似ている        津木林 洋  西武ライオンズの秋山選手に似ていると言ったのは、弟の結婚相手である。特に目から下の部分が似ていると言う。たぶん鼻の下が長いところが似ていると言いたかったのだろう。そう言われると、やはり気になるもので、改めてテレビの野球中継で秋山を見たが、似ていないこともないなと思う。相手はホームランバッターだし、悪い気はしない。西武ファンではないけれど、秋山が活躍した記事などを読むと、内心にやりとしてしまう。  チック・コリアに似ていると言ったのは、テニス仲間である。チック・コリアというのはジャズピアニストで、エレクトリック・バンドという名前のバンドを率いている。早速買ってきたCDの解説に、そう書いてあった。CDは内容で選んだのではなくて、もちろんチック・コリアの写真が載っているから買ったのだ。ふーん、こういう顔か。これも秋山の場合と同じで、目から下が似ているようだ。曲も悪くはない。  人間ばかりではない。笑うと口がミッキーマウスにそっくりになるとある女性から言われたこともある。それを聞いて妻も面白がり、以後私の回りにミッキーマウスの絵柄の入った物が増えていく。クッションやタオル、トレイにマグカップ。蛍光灯の替えを買いに行ったとき、ミッキーマウスの絵柄のカード入れがおまけについている製品があったので、思わずそれを買ってしまったくらいだ。今まで気づかなかったが、ミッキーマウスがこれほど世の中に氾濫しているとは、思ってもみなかった。いずれは、東京かロサンジェルスのディズニーランドに行かずばなるまい。  その他、ある新人歌手に似ていたり、ある人の母の主治医に似ていたり、また、かつて世話になった上司に似ていると言われたこともある。街を歩いているときに、後ろから背中を叩かれたり、見知らぬ人が近寄ってきて挨拶をしようとして気づくなどということも、たびたび経験する。私の顔というのはよほど個性がなく、世間のどこにでも転がっているありふれた顔ということになるのだろうか。  ただ、どんなに似ているといっても、それはあくまでも似ているというだけで、瓜ふたつということではない。双子でもない限り、そんなことはありえないだろう。私もそう思うが、今までたった一度だけ、ひょっとしたら瓜ふたつの人間がいるのかもしれないという気持になったことがある。  十数年前、私もまだ若くて学生と言っても通用した頃の話である。  レストランで一人でスパゲティを食べていると、いきなり若い男が私の向いに腰を降ろして、「試験どうやった」と訊くのである。なんだこいつはと思いながら、私は上目遣いで男を見、スパゲティを口に含んだまま後ろの座席に目をやった。後ろの席の人間に話しかけているのではないかと思ったからだ。しかし後ろには誰もいない。 「なあ井上、どうやったんや。**(とその男は専門的なことを言った)のところ出来たか」  私はそのとき、男が医科大学の学生で、井上という友達に間違えているということに気づいた。レストランの近くに医科大学があるのだ。  私はスパゲティを口に入れているのをいいことに、返事をしなかった。すぐに気づくだろうという気持もあった。しかし男はウェイトレスが水を持ってくると、「それ、エビスパか」と私に訊き、私がためらいながら頷くと、「おれもそれにしよう」と言う。ウェイトレスが行ってしまうと、男はコップの水を飲み、今度は教授の話を始める。「あの教授、ちょっと陰険やと思えへんか。確か授業中に**のところが出ると言うてたやろ。それを裏かいて、**を出すんやから」  さすがにここまで来ると、私は男の間違いを正さなくてはならないと思った。今までスパゲティを食べるためにいくらか俯いていたのがいけなかったと考え、フォークを持った手を止めて、顔を上げた。男と視線が合う。男はそれでも表情を変えずに、「なあ、どうやったんや。そんなに隠さんでもええやないか」  私は、この顔がその井上という男の顔に見えますかというように、少し顔を突き出すようにした。男もじっと私の顔を見る。次の瞬間、男の顔に狼狽の色が走った。目線をそらし、落着かなさそうにあちこちに目をやる。私もその変りようにどぎまぎしてしまって、とにかく残りのスパゲティを食べることにした。私が食べ始めると、男はコップを持って立上がり、すうっと後ろ奥の座席に行ってしまった。  私は後ろからの視線を感じながらスパゲティを食べ終え、男に背を向けながら、レジに向かった。金を払い、レジを離れるとき、ちらと奥の座席に目をやった。男も首を回してこちらを見ており、視線があった瞬間、どちらも顔を背けた。  私は急いでその店を出た。あんまりゆっくりしていると、その井上という男がやってくるかもしれないという恐れにも似た気持があったからだ。  それ以後、私はそのレストランに行ったことがない。