。  江戸のめぼしい若手の絵師に当たって駄目だと分かると、重三郎は上方にまで問い合わせた。懇意にしている大坂の版元に、役者絵を得意とする絵師の絵を何枚か送ってもらったのだ。しかしどの絵も彼の眼鏡に適わなかった。  やはり歌麿ぐらいしか頼める奴はいないのか。そう思って諦めかけた時、ふっと加藤の話を思い出した。加藤も絵師に就いて絵を習っているくらいだから、絵の見極めはできるはず。それなら一度くらいその男の絵を見てやってもいいか。  早速連絡を取ると、加藤千蔭が日本橋通油町(とおりあぶらちょう)の耕書堂にやって来た。通油町には、仏書、歴史書などの硬い書物を扱う書物問屋や、仮名書き絵入りの草紙や錦絵などの軟らかいものを扱う地本問屋など、数多くの書肆(しょし)が軒を並べており、江戸土産を求めて朝から多くの旅人が店を覗いていた。  店に入ってきた加藤は風呂敷包みを抱えている。奥の部屋に通して向かい合うと、加藤が風呂敷を解いて紙の束を見せた。 「先生、こんなにたくさん持ってきてもらわなくてもよかったのに。一枚か二枚で十分ですよ」 「まあ、そう言うな。素人は当たり外れが大きいから、数多く見る方がいいだろう」  重三郎は一枚目を手に取った。一目で、春朗の描いた絵、市川高麗蔵(こまぞう)の白井権八を模写しているのが分かる。色も乗せている。全体の形はうまく捉えていて、素人としては並ではないと思うが、衣装の裾の辺りの描線はぎくしゃくしていて修行を積んでいないことは一目瞭然である。重三郎は溜息をついた。 「まあまあですな」  加藤の手前、当たり障りのないことを言った。 「それの大首絵がこれだ」  加藤が二枚目を差し出した。墨の線だけで描かれている。  おやっと重三郎は思った。高麗蔵の演じる白井権八の大首絵は見たことがない。 「これは誰の絵を写したんですか」 「写したんじゃない。それは本人が芝居を観にいって描いたんだ」  重三郎は絵を凝視した。勝川春英に描かせた三人大首絵の中に高麗蔵もいたが、その顔とは明らかに違う。似ている、というより似すぎている。ぞわぞわと鳥肌が立った。描線はたどたどしいが、長い鷲鼻、ぎょろりと剥いた目、引き結んだ口、出っ張った顎など、どれもが的確に特徴を捉えている。市川高麗蔵が白井権八という役を脱ぎ捨てて、絵の中からぬっと飛び出して来るような気がした。 「どうだ、面白いだろう」 「……確かに」  重三郎は次々と絵を見ていった。立ち姿の絵は一瞥するだけで、大首絵だけをじっくりと見て、抜き出していった。十数枚のうち大首絵は他に、松本幸四郎とか板東三津五郎など計八枚あった。 「先生、この大首絵、しばらくお借りしてもいいですか」 「いいとも。こっちもお主に預けておく」  加藤は姿絵も渡そうとしたが、「いや、それはいいですわ」と手で制した。 「それより、この高麗蔵の大首絵、試しに版木にしてもいいですかね」 「ほう、刷ってくれるのか」 「いや、商売になるか見極めたいんで」 「なりそうか」 「分かりません。もしなりそうだったら、その時はその申楽役者さんにご挨拶に行かせてもらいます」 「分かった。そう伝えておく」  加藤が帰ると、早速重三郎は大首絵を持って棟続きの工房に向かった。  彫師の部屋に行き、作業台の前に座って彫刻刀を動かしている銀次を呼んだ。銀次はまだ三十手前だが、幼い頃から親方について修行し、その腕を見込んで彫方の責任者に抜擢している。 「ちょっとこれを見てくれ」  重三郎は高麗蔵の大首絵を見せた。 「これ、誰の絵ですかい」 「そんなことはいいんだ。どうだ、これを彫れるか」 「彫れませんよ、こんなの。線が出鱈目じゃないですか」 「その出鱈目な線をきちんとした線に彫れるかと聞いているんだ」 「嫌なこった。そんな修行はしたことがありませんね。こちとら、絵師の描いた線をいかに忠実に彫り起こすか、ってことに命を賭けてるんだ」 「やっぱり駄目か」 「駄目に決まってるでしょう。どうしてこんな素人みたいな絵描きに下絵を頼んだんですか。ちゃんとした絵師に頼むのがそんなに惜しいんですかい」  銀次は蔦屋の台所が苦しいことを踏まえている。もちろん絵師に払う金が惜しくて、素人を使おうとしているのではない。だが、職人から見れば、そう思うのも無理はない。 「この絵、面白いとは思わないか」  銀次は手に持った絵をじっと見た。 「市川高麗蔵か。……面白くないこともないか」 「そうだろう。試しに彫ってみないか」 「あっしは御免こうむります。頼むんなら他の奴に」  銀次が引き受けないのを、他の彫師が引き受けるはずがない。参ったと思いながら、重三郎は自分の部屋に引き上げた。  煙管で煙草をふかしながら考える。この絵をきちんとした線で彫り出すことができたら、必ず売れる。豊国の姿絵に対抗することができる。彫師を替えるか。いや、それよりもまずそんな彫り方のできる彫師を探さなくては。  重三郎は銀次を紹介してくれた親方のところに顔を出した。高麗蔵の絵を見せて事情を説明すると、 「それなら伊那の貞吉だな」  と親方は即座に言った。貞吉の噂は重三郎も聞いたことがある。腕はいいが、絵師とすぐに喧嘩するので、次々と版元を渡り歩いていたというものだ。だが、ここ何年かはその名を聞いたことがない。 「そいつなら死んだと聞きましたが」 「生きてるよ。何でもおっ母さんが病で倒れたんで、田舎に帰ったという話だ」 「その在所の詳しい場所は分かりますか」 「雇うつもりかい」 「腕次第ですけどね」 「貞吉を雇えば銀次は辞めるかもしれないぜ。それとも工房を分けるか」  今の重三郎にそんな余裕はない。銀次が辞めるのは痛手だが、もし申楽役者の絵が物になるなら、それはそれで仕方がない。そう割り切るしかなかった。  番頭に路銀とは別に五両を持たせ、伊那の貞吉の在所に行かせた。本当なら、自分が行って依頼するのが筋なのだが、脚気を患ったことがあって心臓に不安があるので長旅を避けたかったのだ。  十日ほど経って番頭が帰ってきた。二度と彫師をする気はないとけんもほろろに追い返されたという。  やはり自分が行くしかないのか。そのことを女房のお春に告げると、「何を考えているの」と怒られてしまった。 「長旅でもしものことがあったら、店はどうするんですか。その彫師さん、もう仕事をする気がないんでしょ。そんな人に仕事を頼む方がどうかしてます」 「しかしなあ、申楽役者の絵を板行するには貞吉の腕が必要なんだ」 「だったら最初からきちんとした絵師に頼めばいいじゃないですか」 「それができるくらいなら……」  と言い掛けた時、 「おとっつぁんのやりたいようにやらせてみたら」  台所から顔を覗かせた美緒がすまし顔で口を挟んだ。 「余計なこと、言うんじゃない」お春が睨みつけた。「若い時ならいざ知らず、心の臓に病気を抱えて海のものとも山のものとも知れない仕事に打ち込むなんて、無茶すぎます。無理せずとも日々の仕事はきちんとあるんですから、それを守っていけばいいじゃないですか」 「それじゃあ、おとっつぁんではなくなってしまうもん」 「何言ってるの。この前の身上半減を忘れたの。家が壊される時、わんわん泣いたのはどこのどなたでしたっけ」 「あの時はまだ子供だったんだもん」 「今でも十分子供です」  美緒はふくれっ面をして見せた。 「走り続けてばたりと倒れるのが、蔦屋重三郎だとあたしは思うんだけどなあ」 「ばたりと倒れられたら私が困ります」とお春が重三郎を見据えて言う。 「お前の気持ちは重々分かる。しかし今回だけは俺のやりたいようにやらせてくれ。頼む」  重三郎は両手を合わせた。お春は渋い顔をしたが、結局、駕籠や馬を使って決して歩かないこと、少しでも体調が悪くなったら引き返すこと、この二つを約束させられた。  耕書堂の仕事を番頭に任せ、重三郎は中山道で伊那に向かった。今年は冷夏で秋が早く来て、山中に入るとさらに空気が冷たくなった。用心のために着込んできたが、脚気気味の身には坂が堪える。駕籠を雇い、馬の背に揺られ、宿場に何泊もして、やっと尋ね当てた先は山間の小さな集落だった。村人に教えられた小道を上っていくと、藁葺き屋根の一軒屋があり、すぐ横の畑で男が鍬を振るっている。 「貞吉さんか」  重三郎は声を掛けた。男は手拭いで頬被りした顔を上げた。よく日に焼けている。 「ちょっといいかい」  男は不審そうな目をこちらに向けている。 「彫師の貞吉さんだろう。江戸から来たんだ。蔦屋重三郎という者だ。この前、番頭がお邪魔したと思うが」  鍬を持ったまま、男は畝と畝の間をこちらにやって来た。 「帰ってくれ。彫師の仕事はやらねえって言ったはずだ」 「番頭がどう言ったか知らねえが、俺がもう一度説明するから、話を聞いてくれないか」 「いやなこった」 「まあ、そう言わずに。本来なら最初から俺がこうして来るべきだったんだが、ちょっと脚気の気があってな。女房から足止めを食らったんだ」  貞吉がほうというように重三郎の身体に目をやった。 「江戸患いか」 「まあ、そういうことだ」 「うまいもんばかり食ってるからだ」 「バチが当たったんだろうな」  貞吉がふっと笑った。 「こんなところで立ち話も何だから、あっちで座って話せないか」  重三郎は男の家を指差した。ふん、と男は返事をして頬被りを取った。親方から聞いていた五十ちょっと過ぎという年齢より、大分老けている感じがする。 「その体で江戸からわざわざ来たって言うのが本当なら、そうしてやってもいい」  貞吉はその場に鍬を投げ捨てると、畑から出てきた。鶏が歩き回っている庭を突っ切って開け放たれた縁側に向かう。重三郎はその後についていきながら、「おっ母さんの具合はどうなんだい」と声を掛けた。 「死んだ」  貞吉は背中を向けたまま答える。そりゃあ、ちょうどいい、思わずそう言いかけて重三郎はあわてて口をつぐんだ。  縁側に並んで腰を降ろし、「おっ母さん、いつ亡くなったんだい」と尋ねた。 「もう一年になるかな」 「そりゃあ、残念なことをしたなあ」  貞吉が重三郎の顔をしげしげと覗き込んだ。 「江戸からわざわざおっ母の悔やみを言いに来たわけでもあるめえ」 「なるほど、そりゃその通りだ」  重三郎は振分荷物の中から油紙に包まれた高麗蔵の絵を取り出した。 「これを見てくれ」  指についた土を股引で拭ってから、貞吉は絵を手に取った。 「役者の大首絵か」 「この絵師を大々的に売り出そうと思っている。お前にはできるだろう」 「これは本職の絵師じゃねえな」 「確かに線は素人だが、役者の特徴をつかまえる眼力は並じゃねえ。異能といってもいい。それをお前の腕で彫り起こしてもらいたいんだ」 「素人の絵描きを使って、本職の絵描きの鼻を明かそうって訳か」 「そんな気はねえ。ただ、お江戸の連中をあっと言わせたいのはある」 「誰に聞いた、俺のことを」 「亀蔵さんだ」 「あいつか」  貞吉はもう一度、絵を見詰めた。 「どうだ、やってくれるか」  貞吉は答えない。沈黙が続き、重三郎は「茶を一杯もらえないか」と頼んだ。「喉が渇いてしまって」  貞吉はちらっと重三郎を見ると立ち上がって奥に行き、湯呑みを持って戻ってきた。湯呑みの縁が欠けている。 「茶なんぞねえから、水で我慢しろ」 「ありがてぇ」  汲み置きの水なのかほんのりと温かい。重三郎は一気に飲み干した。  湯呑みを置くと、重三郎は自分の計画を話し始めた。十一月の顔見世には間に合わないとしても、初春興行には何とかしたい。それが駄目なら、五月の夏興行には必ず出す。和泉屋は正月には歌川豊国で売り出すだろうから、本当はその時にぶつけたい。こいつの絵で豊国を圧倒したい。今回、控櫓の初めての興行だから、座元も役者絵を売り出すことに大いに協力してくれる。絵師が楽屋に入ることも許可してくれる。 「どうだ、俺と一緒にやってくれないか」 「俺の噂を聞いたことがあるか」 「絵師とすぐに喧嘩をするってやつか」 「絵師だけじゃない、彫師の連中ともやり合うぜ」 「面白いじゃねえか」 「工房ががたがたするぜ」 「そうなりゃ工房を別にするさ。どうだい、江戸の連中をあっと言わせてやろうじゃないか」 「今すぐ決めろと言うのか」 「うんと言ってくれれば、江戸に帰って準備をする」 「……考えさせてくれ」  重三郎は腹巻きに入れた大財布を取り出し、五両を縁側に置いた。 「これ、路銀として使ってくれ」 「まだ行くって言ったわけじゃねえぜ」 「来なけりゃ適当に使ってくれ」  貞吉が笑い出した。 「蔦重の噂は本当だったんだな」 「へえ、どんな」 「強引な野郎だってな」 「ほう、上等だ」と重三郎も一緒になって笑った。  しかし、江戸に帰って三日経っても四日経っても貞吉は現れなかった。五両は与えすぎだったか、もう一度足を運ぶべきかと重三郎がじりじりし始めた頃、ようやく貞吉が通油町の耕書堂にやってきた。  手代が呼びに来て表に出てみると、貞吉は笠を外すところだった。振分荷物がなければ、旅姿だとは思えない。 「彫師は二度とやらねえつもりだったが、お前さんの強引さには負けたよ」  工房に連れて行き、銀次と面会させた。他の四人の彫師たちも作業の手を止めて、こちらを見た。 「この前見せた高麗蔵の大首絵な、あれ、この男に彫らせるから」 「貞吉と申します。どうぞお見知りおきを」  貞吉が頭を下げると、銀次は薄笑いを浮かべた。 「あんたの噂は聞いたことがあるぜ。絵師の描いた絵に文句をつけるんだってな。顔とか体の形を変えるのは彫師の仕事じゃないぜ」 「そんなことは言われなくても分かってるさ。だがな、下手な絵は下手なんだ。それを売れる絵にするのに、彫師もへったくれもあるもんか」 「だったら自分で描いて自分で彫ればいいじゃないか」 「それができたら誰も苦労はしねえ」 「まあまあ」と重三郎は両手を広げた。「喧嘩するんじゃねえ。銀次、貞吉さんはおめえが生まれる前から彫師をやってるんだ。少しは長幼の序ってものを守れ」 「ふん。職人の世界は腕が物を言うところだ。年なんか関係ないさ」 「貞吉さんよ、まあこういう男だけど、仲良くやってくんな」  重三郎は旅の疲れもあるだろうからと、貞吉を下がらせようとしたが、「早速彫らせてもらいましょう」と言い出した。 「今日のところは休んで、明日からでいいだろう」 「もらった路銀で贅沢したから、疲れてなんかいませんよ」  貞吉は振分荷物を開けると、紐でぐるぐる巻きにした頭陀袋のような物を取り出した。それを解いて広げて見せる。縫い付けられた小さな袋に二十数本の小刀や透鑿(すきのみ)が入っていた。一本を見せてもらうと、錆も浮いておらず綺麗に手入れがされている。二度と彫師をやらないつもりだったという割にはきちんとしているじゃないかと重三郎はにやりとした。  使っていない作業台の前に貞吉を坐らせてから、重三郎は耕書堂に戻って、高麗蔵の絵を持ってきた。試し刷りに新しい板を使うのはもったいないので、鉋で古い彫りを削り落とした山桜の版木を用意させた。  貞吉は糊を薄く版木に塗って下絵を裏返しにして貼り付けると、小刀を砥石で研ぎ始めた。その手つきの良さに銀次ばかりではなく他の彫師も寄ってきた。  その時、手代がやって来て、歌麿が来たと告げた。はて、何の用だと思いながら耕書堂に戻ると、奥の部屋で煤竹色の羽織を着た歌麿が煙草を吸っていた。 「どうした、吉原へでも行こうと言うのかい」 「話によっては、そうしようかと」 「いい女でも見つけたか」  重三郎は歌麿の前に腰を降ろし、同じように煙草を吸おうと煙管に刻んだ葉を詰めていると、歌麿が灰吹きに自分の煙管を打ち付けて灰を落とした。灰はまだ燃え尽きていなくて煙を上げている。重三郎は煙草に火を付けるのを止めて、歌麿の顔を見た。 「実は若狭屋さんから吉原の花魁を描いてくれと頼まれまして、引き受けようかと……」 「ほう、誰を描くんだい」 「まだはっきりとは決まっていませんが、丁子屋の雛鶴とか玉屋の花紫、扇屋の花扇……」  去年、六枚ほどの小組物で歌麿に花魁を描かせたことがある。その時は妓楼や太夫の名前だけではなく太夫礼賛の狂歌も入れて、吉原の案内書である吉原細見の絵入り版を意識したのだが、若狭屋はそれを一枚一枚独立させて、大首絵のようにするつもりなのだろう。 「そりゃあ人気のある女たちだから売れるだろうよ。若狭屋さんもいい商売をする」  重三郎は煙草に火を付けて一服吸った。 「受けてもいいんですね」 「別に俺に断りを入れる必要なんぞないよ」  歌麿は同じ企画を若狭屋ではなく俺に出さないかと誘っているに違いない。確かに大店の妓楼が資金を出してくれるし、贔屓の客たちにある程度売れるので、損をすることはない。だが爆発的に売れる代物ではないので大儲けは期待できない。若狭屋に代わって俺がその仕事を引き受けたら、これから仕事も兼ねて吉原に誘うつもりだったのだろう。 「分かりました。それじゃあ若狭屋さんの仕事を引き受けるということで……」 「役者絵が役者の人気で売れるのが嫌だと言っていたのに、女絵が花魁の人気で売れるのは構わないんだな」  歌麿の顔が歪んだ。 「蔦重さんも意地が悪くなったもんだ。私が役者絵を描かないのが、そんなにお気に召さないとは」 「いや、悪かったな。気にすんな。お前さんは女絵を描く。俺は役者絵を出す。方向が違っただけだ」  仕事に掛かりきりになるので当分お目に掛かりませんと言って歌麿は帰っていった。  重三郎は煙管の灰を落としてから、急いで工房に戻った。  貞吉はすでに彫りに掛かっていた。版木に貼られた下絵は紙が薄くはぎ取られていて、墨の線がはっきりと浮かんでいる。普通はその線の両側に切れ目を入れて残すのだが、申楽役者の描いた線は太くて微妙に揺れている。貞吉はその線の中心にまるで本当の線が見えているかのように小刀で切れ目を入れていく。それもためらいがない。  銀次や他の彫師も息を詰めるようにして、貞吉の手許を見詰めている。  顔の輪郭、鼻、目、口、耳と切れ目を入れ、それに沿って線を浮き彫りにすると、貞吉は小刀を置いた。ふうっと大きく息を吐く。 「よし、後は銀次、お前がやれ」  重三郎が言うと、銀次はえっという顔をした。 「毛彫りの銀次の腕前を見せてやれ」 「ちぇ」  ふてくされた表情を見せながら、銀次は版木に手を伸ばした。貞吉は何も言わない。銀次は版木を自分の作業台に置くと、髪の毛を彫り始めた。 「顔さえできれば着物は適当でいいぞ。できたら一枚刷って持ってきてくれ」  そう言って重三郎は耕書堂に戻った。  半時程経って、大福帳に帳簿付をしていると、貞吉が一枚の校合(きょうごう)摺りを持ってきた。 「いかがです」  ひと目見て、重三郎は驚いた。あのたどたどしい線がまるで歌麿が描いたような線に変貌していた。どの線も滑らかで引っ掛かりがない。高麗蔵の顔が洗練されて、さらに似てきている。銀次の担当した箇所も丁寧に彫られていて、彼の意地が見えるようだった。 「お前さん、大したもんだよ」  重三郎は手放しで褒めた。貞吉は顔色を変えることもなく「そりゃよかった」と素っ気なく答えた。  仕事を請け負わせている絵師に色を入れさせると、さらに映えた絵になった。  次の日、番頭を加藤千蔭の許にやって、申楽役者に挨拶に行きたいので同行してほしいと依頼した。しかし番頭と一緒に耕書堂にやってきた加藤は「あの話はなかったことにしてくれ」と言い出した。 「わしの勘違いだった。本人は絵師になるつもりなどさらさらないのだ。好きで役者絵を描いているだけで、あんな下手な絵が売り出されたら恥ずかしいそうだ」  重三郎は高麗蔵の絵を見せた。 「これがあの絵か」 「そうです。あの絵です」 「いやあ、こんな風になるとは思わなかった。彫師というのは凄いものだ」 「もちろん彫師の腕もありますが、元々絵に凄さがあったのです。それがなければいくら腕があってもこうはなりません。彫師は隠れている絵の本性を表に引き出すだけです」 「なるほど、そういうものか」 「で、先生はどうお思いになります」 「どう思うとは」 「斎藤様の役者絵を世に出すのは面白いとお思いになりませんか」 「わしは元からそう思っておった」 「そうこなくっちゃ。先生と私で斎藤様を説得いたしましょう」  重三郎は加藤と斎藤十郎兵衛を卓袱料理屋の百川に招待した。  二日後の夕方、軒下の提灯に火が入った頃、重三郎は百川の二階に上がり、二人を待っていた。秋の宵にしては暖かな日で、障子を開けておくと、どこからともなく三味線の音色が聞こえてきた。手許には高麗蔵の絵を入れた紙入れがある。  ほどなく仲居に案内されて二人の男がやって来た。加藤は羽織姿だが、十郎兵衛は裃姿に脇差しを差している。まさかこんな改まった服装で来るとは思わなかったので、重三郎は少しあわてた。年の頃は三十過ぎか。総髪なのは申楽役者という仕事のせいだろう。のっぺりとした表情は取っつきにくい印象を与える。  仲居が十郎兵衛の脇差しを預かり、床の間の刀掛けに掛ける。二人に上座に坐ってもらい、卓袱台を挟んで、 「この度は私めの招きに応じていただき、まことにありがとう存じます」  と重三郎は頭を下げた。申楽役者といえども士分格なので粗相はできない。 「こんな高級なところに呼んでいただけるとは嬉しいかぎりです」  十郎兵衛が笑顔を見せた。笑うと目尻が下がって、いくらか愛嬌のある顔になる。  仲居が酒を運んでくる。料理を出す頃合いはこちらから知らせると言って仲居を下がらせると、重三郎は早速十郎兵衛と加藤の杯に酒を注いだ。 「斎藤様はどなたかに付かれて絵を学ばれたのでしょうか」 「いいえ、誰にも」 「そうしたら独学で?」 「はい。出回っている役者絵を模写して勉強いたしました」 「例えば誰の絵を……」 「勝川春朗とか春英とか。蔦屋さんが出された役者絵ですよ」 「ほほう、そうですか」  失敗した役者絵が役に立っていたとは。重三郎は愉快な気持ちになった。 「あと、流光斎如圭(りゅうこうさいじょけい)の役者絵も写したことがあります」 流光斎如圭とは上方の浮世絵師である。あくの強い役者絵が評判になっていることは重三郎も知っていた。 「よく手に入りましたね」 「大坂の蔵屋敷からこちらに移ってきた者が土産としてくれまして……」  十郎兵衛の歌舞伎好きが阿波藩内にも知られているのかと重三郎は思った。 「ところで斎藤様はどの役者がご贔屓で」 「市川高麗蔵です」 「やっぱり」  重三郎は紙入れから絵を取り出して、卓袱台に広げた。 「これが斎藤様のお描きになった高麗蔵です」  十郎兵衛が驚きの表情で絵に見入っている。 「どうです。すごい絵でしょう。誰が見てもこれが恥ずかしい絵だとは思わないでしょう」 「………」 「斎藤様は立派な絵師です。斎藤様のお描きになる大首絵を私は板行したいと思っております」 「……これは私の描いたものではない」 「異なことをおっしゃる。これは斎藤様のお描きになった絵を下絵にして彫ったものですよ」 「私はこんな風には描けない」 「いや、斎藤様がお描きになったのです。加藤先生にもお話ししましたが、彫師は自分で線を作って彫ることはできません。絵師の描いた線を彫るのみです。腕のいい彫師なら、線の中に埋もれている本当の線を彫り出すことができるのです」 「斎藤殿、どうやら蔦屋さんの言うことは本当らしい。どうです、ここは蔦屋さんの提案に乗ってみたら……」  加藤が助け船を出してくれた。それでも十郎兵衛はうーんと言って考え込んでいる。  重三郎は手を叩いて仲居を呼び、料理を出すように言った。  ほどなく仲居が両手で角盆を持って入って来、卓袱台に雲丹蒲鉾や海老寄物、椎茸真薯(しんじょ)などの入った皿を置いていく。それらを肴にして三人で酒を酌み交わしつつ、重三郎は十郎兵衛の絵を売り出したい背景――勝川派の絵師たちの絵の古さ、歌麿に断られたこと、豊国に対抗する絵師を探していること、芝居を盛り上げたいことなどを正直に話した。 「斎藤様も歌舞伎がお好きでいらっしゃるのですから、私の気持ちがお分かりいただけると思いますが」 「確かに蔦屋殿のおっしゃることはよく分かります。私としても歌舞伎の盛り上げに一役買いたい気持ちはあります。ただ、私は申楽役者であり、阿波藩から士分として取り立てていただいているので、絵師として表に出るわけには参らないのです」  なるほど、そのことが二の足を踏ませているのか。 「そのご心配はもっともです。ご改革の前なら少々のことは大目に見てもらえたんですが、近頃はそうはいきませんからね。でも、方法はあります。絵師は画号を使って描くもの。その正体を隠すことはそれほど難しくございません」 「できるのか」と加藤が尋ねた。 「はい。今までにも例はございます。私ども書肆の世界ではたとえ身許が分かっても、知らない振りをするというのが暗黙の了解になっているのでございます」 「斎藤殿、ひとつやってみたら。あなたの絵をこのまま埋もれさすのはもったいない気がする」 「私も同感でございます」  十郎兵衛がこちらの目をじっと見た。 「私の身分が表に出ないのなら、やってみたい気持ちはあります。蔦屋殿にすべてをお任せいたします」 「よかった。よく覚悟を決めていただきました。この蔦屋、全力を挙げて斎藤様の絵を売り出して見せます」  もうすぐ始まる顔見世には間に合わないが、正月興行には板行したいと重三郎は希望を述べた。しかし十郎兵衛は申楽役者としての仕事のある間は無理だと言う。一枚や二枚ならいざ知らず、芝居に合わせて多くの絵を描くなら、非番の時しかない。重三郎に見せた絵もその時に描いたもので、次に非番になるのは来年の四月から一年間なのだ。となると、来年の五月の夏興行からになる。正月を外すのは痛手だが、夏興行の時に派手に十郎兵衛の絵を売り出して江戸の連中の心を掴んで、再来年の二月、三月興行まで売って売って売りまくる。  重三郎の頭の中に、そこまでの計画があっという間に出来上がった。  斎藤十郎兵衛の画号をどうするか。  誰かに師事して絵の修行をしていれば、その師匠の名前をもらって名付ければいいが、十郎兵衛は全くの独学である。本人の希望は、全く関係のない名前はちと寂しいのでどこかに自分の名前が入って、しかも誰にも分からない名前がいいというものだった。難しい注文に重三郎は頭を抱えた。  絵が評判になった時、全く聞いたことのない名前なら、人は必ずそれは一体誰かと詮索するだろう。そうすると正体が突き止められて十郎兵衛の立場が危うくなる恐れがある。聞いたことのある名前なら、それがない。  その時、重三郎の頭に浮かんだのは、写楽斎である。何年か前、浮世絵師として仕事をしていたことがあるが、三流だったのですぐに廃業し、今では江戸を離れている。この名前なら、ああ、あいつかとなって誰もその正体を追求しようとは思わないだろう。廃業した浮世絵師は他にもいるが、江戸にいないと分かっているのは写楽斎だけである。しかも斎藤の斎という字も入っている。  ただ、写楽斎は洒落臭(しゃらくさ)いの語呂合わせなので、十郎兵衛が嫌がるかもしれない。写楽だけにするか。その上に斎藤十郎兵衛から姓を作ってくっつけるか。  斎藤写楽ではそのままなので、藤斎写楽はどうだろう。ただひっくり返しただけというのがまずければ、東斎写楽と別の字を当てる。十郎兵衛の住んでいる八丁堀は江戸の東に当たるので、東に住む男で東斎。こいつはいい。  重三郎は十郎兵衛の家に出向いた。地蔵橋の角から三軒目、村田春海の隣にこぢんまりとした屋敷があり、前栽にはわずかに色づいた背の低い紅葉があった。  玄関で訪(おとな)うと、奥から丸髷を結った目のきりりとした女性が姿を見せた。来意を告げると「しばし、お待ちを」と言って引っ込み、今度は十郎兵衛が現れた。 「画号の案をお持ちしました」 「それは楽しみです」  奥の六畳間に通された。隅に文机があり、硯と筆が二、三本載っている。先程の女性が煎茶を持って来、静かに出て行った。  重三郎は煎茶を一口飲むと、早速懐から東斎写楽と書いた紙を取り出した。彼の前に広げて、その経緯を説明する。 「詮索されないようにするには、写楽斎をそのまま使うのがいいかと思いますが……」 「いや、東斎写楽の方が名前がはっきりと入っているので、そちらにします」 「じゃあ東斎写楽で」 「あ、今思いついたのですが、流光斎如圭にならって五文字にするのはどうでしょう。私、あの人の絵が好きなんです。それに奇数の方が縁起がいいと言いますし。東に住む男をそのまま漢字にしたらどうでしょう」  十郎兵衛は東斎と書かれた横に、東住斎と書き入れた。 「なるほど」重三郎はとうじゅうさいしゃらくと何度か呟いた。その時、ふっと思いついて、「あるいは」と住を洲に書き換えた。 「八丁堀は川と堀割に囲まれた中洲のようになっていますから、江戸の東の中洲に住む男で東洲斎はどうでしょう。濁音のない方が言いやすいですし……」 「それだ!」と十郎兵衛が手を打った。「東洲斎写楽、いい響きだ。大変気に入りました」  役者絵は芝居の上演中に一気に売り出さなければならないため、それだけの制作体制を整える必要がある。腕の立つ摺師は金を積んで引っ張って来られるが、問題は彫師の方だった。写楽の描く線を彫り出すのが貞吉一人では間に合わないかもしれない。特に大首絵では顔の表情が善し悪しを決めてしまう。少なくとももう一人は欲しい。  重三郎は食客として耕書堂の二階に住まわしている貞吉を工房に連れて行き、銀次を呼んだ。 「銀次、お前、貞吉さんから技を教えてもらえ」 「わざ? 何のこってすか」 「この前の高麗蔵を貞吉さんが綺麗に彫り出しただろう。お前もあれができるようになれ」 「何で俺がそんなことをやらなくちゃならないんですか。この人がやればいいじゃないですか」  重三郎は自分の計画を話し始めた。  あの高麗蔵を描いたのは東洲斎写楽という絵師でまだ駆け出しだが、役者の特徴を捉える力はずば抜けている。事情があって来年の五月興行の芝居から写楽の役者絵を売り出す予定だが、その板行に店の命運を賭けている。そのためには数多くの絵を制作しなければならない。その時顔を彫り出す者が貞吉一人では数をこなせない。幸いまだ半年もあるので、その間に技を学んで欲しい。 「今さら人から技を教えてもらうのは、お前にとっちゃ屈辱以外の何物でもないと思うが」  そこで重三郎は銀次の前に両手をついた。 「店を助ける、いや、俺を助けると思って、貞吉さんから技を学んでくれ」  横を向いた銀次に頭を下げた。工房の中がしんとする。  口を開いたのは貞吉だった。 「銀次さんよ。あの歌麿の女絵で一世を風靡した蔦重さんが、今度は役者絵で殴り込みを掛けようと言うんだ。その心意気に感じなきゃ男とは言えねえぜ」 「ふん、お前に言われたきゃないよ」 「そうかい。それは悪かったな」  二人のやりとりを聞きながら、重三郎が床に額をつけ続けていると、 「蔦重さんにいつまでも頭を下げられちゃ嫌とは言えねえな」  と銀次が溜息交じりに言った。 「ただし、こいつが一人でやれる間は俺は一切手を出さない。それでよけりゃあ……」 「やってくれるか」重三郎は顔を上げた。 「俺も毛彫りの銀次と言われた男だ。そんな技を覚えるのに半年もいらねえよ。一月もありゃ十分だ」 「どうかな」と貞吉がにやついた顔をした。 「そうでなきゃお前の教え方が悪いってもんだ」 「そうかい、そうかい」  早速、重三郎は十郎兵衛に連絡を取って、加藤千蔭から預かっている大首絵の残り七枚を下絵にする許可を得、それらを銀次に渡した。 十一月の顔見世興行を目指して、都座、桐座、河原崎座の三座は口上看板を掲げて支度をしていたが、十月二十五日、湯島松平雲州侯別館より火が出て、神田から日本橋辺りまで焼け、堺町の都座も葺屋(ふきや)町の桐座も類焼してしまった。  これで二座が顔見世興行を中止すれば時間が稼げると重三郎は喜んだが、突貫工事の仮普請でどちらも仮櫓を上げた。  そして十一月の顔見世興行は二日の河原崎座、十五日の桐座、十七日の都座と続いたが、都座の「優美軍配都陣取(やさぐんばいみやこのじんとり)」がちょっと評判を取ったくらいで、後は不入りだった。そのせいでどの版元も役者絵を出さず、先行して出されるのを恐れていた重三郎はほっと一息ついた。  しかし正月興行から和泉屋が「役者舞台之姿絵」と銘打った豊国の役者絵を売り出した。その一枚を重三郎も手に入れた。茶色の衣装を着た市川門之助のすっきりとした立ち姿である。年齢よりも若々しく描かれている。面白いのは背景が薄鼠色の雲母地になっていることだ。雲母がきらきらと光を反射するので豪華な感じがする。歌麿の女大首絵で白雲母摺を採用したことはあるが、それを役者絵に使うという発想はなかった。きらきらと光るのは女絵に相応しいと思い込んでいたのだ。  しかし実際にこうして見てみると、役者絵にも十分効果があるのが分かる。奢侈(しゃし)になっていないかと目を皿のようにして浮世絵の板行を監視しているお上の目をごまかすには、何よりも色数を減らすことが大事で、写楽の大首絵も五色以下にするつもりなのだ。その地味さを補うのに雲母摺はうってつけだ。  重三郎はこの背景を写楽の絵にも使うことにした。薄鼠色よりももっと濃くした方が雲母の照り返しが鮮やかになる。  雲母摺を担当していた摺師は別の店に移っていたので、黒雲母地を刷ることができるように摺師たちに練習を命じた。  彫師や摺師に仕事以外に儲けにもならない手習いをさせるには金がいる。さらには、五月になって役者絵を短期間に大量に板行するためには、版木代、紙代、顔料代など莫大な資金が必要になってくる。毎年板行する吉原細見は一定の需要があって店を底支えしてくれるし、『暦便覧』や『宝珠庭訓往来如意文庫』などの書物もある程度の売り上げが見込める。ただ、ご改革前の狂歌本とか黄表紙のように爆発的に売れるものではないので、資金として貯まらないのが悩みの種なのだ。身上半減さえなければと思うが、今さら悔やんでみたところで始まらない。  重三郎がまず考えたのは、控櫓三座の座元に一部でも資金を出させることだった。歌舞伎人気を再び盛り返すために役者絵を板行して応援するのだから、座元が金を出すのは、謂わば宣伝費みたいなものだと説得し、座元もそれを認めたが、いかんせん三座とも莫大な借金を抱えており、ない袖は振れないと首をすくめた。その代わり、役者や贔屓筋に買うように勧めてくれた。彼らが、買ってくれる枚数分の金を前もって入銀してくれたら、資金的に助かる。  重三郎は最初貞吉の彫った市川高麗蔵の大首絵を持って役者たちの間を回ったが、「何、これ」と目を剥く者がいて、すぐに引っ込めた。後はもっぱら歌舞伎を盛り上げるためにという座元の言葉を前面に出して、役者たちを説得した。しかし、どの役者も写楽という名前を聞いて首を捻った。 「豊国とか春英ならいざ知らず、写楽なんて名前の絵師は聞いたことがない。実際に売り出された絵を見て、買うかどうか決める」  そういう声が大半だった。しかし、中島和田右衛門や中村此蔵(このぞう)、中村万世(まんよ)などの下位の役者たちは、是非自分の姿を描いてくれと金を入れてくれた。  足りない資金をどうするか。仕方がないので重三郎は伝手を頼って、さる金貸しの検校の下に行き、『絵本武将一覧』や『絵本江戸爵』など十種類の絵本の版木を担保に、六百両もの大金を借りた。      二  二月、三月の興行に合わせて板行された一連の「役者舞台之姿絵」は大層な売れ行きを示し、重三郎はじりじりしながら人々の評判を聞いた。上村与兵衛は勝川春英を使って役者絵を出したが豊国には歯が立たず、江戸の庶民の間では、役者絵は豊国で決まりだという空気が流れていた。  四月になってようやく十郎兵衛が非番になり、重三郎は彼を連れて控櫓三座のそれぞれの座元を訪ね、五月興行の役者絵を板行することを伝えた。  座元の一人は「やっと蔦屋さんが腰を上げてくれましたか。和泉屋さんと競って役者絵を出していただくと、芝居が盛り上がること間違いなしだ」と喜んだ。中には東洲斎写楽の素性に興味を示す座元もいて、重三郎は「以前江戸で浮世絵を描いていたのですが、上方に修行に行き、そこで腕を上げて最近こちらに戻ってきたのです。役者の似顔絵を描かせたら、この写楽に誰も適わないでしょう。どうぞお楽しみにお待ち下さい」と答えた。どの座元からも楽屋への出入りの許可を得た。  後日、三座から演目の絵本番付、辻番付といくつかの場面の舞台を描いた絵組が届いた。それによると、都座は正月と二月三月興行の「曽我狂言」にあやかって、時代物の「花菖蒲文禄曽我(はなあやめぶんろくそが)」、桐座も、時代物「敵討乗合話(かたきうちのりあいばなし)」と常磐津浄瑠璃「花菖蒲思笄(はなあやめおもいのかんざし)」、河原崎座では「曽我物」はかけず、時代狂言「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)」と切狂言「義経千本桜」をかけることになった。  三座の興行は、五月五日端午の節句に合わせて一斉に行われる。その前日、重三郎は初めて十郎兵衛を工房に連れて行った。  まず貞吉と銀次を十郎兵衛に紹介した。銀次の技もようやく貞吉に追いつき、どちらが彫ったものか分からない段階までになっており、その自信が彼の顔にも現れていた。 「お前さんの絵を版下にするのは苦労するぜ」と銀次が言った。「でも、大いに描いてくんな。俺と貞吉っつあんで立派な絵に仕上げてみせるからよ」  銀次は、以前自分の言ったことも忘れて、貞吉と二人で彫ることに決めている。重三郎はおかしかったが、もちろんそのことは口に出さなかった。 「銀次もそこまで言えるようになったか」  重三郎が冷やかすと、 「確かに銀次はよくやりましたよ。まあ、俺の教え方が上手かったんだが……」と貞吉がしれっと言う。 「なあに、俺の教わり方が上手かっただけよ」  銀次も負けてはいない。  摺師たちも集まって来、十数人の視線が興味深そうに十郎兵衛に注がれている。 「いよいよ明日から夏興行が始まる。半年掛けて準備してきた力を役者絵にぶつける時がようやく来たのだ。こちらがその下絵を描いてもらう東洲斎写楽という方だ」 「どうぞお見知りおき下さいますよう……」と十郎兵衛が頭を下げた。 「シャラクって以前絵暦(えごよみ)を描いていた写楽斎さんか」  年配の摺師が声を上げた。十郎兵衛がこちらをちらっと見る。重三郎はわずかに頷いてから「写楽斎を知っているのか」と摺師に問い返した。その返事によっては答えを変えなければならない。 「本人に会ったことはないが、絵を刷ったことはある。三年か四年前だったかなあ。その時はもっと年を取っているようなことを聞いたことがあるが……」 「お前さんの言う通り、この人は以前写楽斎と名乗っていた。上方に行って、流光斎如圭という役者絵の第一人者の下で修行を積んだのだ。まだまだ線は素人っぽくって荒削りだが、似顔を描く腕は皆もよく分かっているだろう。この人の似顔絵が売れるかどうかは、お前たちの腕に掛かっているのだ。私はこの人の絵に店の命運を賭けている。よってこれからの一年、この工房をこのように名付けることにする」  重三郎は懐から書付を取り出して、皆の前に広げ、 「写楽丸」  と大きな声で読み上げた。 「私も皆も、もちろん写楽さんもこの船に乗っている。全員が力を合わせて漕ぎ出せば荒海を渡っていける。決して沈むことはない。この船で江戸を縦横無尽に走り、人々をあっと言わせようではないか」  座がしんとなった。 「他の版元の倍、いや三倍の数の役者絵を売り出すつもりだ。そうなるとおそらく不眠不休の仕事になるぞ。今までの仕事とはまるで違う忙しさになるはずだ。その覚悟でいて欲しい。もちろん給金は弾む」  職人たちはお互いに顔を見合わせている。  その時「おい、みんな」と貞吉が声を上げた。「写楽丸に乗ってやろうじゃねえか。こんな面白えことは滅多にねえぞ。あの今をときめく歌川豊国と勝負しようって言うんだ。江戸っ子なら火事場の馬鹿力を出して、和泉屋の野郎をぎゃふんと言わせようじゃねえか」  面白えかもと誰かが言う。勝鬨(かちどき)だ、勝鬨だという声。それに釣られるように一人が「えいえいおー」と片腕を突き上げた。 「まだ早えぞ」と銀次が茶化し、工房内がどっと笑いに包まれた。  五月五日早朝、重三郎と十郎兵衛は堺町の都座の前にいた。正月から続いている曽我物が好評のせいか、夜が明けたばかりだというのに大勢の人々が屯している。女たちの着物はご改革のあおりで地味になっているが、それでも縞柄に黒の半襟をつけたり、紋付無地に色を抑えた花柄の帯を締めたりして、十分華やかさを感じさせるし、多くの女が結っている灯籠鬢からは鬢付油の匂いが漂ってくる。  触れ太鼓の音が鳴り響き、坂田半五郎や瀬川菊之丞などの役者名を染め抜いた幟が風にはためいている。小屋の屋根には櫓が組まれ、その下に大小の看板、軒下には役者の家紋の入った赤い提灯がずらりと掛けられている。それらの光景を横目に、二人は芝居小屋の裏に向かった。  行李を担いだ人夫が頻繁に出入りしている裏口に行き、名前を告げて中に入ると、三階に上がった。座元に挨拶をし、楽屋を回る。板東三津五郎や坂田半五郎、市川八百蔵、女形の瀬川菊之丞、佐野川市松など主だった役者に、東洲斎写楽を紹介し、大首絵を描くので写生のため楽屋に入るかもしれませんが、その時はよろしくと挨拶をした。  四十歳を過ぎて練白粉を塗っても肌のたるみの目立つ菊之丞はしなを作って、「せいぜい美人に描いておくれよ」と十郎兵衛を叩く真似をした。「よく描けてたら、私もたくさん買って贔屓筋に配るから」  十郎兵衛は困ったような曖昧な表情を浮かべている。重三郎はとっさに「もちろん、上手に描かせていただきますよ。よく似ているとびっくりされること請け合います」と言い繕った。  楽屋を出て一階に降りている時、「女形はやはり美人に描いた方がいいんでしょうかね」と十郎兵衛が独り言のように言った。 「写楽さん、気にすることはない。あなたは自分の思った通りの絵を描いたらいいんです。そうでなけりゃ、あなたの絵は死にますよ」  十郎兵衛がほっとした顔をした。  座元が花道傍の席を用意してくれたので、一階の客席に降りていった。明かり取りの障子が朝の光に照っている。天井からは役者の定紋入りの大提灯が三十ほどぶら下がり、すでに灯が入っていた。客席はすでに一杯で、大勢のざわめく声が満ち、熱気でむんむんしていた。  渡り板を歩いていると、「蔦重さん」と下から声が掛かった。見ると、和泉屋市兵衛が手を上げている。横にいる面長の若い男は歌川豊国だ。 「お前さんも絵を出すのかい」と市兵衛が聞いた。 「ええ、この芝居から」 「蔦重さんがどんな絵を出すのか楽しみだ」 「泉市(せんいち)さんがあっと驚くようなものを出しますよ」 「おお、恐い、恐い。どうぞお手柔らかに」  泉市の顔が笑っている。豊国という絵師を手持ちにしている余裕だろう。泉市の横で、豊国が首をすくめるように頭を下げた。  重三郎と十郎兵衛は渡り板を進み、土間の席に腰を降ろした。 「さっきの若い男は歌川豊国ですか」と十郎兵衛が聞いてきた。 「そうですよ。頼りなさそうに見えますが、ああ見えて腕は確かです」 「知っています。いくつか模写しましたから」 「あの男と斎藤様……いや、写楽さんは対決しなきゃなりません」 「………」 「どうしました。臆しましたか」 「いや、そんなことは……」 「大丈夫です。私に任せて下さい。あなたの力を私が存分に引っ張り出して見せますから」  柝(き)が入り、定式幕が引かれると、燭台の蝋燭の明かりに照らされた舞台上には正座をして頭を下げた役者たちがずらりと並んでいた。客席のあちこちから声が掛かる。役者たちは顔を上げ、真ん中にいた坂田半五郎が、師匠であった二代目半五郎の十三回忌追善の興行である旨の口上を述べた。それが終わると、菊八や民の助などの下っ端役者による二建目の賑やかしの芝居があり、いよいよ第一幕が始まった。  十郎兵衛が懐から写生帖と矢立を取り出す。しかしなかなか描き出さない。  坂田半五郎扮する藤川水右衛門が花道に現れ、黒子が棒の先に付いた面明かりを半五郎の顔に近づける。薄墨で目の周りを隈取りした白い顔が光の中に浮かび上がる。それを見てようやく十郎兵衛が体を乗り出して筆を動かし始めた。修行した絵師の見せる筆の動きとは違ってゆっくりとはしているが、そこにためらいは感じられない。先程までの不安そうな表情は消え、役者を睨むような目付きで見詰めている。その変わりように重三郎は驚いた。  藤川水右衛門が剣術の師匠である石井兵衛を闇討ちし、剣術書を自分のものにする。次に、石井兵衛の長男源蔵と千束(ちづか)の婚礼の席に奴袖助が兵衛の死骸を運び込んでくる場面になり、目出度い席が一転して悲劇の様相を帯びてくる。  十郎兵衛は身を乗り出して役者の顔を描いていたが、坂東三津五郎扮する石井源蔵とその妻千束が父の仇を討とうとして藤川水右衛門に返り討ちにあう場面では、舞台に近づこうと立ち上がったため、周りの客から何やってんだと罵声を浴びせられた。重三郎は思わず十郎兵衛の着物の袖を引っ張った。  千束が切られ、源蔵も追い詰められて花道で水右衛門と対峙する。その時黒子が二人の顔の間に面明かりを差し出した。伸び上がった十郎兵衛は今までにない筆の動きで、照らされた顔を写していく。  全七幕が終わった頃には写生帖がすべて役者の絵で埋まってしまった。それでも十郎兵衛は満足せず、もう一冊の新たな写生帖を持って楽屋に向かった。重三郎は一日がかりの芝居見物でほとほと疲れてしまい、座元に挨拶しただけで帰ってしまった。 十郎兵衛から都座の「花菖蒲文禄曽我」に取材した下絵十一枚が届いたのは、二日後のことだった。番頭を八丁堀の家に張り付けさせて、十郎兵衛の尻を叩かせた結果だった。十郎兵衛は二晩ほとんど寝ないで仕上げたという。最初の打ち合わせ通り、入銀してくれた中村万世は腰元若草の役で、瀬川富三郎の扮する大岸蔵人妻やどり木と一緒に二人大首絵になっている。後は大岸蔵人役の沢村宗十郎とか石井源蔵役の板東三津五郎など人気のある役者が揃っている。  板行の許可をもらうため、番頭を馬喰(ばくろう)町の地本問屋行事の許に行かせ、十一枚の下絵に極印をもらってきた。工房にそれらを持って行く。早速貞吉と銀次が手分けして、薄い美濃紙に描かれた下絵を裏返しにして版木に貼っていく。 「いいかい、みんな。今回の仕事は時間との勝負だから、もたもたしてちゃいけない。蝋燭は何本使っても構わないから、夜を徹して仕事をしてくれ」  重三郎は檄を飛ばして工房を後にした。  三日後、十一枚の墨板ができる頃に、河原崎座の「恋女房染分手綱」と「義経千本桜」に取材した十枚が届いた。「花菖蒲文禄曽我」の校合摺を十郎兵衛に渡し、色指定されたそれらが返ってくると、下絵を彫りつつ、「花菖蒲文禄曽我」の色板も彫らなければならないので工房は目の回る忙しさになる。気が立ってくる彫師たちを宥めつつ、仕事の手を緩めないように重三郎は食事とか休憩に気を遣った。資金を抑えるためと大量の板行を可能にするため色数をなるべく少なくしたことが正解だった。  色板が出来上がると摺りに掛かる。黒雲母摺の効果は予想以上で、これなら色数が少なくても派手に見えると重三郎はほくそ笑んだ。  桐座の「敵討乗合話(かたきうちのりやいばなし)」の七枚の中には、入銀済みの中島和田右衛門と中村此蔵(このぞう)が入っており、それらを合わせて三座で計二十八枚の大首絵が出来上がったのは、芝居の中日のことだった。  初摺りの絵を持ってきた貞吉と一緒に、畳の上にそれらを並べていく。顔料の匂いがふわっと部屋の中に漂った。すべてを一度に見ると壮観な眺めで、重三郎はすでに板行されている歌川豊国と勝川春英の絵をその横に並べてみた。豊国は「花菖蒲文禄曽我」から沢村宗十郎の大岸蔵人、坂田半五郎の藤川水右衛門、坂東三津五郎の石井源蔵の三枚揃の大判全身像。春英は「花菖蒲文禄曽我」から佐野川市松の白人おなよ、市川八百蔵の田辺文蔵、「恋女房染分手綱」から市川男女蔵の奴一平、「敵討乗合話」から市川高麗蔵の志賀大七の計四枚の大首絵だった。写楽と同じく、黒雲母摺を背景に使っている。 「どうだ」と重三郎。 「勝負ありましたな」貞吉がにやりとした。 「そう思うか」 「数ばかりではなく、絵の力からいっても勝ってますぜ。春英がこれを見たら、裸足で逃げ出すこと請け合いだ」 「すべてはお前のお蔭だ」 「そう言われりゃ悪い気はしねえが、元はと言えば、素人同然の写楽の絵にピンときたお前さんの眼力が大したもんだったということじゃねえですか」  次の日、通油町や吉原の蔦屋の店頭ばかりではなく、控櫓三座の小屋先にも豊国や春英の絵と並んで、写楽の絵が並べられた。さらには描かれた役者たちにも注文を受けるために無料で配られた。  耕書堂の平台には、いつもの棚を片付けて、この日のために拵えた格子状の木枠がどんと置かれていた。縦四枠、横七枠の計二十八枠。その一つ一つに役者の大首絵が収められている。手前に人気役者たちを並べるのはいうまでもない。  重三郎は店先に立って、手を叩きながら呼び込みをした。 「蔦屋が満を持して売り出した役者の大首絵だよ。これを買って芝居を観に行きゃ何倍も楽しめること請け合いだ。さあさあ、買った、買った……」  通りを行く着流しの町人たちばかりではなく、旅姿の者も物珍しそうに耕書堂の中を覗き込む。あれは宗十郎だ、こっちは幸四郎か、よく似てるね、なんだいあの菊之丞は……。連れ立って入ってきた男二人が指を差しながら言い合っている。その声に釣られるように島田崩しを結った粋筋の女たち三人が入って来、きゃあ男女蔵がいる、高麗蔵もいる、菊之丞はおかしい、半四郎も変、でも似てると大騒ぎした。確かに菊之丞のおしづはほつれ毛も描かれ、頬も弛んだように見える。 「姐さん方、芝居はご覧になりましたか」  重三郎が声を掛けると、「ええ、もちろん」と真ん中の年増が答えた。「あたしたち三人で初日から三日連続で観に行ったのよ、ねえ」  両隣の二人に相槌を求める。二人は頷き、「お客さんの奢りでね」と一人が紅を差したおちょぼ口を開いた。 「それを言っちゃ駄目」と年増は人差し指を唇に当てたが、目は笑っている。 「どうです、贔屓の役者を買ってみませんか」 「あたし、豊国の絵を買っちゃったから」と年増。 「あれは立ち姿。これは大首絵。合わせて持っておくと夢見がいいですよ」 「うまいこと言うわね……。そうしたら宗十郎を一枚もらおうかしら。それに男女蔵も」 「じゃあ、あたしは高麗蔵」 「あたしは三津五郎」  女たちが買い出すと、男たちも次々と手を伸ばし、店頭の騒ぎに引き寄せられるようにさらに人が集まってきた。皆、おかしな絵だと言いながらも買っていく。  控櫓三座に売れ行きを見に行かせた小僧たちが帰ってきて、飛ぶように売れている、人気の沢村宗十郎とか市川男女蔵、女形の瀬川菊之丞などはもうすぐ売り切れそうだと報告した。重三郎は摺師たちに増刷を命じた。  昼過ぎに和泉屋の番頭が姿を見せた。客の応対をしていた重三郎はそれを手代に任せて、番頭の相手をした。 「和泉屋の番頭さんがここに来るなんて、珍しいこともあるもんだ」 「蔦重さんの出した大首絵を全部買ってこいと言われたもんでね」  番頭は芝居小屋で全部揃えばよかったんだがと言いながら、嵐龍蔵など十枚の絵を買った。 「ところで、豊国の絵は売れてるかい」 「お陰さまで売れ行き上々」 「そりゃあ、よかった。お互い、大いに売って芝居人気を盛り上げていかなくちゃ」 「それはそうと、東洲斎写楽って絵師は何者なんですか。何年か前に写楽斎って奴がいたのは知っているが……」 「そう、そいつだよ」 「まさか。あんな三流にこんな絵が描けるわけがねえ」  番頭は手に持った紙束を振って見せた。 「男子、三日会わざれば刮目してこれを見るべし、という言葉を知らないのかねえ。上方で腕を上げたんだよ」 「ほんとですか」 「詮索は野暮ってもんだ。描かれた絵がいいかどうかが大事で、誰が描いたかなんてどうでもいいじゃないか」 「蔦重さんはこの写楽でずっと勝負するつもりですかい」 「もちろん。大首絵は写楽で決まり、となるまでな」  番頭はどうしてこんな絵が受けるのかと首を捻りながら帰って行った。  夕方、増刷した絵を芝居小屋に持って行った小僧たちが風呂敷包みを手に、次々と帰ってきた。座元から小屋先に並べることを禁じられたと言うのだ。 「役者たちがかんかんに怒っているそうです」  ひょっとしたらという不安が的中して、まずいなと重三郎は思った。 「具体的に誰が怒っているか聞いたか」 「いいえ」 「それで、止められたのはうちの絵だけか」 「はい」  菊之丞とか半四郎の女形が怒るのは予想できたが、それならそれらの絵を外すだけでいいはずだ。  翌日の早朝、重三郎は堺町の都座に向かった。曽我物の人気は上々で、中日を過ぎたというのに小屋の前は人だかりがしている。裏口から入って三階に上がる。声を掛けて座元の部屋に入るなり、「蔦重さんよ、大変なものを出してくれたなあ」と座元が渋い顔をした。 「こんな絵を描かれたんじゃ役者が怒るのも無理もないぜ」  座元は側にあった大判の絵の束を重三郎の前に置いた。一番上は田辺文蔵の妻おしづに扮する瀬川菊之丞である。 「でも、よく描けていると思いませんか。実際、売れ行きはいいんですけどね」 「よく描けているかどうかは関係ない。本人が気に入らなければ、それは駄目な絵なんだ。どうだい、描き直してもらえないか」 「だったら、役者が気に入っている絵だけでも並べてもらえませんか」 「分からない人だね。どの役者も気に入らないって言ってるんだ」  そんなはずはない。入銀してくれた中村万世がいる。重三郎が反論しようとした時、外から「蔦重が来てるんだって」という声が聞こえてきた。  襖が開いて練白粉を塗った顔が入って来る。頭には鬘(かつら)をつける前の羽二重を巻いている。白い襦袢姿。瀬川菊之丞だった。手にはおしづの絵を持っている。 「これがあたしって言うのかい」  菊之丞は重三郎の目の前で絵をひらひらさせた。 「女形の芸で売っているあたしを馬鹿にするにも程がある」  白い顔で表情が見えない分、かえって怒りが伝わってくる。重三郎は両手をついて頭を下げた。 「決して馬鹿にしようなどと思って描いているのではございません」 「それじゃあ、ますますひどいじゃないか」 「……言葉足らずで申し訳ございません。写楽は何しろ素人同然の絵師でして、器用にまとめるのが下手でございますから」 「下手なら何を描いてもいいと言うのかい。そんな言い訳が通じるとでも思っているのか」  何を言っても無駄だと悟った重三郎は、申し訳ございませんと頭を下げ続けた。 「何とかお言いよ、もう、腹が立つ。こんなもの二度と売るんじゃないよ」  そう言うと菊之丞は手に持った絵を引き裂いた。それでも収まらないのか手の中に丸め、さらには重三郎の前にある絵の束に手を伸ばし、一番上の絵を掴むと、それもくしゃくしゃにした。 「その写楽っていう絵師、出入禁止。座元、分かった? そいつが小屋に来たら、あたしゃ舞台を降りるからね」  菊之丞はそう言うと、丸めた浮世絵を重三郎に投げつけて出て行った。 「申し訳ないが、ご覧の通りだ。写楽はもうここに来させないでくれ」  河原崎座では市川蝦蔵と岩井半四郎が、桐座では中山富三郎がそれぞれ怒っているという話が伝わってきた。意外だったのは蝦蔵がその中に入っていることだった。蝦蔵は白猿(はくえん)という俳号を持ち、ご改革前、狂歌が大流行した頃、大田南畝(なんぽ)を通じて顔見知りになり、重三郎の仕事を評価してくれていたのだ。しかも、今回蝦蔵の扮する竹村定之進は申楽役者であり、十郎兵衛の思い入れもひとしおで、五十四歳という年齢の貫禄も十分に描かれている。どう見ても腹を立てるような絵には仕上がっていない。  重三郎は河原崎座に出向いた。「極上上大吉無類」と最高位に置かれ、他の役者たちに影響を及ぼす蝦蔵を説得できれば、あるいは皆の怒りも解けるのではないかと微かな希望を抱いていたが、蝦蔵はそれをあっさりと打ち砕いた。蝦蔵は自分の絵に対して怒っているのではなく、役者たちの総意を汲んでいるのだった。 「確かに蔦重さんの言われるように写楽の絵は面白い。だから売れるのは分かる。しかし役者の立場からすれば、これは役者自身を描いているのであって、演じている役を描いているのではない」  蝦蔵は手に持った大首絵を重三郎の前に置いた。瀬川菊之丞と双璧をなす女形、岩井半四郎の扮する重(しげ)の井である。 「いいかい、役者というのは素面の上に化粧をし、鬘(かつら)を被り、衣装を纏(まと)い、お客様に謂わば幻を見せるものだ。その幻をはぎ取ったら役者絵ではなくなる。お分かりか」  そんなことは百も承知と言いたいところだったが、蝦蔵をさらに怒らせてはまずいので、重三郎は「ご意見、肝に銘じましてございます」と頭を下げた。  結局役者からの注文は全くなく、入銀のあった分だけを収めただけだった。それでも歌舞伎好きの間では写楽の絵が評判を呼び、店頭売りは売り切れが続出した。増刷を重ね、版木が磨り減って新たに彫り直す絵も出てくるほどだった。  そんな好調さに暗雲の漂う出来事が起こった。  五月二十八日は曽我五郎、十郎兄弟が父の敵である工藤祐経(すけつね)を討った日とされ、二人を祭る行事「曽我祭」が以前から行われてきた。正月からの曽我物も人気があって五月まで上演できたことだし、さらに景気をつけようと、役者だけではなく、芝居小屋で働く人たちも揃いの半被を着て練り歩いた。女夫(めおと)踊り、角力(すもう)踊り、松ヶ枝踊りなどの他に、花山車が引かれ、夜は引き万灯に明かりが点った。  その派手な行事が風俗取締、奢侈禁止の通達に違反すると奉行所の勘気に触れたのだ。直ちに曽我祭は中止され、名主と座元の四名が押込め、堺町家主や葺屋(ふきや)町家主など十九名が手鎖など計四十数名が処罰された。  さらには雲母摺の浮世絵も贅沢品として板行を止められそうだという話も伝わってきた。写楽や春英の大首絵が槍玉に挙げられており、特に写楽の二十八枚の絵が問題になっているのだ。  雲母摺が贅沢品だということに納得のいかない重三郎は、町奉行所に文句を言いに行こうと和泉屋や岩戸屋に声を掛けた。勝川春英の絵を板行した岩戸屋は同意したが、泉市は渋い顔をした。 「お上に逆らってもろくなことはないからなあ」  和泉屋は大首絵を出していないので乗り気でないのは明らかだった。 「そんなことを言っていいのかい。お前さんのところも雲母摺を使ってるだろう。それを止められてもいいのかい」 「まあ、そうなりゃ別の手立てを考えるまでさ」 「そんな弱気でどうするんだ。これは問屋全体の問題だぜ。お上は自分たちの御政道の失敗を棚に上げて、町人を締め付けることで誤魔化していやがるんだ。お前は悔しくないのか」  泉市がふっと笑った。 「蔦重さんはどうなんだい。恐くはないのかい。相手は初鹿野(はじかの)を上回る強面の小田切だぜ」  初鹿野河内守は重三郎に身上半減の罰を科した奉行である。それを継いだ小田切土佐守は重箱の隅をつつく人物だと言われている。 「奉行が恐くて地本が出せるかい、と言いたいところだが、正直俺も恐い。しかしここで黙っていたら、蔦重の名がすたるんでね」  泉市は結局、付いていくことは行くが、自分からは何も言わないということで了承した。  奉行所にお伺いを立て、三日後、重三郎は岩戸屋喜三郎、和泉屋市兵衛と連れ立って奉行所の門を潜った。  吟味所に通され、待っていると、小田切が裃姿で現れた。三人は畳に両手を付き、深々と頭を下げる。 「地本問屋の三人が揃って、何を言いに来たのだ」  重三郎は頭を上げた。 「手前ども三人は役者絵を板行いたしておりますが、それはひとえに歌舞伎を盛り上げるためのもの。さらに歌舞伎を御覧になる町衆を楽しませるためのもの。さらに言えば、それによって江戸の町をにぎやかにし、明日への活力を与えるためのもの。決して奢侈を助長しようなどは思っておりません」 「その方たちの思惑はどうあれ、結果的に奢侈を煽っていることは間違いあるまい」 「そんなことはございません」 「それではこれを見てもらおうか」  小田切は懐から紙切れを取り出し、目の前に広げて見せた。瀬川菊之丞五百両、岩井半四郎五百両、沢村宗十郎四百両など十数人の役者の名前と給金がずらりと記されている。 「この給金がこの度の歌舞伎人気で上がると聞いておるが、それもその方たちが役者絵を売り出して煽ったからではないのか。どうだ」  人気が出れば給金が上がる、そんなことは当たり前ではないかと思ったが、もちろん口には出さない。 「でしたら、役者絵そのものの板行を差し止めるおつもりなのでしょうか」 「誰もそんなことを言っておらん。人気役者を持ち上げすぎると給金が増え、贅沢を助長するから、ほどほどにせよと申しておるのだ。町人たちのささやかな楽しみを奪うほど、わしは狭量な人間ではない」 「ほどほどの役者大首絵なら何の問題もないということでございましょうか」 「ああ、あれはいかん」小田切が手を振った。「役者を前面に出した大首絵はいかん。役者を持ち上げすぎる。しかも雲母摺を使って派手にするなどとはもっての外。色数が少ないからいいというものではない」 「派手に見えますが、売値は同じ。決して贅沢品ではございません」 「売値は関係なし。派手がいかんのだ」  ちぇっと重三郎は心の中で舌打ちをした。結局お上は新奇で派手なものを槍玉に挙げて、見せしめにするといういつものやり方なのだ。 「雲母摺の大首絵も庶民のささやかな楽しみでございますので、お奉行様の広ーいお心で目をつぶっていただきとうございます」  重三郎は再び両手を突いて頭を下げた。両隣の二人もあわててそれに倣う。 「しつこい。駄目なものは駄目なのだ。分かったか」  そう言うと、小田切は立ち上がり、吟味所を出ようとしたが、ふと立ち止まった。 「蔦屋重三郎、その方さきほど役者絵を板行するのは江戸の町をにぎやかにし、明日への活力を与えるためのものと言いよったが、本音は金儲けのためであろう。それならそうと正直に言ったらどうだ」  重三郎は頭を下げたまま、黙っていた。 「どうやら図星で声も出ないようだな」  はははと笑いながら小田切は出て行った。  金を儲けて何が悪い。年貢で飯を食っている奴にそんなことを言われたくねえ。  奉行所からの帰り道、岩戸屋は役者絵から手を引くと言い出した。 「姿絵じゃあ和泉屋さんと勝負するのは難しいからなあ」 「蔦重さんはどうするんだい。写楽の大首絵を続けるつもりかい」  泉市が口元に笑みを浮かべながら聞いてきた。 「まあ、小田切の奉行を刺激してもいけないので大首絵は控えておくよ」 「それじゃあ姿絵を出すと……」 「豊国と勝負することになるかな」 「ほほう、そりゃ楽しみだ」  泉市にはああ言ったが、似顔が得意の写楽に姿絵を描かせて、果たして豊国の「役者舞台之姿絵」と本当に勝負できるのか。奉行の勘気に触れることは覚悟の上で大首絵で行くか。ただし、背景の黒雲母摺はさすがにやめて、黄潰しで派手さを抑えめにするのはどうか。  さんざん悩んでいた時、七月興行を行う河原崎座と都座から次の芝居の絵本番付や辻番付、さらに絵組も一切渡してもらえないことが分かった。泣きっ面に蜂だと重三郎はぼやいた。  重三郎は料亭百川に十郎兵衛を呼んで、相談することにした。 「斎藤様のお蔭で大首絵は大いに売れて、儲けさせてもらいました。御礼を申し上げます」  十郎兵衛の杯に酒を注いだ。 「私の絵がお役に立てたのは嬉しいのですが、役者たちが嫌っているというのは本当でしょうか」 「そんな噂が耳に入りましたか。いや、彼らが自分の顔を綺麗に描いて欲しいというのは、そうあってほしいという願望ですからね。斎藤様の絵はそうではないから売れたんです。気にすることはありませんよ」  瀬川菊之丞とのやりとりは口にしなかったが、座元から小屋への出入りを止められたことは話した。十郎兵衛は「そうですか」と声を落とした。 「なあに、楽屋にさえ入らなければ大丈夫ですよ。誰も斎藤様の顔など覚えちゃいない。客席にさえ入っちまえば暗くて舞台からは見えないですよ。……それで次の盆興行の絵なんですが」  重三郎は奉行所からのお達しを考慮して大首絵から姿絵に変えることを提案した。 「楽屋に入れないことを考えたら、大首絵でないのがちょうどいい。ただ、細判の姿絵になると斎藤様の似顔を描く強みが薄まってしまうのだが、どうしたもんでしょう」 「私は構いません。自分の絵の力がどれだけ通じるのか、やってみたい気もありますし」 「番付や絵組がなくても描けますか」重三郎は座元から提供を断られたことを告げた。「どうしても必要なら、何とかして手に入れますが……」 「いや、実際に舞台を見ることができたら描けますから大丈夫です」 「そういってもらうとこちらも心強い。全体の構図さえしっかりと描いてもらえば、衣装の柄とかは彫師が何とかしますから」 「ただ」と十郎兵衛は浮かぬ顔をした。 「どうしました」 「家内が心配しているのです。この前、徹夜の連続で描き続けましたから。私が体を壊したら、それは妻である自分の責任になるから、今後絶対にそんなことをしてくれるなと言われまして」  重三郎は目のきりりとした妻の顔を思い出した。 「来月の盆興行は七日の河原崎座、二十五日の都座と別々の日ですから大丈夫でしょう。ご内儀にもそのように伝えてもらえますか」  十郎兵衛がほっとした顔をした。  次の板行準備に取り掛かった頃、耕書堂に歌麿がふらりと姿を見せた。 「おや、久しぶりだね」  重三郎は歌麿を奥に通し、煎茶を出した。茶を一口飲むと歌麿は懐から煙草入れを取り出して、煙管で一服やり始めた。 「写楽の大首絵、見ましたよ」 「そうかい。で、どうだった」  歌麿は口から煙をゆっくりと吐いた。 「ひどい絵ですね」 「でも売れたぜ。芝居が終わった今でも売ってくれという客がいるくらいだ」  奉行の意向を考慮して、増刷は止めて店頭にも出していないが、希望する客には奥から出している。 「新奇な物が売れるのは世の習いですからね」 「何だかひがんでいるように聞こえるが……」 「この私が? ひがんでいる?」  歌麿は口角の片方を上げて薄笑いをした。 「私の女絵は描かれた女もそれを見る客もどちらも喜ぶような絵ですよ。写楽の絵とは違う。役者が忌み嫌うような絵は役者絵とはいえませんね」 「だったら一度お前さんも役者絵を描いてみるかい」 「あいにく私は役者絵に手を染めるほど暇じゃありませんので」  暇が出来たら描くというように聞こえるが、もちろんそうではないだろう。 「それで、若狭屋から出した絵はどうだった。売れたのかい」 「おや、見てもらえませんでしたか」 「悪いが、ここのところ写楽の絵に掛かりっきりで暇がなかったもんで」 「そんなことだろうと思った」  そう言うと、歌麿は懐から折り畳んだ紙を取り出して、重三郎の前に広げてみせた。遊女の上半身が描いてある。右上には「當時全盛似顔揃(とうじぜんせいにがおぞろい) 扇屋内花扇」とあって、最高位の花魁、花扇だと分かる。右手に長煙管を持ち、左手で簪(かんざし)を挿し直している姿には色気が漂っていて、いつもながらの歌麿の筆だと重三郎は感心した。しかし顔は似ていない。本人はもっとふっくらとしていて、鼻も口も大振りのはずである。 「似顔揃となっているが、似てないね」 「似せる必要などありませんからね。見る者が女の美しさを感じとったら、それで十分なんですから」 「幻を見せればいいというわけか」 「うん?……そう幻。見る者が見たいと思うものを描く。それが絵師ですよ」 「写楽にはそれがないと言いたいわけか」 「そんな偉そうなことを言うつもりはありませんよ。ただ、本職の絵師ならあんなものは描かないとは断言できる」  どこかで写楽の噂を聞いてきたかと重三郎は思った。 「その通り。だから俺は素人である写楽を選んだんだ」  歌麿の顔が険しくなった。灰吹きに叩きつけて煙管の灰を落とす。 「頑固な人だ」 「俺は写楽でとことん行くぜ。ぞくっとさせる絵なら絶対に売れるからな」  歌麿は、せいぜい頑張って下さいなと言って、帰って行った。  その数日後、店の奥で板行の書類作りをしていると、手代が「お客様です」と呼びに来た。表に出てみると、大田南畝が細面の男を連れて店先に立っていた。  南畝とは今から五、六年前天明狂歌全盛の頃、一緒に連(れん)を作って、毎晩のように吉原に繰り出していた。彼の狂歌集や随筆を出版して大いに儲けさせてもらった。それが寛政の改革が始まって、すっかり下火になり、南畝も書き物から足を洗い、本来の御家人の仕事に精を出していた。会うのは一年振りくらいである。 「先生、お久し振りです」 「役者絵を出したんだって」南畝はそう言うと、陳列台に目をやった。「写楽ってのはどれだい」 「あいにく表には出していないんで。ちょっと取ってきます」  重三郎が行きかけると、 「お前さんに頼みごとがあってきたんだ。奥に行っていいかい」  と南畝が言った。 「ええ、どうぞ」  手代に写楽の絵を何枚か持ってくるように言いつけると、重三郎は南畝と連れの男を奥に案内した。  茶を出しているところへ手代が写楽の絵を何枚か持ってきた。南畝はその中の一枚、大谷鬼次の江戸兵衛を手に取ると、なるほどと笑顔を見せた。 「手と顔が釣り合っていないが、それが却って面白いや」  南畝が隣にいる男にそれを手渡した。男はうーんと唸って絵に見入っている。南畝が次に手にしたのは、瀬川菊之丞の田辺文蔵の妻おしづだ。 「菊之丞がこれを見て怒るのは分かる。瓜二つだ。よくぞここまで描いたと俺なら褒めるけどね」  男はその絵も同じように見入っている。 「ところで先生、頼みごとってえのは……」 「実は、この男をお前さんのところで雇ってもらえないかと思ってさ」 「うちのところで?」 「写楽の絵が当たって、お前さんのところじゃあ忙しくしてるんだろう。この男、ちょっとした絵も描いていて器用だから、ちったあ役に立つんじゃないかと思うんだけどね」 「重田貞一(さだかつ)と申します。よろしくお願いします」と男は頭を下げた。 「父親が駿府の町奉行の同心でね、俺も知っている男なんだ」と南畝が男の素性を話し始めた。最初は江戸で武家奉公をしていたが、浪人になって大坂に行き、義太夫語りの家に寄食して浄瑠璃本を書いていたという。その時使った名前が近松与七で、通り名として今も使っていると男は答えた。材木商の入り婿となったが、うまく行かず、最近江戸に戻ってきたらしい。年齢は三十である。 「先生のお頼みならお引き受けしてもよろしゅうござんすが、とりあえずどれだけ絵が描けるか見せてもらいましょうか」  手代に筆と紙を持ってこさせて、写楽の大谷鬼次を写させてみた。  大して期待はしていなかったが、その筆使いが並ではないことに重三郎は驚いた。そっくりに写している。 「お前さん、誰かに絵を習ったのかい」 「はい、狩野派の先生に少しばかり。浄瑠璃本にも挿絵を描いたことがございます」  こいつは使えそうだと重三郎は与七を食客として迎え入れることにした。       三 七月七日の盆興行の初日は河原崎座で、時代狂言「二本松陸奥生長(にほんまつみちのくそだち)」と浄瑠璃の心中物「桂川月思出(かつらがわつきのおもいで)」が上演された。  自分が一緒に行くと却って見つかる恐れがあるので、ご内儀と行くように、と重三郎は十郎兵衛に二人分の木戸銭を渡した。十郎兵衛は、目立たないように参りますと神妙な顔をした。  二日後、十枚の下絵が届いた。  顔は小さくなっているが、それぞれの役者の特徴はさすがによく捉えている。立ち姿の構図も、申楽役者の経験が生きているのか、均斉が取れている。  ただ、「二本松陸奥生長」から三枚、「桂川月思出」から七枚と偏っていることが引っ掛かった。前者では市川男女蔵と大谷鬼次の二名しか描いていない。最初は見つかるのを恐れて写生できなかったかと重三郎は舌打ちしたが、今さら描き直させていたら時間が足りなくなってしまう。「桂川月思出」で板東彦三郎や岩井半四郎、市川蝦蔵など主だった役者を描いているのでよしとするしかない。  早速、彫師に回した。大判二枚と細判二枚は背景を白雲母摺、後の細判六枚は黄潰しにした。白雲母摺を使ったのは様子見のためだった。小田切は雲母摺とひとくくりにして派手だと言ったが、あれは黒雲母摺のことだと解釈したのである。白雲母摺もきらきらと雲母が光ってきれいだが、黒ほど派手には見えないのだ。  売り出すと、あの大首絵の写楽が今度は姿絵を出したと評判にはなった。しかし道行きの場面を描いた一枚――彦三郎の長右衛門と半四郎のお半――だけはかなり売れたが、他はこの前の大首絵ほどには数が出ない。豊国はこの芝居の絵を描いていないので、もっと売れてもいいはずなのだがと重三郎は首を捻った。やはり大首絵でないと写楽のよさが出ないのか。それとも芝居の人気がそれほどでもないのが影響しているのか。  白雲母摺に対して奉行所から何も言ってこなかったことが収穫だった。  七月二十五日からは都座でお家物「傾城三本傘(けいせいさんぼんからかさ)」と世話物「三勝(さんかつ)半七」が始まる。「傾城三本傘」は盆興行中の最大の呼び物で、和泉屋も豊国に描かせて板行するという話が伝わってきた。写楽の姿絵が本当に売れるかどうかはこの芝居の絵に掛かっている。  重三郎は十郎兵衛に、絵を見るだけで芝居を観たと思わせるだけの数を、少なくとも二十枚は描いてほしいと要求した。 「二つの芝居で四十枚ですか」 「四十枚となると、こちらも大変なので、十枚ずつ計二十枚で行きましょう。……いや、『傾城三本傘』だけにしましょう。こちらの方が売れる。これだけで二十枚。どうです」 「分かりました。頑張ってみます。この前は数が描けずに申し訳のないことをしましたから」 「見つかることを恐れちゃいけませんよ。座元だって絵を描いてもらう方がいいに決まっているんだから。大首絵ではなく姿絵なら誰も文句を言いませんよ」  芝居が始まって三日後、十七枚の下絵が届いた。二十枚には届かず、しかもその中の一枚は芝居の口上を述べる篠塚浦右衛門の姿を描いている。いくら芝居を観たと思わせるといっても、最初の口上まで描くやつがあるかと重三郎はむかっときたが、すぐに思い直した。ちょっとした悪戯を思いついたからである。  重三郎は手許にあった紙に「口上 自是(これより)二番目新板似顔奉入御覧候(ごらんにいれたてまつりそうろう)」と書いて工房に持って行き、篠塚浦右衛門の持っている口上書に鏡文字、つまり裏に文字が写っているように彫ってくれと頼んだ。  銀次は「仕事が建て込んでいるのに、こんな売れもしない絵を彫る必要なんかねえでしょう」と怒ったが、貞吉は「面白え」と書き付けを引き取った。 「銀次さんよ、洒落だ洒落。どんなに忙しい時でも職人は余裕の顔をしてやるもんだ。洒落のひとつも言えねえでどうするんだ」 「………」 「今回、十七枚だろう。その中にこれが入っていてみろ。和泉屋の連中がどう思うか。こんな絵まで出すとは、蔦屋重三郎は何とまあ洒落の分かる人間だってことになる。職人もよく引き受けたもんだと感心するだろうよ」 「……分かったよ、彫りゃいいんだろ、彫りゃ」  下絵から七日経って「傾城三本傘」の絵が板行されたが、今回はやはり芝居がよかったのか、前回よりも売れ行きが好調で、特に背景を白雲母摺にした二人立ての大判姿絵三枚が大いに売れた。さすがに篠塚浦右衛門の絵はそんなに売れなかったが、芝居好きの連中の中にはすべてを揃える者もいて、芝居の口上が面白いと言って買っていった。  和泉屋は豊国の「役者舞台之姿絵」大判五枚を板行した。大谷広次の土佐又平、沢村宗十郎の名護屋山三元春、瀬川菊之丞の傾城葛城、市川八百蔵の不破伴左衛門重勝、嵐龍蔵の浮世又平。  重三郎はそれらを買い求め、ずらりと並べてみた。比べるため、上に同じ役者を描いた写楽の細判を並べた。似顔は断然写楽の方がよかったが、小さいので印象が弱い。全身の描き方は甲乙つけがたかった。豊国の絵はすっきりしていて、特に瀬川菊之丞の傾城葛城は写楽よりも綺麗に見える。大判と細判の違いが迫力の違いを生んでいるのは確かだが、背景の黄潰しがその差を縮めている。  これなら行けると重三郎はほっと胸を撫で下ろした。  八月十五日から桐座で時代狂言「神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」と浄瑠璃「冥途の飛脚」を書き換えた「四方錦故郷旅路(よもにしきこきょうのたびじ)」が上演された。細判の姿絵が九枚、大判の二人姿絵が二枚、計十一枚を板行した。二人姿絵の一枚は亀屋忠兵衛と傾城梅川の心中物で、これは絶対に売れると踏んで、思い切って自粛していた黒雲母摺を使った。予想通り、他の物より売れ行きが好調で、版木を彫り直すほどだった。  ところがその心中物が問題になった。奉行所からお達しがあった時、やはり黒雲母摺が引っ掛かったかと重三郎はほぞをかんだが、よく聞くと、その内容がお咎めを喰らったのだ。若い者の心をみだりにかき乱し、風紀を紊乱するとはもっての外、と厳重注意を受け、芝居三座に役桟敷(やくさじき)が置かれることになった。役桟敷とは芝居の内容、舞台衣装等が質素倹約というご改革にふさわしいかどうかを与力や同心が調べる臨検席のことである。  重三郎も売れている道行きの絵の板行を中止し、店頭から引っ込めざるを得なくなった。  都座と河原崎座では九月は文句の出ないようにと「義経千本桜」と「仮名手本忠臣蔵」という二本の名作を上演することになった。これなら大丈夫だろうと重三郎は板行準備を始めたが、そんなある日、「ご店主にお目に掛かりたいというご婦人がお見えになっていますが」と店にいた手代が顔を覗かせた。  表に出てみると、丸髷に絽の着物を着た女性がゆるりと頭を下げた。目を見てすぐに十郎兵衛の妻であることが分かった。 「ご主人がどうかされましたか」 「折り入ってお話がございまして……」  重三郎はまさかと思ったが顔には出さず、「こんな暑い中をわざわざお出でいただかなくても、お知らせいただければこちらから伺いましたものを」  そう言いながら、奥で話をするのはまずいと重三郎は思った。耕書堂で写楽の素性を知っているのは、重三郎以外では下絵を取りに行く番頭だけなのだ。余計な話が他の連中に聞こえてはいけない。  重三郎はとっさに十郎兵衛の妻を近くの鰻屋に連れて行くことに決めた。彼女は遠慮したが、自分が食べたいので付き合って下さいよと押し切った。  二階に上がり、重三郎は鰻丼、彼女は蒲焼きだけを頼んだ。女中が出て行くと、 「ご主人にはご無理を言って仕事をしてもらっており、この蔦重、大いに感謝しております」と重三郎は頭を下げた。 「そのことでお話がございます」 「何でございましょう」 「主人は申楽役者でございます。絵師ではございません。もうそろそろ絵の仕事は打ち切りにしていただきたいのでございます」  来たかと重三郎は思った。 「斎藤様がそのようにおっしゃっておいでなのでしょうか」 「いいえ。主人は魅入られたように絵を描いておりますから、そんなことを言うはずはございません。しかし私には分かるのです。このままでは体を壊し、申楽を演じることさえできなくなると」 「では、しばらく体を休めていただいて、十一月の顔見世興行から再び描いていただく、というのはどうでしょう」 「私は恐いのでございます。蔦屋様の仕事が終わった後でも、他の絵師の役者絵を見ては、ああでもないこうでもないと筆を動かしておりますし、板行された自分の絵を書き直すようなこともしております。あのように絵に打ち込むと、いずれ自分の身分を忘れ、絵師になってしまうのではないかと気が気でないのです」 「いや、その心配はご無用かと。斎藤様の非番の時にしかこちらも仕事をお頼み申しませんから」 「蔦屋様は申楽の世界をご存じないから、そのようなことをおっしゃるのでしょう。斎藤家は代々ワキの家柄でございます。そこに生まれた者は一生ワキを演じなければなりません。決してシテを務めることはできないのです。私には、主人が絵の世界でその無念を晴らしているように見えて仕方がないのです。夜を徹して筆を動かしている後ろ姿を見ておりますと、もうこちら側には帰ってこないような気がして、背筋の凍る思いがするのでございます」  十郎兵衛の妻の目は真剣で、決して嘘偽りのないことが分かる。どう答えたものかと迷っていると女中が注文の品を運んできたので、重三郎はほっと一息ついた。  山椒の香りのする鰻丼を食べ、吸い物をすする。十郎兵衛の妻は蒲焼きを一切れ口に入れた。近頃はこういう店ができて有り難いと言うと、彼女はそうでございますねと微笑んだ。  重三郎は箸を置くと、 「ご内儀が斎藤様の行く末をご案じになる気持ちは痛いほど分かります。ご心配はいりません。たとえ斎藤様が絵師になりたいと申されても、私がそれをお止めいたしますから」 「では、絵の仕事はもう今日を限りと……」 「私が注文を止めればすむことですが、果たしてそれで斎藤様の絵心が鎮まるかどうか。むしろとことん描いてもらって、絵心をなくす方がかえって申楽のお仕事に専念できるのではないでしょうか」 「……主人の体が心配でございます」 「それはこちらで配慮いたしますから」  十郎兵衛の妻は納得しがたい表情を見せたが、よろしくお願いいたしますと丁寧に頭を下げた。  二日後、重三郎は十郎兵衛を料亭百川に呼び出した。困ったことになりましたと一昨日のことを話した。絵心云々のことは言わない。 「妻がそんなことを言いましたか」と十郎兵衛は鷹揚に言った。「確かに私は斎藤の家に生まれ、ワキしか務めることができませんが、ワキはワキで奥の深い役なのです。シテになれない無念さなど入り込む余地はありません。傍(はた)から見たらそのように見えるかもしれませんが。私が絵を描くのは、純粋にそのことが好きだからです。それ以外に理由はありません。もちろん申楽も好きですので、役者を辞めるつもりもありません」 「それを聞いて安心しました。ご内儀が体のことを心配されていましたので、九月十月はお休みいただいて、十一月の顔見世からまたどんと描いてもらうというのはどうでしょう」 「承知いたしました」  これで落着したと思っていたところへ、何日か経って阿波藩から使いがやって来た。聞きたいことがあるから屋敷に来てほしいという留守居役からの手紙である。写楽の正体がばれたかと八丁堀にある屋敷に出向いてみると、果たして中山と名乗る留守居役はそのことを尋ねてきた。 「その方、東洲斎写楽とか申す絵師の役者絵を板行しておるそうな。まことか」 「はい」 「その絵師が我が藩の申楽役者だという噂を耳にしておるが、まことか」  分かっていて尋ねていることは明白だった。しかし、ここはしらを切り通すしかない。 「いいえ」  中山はおやという顔をした。 「違うと申すのか」 「はい」 「嘘を申すな」中山が大声を上げた。「調べはちゃんとついておる。東洲斎写楽は我が藩の申楽役者、斎藤十郎兵衛だとな」 「初耳でございます。東洲斎写楽は元写楽斎という浮世絵師でございまして、上方に修行に行き……」 「もうよい」  中山は手に持った扇子の先でもう一方の掌を二、三度叩いた。 「あくまでもお主がしらを切るというのなら、こちらにも考えがある。もう二度と斎藤十郎兵衛を使うことはできなくなるぞ。それでもいいのか」 「………」 「もしお主がこちらの言うことを認めたら、まだ方法があるぞ」  と申しますと、と思わず言いそうになって、重三郎はあわてて口をつぐんだ。 「わしも頭の固い男ではない。魚心あれば水心というではないか。お主が今まで通り斎藤十郎兵衛を写楽として使いたいのなら、それ相応の手段が要るということだ」 「おっしゃっている意味がよく分かりません。東洲斎写楽は上方で流光斎如圭の門下に入り、修行をして江戸に戻ってきた浮世絵師で……」 「やめい、やめい」中山は扇子を振った。「頑固な男だ。素直に認めてそれ相応の金を払えば見て見ぬ振りをしてやろうと申しておるのに、なぜ分からぬ。そんなことでよく今まで商売をやって来たな」 「これがわたくしのやり方でございます」 「わしにはよく分からんが、どうして申楽役者に絵を描かせようなんぞと思ったのか。本職の絵師に頼めばいいではないか」 「東洲斎写楽は本職の絵師でございます」 「まだ言うか。斎藤十郎兵衛が士分格であるのは分かっておろう。その士分の者が浮世絵の中でも役者絵などという下賤のものに手を出したらどうなるのか。藩が笑いものになるのは明白である。それを目をつぶってやろうと言っておるのだ。これは取引だぞ」 「何のことでございましょうか」 「もうよい。話はここまでだ。いいか、斎藤十郎兵衛には二度と絵は描かせない。分かったらさっさと帰れ」  下屋敷から辞する時、重三郎はもう十郎兵衛に仕事を頼まないと決めていた。あの男に金を出すのは簡単だが、写楽の正体をばらすような取引は死んでもできない。それに、士分にあぐらを掻いて自分では何もせず、日々もがいている町人から金をむしり取ろうとする輩にはびた一文払う気はなかった。  もとより重三郎には十郎兵衛を使わなくてもやっていけるという成算があった。与七を使うのである。  あれから与七には工房で手伝いをさせているが、滲み止めのためのドーサ引きなどの下働きにも文句一つ言うことなく黙々とこなし、時には草双紙の挿絵なども描かせている。職人たちの評判もいい。十郎兵衛から写生帖や下絵をすべて譲り受けて、与七に真似をさせれば、後は彫師たちが何とかしてくれるはず。  次の日、早速重三郎は十郎兵衛を再び百川に呼び出した。中山とのやりとりを話すと、「そういうことでしたか」と彼は唇を噛んで厳しい表情になった。 「実は昨日急に呼び出されて、阿波に行くように命じられました」 「また、どうして」 「しばらく向こうで後進の指導に当たれと」 「なるほど。もっともらしい理屈をつけて江戸から追っ払うというわけか」  重三郎は中山の自信たっぷりの顔を思い出した。 「それで写楽をどうするかということですが」重三郎は冷めた酒を一口飲んだ。「斎藤様には手を引いていただいて、後はこちらですべて行うことにいたします」 「それでいいのですか」 「斎藤様の描いた写生帖とか下絵をすべて渡していただければ何とかなります」 「東洲斎写楽の絵を続けるということですか」 「そうです。いけませんか」  十郎兵衛は視線を落とし、口をつぐんだ。 「写楽の名前は江戸中に知れ渡っていますので、これを使わない手はありません。ただし東洲斎を外して写楽だけにいたします。描くのは別人、しかし買う方は同じ人物だと思う。いかがでしょう」  十郎兵衛の口許にふっと笑いが浮かんだ。 「私の絵は誰にでも真似のできるものだったんですね」 「斎藤様、それは自嘲が過ぎるというものです。真似をすると言っても斎藤様のお描きになった絵を手本にしなければならないのですから」 「分かりました。すべてをお渡しいたします。それで私は東洲斎写楽から斎藤十郎兵衛に戻ることにいたします。家内もさぞかしほっとすることでしょう」 「よかった。これで斎藤様は写楽ではなくなり、お咎めを受けることもない」  重三郎は銚子を手にして、十郎兵衛の杯に酒を注いだ。彼はそれを一気にあおった。 「思えばこの四ヵ月間、それこそ夢の中におったような心地です。自分の描いた絵が板行されるなどとは夢にも思わなかったのが、実際に目の前に積み上げられているのを見た時、不思議な気持ちがいたしました。自分が描いたのに、自分ではない他人が描いたような気持ち。何かが乗り移っていたのかも知れません。嬉しいというか何というか。こんな高揚した気持ちを味わえたのは、蔦重さんのお蔭です。御礼を申し上げます」十郎兵衛が頭を下げた。「夢はいつかは覚めるもの。今はさっぱりとした清々しい気持ちです」  十郎兵衛から貰い受けた写生帖や下絵を元に、与七に写楽の筆致を学ぶように練習させた。その成果を試すために十月二十日の恵比寿講で恵比寿絵を売り出すことに決め、与七に下絵を描かせた。十郎兵衛ならもう少しあくの強い絵を描くだろうと思いながらも、それを写楽の絵として板行することにした。  その売り出しの前日になって、二代目市川門之助が死んだという知らせが舞い込んできた。これだと重三郎は思った。門之助の追善絵を描かせたら、与七が写楽になれるかどうかが分かる。重三郎は勝川春章、春英の描いた「暫(しばらく)」の絵を参考として渡し、描かせてみた。  出来上がった下絵は間判(あいばん)の二枚組で、一方にはすでに鬼籍に入っている二代目中島三甫右衛門(みほえもん)の閻魔とそれに捕まっている女形の初代中村富十郎が、もう一方は女形を助けようとやって来る門之助が描かれている。門之助に踏みつけられたり、右手に掴まえられている鬼たちの姿は情けない表情で、それに比べて隈取を施した門之助の顔は端整に描かれている。これなら何とか写楽だと見てもらえるだろうと重三郎は一息ついた。  しかし貞吉が文句を言ってきた。 「蔦重さんよ。与七に写楽の真似をさせようったって、そりゃ無理というもんだ。写楽丸はもうそろそろお仕舞いにしたらどうです」  貞吉はそう言って手に持った追善絵の下絵をひらひらさせた。 「その無理を道理に変えるのがお前さんの腕だろう」 貞吉の顔に苦笑いが浮かんだ。 「いくら俺の腕でも、無理なものは無理だ」 「そう言わずに頼むからやってくれ」重三郎は片手で拝む真似をした。「十一月の顔見世興行で勝負する。それで駄目なら写楽は諦める」 「分かりましたよ。どうしてもって言うんなら、もうちょい頑張りますけどね」  恵比寿絵も追善絵も大して売れなかった。番頭や手代もそれとなく、本職の絵師に頼んで新規に役者絵を出したらどうかと提案してきた。豊国の「役者舞台之姿絵」が飛ぶように売れているのだ。 「では聞くが、豊国に対抗できる絵師の名前を挙げて見ろ」  重三郎がそう言うと、二人は口をつぐんでしまった。  顔見世が始まり、三座合わせて細判の姿絵四十七枚という大量の役者絵を板行した。与七ひとりでは下絵が間に合わないので、彫師や摺師も動員し、密かに取り寄せた演目の絵本番付や舞台の絵組を参考に、それまでの写楽の絵を切り貼りして下絵を作らせた。  姿絵の販売がはかばかしくないとみるや、重三郎は自粛していた大首絵の板行に踏み切った。人気役者に的を絞った十一枚である。ただし、奉行所を刺激しないように、大きさは大判より一回り小さい間判にし、黒雲母摺を採用するのは控えて背景を黄潰しにした。画号も最初は「写楽」で統一しようと考えていたが、東洲斎写楽と同一であることを印象づけるため、一部にその名前を残した。  しかし重三郎の意気込みも空しく、写楽の絵は売れず在庫となって積み上がった。  なぜだ、重三郎は頭を抱えた。姿絵は豊国に負けるとしても五月にあれほど売れた大首絵が今回さっぱりなのは。  本所回向院で勧進相撲が行われ、七歳で体重十九貫(約七十一キロ)もある大童山文五郎が人気を呼んでいると知るや、与七に写生に行かせ、板行した。なりふり構わなかった。しかし、それも売れなかった。  貞吉が暇(いとま)を乞いに来た。 「頼む。正月興行も写楽で行きたいので、それまでおってくれ」 「蔦重さんよ、潔く負けを認めたらどうだい。人の目は節穴じゃないぜ。いくら似せたって写楽じゃないことは見透かされていたんだよ」 「だったらもう一度何とかして写楽を呼んでくる。それでどうだ」  貞吉は溜息をついた。 「俺が思うに、写楽が戻ってきても絵は売れないよ。写楽は時分の花だ。そっとしておくのが親心ってもんだ」  貞吉は自分の道具をすべて銀次にくれてやると、伊那に帰って畑を耕すと言って去って行った。  借金の返済が滞り、担保の版木が取られてしまった。重三郎は別の版木を大坂の書肆に売り、正月興行の板行の資金に充てたが、顔を彫る彫師が銀次一人になったせいもあって細判十枚が精一杯だった。それも細々と売れただけだった。  二月になって写楽丸の看板を下ろす時が来た。重三郎は工房に行き、写楽丸と書かれた紙を壁から剥がした。 「蔦重の旦那」と銀次が声を掛けてきた。「しっかりしてくださいよ。こんなことでへこたれる蔦重じゃないでしょ」  その時、心臓がぎゅっと締め付けられた。重三郎は胸に手を当てて倒れ込んだ。銀次が駆けよってくる。 「旦那、旦那……」  脚気の発作だった。  女房のお春は一言の文句も言わずに看病してくれた。娘の美緒が取り乱し、「おとっつぁん、死んじゃいやだ」と夜着に突っ伏して泣いた。  床に臥せっていると、歌麿がやって来た。 「お加減はいかがです」 「この通りだ」 「無理が祟ったんでしょう。しばらくのんびりとしたらいいですよ」 「そうはいかん。店が潰れてしまう」 「だったら私が何か描きましょうか」 「おや、うちの仕事をしてくれるのかい」 「写楽がいなくなりましたからね」 「よっぽど写楽が嫌いだったと見える」 「別に。あんな絵師、眼中にありませんよ」  重三郎はくすくすと笑った。 「何かおかしなことを言いましたか」 「……いや、お前も写楽の凄さに気づいていたと思ってな」  歌麿が口許に笑いを浮かべた。 「誰があんな絵、凄いと思いますか」  二年後の寛政九年(一七九七)五月六日、蔦屋重三郎歿。享年四十七。  十一年後の文化三年(一八〇六)九月二〇日、喜多川歌麿歿。享年五十三。  二十五年後の文政三年(一八二〇)三月七日、斎藤十郎兵衛歿。享年五十八。  貞吉、銀次の歿年は不詳である。  百十五年後、ドイツの美術研究家ユリウス・クルトの書いた『Sharaku』によって、昏い海底に沈んでいた写楽丸が再び浮上し、風を受けて走り出すのである。