書く人と書かない人     津木林 洋


 世の中には書く人と書かない人がいる。書く人になぜ書くのかと尋ねたら、彼はどう答えるだろう。自己を表現するためにと答えるかも知れないし、言葉が溢れてきて、手を動かすのだと答える幸せな人もいるかも知れない。では書かない人になぜ書かないのかと尋ねたらどうだろう。書く必要を感じないからと答えるか、質問自体ナンセンスだと笑うか、無視するか。無視する人は、書くという行為そのものにある種の胡散臭さを感じているかも知れない。
 ポール・オースター『鍵のかかった部屋』のファンショーは書く人から書かない人になる。それも失踪して、別の人間になるという徹底した形で。ファンショーは書く人ではあったが、発表はしなかった。しかし人に読ませることを目的としない書く行為があるのだろうか。日記にしてもいつか読返すことを前提に書いているわけで、つまり未来の自分に読ませる目的があるわけだ。でなければ書いた端から破り捨ててもいいのに、そんなふうに書かれた日記など見たこともない。当たり前か。
 ファンショーの作品も「僕」を通して本になるわけだが、本になろうとなるまいと、「僕」に作品を見せた段階で結局発表したことになる。それは自分が書かない人になるための交換条件のような形で。あるいは自分が書かない人になろうと決めたが故に。ファンショーにとっての書く人の理想というのは、おそらく、自分の作品を誰にも見せないで読返しもしないで、クローゼットの中に仕舞っておき、自分が死ぬときに一緒に燃やしてしまう人だろう。しかしそれがはたして書くという行為と言えるかどうか。
 私たちが作品を書くとき、発表することを念頭に置いている。それは人にささやかでも何らかの影響を与えたいという願望からだろう。聖書のような作品が書ければ、それこそ書く人にとって最高のことに違いない。しかし考えてみれば恐いことでもある。人を喜ばせたり、悲しませたり、憤死させたり、あるいは自分自身を死に追いやったり。レイ・ブラッドベリの『華氏451度』の中に、主人公が三人の女性たちに詩を読んで聞かせる場面がある。読み終えると一人の女性が泣いており、そのことでもう一人の女性が主人公に怒りをぶつける。「下らない言葉よ。馬鹿らしい言葉よ。馬鹿げた、恐ろしい、人を傷つける言葉だわ……」
 ファンショーは書くという行為の恐ろしさを実感していたのに違いない。それは彼の言葉を「神のお告げ」のように待っていた妹を精神分裂病に追いやったり、書く人であるが故に両親から全く独立して存在し、母親を絶望させたりすることによって。
 書くことの恐ろしさがわかっていながら、なお書くことがやめられないならどうすべきか。書いたものを誰にも見せないでクローゼットに仕舞っておき、死後発表する。そうすれば書くという行為は完結するし、責任(という言葉をあえて使うとすれば)を取る必要もない。恐ろしさも感じない。ファンショーは失踪し、そのまま姿を見せず死んだことにしておけばすべては丸く収まるはずだった。しかし彼は「僕」に手紙を書き、自分の書いた作品が引き起した影響によって追いつめられていく。彼は結局書かない人にはなりきれず、最後には死を選択しなければならなかった。
 書く人から書かない人になるというのは、書く人にとって最後の誘惑かもしれない。何かを書こうとした瞬間、その何かが両手からするりと抜けてしまう感覚、あるいは自分はこういうことを書こうとしているのではないと思いながらも、こういうことしか書けないといういらだち、あるいは確かにこういうことを書いたはずなのに、そこにあるのはただの残り滓に過ぎないという徒労感。まるで観測するために放った光のせいで対象のエネルギーが変化し、観測不能となる物理現象のように、書くという行為が対象を変化させてしまうのではないかとさえ思えてくる。
 禅の言葉でいう以心伝心。それが可能ならば、たぶんそれが一番よくて、この世から書く人はいなくなるだろう。しかし書く人はそんなことを信じないで、言葉の森の中をさまよわなくてはならない。コンパスも地図も何もなしで。「そんな無駄なことはすぐにやめて、森から出てらっしゃい」という声が聞えてくる。それは確かに誘惑なのだ。
 しかしファンショーも「僕」も書くことをやめることはできない。ファンショーは死ぬ前に「僕」にノートを渡し、「僕」は『鍵のかかった部屋』を書く。オースターは、ファンショーと「僕」の関係と、「僕」とオースター自身の関係をだぶらせているように見える。つまり「僕」がファンショーの作品の発行人になったように、オースターが「僕」の作品の発行人になったというわけだ。そうすることによって書くことの恐ろしさを少しでも緩和できたらと考えたのかどうか。書くという行為の胡散臭さをうまく利用して。
 胡散臭さがなければ、あなたも私もおそらく書く人にはならないだろう。
 

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