姫路城再訪               津木林洋  JR姫路駅の北口を出ると、広い直線道路の突き当たりに白い姫路城が見える。この光景、前に見たのは五十年ほど前のこと。厳密にいえば、大学三年生のときだったから五十二年前ということになる。  当時名古屋の大学にいた私は、夏休みに大阪に帰るとき松山に実家のある友人と連れ立つことになった。最初の予定では大阪で別れるということだったが、友人が大阪見物をしたいと言い出し、それなら私の家に泊まったらとなり、お返しに松山に来い、ついでに足摺岬まで足を延ばそうと話が決まってしまった。さらに、その途中で姫路にも寄ろうとなった。姫路に実家のある友人も誘おうというのである。  というわけで、当時と同じ、道の向こうに城がそびえる光景を目にした。周りの建物は変わっているに違いないが、そんなことは全く覚えていない。覚えているのは、三人で天守閣に行き、黙々と急な階段を上ったことくらい。  今回もすぐに天守閣に向かうと思いきや、学生委員の堀越さんのご親戚の案内で、西の丸から入ることになった。学芸員をされていたということで、他の城との石垣の作り方の違いとか、雨を下に垂らすための特殊な形状の瓦が中国から琉球を通って伝わってきて、当時の最新のデザインだったなどの蘊蓄に興味を惹かれた。五十三年前はただ上ることにしか意識が向かなかった。徒然草の第五十二段「仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ」にある「少しのことにも、先達はあらまほしきことなり」という言葉を思い出す。  本丸に入ると、急に観光客の姿が多くなった。世界遺産に登録してから増えたのだろう、海外からの人たちの姿が目立つ。五十三年前はこんなに人が多かったという印象はない。天守閣の最上階で姫路の町並みを眺めながら、友人から説明を受けた記憶があるので、結構長い時間とどまっていたはず。  今回は下の階に比べて最上階は狭いうえ、皆がなかなか降りないためラッシュ時の車内みたいになっており、早々と降りることにした。急な階段は上がるよりも下りる方が大変。滑らないよう頭を打たないよう慎重に足を運ぶ。下りきったときには一仕事終えたような気持ちになった。  若いときはどうだったか。覚えていないということは、軽々と天守閣に上り、大した感慨もなく三人で姫路駅に向かって歩いていったのだろう。その後ろ姿が今でも見えるようだ。