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まるこを初めて目にしたのは、淀川の川縁だった。
五十歳のときに、膝を痛めたためジョギングからウォーキングに切り替え、コースを堤防上から川縁の遊歩道に切り替えた。妻もウォーキングなら付き合うということで、一緒に歩き始めた。
ある日、自然の釣堀のようになっている湾処(わんど)を過ぎた辺りで、妻が「猫の鳴き声がする」と耳を澄ませた。確かに猫の鳴き声のようだ。二人して、どこだろうとガードパイプ越しに一メートルほど下の河原に目をやった。草が生い茂って何も見えない。しばらくすると、凹凸のあるコンクリート斜壁の根元に小さな虎猫が姿を現した。まだよちよち歩きで、こちらを見上げて盛んに鳴いている。斜壁を上がろうとするが、そこまでの力はないようだ。
「餌が欲しいのかな」 「まだ母乳じゃないの。母猫がどこかにいるはずよ」
確かに弱っているようには見えない。そのうち仔猫は鳴き疲れたのか、草むらに戻っていった。
ひょっとしたらまた会うかもしれないと、鱈をサキイカのようにした酒のつまみを持ってウォーキングに出ることにした。
数日後、同じところに仔猫が現れた。サキ鱈を投げ落とすと、仔猫は鼻先を近づけてクンクンしてから、勢いよく食らいついた。
「お、食べた、食べた」私は思わず独りごちた。
仔猫は食べ終わると、こちらを見上げ、何度も鳴いた。まだほしいのかとサキ鱈を投げる。仔猫はまた食らいつく。三度目はサキ鱈をひらひらさせて、上まで上がってくるように誘ってみた。仔猫は斜壁の窪みに足をかけて登ろうとするが、うまくいかない。ここまで来い、ここまで来いと内心で声をかけても一段目を超えられない。まだ無理かとサキ鱈を投げ、仔猫はそれに飛びついた。
「もうそのくらいにしたら」と妻が言う。「あくまでもおやつなんだから、与えすぎたらダメよ」
それもそうだと私は手に持った袋をポケットに仕舞った。
母猫の姿は一度も目にしなかった。かといって、こんなに小さい猫が一匹だけで野っ原で生き延びることができるとも思えなかった。たぶんどこかに母猫がいるはずだと思いながら、猫におやつを与えていた。
仔猫がコンクリート斜壁を登ってきたのは三週間ほどたった頃だったろうか。
いつもの場所に差しかかったとき、猫の鳴き声が聞こえてきた。見ると、仔猫がすでに斜壁を登ろうとしている。一段目をクリアし、二段目の窪みに足をかけている。私はポケットから袋を取り出し、サキ鱈を一本引き抜いて屈み込み、それをひらひらさせる。その効果があったのか、仔猫はついに壁を登り切り、遊歩道に上がってきた。
「猫って成長が早いわね」と妻が感嘆し、仔猫の背中を撫でる。嫌がる素振りは見せない。早速、手に持ったサキ鱈を与えると、待ってましたとばかりに食らいついた。
牝の猫で、まること名前をつけたのは妻だった。まるこは私たちが近づくと、なぜか来たのが分かるらしく、草むらから姿を現すと斜壁を登ってきた。時には、すでに遊歩道に上がって待っていることもあった。その都度、おやつとしてサキ鱈を与えた。しかし、あるとき若い女性が通りがかり、可愛いですねと言ってから「それ、サキイカじゃないですか、イカは猫にはよくないんですけど」と私の手許を見た。
「イカに見えるけど鱈ですよ」と私はいささかむっとして、ポケットから袋を取り出して、彼女に見せた。
「あ、失礼しました」彼女は笑顔で謝った。そして「だけど人間の食べ物は塩気が多いので注意してくださいね」と続けると、バイバイとまるこに手を振って去って行った。
妻が笑っている。 「若い子に教えられたわね」 「こっちは猫初心者なんだから、仕方ないだろう」
家に帰ってネットで調べると、彼女の言うとおりなので、それからは猫用のドライフードを与えることにした。ドライフードは水も一緒に与えるべしと書いてあったが、喉が渇けば川の水を飲むだろうと考えて、水は与えなかった。
ドライフードばかりでは飽きるかもと、夕食用のマグロの刺身の切れ端を持っていって与えると、食いつきが全然違ったので、たまにはマグロを持参することもあった。
私たちに馴れてしまうと、まるこは他の散歩している人たちからも餌をもらうようになった。他の人たちはもちろんまることは呼ばずに、ミミとかピーちゃんとか、あるいはネコなどと好き勝手に呼んでいる。まるこは餌をもらえる人のことはよく覚えていて、私たちが餌をやっていても中断して、その人が近づいてくると、尻尾を立ててすり寄っていく。
妻はいささかそのことが不満のようだった。餌付けをしたのは自分たちだという思いがあるようだ。しかし、他の人から餌をもらっているということは、こちらがしばらくウォーキングに来なくても大丈夫ということでもある。それに、藪の中にはカヤネズミがいて、人間から餌がもらえなくてもそれを食べることができる。何度かまるこがカヤネズミを捕まえてきて私の目の前で弄んでいるのを見たことがある。前脚で引っかけ、まだ死んでいないネズミが少しでも動いたら、飛びかかって銜える。そうして最後には腹の辺りから食べ始め、頭まで全部食べてしまう。キャットフードとどちらがうまいのだろうと考えてしまうのは、人間の発想に違いない。
猫の成長は早く、一年ほどでまるこもすっかり大人になった。
そんな頃、餌をやっているところへ灰色がかった猫が現れた。体が大きいので牡猫だろうと思ったら、果たして、後ろ姿を見せたとき、ふぐりが見えた。猫の年齢というのは分かりにくいが、かなり年を取っているようである。根っからの野良らしく人を極端に警戒し、目つきも鋭く、離れたところからこちらを窺っている。私たちが離れたら、残ったドライフードを食べるつもりなのだろう。まるこはといえば、牡猫に全く関心を示さず、餌を食べている。食べ終わると私や妻の手足にすりすりと体を擦りつけ、私たちはまるこの体を撫でてやる。それがすむと、再びウォーキングを開始した。しばらく歩いて振り返ると、案の定牡猫はドライフードの残っているコンクリートブロックに飛び乗って、残り物をなめるように食べている。次の日も現れたので、別のブロックに餌を置いてやったが、近づこうとしない。
牡猫なのでテリトリーが広いのか、まるこのように同じ場所でしょっちゅう見ることはなかったが、たまに見かけたときには、餌で誘ってみた。しかし食べるのは私たちが離れてからだった。
グレイと名付けたその牡猫に一メートルくらいまで近づけるようになるのに一年ほどかかった。隣のブロックに置いた餌も警戒しながら食べるようになった。だが、手を伸ばして体を撫でようとすると、ぴゅっと逃げてしまい、触れることは一度もできなかった。
その冬には、まるこによく似た虎模様の牡猫が現れた。発情期特有の鳴き声を出してまるこに近づこうとするが、まるこの方は関心がなさそうで、近づいてくると、猫パンチをみまっている。まるこも年頃なのでその気があれば応じるとは思うが、やはり猫の世界でも好き嫌いがあるのだろう。
虎之助と名付けたこの猫は、最初のうちはこちらを警戒していたが、餌がもらえると分かると急に態度が変わり、すり寄ってきた。しかもニャーニャーとうるさいことこの上ない。大食らいで、まるこの残した餌まで食べてしまう。たぶんどこかで飼われていて、発情期になって飛び出してきた猫だろう。
まること虎之助がいるところへグレイが現れたら、見物である。自分のテリトリーに入ってきた牡に威嚇の声を上げ、それに虎之助も威嚇仕返す。しばらく睨み合いが続くが、グレイが飛びかかろうとすると、虎之助は一目散に逃げ出す。やはり野良育ちの方が強いのである。
時には、高い木の上の方まで逃げていき、根元にいるグレイを見下ろすこともある。猫は木に登るのは得意だが、降りるのは下手で、見ていておかしくなるくらいへっぴり腰で降りてくる。
まるこが木から下りられなくなって、一度だけ助けたことがある。まだ一歳か二歳くらいのときだったと思う。夕方遅くなってから私一人でウォーキングに出かけた。たぶんまるこは現れないだろうと思いながらも、ドライフードを袋に入れてポケットに押し込んだ。
行きのときは案の定現れず、帰りはかなり暗くなって川原の木々もシルエットになっている。そのとき、微かな猫の鳴き声が聞こえてきた。どこだろうと目を向けながら、耳を頼りに歩いていくと、木の上の方に何やら動く影があり、鳴いているのが分かる。
「まるこ?」と呼びかけると、鳴き声が大きくなった。急いで川原に降りて木の根元に行った。十センチくらいの太さの木で五、六メートルはあるだろうか。私はつま先だって手を伸ばしたが、まるこのいる木の股には届かない。まるこは盛んに鳴き声を上げ、降りようという体勢を見せるが、手が届かないのでどうしようもない。どうしたものか、何か踏み台になるものはないだろうかと思案していたら、まるこが突然飛び降りてきて、私の腕、背中を通って下に降りてしまった。
「まるこ」と呼んでも、一目散に草むらの中に消えてしまった。 よほど恐かったのだろうと、私はポケットの餌袋を握ったまま苦笑した。
グレイはそのうちいなくなり、それと歩調を合わせるように、まるこの姿も見えなくなった。一週間ほど出てこないことはたまにあったが、二週間経っても三週間経っても姿を現さなかった。グレイの子供を産んで、どこかで子育てをしているのか、あるいはグレイと一緒にどこかへ行ってしまったのか、妻と二人でいろいろ想像を巡らしたが、どこかで死んでいるかもという想像はどちらも口にしなかった。それでもカラスが川原に生えている木の周辺に集まって騒いでいる光景を目にすると、あの下でまるこが死んでいるかもと思ってしまうのだった。
一ヵ月経ち、まるこは放浪の旅に出たと考えて、別の猫を外猫にしようかと話し合っていたとき、いつもよく見る場所にひょっこりとまるこが現れた。
「まるこちゃん!」妻が叫ぶ。 まるこは一ヵ月間姿をくらましたことなどなかったかのように、私たちの足元に来てすりすりと体を擦らせる。
キャットフードを与えながら、「まるこちゃん、どこにいたの。子育てをしてたの」と妻は話しかけるが、まるこは知らん顔で餌を食べ続ける。家出した猫の帰還という言葉を思い浮かべながら、私は笑顔でその様子を眺めていた。
いつ行っても同じ猫がいるとなると、みんなが可愛がるのも無理はなく、先客が餌を与えていると、帰りにしようかと素通りすることもしばしばだった。
それでも、ねぐらが変わってどこに行ったのかと探しているとき、離れたところからまるこが懸命に走ってくるのを目にすると、最初に餌づけした自分たちの優越を感じるのだった。
まるこを外で飼っている自分たちの猫という思いで、十年が過ぎたときだった。
いつもの場所にまるこの姿が見えない。誰かに餌をもらって引っ込んだのかと思っていると、遠くから猫の鳴き声がする。まるこに違いないと待ったが、なかなか姿を現さない。いつもならすぐに出てくるのにと思っていると、しばらくして河原の藪の奥から何かがゆっくりとこちらに動いてくる。
まるこだ。しかし、どうも動きがおかしい。三本足で歩いているようだ。斜壁を上がってきたまるこは右後ろ脚を宙に上げ、ぶらぶらさせている。骨折しているような足の動きに、どきりとする。
妻がしゃがみ込んで、まるこの右足に恐る恐る触れるが、まるこはびくんと足を引っ込める。私もしゃがみ込み、右足の根元を注意深く見た。毛が禿げてわずかに赤い筋が見える。犬に噛まれたのかもしれない。
キャットフードをやろうとブロックの上に載せると、まるこは三本足で器用に上って口を近づけるが食べず、また降りてしまう。
どうするか、地面に座り込んだまるこを間にして妻と話し合う。動物病院に連れていくにしても日曜なので開いているかどうか分からない。
そもそも素直に連れて行かれるかどうかは疑問だ。暴れる可能性は十分ある。そうなるとむしろ怪我に悪い。怪我の状態がひどくてぐったりしているのなら、考えるまでもなく連れて行くのだが。
取りあえず段ボール箱を用意しておとなしくそこに入るのなら、家に連れて帰ろうということになり、私が取りに戻った。
マンションのゴミ置き場で適当な段ボール箱を物色し、それとバスタオル二枚を手に、自転車で急いで戻ってみると、妻が突っ立っていた。まるこの姿がみえない。どうしたと聞くと、藪の奥に戻っていったと、その場所を指さした。
私がいない間、妻は、藪の奥で畑を作っているおじさんに会ったと言う。おじさんもまるこが怪我をしていることを知っていて、まるこがいつもねぐらにしている場所を教えてくれたらしい。
妻の案内で川原に降りて、初めて奥の畑に行った。柵で囲ってあり、何本も畝のある一郭に半円形の小さなビニールハウスがあった。おじさんがまるこのために作ってくれたようだ。まるこはまだ戻っていない。まるこはそのビニールハウスか、少し離れたところにある道具小屋の床下で寝ているということだった。十年近く餌をやっているが、まるこのねぐらを見たのは初めてだった。
おじさんは「ミミは十年も野良暮らしだから家で飼うのは無理だろう」と言ったという。おじさんにとって、まるこはミミなのだ。しかも私たちと同じくらいの付き合いだ。餌も与えているということで、ははんと納得するものがあった。
四、五年前まるこの姿が急に見えなくなり心配していたが、一ヵ月程たって現れた。その時、右前脚を若干引きずるようにしており、怪我をしていたことを知った。一ヵ月の間餌はどうしていたのか疑問だったが、そういうことだったのだ。
結局、この前と同じように自然治癒に任せようということになった。まること触れ合っているのは私たちやおじさんばかりではなく、他にも何人かいるようだし、私たちの思惑だけでこの場所から引き離すのは自分勝手かもしれないと思う。この前と違って歳を取っているのが気掛かりだが、まるこの生命力を信じよう。
ただ、あちこちに立てられた立て札によると、この辺りの畑も五月には潰されて整地されることになっているので、まるこのねぐらもなくなってしまう。それまでに足が治ってどこかに移動できればいいが、そうでないとどうするか。その時は、家で飼うことにすると妻と意見が一致した。
それから三日間、まるこのねぐらを覗いたが、姿が見えなかった。四日後の夕方も全く期待せずにウォーキングに行くと、まるこが藪から出てきた。
怪我をした脚を見ると、折れた骨が赤い肉の間から外に飛び出していた。これでは自然治癒するはずがない。獣医のところに連れて行かなければならないが、捕獲する道具もなく、また大阪文学学校の一日体験入学の時間も迫っている。明日また来るから姿を現せよと言い聞かせて、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。
しかし金曜日も土曜日も現れなかった。日曜日も翌日の春分の日も捕まえても病院に連れて行けないと思っていたが、大日のイオンモールに日・祝でも診療している動物病院があるのをネットで見つけた。それで、次の日の朝にまるこの保護に出かけた。
河川敷のおじさんの畑に入ってビニールハウス小屋を覗くと、うまい具合にまるこが寝ていた。そこで寝ている姿を初めて見た。用意した段ボール箱を開け、洗濯ネットを広げる。妻が刻んだマグロでおびき出し、ネットの中にマグロを入れると、それにつられてまるこが三本足で段ボール箱を跨ぎ、中に入ってくる。
マグロをうまそうに食べている間に洗濯ネットのファスナーを閉め、急いで段ボール箱の蓋を組む。出ようとして頭を持ち上げてくるが、それを押し込みながら畑を出て、自転車の荷台にくくりつける。ニャーニャーと激しく鳴くかなと思っていたが、それほどでもない。
イオンモールの病院まで自転車で十五分くらいを、なるべくガタガタさせずにしかも急いでペダルを漕ぎ、病院に着いた時にはホッとした。
獣医は三十代の男性で、ハキハキした物言いに信頼できそうな感じがする。診察台に箱を載せ、蓋を開ける。まるこは観念したのか、おとなしくしている。ネットから出し、体重を量り、傷口を診て、口の中を覗き、心臓に聴診器を当てる。それから首にカラーを巻いて看護師がバスタオルをかぶせて奥に連れて行く。
獣医が紙に書いて、私たちに説明してくれる。
骨折には折れた骨が皮膚の外に出ている開放骨折とそうでない閉鎖骨折があって、開放骨折は時間がたつと治療は困難であること。骨髄に細菌が感染しているので、たとえ接合手術をしても骨髄炎になって、最後は敗血症になって死んでしまう可能性が高い。命を助ける最善の手段は、脚を切ることしかないということだった。
それを聞いてさすがにショックを受けた。最初に見つけた時にすぐに連れてきたらと後悔したが、今更悔やんでも仕方がない。
獣医は、門真に動物の整形外科ではトップクラスの先生がおられるから、ご希望なら紹介します、と言ってくれる。しかし、その先生の見立ても私と同じになると思いますよ、と言われたら、そちらに行きますとは言いにくい。
妻にどうすると尋ねたら、「切ってもらいましょう」と答えた。 手術同意書にサインをする。
翌日、獣医から電話があり、血液検査の結果、点滴や抗生物質の投与しなければならないので、手術日は二十五日ということになった。
その間、ネットで猫の開放骨折について調べてみた。どうやら獣医の言うことは正しくて、開放骨折では六時間以内に手術することが絶対のようだった。その時間をゴールデンタイムというらしい。骨髄には抗生物質も行き渡りにくく、細菌を除去して手術するのは困難で、細菌が繁殖する前につないでしまうことが重要なのだ。
二十五日、手術が無事終わり、一安心した。ネットで麻酔による死亡例がいくつかあったから。
次の日、面会に行った。右後ろ脚の骨盤に近いところで切られており、傷口が五センチほど縫われていた。体液を抜くための細いドレーンが入っている。
まるこは痛いのかあまり食欲がないということだった。私たちの顔を見て怖がるかもしれないと思っていたが、そんなことはなく、大きな目を見開いてこちらを見てくる。撫でてやると目を細めるので、嫌がられているのではなさそうだ。時折痛さのせいか、ニャーと鳴くが。
獣医から血液検査の結果の説明があり、その中で猫白血病、猫エイズに罹っていないことが分かって、ほっとした。ラッキーというべきだろう。
一週間後、無事退院して、家に引き取った。
用意したケージにトイレの容器を入れてやると、すぐにそこでするようになってトイレの躾はそれで完了した。獣医からは、まだ痛みがあるので食欲が出ないかもしれないと言われていたとおり、餌をほとんど食べない。大好きなはずのマグロも匂いをかいだ後、ほんの一口ぐらいしか口を付けない。
困ったのは、ごま粒の一回り大きいぐらいの抗生剤を飲ませることだった。苦いのですりつぶして餌に混ぜても、まず食べませんよと言われていたので、マグロの身の中に仕込んで食べさせようとしたが、錠剤だけを残してしまう。
というわけで、最後の手段、私がまるこを押さえ込んでむりやり口を開け、妻が錠剤を放り込むという方法を採った。これで何とか飲ませることに成功した。
最初、心配したのは、室内に慣れずに部屋の片隅に引っ込んでしまうのではないかということだった。しかしそれは杞憂だった。一日目から部屋の中を歩き回り、私たちの体の上にも乗ってくる。野良猫の時は、どんなに膝の上に載せようとしても、嫌がって降りてしまったのに、その変わりように驚いた。変わり身が早いというべきか、適応力があるというべきか。
数日後、抜糸のために病院に連れて行った。診察台の端にしがみつくまるこを、私と看護師の二人で押さえ、獣医が鋏とピンセットで慎重に抜糸していく。まるこは体を固くして小さく震えている。鳴き声を上げないのは、声を立てられないほど恐いということかもしれない。大丈夫、大丈夫と言いながら、頭を撫でてやる。傷口が一カ所完全には塞がっていないので、カラーを外すのは三日後にするように言われて、病院を後にした。
食欲も戻っており、ドライキャットフードも食べるようになった。マグロの食べっぷりもいい。高齢猫なので腎臓の数値が若干悪いということで病院の勧める腎臓ケアのキャットフードに替えた。
マンション四階の室内飼いなので野良を恋しがるかと思ったが、最初はベランダにも出ようとしなかった。逆にガラス戸を開けて子供たちの歓声が聞こえたりすると、奥に引っ込んでしまう。そのうち慣れたら出るかもしれないと、ホームセンターで材料を買い、転落防止の柵を張り巡らせた。
そしてしばらくすると時々、出してくれとガラス戸の側で鳴くようになった。開けてやると、恐る恐るといった足取りでベランダに出て行き、柵の間から外を見ている。それでもそこが気に入って座り込んだりすることもなく、ひとわたり探索すると室内に戻ってくる。
まるこを見ていると、猫は一本ぐらい足がなくなってもほとんど生活に影響がないことが分かった。六十センチくらいの高さのベッドにも軽々と飛び乗るし、驚いて逃げる速さは三本足とは思えない。
自分が三本足になったことをどこまで自覚しているのか、よく分からなかった。例えば、ない方の右後脚で耳の後ろを掻こうとする時など、残った右後脚の端が皮膚を隔てて盛んに動いているのが見える。そんな時、耳の後ろを掻いてやると、気持ちよさそうに目を細める。こちらにアピールするためにわざとやっているのかと思ったりもするが、遠くでやっている時もあるので、まだまだ片足がないことに慣れていないのだろうと思う。
人間と違って、足がなくなったことをくよくよと悩んでいるようには見えないので、その点は気楽だった。
家猫になって三年経ったときだった。お腹にいくつもある乳首の一つが盛り上がって、しこりのようになっている。近くの動物病院で診てもらうと、乳腺腫瘍という診断を受けた。猫の場合、九十%の確率で悪性なのでなるべく早く手術をしましょうということで、三日後に手術した。
右側の乳腺に腫瘍があり、もう一箇所にも小さく転移していたということで、二箇所とも摘出した。
一週間後、病理検査の結果が出て、やはり悪性だった。ただ、マージン部分(念のため大きく取った組織)にもリンパ管にも浸潤が見られないということで、一応目に見えるガン細胞は取り切った形になった。それでも残っているガン細胞をつぶすために免疫療法をすることになった。
それが昔から人間にも使われている丸山ワクチン。動物の場合、効果があるものは認可の必要もなくすぐに使えるので、丸山ワクチン以外にもいくつかワクチンがあるようだ。手術跡のまわりに丸山ワクチンを打てば効果があったという論文に基づいて、週三回、四週間、注射のためにまるこを病院に連れて行くことになった。
猫の乳ガンでは、手術をしても縫った跡がきれいにならず、残ったガン細胞が増殖して赤くなっていくことが多いと聞かされていた。
十日後の抜糸の時も、まだ赤味が残っていた。先生から、術後の体力低下を防ぐ意味でも仔猫用の高タンパクの餌を与えるように言われた。それまで腎臓機能を低下させないように低タンパクの餌を与えていたのが、正反対の指示になった。腎臓で死ぬ前にガンで死ねば、元も子もないということなのだ。
週三回、いやがるまるこを病院に連れて行くのは私の役目だった。そこは午後四時から開いているので、三時半ごろから出掛ける準備をする。そうしていると、その気配を察してまるこはベッドと壁の間に隠れてしまう。それを無理矢理引き上げて、リュック型のキャリーバッグに入れる。
病院の診察台に乗せても、何とかキャリーバッグに戻ろうとするので、それを押しとどめ、前脚を私、後ろの一本脚を看護師が持ってひっくり返し、先生がデジタルカメラで手術跡を写す。その後、丸山ワクチンを傷口の周りに注射する。
幸いなことに、赤味は徐々に消えていき、先生も驚くほどの良好な経過を見せた。
「外科手術が非常にうまく行った例として、学会で発表させてもらいます」ということだった。
丸山ワクチンの一クールが終わると、次は十日ごとの検診になった。それが三ヵ月続き、何事もなければ検診の間隔を延ばすという。その間、手術跡とか除去しなかった左側の乳腺に気をつけて、異常があればすぐに連れてくるように言われた(まるこは少し心臓が悪いので、弱い麻酔しか掛けられず、乳腺の全摘が出来なかったのだ)。
一年後、恐れていた乳癌が再発した。摘出し、丸山ワクチンを打つ。しかし三カ月後に別の乳腺でまた見つかった。
結局、その年は三回手術を行ったが、まるこの体力が目に見えて落ちていくのが分かった。
翌二〇一五年の二月にまたしこりが見つかり病院に連れていくと、体重が二キロを切っているので、手術は難しいと言われた。それで妻はドライフードをウエットフードに切り替えたり、マグロの水煮を与えたりしたが、食欲がないせいかほとんど食べようとしなかった。好きだった生のマグロにも反応しない。仮に体重が二キロを上回って手術ができたとしても、再発期間がだんだん短くなっていることを考えると、それが正しいことか分からなかったが、私たちにはそれを目標にするしかなかった。
そのうち、まるこが夜鳴きをするようになった。痛いのかもしれないと撫でてやると収まるが、手を離すとまた鳴き始める。そして肋骨の浮いた体で部屋の中を歩き回り、ドアの前で鳴くので開けてやると、廊下の突き当たりの靴脱ぎ場でへたり込む。そんなことが何回かあって、ひょっとしたら死に場所を探しているのかもと思った。科学的には、弱った体を晒すと敵に襲われるから隠れる場所を探しているのだろうが。
そんな日がようやく終わってホッとした頃、まるこの歩く様子がおかしいことに気付いた。部屋の真ん中を歩かずに、端に沿ってよたよたと歩いている。そして時々頭を物にぶつけては、よろめいている。
ひょっとしたら目が見えていないのではと目を覗き込むと、赤くなっている。あわてて病院に連れていった。
「癌の末期に出る症状ですね。癌が脳に転移して視神経がダメになっているのかもしれません」と先生が言う。
結局、点滴を打ってもらって帰ることになった。自分たちで点滴できるように三回分の液袋をもらい、点滴の仕方も教えてもらった。
その夜、初めて、まるこが死んだらどうするかと話し合った。動物専門の葬儀会社に任せるか、それとも自分たちで何とかするか。私は、まるこは十年間淀川の川原で生きてきたのだから、川原に埋めるのが一番いいと言った。妻も、それがいいと納得した。
翌日、ホームセンターに行き、スコップよりも大きい中型のシャベルを買ってきた。深く掘って埋めなければ野犬が掘り返してしまうということをどこかで聞いたことがあった。
その晩、二人がかりで点滴をし、それぞれの寝室に引っ込んだ。なかなか寝られず、うとうとしていて、ふっと意識が遠のいたと思ったら、引き戸の開く音がした。
「まるこちゃんが……」
急いで起き上がり、居間に行くと、ラグマットの端にまるこが横倒しになっているのが見えた。前脚と後脚一本を投げ出している。妻は傍に座り込み、まるこを撫でて、しゃくり上げるように嗚咽を漏らしている。私も横に腰を下ろし、まるこの体に触れた。すでに冷たく固くなっており、胸が締め付けられた。
二人して両手を合わせ、まるこの体を見つめていた。どのくらいそうしていただろうか、意を決して、いつも寝床として使っている小さな毛布にまるこをくるみ、段ボール箱に入れた。ダウンジャケットを着て箱を抱え、玄関を出た。夜明け前の薄暗い時間で、風もなく穏やかな朝だった。シャベルを持った妻と階段を下りて自転車置き場に行き、私の自転車の荷台に段ボール箱をくくりつけ、シャベルは前籠に入れた。
マンションは淀川の傍に建っており、堤防階段の縁石にタイヤを載せて自転車を押していく。堤防の上に立って、まるこを埋める辺りを遠望した。人の姿が全く見えないことに、なぜかほっとする気持ちがあった。
堤防を降りていき、自転車にまたがる。見ると、妻はまだ堤防の上でじっとしている。何をしているのだろうと思いながら、私は妻が降りてくるのを待った。
しばらくして、ようやく妻は自転車を階段の縁石に載せて降りてきた。
川縁の遊歩道を行き、大体この辺りと思われる所で自転車を止めた。五年前の整地で、まるこのねぐらだった畑もなくなり、葦の生い茂る藪になっている。それでも淀川で釣りをする人たちの踏み歩いたところが細い道になっていて、段ボール箱とシャベルを持ってその道を歩いていく。
川の見えるところに出た。葦が刈られていて、砂地に足跡がいくつもあり、水が迫っていた。私はもっと人の入らないところを求めて、葦が踏みつけられている岸辺を進んだ。そしてもうこれ以上進めないところから、今度は川から離れるように葦を踏み潰して奥に入った。ぽっかりと葦の生えていない場所に出たところで、歩みを止めた。
「ここにしよう」
段ボール箱を下ろし、妻からシャベルを受け取った。土に刃先を当て、足を使って食い込ませ、掘り起こしていく。途中で汗が出てきて、ダウンジャケットを脱いだ。
できるだけ深く、できれば一メートル以上と思っていたが、柄が短いので七十センチくらい掘ったところで断念した。
段ボールを開け、くるんだ毛布を開こうとしたとき、「そのまま埋めてやって」と妻が言った。そうか、寒いからな。
私は毛布ごとまるこを持ち上げ、穴の底に静かに下ろした。そして掘り出した土を被せていった。埋め戻すと、そこだけ黒くなった。二人して合掌する。そのとき、朝日が葦の隙間を通して射し込み、黒い地面を照らした。
帰り、堤防の上に立って、まるこを埋めた辺りを眺めた。早朝の陽光に川が輝き、葦原も光を帯びている。野良猫で十年、家猫で五年。私は心の中で呟いた。
まるこよ、四本脚に戻って、存分に川原を駆け巡っておくれ。
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