立川平吉の日記から                 津木林洋 四月十九日  夕食後、女房が妊娠を告げた。医者に診てもらったら、十週目に入っていると言われたそうだ。 「どうする」と女房が訊く。 「どうするって、産むのに決まってるやろ」 「大丈夫?」 「二人も三人も同じことやろ」 「ああ、よかった」  健司と直美を呼んで、妊娠のことを伝える。健司は「ええー」と嫌そうな声を上げたが、直美は「やったあ」と喜んだ。 「男の子? 女の子?」と女房に尋ねる。 「そんなこと、まだわからないわよ」 「私、妹が欲しいわ。二人で組んで、お兄ちゃんに対抗したんねん」  健司は興味がないのかテレビの前に戻っていった。 「お前、パートの仕事辞めた方がええのんとちゃうか」 「まだ大丈夫よ。お腹が目立ってきたら辞めるから」 「そんなもんか」 「二回も経験してるから、任せといて」 「そんなこと言うても、八年前のことやろ。忘れてんのとちゃうか」 「忘れるもんですか」  寝る前に女房と二人で、梅酒で祝杯を上げた。 四月二十日  朝、女房に叩き起こされる。目覚まし時計を見ると、まだ六時半だ。 「早過ぎるやないか」と私はもう一度蒲団を被ったが、女房が「大変なのよ」とまた起こしに来る。 「何が大変や」 「さっきからテレビで原発事故のことをずっとやってるのよ」  私はパジャマのまま起き出して、テレビを見た。若狭湾の美浜原発で事故があったらしいが、詳しいことは不明だった。そう言えば、昨夜のテレビで同じようなニュースが流れていたことを思い出した。放射能漏れがあったけれども、環境への影響はないというような話だった。それが何故朝っぱらからどのテレビ局でも取り上げているのか。  しばらく見ていると、事情が飲み込めてきた。電力会社や政府からはただいま調査中と言うことで一切の説明がなかったが、どうやら原子炉内部で爆発があったようなのだ。原発の近くに住んでいる人が爆発音を聞いたとか、民間の団体の設置している放射能測定装置の数値が異常に高い値を示したとか、そういった噂をテレビ局が嗅ぎつけているらしかった。 「本当のところはどうなのかしら」 「いずれはっきりするやろ。本当に事故があったら、いつまでも隠しおおされへんやろ」 「大阪は大丈夫でしょうね」 「当たり前や。あそこからここまで百キロは離れてるやろ。大阪が影響を受けるような事故やったら、それこそ一大事や」  テレビ画面では地元テレビ局のレポーターが原発に通じる県道で警察の通行止めに遭っていた。テレビカメラは原発の姿を捉えようとしていたが、山に隠れて全く見えなかった。かなり手前で通行止めをしているようだった。レポーターはハンディタイプの放射能計を持っており、その数値が平常よりかなり高いことを伝えた。テレビカメラが近づいて放射能計を映す。ピーという音がして、針が殆ど振り切れている。  スタジオの司会者が、防護服を着なくても大丈夫かと問い掛ける。レポーターは、このくらいならまだ大丈夫だそうです、現にここに居られる警察官の方々もこのように普通の制服姿ですしと答える。カメラは警察官を捉える。通行止めの柵の手前で、二人の警官が無表情に立っている。  何でヘリコプターを使って空から原発を映せへんのやろと思っていたら、司会者が、空撮は安全が確認されるまで自粛して欲しいと警察から要請を受けていることを告げた。  子供たちが起きてきた。私と女房が何を熱心に見ているか興味を示したが、原発事故だとわかると途端に興味をなくし、二人とも時間がないと言いながら朝食を食べた。  子供たちが学校に行ってから、私もマンションを出る。駐車場の車に乗り込んで早速ラジオをつけたが、テレビと違ってラジオではどこも原発のニュースをやっていなかった。  会社ではさすがに原発事故の話題で持ちきりだった。部下の日下は、「私が原発の周辺に住んでいたら、とっくに避難してますね」と言う。スリーマイルでもチェルノブイリでも政府から避難勧告が出たときには、放射能を被った後でしたからねと付け加えた。 「やけに詳しいな」 「いやあ、両親が福井に住んでましてね。チェルノブイリの時に気になって、いろいろと本を読んだんですわ」 「福井は大丈夫?」 「まだ大丈夫やと思いますけどね」  午前中は得意先回りをしたが、どこでも原発の話は世間話の域を出なかった。  雲行きがおかしくなってきたのは、七時過ぎに家に帰った頃からだった。夕刊には一面のトップで、美浜原発で爆発があった模様と報じられていて、朝のテレビと似たような記事だったが、テレビのニュース番組では時間が延長され、自衛隊が周辺の警護に当たっている様子が映されていた。しかも全員白い放射能防護服のような物を着ている。それに対する説明はなく、政府からも電力会社からも事故の詳細は調査中というコメントしかなかった。 「どうしてわかったことだけでも発表しないのかしら」  と女房が言う。 「結構でっかい事故とちゃうかな。パニックを警戒して発表せえへんのやろ」  テレビでは専門家が事故の想定をやっていた。それによると一次冷却水のパイプが破断して冷却水が大量に漏れて、しかも緊急炉心冷却装置が充分に働かず水素が発生して水素爆発を起こしたのではないかということだった。怖いのは炉心を冷却することができずにメルトダウン(炉心溶融)を引き起こすことらしかった。もしそうなって原子炉が破壊されたりしたら、大量の放射能が大気中に放出されて被害は広範囲に渡ると専門家は指摘した。どのくらいの規模にとアナウンサーが訊いたが、専門家にも明確にはわからないようだった。  避難の方法など実際的なことを報道しないのは、いたずらに不安感を煽らないようにと圧力が掛かっているのではないかという気がした。 四月二十一日  朝、会社に行くと、日下が休みを取っていた。福井の両親を迎えに行ったらしい。  昼のテレビで、事故のあった原発の周囲十キロ以内の住民に避難勧告が出たことが臨時ニュースとして流れた。同時に政府からの発表として、美浜原発で小規模な爆発があり、職員二名が死亡、高濃度の放射能が一時間に渡って外部に漏れたと報じられた。死者が出たとわかると、部長を含めテレビを見ていた全員から、ほうという声が漏れた。現地のレポーターは誰もが放射能測定器を持っており、そのピーピーという音がうるさく流れた。平常値の百倍を越えていますと針の動きを見ながらレポーターは叫ぶが、彼自身普通の恰好で別に心配しているようには見えない。  夕刊には昨日に続いて一面トップに原発事故の記事が載り、テレビのニュースも時間を延長して原発関連の報道をした。その中には避難する方法も具体的に示されていた。避難時の服装や避難する方向、交通手段など。その中で気になったのは、胎児は放射能の影響を非常に受けやすいので妊婦はなるべく早く避難する方がいいという項目だった。 「ここまで影響あるかしら」と女房が言う。 「もしあるんやったら、ニュースで何か言うやろ」  言いながら私は少し不安になった。 四月二十二日  日下が出勤していた。福井にも自衛隊の姿があったと彼は言った。 「これは予想以上に大変な事故ですよ」と彼は声をひそめた。「噂によると、死者も報道されている数字とは一桁違うらしいんですよ」 「ほんまか」 「公式発表なんか信用できないですよ。本当のことを発表したら、それこそ大パニックになるから、どうしても控えめになりますよ」 「しかし公式発表以外我々としたら知りようがないやろ」 「インターネットですよ。原発を監視する会がホームページを作ってましてね、僕はそこにアクセスして、これはどうもやばそうだから両親をこっちに連れてきたんです。そのホームページには放射能測定器の数値が平常の一万倍に達したという記事も載ってましたからね」 「一万倍!?」 「チェルノブイリ並ですよね」 「チェルノブイリではどのくらいの住民までが避難したんや」 「確か三十キロ以内は全員避難したと思いますわ。その他にホットスポットと言って、高い放射能の塵が落ちてきたところも避難の対象になったんですわ。百キロを超えたところでもホットスポットが見つかってますけどね」 「そうすると、大阪も可能性があるわけか」 「チェルノブイリ級の事故やったら可能性がありますね」 「そうなったらお前どうするつもりや」 「どうもこうも避難するしかないでしょう」 「どこへ避難する」 「九州に親戚がいますから、取り敢えずそこへ逃げますか」  夜のニュースでは、年寄たちがぞろぞろとバスに乗込んでいる様子や、十キロ圏内から避難した人々が小学校や公民館に蒲団を敷いて寝そべっている姿が映し出されていた。安全確認のための避難で、一週間もしたら家に帰ることができるという政府からの発表が何度も流れた。日下の言った死者の数が二桁になったというニュースはどこにも流れなかった。報道陣も十キロ圏内には入れず、放射能計を持ったレポーターが避難してきた人々にマイクを向ける映像だけが流れた。画面を見る限り原発事故を取材しているとはとても思えなかった。 「人が死んだっていうけど、そんなに大した事故じゃないみたい」と女房が言う。 「そうやな」  日下は大袈裟すぎるんやないかと私は思った。日下の言っていることと、現実がうまく結びつかない。 四月二十三日  朝早く、女房に起こされる。停電だと言う。 「ブレーカーは別に落ちてないみたいだけど、もう一度見て」と言われ、私はパジャマのまま玄関に行く。ブレーカーはどれも正常だ。 「うちとこだけやないやろ」私は窓から隣の棟を覗くが、すでに陽が昇っているので電気が点いているのかいないのかはっきりしない。  台所に行くと、「水が出ない」と女房が騒いでいる。 「それやったら、この辺一帯停電いうことや」 「どうして停電で断水になるの」 「ポンプのモーターが止まってるからに決まってるやろ」 「何とかしてよ」 「何ともならん」  私は風呂の残り湯で顔を洗い、新聞を取ってきた。一面は相変わらず原発事故関連の記事だったが、どこにも停電に関する報道はなかった。 「どのくらい続くのかしら」 「さあ、わからん」  テレビが点かないから時間がわからず、目覚まし時計を持ってきてテーブルに置いた。いくら朝とは言っても灯りが点かないから部屋の中が暗く、新聞を読み続ける気がなくなった。  直美が起きてきて洗面所に入ったが、蛍光灯が点かないし、水も出ないと騒ぎ出した。 「お風呂の水で洗いなさい」女房が怒鳴る。 「いやだあ」と直美の声。 「じゃあ、勝手にしなさい」  健司が眠そうな顔で居間に入ってきた。テレビのリモコンを取り、スイッチを入れる。 「停電やから映れへんぞ」 「停電?」  健司は何度もスイッチを押してテレビがうんともすんとも言わないことを確認すると、「へえ、停電か」と天井の蛍光灯を見上げた。 「何で蛍光灯も点けんと暗いところに居てるんかと思うたら、停電なんか」  直美も「停電やのん」と言いながら入ってくる。二人とも停電に感心しているような表情だった。そう言えば生まれてこの方この二人は停電を経験したことがないことに気づいた。私の子供の頃は雷が鳴ったりすると、たまに停電になってロウソクの明かりで食事などをしたものだが。いつ頃からだろう、これと言った停電を経験しなくなったのは。 「原発の事故と関係あるのかしら」 「さあ、わからん」 「電力会社に電話してみてよ。この停電がいつまで続くのか」 「俺がか。もうちょっと待ったら、直るやろ」  女房が沈黙する。機嫌の悪い沈黙の仕方なので、私は電話のところに行き、電話帳で番号を調べて電力会社のサービスセンターに電話をする。しかし話し中だった。リダイアルボタンを何回か押して掛け直したが、いずれも話し中だった。 「考えることは誰も一緒や。話し中でつながらんわ」 「パートに出る前に洗濯しようと思ってたのに、電気も水もなければお手上げだわ」  女房は朝食を作る気をすっかりなくしていたので、食パンと牛乳とヨーグルトという火を通さない食事をして、子供たちと私は家を出た。  車に乗り込んで、まずラジオをつけた。しかし放送が入らない。ザーザーという雑音が流れるだけだ。私はチューナーダイヤルを回してみたが、ローカル局はどこも入らなかった。海外の局がやけに鮮明に聞こえる。私はダイヤルを右に左に回しながら、胸がどきどきするのを感じていた。ラジオ局にも電気が来ないほどの大規模な停電なんやと思ったからだった。  私は車を動かし、マンションの駐車場から出ようとしたが、前に車が詰まっていた。しばらく待っても動きそうもないので、外に出て様子を見に行った。ゲートのところに人が集まっている。どうやらゲートのチェーンが下りないらしい。  管理人がやってきて、「補助電源が切れたから、ゲートはもう使えません。裏の車止めのポールを外しますから、そちらから出て下さい」と叫ぶ。  ようやくのことでマンションを出たが、信号がどれも消えているから、運転しにくいことはなはだしい。それにいつもより交通量が多くて、普段は渋滞などしないところでも車が詰まっていた。どうやら電車も地下鉄も動いていないようだった。大きな道路が交差するところでは、別方向に行こうとする車が絡み合って大渋滞を起こしている。私はなるべく渋滞に巻き込まれないようにいつも通るコースは無視して、脇道を選んでいった。  そうやって一時間遅れて会社に着いたのだが、半数以上はまだ出勤していなかった。徒歩や自転車で来ている者も多かった。社内は廊下に非常用の灯りが点いているだけで暗く、いつも点きっぱなしになっているコンピュータの画面も消えて、OLたちは明かりの入ってくる窓際に集まっておしゃべりをしていた。 「きょうは開店休業ですね」そう言いながら日下が近づいてきた。 「この停電、原発事故と関係あるんやろか」 「さあ、何とも言えませんね」 「インターネットで調べられへんか」 「停電でコンピュータが動きませんから、お手上げですわ」 「誰か携帯のコンピュータを持ってないかな」 「それよりもテレビですよ」  会社のテレビは携帯ではないからもちろん映らない。  そのうち出勤してきた一人が携帯テレビを持っていて、私も日下も彼の周りに集まったが、どのチャンネルも白い画面のまま雑音が流れるだけだった。ラジオと同様にテレビ局も機能していなかった。 「おーい、誰か」と部長がOLたちに声をかけた。「電力会社に電話して、この停電がいつまで続くか訊いてみてくれ」  OLの一人が受話器を取り上げたが、プッシュボタンを押そうとはしない。 「部長、電話が通じません」 「嘘だろう」部長は近くの受話器を取り上げて、しばらく耳に押し当てていたが、「こら、あかんわ。電話まで止まってしまったら、商売上がったりや」  とにかく得意先回りだけはしようということで、営業の人間は外に出た。日下がガソリンを入れるというので、私も一緒についていった。  しかしガソリンスタンドには人がおらず、車を乗り入れると、建物の中から店長が出てきた。 「ガソリンですか。申し訳ないんですが、この停電でモーターが動かないから入れられないんですよ」 「手で入れられないの?」と日下が訊く。 「タンクは地下に埋めてあるんで、無理なんですわ」  日下は得意先回りは止めると言う。途中でガス欠になったら、戻って来られないからだ。私の方はまだ余裕があったので、そのまま出掛けた。  だが、最初の得意先はシャッターを下ろしたままだった。事務所に入っていくと、社長一人だけが暗い中で眼鏡を掛けて新聞を読んでいた。 「おはようございます。社長、どうしたんですか」 「おお、立川君か。どうもこうもないわ。電気は来ん、水は来ん、おまけに電話までストップや。これで仕事せえ言うほうが無理やろ」  食品製造会社で水が来なければどうしようもないのは、私でもわかる。近くから来ている従業員には自宅待機をさせているということだった。 「それじゃあ、私の方もこれで」と立ち去ろうとしたが、「せっかく来てもうてんから、注文だけしとこか」と社長は立ち上がった。  私は社長と一緒に倉庫に行き、窓からの明かりを頼りに在庫の少なくなっている食材を見て、注文を受けた。 「きょう受けた注文は停電が直ってコンピュータが動き出してからでないと、発注できないんですわ。それでもよろしいですか」 「かめへん、かめへん。どうせうちとこも停電が直らんことには動きがとれんのやから」  他に四カ所を回ったが、どこも操業をしておらず、注文を受けることもなく挨拶だけで終わってしまった。  昼過ぎに会社に帰ってくると、OLたちが昼ご飯をどうしようかと騒いでいた。近所の食堂はすべて閉まっているし、コンビニエンスストアも「停電につき、営業休止中」という張り紙を出して閉店していると言う。  きょうは会社を休みにしましょうよと彼女たちが言い出し、どうしようかと部長たちと話し合っていたら、いきなり蛍光灯が点いた。コンピュータも動き出す。やれやれという声がみんなから漏れた。  早速テレビをつけて、どうしてこんなひどい停電になったのか知ろうとしたが、民放は「もうしばらくお待ち下さい」という画面が映るだけだった。NHKだけがスタジオを映しており、アナウンサーが一人で横から差し出される原稿を読んでいた。停電のことなど全く触れられず、ニュースはもっぱら原発周辺からの避難のことだった。十キロどころか三十キロ圏の住民にも避難勧告が出されていた。 「一体、何があったんやろ」と私が呟くと、「これはとんでもない事故ですよ」と日下が興奮した声を出した。 「どんな事故や」  日下はそれには答えず、「部長、私、早退しますわ」と言うと、出口に向かった。 「おーい、勝手なことするな」と部長は呼び止めたが、日下はそのまま出ていってしまった。 「どうなってるんや」 「さあ」  そのうち民放もスタジオが映り始め、アナウンサーと原発の専門家たちが並んで話し合っていた。事故を起こした原発周辺には報道陣は一切立ち入ることができず、何が起こったかは政府の発表する断片的な情報から類推するしかないとアナウンサーは繰り返し述べた。  今まででわかっていることと言えば、美浜原発三号炉で爆発事故があり、かなりの放射能が周辺に撒き散らされたということと、それによる影響で美浜の他の原発や敦賀、大飯の原発も操業停止に追い込まれたということだった。停電はそのためらしかった。ただ今のところは他の電力会社から電気の供給を受けているから、もう一度大停電になることはあり得ないということだった。  専門家は他の原発が操業停止に追い込まれたことを問題にしていた。「少々の事故では、そういうふうにはならない」と一人が言うと、「メルトダウンが起こったか、あるいは起こりそうになったので、職員が逃げ出したとも考えられますね」ともう一人が答えた。  未確認情報によると、美浜町の住民百人ほどが放射能急性障害で死亡したらしい。  テレビを見ているうちに、日下の言った「とんでもない事故」というのが、実感として迫ってきた。 「部長、どうしましょう」 「何や、立川君までびびっとんのかいな。ここは大阪やで。あそこからどれだけ離れてると思うてんのや」  部長にチェルノブイリの話をしても無駄なので黙っていたが、私も日下のように何か気がせく気持ちを抑えられなかった。  それでも取り敢えず五時半まで仕事をし、帰宅した。夕刊には大きな見出しで「炉心溶融か?」という文字が踊っていた。私は隅から隅まで注意深く読んだ。政府からの情報は依然として断片的で、確定的なものはどこにもなかったが、きょうの未明、事故を起こした原発付近で、火柱が上がるのを目撃した住民がいたという記事が気になった。 「大変なことになってきたわね」と女房が言った。 「ひょっとしたら、逃げなきゃならんかもしれん」 「まさか」 「大人はええけど、一番危ないのは胎児なんや。その次ぎに子供」  女房はお腹を押さえた。  子供たちはテレビのチャンネルを次々に切り替えて、どこも原発事故の報道番組をやっていることに不満を漏らした。  私は日下に電話をした。彼だったら、インターネットから何か情報を掴んでいるかもしれないと思ったのだ。  出てきたのは日下の父親で、すぐに彼に代わってもらった。 「ちょうどインターネットにアクセスしてたところですわ」 「それで何かわかったか」 「それがね、原発周辺で監視している住民からのアクセスが今朝から全くないらしくて、確かな情報が入ってこないんですわ」  私は新聞で読んだ火柱の話をした。 「ああ、それはインターネットで私も読みました。たぶんメルトダウンになって、水素爆発か水蒸気爆発を起こしたんじゃないか思うんですわ」 「どうしたらいい」 「私は明日両親を連れて、九州の親戚のところに避難する予定ですが」 「え?」 「取り敢えず有休を全部使うとファックスで会社には知らせておきましたけど」 「そんなにひどいんか」 「原発事故関連のサイトには天気図もありましてね、今のところ原発からは南向きの風が吹いているんですよ。もしか放射能の雲がそれに乗ってきたら大量の放射能を浴びることにもなりかねないし、ひょっとしたらもうすでに通り過ぎている可能性もありますしね。逃げるに越したことはありませんわ」 「うちの女房、妊娠してんねんけど、やっぱり逃げたほうがええかな」 「奥さん、妊娠ですか。それやったら一刻も早く逃げるべきですわ。明日と言わずに、今からすぐにでも逃げた方が無難ですよ」 「そうか。わかった」 「会社の方にはよろしく言うといて下さい」  受話器を置くと、私は溜息をついた。逃げるとして、どこへ逃げるか。私は数少ない親戚を一つひとつ思い浮かべた。東に逃げるべきか、西か。しかし東はむしろ原発に近づくので危険だろう。  西には山口に遠い親戚がいた。もう何年も会ったことがない。しかし他には頼るところがない。 「うちとこも避難しょうか」と女房に言ってみた。 「どこへ逃げるの」 「山口はどうや」 「山口って、誰がいてるの」 「ほら、佐々木の叔母さんのお義姉さんの息子。小西達夫いうて確か六年前の親父の葬式の時に誰かの代理で顔を見せたやろ」 「そんな殆ど知らない人のとこへなんか行きたくないわ」 「そんなこと言うても、他に行くとこないやろ」 「私の実家に行ったらいいやんか」 「名古屋なんて、大阪より危ないやないか。避難することにはなれへんわ」 「だったら私は行かない。第一、避難勧告が出てるのは、三〇キロの範囲だけなのよ。もう少し様子を見ましょうよ」  結局女房に押し切られ、明日まで様子を見ることにした。私は新聞に書かれてある通り、外気が入ってこないようにガムテープでドアの隙間や郵便受け、窓枠の周り、通気孔、トイレと風呂場の換気口、台所のレンジフードを塞いだ。そして子供たちを早く風呂に入らせ、浴槽と全ての鍋、それに洗濯機にまで水を溜めた。  女房は名古屋の実家に電話をした。長兄が跡を継いでおり、別に慌てている様子はなかったという。政府の避難勧告が出たら考えるということらしかった。  午前零時近くまでテレビをつけっぱなしにして、情報を求めたが、大阪はおろか京都や大津でさえ避難勧告は出なかった。三〇キロ圏の避難勧告にしても、出たというニュースは流れたが、実際に避難している人々の姿はテレビには映らなかった。昨日までは体育館などに避難している人の姿が映っていたのだが。 四月二十四日  朝、朝刊を取りにいったが、郵便受けはガムテープで封をされているので、新聞は入っていない。表に置いてあるのではないかとガムテープをはがしてドアを開けて見たが、何もなかった。配達所に電話をした方がいいかなと思いながらテレビをつけて、びっくりした。「放射能雲すでに通過か?」というテロップが流れたのだ。  女房に声を掛けて一緒に見た。どこを通過したのか。アナウンサーは隣の専門家としゃべっていて、なかなか肝腎なことを言わない。ようやく地図の書かれたボードを立てて、放射能雲の通過場所を指し示した。それを見て、私は愕然とした。京都、奈良、大阪の順で矢印が書かれていたのだ。各地の放射能モニターが通常の十万倍以上の数値を記録したという。私は急いで玄関に行き、ドアの周りにガムテープを貼り直した。  大阪では午前一時過ぎに新聞社の保有していた放射能モニターが通常の十万倍以上の数値を記録したという。各地のモニターの数値によると、放射能雲は京都から奈良に向かい、そこで風向きが変わったのか、生駒山を越えて大阪に入ったらしかった。  朝刊が配達されなかった理由が飲み込めた。忘れたのではなく、出来なかったのだ。 「やっぱり夕べ逃げとくべきやったな」 「なぜ今頃になってこんな情報が出てくるの。昨日まで放射能雲の話なんかこれっぽっちもなかったのに」  女房が怒っている。 「日下の言うとおり、原発事故に関してはマスメディアの情報なんて何の役にも立たんと言うことや」 「これからどうするの」 「とにかく逃げよう。大阪は危ない」 「でも、放射能雲が戻ってくるかもしれないから、むやみに外に出ない方がいいって言ってるわよ」 「それはパニック防止のためや」  山口に避難することにし、その前に小西達夫に電話で了解を取る必要があった。しかし彼の電話番号を知らない。私は堺の公団住宅に一人で住んでいる母親に電話をした。 「はい、立川でございます」母親の声は普段と変わりがなかった。 「ああ、俺やけど、そっちはどんな具合」 「平吉かいな。こんな朝から電話やなんて珍しいことがあるもんやな」 「放射能騒ぎで、そっちも大変やろ」 「テレビで何か言うてるけど、別に変わりあれへんよ」  堺の方は大丈夫だったのだろうか。もしそうなら、心配事がひとつ減ることになるのだが。 「お母さん、山口の小西達夫て知ってるやろ」 「ええ、知ってますとも」 「そこの電話番号、わかる?」 「電話番号? ちょっと待ってや」  しばらくして、母は数字を棒読みし、私はそれをメモした。 「山口に何ぞ用なんか」 「いやあ、実は、女房と子供たちを山口に避難させようと思うて。放射能が心配やから」 「何やて。何でそんな遠いところまで行かなあかんの。そこが危ないんやったら、ここに来たらどうやのん。四人くらいなんとでもなります」 「いやあ、多分堺も危険やと思うわ。実は女房が妊娠してて……」 「え、妙子さん、赤ちゃん出来たん。ちっとも知らなかったわ」 「いや、ちょっと前にわかったばっかりやったから。それでお腹の赤ちゃんに放射能はちょっとでも悪いんや。だから放射能の全然ないとこへ連れていった方が安全やから」 「そりゃ、お腹の子供にとったらその方がええやろね。わかりました。そやけど、お前は大阪に戻ってくるのやろ」 「仕事もあるし、戻るな言われても戻ってくるわ」 「それを聞いて安心したわ」 「そやけど、避難勧告が出たら、お母さんも山口へ逃げなあかんで」 「私はどこへも行けへんわ。この歳になって、知らん土地で暮らすのなんて真っ平やわ」  私は思わず笑ってしまった。 「私の方からも山口に電話をして、よろしく言うとくわ」 「頼んます」 「それから妙子さんに替わって」  私は女房を呼んで「お袋が話があるて」と受話器を手渡した。女房は、すいませんとかありがとうございますなどと言って、小さく頷いたりした。  女房が受話器を置くと、すぐに私は山口の小西達夫に電話をし、放射能が弱まるまでしばらく厄介になってもいいか尋ねてみた。達夫は事情が事情だからと快く引き受けてくれた。  私は妻と脱出準備に取り掛かった。しかし新聞に書かれてあった避難準備だけでは心許ないので、日下のところに電話をした。  呼び出し音が長く続いて、もう既に脱出したのかと思ったが、受話器を置こうとしたら相手が出た。日下だった。 「いてくれて助かったわ。ひょっとしたらもう出た後かと思うたんやけど」 「いやあ、昨日のうちに出発しといたらと後悔してるんですわ」 「それはお互い様や」 「あれ、立川さんもまだ逃げてないんですか」 「避難先をどこにするかで女房と揉めて、まだ家にいてるんや」 「奥さん、妊娠何ヶ月ですか」 「確か二ヶ月ちょっとやと思うけど、それがどうかしたか」 「いちばん危ない時機ですよね。なるべくなら放射能を浴びない方がいいんですけどね」 「もう避難するには遅いということ?」 「うーん……」 「どうしたらええと思う。いつまでもここに留まっているわけにはいかんやろ」 「そうですね。いずれ放射能に汚染された水とか食料を摂らなければなりませんから、体内被爆は避けられませんしね」  日下のはっきりとこうしろと言いたくない気持ちはよくわかった。どうすれば一番良いかという判断など誰にもできないのだ。 「わかった。今から脱出するわ。それでなるべく放射能を浴びないためにどうしたらいいか教えてくれ」 「まず濡れタオルを重ねてマスクにして下さい。それから服装は長袖、長ズボン、手袋をして、袖口と裾はガムテープでぐるぐる巻きにして下さい。帽子があればそれも被ること。要するに、なるべく空気に直接触れないようにするわけです。水中眼鏡があったら、つけた方がいいですよ。それに普通の靴よりも長靴の方がいいでしょうね。車で逃げはるんやったら、まず水で洗って放射能の塵を落としてからの方がいいと思いますよ。ああ、それから、もし雨が降ってきたら絶対に濡れないようにして雨宿りして下さい。水たまりにも入らないように。放射能が強いですからね。もし濡れた場合は直ちに服を着替えて、濡れた服は捨てて下さい」  私は日下の言ったことをメモした。 「立川さんのところ、確かお子さんいてはりましたよね。いくつになります」 「八歳の娘と十二歳の息子やけど」 「どこかでヨウ素剤を手に入れて、早めに飲ませる方がいいですよ。特に子供は放射性ヨウ素が喉の甲状腺に集まって、ガンを引き起こしますからね」 「どこで売ってる」 「薬局か、こういう情勢になったら役所か保健所でもらえるかもしれませんね」 「わかった。いろいろとありがとう。それはそうと、日下くんはいつごろ大阪に戻るつもりや」 「そうですね。人間が住めるようになったら、戻ってきたいとは思いますけど、当分無理じゃないですか」 「それじゃあ、会社の方はどうすんのや」 「辞めるとか辞めないとか言う前に、まず会社が立ち行かなくなるんとちゃいますか」 「おいおい、脅かすなよ」 「いやあ、私はもう覚悟を決めて、鹿児島で仕事を探すつもりですわ」 「ええ?」 「命あっての物種ですからね。立川さんも十分気をつけて下さいよ」  受話器を置いて、私は大きく溜息をついた。日下がそこまで考えているところを見ると、思った以上に大変な事態に違いなかった。  きょうは第四土曜で学校が休みなので、子供たちはまだ寝ていた。女房が二人を起こして、山口に避難することを告げる。 「ええっ」と健司が嫌な顔をする。「きょう、昼から予定があんねんけどなあ」 「つべこべ言わんと、さっさと支度しろ」  私は思わず怒鳴ってしまった。 「そんな頭ごなしに怒鳴りつけてもだめよ」と女房が言った。「子供たちに事情をわかりやすく説明しなきゃ」  私は健司と直美を居間のソファーに坐らせて、原発事故が起こって放射能雲がやって来たこと、早く逃げなければいずれ全員が死んでしまうこと、特にお母さんのお腹の中の子供に悪い影響があることなどを話した。二人とも神妙な顔つきで聞いていたが、話し終わると、「何日くらい避難すんの」と健司が訊いてきた。 「まあ、取り敢えず一週間かな」 「ふーん」 「あたし、避難する」と直美が言った。 「よしよし」  健司は、一週間なら、まあいいかと呟いて、自分の部屋に行った。そして手帳を手に戻ってくると、電話をする。友達のところで、午後から一緒に遊ぶ約束があったらしい。  断りの電話がすんで受話器を置くと、健司は「山田くんのとこ、避難なんかしないって言うてるよ」と不満そうに言った。 「山田君のとこ、お母さん、妊娠してないやろ」 「そんなん、知らんけど……」 「さっきも言うたけど、うちはな、お母さんのお腹の子供のためにも避難しなあかんのや。よそとは違う。わかるやろ」 「……うん」 「わかったら、準備しなさい」  健司はまだ不満そうな表情で部屋に戻っていく。 女房はパート先に電話をして、一週間休ませてもらう旨を伝えた。パート先も仕事どころではないらしい。  避難生活がどのくらいになるのか皆目見当がつかないので、どのくらいの物を持って出たらいいのかわからない。最悪戻ってこられない時のことを考えて、預金通帳や生命保険の証書、印鑑も持ち出すことにした。  女房は家族みんなの衣服を選びにかかったが、春物だけでいいのか、それとも夏物、秋物、果ては冬物までいるのか悩んでいた。一息入れるために、まだ食べていなかった朝食をすますことにした。私は女房に、もう水道の水は使わないように言った。夕べ溜めておいた水で準備をし、念のために片付けるのも溜めた水を使った。  トーストと牛乳とヨーグルトの朝食を済ますと、冷蔵庫の中の調理しなくても食べられる物、チーズとか食パン、レタス、ハムなんかを全部出して、ポリ袋に入れた。それから肝腎の水。あるだけの空のペットボトルに水を入れ、冷蔵庫の缶ジュースや缶コーヒーも袋に入れた。  子供たちも、テレビゲームとかぬいぐるみなど自分たちの荷物を作った。  準備がすむと、私はトレーナー姿のまま健司の持っていた野球帽を被り、軍手をし、濡れタオルを口に当てその上から乾いたタオルを巻いてマスク代わりにした。長靴はなかったので、革靴を履いた。空気を通す運動靴よりも少しはましだろうという気持ちだった。 「パパ、おかしい。泥棒に行くみたいやん」と直美が見て笑った。濡れタオルで声が出しにくいので、私は車のキーを持った手を挙げて返事の代わりをし、ドアの周りのガムテープをはがして外に出た。  ドアを閉めて、私はしばらくじっとしていた。というより、動けなかったのだ。私の周りに放射能が充満していると思うと、なかなか一歩を踏み出す勇気が湧いてこなかった。  マンションの廊下には人の姿は見えない。私はゆっくりと階段を下りていった。ところが一階に下りて駐車場に向かっていると、人の姿がちらほら見えた。誰もが普通の恰好をしている。私は急に自分の恰好を意識しだした。急いで自分の車のところへ向かう。  自分の車の横には隣の車があったが、ちょうど隣の主人が車に乗り込もうとしていた。私に気づくと、一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐに「おはようございます」と頭を下げた。背広を着、ネクタイを締めている。黙って、私も頭を下げた。出勤にしては時間が遅いと思ったが、会社から連絡があったのかもしれない。  隣の車を見送ってから、私は自分の車を動かして、ごみ置き場の横に持っていった。そしてそこにある水道のホースを持って、車全体を水で流した。  終わると車を駐車場に戻し、急いで階段を駆け上がった。ドアを開け、中に入って、私は濡れタオルを押し下げた。かなり息苦しい。 「外、どうだった」と女房が訊いてきた。 「わからん」 「わからんて、どういうこと」 「普段と変わりないから、何とも言えんわ」 「他に人、歩いてた?」 「みんな、普通の恰好して歩いてるしなあ。隣の主人も普通の背広着て、車で出勤してたわ」 「どういうこと。放射能の危険なんてないんじゃない?」 「みんな、どれだけ危険かわかってないんや。想像力がないんや」  子供たちにはズボンを二枚穿かせ、上も冬並に分厚い上着を着せた。裾と袖口をガムテープでぐるぐる巻きにする。私と健司は野球帽を被ったが、女房と直美には適当な帽子がない。仕方がないので大きめのタオルを頭に巻いた。軍手と革手袋で手を隠す。二人とも濡れタオルのマスクを嫌がったが、何とかなだめて口に当て乾いたタオルで巻いた。子供たちには長靴を履かせ、女房はブーツを履き、私は革靴だ。  食料と水の入ったバッグと貴重品の入ったバッグは私が持ち、女房は衣服の入ったスーツケースを持った。子供たちもそれぞれ自分の荷物を抱えている。  荷物が多いのでエレベーターで下りたのだが、途中で乗ってきた女性が私たちを見て、変な顔をした。その人もごく普通の服装をしている。一階に下りた途端、健司がマスクを押し下げて、「こんな変な恰好してるの、僕らだけやんか」と文句を言った。私はかっとなり、荒っぽく健司の濡れタオルを元に戻すと、「文句を言わずに、言われたとおりにしとけ」とくぐもった声で怒鳴った。女房が私と健司の間に割って入り、先を急ぐように促した。  空がどんよりと曇り始めていた。私は日下の言葉を思い出し、嫌な感じがした。雨が降り出す前にできるだけ遠くまで行きたかった。  衣服の入ったスーツケースをトランクに入れて、私たちは車に乗り込んだ。女房が助手席に坐り、子供たちは後ろだった。窓がきちんと上まで上がっていることを確認し、換気口も閉まっていることを確認したが、それでも心配だったので、マスクは取らずにそのままでいるように子供たちに言った。二人ともブーブー言ったが、女房が「お父さんの言うとおりにしなさい」とたしなめた。  マスメディアの情報など当てにできないとわかっていたが、ないよりましとカーラジオを付けた。NHKは原発周辺からの避難民の、どこそこへ避難していますとかいった類の個人的情報を流していた。民放はクラシック音楽の合間に、各地の放射線量の数字を読み上げたが、それがどれだけ危険なのかは全くわからなかった。  走っている車は少なかった。正月の時より少し多いくらいの交通量だった。放射能雲が通過したことが、かえって人々を避難させにくくしているのだろうか。  走りながら、開いているガソリンスタンドを探したが、どこも人のいる気配はなかった。日下の言ったヨウ素剤が欲しくて、薬局の看板を見つけようとしたが、全く見つからなかった。コンビニエンスストアでさえ店を閉めている状態なので、たぶん見つかっても開いていることは考えられないだろう。  国道一号線はまだ空いていたが、中央環状線に入ると徐々に車が増えてきた。運転している人間を見ると、タオルでマスクをしている者もそうでない者もいる。乗っている者全員がマスクをしている車もあって、私は「あれ見てみ」とくぐもった声を出した。「あ、一緒や」ゲームをしていた子供たちがはしゃいだ声を上げた。  渋滞に巻き込まれないことを願ったが、近畿自動車道の入口の手前あたりから、数多くのトラックが列をなし始めた。先を見ると、近畿自動車道へは一台の車も入って行っていないのだ。渋滞が進んでいって、その謎が解けた。警察、いや自衛隊だろう、ガスマスクを被り白い防護服を着た三名の隊員が、警棒を振って車を誘導している。彼らの姿を見たとき、ここは防護服なしには居られないところなのだという現実を見せつけられて、私は少なからずショックを受けた。女房もショックを受けた様子で、「あんなマスクじゃないと、役に立たないのよね」と呟いた。  二台の草色のトラックが入口を塞ぎ、立て看板が立っていた。へたくそな字で、「放射能汚染地域への移動を防ぐために、高速道路はすべて通行止めです」と書かれてあった。まるでここは汚染地域ではないような言い方だった。  急送便と書かれた大型トラックの運転手が降りてきて、自衛隊員に詰め寄った。 「高速使わせてえな。仕事になれへんやないか」  自衛隊員は目の前で警棒を振る。 「放射能汚染地域でも、窓閉めて突っ走るから大丈夫や。なあ、通してくれや。本人が大丈夫や言うてんねんから、通したってもええやろ。もし放射能で死んでも、あんたらの責任にせえへんから、な」  自衛隊員が何か言ったらしく、運転手はガスマスクに耳を近づけた。 「命令やて? そんなことわかっとるわ。わしかて会社の命令で動いとんのや。せやけど人が困っとんのやから、ちょっと融通きかしたらどうや。第一、お前らだけガスマスクして国民の俺らが何にもしてへんいうのはどういう訳や。そのガスマスク、俺に貸せ。それがあったら、どこへでも行けるんやろ」  運転手は自衛隊員のガスマスクを取ろうとして、口の出っ張りを引っ張った。その途端近くにいた隊員が飛んできて、運転手を後ろから羽交い締めにした。  その時、誰かがクラクションを鳴らした。それに呼応してあちこちからクラクションが鳴った。私も思いきり鳴らした。  隊員たちは驚いたように周りを見回し、運転手を放した。運転手は「国民の命を守るのが、自衛隊の役目と違うんか」と捨てぜりふを吐いて、トラックに戻った。  渋滞が動き出し、隊員たちの側を通り過ぎた時、自衛隊のトラックの後ろから同じ防護服を着た一人が飛び降りた。幌が一瞬めくれ、その時中に銃を持った何人かの隊員がいるのが目に入った。ショックだった。胸がどきどきした。 「見たか」と私は口に当てたタオルを押し下げて女房に言った。 「何? 看板?」女房がくぐもった声で答えた。 「いや……」私は説明しようとして止めた。女房もタオルを押し下げ、 「高速が使えなかったら、どうするの。山口なんか行けないでしょう。それにあの立て看板に書いてあったように、西の方が汚染がひどいんじゃない?」 「あれは嘘や。パニック防止のために道路を封鎖しているだけや。ここが安全やったら、何であいつらあんな大層にガスマスク付けてぶかぶかの服着てるんや。着る必要がないやろ。言うてることと、やってることが矛盾してるからお笑い種や」 「どっちにしても、大阪から出られないんでしょう?」 「新大阪に寄ってみるか」 「新幹線で行くの?」 「動いてたら、その手もある」 「そうね。それしかないわね」  新大阪の方向に道を取った。考えることは誰しも同じなのか、その方向にも渋滞が続いた。  新大阪の駅前は、出る車と入る車が乱れて、大混雑を引き起こしていた。クラクションがあちこちで鳴っている。遠くから見た感じでは、シャッターが下りているようで、何人か人が歩いていたが、駅の中に入っていく流れではなかった。  車が徐々に動き近くまで来た時、閉まっていることがはっきりした。 「やっぱり駄目ね」と女房が言った。帰るしかないのか。私は体から急に力が抜けるのを感じた。  駅前の混雑からようやく抜け出て、我が家に向かって車を走らせ始めた時、私は不意に、自分たちがネズミ取りに捕まったネズミのような気がしてきた。閉じこめられたまま水の中に沈められるネズミのような気が。  私は交差点に来た時、神戸の方向に右折した。しばらくして女房が「どこへ行くの。帰らないの」と訊いてきた。 「どうしても大阪から脱出する」 「高速が使えなくてできるの?」 「国道通っていったら、どこかで高速に乗れるかもしれへん」  塚本の交差点を過ぎて、車が左側にずらっと行列を作っているのが見えた。何かなと思いながら横を通り過ぎたが、すぐにガソリンスタンドが営業しているためだとわかった。私は急いで車をUターンさせ、行列の後ろについた。  順番が近づいてきた時、「リッター1000円」という手書きの看板が目に入った。 「ぼろ取りやな」 「どうしてもガソリン入れなきゃならないの」 「途中でガス欠になって、放射能の中に放り出されるのだけはごめんやからな」  スタンドで働いているのは一人だけで、ユニフォームにゴム手袋をはめ、ガスマスク姿だった。自衛隊員のガスマスク姿はそれほど異様とは思わなかったが、スタンドの店員のそれには奇妙な感じがした。SF映画の一場面のようで、現実感がなかった。子供たちも「変なの」と店員を指さして騒いだ。  順番が来て満タンを頼み、窓を小さく開けて二万円あまりを支払った。これでずっと国道を走っても大丈夫だと一息ついた。  しかししばらく行くと国道の走行は駄目になった。車が混み出し、何かなと思っていたら、また自衛隊が道路を封鎖しているのだった。隊員が警棒を振って、Uターンを指示している。車の窓を開けて食ってかかる者もいたが、相手はガスマスクをしているので、どういう反応をしているのか全くわからない。ただ警棒を振るだけだ。 「どうして普通の道まで封鎖しているのかしら」と女房が呟くように言った。 「だからさっき言うたやろ。みんなが我先に逃げ出してパニックになるのを恐れてるんや」  私は隊員の指示に素直に従って、交差点をUターンした。しかしこのまま大阪に帰るつもりはない。横道にそれると、車を止めてダッシュボードから道路地図帳を取り出した。何とか神戸を通過する方法はないものかと地図をめくった。 「家に帰ろうな」と健司が言った。「どこへ行っても通行止めにされてるいうことは、家でじっとしときなさいということとちゃうのん。それを無視して通ったら、警察に捕まるんちゃう」 「家に戻って死ぬのんと、ここを突破して生きるのと、どっちがええ」 「あなた、それはちょっと極端でしょう。生きるとか死ぬとか」 「いや極端違う。今回の事故はそれほどの大事故なんや。違う思うたら、日下に聞いてみい」  神戸市街を通って行くのは多分無理だろうと考えて、六甲の裏を通り抜けることにした。  西宮市街を抜けようとしたが、再び封鎖に遭ってしまった。私は地図帳と首っ引きで細い道路を選んで車を走らせ、たぶんこの方向だろうと車線もない狭い道に入った。同じことを考えているのか、結構車が通っていた。この道が渋滞するようなことがあったら、これも封鎖されているということだった。そうなるともう打つ手はないのだ。渋滞するな、渋滞するなと呟きながら、私は車を走らせた。 「お父さん、おしっこしたいんやけど」と健司が言い出した。 「我慢せえ」 「でけへん」 「しょうないな」  私は車を脇に止められそうな場所を探しながら、走らせていき、ちょうど山裾を削った場所に空き地があったので、そこに車を止めた。  マスクをきちんとさせ、車のすぐ横で用を足すように言いつけて表に出した。しかし健司は山の陰に走り込んで行く。 「どこへ行くんや」私は大声を出した。 「立ち小便を見られるのが嫌なのよ」と女房が言う。 「何や、立ち小便もしたことがないんか」  直美が喉が渇いたと言ったので、持ってきた缶ジュースを飲ませた。私と女房も一息入れるために、ペットボトルのウーロン茶を飲んだ。 「あ、雨」と直美が言った。地図帳で道路を確認していた私は反射的に顔を上げた。フロントガラスに雨滴がぽつぽつと落ちている。雨が降ってきたら絶対に濡れないようにという日下の言葉が甦った。 「健司はどこまで小便しに行ったんや」  雨は次第に強くなってくる。私は車を飛び出し、山の陰に回った。しかし健司の姿はない。 「健司、どこや」  私が叫ぶと、「ここ、ここ」という声が聞こえてきた。見ると、斜面の下の方で、健司が立木をつかんでいた。 「はよ、上がってこい」 「滑って、上がられへん」  私は枯草で滑りやすい斜面を降りていき、健司の手を引いてゆっくりと上がった。雨が体を濡らしていく。  上りきると、急いで車に向かった。中に入ると、女房がタオルを用意していて、私の体を拭こうとしたので、「だめ、だめ」と手で制した。 「健司も拭いたらあかんぞ。濡れてる服を全部脱いで、捨てるんや」  灰色のジャージーに黒っぽい染みが点々と付いている。私は軍手、帽子を取り、ジャージーの上着を脱ぎ、裾に巻いたガムテープを解いてズボンを脱いだ。革靴だったので、靴下も濡れており、それも脱いで裸足になった。濡れた衣類は靴も含めて全て車外に捨てた。健司も直美に手伝ってもらって服を脱ぎ、同様に捨てた。そして濡れたシートとかハンドルなどをタオルで拭き、それも捨てた。健司の長靴は中まで濡れていなかったので、外側をタオルで拭かせた。 「そんなに神経質にならなあかんの」と女房が言った。 「放射能の雲から降ってくる雨と違うかったら、ええんやけど。まあ、念のためや」  私も健司も服を余分に着ていたので、裸にならずに済んだ。私は靴下をはきたかったが、衣類はすべて後ろのトランクに入れてあるので、雨が降っている間は出すわけにはいかない。  裸足でアクセルを踏み、車を発進させた。雨は本降りになり、ワイパーを動かすと、垂れる雨水の流れが黒かった。薄い墨汁が降っているようだった。  私はこの雨の中から早く出たいと気が急いたが、事故を起こしては何にもならない。ヘッドライトを点けて、前の車の後に付いた。  三木市に入る頃には雨も上がり、それにつれて道路沿いに人の姿もぽつぽつと見られるようになった。この辺りはもう放射能に汚染されていないかもしれないという気がしたが、私はまだまだ安心していなかった。  加古川について道路沿いのレストランやコンビニエンスストアが開いているのを見て、私はようやく一息ついた。私はタオルのマスクを外し、子供たちにも「外してもええぞ」と言った。健司はマスクを外すと、ふーと溜息をついた。  ガソリンスタンドを見つけ、徐行しながらそこに洗車の機械があるのを確認してから、中に入った。 「いらっしゃいませ」と言いながら従業員が近づいてきた。私は窓を開け、「洗車できる?」と訊いた。 「ええ、できますよ。どうぞ」  私は従業員の案内で、車を洗車機の中に乗り入れた。前方から水のシャワーが近づいてくる。全ての災いを洗い流してくれる恵みの光景に見え、私は本当に安心した。健司も直美も車内から洗車を見るのは初めてなので、騒いでいる。女房も珍しそうに見ている。  ワックスがけはしないで、ガソリンを満タンにしてもらった。 「この辺り放射能はどうなの」と窓を拭いている従業員に訊いてみた。 「この辺りは大丈夫みたいですよ。確か普通の時の十倍程度が一時観測されたとか言ってましたけど」 「十倍か」 「あ、お客さん、大阪からですか」ナンバープレートを見たのか従業員が大きな声を出した。 「大阪って大変だったんでしょう。放射能が。前に来た大阪からのお客さんが言ってましたよ。高速道路も封鎖されて、逃げるに逃げられずパニックだったって。新幹線も動いていませんしね」 「道路封鎖を抜けて来たんや」 「お客さんもやっぱり六甲の裏を通って……」 「そうや」 「やっぱりね。明石から向こうは通行止めですもんね」  ガソリンスタンドを出ると、直美がお腹が空いたと言い出した。もう二時を回っている。健司はどこかのファミリーレストランに入ろうよと言ったが、私は先程の従業員の十倍という言葉に拘っていた。ここの食べ物や水はまだ安心できない気がして、女房にハムサンドを作らせた。  それを子供たちに食べさせている時、私は肝腎なことを忘れていたことに気づいた。ヨウ素剤だ。私は女房にヨウ素剤を手に入れなければならないことを話した。 「ヨウ素剤って?」  私は日下から言われたことをそのまま話した。女房の顔色が変った。 「どうしてそんな大事なこと、もっと早く言ってくれなかったのよ」 「逃げることで頭がいっぱいで……」 「逃げることよりもその薬を飲ませることの方が大事に決ってるじゃないの。どうしてそんなこと、わからないの」  女房の声が大きくなる。 「いや、わかってる」 「わかってないわよ」 「俺かて、大阪で薬局探しながら車走らせたんやけど、見つかれへんかったんや」 「どうしてその時言ってくれなかったの。私も一緒に探したら、見つかったかもしれないのに」 「見つかっても、多分閉ってたんとちゃうか」 「そんなこと、わからないでしょう」 「何も、怒鳴ることないやろ。俺かて、一生懸命やってるんや」  私も思わず怒鳴ってしまった。 「やめて」直美の甲高い声が響いた。見ると、ハムサンドを手にした直美が半泣きになっている。 「とにかく急いで薬局を探しましょう」と女房が正面に向き直った。  薬局の看板を探しながら車を走らせたが見つからず、歩行者を見つけては助手席の女房に尋ねさせた。何回か繰り返して、ようやく道路沿いに薬局を見つけ女房に買いに行かせた。  しかし店の中に入ってしばらくして、女房が出てき、私を手招きした。行くと、「ここにはないんだって」と女房が言った。 「保健所に行ってみたらって店の人が言うんだけど、道順ならあなたが聞いた方がいいと思って」  私が入っていくと、白衣を着た男性が私の足許を見た。私は裸足であることを気にせず近づいていき、その人から保健所への道順を聞いた。  来た道を引き返し、五分ほどで保健所に着いた。子供たちを車に残し、私は女房と中に入った。「ヨウ素剤をお渡しします」という張り紙があり、下に矢印が描かれていた。 「あった、あった」と私は張り紙を指さし、女房と顔を見合わせた。  大勢の人々がぞろぞろと出てくるのに抗して、矢印の方向に進んでいくと、五、六人の男女が固まってカウンター越しに職員と言い合いをしていた。「ヨウ素剤」と書いた紙がプレートに張ってあり、私たちは男女の後ろに並んだ。しかし職員とのやり取りを聞いていて、どうやらヨウ素剤がないことを知った。職員は何度も「明日、九時にもう一度お越し下さい」と叫んでいた。  五、六人がカウンターを離れると、「ヨウ素剤ないんですか」と私は勢い込んで尋ねた。 「申し訳ないんですが、きょう入った分は少し前に全部出てしまって」  職員がそう答えると、女房が突然横を向き、「どなたかヨウ素剤を譲ってもらえませんか。私たちは大阪から逃げてきたんです。子供が二人いるんです。お願いします」と大声を出した。帰り掛けていた人々がこちらを振り向いたが、ちらっと見ただけで誰もそれに応えなかった。女房は走って出ていき、外の方でも「どなたか……」と大声を張り上げた。 「大阪は放射能が十万倍だったんや。ここは十倍やろ。どうして十倍の人間にヨウ素剤が渡って、十万倍の人間に渡らんのや」  私は怒りと情けなさがない交ぜになって、声が震えた。職員が奥に引っ込み、遠くに坐っている人間と何やら話をした。その上司と思しき人間がやって来て、「いやあ、大阪から来られたんですか。それは大変でしたね。今、姫路の保健所に電話して在庫があるかどうか確かめていますが、もしあればそちらの方まで取りにいってもらえますか」 「ええ、もちろん行きます」  先程の職員が受話器を手にしたまま、「在庫があるそうです」と大きな声を出した。 「失礼ですが、お名前は」  私は自分の名前を言い、子供二人と私と女房の四人分が入り用であることを告げた。 「わかりました」  そう言うと上司はカウンターを離れ、自分で電話に出ると、「立川平吉さんと言われる方が今からそちらに向かいますから、四人分のヨウ素剤をお渡し下さい」と言った。  女房が戻ってき、「だめだったわ」と肩を落とした。 「姫路の保健所にあったから、今から取りに行くんや」  私がそう告げると、女房は見る見る泣き顔になって、私の肩に額を当てた。  上司が姫路の保健所の電話番号を書いた紙切れを手渡してくれた。 「ありがとうございました、ありがとうございました」  私は中にいた誰彼構わず頭を下げた。女房も目尻を指で拭きながら、頭を下げる。 「どうぞお大事に」と一人の女性職員が言った。  一時間足らずで姫路の保健所に着き、そこでヨウ素剤を受け取って服用した。  この辺りまで来たら中国自動車道に乗れるだろうと播但連絡道路のインターチェンジまで行ったが、柵がしてあり通行止めの標識が立っていた。警官もおらず、なぜ通行止めなのかわからなかった。  山陽自動車道には乗れるかとそちらのインターチェンジにも行ってみたが、やはり通行止めだった。そこにはパトカーが一台止まっていたので近づいていって理由を訊いたが、警官も知らないようだった。ただこの辺り一帯の高速道路はすべて封鎖されていることがわかった。  こうなれば国道で行くしかない。行けるところまで行って、どこかでホテルに泊まるつもりだったが、その前にモーテルに入って体を洗った。服を全部着替え、車のシートカバーも全部外して捨てた。私は運動靴を買って履いた。  広島の手前で、女房が吐き気がすると言い出したので、市内のホテルに泊まることにした。広島でも通常の五倍程度の放射能が検出されたと言うことだったが、私はホテルで晩御飯を食べることに決めた。  明日はようやく山口に着く。山口まで行けば、もう大丈夫だろう。明日一日ゆっくりして、月曜日に大阪に戻ることにしよう。会社には月曜の朝に電話を入れればいいだろう。 [附記  ここに示した日記の抜粋は、依頼人立川平吉氏の裁判のために証拠として裁判所に提出したものの写しである。その裁判というのは、ご子息健司君の甲状腺ガン死に対して国と電力会社を相手取って起こした損害賠償請求訴訟である。氏は殺人罪として刑事裁判を強く希望されたが、公判維持は全く不可能ということで、私たちの勧めもあって民事訴訟に切り替えたものである。民事裁判の中で国や電力会社の罪を明らかにしていければというのが、氏の希望である。氏は、妙子夫人の流産も、ご母堂の肺ガン発病も原発事故が原因との信念を持っておられ、それに対する裁判も私たちに依頼されたが、因果関係の立証はほぼ百パーセント不可能だろうという私たちの説得で断念されたのである。  氏が今でも許せないのは、政府が高速道路を封鎖したことである。後になって高速道路の封鎖は、福井県、滋賀県の住民の避難に優先的に使われたせいだということが判り、氏は言いようのない怒りを覚えたということである。もしあの時高速道路が使えたなら、息子も放射能雨に濡れることもなく、甲状腺ガンに罹っていなかっただろうとおっしゃるのである。  また氏はご子息の死に関して、自分が大阪脱出を早まったせいではないかと後悔の念を抱いておられるが、あのままもし留まったら、おそらくご息女も甲状腺に異常を来したものと思われる。四年後の現在、放射能に汚染された大阪地域の十五歳以下の子供たちの九割以上が何らかの甲状腺異常を訴え、そのうちの三割強が甲状腺ガンにかかり、その半数が死亡している現状を見ると、早期の脱出は決して間違ってはいなかったと思われる。ご息女が現在健康なのも、氏の適切な判断に依るのである。  ただ私たちがいくらそのことを申し上げても、氏の無念の気持ちが晴れないのは致し方がない。  四年たった今でも、まだ原発事故の全容が明らかになったとは言い難い。事故原因については調査中ということではっきりとしたことは判らず、事故の規模に関しても美浜町周辺十q以内の急性放射能障害死の数だけ見ても、政府発表の数字と民間調査機関のそれとでは、二十倍以上の開きがある。  甲状腺ガンと放射能の因果関係も、その数値と罹病地域の関係を調査中ということで政府も電力会社もいまだ公式には認めておらず、ましてやその他のガンとの関係は手つかずの状態である。ある学者の試算によると、今回の事故によるガン死の数は、今後十年間で五百万人を超えると見られている。いずれこの件に関しても、各地で訴訟が起こされるものと思われる。  立川氏は現在博多に奥様、ご息女、それに大阪から引き取られたご母堂と共に住まわれ、新しく医薬関係の仕事についておられる。時々体の不調を訴えられることがあるが、裁判の決着を見るまでは絶対に死ねないと私たちの事務所に来られた時におっしゃるのである。裁判が決着したら、原発のない沖縄に引越すかもしれないとも言われる。今でも原発の事故のニュースを聞くと、それがどこの原発であろうとも胸がどきどきするとおっしゃるし、奥様は毎日朝晩インターネットに接続して、「原発を監視する会」のホームページで、玄海原発周辺の放射能値が平常であることを確認することが日課になっておられると言う。  大阪の放射能汚染地域は京都、奈良、神戸も含めて二年間避難地域に指定され、全ての企業活動が停止した。その間洗浄が幾度となく繰り返され、ようやく二年前に二十歳以上の人間に限って住むことが許可されるようになった。ただし、琵琶湖の水がいまだ放射能に汚染されているため、飲料用には適さず、従って人々の生活や企業活動が大幅に制約を受けている。立川氏は大阪に持っているマンションの売却を希望されているが、マンションの買い手の数が殆どない状況では、いずれ電力会社に買い取りを要求せざるを得なくなると思われる。その際氏と電力会社の間の価格の開きは相当なものになるだろうから、いずれ訴訟になるかもしれない。  今回の原発事故により蒙った損害は、人的並びに企業補償も含めると、二十兆円とも四十兆円とも言われている。「原子力損害の賠償に関する法律」の第七条にある三百億円ではとうてい賄いきれるものではないので、当然政府による援助、つまりは税金が投入されることになるだろう。  とにかく原発事故の後処理は、ようやく緒についたばかりである。これからあと何年、いや何十年かかるか誰にも見当がつかないのである。] 注 *瀬尾健著「原発事故…その時、あなたは!」(風媒社刊)を参考にしました。 *関西電力の関西原子力情報センターに、作中で想定したような事故―炉心溶融が起こって原子炉が吹き飛び、大爆発とともに大量の放射能が大気中に放出されるといった事故―の起こる確率をインターネットで問い合わせましたところ、以下のような回答をもらいました。 「わたしたちは、どのような場合にも放射性物質の危険から周辺の人々の安全を確保することを大前提に原子力発電所の設計、建設、運転を進めてきました。そのため、多重防護という考え方に基づき放射性物質の閉じこめに万全を期することによって、安全性の確保を図っています。多重防護の考え方は以下の通りとなります。 1.まず第一に、機器の故障や運転員のミスなど事故の原因となる異常の発生を防止しています。具体的には、安全上余裕のある設計、誤操作や誤動作を防止するためのフェイル・セイフ・システムや、インターロック・システムを採用するとともに徹底した機器の点検・検査等を行っています。また、ヒューマンエラー防止対策として、人間工学や心理学を考慮した防止対策をとっています。 2.異常が発生した場合には、異常を早期に検出し、原子炉停止などの措置を講じるとともに、独立して設けられた複数の緊急に原子炉を停止する機能により、何らかの異常が発生したとしても、それを拡大させない対策をとっています。 3.以上の対策にもかかわらず、万一異常が拡大しても、ECCS(緊急炉心冷却装置)で原子炉を冷却したり、格納容器内に閉じこめて放出を抑えたりすることで放射性物質の異常な放出を防止し、周辺の人々の安全を確保できるような対策をとっています。  当社の原子力発電所では、このようにハード、ソフト両面で何重もの安全確保対策をとっておりますが、ご指摘のように確率論的には事故の発生確率がゼロになることはありません。原子力発電所の信頼性データを基に、当社の原子力発電所について、炉心損傷に至る事故の発生する確率(これはあくまでも炉心の一部で損傷がおこる確率であって、そのまま放射性物質が外部へ放出されるということではありません)を評価したところ、10ー6/炉年程度(一〇〇万年に一回程度)となりました。この数値は、国際原子力機関(IAEA)の安全目標(10ー4/炉年以下)を大幅に下回っております。  このような結果にもかかわらずさらに安全性を向上させるため、炉心損傷に至る恐れがある事象が万一発生しても、それが炉心損傷に拡大するのを防止、あるいは万一炉心損傷に拡大した場合にもその影響を緩和するための措置としてアクシデントマネジメント(既存設備を活用することを中心に、一部設備の追設を行い、さらに運転手順書の整備、運転員の訓練により安全性をなお一層向上する方策)を整備しております。  したがって、環境へ大量の放射性物質が放出される確率はさらに低くおさえられております。  一方、原子力発電所の技術的な安全対策とは別の観点から、万一予期せぬ事態が生じたとしても、周辺住民の受ける影響を出来るだけ少なくするため、災害対策基本法に基づいた防災基本計画により、国、自治体、電力会社においてそれぞれの役割に応じた種々の防災対策を講ずることになっています。  当社においては、災害対策基本法に基づき、独自に防災に対する業務計画を立てており、緊急事態が発生した場合には、情報を的確、迅速に連絡するとともに、環境放射線モニタリングに関する機材、要員の提供等、国および関係自治体の防災活動に協力することになっています。」  以上が関西電力からの回答ですが、次に「原発事故…その時、あなたは!」から引用した文章を示します。 『「原発事故がたとえ大惨事をもたらすとしても、めったに起こらないのなら問題ない」と思ってはいないだろうか。「ソ連やアメリカはともかく、ハイテク日本では、大事故の心配はない」と考えていないだろうか。  とは言うものの、具体的にどれくらい大事故が起こりにくいのならいいのかと、正面きって聞かれて、答えられる人はほとんどいない。一基の原発が一年間に大事故を起こす確率が、一〇〇〇分の一(つまり一基の原発は、一〇〇〇年に一回の頻度で大事故を起こす)ならいいのか、二〇〇〇分の一ならいいのか、一万分の一ならいいのか。専門家は、一〇〇万分の一とか一〇〇〇万分の一、はては一億分の一と言っている。  簡単な計算によると、二〇〇〇分の一の確率で大事故が起こったりすれば、それによる物的損害は、発電によって得た利益を何倍も上回ることがわかっている。五〇〇〇分の一から一万分の一ぐらいの確率ならば、やっと利益と損失が釣り合うけれども、死者や障害者など、人的損害まで含めるならば、これよりはるかに確率を低く抑え込む必要がある。  その意味で、専門家が一〇〇万分の一とか一億分の一とか言うことは、原発を推進するための重要な根拠を与えていることになる。  しかし、この小さな確率をそのまま受け入れるわけにはいかない。なぜなら、この数字は実際の経験から得たものではないからだ。巨大な原発システムを細分して、個別に故障確率と失敗確率を決め、これらを組み合わせることによって全体としての大事故確率を計算しているに過ぎない。つまり、一〇〇万分の一とか一億分の一という数字をはじき出した計算手続きそのものは、もっともらしい装いを凝らしているが、しょせんは机上の空論なのである。  例えば一基の原発が一万年に一回事故を起こすとしよう。すると一〇〇基の原発では一〇〇年に一回の割合で事故が起こる勘定になる。現在までの原発運転の実績は、世界全体で、一〇〇基の原発を四〇年くらい運転したことに相当するから、これまでに事故の起こる確率は四〇%程度であると算定される。ところが現実には、スリーマイルとチェルノブイリの大事故を二つも経験した。つまり二〇〇%である。このことは、原発の大事故は一万年に一回という小さな確率ではなく、それの五倍、つまり二〇〇〇年に一回程度は起こると考えた方が現実的だということを意味する。  一〇〇万年や一億年に一回という机上の空論と、実際の経験と、どちらをとるべきかは論をまたない。  二〇〇〇年に一回の確率でも、被害が小さければ、社会に受け入れられる余地がないわけではない。しかし原発のもたらす大事故の災害規模は、一基のプラントとしては、他を何桁も凌ぐ巨大なものである。これに匹敵するのは戦争くらいしかないとさえ言われている。』  私たちは一九八六年にチェルノブイリ原発事故を経験していますし、それよりも前の一九七九年のスリーマイル島の原発事故では、当初は大した事故ではなかった、炉心は溶融などしていないとされましたが、七年後の調査により炉心溶融が起こって原子炉が破壊される寸前まで追い込まれたことが判明しています。 *原子力損害の賠償に関する法律(抜粋) 第三条@ 原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない。 第七条@ 損害賠償措置は、次条の規定の適用がある場合を除き、原子力損害賠償責任保険契約及び原子力損害賠償補償契約の締結若しくは供託であって、その措置により、一工場若しくは一事業所当たり若しくは一原子力船当たり三百億円(政令で定める原子炉の運転等については、三百億円以内で政令の定める金額とする。以下、「賠償措置額」という。)を原子力損害の賠償に充てることができるものとして科学技術庁長官の承認を受けたもの又はこれらに相当する措置であって科学技術庁長官の承認を受けたものとする。 第十六条@ 政府は、原子力損害が生じた場合において、原子力事業者(外国原子力船に係る原子力事業者を除く。)が第三条の規定により損害を賠償する責めに任ずべき額が賠償措置額をこえ、かつ、この法律の目的を達成するため必要があると認めるときは、原子力事業者に対し、原子力事業者が損害を賠償するために必要な援助を行なうものとする。