不安ダイビング          津木林 洋  三年前サイパンに行ったときに、シュノーケリング(スキンダイビング)の手ほどきを受け、二年前にタイのプーケット島で珊瑚の海をシュノーケリングする楽しさを味わった。そのとき以来、スクーバダイビングをしたいと思っていたのだが、なかなか機会がなかった。二、三のダイビングスクールを当たってみたが、結構お金がかかるのである。  さて今年、南太平洋のフィジーに行くことになった。どうせフィジーに行くなら、スクーバダイビングをしない手はないと、高くても目をつむってスクールに行くかと考えていた矢先、妻が新聞の小さな広告を見つけてきた。ダイビング講習の募集だ。これがなんと安いのだ。他の一人分の料金で二人が受けられる。渡りに船とはこのこと、早速妻と二人で申し込んだ。一緒にフィジーに行くUさん夫婦にもこの安い講習のことを教えた。Uさんは海外で体験ダイビングを二回経験しており、シュノーケリングも何回かやっていて、スクーバダイビングを本格的にやりたいと言っていたのだ。Uさんの奥さんは水の中が恐くて、Uさんがやりたいのなら勝手におやんなさいという態度だったのだが、私の妻も講習を受けると聞いて、気が変わったようだ。結局四人とも受けることになった。  学科講習は大阪市内で、プール講習と海洋実習は土、日の二日間和歌山の海南で行うという予定だった。学科講習はUさん夫婦とは別の日にしたため、私と妻の二人で講習会場に出かけたのだが、その場所に着いて驚いた。電車の高架下のダイビング用品を売っている店の一角を仕切って会場にしてあるのだ。しかも時間がきても出席者は私たち二人だけ。大丈夫かなあと私はいささか不安になる。お金はすでに銀行振込で払ってあるから、今さらやめるわけにはいかない。  インストラクターが出てきて、私はいっそう不安になった。サーファーみたいな若者で、何とも軽い感じなのである。安さに釣られて失敗したかと私はほとんど後悔した。講習と言っても、ビデオを見て、ダイビングブックの内容をかいつまんで説明するだけのものだった。ますます不安になったが、要は実地訓練が大事なんだからと自分を慰める。  ところが和歌山に行く前の晩になって、私は発熱してしまったのだ。二週間ほど前から職場で風邪がはやっており、私はたくみにウィルスから逃げ回っていたのに、ここにきて捕まってしまった。仕方がない、翌朝妻は一人で行き、インストラクターに事情を話して私の実地講習を二週間延期してもらった。Uさん夫婦と一緒だから大丈夫だろうと思っていたが、帰ってきた妻の一声は「死ぬほど恐かった」というもの。マスククリアーのとき鼻から水を吸込んではパニック、急に息苦しい気がしてパニック。マスククリアーというのは、マスクに入った水を鼻から吐き出した空気とともに外に追出す動作のことだ。Uさんの奥さんも同じようにパニックになったらしい。私は妻の言葉を一笑に付したが、一抹の不安が胸に残るのをどうしようもない。肝腎のライセンスはと訊くと、海の状態が悪かったせいか、海洋実習は中止になり、もう一度和歌山に行かなければならないという。  二週間後、私は妻と和歌山へ実地講習を受けに行った。私の唯一の心配は耳抜きがうまくできるかということだった。耳抜きというのは、水圧で鼓膜が圧迫されて痛むのを防ぐため、鼻をつまんでフンと鼻をかむ動作をすることによって耳と鼻を結んでいる耳管を通して空気を送り込み、鼓膜の外と内の圧力の平衡を取る行為のことなのだが、私は軽い耳管狭窄で、鼓膜が内側に若干反っている。つまり普通の人より、痛くなるのが早いし、耳抜きがしにくい。これは講習を受ける前に健康診断を受けに行ったとき、耳鼻科の医者からそう言われたのだ。提出した健康診断書には、条件付き許可の欄に丸がされている。――潜水は本人にとって必ずしも適した行為ではないが、以下の条件付きで許可する。急速に潜降しないこと、耳抜きを十分練習すること。  痛くなったまま潜降を続けると、鼓膜が破れることもあると医者に脅かされたのだから、私が神経質になるのも、仕方ないだろう。  プール講習のプールは一・五、三、六メートルの深さがあり、いろいろなテクニックは三メートルでおこなった。大丈夫かなと思っていたインストラクターも、文字どおり水を得た魚のようになり、信頼感がぐっと増す。  まずシュノーケリングで水になれることから始り、いよいよタンクを背負う。レギュレーターで空気を吸うことは、思っていたより簡単に出来る。マスククリアーのとき、二回鼻から水を吸込んでしまい、さすがにあわてて浮上してしまった。インストラクターによると、誰でも一度は鼻から吸込んでパニックになると言う。しかし何回かやっているうちにこつが飲込めてきて、鼻からは吸込まなくなる。肝心の耳抜きだが、三メートルぐらいでは、出来ているかどうかよく分らないのだ。  午後からもタンクを背負って練習を始めたが、ヘッドファーストダイブと言って頭から垂直に潜降していくやり方で、三メートルから六メートルに移っていったとき、左の鼓膜が急に痛くなり、耳抜きをしようとする間もなく、プシューと大きな音がした。ヤラレタ。私は一瞬そう思い、左耳を上にしながら浮上した。耳の中に水が入ったように声がこもるし、聞えにくい。インストラクターも私の健康診断書を読んでいるため心配し、ひょっとしたら鼓膜が破れているかもしれないと言う。私の講習はそこでストップしてしまった。後は人の練習を見るだけ。翌日の海洋実習も浜辺で見学という情けない羽目になってしまった。結局私にはダイビングは無理なのかと本当にがっかりした。  となると、私はライセンスを取れなかったのかと思われるかもしれないが、そうではない。実は講習を受ける前にすでにライセンスカードが送られていたのだ。これはUさんがフィジーに行くから、どうしてもそれまでにライセンスが欲しいとインストラクターに強引に頼み込んだ結果なのだ。インストラクターは手続きの時間を見込んで早めに申請を出していたのだろう。それが講習前に届いてしまった。きっとインストラクターは人を見てライセンスを出しているに違いない。たぶんそうだろう。そう思いたい。  まあ、たとえライセンスがあっても、自信がなければ潜れないのだからカードのあるなしはあまり関係がないといえば言える。  ところで私の鼓膜だが、医者に診てもらった結果、充血はしているが破れてはいないということで、まずはひと安心だった。  フィジーではダイビングをどうするか、迷いに迷った。体験ダイビングだけで済ますか、料金の安いファンダイビングにするか。できればファンダイブで最初十メートルくらいの浅いところで海洋実習の代りをやって、それからもう少し深いところへと考えていたのだが、現実はどうも自分の思いどおりにはいかないものらしい。  フィジーに着いた翌日、マナ島というところへオプショナルツアーに出かけたのだが、現地のガイドが私たちのダイビング希望を聞いてすでにダイビングの予約を入れていた。ダイブショップに行くと、日本人のガイドがいて私たちを迎えてくれる。午後一時半にボートが出ると言う。ダイビングポイントのことを訊くと、十八メートルから二十メートルのところを珊瑚の壁に沿って移動するとあっさりと言う。Uさん以外はえーという顔になる。いきなり、そんな。しかし、もっと浅いポイントはなんて聞けそうな雰囲気ではない。体験ではなく、あくまでもファン(楽しみ)なのだから楽しめそうなポイントを選ぶとそうなるのだろう。  ライセンスカードを見せ、何があっても当方に責任はないという誓約書にサインをさせられる。  海中で気持が悪くなったらまずいということで、Uさん以外は昼食を控え目にする。Uさんの奥さんは「緊張で入らないわ」と情けない声を出す。声には出さないが、私も同感。何しろ海洋実習なしだからなあと実に心細くなる。 一時にダイブショップの前に行くと、私たち四人だけ。私たちだけだったらポイントの変更もできるかななどと考えていたが、そのうち次々に集まってくる。日本人の六人の男女や新婚みたいなカップル、それに白人たち。その誰もが自分のウェットスーツとフィンとマスクを持っている。日本人の団体はレギュレーターやBCジャケットまで持っている。Uさん夫婦は何もなし。私と妻はかろうじて近眼用のマスクを持っているだけ。私たち以外はみんなベテランのダイバーに見える。三人のうち誰かがやめようかと言ったら、すぐにでもやめたいくらいだった。  しかもレンタルのウェットスーツがぼろぼろで、腰の辺りが破れている。そのためアンダーウェアとしてアイススケートの選手が着ているような薄手の服を着た。何とも締らない恰好なのだ。しかしそれを恥ずかしがっている余裕などない。  ダイビングボートに乗込む。環礁の内側はまだ底が見える。このまま環礁を越えずに、底の見えるところでやってもらいたいという一縷の望みも空しく、ボートは速度を落さずに環礁を通り抜ける。途端に海の底が見えなくなった。  しばらくしてボートが止まり、碇が投込まれる。日本人のガイドがポイントの説明をするが、ほとんど頭に入らない。ただ、残圧計が一〇〇〇を切ったら浮上すること、安全のため五メートルの深度で三分間の停止をすること、この二つだけは肝に命じる。  説明が終ると、次々に機材を着け、海中に入っていく。否応なしに私の番が来る。もう私はまな板の上の鯉の心境になっている。なるようになれだ。  フィンとマスクを着け、BCジャケットと共にタンクを背負う。海面に突出た台に立ち、ゲージとオクトパスを左手に持ち、レギュレーターをくわえる。マスクを右手で押え、大きく右足を踏出す。次の瞬間、身体は海中にあり、両足を挟むようにすると、海面に浮上がる。BCにあらかじめ空気を入れているために、そのまま沈んでしまうことはない。  そこで本当は、私のバディである妻がエントリーするのを待って、一緒に潜降しなければならないのだが、私は妻のことをすっかり忘れてしまっていた。(ダイビングは必ず二人一組で潜るのが原則で、相手のことをお互いにバディと呼ぶのである。)  とにかく潜降しなければと私はかなり焦っていた。人よりゆっくり潜降しなければならないのだから、早く始めなければという気持だった。耳抜きがうまくできない人はアンカーロープを使って潜降してもいいですというガイドの言葉も、海に入るとすっかり頭から抜け落ちていた。  講習で習った通り、パワーインフレーターを左手で掲げ、排気ボタンを押す。BCから空気が抜け、海面がマスク越しに通過していく。数メートル沈むと、耳がつんとする。急いで鼻をつまんで耳抜きをするが、どうも右の耳が抜けていないようだ。そのまま沈もうとすると痛くなってきて、フィンを動かして少し浮上する。下を見ると、何人かが底に着いていて、余計に私の焦りを誘う。  なかなか耳が抜けないでいると、ガイドが上がってきて、人差指と親指で丸を作って、OKかとハンドシグナルを送ってくる。私は右耳を指さして、耳が抜けないことを伝える。ガイドは両手を上下に動かして、落着けと合図し、右耳を少し上に向けてやってみたらとジェスチュアをしてくれる。その通りやってみると、チュンという音がして耳が抜けた。私はOKのサインを送る。ガイドは頷いて、再び下に降りていった。  そうやって底に着いたときは、本当にほっとした。周りを見回し、海面を見上げ、初めて海中にいる実感に浸ったが、それも束の間すぐにみんなの後を付いていかなければならない。  海中移動は初心者にとって結構むずかしいのだ。潮の流れがあって水が動いているし、呼吸によって浮力が変わる。それにこのときは人数が多くて、前を行く人のフィンでマスクが蹴られそうになったり、人の上に出て、吐き出された空気の泡で前が見えなくなったり。文字どおり無我夢中だった。それでも頭の片隅には、これは自分にとっての海洋実習だという意識があって、マスクに少しだけ水を入れてマスククリアーの練習をしたり、BCに空気を入れて中性浮力を取ろうと試みたりした。  妻とは途中で出くわしたが、どうしたわけかすぐに姿を見失ってしまった。近くにいないかと探してみたが、みんなマスクをしているし、同じようなウェットスーツを着ているしで、簡単には見つからないのだ。  そのうちひょっと上を見ると、一人浮上がっていく者がいる。フィンの動かし方から見て、どうも妻らしい。いや、間違いない。何をしているんだ、早くBCから空気を抜けと私は思うが、思うだけで後は追わない。自分のバディだから、一緒に行動しなければならないのだが、一度浮上すると再び潜降するときに耳抜きをしなければならないというのが、私をためらわせたのだ。見ていると、ガイドが上がっていったので、私は安心して前の人の後をついていく。  残圧計が一〇〇〇を切った時点で浮上したが、海面に頭が出たときは、いやあ無事だったと心底思った。つくづく人間は陸上の動物だと思う。周りに空気があるということが、どんなに安心できることか。  ボートにはすでに妻がいて、いちばん最初に上がってきたと言う。もちろん私が、バディを無視して勝手に行動したことを非難されたのは言うまでもない。たとえ私が海洋は初めてだからと小さな声で言訳しても。  帰りのボートでUさんの奥さんが「恐くてとても楽しむところまでいかなかったわ」と言うのに答えて、「ファンダイビングならぬ、不安ダイビングだな」とUさん。それはUさんを除く、いやUさんも含めて四人の気持を代弁した言葉かも知れない。  二回目のダイビングはホテル内のダイブショップのサービスを利用した。日本人のガイドはおらず、フィジー人しかいない。ダイビングポイントの深さを尋ねると、マックス二十メートル、ミニマム十メートルという答が返ってくる。ダイビングは二十メートルの所を行くらしい。また二十メートルかという気になるが、前回ほど驚かない。  求めに応じてカードを見せる。ライセンスが通用して一安心。英語で書かれた誓約書に、言われるままに名前を書く。  午前十時にボートは桟橋を出る。今回は参加者九人の内で、日本人は私たち四人だけだった。  朝からあいにくの曇空で、ホテルの部屋から沖の海を見たとき、白い波頭が立っていて嫌な予感がしていたのだが、その予感どおりボートが環礁の外に出るやいなや、うねり、またうねりで、揺れること、揺れること。波がボートの舳先を洗うのだ。これで本当にダイビングができるのかと思うほどだ。波飛沫を浴びて私たちが叫び声を上げると、ガイドのフィジー人たちは笑い、陽気な歌を歌い出す。彼らにとってこのくらいの天候は何でもないようだ。  ダイビングポイントに着き、碇と浮輪が投込まれる。白人たちが先に入り、次に私。船は揺れている。甲板に腰を降ろしてステップに足を置き、後ろからタンクをつけたBCを背負わせてもらう。そのときガイドが「リラックス、リラックス」と私の両肩を叩いてくれる。それでいっぺんに気持が楽になった。  海に入り、うねりが大きいので浮輪につかまってバディである妻が入るのを待つ。妻がやってき、ガイドの合図で二人で潜降を開始する。今回は耳抜きも自分でも意外だと思われるほど簡単にでき、前回の苦労が嘘みたいだ。  海底ではガイドが珊瑚につかまっており、こっちに来いと手で合図をする。そこでUさん夫婦が降りてくるのを待つらしい。妻と二人で珊瑚につかまったが、つかまっていないと体が持上げられたり、沈められたりする。海面のうねりに比べて海中ははるかに静かなのだが、それでも水が動いているのがよくわかる。海面を見上げるとボートの影がすぐ近くに見えるが、深度計を見ると六十フィートを指している。  水の透明度は抜群で、じっと見ていると水中にいるという感覚がなくなってしまう。まるで空中を遊泳しているようだ。銀色の魚がやけに大きく見えるのは、水中では二五%ほど拡大されるせいだ。手を伸しても逃げようとはしない。珊瑚の周りを黄や青の小さな熱帯魚が泳ぎ回っている。ファンをする余裕があることに満足する。  海中移動ではもちろん妻の手を握った。今度勝手に行動したら、離婚沙汰になるかもしれないという恐れが十分にあったから。  海中にいたのは四十分ほどだったが、本当にあっという間だった。空気があれば、いくらでも潜っていたいという気持になる。前回に比べてファンが五十%くらいになったようだ。  日本に戻ってから、インストラクターに電話をした。フィジーで二十メートルのところを潜ってきたと伝えると、いきなりドロップオフですかと驚いた声が聞え、それから笑い声が響いてきた。それはたぶん、無茶をするなあという笑いだったのだろう。私としては、あなたがライセンスを出したのは、間違っていなかったと言いたかったのだが。