小説を書いてみませんか     津木林 洋


 小説を書いたことのない人から、なぜ小説を書くのですかと聞かれることがある。若い時なら、半分韜晦気味に、職業作家になるためですと答えるだろう。だが、長年掲載料を払って(金を出して!)同人誌に書き続けている今となっては、その答えは笑いを取る自虐と取られかねない。
 無難な答えは、小説を書くのが好きだからですというものだが、それで納得する人は少ない。ひとり部屋に籠もって、原稿用紙を前に頭を掻きむしりながら、書き損じた原稿用紙を丸めて周りに投げ散らかすというイメージ(古いなあ)のせいか、小説は苦しんで書くものと思っている人が多い。その苦しみの対価として原稿料が支払われるのであって、金にならないのなら、さっさと止めればいいのにと思うのも無理はない。
 だから趣味ですと答えても納得してもらえない。草野球とかパッチワーク、絵画制作や楽器演奏などの趣味はその楽しさが誰が見ても分かるのに比べて、小説を書く楽しさは簡単には分からない。
 小説を書くのは楽しいですよと言っても、どこが楽しいんですかと驚かれることがある。昔からある、あの(古い)イメージのせいだ。
 楽しさを理解するには小説を書いてみるのが一番である。小説を読んだ時、あるいは映画を観た時など、それに触発されてふっと面白い話が浮かぶことがあるだろう。それを書いてみる。最初はどう書いたらいいのか分からないので手探り状態で進むしかない。どこが楽しいのか分からないので投げ出したくなるが、そこを我慢して最後まで書けば、頭の中にあった話が具体的な文章となって目の前に現れる。この達成感が次の小説に取り掛かるエネルギーになる。ただ達成感は次々に小説を書いていくうちに目減りしていく。
 そんな時、次のエネルギーになるのが、小説時間を生きるという感覚である。小説を書くということは、場所を設定し、その中で動く人物の内面に入り込み、その人物の目になって小説世界を生きていくことに他ならない。そんな時、自分の中に流れる時間は、現実の時間ではなく小説の中の時間なのである。この、現実とは違う時間が流れるという感覚が楽しいのである。変身願望が満たされると言ってもいいかもしれない。
 テレビの或るドキュメンタリー番組で、コスプレイヤーのための専門ビルを取材したものがあった。十代から四十代くらいまでの女性たちが様々な衣装を持ってきて、アニメ等の人物になりきり、そんな自分の姿を写真に撮ったりする。始めは、面白いことをするなあと若干批判的に観ていたのだが、よく考えてみると、これは自分が小説を書いているのと全く同じだと気づいた。彼女たちもコスプレの間は現実を忘れ、想像の時間に生きているのだ。
「これがあるから現実を生きていける」
 取材を受けた一人が言った。
 他の趣味と違って、小説を書くのにほとんど道具は要らない。極端な話、紙と鉛筆さえあればいい。
 あなたも小説を書いてみませんか。

 

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