|
二〇一四年四月三日のことだった。
朝食をすませて、コーヒーを飲みながらタブレットを開き、いつものようにツイッター(現X)のアイコンをクリックする。フォロワーのツイートがいくつか流れる中で、〈光本 母〉というアカウントが目に留まり、そこには次のように書かれていた。
「三月三十一日 光本正記(みつもとまさき)、永眠致しました。 これまでの、皆さまのご厚情に厚く御礼を申し上げます。
通夜、葬儀は、岡山にて執り行います。 本当にありがとうございました」 え! 一瞬息が詰まった。
光本正記というのは、四年前の私の本科クラスの修了生で、二年前に新潮エンターテインメント大賞を取ってプロ作家としてデビューした男である。
まさか、自殺?
不眠症なので睡眠導入剤をジンで流し込んで眠る生活を続けていたようだし、躁鬱症でもあったし、編集者がOKを出した長編を営業サイドが本にしてくれないという怒りも電話で聞いていた。
まさか、二日遅れのエイプリルフール?
一年前の四月一日には、光本正記本人が「彼女と結婚することになりました」という嘘のツイッターをしていたのだ。
私は混乱した。ツイッターに応えるべきか、それともしばらく様子を見るべきか。自殺かもしれないという気持ちが、返信することをためらわせていた。
一週間程前に彼がツイッターに書いていたことを思い出した。
「『紅葉街駅前自殺センター』韓国版の続報。発売は夏頃らしい。それで驚いたのが、翻訳してくださっているのが湊かなえさんの『告白』を翻訳した金ソンヨンさんが担当してくれているらしいということ。これはいいニュース。最近味覚が変わって酒がまずいが、今日はうまいかも」
これを読むと自殺とは思えない。
妻に見せると、彼女も驚いたが「本当でしょう」と言う。彼女は私が留守の時、光本正記からの電話を何度か受けたことがあり、私のツイッターを覗いて彼のツイートも読んでいる。「光本さんを包み込んでくれる聖母マリアのような女性が傍にいたらいいのに」というのが彼女の口癖だった。でないと、早く死にそうな気がすると言っていたのだ。
母親のツイートに対する返信の中に、光本正記と親交のあったTの「本当ですか」というコメントがあった。それに応えて「Tさん、残念ですが、本当です。本人が一番驚いていると思います。えぇっ?
なんでやーってね……(笑)」と母親は書いていた。本人が一番驚いているということは、自殺ではないということだろうか。
それでもなかなかお悔やみの言葉を贈ることができなかった。夜になってようやく「若い人が亡くなるとこたえる。才能のある人なら、なおさら……」とツイートした。それに対し母親から「ありがとうございます。無事、通夜を終える事が出来ました」と返信があり、それに対して、翌日に岡山で行われる葬儀に参列することを伝えた。死因は聞けずじまいだった。
光本正記が大阪文学学校に入学してきたのは、二〇一〇年四月のことだった。私がチューター(講師)をしている夜間の小説本科クラスだった。十二名のうち、半分ほどが二十代三十代で、光本正記は三十一歳だった。上着もズボンも黒で、黒縁のメガネを掛け、無精髭を生やしていた。眼光も鋭く、一見近寄りがたい感じだった。自己紹介で「コピーライターをしていましたが、プロ作家になりたくて仕事を辞めました。甘い批評はいりません。どうか厳しい批評を」と低い声で言った。
私は笑顔で聞いていたが、内心では、また勘違いした若者がやってきたなと思った。本人は退路を断って小説を書くことに全力を注ぎたいのだろうが、一年や二年でプロになれる者は余程の才能や幸運の持ち主である。大多数は挫折し、小説を書くのを止めてしまう。仕事と執筆は決して二者択一しなければならないものではなく、両立することが可能であるにもかかわらず。プロとしてデビューしても、それまでの仕事を続けている作家は大勢いる。若い時はそういう物語に酔ってしまうことは理解しつつも、困ったものだと私は内心で苦笑した。
もちろんそんなことは言わなかった。言っても聞く耳を持っていないだろうし、説教になって反発されるのは明らかだったから。
大阪文学学校はどのクラスも一年単位だが、それを半年ごとに前期と後期に分け、四月と十月に入学者を受け入れている。半年に二作、一年で四作、自分の作品を提出して週一回、全員で合評するという仕組みである。チューターは作品に寄り添い、どうすればより良いものになるのかをアドバイスする。決して自分の小説観を押しつけることはしない。
光本正記は前期三作、後期二作を提出している。ここにその当時私の書いた講評がある。長くなるのを厭わず、すべてを引用してみる。
「光本紀正『覆面』(百十枚未完)俺が路地裏で泣いているところから始まって、見知らぬ女の子に声を掛けられて、泊まるところがないという彼女を家に連れて行き、翌朝、彼女を残してカフェに行き、そこの女主人である絶世の美女にポッとなり、探偵である俺の依頼人にそのカフェで会い……という具合に続いていくのだが、俺のイメージがうまくつかめなくて読むのに苦労した。小説世界を見る唯一の目である俺がぶれてしまっては、そこに入りにくいのは仕方がない。エンターテインメントを書く人にありがちな、謎を次々に繰り出す弊に陥っているようだ。謎はたった一つでも十分読者を引っ張っていけるし、多くなれば逆に読者に負担をかけることを知って欲しい。それは登場人物の数にもいえる。固有名詞をつけた人物が出てくる度に読者はその名前を覚え、どういう人物かと意識を取られながら読み進まなくてはならない。文章は読みやすいし、イメージの構築力もあるので、まずは短編を書いて小説を作る力を養ったらいいのではないか。『覆面』(六十枚未完)前作の続きで、見知らぬ屈強の男二人からの呼び出しで指定された病室に行ったら、そこには高校時代の同級生がいた……という展開で、いよいよストーリーが動き出したと思ったら、その動きが停滞してしまう。エンタメならもう少し読者のことを考えた方がいい。一旦動き出したストーリーは動かし続けなければ、読みが止まってしまう。また主人公にまつわる情報を謎として提供するのも、読者がイライラするだけなのでやめた方がいい。主人公の情報はすべてオープンにして、読者と主人公を同じ位置に立たせた方がいい。さらに、ストーリーに沿って人物を動かすのではなく、作者は主人公と一体になって、設定した世界を生きていくという感覚が必要。小説はその探検記と考えた方がいい。『たすけにきたよ』(六十枚未完)今年で三十歳になるわたしは、現在シナリオライターとして成功して勝敏という映画俳優の恋人もいるが、高校の時は手ひどいイジメを受けた経験があり、転校してきた真理子に助けられたのだ……。前作同様、複雑な設定に迷路に踏み込んだ感じだが、勝敏がトラブルに巻き込まれ、ヤクザまがいの男たちからわたしが脅迫される展開になると、筆が生き生きとしてきて面白くなる。ストーリーは単純にしてハードボイルドで読ませる作品の方が向いているのかもしれない。ミステリー的展開にこだわる必要はないと思う」
「光本紀正『紅葉街駅前自殺センター』(七十九枚未完)近未来の日本。自殺管理法が成立、街ごとに自殺センターがある。自殺しようとする人間はそこで自殺しなければならない。そうでないと親族にペナルティが課せられるようだが、この設定には無理があるかも(他で死ぬより自殺センターの方がずっと楽に死ねる、くらいでいいのでは)。自殺しようとしている僕がセンターの係員の面接を受ける様子が中心になっている。僕がどういう理由で自殺したがっているのか、そして自殺センターとはどういう仕組みになっているのか、という二つの謎で読者を引っ張っていく。僕の意識が外に向いているせいか、一人称で書かれているのに、僕の死にたい気持ちが伝わってこないが、それは作者がストーリーを動かすキャラクターとして使っているからだろう。それが成功するかどうか、完結を待ちたい。『紅葉街駅前自殺センター(2)』(九十枚未完)前作の続きで、僕が面接を受ける様子が続く。その中で、自死通知書を送る相手を決めたり、僕の自殺理由が明らかにされたりする。物心のつく前に母親は若い男と出て行き、父親が育児を放棄したため、兄に育てられ、その兄も十三年前に自殺している。僕は結婚したが、六年前に一歳の息子を殺され、そのトラウマが自殺願望の要因になっている……。僕の内面に分け入るなら、説明ではなく、回想の形で過去を描く方がいい。でないと僕の悲しみは伝わってこない。以前の作品の時にも言及したが、主人公の知っていることを読者に伏せて謎とすることは、読者を主人公と同じ位置に立たせないことになるので避けた方がいい。同じ位置に立てないと、主人公の見ている世界が見えないので」
光本紀正というのは在学当時使っていた筆名である。
プロを目指すだけあって、彼の批評は厳しかった。本科は書き続けてもらうことが前提なので、基本的にはほめて伸ばすという心構えでいるのだが、彼の態度はプロになりたいのだから厳しくしてくれというものだった。そうなると私も彼の作品に対して、甘いことは言えなくなる。
講評から分かるように、彼が一年間に提出した作品はすべて長編のミステリーで、しかも未完。謎を呈示するのはうまいが、謎が謎を生んでいく傾向があり、そのことに講評の中でも注文をつけている。短編のミステリーは難しいので、ミステリーから離れて短編を書く訓練をしてみたら、とアドバイスしたこともあるが、そういう短編のアイデアは思いつかないようだった。数少ないが、たまにいる長編タイプの書き手だった。飲み会で、講評でも触れたようにハードボイルドを書いてみたらと言ったこともある。
読みやすい文章でイメージ喚起力もあるので基本的な力は備わっているのだが、いかんせん完成した作品を読んでいないので、プロとして通用するかどうかは全く分からなかった。
二〇一一年三月二〇日に一年間の課程を終えた者たちの修了集会が開かれ、私のクラスからも光本正記を含む何人かが出席した。
九日前に東北地方で大地震が起こり、福島第一原子力発電所が全電源喪失で原子炉を冷却できない状況に追い込まれ、水素爆発で建屋が吹き飛ぶ事態を引き起こしていた。
各クラスのチューターが、出席している生徒たちの作品講評をしていくのだが、原発事故に最初に触れたのは、Sチューターだった。彼女は以前から原発反対の運動にも参加しており、関西電力に対して原発発電分の支払いを拒否する訴訟にも名を連ねていると聞いていた。当然今度の事故に対して厳しい批判を繰り広げた。
彼女の次に私がクラスの紹介と講評をする番になった。私の原発に対する態度は、チェルノブイリ原子力発電所事故の前と後では一八〇度変わってしまっていた。その事故を深掘りするドキュメンタリーを読んでいく中で、スリーマイル島原子力発電所事故も実は炉心溶融を引き起こしており、それまで原子力委員会の述べていた、炉心溶融は起こしていないという見解が嘘だったことを知った。私は驚いて、原子炉の専門家だが反原発学者の書いた本を読んでみた。その中で、炉心溶融という重大事故の確率は、思ったよりずいぶん高いことを知った。もし、美浜でチェルノブイリ原発のような事故が起これば大阪も危ないと焦燥に駆られ、一九九八年に『立川平吉の日記から』という小説を書き、同人誌に発表した。美浜原発の爆発事故により大阪に住む一家が九州に避難する話である。一時期、原発反対の署名運動にも参加したことがある。だから、もちろん私もSチューターと同様に原発批判に熱弁を振るった。
ずっと後になって事務局のHさんから、「修了集会の時、光本さんが、あんなことチューターから言って欲しくなかったとがっかりしてたわよ」と耳打ちされた。えっと私は首を捻った。
「今まで原発に反対もせずに電気を享受しながら、一旦事故が起こると掌を返したように反対するのが気に食わなかったみたいよ」
とHさんは含み笑いをしながら付け加えた。どうやらHさんも光本正記の意見に同調しているようだった。私はSチューターの背景とか私が原発にどういう態度だったかを、作品を書いたことを含めて説明した。
「ああ、そうだったの。それならそのことを光本さんに話せばよかったのにね」
確かにその通りだった。しかし修了集会で彼からそのことを言われた記憶は全くなかった。
思うに、彼はそれまでの人生で状況によってくるりと掌を返す大人たちを苦々しい思いで見てきたのだろう。確かにその気持ちは分からないでもない。しかし、今まで知らなかったことが悪いことだと気づいて、態度を変えることは何ら恥ずべきことではない。
彼とそのことについて話し合いたかったが、残念ながら彼が亡くなるまでの間、その機会は訪れなかった。
大阪文学学校では、本科、専科、研究科と年数に応じて進級していくことができるが、光本正記は本科を修了すると専科に進むことなく文校を離れた。
そして一年後の二〇一二年九月下旬、彼から電話がかかってきた。 「先生、ご無沙汰しております。光本正記です」 相変わらず低い声だった。
「おお、久し振り。どうしたの」 「実は、新潮エンターテインメント大賞を取りまして……」 「え、何て」
「新潮社がやっているエンタメの賞です」 そんな賞のあることは全然知らなかったが、 「おお、そうか。それはおめでとう」
「ありがとうございます」 「いきなり受賞を知らせてくるのは初めてだよ。びっくりした。普通は最終候補になった時点で知らせてくるもんなんだけどね」
と私は笑いながら言った。 「修了集会のとき、新人賞を取るまでは一切連絡はしませんと約束しましたから」 「そうだったっけ」
「そうです」 彼の声も笑いを含んでいた。 「それで作品の題名は何ていうの」 「白い夢、です」 「どんな作品?」
「先生、覚えてないですか。紅葉街駅前自殺センターって作品。文校で合評したやつです」 「ああ、あれか。面白い設定だったよな」
「あれを完成させて応募したんです」 「あれ、未完だったけど、何枚くらいにしたの」
「四八〇枚です。一八〇枚くらいだったやつを完成させて応募規定の五〇〇枚に収めました」 「へえー、よく書き上げたな」 「必死でしたから」
また笑いを含んだ声だった。 「それで作品は本にしてもらえるの?」 「はい。来年の一月くらいには出るようです」
「分かった。買って読んでみるわ」 「ありがとうございます」
私は、プロ作家の道を歩み続けるのはそう簡単ではないが、こつこつと目の前の作品を書いていくようにとアドバイスし、彼も神妙に、分かりましたと答えて電話を終えた。
メディア発表があってすぐに、同じクラスだった生徒たちの中からお祝いをしようという声が上がり、十一月の初めに梅田で会が催された。一緒に合評していた同窓生の中からプロとしてデビューした者が現れた驚きと喜びが場を包み、花束贈呈と彼を囲んでの写真撮影で祝賀会が締めくくられた。
会場を出て二次会をどうするという声が上がる中、酔っていた私は光本正記の肩を抱き、 「絶対に死ぬなよ。生き延びること」
と冗談めかして言った。とっさにそんな言葉が出たのは、どこかにひょっとしたらという気持ちがあったのかもしれない。酒に強い彼は、私が酔っていると思ったのだろう、
「死にませんよ」 と笑いながら答えた。
翌年一月に受賞作が本になり、早速読んでみた。自殺するには三回の面接があり、その都度主人公の気持ちが揺れ動く様子が描かれ、その間に主人公の子供を殺した犯人のことも具体的に書かれていて、彼が自殺したいと願う気持ちがひしひしと伝わってくる。また主人公の別れた妻も自殺センターに入所しているという展開が転になっていて、彼の自殺願望がどうなるのかとページをめくる手が止まらなかった。読み終えて、私は次のようにツイートした。
「『紅葉街駅前自殺センター』読了。あの未完の作品がこうなるのかと感慨深く読んでいった。細部のリアリティに次第に引き込まれ、主人公の心情にリンクしながら、最後は大きな溜め息をついた。終わり方には賛否があるだろうが、ひねりの利いた技を繰り出したら、着地が乱れるのは仕方がない。面白かった」 それに対して彼から返信があった。
「面白いと言ってもらえてうれしいです。これからも頑張ります」
二月十一日には大阪文学学校で、前年に『宇喜多の捨て嫁』でオール読物新人賞を取った木下昌輝と光本正記の二人を祝う会が合同で開かれた。
木下昌輝は光本正記が文校を離れたすぐ後に私のクラスに入ってきたが、クラス在籍者が五人になって半年後に休止されたため、専科に移った(その後入学者が増えたため、すぐに復活したのだが)。
専科を担当していたAチューターと私が司会を担当し、それぞれの文校時代のエビソードを交えて作品について言及した。木下昌輝が口元に笑みを浮かべていたのに比べて、光本正記は厳しい表情を崩さなかった。合同祝賀会となると、同時期にデビューした二人をライバルと見なして応援する雰囲気になるので、それを嫌がっているのかと思った。実際、会場からそういう声も上がっていた。
この会がきっかけになって二人はお互いをライバルと意識していたようだし、それを書くエネルギーにしていこうと交流を深めていったと聞いた。
受賞後の盛り上がりが一段落して、チューターとしての私の仕事は、そこで終わったはずだった。
しかしそれから一週間後、光本正記からメールが届いた。祝う会のお礼を述べた後、次のように続いていた。
「『小説新潮』用に五十枚の短編を書かなくてはならないのですが、どうしても書けません。三ページほど進んだのですが、その後はどうやってもアイデアが出ず進みません。
こんなときどうすれば良いでしょうか? 苦しくて苦しくてたまりません。 何かいい方法があれば教えてください。よろしくお願いします」
このことがあったので、祝う会では楽しめなかったのかと納得した。
文校にいたとき書いた作品はすべて未完の長編であることを考えると、彼は本質的に長編タイプの作家だといえる。そんな彼にどうして短編を書かそうとするのか理解に苦しんだが、目の前の作品をこつこつ書いていくようにとアドバイスした手前、そんな仕事は断れとも言えず、私は次のように返信した。
「光本さんと私では、小説の書き方が違うと思いますので参考になるかどうか分かりませんが、そういう時に私がやっている方法をお伝えします。
私の場合、まず、自分の書きたいシーンがあります。そのシーンにたどり着くように設定とか人物を決めます(というか自ずと出てきます)。プロットも仮ですがポンポンという感じで立てます。
そして書き始めます。 ところが途中でプロット通りには人物が動いてくれない場合があります。暗礁に乗り上げた状態ですね。
そんな時、私は主人公の中にできるだけ深く入るように心がけます。主人公の情況に自分を置いてみた時、主人公(私)は一体何を考え、どう動こうかとしているのか。
『人物の声を聞く』と自分では言っていますが。声が聞こえてきたらしめたもの、その声に従っていきます。仮に立てたプロットが変更になっても、声のする方に向かいます。
どうしても声が聞こえてこない場合、その作品は未完として放置することになります。
『人物の声を聞く』という呪文は意外と効きますので、試してみたら面白いかも」
彼から「『人物の声を聴く』試してみます。本当にありがとうございました」と返信が来、一ヵ月ほど経って「先生のアドバイスのおかけで短編完成しました!」とメールが届いた。アドバイスが役に立ったことが素直にうれしかった。
しかしそれから一週間も経たないときだった。文校での一日体験入学を終えて家に帰ってくると、「光本さんから電話がありましたよ」と妻が言った。
「何の用だって」 「用件はおっしゃらなかったけど、何か深刻な声でした」
向こうから架かってくるのを待った方がいいのか、こちらから架けるべきか迷ったが、こちらから架けることにした。
彼が出て、私が名前を告げると、「電話をして申し訳ありませんでした」と低い声で言う。
「どうしたの」と聞いても答えないので「短編、ボツになったの」とわざと軽い調子で聞いてみた。
「いや、まだそれは担当に見せてないんですけど、もう一つの長編の方が……」 「あれ、長編も書いてたのか」
「いや、前に書いてあったやつです」 「それって、二重投稿をしたやつ?」 「はい」
文校を修了して、彼は新人賞に応募することをしていたが、一つの作品、確か『黒服ゾンビ』という作品だったと記憶しているが、それが二つの賞に最終候補として残り、二重投稿を指摘されて、どちらも外されたという経緯があったのだ。彼から聞いたわけではなく、ネットで取り沙汰されていて、たまたま私は知っていた。
本人としては、まさかどちらも最終候補になるとは思ってもみなかったのだろう。一つの方に落ちたのを確認してから、もう一つに応募すればいいものを、やはり焦りがあったのだと思う。
「その作品は当分出版はできないと言われまして。作品が悪ければ私も納得できるのですが、そうじゃないのに出せないなんて、おかしいですよね」
私はどう答えるべきか迷ったが、
「新潮社としてはいわくつきの作品を出版することの是非を考えたと思うよ。出版界全体を考えたとき、二重投稿には毅然とした態度を取るというのは理に適っているんじゃないか」
「……そのようなことを編集者にも言われました。しかし私は納得がいきません。ルールを破った自分が悪いのは分かっていますが、作品それ自体はおかしくないのだから、出版できないというのは間違っています」
「光本さんの気持ちは分からないでもないが、ここは、その作品はいつか日の目を見ると考えて仕舞っておき、新しい長編を書いたらどう」
光本正記がふっと笑った。 「編集者にも同じことを言われました」 「新しい長編のアイデアはあるの?」 「ないことはないですが」
「だったらそれに取り掛かったら。大事なのは、小説を書くということを短期ではなく、もっと長期の視点で考えることですよ。光本さんには才能があるのだから、自分を信じて書いていってほしいなあ。目の前の仕事に集中しながら、長期的な展望も視野に入れて書くのがいいんじゃないか。難しいかもしれないけど」
「分かりました。何とかやってみます」 「最後に一つ、死んだらあかんよ」 「またまたー」 今度は大笑いした。
その夜、彼からメールが届いた。 「今日は突然電話してしまい大変申し訳ありませんでした。
『覆面』が第二作にならないこと、出版業界のルール、『あなたは作家に向いていない』と編集者に言われたこと。色々なことがショック過ぎて、パニックになってしまいました。
でも先生の『物事を長期的に考え、自分を信じ、書いていくしかない』という言葉は、とてもありがたかったです。
それと、僕は死にません。まだやりたいこと、夢が四つほどあるので、それを叶えるまで死ねません。
何を書いているかわからないメールになってしまいましたね。 とにかく今日の電話でのアドバイス、感謝しています。
文校で先生に教わってよかったです。それでは六日、楽しみにしています」
『覆面』とは『黒服ゾンビ』のことだろうと私は思った。その時点では、『覆面』が彼が文校に入学したとき、最初に提出した作品であることはすっかり忘れていた。
四月六日には光本正記の在籍した本科クラスの同窓会が行われた。前年の十一月には彼の受賞を祝う会が開かれたが、今回も同窓会という名目で彼を励まそうという思いが込められていた。彼が落ち込んでいると知った一人が発案したようだった。
会場は小学校の教室を模した店だった。机も椅子もいかにも学校を思わせる木製のもので、提供される食事の器もアルミ製のボールとか皿を使っていた。
「これでコッペパンとかカレーが出てきたら、まんま給食やね」と誰かが言い、「そら懐かしいけど、それはないわな」と年配の一人が答えて、大笑いになった。
遅れてやってきた光本正記も珍しそうに会場を見回した。一人が手を叩き、それにつられるように皆が拍手をした。彼は照れながら私の横に腰を下ろした。
「先日は電話をしてすみませんでした」と言うので、「いつ電話してきてもオッケーやで」と私は答えた。それほど深刻な顔をしていなかったので、正直ほっとした。
酒が進んだ頃、「書き上がった短編、一度読んでもらいたいんですけど、よろしいでしょうか」と彼が遠慮がちに言ってきた。それは担当編集者の仕事だろうと思ったが、顔には出さず、「いいよ。いつでもどうぞ」と気軽に答えた。
会が終わって建物の外に出たとき、「文校に戻ってもいいですか」と彼がぽつりと言った。 「戻りたいの?」
「何だか勉強不足かなという気がして……」 「そりゃ皆喜ぶと思うけど、結構時間が取られるよ。大丈夫?」 「それは分かっていますけど……」
同窓会が余程楽しかったのだろうかと私は思った。
翌日、光本正記から早速短編がメール添付で送られてきた。『誕生日、惑星に猫』という作品で、誕生日にはいつも雨が降るので雨が大嫌いな十三歳の少女を主人公に、一癖も二癖もある人物を絡ませて、最後は雨に対する気持ちが変わる様子を描いている。「雨」というテーマにド直球で応えていて、面白い作品だった。飲み会でちらっと聞いた、構想している長編の一部を切り取って書いたという通り、作品の外側にもっと広い世界があると思わせる設定だった。すぐに読んで、私は早速メールをした。
「作品、読ませていただきました。 いいですね。ぼんやりとした小説世界が徐々にはっきりしてくるのは光本さんの得意とするところでしょうか。
ファビアンのトレーニングがどういうものであるかも、読んでいくうちにアキラの仕事を手伝わせるためだと分かってくるので、明らかにされなくても疑問として残ることはありませんでした。
最後に、大人になるためには何かを変えなければならないというメッセージが伝わってきてよかったです。
唯一気になったところと言えば、主人公が本を読むという設定が設定のままで終わっているということでしょうか。アキラとファビアンが文字を読めないというのは、新聞を読み聞かせる場面を書くだけでもいいかなと思いましたが。
細かいところをチェックしましたので、参考になれば幸いです」
チューターとしていつもやっていることなので、ファイルに赤ペンをいれて送り返した。彼からすぐに返事が来た。
「わざわざ時間を作って読んでくださり、本当に感謝しています。小説を褒めて頂いたことが、とてもうれしいです。
実は先生たちとの飲み会のあと、距離を置いている彼女と会ったんですが、そこで僕が致命的な失敗をしてしまい(全て僕の責任なのですが)距離を置いていた彼女と、完全に決別することになりました。
そこで人生に絶望し、生きるか死ぬか、本当にそういう深く暗いところまで行ってしまっていました。何人かの友人に泣きながら電話して話を聞いてもらい、何とか生きる気になりましたが、気分は絶望したままです。
そんな中、自分の唯一のアイデンティティーとも言える小説を少しでも褒めて頂けたことは、救いです。
冗談でも話を大きくするわけでもなく、このタイミングで僕は先生によって救われました。彼女の件の絶望は変わりませんが、先生にもらった言葉や細かい点を確認しながら小説をブラッシュアップし、発表したいと思います。
これが終わって、当分は彼女のことを考えず長編にうちこみたいと思います。表現は救いです。人を救えればいいですが、僕はまず自分を救うことにします。
今回は本当にありがとうございました。何かの形で恩返し出来るといいのですが」
光本正記が彼女とうまくいっていないということは、彼と飲みに行ったりしている者から間接的に聞いていたが、それに対して私は何も言えなかった。
続いてまたメールが来た。 「すいません、一つだけ質問です。
飲んでいた時もお話させていただきましたが、文校への再入学を考えています。これは一応プロになった身として、プラスになるでしょうか? それとも意味もなく、マイナスでしょうか?
先生のお考えを是非知りたいです」
「文校に入れば締切があって作品を書いてもらいますので、その時長編の途中までを出して、みんなの批評を聞き、それを書き続けるモチベーションにする、という意味でなら、プラスになると思います。
本来それは担当編集者の役目だと思いますが、新人にはそこまで丁寧ではないということなら、文校に再入学するのもありかなとは思います。
ただ、他のクラス生の作品も読まなければならないので、その分時間が取られます。それも刺激になっていい、ということなら、マイナスは余りないでしょう」
しかし彼が文校に再入学することはなかった。 それから半月ほど経った頃、メールが届いた。
「先日大阪出張に来た編集者と会いました。『雨』の短編、無事OKもらいました。そして褒めてもらいました。ありがたいことです。
それと改めて『雨』の短編を読んで頂いたことに感謝します。ありがとうございました。そして何と、次の短編の依頼も頂きました。
ただこれは電子書籍です。僕は「本は紙」だと常日頃から思っているし、それがポリシーでもあります。
だから今回電子書籍の依頼を受けた時随分(といっても数十秒)迷いました。OKしたのは単に生活のためと、二冊目に繋がるかも知れないと考えたからです。
締切は二カ月後、新潮社の『ポケヨム』という電子媒体で発表されます。 ここまではいい話です。ここから悪い話です。
僕は二冊目が出ない(その予定さえ立たない)現状に大きな不満を持っています。
東京から来た編集者は雑誌(小説新潮)の編集者で、単行本の編集者は別なので、この雑誌編集者には特に関係もない話なのですが、僕は単行本編集者を随分と批判してしまいました。
理由は二冊目をすでに渡していて、内容にもOKが出ているからです。なのに出版の目途が立たない。それは僕の第一作のセールスが悪いからでもあります。
でもセールスに関しては僕に出来ることはありません。たまにツイッターで宣伝するくらいです。それくらいしか作者に出来ることはありません。
全部出版社のせいにするつもりではありませんが、強く、激しく、単行本編集者を批判しました。アルコールのせいもあると思います。病気のせいでもあると思います。
そのことで彼を困惑させ、不快にさせ、『迷惑な相手だな』と思われたことでしょう。
ようするに何が言いたいかと言うと、出版不況は現実で、僕が今それに負けそうだと いうことです。
先生、小説家として生きて行くのは苦しいです。楽しくないです。
だから何をしてほしい、というメールではないです。ただ現状を知ってほしかっただけです。迷惑だったら申し訳ないです」
短編が載ることになったのはよかったが、後半部分を読んで、どう答えるべきか悩んだ。病気のことは周りからちらっと聞いたことはあるが、本人からその言葉を聞くのは初めてだった。
「今は故人ですが、石川淳という作家がいました。彼は自分の読者は三千人もいないといっていましたが、本を出すと最低でも三千部は売れました。つまり固定読者が三千人いたというわけです。確実に三千部売れるとなると、出版社は損をしないわけです。そうすると出版社は必ず本にしてくれます。たぶん今はそれが五千部になっているでしょう。
ある作家が五千人の固定読者をつかむと、その作家はずっと作家としてやっていけるでしょう。でも新人作家はどれだけの固定読者をつかんでいるか分からないので、出版社としては本にするのをためらいます。
何が言いたいかというと、新人作家が書き続けようと思えばどうしたら固定読者を獲得するかを考えなければなりません。そのためには自分の作品を読んだことのない読者に向かって読ませなければなりません。
媒体を選んでいる余裕はないですよ。
自分の作品に心から共感し、この人の作品ならずっと読み続けようという未知の読者に向かって、書き続けるしか道はありませんよ。未知の読者に向かって、ラブレターを書くつもりで。
以前にも言いましたが、焦らずに固定読者を一人ずつ獲得していく過程として今がある、というくらいに考えたらいかがでしょうか」
職業作家として生きていくのが苦しいのなら、それを諦めて別の仕事に就きながら売れる売れないに関係なく書き続ける道もありますよと書くのは簡単だったが、彼がそれを求めているとも思えなかった。何とか前に進もうとする彼の背中をどうやったら押すことができるか、たとえ話をひねり出すしかなかった。このメールに対する返事はなく、一ヵ月後、
「ようやく僕の短編が載った『小説新潮』が発売されました。事前に読んでアドバイスも頂き、大変迷惑だったと思いますが感謝しております。ありがとうございました」
というメールが届いた。自分の作品が活字になることが一番の薬になるのだろう。私はすぐに返信した。
「新聞の広告を見ましたよ。名前が載っていますね。一作一作実績を積みあげていき、名前が大きくなるといいですね。今日、神戸に行った帰りに、買ってこようと思っています」
「え? 買っていただけるんですか? ありがたいです。感謝します。 次は電子書籍五十枚です。
今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします」 その作品は三ヵ月後に送られてきた。
「今回もやらかしてしまいました……。短編、締切に間に合いそうにありません。しかも二カ月遅らせてもらってるのに……。
で、お願いなんですが時間があったら読んでくれませんか?(またです……)今回のものは全く推敲してません。内容も面白くありません。それで何かポイントを指摘してもらえると助かります。
締切は八月三十一日で、五十枚です。 もし、もしも少しでも時間があればでいいので……どうかお願いします。時間がない場合は大丈夫です。
よろしくお願いします」
私はその当時、水曜日夜間の本科クラスと土曜日昼間の専科クラスの二コマを受け持っており、夏休みが明けてクラスが再開したばかりだったが、生徒の作品は後回しにして送られてきた『キヨの冒険」という作品を読んだ。
「作品、読ませていただきました。
いつもながら光本さんの独特の世界が描かれていて、面白かったですよ。ちょい役の人物もキャラが立っているのがいいですね。ここをこうすればもっとよくなるというポイントは見出せませんでした。
タケトの始めた新手の美人局がどんなのか知りたいし、母親の香織がどうなるのかが気になる、ということは、この作品が短編として完結しているというよりも、連作長編になってもおかしくないということでしょうね。
表現等で私ならこう書く、ということでチェックしましたので、参考になれば幸いです」
「読んで頂きありがとうございました。しかも二回目……。卒業しても迷惑かける生徒ですいません。
あとYさんですが、定期的に連絡しているのですが昨日やっと返信がありました。まだしばらく生きていくそうです。
今回も読んで頂いた内容を参考にさせて頂きます。本当に感謝しています。いつか恩返しさせてください」
Yさんというのは、彼と同時期に私のクラスにいた女性で、双極性障害(躁鬱病)を患っており、彼も同じ病なのでお互い気にかけていたようだ。
その後すぐに、またメールが届いた。
「ちなみに主人公キヨは『覆面』に出てきた探偵助手になるキヨですよ。今回の物語の後『覆面』の主人公ミノルの家に上がり込み、ミノルがいない時間に部屋に仲間を呼ぶのです。
もう二年以上前だからわすれてますよね。 『覆面』が刊行されたらまた読んでみてください。多分来年です」
指摘を受けて過去の講評を読むと、確かに未完ではあるが『覆面』が載っている。この二年間でクラスの作品は百編以上読んでいる。ましてや未完の作品が頭に残ることはまずないだろう。それでも私は苦笑せざるを得なかった。
続けてメールが届く。
「先生、二つだけ質問です。この短編は客観的に見て商業ものとして成立していますか? つまり、面白いですか? 商業もののクオリティーはありますか? 正直なところを教えてください。
あと一つ。二ページ目の「これが高校一年のわたしが母に抱く感情だった」を削除する意図はなんですか? この一文で読者は主人公の年齢を知ることが出来ると思うのですが。
暇な時でいいので、回答お願いします。色々頼んで申し訳ありません」
「読み始めたら、ついつい小説世界に引き込まれてしまったので、面白いと思いましたよ。十分売り物になるのではないですか。
私が削除した方がいいと言ったのは、〈わたし〉が学校へ行っていることはすでに分かっていますし、四行後に『香織は十四歳の時に〈わたし〉を産んだのでまだ三十歳だった。』とあって、年齢が分かりますので。それに、取った方が〈わたし〉の心の叫びが止まらないので、いいのではないですか」
「こんなに早いお返事、感謝です。卒業してからも迷惑かける生徒で申し訳ありません。
貴重なご意見、参考にさせて頂きます。『売り物になる』と言って頂いてうれしかったです。もちろん悪い部分はあると思っておられると思うのですが。
これで当分ご迷惑はおかけしませんのでご安心くださいませ」 二十日ほど経った頃、次のようなメールが届いた。 「ご無沙汰しております。
実はこの前読んでもらった短編、昨日、NGが出ました。廃棄です。
理由は『覆面』の一部(スピンオフ)に過ぎず、短編として独立していない点、そして読後『結局何が言いたかったのかわからない』からだそうです。
せっかく忙しい時間を使って読んでもらったのに、形に出来ず申し訳ありません。
プロの世界は厳しいです。果たして僕に才能はあるのでしょうか? 何が〈いいもの〉なのかわからなくなってきました……」
ボツを食らっても気にすることなく、次の作品に取りかかれと書こうとしたが、そんなことは彼も分かっている気がしたので、次のように返信した。
「才能について面白い話があります。
昔、瀬戸内寂聴が瀬戸内晴美と名乗っていた頃のことです。まだ無名だった晴美が当時、名の売れていた劇作家兼文芸評論家の福田恆存(つねあり)に自分の作品を見てもらったのです。
福田は晴美の作品を読むと、『小説さえ書かなかったら、いいお嬢さんなのになあ』と言ったそうです。
晴美は、『私はいいお嬢さんなんかになりたくありません』と怒って、作品を持って帰ったといいます。
後年、プロとなった晴美はエッセイで次のように書いています。
『プロになって何年か経ってから、私は福田先生の言葉を思い出し、あの時先生は「あなたは才能がないからおやめなさい」と言ったのだとようやく気づいた。でも私は自分の才能のあるなしについて全く考えていなかったから、気づかなかったのだ』
何が言いたいかというと、小説を書くという道を選んだからには、才能があろうとなかろうと書き続けるしかないということです。才能があるなしは結果論でしかありません。
光本さんは新人賞を受賞し、本にもなった。結果がちゃんと出ていますよ。 自信を持って、プロット作りに励んでくださいね」
「ありがたい話、感謝です。晴美の話の意味が理解出来てるといいのですが。勘違いしてないかと。
ともかく先生がおっしゃったようにプロになったからには書き続けるしかありません。本当は電話やメールなどせず、黙々と書けていればよかったのですが。何分弱い人間な上に病気持ちのせいで、時々人に頼ってしまいます。でも頼る度に助言をくれる先生の大きさを感じながら、今日はプロットを書きます。
次は長編を書きます。一年以内には必ず出版にこぎつけます。先生への約束です。
次の長編待っていてください。是非書店で手に取ってもらえるよう、全力で(弱い時は弱いなりに)がんばります! 感謝!」
一週間後、メールが届いた。
「このたび『紅葉街駅前自殺センター』の韓国での出版が決まりました。これも長らくアドバイスを頂いた先生のおかげです。出版は半年〜一年先らしいですが、決定してよかったです。これを期に中国、台湾でも出版されるかもしれません。
この前短編NGで随分凹んでいたのですが今は『凸』です。
感謝いたします。先生の生徒は順調に作家街道を歩いております。もちろん苦しいことは多いし、前途多難ですが」
「本当によかったですね! 良い作品は、どこかで誰かが読んでいるということですね。別の言語に翻訳されるということは、作品にエッセンスがあることの証明ですよ。
おめでとう。 ビートルズの歌ではないけれど、作家街道も「The long and winding
road」ですから、いいことも悪いこともありますよ。 一歩ずつ歩いて行ってくださいね」
ところが二十日あまり後のメールでは、調子ががらりと変わっていた。 「お久しぶりです。秋ですね。風邪などひかれてないですか?
昨日の深夜、半袖Tシャツでコンビニに行ったら、異常に寒かったです。ちなみに半袖は僕だけでした……。もう夏は完全に終わったのですね。
ところで僕は今編集者からプロットを求められています。(前に言いましたよね?)ですが、まだ出来ないというか、やる気も起こらないのが現状です。
鬱状態なのもありますが、一冊本を出して短編を書いて、なんだか『燃え尽き症候群』みたいになっています。アホみたいですが実際にそうなんです(笑)。鬱のせいなのか燃え尽き症候群のせいなのか、おそらく半々でしょうが、今はどうしても書けません。
こういう場合先生ならどうしますか? 回復方法がわからず、途方にくれています。
ひょっとしたらもう僕は作家として終わったのかも知れません。ネットの書き込みを見るのも辛いし、その方がいいのかも知れません。
不躾な質問かも知れませんが、どうすればいいと思いますか? もし何かいい回復方法があれば教えてください。無ければメールは無視で大丈夫です。
あとまた飲みましょう。元気になったら」 気分の上下が激しいのは病気のせいだろうと思いながらも、そのことに関するアドバイスはできなかった。
「おやおや、もう赤い玉が出たということですか。ちょっと早すぎる気がしますが。
今まで、小説を書かなくなった(書けなくなった)人たちを何人も見てきましたが、そういう状態を、赤い玉が出たと言う人がいます。
妄想(フィクション)することができなくなってしまう状態ですね。本当に赤い玉が出たら、もう仕方がありません。それで小説家は卒業ということでしょう。
それを確かめるには、他人の作品(小説でも映画でも)を見て、勝手に妄想が広がるかどうか、を見ることでしょうね。全然妄想が浮かばず、作品に浸るだけなら、赤い玉が出たのでしょう。
そうでなければ、まだ出ていないと。時間が経てば、そのうち書けるようになるでしょう。
プロとしてやっていけるかどうかは別にして、赤い玉が出ないうちは書き続けると覚悟を決めることでしょう。小説を書くのは苦しいけれど、書いている間に、ほんの一瞬でも楽しいと思える時があれば、書き続けられるのでは?
小説を書くには肉体的にも精神的にもエネルギーが必要なので、病気を抱えていると困難さが増すのは分かります。治療ができればいいのですが」
「赤い玉、出たんですかねー。短編がボツになったのも理由の一つかなと。
他人の作品を読んで、観て、ちょっと考えます。お返事ありがとうございました」
それから二ヵ月間メールがなく、十二月十七日に届いたそれは、ネットのサイトにデビューまでの経緯を書いたという報告だった。
「こちらで先生のことを書かせて頂きます。事後報告みたいで申し訳ありません。三話目は文校について書くつもりです。よろしくお願いします。
『不適切だ』と思われたらすぐ言ってください。改稿します」
「なかなか面白いサイトですね。小説が売れない時代に、作家と読者をつないで作品を読んでもらおうという試みですね。今までなかったのが不思議です。
私のことは気にせずに、自由に書いて下さいね。ありのままに書いてもらえばいいですから。私も光本さんが、どういうふうにして文校に来たのか、興味深く読ませてもらいました。
躁鬱病も不眠症も何とかうまくコントロールして、小説を書き続けて下さいね。 新作を楽しみにしています」
彼が映像関係の仕事を目指していたことを初めて知った。
「そう言って頂けると有り難いです。小説が売れないので、何とか売れればという思いで始めました。先生のことも書かせて頂きました。決して悪くは書かないのでその辺りはご安心を。
これからもよろしくお願いします。 新作は来年には出ると思います」 年が明けて一月二日には新年の挨拶メールが届く。
「昨年は大変お世話になりました。助けてもらったことが多いです。なにとぞ今年もよろしくお願いします。出来るだけ迷惑かけないようにしますので(笑)」
「今年も着実に書いていって下さいね。書くことに関してなら、少しも迷惑とは思いませんので。 今年もよろしくお願いいたします」
来年は出るといっていた新作がどうやら出なくなったようだった。二週間後に届いたメールには次のように書かれてあった。
「ご無沙汰しています。文校は今直木賞のことで沸いているでしょうね。
ところで僕はと言えば、新潮社から二冊目を出せないことになりました。作品はあるのに、出せない。
主な理由としては一作目のセールス不振と、賞そのものが終わったこと。そのような理由で、作品はありながらも出せない『難民状態』となっています。
もし東京の編集者を知っていたら紹介してください。
失礼なお願い、大変申し訳ありません。知り合いを頼るしか方法がないのです。もし知っている編集者がいれば、教えてください。またこの状況の打開策があれば教えてください。
文校がおめでたい時に本当にすいません」 文校がおめでたい時というのは、朝井まかてが『恋歌』で第百五十回直木賞を受賞したことを指している。
私は最初、短気を起こさずに今の編集者とよく話し合え、デビューさせてくれた出版社をそんなに簡単に袖にするのは仁義に反するから、と書こうとしたが、そんなことは分かった上での行動だろうと考えて、次のように返信した。
「残念ながら、今は東京の編集者とは全く面識がありません。知っていたら、喜んで紹介するのですが。新潮社の編集者は、どういう対応を取っているのでしょうか。
編集者としてはOKなのだが、営業サイドでストップが掛かっているので、しばらく作品を預かるということなのでしょうか、その作品は他社に持ち込んでもいいと言っているのでしょうか。
他社に持ち込んでもいいと言うのなら、直接持ち込むという方法もあるでしょう。誰かに編集者を紹介してもらう方がいいとは思いますが。
そういう営業努力をしつつも、何よりも新しい作品を書くことが大事ですよ。新しい作品が世に出たら、今手元にある作品も日の目を見ることになりますから」
「〈知っていたら、喜んで紹介するのですが〉 この言葉だけで十分です。何とか難民生活から脱するよう、自分なりにあがいてみます」
それから十日後のメール。
「あのあとあちこちに連絡を取り、何とか三人の編集者に読んでもらうことになりました。(ほんとは四人だったんですが一人には早速断られました……)
なんだかんだありましたが、いい結果が出るといいんですけどね。読んでもらって結果も出ないなんて寂しすぎますから。多分耐えられないでしょう。今の精神状態では。
一応、ご報告まで」 「おお、三人も読んでくれるのですか。それは期待が持てますね。作品が自らの力で世に出ることを祈っております」
「ありがとうございます。勝負の二作目です。祈っといてください(笑) これからも色々お願いします」
これが最後のメールになった。三人の編集者が読んでどうなったかは分からない。おそらくよい返事はもらえなかったのだろう。結果がよければ必ず知らせてきただろうから。
二〇一四年四月四日の朝、私は礼服を着て新幹線で岡山に向かった。早目に着いて光本正記の母と言葉を交わせれば、と考えていたが、岡山駅のトイレに入った時、偶然にもTと出会った。Tも光本正記の葬儀に出席するために来て、ここで礼服に着替えるつもりだと言う。Hや木下昌輝も一緒だと付け加え、外に出てみると二人が驚いた顔で私を迎えた。
「チューターは一人で来られたんですか」と木下昌輝が聞いてくる。 「そうや。君らは何で」 「僕らは光本さんの飲み仲間ですよ」
「そうやったんか」
Tの着替えを待っているうちに時刻が迫ってきて、タクシーで葬儀場に駆けつけた時には五分前になっていた。慌ただしく受付をすますと、控え室から五十半ばの女性が出てきて、私たちに挨拶をした。光本正記の母だった。憔悴した顔で目が赤かった。私たちはお悔やみを言い、二言三言、言葉を交わしただけで、すぐに葬儀場に入った。自殺かどうかの確認をすることはできなかった。
祭壇には、小説新潮に載った光本正記の顔写真が引き伸ばされて飾られていた。彼の葬儀に間違いなかった。両脇の花輪の中には文校生有志から贈られたものもある。二人の僧侶の読経が流れる中、焼香を終えた。父親の挨拶があり、その言葉を聞く限り、やはり突然の病死だと思えた。
最後に柩の蓋が開けられ、列席者全員が渡された花を中に入れる。光本正記は眠るように横たわっていた。眼鏡を外し、無精髭を生やしている。葬儀中からしゃくりあげていた木下昌輝が、柩の彼を見て号泣し始めた。Tが木下昌輝の背中に手を当てる。
受賞を祝う会でも本科クラスの同窓会でも、私は最後に光本正記を掴まえて、いささかふざけながら「絶対に死ぬなよ、生き延びること」と言ったことを思い出した。その度に「死にませんよ」と笑いながら答えた彼が今目の前に横たわっている。おい、起きろと声を掛けたら、今にも目を覚ましそうだった。
葬儀が終わって、強い風の吹く中、霊柩車を見送ると、私たちはタクシーを掴まえるために歩き始めた。終わったなと誰かが言ったが、それに応える者はいなかった。三十五歳の若すぎる死だった。
その夜、光本正記の同級生からメールが届いた。 「津木林先生、今日はお疲れさまでした。
光本さんの葬儀はいかがでしたか。まだこれからという若さで……。ご家族の方の気持ちを思うと、ほんとうに痛ましいです。
原因はやっぱり健康問題なのでしょうか。
実はわたし、光本さんがなくなる一ヵ月ほど前に電話でかなり厳しく批判してしまいました。再三にわたって『まともな病院へ行くように』『依存症の治療とセラピーを受けるように』と言い続けてきたのですが、そのときもそういう話の流れになって……。
つい『このままだと死ぬよ』と言ってしまったのです。
たぶん、もうすでに体はあちこち悪かったのではと思います。少しお酒を飲んだだけでまともに歩くこともできず、しょっちゅう転ぶし、つねに呂律はまわってないし、トイレに行ってなかなか帰ってこないと思ったら『トイレしたいのに、おしっこが出ない』と言うし。
精神的にも肉体的にも深刻な問題を抱えているのは明らかなのに、たぶん光本さんはそういうことと向き合うのが怖かったんだろうなあと思います。
『調子が悪い』と言えばホイホイ薬を出すようなそんな医者にかかっていたことにずっと怒りを感じていました。
だけど、たとえ時間を戻せたとしても、結果は同じだったと思います。わたしにできることは精一杯やったと思っています。
悲しみとか喪失感が全然わいてきません。ほんとうに申し訳ないと思うけれど、憐れみしか感じられません。
書くことが自分に与えられた仕事なんだから、コピーでも小説でも、どんな小さな文でも、ただ書いて、ときどきほめられて、また書ければ、わたしはそれで上等だし、しあわせです。
そんなことで自分の価値を測ろうとしなくても、そんなことで人を救おうとしなくてもよかったのにね光本さん……と思います。
わたしが間違っているのかもしれませんが、ずっとそんなふうに思っていました。
またもや、ごちゃごちゃとすみません。先生の包容力に甘えてつい(笑)
新しい世界で光本さんが重荷から解放されてやすらかにしあわせであることを祈っています。
先生、ほんとうにお疲れさまでした。またお会いできるのを楽しみにしています」
これを読んで、他にもっとできることはなかったのか、別の対応を取ることもできたのではないかと悔やんだ。小説家になりたいと思って文校に入ってきた人たちには、できるだけその願いを叶えてやりたいと対応してきたが、そのこと自体が間違いではなかったのか。メールに書かれているように、時間を戻しても結果は同じだった、とは思いたくなかった。
光本正記の死から十年あまりが経った。
彼と同時期にデビューした木下昌輝が、直木賞候補四回を含め数々の賞を受け、今や押しも押されもせぬ作家に成長していることを考えると、光本正記も病とうまく折り合いを付け、苦しい時期を乗り越えていたら、どんな作品を書いたのだろうかと夢想することがある。短編の苦手な彼のことだから、長編、それも意表をつく設定のそれを書いたに違いない。そして書き上がった作品をメール添付で送ってきただろう。
「先生、今度の小説はどうでしょうか」と。 |