ゴン     津木林 洋


 以前私が住んでいた家の隣に米屋があって、そこにゴンという雑種の牡犬が飼われていた。米屋がゴンを飼い始めたのは、路地裏から二回も空巣に入られたためだった。ゴンは人を見るとよく吠えて、その意味では番犬として充分通用したが、ただ物覚えが悪く、人の顔をなかなか覚えなかった。隣に住んでいる私や私の家族にも、何度見ても吠えかかった。米屋の主人もあきれて、「隣の人やないか」と頭を殴ったりしたが、効きめはなかった。
 路地裏に面して便所の窓があり、私はよくゴンを驚かせてやろうとその窓から顔を出したことがある。ゴンははじめびっくりして、尻もちをつくように後足に体を移動させるが、次の瞬間、鎖をちぎらんばかりに引張って、吠えたてる。最初の驚く様子がおもしろくて、なかなか飽きることがなかった。私が高校生の間はずっとそんな調子で、大学に入って地方に下宿し、たまに帰ってきたときも、ゴンは私の顔をみて吠えた。
 ゴンがおとなしくなったのは、いつごろのことだろうか。大学を卒業しても定職につかず、アルバイトで生活していた私が、父の病気で大阪に帰ってきたときには、ゴンはすでにおとなしくなっていた。それは年老いたせいかもしれなかった。皮膚病のため、背中のところどころがはげていた。米屋の主人はもうゴンを一日中鎖につないでおくことはせず、夜には自由にさせていた。そのため夜になって勝手口の引戸を開けたりすると、よく入ってきた。台所が暖かいのと、えさがもらえるからだった。えさは兄が与え始めたらしく、どういうわけか、ごはんが大好物だった。米屋の犬だから当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、ごはんだけを喜んで食べる犬というのは、はじめ見たときは何とも奇妙に思ったものだった。
 きれい好きの父は犬の毛が落ちるのと、くさい臭いがするのとで、ゴンがいるとすぐに追っぱらい、私や兄を叱った。しかしその父も癌で死ぬと、ゴンは誰にとがめられることなく、堂々と勝手口から入ってきた。どうかすると一日中入り浸っていることもあった。ゴンは受け口の犬で、三和土のところに寝そべり、十センチほど高くなった台所の床に前足を交差させて乗せ、その上に受け口の顎を置く。そうやって上目使いに人を見るのである。私の家はその頃はまだ美容院をやっていて、従業員の女の人がゴンを見つけると、「おまえ、隣の番犬とちがうんか」と頭を軽く叩いたりした。
 夜の九時ごろが、ゴンにえさを与える時刻だった。引き戸を開けると、その音を聞きつけて、ゴンが路地を走ってくる。開けるのを忘れたりすると、前足の爪で戸をごりごりとこすった。意地悪く戸を少ししか開けないと、その間に鼻先を突込んでくる。三和土に入ると、まずおすわりをさせる。それからおもむろにジャーのふたを開ける。そのときゴンを見ると、おすわりなんかとっくに止めて、立上がり、尻尾を振っている。どうかすると、台所に上がっていることもある。そんなときは「おすわり!」ときつく言うと、あわてて三和土に戻り、尻をつけたり浮かしたりして、おすわりをする。専用のアルミのボールにごはんを入れ、もうひとつのボールに水を入れて、ゴンの前に置く。きちんと下に置く前にゴンは口を突込んで食べ始め、あっと言う間に食べてしまう。ボールにごはんがこびりついていると、舌でもとれなくて、前足で引っかこうとするが、すぐにボールをひっくり返してしまう。
 おあずけを教えたのは、兄だった。ごはんの入ったボールを置くと同時にゴンの首を抱え、「おあずけ」と言う。これを何回か繰り返すと、一応おあずけを覚えた。一応というのは、ほんの十秒くらいしかできないからだ。「おあずけ」と言うと、ゴンはボールのごはんと兄の顔をひんぱんに見比べ、ついにはだんだん頭を下げていって、ごはんを食べてしまう。
 パンがあれば、ごはんの代わりにやったこともあった。パンをちぎって投げると、ゴンは飛びついて食べるのである。兄はよく台所の奥に投げ、ゴンがあわてて飛んでいって、木の床ですべってころぶのを喜んだ。ゴンはでんぷん質のものなら何でも好物だったが、それでもごはんが一番で、パンをやったあとでも、ジャーのふたを開けたりすると、すっと立上がった。もしごはんの残りもパンもなかったら、大変である。三和土に寝そべったまま、動こうとしないのである。首輪を引張ってもだめで、尻を押すと、引き戸のレールとか枠に足を突っばらして抵抗するのだ。反対に充分ごはんを与えると、戸を開けただけで、ゆっくりと出ていった。
 夜遅く帰ってくると、家の前にゴンがおり、「ゴン!」と呼ぶと、一瞬こちらを見、それから弾かれるように駆けてきた。私の周囲を走り回り、私はよしよしと頭をなでてやり、一緒に家に入る。そしてごはんをやった。私が家を出てマンションに移った後も、食事に帰ったりしたとき、ゴンを見かけると、呼んだ。ゴンは飛んでき、私の体に前足をかけたりした。
 兄の結婚が決まって、母は美容院をやめ、そこを兄の新居にするため、改装した。母は別の家に移り、私もそっちのほうに食事に帰るため、ゴンには会えなくなった。米屋の主人は白い小さな犬を新たに飼い、ゴンの世話をほとんどしなくなった。兄もごはんをやらなくなり、家が改装されたせいか、ゴンのほうからもやって来なくなったらしい。
 私がゴンを最後に見たのは、冬の真夜中だった。兄の家で急ぎの仕事をして帰るとき、薄暗い横道にごみ箱をあさっている影があった。ゴンかもしれないと私は小さな声で、ゴンと呼んでみた。犬の影はごみ箱をあさるのをやめた。「ゴン」私は大きな声を出した。犬はゆっくりとこちらにやってきた。やはりゴンだった。ゴンははあはあと舌を出しながら、私を見た。前よりもいっそう年老いて、苦しそうだった。私はしゃがんで、頭をなでてやった。手許にごはんがないのが、残念だった。私はしばらくゴンと一緒にいてから、その場を離れた。かなり歩いてから振返っても、ゴンはこちらを見ていた。
 それから半月ほどたって、「近頃、ゴンを見かけないけど、どうしたんやろ」と兄に言うと、「病気で死んだらしい」と答えた。「らしい」というのはどういうことか訊こうかと思ったが、やめにした。「死んだらしい」ということは、「生きているかもしれない」ということだと私は思ったからだった。
 

もどる