涼子                津木林 洋  私が涼子に初めて会ったのは、十二歳の時だった。小学校から帰ってきて路地横の引き戸を開けると、母と田辺さんともう一人白いブラウスを着たお下げ髪の女の人がテーブルを囲んでいた。母は美容室をやっており、田辺さんは住込みの従業員だった。田辺さんの部屋は、店と台所兼食堂の間にあり、私たち家族は二階に住んでいた。 「あ、お帰り」と母が言った。人見知りする質の私は小声で「ただいま」と答えて、そのまま二階に行こうとした。 「義明、挨拶をしなさい」と母がこわい顔をした。私は口の中でいらっしゃいませと呟いて、頭を下げた。 「こんにちは」母とも違う田辺さんとも違う、透き通るような声が響いてきた。頭を上げると、見知らぬ女の人が立上がって笑いかけていた。私はそのとき初めて、その人の顔を見た。きれいな人だった。女性を見てきれいだと思ったのは多分そのときが初めてだったと思う。そのせいで彼女のことをずいぶん大人だと思ったのだが、実際は五つしか年が離れていなかった。 「明日からお店を手伝ってもらう、関口涼子さんよ」と母が言った。 「私の義理の姪っ子なんよ」と田辺さんが説明する。涼子が首を傾げ、大きく目を見開いて私を見る。私はもう一度ぴょこんと頭を下げると、急いで二階に上がった。 「ほんとに恥ずかしがり屋なんだから」という母の声と女たちの笑い声が聞えてきた。私は弟と二人で使っている部屋にランドセルを置くと、階段の上がり口のところに腹ばいになった。漫画を読んでいた弟がやってきて、「お兄ちゃん、何してんの」と訊く。私はしーと口に指を当て、あっちに行っていろというように手を動かした。しかし弟は私と同じように腹ばいになって、下を覗き込む。私はもう一度静かにしていろと指を口に当ててから、下の話し声に耳を澄ませた。 「そう、保険に入ってなかったの。それは残念だったわね」と母の声がする。 「保険に入ると、すぐに死ぬからってよく言ってました」 「昔気質の人なんよね、あんたのお父さんて」と田辺さん。  涼子が私の家に来たのは、漁師をしていた父が海難事故で亡くなったためだった。高校を中退して、田辺さんの紹介で美容師になるために来たのだった。  母の店には田辺さんの他に通いで来ている美容師の加藤さん、高校を卒業してすぐに見習いで入ってきた赤井さんがいて、涼子は田辺さんと同じ部屋に住込むことになった。  明日からという言葉とは裏腹に、涼子はその日から働き始めた。今までご飯ごしらえは母と田辺さんが空いた時間を見つけて作っていたのが、そこに涼子が加わったのだ。  冷蔵庫に貼った一週間分のメニューを母が涼子に説明し、鍋とか調味料の場所を教える。その度に涼子は「はい」と気持のいい返事を返す。テレビの人形劇を見ながら、私はその様子をときどき窺った。いきなり姉が出来たような誇らしくもあり、眩しくもあり、ちょっと困惑するような奇妙な感じだった。赤井さんも涼子と同じくらいの歳だったが、赤井さんには姉という感じがしなくて、どちらかというと隣のおねえさんのようだった。やはり一緒に住むということが、そういう感覚をもたらしたに違いなかった。  夜、父が会社から帰ってきた。母が涼子を紹介する。話を聞き終ると、「そうか。それじゃあ、お母さんのためにもこれから頑張りなさい」と父は言った。それだけだった。 「はい、頑張ります」と涼子は頭を下げた。  父は気難し屋で、私や弟から見て何を考えているのかわからないところがあった。会社でどういう仕事をしているのかもわからなかった。ただ、機嫌のいいときは少なくて、大抵眉間に皺を寄せていた。  涼子が来て何日か経ったある日、私が近所の駄菓子屋に行くと、店番をしているおっちゃんが私を奥に手招きした。おっちゃんと言ってもたぶん三十歳くらいだったと思う。 「なあ、おまえのとこの店にきれいなおねえちゃんが入ってきたやろ。何ちゅう名前や」  私はなぜだかむっとした。しかし顔には出さず、「せきぐちりょうこ」とそっけなく答えた。 「ふーん、りょうこ言うんか。ええ名前やな。りょうこってどう書くんや」 「知らん」 「そうか、知らんのか。まあ、ええわ。ちょっとここで待っときや」  おっちゃんは奥の部屋に入ると、しばらくして出てきた。手には切手のシートと封筒を持っている。切手は私の欲しかったオリンピックのやつだった。 「これ上げるから、この封筒、りょうこちゃんに渡してえな」  おっちゃんはシートと封筒を差出した。封筒には表にも裏にも何も書いていなかった。私は切手の誘惑に負けて、受取った。  しかし家に帰ると、気が変った。封筒を握りつぶしてごみ箱の底の方に捨て、切手シートは弟に見つからないように机の引出しの奥に隠した。  それからしばらく駄菓子屋の前を通らないようにしたが、一週間ほど経って涼子とおっちゃんが立話をしているのを目撃したときは、びっくりした。胸がどきどき鳴った。涼子は笑いながら応えており、おっちゃんは機嫌よさそうに次々に言葉を繰出していた。  後で涼子に何を話していたか尋ねると、「デートに誘われたんよ」と小さく舌を出した。デートという言葉が甘酸っぱい感覚をもたらしたが、私はそれを振払って、「その他になんか言うてた」と尋ねた。 「ううん、別に」 「ぼくのこと、なんか言うてへんかった」 「義っちゃんのこと? ううん、何も」  私はひとまず安心した。 「それでどうすんの、デート」 「そんなもの、する暇ないわ」と涼子は笑った。  しかし、おっちゃんは諦めなかった。店に初めて来た男性として、パーマを掛けてもらったのだ。母は困惑して断ろうかと思ったらしいが、是非にと言うことで受入れた。しかしおっちゃんの狙いが涼子だとわかると、駄菓子屋に出向いて、そこの主人に、涼子にちょっかいを出させないようにきつく言ったらしい。「母親から頼まれて、あの子を一人前の美容師にする責任が私にはあるんです」と帰ってきた母は興奮しながら田辺さんに言った。たぶん駄菓子屋でも同じ科白を言ったのだろう。  それからほどなくして、おっちゃんは駄菓子屋から消えた。噂では結婚するために神戸に行ったということだった。  涼子は歌が好きで、洗濯をしたりご飯ごしらえをしているとき、よく口ずさんだ。流行の歌謡曲をすぐに覚えて、澄んだ声で上手に歌った。本家本元よりもうまいんじゃないのと田辺さんや母が冗談めかして言ったが、半分本気で言っているようにも思えた。  その年の夏、近所の盆踊り大会でのど自慢が開かれることになった。商店街のスポンサーがついたらしかった。回覧板が回ってきて、母も田辺さんも早速涼子に出るように勧めた。一等は当時としては値の張るカラーテレビだった。涼子は最初尻込みしたが、私がテレビ、テレビと言って彼女の腕を取ると、「じゃあ、出てみようかしら」といたずらをするときのような目付をした。 「でも、テレビ取れなくっても勘弁してね」 「お姉ちゃんなら、絶対取れるわ」 「涼ちゃん、義明の言うことなんか気にしなくてもいいのよ」と母が言った。「一等なんかそんなに簡単に取れるもんじゃないんだから。でも三等くらいなら大丈夫よね」  三等はトースターだった。 「あら、先生。よく言うわ」田辺さんが母の背中を叩いて、大笑いした。  盆踊り当日、涼子は早めに仕事を切上げて会場に向かい、店が終ってから母と田辺さん、それに加藤さんと赤井さんものど自慢を見に行った。私は弟と留守番をさせられそうになったが、弟だけに押しつけて、ついていった。  会場は結婚式場の駐車場で、中央に紅白の布を巻付けた丸太で櫓が組んであった。そこから周囲にロープが伸びて提灯がいくつもぶら下げてある。すでにのど自慢は始まっており、スピーカーからはマイクに近づき過ぎているせいか音の割れた歌声が流れていた。当時はカラオケの設備がなかったので、伴奏は生のギターだった。櫓の周りには浴衣を着てうちわを手にした人々が大勢取巻いており、歌が終るとまばらな拍手を送っていた。何となくざわざわとした雰囲気だった。  私たちは櫓の近くにいるだろう涼子を遠くから探した。田辺さんが見つけ、「涼ちゃん」と大きな声を掛けたが、涼子は気づかない。涼子は胸に手を当てて、一点を見つめている。私たちは人混みをかき分けて前に進んでいき、もう一度声を掛けた。涼子は気づき、笑顔を見せて手を振った。 「もう終ったの」と田辺さんが訊いた。涼子は首を振り、「次の次」と答えた。 「あの子に浴衣を着せるんだったわ」と母が言った。のど自慢の順番を待っている人は涼子を除いて全員浴衣姿だった。涼子は店で白衣を脱いだときのままの、白いブラウスに紺のスカート姿だった。  涼子の番が回ってきた。司会者が「曲は高校三年生です」と紹介するとギターの伴奏が始まった。するとそれまで硬かった涼子の表情が急にすっきりしたように私には見えた。  スピーカーから澄んだ歌声が流れ出す。それまで音が割れたりしていたのが、この時はなぜかきれいに再生されていた。涼子はマイクスタンドを指で軽く支え、首を心持ち傾げるようにして歌っていた。そして「楡の木陰に弾む声……」と歌う頃には、ざわついていた周りが水を打ったようにしんとなった。  歌い終ると、一斉に拍手が起こった。うまいわあという誰かの声が聞えてくる。 「あの子、度胸あるわ」と母が感心したように言う。 「先生、これでトースターはいただきやね」と田辺さんが母の肩を叩いた。  しかし涼子の貰った物はトースターではなく、テレビだった。私は自分の予想が当たったので、鼻高々だった。  翌日、賞品のテレビが運ばれてきた。涼子は私と弟の部屋に置いてもらうように言ったが、父は田辺さんと涼子の部屋に置くようにと譲らなかった。しかしテレビは大き過ぎて、その部屋には置けない。それなら時価で買取りなさいと父は母に言ったが、涼子は頑としてお金を受取ることを拒否した。結局涼子が結婚するときまで預かるということで、テレビは父と母の部屋におさまった。友達の誰も持っていない自分だけのテレビが持てると喜んでいた私は、がっかりした。私が涼子に頼んだからテレビがもらえたのにという思いがあっただけに、余計に面白くなかった。  毎年大晦日は美容室にとって、書入れ時だった。朝からパーマや日本髪のセットに追われ、二階の父と母の部屋は店の人たちの仮眠場所になった。真ん中にこたつを据え、周りに蒲団を敷いて、眠たくなってきた者から上がってきて休むのである。元旦の朝まで徹夜で仕事が続くのだから、そうでもしなければ身体が持たない。指先の仕事なので、疲れてきたら能率ががくんと落ちるのだ。  私と弟はいつもなら父と銭湯から帰ってくると、すぐに寝なければならないのだが、大晦日だけはいつまで起きていても叱られなかった。  父は一階でテレビを見ている。弟は眠たくなって仮眠場所のこたつに潜り込んだ。私は別に眠たくなかったが、同じようにこたつに足を突っ込んで漫画を読んだ。そしてときどき雑誌から顔を上げて、階段に目をやった。私には一つの魂胆があった。涼子が休みに上がってきたら添寝してもらおうと思っていたのだ。できれば胸の中に抱かれて眠れたらいいなと虫のいいことを考えていた。  誰かの足音が聞えてくる。私は雑誌の上に顔を伏せて眠った振りをし、薄目で階段を見る。加藤さんだった。なんだ。私は眠る振りをやめて、頭を起こし再び漫画を読み始める。 「ちょっと休ませて」と言って入ってくるなり、加藤さんはこたつに足を入れ、横になった。そのうち寝息まで聞えてくる。私は上半身を起こし、加藤さんを見た。すっかり寝入っている顔だ。この時にそっと横に潜り込んだら一緒に寝られると、加藤さんを涼子に見立てて、私はほくそ笑んだ。  しかし涼子はなかなか上がってこなかった。加藤さんの次は赤井さんで、その次は田辺さんだった。ついに私も眠たくなってきて、いつのまにか雑誌に突っ伏して寝てしまった。  どのくらい眠ったのかわからないが、誰かに足を蹴られて私は目を覚した。雑誌によだれが染込んでいる。私は口許を手の甲で拭って起上がり、こたつの反対側を見た。そこには弟と添寝をする涼子の姿があった。しかも涼子は弟を両腕で抱くようにして寝ているのである。どうして私ではなく弟なのか。私は面白くなかった。そのとき私には、涼子の背中側に潜り込んで一緒に寝るという考えは全く浮ばなかった。三人が入るにはこたつの一辺が狭すぎるということもあったが、何よりも涼子の胸の側で眠らなければ意味がないという気持があった。  私は面白くない気分のまま、もう一度横になったが、眠れそうになかった。弟のものとおぼしき足を蹴ってみたが、相手は起きない。私はふと思いついて自分たちの部屋に行き、おもちゃの弓矢を持ってきた。矢の先に吸盤の付いたやつである。弟の顔の見える方に回り、額を的に近くから矢を放った。目標を逸れ、矢は髪の毛に当たって落ちた。弟は顔を少し動かしただけで、目を覚さない。私は矢を拾い、今度は先ほどより弓を引絞って慎重に狙いを定めた。  指を離すと、矢は弟の額の真ん中に音を立てて命中した。その瞬間弟は目を覚し、一拍間を置いてから大声で泣き始めた。 「どうしたの」涼子も目を覚した。そして弟の額にくっついている矢を見ると、「まあ」とそれを引きはがした。 「返してえな」私は涼子が矢をはがしたことが不満だった。 「義っちゃん、なんでこんなことをするの」 「返してえな」私は涼子の持っている矢をつかんだ。 「だめ」涼子は吸盤を握って離さない。引っ張りあいになり、吸盤の部分だけが抜けて矢が私の手に戻ってきた。涼子は泣いている弟を胸に抱き、「もう大丈夫よ。痛くないでしょ」と額の赤くなった丸いところに唇を当てた。 「吸盤を返せ」私は矢をつがえて、涼子の顔に狙いを定めた。嫉妬と羨望と怒りがごちゃまぜになって、私は興奮していた。 「だめよ。やめなさい」涼子は落着いた声で言うと、再び弟の額を指で優しく撫でた。 「返せ」弓を引絞ったまま、私はもう一度言った。 「だめよ」涼子は弟に目を落したまま答えた。  私は引くに引けなくなってしまった。指を離すか力を緩めるか、疲れてきてどちらかをしなければならない。「返せ」と小さく呟くと同時に、私は指を離した。矢は俯き加減の涼子の左目に当たって弾けた。涼子は悲鳴を上げ、左目を手で押えた。指の間から血が滲んでいる。途端に私はおろおろし出した。先ほどまでの興奮は消え去って、どうしたらいいのかわからなかった。 「どうした」背後で怒鳴り声がした。振返ると、父が立っていた。私は弓を手から離した。 「兄ちゃんが……」弟が再び大声で泣き始めた。涼子は目を押えたまま俯いている。父は二人の側に寄ると、弟の様子を見、涼子の肩に手を置いて顔を覗き込んだ。 「血が出てるやないか」父が驚きの声を上げた。私は縮み上がった。 「義明、タオル持ってこい」  私は一階に飛んで降りて、タオルを取ってきた。騒ぎを聞きつけて母も上がってきた。母は涼子の左目を押えているタオルが血で染まっているのを目にすると、声を一オクターブ高くした。  目が心配だということで、父は大晦日にも関わらずかかりつけの医者のところに涼子を連れていった。母は店に戻ったかと思うと、すぐに顔を出し、「まだ戻らない」と私に訊いた。私が首を振ると、顔を引込める。田辺さんも加藤さんも赤井さんも次々に出てきて、「涼ちゃん、怪我したんやて」と私に訊いた。 「うん」 「どうしたん」  しかし私には答えられなかった。  幸いなことに、矢は目を傷つけてはいなかった。瞼の上の方に当たったらしかった。医者は、縫った方が早く直るが女の子だししかも顔だからと赤チンを塗って眼帯をしただけで涼子を帰した。血の量ほどには傷はひどくなかったのである。  母は父の報告を聞いてほっとしたようだった。「もし失明なんてことになったら、お母さんにどうやって謝ろうかと本当に心臓が縮んだわ」  私が父から厳しく叱られたのは言うまでもない。頭を拳骨で殴られた。自分が悪いので、どんなに殴られても仕方がないと私は覚悟を決めていた。しかし眼帯をした涼子が許してあげてほしいと私の隣で頭を下げたので、父もそれ以上手を上げなかった。  涼子の傷はほどなく癒えたが、よく見ると目尻に一センチほどの傷痕が残っているのがわかった。涼子は別に傷痕を気にする風もなく、以前と同じように私に接してくれたが、私の方には子供心にも負目があった。田辺さんが「その程度の傷、キスするくらい近づかな、わかれへんよ」と笑いながら言ったりすると、キスするときにはわかるんやと私は逆に落込んだ。涼子は結婚できるんやろかと本気で心配した。  父は涼子のことをどう思っていたのか、今となっては知る由もないが、ただの従業員として接していたとは考えにくい。母と同様に娘が一人増えたくらいに思っていたのか、あるいはそれ以上の感情があったのか。  涼子がきて二年目の夏、店の慰安旅行で琵琶湖に海水浴に行った。父の会社の保養所にキャンセルがあり、父が母の意向を聞いて借りたのだった。毎年日帰りでどこかに行くことはあっても、泊りで慰安旅行をするのは初めてだった。ましてや父が同行するのも今までなかったことだった。  保養所は湖岸のすぐそばに建っていて、小ぢんまりとした建物だった。私たちの他には泊り客は一家族だけで、ほとんど借切りみたいなものだった。  私たちは早速水着に着替え、岸辺に行った。五十メートルほどの砂浜があり、寝そべって日光浴をしたり、水辺で遊ぶ人の姿がちらほらと見えた。セパレーツの水着を着た赤井さんは恥ずかしい恥ずかしいと言いながら砂浜に出たが、意外と少ない人の数を見ると、ちょっと残念そうな顔をした。涼子は学校で着るような紺の水着だった。  母と田辺さんと加藤さんは保養所で借りたビニールシートを敷いて、日光浴兼おしゃべりを始めた。私と弟は浮き袋につかまって波打ち際で波乗りをして遊んだ。水は少し冷たくて、所々に藻が生えていた。涼子は赤井さんと岸に沿ってきれいな抜き手でひと泳ぎすると、母たちのところに戻った。  遅れてやって来た父が涼子に何か声を掛けている。涼子は頷いて立ち上がった。二人がこっちへ歩き始めると、「あなた、あまり遠くへは行かないで下さいね」と母が声を掛けた。 「わかってる」父はぼそっとそう答えると、涼子と一緒に湖に入った。両手で胸に水を掛けてから涼子と並んで沖に向かって泳ぎ始めた。涼子も父に習って、抜き手ではなくて本格的なクロールで進んでいく。  私は水から上がると、母のところに行って「お父ちゃん、さっきお姉ちゃんになんて言うたの」と訊いた。 「クロールはできるかって言ったの」 「それだけ?」 「そうよ」 「だったらなんであんなに遠くまで行ってしもたん」  二人の姿は遥か沖合いに点になっていた。 「遠くまで行かないでって言ったのに」母は不機嫌な声でそう言った。 「ご主人、涼ちゃんが泳げるんでうれしくなったんと違いますか」  加藤さんがとりなすように言った。 「そうなのよ。子供の頃浜寺の水練学校で鍛えられたというのが自慢なのよ」 「あら、ご主人て、自慢なんかしやはるんですか」  田辺さんがすっとんきょうな声を出した。 「そりゃあするわよ。男ですもの」  波があっても二人の姿は見えていたが、先ほどより様子が少しおかしかった。二つの点が一つに重なり、泳ぐというより一つ所にじっとしているように見えた。母たちも何かおかしいことに気づき、シートから腰を上げると水辺まで出てきた。  一つに重なった点が岸辺に戻り始めた。 「何かあったのかしら」母が呟いた。  そのうち様子がはっきりし出した。紺色の水着を着た涼子が仰向けになっており、父が彼女の顎の辺りに手を掛けて引っ張っているのだった。  母たちは大騒ぎしだした。誰かを呼びに行ったほうがいいんじゃないかとかボートを借りて助けに行こうとか口々に言い合いながらも、なすすべなくおろおろしているだけだった。弟はそんな母の姿を見て、しきりに手を引っ張って水辺から引き離そうとしていた。  赤井さんが「私、行ってきます」と沖に向かって泳ぎ始めた。母は私の持っていた浮き袋をつかむと、「赤井さん、これ持って行って」と放り投げた。赤井さんは横に落ちた浮き袋に腕を入れ、泳ぎにくそうに平泳ぎで進んでいった。  赤井さんが二人に合流すると、まず涼子を浮き袋の中に入れ、父と赤井さんが浮き袋を押しながら泳ぐという恰好になった。それを見て母も田辺さんも加藤さんもやっと胸をなで下ろしたようだった。私は初めから心配などしていなかった。こわい父親だったけれど、いや、こわい父親だったからこそ大丈夫だという確信めいたものがあったからだ。  母たちは水の中に入って、父と涼子と赤井さんを迎えた。涼子は右脚のこむら返りでびっこを引き、父は疲労困憊の体でシートの上に倒れ込んだ。  涼子が本当に申し訳なさそうな表情で母に謝った。 「別にあなたが謝らなくてもいいのよ。悪いのはこの人なんだから。私があれほど遠くまで行かないでって頼んだのに、あんなに遠くまで行ってしまうんだから。こんな冷たい水の中をいきなり泳がせたら、誰だってこむら返りくらいなりますよ。そんなこともわからないで、どんどん泳いでいってしまうんだから。どんなに心配したことか、こっちの身にもなって下さい」  母は本当に怒っていた。父は目を閉じて聞いていたが、ゆっくりと起き上がると、「すまん」とひとこと言った。そして田辺さんや加藤さんを見回して「心配かけて申し訳ない」と頭を下げた。 「先生、もうええやないですか。こうしてご主人も涼ちゃんも無事だったことだし」と田辺さんが言った。 「それにしてもご主人、さすがやわあ。溺れている人を助けることもできるんですね」  父は照れ笑いを浮かべ、再びシートに倒れ込んだ。  その晩、どういうわけか父の機嫌がよかった。食事が終わってテレビを見てくつろいでいるとき、父がダンスをしようと言い出した。小さな保養所なのに、二十畳ほどのバーカウンターの付いたホールがあったのだ。 「あれえ、ご主人、ダンスなんかされるんですか」と田辺さんが訊いた。 「学生の時に覚えたのよ。慶応ボーイとしてかなり鳴らしたんだって」と母が代わりに答えた。父は笑っている。  私には初耳だった。父とダンスがうまく結びつかなかった。ダンスをしている父というのは目の前の父とは正反対のタイプに思えたのだ。  だからダンスホールでレコードから流れる音楽に合わせて父と母が踊っている姿を見たとき、私はどこか裏切られたような気持ちになった。私や弟に対して、どうしてダンスを踊るような父親であってはいけないのかという思いがしたのだった。  父は上機嫌で田辺さんたちにルンバやジルバを教えた。中でも涼子は呑み込みが早く、すぐに父の相手になってステップを踏めるようになった。 「やっぱりリズム感がいいのね」と母が感心した。  父は涼子の呑み込みのよさが楽しいらしく、次々と複雑なステップを教えて、何曲も踊り続けた。  NHKのど自慢大会の予選が行われたのは、確か十月だったと思う。たまたま近くの市民会館で行われることになり、涼子の歌の上手なことを知っていたお客さんが教えてくれたのだ。母も田辺さんもまるで自分が出るみたいに大乗り気で、涼子に出場を勧めたが、涼子はなかなかうんとは言わなかった。日時が日曜日であるため仕事を休まなくてはならないのと、予選を通過しても賞品が出るわけではないからというのが渋る理由だった。 「何言ってんの、予選に通ったらテレビに出られるのよ。それに仕事の方は大丈夫。何なら店を休んでみんなで応援に行ってもいいくらいよ」  母がそう言うと、涼子は「そんなの、困ります」と手を振った。 「お姉ちゃん、出たらええのに」と私が言った。 「今度は何ももらえないんよ」 「テレビに出たら、恰好ええもん」 「でも、大勢の前で歌うの、恥ずかしいわ」 「去年の盆踊りでは、堂々と歌ってたじゃないの」と母が言う。 「あの時は何だか無我夢中でしたから」 「テレビに出たら、田舎のお母ちゃんも見るんと違う?」  私はふっと思ったことを口にした。その一言が涼子を動かしたようだった。母が後で、義明は人情の機微を心得ていると大げさに感心したが、私にはそれがどういうことなのかわからなかった。自分ではただの思い付きに過ぎなかったから。  当日、午前十時に市民会館に集合ということで、涼子は店を開ける九時前に母から髪をセットしてもらった。母は赤くて派手なワンピースを着たらと勧めたが、涼子は目立つと恥ずかしいのでと紺色のスカートに同色のカーディガンを着た。  父が自転車の後ろに涼子を乗せて行くことになり、私は歩かなければならなかった。母は弟を連れていくようにと言ったが、私はあかんべをして一人で行った。  市民会館に着くと、父が自転車の横で難しい顔をして立っていた。お姉ちゃんはと訊くと、もう入ったと父は答えた。  会場の入口には、「NHKのど自慢大会予選会場」と墨で書かれた紙が貼ってあった。中に入ると前の方に大勢の人がいて、私はぎょうさんの人が見に来てると思ったが、実はそうではなくみんな予選に出る人たちだったのだ。見るだけの人は後ろの方にちょろちょろといるだけだった。父と私も後ろの席に腰を降ろした。  時間が来て、司会の人が舞台に立ち、次々と名前を呼ぶ。呼ばれた人は舞台に上がってアコーディオンの伴奏で三節ほど歌う。そして鐘が鳴っておしまい。一つだけ鳴った人はそのまま舞台を降りて帰ってしまう。連打された人は舞台の袖に消える。  涼子の名前が呼ばれたのは、二十人くらいが終ったころだった。歌は「高校三年生」で、遠くからは彼女が緊張しているかどうかなどは全くわからなかった。ただ歌声は去年の盆踊り大会と同じく澄んでいて、すぐに鐘が連打された。私はやった、やったとはしゃいだが、父はむずかしい表情を崩さなかった。 「合格する人数が多すぎるから、まだテレビに出られるとは限っていない」と言って父は私をたしなめた。そう言われると、確かにそうだった。二次予選があるのかと父も私も最後の人間が舞台に上がるまで見続けたが、結局それで終りだった。  何だかよくわからないまま外に出て涼子を待ったが、彼女はなかなか出てこなかった。一時間ほどたって、先に帰ろうかと父が言った矢先、涼子が姿を現した。浮かない顔をしていたので、私はてっきりだめだったと思った。 「どうだった」と父が訊いた。 「テレビに出られるみたいです」  しかし涼子はうれしそうな顔をしなかった。 「やったやんか、お姉ちゃん」  私一人が涼子の手を取ってはしゃいだ。涼子の話によると、合格した人間が一人ずつ呼ばれて話を聞かれたらしい。涼子が、父の死で高校を中退して大阪に美容師になるために来ていることを話すと、すぐに出演が決まってしまったのだ。歌のうまさよりもその話のほうで決まってしまったようなのを涼子は気にしていた。 「どっちにしてもテレビに出られるんやから、これはグッドニュースや」  父が珍らしく軽妙な言い方をした。 「はい」初めて涼子が笑った。  店に帰ると、大騒ぎになった。母は実家のお母さんに電話しなきゃと言い、涼子が電話はないんですと答えると、それじゃあ手紙、いや電報がいいわと今にも郵便局へ駆け出しそうだった。 「郵便局はきょうは休みや」と父が笑い、「本番は一ヵ月も先なんやから、手紙で十分や」と言った。  田辺さんは田辺さんで、もう本番の時に涼子の着ていく衣装の心配をした。加藤さんも赤井さんもお客さんをそっちのけで、涼子に予選の様子を訊いたりした。涼子は戸惑うようなうれしいような表情で騒ぎの渦中にいた。  しばらくしてNHKから案内状が送られてきた。母は神棚があれば神棚にまつるんだけどと言いながら、仏壇に案内状を納めて手を合わせた。私も面白半分に涼子と一緒に手を合わせた。店が休みの月曜日には、母と田辺さんと涼子がそろって梅田の百貨店に衣装の下見に行った。行ったその日に決めればいいのに、なかなかそうはいかないらしかった。レコードプレイヤーを買ってきたのは父で、その日から毎晩「高校三年生」が流れることになる。それまでだれもレコードを聞いて練習しようなどとは思いも付かなかったので、父はみんなから褒められた。そういったことすべてがひょっとしたら重荷になるかもしれなかったが、涼子はそんな素振りはこれっぽっちも見せず、どこか楽しい遠足を心待ちにしている子供のようなところがあった。テレビに出て歌うだけでいい、合格なんて考える必要がないと思っていたのかもしれない。  本番当日は日曜日で、お昼の生放送だった。母は店を休んでみんなで応援に行きたかったらしいが、涼子が頑として承知しなかった。臨時休業をするんだったら、テレビに出ませんと言ったらしい。みんなに応援に来られたら、上がってしまって歌えなくなるからというのが、その理由だったが、もちろんそれは表向きで、稼ぎ時の日曜日に店を休んでもらうわけにはいかないという気持ちがあったのだろう。  母は納得して、代わりに父に私と弟を連れて応援に行ってほしいと頼んだが、父はだめだめと手を振った。どうやら応援席を映されて自分の姿がテレビに流れることを恐れたらしい。結局涼子一人で大阪放送局まで出かけた。  昼前になると仕事もそっちのけで、全員食堂のテレビの前に集まってきた。事情を話すとお客さんまでが中に入ってきて、テレビに見入った。父は会社で借りてきたカメラを手にしている。  番組が始まって五人目に涼子が登場した。母と田辺さんが選んだピンクのワンピースに白い靴を履いている。全員が拍手をする。涼子は堂々として見えた。  涼子の髪がきれいに仕上がっているのを自分で褒めてから、「この子、テレビ映りがいいわ」と母が言った。確かに涼子は美しかった。本物の歌手のように、登場しただけで画面が華やかになった。  歌は一ヵ月近く聞き続けた「高校三年生」だった。父は画面に近づいてカメラのシャッターを押す。歌の途中でこれは合格間違いないわと誰かが言い、ほどなく鐘が連打された。また拍手が起こる。そして驚いたことに、涼子がグランドチャンピオンに選ばれたのだった。司会者は涼子が父の死によって高校を中退し、美容師になるために頑張っていることを紹介し、ふるさとのお母さんに挨拶したらと促した。涼子は少し戸惑ってから右手を小さく振ると、「お母ちゃん、やったよ」と言い、そのまま手を目頭に当てた。母も田辺さんももらい泣きをして、目頭を押さえる。司会者が「お母さん、あなたの娘さんは大阪で頑張っていますから心配なさらないで下さいね」と言って番組は終わった。  涼子が帰ってきて、また大騒ぎだった。グランドチャンピオンのトロフィーを囲んで写真を取ったり、涼子がはやっている歌謡曲を次々と歌った。加藤さんと赤井さんも最後まで付き合って、零時過ぎにタクシーで帰っていった。  それから二週間ほどたったころだった。私が学校から帰ると、田辺さんや加藤さんが騒いでおり、何事かと思ったらレコード会社から涼子に電話があったと言うことだった。私は別に驚かなかった。誰だってあのテレビの涼子を見たら、歌手にしようと思うに違いないという気がしたから。去年の盆踊り大会のときから、そんな予感がしてたんやと私は田辺さんに言ったが、田辺さんは全く聞いていなかった。母だけが困ったような顔をしていた。  夜、父はその話を聞くと、本人の意志を確かめるのが一番だからと涼子を呼んだ。 「歌が好きか」  涼子は頷いた。 「歌手になりたいか」  涼子は少しためらってから、小さく頷いた。 「よし、わかった。実家のお母さんと相談して決めなさい」  傍で聞いていた母があわてて、「あなた、そんなふうに簡単におっしゃらないで下さい」と言った。「この子を美容師にするために、私はお母さんから預かったんですよ」 「そやから、お母さんと相談しなさいと言うてるやろ」  母は言葉に詰まり、涼子に向かうと、「歌手なんかに簡単になれないんだから、ようくお母さんと相談して決めるのよ。いい、わかった?」  涼子は真剣な顔で「はい」と頷いた。 「歌が好きやから歌手になりたい。単純な話や。気に入った」  父もどうやらレコード会社からの話に興奮しているようだった。  それから何回か涼子の母親と母の間で手紙のやりとりがあり、結局母が涼子の保護者代わりとして、東京のレコード会社まで付いていった。店が休みの月曜日の朝早く出て、当時できたばかりの新幹線で東京まで行き、夜遅く帰ってきた。私は新幹線に乗った母や涼子が羨ましくて仕方がなかった。私は帰ってきた母に、涼子のことはそっちのけでひかり号のことばかりを訊いた。まだ新幹線に乗ったことのない父も、一応涼子のことの報告を聞いてから、ひかり号の話に耳を傾けた。  涼子はレコード会社からの紹介で、年が明けてから週一回月曜日に宝塚に住む作曲家の歌唱指導を受けることになった。作曲家のオーケーが出たら、レコードデビューするということだった。  歌唱指導が始まると、月曜日ごとに私は涼子と一緒に家を出た。私は中学一年になっており、大阪市内の中学校に越境入学をしていた。そのため京阪電車で天満橋まで通っていたのだが、涼子はその先の淀屋橋まで行って地下鉄に乗り換え、梅田でさらに阪急に乗り換えて宝塚に通った。私が電車に乗るころはちょうどラッシュアワーで、母は時間を遅らせたらと言ったが、涼子は早く行かないと先生がうるさいんですと時間を変えなかった。涼子は私と一緒に出かけることを喜んでいるようだった。私は離れて歩きたいような、しかし一方では並んで歩きたいような複雑な気持ちだった。ホームで電車を待っているとき、サラリーマンたちの視線が隣の涼子にちらちら行くのを私は見逃さなかった。私は綺麗な姉を持った弟のように何となく誇らしい気持になった。だからラッシュアワーの先輩として涼子を守らなければならなかった。乗客のなるべく少ない車両を選び、ドアが開くとさっと入って反対側のドアと座席の空間を確保し、そこに涼子を入れて私が他の男たちから守るという態勢を取った。そういう態勢の取れないときは、二人とも乗客の動きに身を任せるしかなかった。私の身体は涼子に密着し、彼女の匂いが鼻腔を打った。  天満橋のホームに電車が入ると、涼子もドアの近くまで来て、私が降りるとドア越しに涼子が手を振ってにこっと笑った。私も笑い返し思わず手を振ると、同級生が見ていないかと周りを見回した。誰もいないとわかると、もう一度涼子に手を振ってホームの階段を駆け上がった。  涼子は月曜日以外でも、先生から課題を与えられているらしく夜になるとレコードの伴奏で歌の練習をした。のど自慢大会の前の練習とは比べものにならなかった。まず第一に声量が違った。二階の子供部屋にいても、まるで隣で歌っているような感じだった。それに同じところを何度も練習する。さすがに母も困って、涼子の練習場所を店の中にした。田辺さんと涼子の部屋が声をある程度遮断し、食堂兼居間にあるテレビも何とか聞こえるようになった。  涼子は月曜日の夜には、いつも疲れきった表情で帰ってきたが、どことなく楽しそうだった。私と弟のためにケーキを買ってきてくれることもあった。本来の仕事である美容師見習いも手を抜くことなく真面目にやっていたが、夜は歌の練習に取られて仕事の練習ができなくなった。美容師というのは手先の仕事だから、技術を身につけるには練習しかないのだ。しかしその時間がない。母はこのままではどっちつかずになると心配したが、それは杞憂に終わった。  四月になって私は中学二年生になり、その初めての月曜日涼子と二週間ぶりに一緒に電車に乗ったのだが、それが最後の同伴通学になってしまった。その晩、涼子は帰ってこなかった。それまで無断外泊はおろか、ただの外泊さえしたことがなかったから、母も田辺さんも驚いたが、ただ行き先はわかっているので、それほど心配をしているようには見えなかった。  しかし次の晩もその次の晩も涼子は帰ってこなかった。連絡もないのでさすがに心配になって、母が作曲家の家に電話をした。お手伝いさんらしい女性が出てきて、涼子は当分住み込みで歌手になるための勉強をするということを伝えたらしい。それを聞いて、父が途端に不機嫌になった。向こうに連絡して、とりあえず帰ってくるように言えと母に怒鳴った。だが、すでに母は諦めているようだった。涼子は歌手になるために住み込んだのではなくて、愛人として囲われているに違いないというのが母の言い分だった。田辺さんが電話をして直接涼子と話した感触からも、それは裏付けられたようだった。  もちろんこういった話は私と弟を二階に上げたうえで交わされたことだったが、私と弟は階段の上がり口で腹ばいになって聞いたのだった。  母はそう言えば近ごろ涼子の様子がどことなくおかしかったと言い出した。仕事中にぼおっとしていたり、意味もなく笑い出したりすることがあって、変だなと思っていたのだが、「こういうことだったのね」と溜め息をついた。 「女の子を預かるって難しいわね」  傍らで聞いていた田辺さんが困ったような表情を見せた。  私も薄々と涼子の陥っている情況が飲み込めてきたが、涼子が私にそんな素振りを少しも見せなかったのが不思議だった。あるいは見せていたのかもしれないが、私が幼すぎて気づかなかっただけなのかもしれない。  一度だけ涼子に作曲家の先生のことを尋ねたことがある。 「どんな先生やの」ホームで電車を待っているときだった。涼子はしばらく笑ってから、「厳しいけれど、面白い先生」と答えた。 「ええな」私は学校の先生のことを思い浮かべ、心底そう思った。面白い先生がいなかったのだ。 「義っちゃん、一度一緒に来る?」 「うん」  しかしその機会は来なかった。  涼子が戻ってきたのは、四カ月後の夏だった。夕食が終わってテレビを見ていると、玄関の引き戸が開き、田辺さんに連れられて涼子が入ってきた。俯いている。 「あ、お姉ちゃん」弟が声を上げた。 「義明、友昭、二階に行っていなさい」母が言った。父は難しい顔をしている。二人とも驚かないところを見ると、あらかじめ涼子が来るとわかっていたようだった。私と弟がぐずぐずしていると、「早く行かんか」と父が怒鳴った。  私と弟は二階に飛んでいき、例によって階段口に腹ばいになった。 「とにかく涼ちゃん、ご主人に謝るのよ、ね」田辺さんの声だ。次に何を言っているのかわからない涼子の小さな声。 「何しに帰ってきた」と父が言った。 「あなた、そんな言い方はないでしょう。この子もこうして謝っているんですから」 「うるさい、おまえは黙ってろ」  父の興奮した声に私は耳を塞ぎたくなった。 「家には二人の息子がいるんや。まだ子供や。そんな子供の前で色恋沙汰の騒ぎを起こしてもらいたくないんや。わかるやろ。親として当然の気持や」 「やっぱり駄目ですか」田辺さんが言った。 「あかん」  突然ばたんという音がした。私は階段下の突き当たりにある便所に行く振りをして階段を降り、戸の隙間から食堂を覗いた。椅子が倒れており、涼子が床に土下座をしていた。 「心を入れ替えて、美容師になるために一生懸命勉強しますから、どうかここに置いて下さい」  そう言うと、涼子は嗚咽を漏らし始めた。田辺さんが涼子の腕を取って、「いいから、もう立ちなさい」と声を掛けても、首を振って泣くばかりだった。私には父が涼子を泣かせているとしか思えなかった。 「おまえに任せる」と父が母に言って立ち上がり、階段の戸を開けた。私と目が合うと、父は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐにこわい顔に戻って二階に上がっていった。私は床に両手をついたまま泣き続ける涼子の姿をじっと見ていた。  結局母の執り成しで涼子は再び従業員として働き始めたが、以前の元気はまるでなくなってしまった。鼻歌さえ口ずさまなくなり、ぼんやりとしていることが多くなった。休みの日に外に出ることはなく、というより外出できるような雰囲気ではなく、涼子宛の電話にも母か田辺さんが出て、本人には取り次がなかった。子供心にも、こんなことは絶対におかしいと私は思った。当然長続きはせず、二カ月後涼子は黙って出ていき、二度と姿を見せなかった。  田辺さんの話によると、実家にも連絡がないということで、作曲家の許へ戻ったのではないかと母も勝手な憶測をした。私だけが涼子は歌手になるために勉強してるんやと思い、いつか新人歌手としてデビューするに違いないとそれらしきテレビ番組があると必ず見たが、涼子の姿はどこにもなかった。涼子が歌手になれないのは、私が矢で彼女の目尻に負わせた傷のせいではないかと私は本気で考えた。その後悔の気持は長く私を苦しめた。  三年後、作曲家の死亡記事が新聞の片隅に小さく載ったが、もちろん涼子のことなどどこにも書いていなかった。  さらに四年後、私は大学生として名古屋にいた。当時大学紛争が頂点に達していたときで、私も全学共闘会議の一員として、大学改革を叫んでいた。  栄の久屋大通りで安保反対のジグザグデモをしていたとき、機動隊の規制を受けて小競り合いとなり、私と他の数人が頭を割られて入院をした。  そんなある日、看護婦が面会の方ですよと六人部屋の私のベッドのところにやってきた。私は読んでいた雑誌を枕許に置き、上半身を起こした。面会人の心当たりがつかなかった。入院して一週間以上たっており、来そうな人間は最初の頃にみんな来ていたからだった。  看護婦の後から遅れて和服姿の女性が現れた。私に向かって深々とお辞儀をする。その瞬間、私は涼子であることを認めた。服装も髪型もまるで変わっていたが、面差しは昔と同じだった。 「こんにちは」私は間の抜けた声を出して頭を下げた。  涼子はいたずらっぽい目で私をじっと見てから、「誰だかわかります」と言った。 「うん」と私は答えた。「お姉ちゃんでしょ」 「ああよかった」涼子は胸に手を当てると、ほっとしたような声を出した。「義っちゃんは全然変わってないもの。身体も大きくなって、顔も大人っぽくなったけど、この辺りは全く一緒」  涼子は自分の鼻の周りを指で円を描くようにした。 「私の方はずいぶん変わったでしょ」 「ううん、一目でわかったよ」 「うれしい」  そこで話が途切れた。私には訊きたいことが山ほどあったが、どれもこれもこちらから訊いてはいけないことのように感じていた。とりあえず涼子に椅子を勧め、彼女は持ってきた紙包をお見舞いと言って私に渡してから腰を降ろした。山の写真集だと彼女は言った。私はそれを枕許の雑誌の上に置いた。 「先生はお見えになるの」と涼子が訊いた。私は一瞬担当医の先生のことかと錯覚したが、すぐに母のことを言っているのだとわかった。 「最初の二日は泊まり込んでくれたけど、後は月曜日にだけ」 「大阪からですもの、大変よね。ところでお父様はお元気」 「父は死にました」 「え?」 「一年前に癌で」 「そうなの」  涼子は俯いて、しばらく黙った。私は涼子が今にも泣き出すのではないかと思った。私は何か話さなければならないと思い、どうして私がこの病院にいることがわかったのか尋ねてみた。涼子は顔を上げ、少し笑顔を見せてから「新聞記事なのよ」と答えた。デモ隊が機動隊と衝突して三人の学生が公務執行妨害の罪で逮捕されるという小さな記事の中に、私の名前が載っていたと言うのだ。変わった名前だからもしやと思って新聞社に問い合わせ、こうして来てみたらやっぱりと涼子は笑った。記事が載ったのは一週間以上も前の話だし、どうして今ごろという気がしたが、私は黙っていた。ひょっとしたら母と顔を合わせたくなかったのかもしれないと私は思った。  隣のベッドのラジオからナツメロ番組なのか古い歌謡曲が流れてきた。私と涼子はふっと耳を澄ませた。「高校三年生」ではなかったが、よく涼子が口ずさんでいた歌だった。不意に私はこうして涼子に再会できたことを奇蹟のように感じた。会ってすぐに感じなかったのが不思議なくらい懐かしさが私を満たした。 「あら、もうこんな時間」と涼子は腕時計を見ると、立ち上がった。 「先生のためにもあまり無茶をしないで、頑張ってね」 「うん」 「それじゃあ」  涼子は軽く頭を下げて行きかけたが、すぐに戻ってくると、バッグから紙切れを取り出した。 「はい、これ」と言って、涼子は私にそれを手渡した。普通のものよりも一回り小さい名刺だった。「クラブ亜紀美」という文字が刷ってある。 「小さいお店だけど、何と私がママをしているのよ」  涼子は少し恥ずかしそうにそう言うと、「頭の怪我が治ったら、一度遊びに来て。友達と大勢で来てもいいわよ」と付け加えた。私には頷くものがあった。和服姿の涼子を見た瞬間から、そんな気がしていたのだ。 「すごい」と私は答えた。「ぜひ行くよ」  しかし怪我が治って退院しても、私はなかなか涼子の店に行こうという気にはなれなかった。涼子の変わり様を見るのがこわかったせいかもしれない。  一ヵ月たって、ようやく私は決心して、涼子の店に出かけた。桜通りから栄に向かう筋の真ん中あたりのビルの六階にあった。今まで女の子のいるスナックには入ったことがあったが、ホステスが横に坐るような店には入ったことがなかった。  私は名刺の「亜紀美」という文字と看板の文字が同じであることを何度も確かめてから、エレベーターに乗り込んだ。  六階には店が二つあり、手前の扉に「亜紀美」という札が掛かっていた。黒塗りのいかにも頑丈そうな大きな扉だった。思い切って扉を押すと、ちりんちりんと鈴の鳴る音がした。同時に「いらっしゃいませ」という何人かの女たちの重なり合う声が聞こえてきた。恐る恐る身体を入れると、頭を整髪料で光らせたウェイターがやって来て、珍しい動物でも見るような目付きで私を見た。私はジーンズに長袖のセーター、それに運動靴だったから、警察に追われて迷い込んできたデモ学生に見えたかもしれない。私は手に持っていた名刺を相手に示しながら、「えーと、……ママは?」と店内を見回した。結構広い店で、四人のホステスがカウンターの椅子に腰を掛けながら私の方を興味深そうに見ている。どうやら私がその日の最初の客のようだった。 「ママに何かご用ですか」 「ちょっと話があって……」 「話?」 「はい」  ウェイターは疑わしそうな目をしていたが、たぶん名刺の威力だろう、私を案内してカウンターの端に坐らせてくれた。ママは一時間ほどしたら出勤するということだった。  そのうち背広姿の男たちがやって来て、店内は急ににぎやかになった。私は注いでもらったビールにほとんど口をつけずに、涼子の現れるのを待った。一時間というのは長くて、もう一度出直そうかと何度も思ったが、そうしたら二度と来る気がなくなるような気がして我慢した。 「義っちゃんじゃない」突然後ろから声がかかった。振り返ると和服姿の涼子が笑いかけていた。 「一時間も待っていたんですって。どうして電話しなかったの」  全く思いつかなかったから、私には答えようがなかった。 「きょうは一人? 友達と一緒じゃないの」 「うん」 「そこじゃ話しにくいから、こっちに来て」  涼子は私をボックス席に案内した。私は落ち着かなかった。涼子の店を一目見るだけで目的は達したという気持だったから、ボックス席に腰を落ち着けることに抵抗があった。だから早く帰りたいという意味で、「あまりお金持ってないから」と言うと、「何言ってるの。お金のことは心配しないで」と涼子に叱られてしまった。  涼子は私の向かいに腰を降ろすと、病院の時とは違って次々と私や家のことを訊いてきた。私の大学での生活や専攻科目、全共闘運動のこと、果ては仕送りの額やガールフレンドのことまで。私はひとつひとつの質問に丁寧に答え、家のことに話が移ると、田辺さん、加藤さん、赤井さん、それに弟の近況を語った。田辺さんは結婚と同時に店を辞めて最近子供ができたこと、加藤さんは実家の近くで自分の美容院を開いたこと、赤井さんは国家試験に合格して一人前の美容師としてまだ店で働いていること、弟は高校に入学し、野球に熱中していること。 「みんなに一度会いたいわあ」聞き終わると、涼子はそう言った。心からそう思っているように見えた。  そのうち客が立て込んできて、涼子は客の応対に追われ出した。私の相手に涼子と同じくらいの年頃のホステスがやって来て、私の隣に腰を降ろした。私は身体を堅くした。  ホステスは私のグラスにビールを注ぎながら、「ねえ、あなた、ママの弟さんなんですって」と言った。  私は驚いたが、「ええ、まあ」と答えた。 「ずっと会ってなかったんですって」 「ええ」 「どうして」 「……帰らなかったから」  私は主語を省いて自分とも涼子ともつかないように答えた。 「聞いてるわよ。ママ、歌手になるまで在所に戻らないって言ったんでしょ」 「……ええ」 「でも、新人歌手のキャンペーンのときに戻らなかったの?」 「お姉ちゃん、歌手になったんですか」 「あれえ、知らなかったの」 「ええ」 「舞原亜紀美という名前で確か五年前にデビューしたのよね。でも一曲だけで終わり。ほら、ここの店の名前の亜紀美はそこから取ったのよ」 「デビュー曲の名前は何ですか」 「えーと、確か『恋のカルテ』とかいうポップス調の歌謡曲よ。私、一回だけ聞いたことがあるけど、売れそうもない曲だったわね。私思うんだけど、ママは絶対演歌よ。ママの声って演歌向きだもの。私、演歌歌手として再デビューしなさいよってママに言ったことがあるんだけど、笑ってごまかされちゃった」  私はトイレに行き、ボックス席には戻らずに帰ることにした。これ以上いても涼子と話ができそうもないし、ボックス席を一人で占領していることも気になっていたのだ。その旨を涼子に告げると、「また来てね」とドアのところまで送ってくれた。 「今度来るときは電話してね」 「うん」  ドアを開けて出ていこうとすると、「絶対にもう一度来てね」と涼子が念を押した。 「うん」  行こうとすると、「義っちゃん、ちょっと待ってて」と言って涼子は中に引っ込んだ。  しばらくして涼子は和装コートを羽織り、バッグを持って出てきた。私が怪訝そうな顔をすると、「仕事はもうおしまい。今夜は義っちゃんに付き合うわ」と涼子は舌を出して笑った。  下に降りて通りでタクシーに乗った。涼子は私にお腹がすいていないかと訊き、私が首を振ると、「じゃあ、義っちゃんのよく飲みに行くところは?」と尋ねる。  そんな所はなくて私が返答に詰まっていると、「そうだわ。私のところで飲みましょ。それがいいわ。その方がリラックスできるし。ね、いいでしょ」  涼子の言い方はやさしかったが、有無を言わせない力があった。私は口ごもりながら「ええ、まあ」と答えるしかなかった。  涼子は運転手に行き先を指示し、「久しぶりに弟に会ったから、積もる話がいっぱいあるのよ」と話しかけた。 「ほう」と答えて、運転手はタクシーを発車させた。  私はホステスから聞いた話を涼子に確かめてみた。涼子はキャンペーンで全国のレコード店やラジオ局を回った話をした。 「確か札幌の一番大きなレコード店に行った時ね、プロレスラーの肩に担がれて歌ったのよ。そうしたら途中で後ろに倒れそうになって、思わずマイクを落としてしまい、店長にえらく怒られたわ」  涼子はそう言って、懐かしそうに笑った。  涼子の住まいはマンションで、出入口に鍵のかかった豪華な建物だった。部屋は四階で、涼子はバッグから鍵を取り出してドアを開けると、「ちょっと待っててね」と先に中に入った。  私は「関口」と書かれた表札に目をやり、左右の廊下を見た。人気がなく、静まり返っていた。何だか異次元の空間に迷い込んだような錯覚を覚えた。  ドアが開き、「どうぞ」と涼子が招いた。「お邪魔します」と私は呟いて中に入った。  運動靴を脱ごうとすると、スキー板が立てかけてあるのが目に入った。私が見ていると、「スキーをするのよ。新人歌手のキャンペーンのとき体力のなさを痛感したものだから、先生に勧められて」と涼子が言った。先生とは誰のことかと思ったが、黙っていた。 「義っちゃんはスキーする?」 「ううん」 「したらいいのに。名古屋はスキー場に近いんだから、大学にいるうちに覚えたら面白いわよ」  お金がかかるからと答えようとして、やめた。  部屋は新しく、真ん中に十五畳ほどもある木の床の居間があった。四畳半の自分の下宿と比べると、雲泥の差があった。  ソファーがあり、涼子は私をそこに坐らせた。足許には毛足の長い円形の絨毯が敷いてあった。涼子はテレビをつけ、着替えるからと別の部屋に入っていった。テレビを見るのは久しぶりだった。ニュースが流れており、どこかの大学に機動隊が入ったことを報じていた。  涼子はワンピースの部屋着に着替えて出てきた。和服に比べてずいぶん若く見え、歳の差が縮まったせいか私は急にどぎまぎした。 「何か食べる」と涼子が訊いたので私が頷くと、彼女はカウンターテーブルの向こうのキッチンに入った。 「先生のところでご飯ごしらえをさせてもらったおかげで、私、料理が得意になったのよ」  キッチンから涼子が声をかけた。この先生とは母のことだと察しがついた。 「それに掃除や洗濯まで手早くなって、まるで花嫁修業をさせてもらったようなものね。店の女の子の髪もセットしてあげられるし」  私は手を洗うために涼子に場所を訊いて、洗面所に行った。広々としていて、隣にはバスルームがあった。私は感心しながら眺め、それから水道の蛇口をひねって手を洗った。そのとき鏡の下の棚に髭剃りを見つけた。手に取ってみると、胡麻のような髭が刃の間に残っていた。鏡を開けて中を見ると、歯ブラシが二本あり、男物の整髪料もあった。私はあわてて鏡を閉め、居間に戻った。  涼子が作ったのは、沢庵入りのチャーハンだった。スープもついている。それをソファーの前のガラステーブルに置き、絨毯に直接腰を降ろして、二人で並んで食べた。 「お姉ちゃんの作った料理を食べるの、何年振りかなあ」  私が何気なくそう言うと、涼子はスプーンを運ぶ手を止めた。横を見ると、涼子が涙を流していた。指で目許を押さえ、溢れるものに耐えているようだった。 「ごめんね。泣くつもりなんかなかったんだけど」 「いいよ」  それから涼子は自分のことを話し始めた。作曲家の先生と結婚しようとしたけれど、奥さんがどうしても離婚に応じなかったこと、そのためずっと愛人の立場でいたが、先生が突然なくなって途方に暮れたこと、大阪に居ずらくなって、人の紹介で名古屋に来て水商売に転じ、一年前に銀行からお金を借りて今の店を持ったこと。 「デビュー曲はその先生の作曲?」 「そうよ」 「聞かせてほしいけど、レコードある?」 「あるわよ」  涼子はオーディオセットの横のボックスを開け、中から一枚を抜き出してきた。白いパンタロンドレスを着た涼子が足を広げて横を向いている写真がジャケットに使われており、B面には「さよならは一度だけ」という曲が入っていた。  涼子は恥ずかしいわと言いながら、レコードをプレイヤーに乗せスイッチを押した。  アップテンポのリズムで、恋のすれ違いを歌った曲だった。ホステスが言ったほど声と曲が合っていないとは思わなかった。むしろ涼子の声の透明感が生かされているように思えた。  歌が二番目に入ると、涼子は「ちゃんと振りもあったのよ」と立ち上がって曲に合わせて手足を動かした。三番になるとマイクを握った恰好をして実際に歌いながら、ワンピースの裾も気にせずに足を上げ、腕を回した。  終わると、息を切らしながら涼子は床に尻をつけ、両腕を後ろにやって上半身を支えた。 「五年経っても忘れないものね。自分でもびっくりしたわ」 「お姉ちゃん、目尻の傷、どうなった」 「え?」 「ほら、ぼくが弓矢で傷つけたやつ」 「ああ、あれ。別にどうもなってないわよ」 「ちょっと見せて」  私は近寄っていって涼子の左目に顔を近づけた。化粧のせいか、ほとんど傷痕は見えなかった。 「実は、お姉ちゃんが歌手になれないのは、その傷痕のせいかもしれないって思ってたんや」 「ほんと?」 「うん。それでまあ、子供心にも悩んでたときがあって」 「そうなの。でも、もう心配しないで。私は一応歌手になったし、成功しなかったのはたぶん運ね。傷痕のことなんか気に留めたこともなかったのよ」 「それを聞いて安心した」 「義っちゃんて、何だか私の本当の弟みたい」 「うん」  涼子がレコードをボックスに片付けていたとき、「そのレコード、余ってたら一枚もらえるかな」と私は頼んだ。 「いいわよ。売れなかったからいくらでもあるのよ」  涼子は冗談めかして答え、一度納めたレコードを再び引っ張りだした。そのとき「面白いものを見つけたわ」ともう一枚レコードを抜き出し、持ってきた。もう一枚のレコードとは「高校三年生」だった。中に数枚の写真が挟んである。どれもピントがよく合っていないが、涼子がのど自慢でNHKに出たときのテレビ画面を写したものだった。父が写したのだ。 「この写真、家にはもうないよ」 「私も見るのは久しぶりよ」 「これに出えへんかったら、お姉ちゃんの人生も全然変わってたんやろな」 「今ごろは一人前の美容師になって、ひょっとしたら結婚して子供もいたかも」 「後悔してる?」 「ぜーんぜん」そう言って涼子は笑った。  私は帰ることにした。涼子は泊まっていったらと言ってくれたが、私はこのまま帰った方がいいような気がしていた。午前零時を過ぎており、地下鉄もバスもなかったが、「タクシーで帰るから」と私は玄関に立った。そこで別れるつもりだったが、涼子は「そこまで見送るわ」と部屋着の上にナイトガウンを羽織ってサンダル履きで出てきた。  タクシーの通る国道まで出る道すがら、私と涼子はひんやりとした空気と夜の静けさを確かめるように黙って歩いた。  国道に出ても、すぐにはタクシーが来なかった。何台か客の乗ったタクシーを見送ったとき、「義っちゃん」と涼子が言った。 「うん?」 「私、一つだけ嘘をついたのよ」 「………」 「銀行からお金を借りて店を持ったって言ったでしょ。あれは嘘。男の人に出してもらったのよ」 「………」 「驚いた?」 「ううん。ひょっとしてそうなんじゃないかなって思ってたから」 「あれ、義っちゃんて大人なんだ」  私は苦笑した。  タクシーが止まってドアが開いた。 「義っちゃん、今夜はありがとう」  涼子が右手を差し出した。私はレコードを左手に持ち替えて、涼子の手を握った。細くて柔らかい手だった。  タクシーが動き出すと、涼子が手を振った。私も振り返した。いつかの通勤電車と同じだった。  タクシーが交差点を曲がるまで、手を振る涼子の姿が見えていた。  その後私は半年ほどで大学を辞め、大阪に戻って職についた。涼子とは二度と会わなかった。涼子と名古屋で会ったことも自分の胸の内だけに納め、誰にも話さなかった。  父の十七回忌のとき、久しぶりに田辺さんが顔を見せた。読経がすんで仕出しの料理を囲んでいたとき、「そうそう」と田辺さんが母に話しかけた。 「先生、関口涼子って子、覚えてはりますか」 「ええ、覚えてますとも。歌の上手だった子でしょ」 「あの子ね、亡くなったんよ」 「ほんと?」  私は箸を止め、田辺さんの話に耳を澄ませた。 「一年前、大山の山スキーで雪崩に遭って」 「どうして知ってるの」  田辺さんの話によると、涼子は四年前に母親の病気で郷里に戻ってきて、実家の近くでスナックを開いたという。その二階では歌謡教室も開いて、大勢の生徒を集めたらしい。田辺さんも帰郷したときに一度寄ったことがあって、「すっかり水商売が板について」と驚いたということだった。それから田辺さんは涼子の昔のパトロンの噂について話し出したので、私は横を向いて親戚のおじさんとゴルフの話をした。  帰りの車の中で私はハンドルを握りながら、涼子の死について考えていた。というよりどう考えていいのかわからずに、ただ考えている振りをしていただけなのかもしれない。妻が「お父さんの法事で、えらくしんみりしちゃって」と勘違いするほど、私は落ち込んでいたのかもしれない。  その夜、私は「恋のカルテ」を聞こうと思ってレコードを探したが、引っ越しの合間になくしたのかどこにも見当たらなかった。私は新聞のラジオ欄で、電話リクエストをしている番組を探した。午後十一時から一つあり、私はラジカセを自分の部屋に持ち込んで番組の開始を待った。  十一時になって番組が始まり、受付電話番号を言ったのをメモして、私はすぐに机の電話のダイヤルを回した。しかし話し中だった。何回もかけ直し、ようやく通じると、私は、舞原亜紀美の「恋のカルテ」をどうしてもかけて欲しい、どこの局にもレコードがなくて、頼めるのはお宅の局しかないと懇願した。  しかし番組の半ばが過ぎても、涼子の曲はかからなかった。やはりなかったかと諦めて、もう寝ようと思ったとき、「次は大阪市のシモタシロヨシアキさんからのリクエストで、舞原亜紀美の『恋のカルテ』。シモタシロさん、探しましたよ。局にあるレコード倉庫の隅から隅まで探して、やっと見つけました。何と二十年前のレコードで、舞原亜紀美という歌手のレコードはこれ一枚なんですね。たぶんキャンペーンの時に持ってきた一枚じゃないかとディレクターが申しておりました。シモタシロさんの初恋の人、に似ている、ということですが、おかけしましょう、舞原亜紀美『恋のカルテ』」  スピーカーから涼子の歌声が流れてきた。私は机に頬杖をつきながら聞いた。所々プチプチと雑音が入ったが、十五年前と全く変わらず涼子はそこに生きていた。私の目には涼子の振り付けをしながら歌っている姿が見えていた。私はいつまでも終わらないでいてほしいと願いながら、流れる歌声を聞き続けた。