静音スパイラル     津木林 洋


 母親が自分の使っていたノートパソコンを兄嫁にプレゼントし、新たにWindowsXPの入ったノートパソコンを買った。相談を受けたのでDellを勧め、私がインターネットで注文をした。データの引っ越しやら、アプリケーションソフトのインストールなどすべて私が面倒を見た。それでも時々使い方について電話が掛かってくる。
 ところがこちらはまだWindows98SEを使っているので、画面を見ながら説明しても微妙に勝手が違うのである。
 マイクロソフト社の商売のやり方に業を煮やして、意地でもWindowsXPにするものかと頑張っていた私だが、いよいよXPにしなければいけないかと観念した。XPは重たいOSなので、今のパソコンでは荷が重いだろうと、中身を替えるためにPentiumWの2.8GHzというCPUを買い、それに合うマザーボードをネットオークションで手に入れた。それまでは、「せる」54号に書いたように、オーバークロックをして、Celeron 1.2GHzを1.6GHzにして使っていた。
 しかしもうオーバークロックをする気はなかった。2.8GHzもあれば、十分なのだ。動画のエンコードや3Dゲームをする人間なら、出来るだけ速くする方が快適なのでオーバークロックの意味はあるが、それ以外はあまり意味がない。CPUの値段も、インテルに対抗する会社が現れて以来、どんどん下がっており、速度の速いのは高価だから、というわけでもなくなってしまった。
 WindowsXPも、CPUとほぼ同じ金額を出して手に入れた。世の中にはただで手に入るLinuxのようなOSもあるのに、なんで二万近くも出さなければならないのかと憤懣やるかたなかったが、仕方がない。一時、Linuxに切り替えようかと頑張ってみたが、使いたいアプリケーションソフトがWindowsにしかないので諦めざるをえなかった。CPUのように競争相手が出てこなければ、物の値段は下がらないのは、いずこも同じか。ただ、OSの場合、一旦スタンダードの地位を得てしまうと、それに合うアプリケーションが次々に作られ、そのことがさらにスタンダードの地位を固めていくという循環になるため、Windowsのように独占状態になりやすいのである。中国は、パソコンのOSをアメリカの一企業に握られていることに危機感を持っており、国を挙げて独自のOSを開発しようとしているが、果たして成功するかどうか。
 私は、ペルチェ素子を使った強制冷却は止め、水冷だけにした。水冷も止めようかと思ったが、CPUに付いてきたファンを回すと、あまりにもうるさいので、銅製の水枕を直接CPUに付け、今まで通り水を循環させることにした。ペルチェ素子に直流を供給していた電源を取っ払うと、その電源を冷却していたファンの音がなくなり、今まで以上に静かになった。これはいいと私はほくそ笑んだ。
 私は調子に乗って、ハードディスクを買い換えた。速くて大容量のやつが、1万円くらいまで下がっていたからである。それをアルミの防音箱に入れる。何年か前のハードディスクはカリカリという音がうるさくて、その頃は必需品だった。今ではかなり静かになったが、それでも防音箱に入れないと、結構音がする。
 よしよし、これで速くて静かなパソコンになったと私は快適に使っていた。
 と、ここまでが去年の夏前である。
 夏になって連日気温が35度を超えるようになった。パソコンにとって暑さは大敵で、本来ならエアコンで冷やすべきなのだが、私の部屋にはエアコンがない。窓を開け放し、扇風機を回しながら、パソコンに向かう。
 そんなある日、何気なくハードディスクの温度を表示するフリーソフトを立ち上げてみて、私は唖然となった。
 55℃。
 今まで50度を超えたことはない。何かの間違いではないかと、私は同種の別のソフトをダウンロードしてきて、立ち上げてみたが、それも同じ温度を示している。どうやら速くて大容量であるため、熱も余計に出すようである。
 ハードディスクの動作温度は確か60度までのはずと、私はハードディスク製造会社のサイトにアクセスして、データシートを見てみた。やはり間違いない、60度だ。
 そうこうしているうちに温度が1度上がり、56度になっている。私はあわててスタートボタンを押して、パソコンを終了させた。
 本体のカバーを取り、防音箱を触ってみる。結構熱くなっている。感じとしては、45度くらいか。アルミの防音箱は熱を逃がす構造になっているため、裸のときより冷えるとメーカーは謳っていたが、パソコン本体の中が熱くなってしまえば、熱の逃げ場がなくなるので、いくら冷えると言っても意味がなくなる。
 仕方がないので本体にケースファンをつけて様子を見ることにした。下がることは下がったが、ほんの一、二度といったところだ。ハードディスクが壊れたら元も子もないので、ハードディスククーラーという小さなファンが二つ付いているものを買ってきて付けてみた。それでようやく温度は50度を切った。
 しかし、小さなファンが高速で回転しているので、うるさいことこの上ない。今までの静かな環境はどこかへ飛んでいってしまった。
 元のハードディスクに戻すべきかと考えているうちに秋になり、ようやくハードディスククーラーを外すことができた。しかし用心のためケースファンは付けたままだ。
 どうすべきか。このままでは来年の夏には、またハードディスククーラーを付けなければならなくなる。
 そんなとき、私はネットで、ハードディスクを水冷するための水枕が売られているのを知った。これだと思ったが、そのためにはハードディスクを防音箱から出さなければならない。ハードディスクのうるささと小さなファンの回るクーラーのうるささを比べたら、クーラーの方がうるさいのに決まっている。となると結論ははっきりしているのだが、防音箱も捨てがたい。一番いいのは、防音箱の中に水枕を入れて水冷にするのがいいのだが、そんなものは売っていないだろうと思っていたら、何とドイツの会社が作っていた。しかし送料込みで一一〇〇〇円もする。ハードディスクと同じくらいの値段である。ネットでその製品の評判を調べてみると、防音性能は私の使っているものよりいくらか落ちるらしい。
 どうしようかと考えて、私ははたと思い当たった。今使っている防音箱に入るような水枕を自分で作ったらいいのではないか。幸い、CPUに使っている水枕を作った時の道具がある。私の頭の中に、周囲を水枕で囲まれ、防音箱に入っているハードディスクのイメージがくっきりと定着してしまった。
 早速私は東急ハンズに電話をした。五年ほど前に作ったCPUの水枕は東急ハンズで材料を調達して穴を開けてもらい、それにこちらでネジ穴を切って作ったもので、今回も同じようにしようと考えたのだ。今回は15ミリ角で長さ16センチの銅棒二本と10センチの銅棒一本を使い、そこに直径8ミリの長い穴を開けなければならない。ボール盤があれば簡単に開くだろうと私は気楽に考えて、東急ハンズにお願いしたが、あっさりと断られてしまった。木工用のしかないため、そんな加工は無理というのだ。
 私は、「せる」会員の林さんが以前旋盤を扱っていたことを思い出し、電話をしてみた。銅棒に長い穴を開ける加工のことを尋ねると、「難しい」と林さんは答える。鉄でも深穴加工は難しいが、銅は粘りがあるため更に難しいらしい。「途中でドリルが折れたら、その材料は使えなくなってしまうし」と林さんは言う。
 その時点であっさりと諦めればよかったのだが、私の頭の中には、イメージが居座っている。私はインターネットの検索を使って、深穴加工をしてくれる所を探した。しかしどこも個人相手ではなく法人相手で、一個や二個の加工などしていない。私は、銅、深穴、加工、一個、個人、試作品などの検索文字を様々に組み合わせて、インターネットの中をさまよった。そこで分かったことは、単に穴を開けるだけの加工でも奥が深いということだった。0.02ミリの穴まで開けることができることに、私は驚いたりした。
 そういう面白い発見で寄り道をしつつ、三日後ようやく一つの金属加工会社を見つけた。細いリンクを辿った先にあったのだ。茨木にある従業員六人の深穴加工専門の会社で、一個からでも引き受けますとホームページにあった。私は早速メールで加工内容を知らせ、見積もりをお願いした。すぐに返事が来、穴の長さ一センチあたり一〇〇円、計四二〇〇円プラス消費税二一〇円とあった。インターネットで見つけておいた金属材料会社の銅角棒の値段は税込み二三〇〇円。その他、銅角棒をつなぐL字型の金具やホースをつなぐニップル、送料などを合計すると、八〇〇〇円ほどになってしまう。冷静に考えれば、三〇〇〇円を足してドイツの会社が作っている物を買えば、何の苦労もせずにハードディスクが水冷になり、なおかつ今使っている防音箱をセカンドマシンのハードディスクに転用できるのである。どう考えてもその方が合理的だが、頭の中のイメージに支配されている人間はそうは考えない。三〇〇〇円も安くできるなら、ここは作るしかないでしょう。
 早速金属材料会社に注文し、直接加工会社に送ってもらうように依頼した。
 一週間後、加工会社から銅角棒が届いた。さすがに専門としているだけあって、きれいに穴が開いている。私はしばらく見とれてしまったくらいだ。
 その穴に六カ所PT1/8という規格のネジ穴を切るのだが、それには苦労した。ハンドタップなのでほんの少しずつしか切れず、油でべとべとになりながら四日間かけて切った。終いには手の皮を擦り剥く始末だった。途中で、こんなことなら三〇〇〇円出した方が、と思わないでもなかったが、そういう思いはすぐに押さえつけ、作業に没頭した。
 銅角棒を金具でつなぎ、ハードディスクがぴったり収まるのを見た時は、さすがに感慨があった。
 防音箱にニップルを通す穴を開け、自作水枕をはめ込み、ハードディスクを収めた。それはまさに私がイメージしたものとぴったり一致していた。私はいそいそとデジカメを取り出し、それを写真に収めた。
 水漏れがないことを十分確認してから、ハードディスクを入れ、パソコンの中に組み込んだ。防音性能はほとんど変わっていない。肝腎の冷却性能はと、一時間ほど経ってから温度計ソフトを立ち上げてみると、25℃という表示になっている。水冷にする前は、38度くらいだったので、確かに冷えている。水温が20度なので、プラス5度といったところか。水温はどんなに暑い時でも40度は超えないので、ハードディスクも45度を超えないという計算になる。これで一安心である。
 私は早速ケースファンを取っ払った。これで春の静けさに戻ったのである。
 しかしそれで万々歳のはずが、どうもそうはいかないのが、不思議なところである。もっと静かにさせたいという欲求が抑えられなくなってしまった。これが、いわゆる静音スパイラルに入ったということだろう。パソコンの大きな騒音源をなくすと、それまで隠れていた騒音が現れてきて、その騒音源を絶つと、また別の騒音が気になって……とスパイラル状態に入ってしまう。
 まさにその状態だった。今度は、電源を水冷化できないかと考え始めたのだ。そうすると、電源のファンがなくなり、無音パソコンも夢ではなくなる。水冷電源は、これもドイツの会社が発売しているが、5万円ほどして、気軽に買えるものではない。インターネットで調べると、普通の電源を水冷に改造している人もいるが、低速ファンとの併用で、さすがにファンなしにはできないようだ。
 私は本気で、ファンなしの電源にするにはどうしたらいいかと考えてみたが、もしこの時はっきりとしたイメージができあがっていたら、突き進んだかもしれない。
 そんな時、電源を1メートル延長するケーブルセットというのをインターネットで見つけた。私は隣の部屋を調べ、ちょうど窓枠に電源が置けることを確認し、ケーブルセットを取り寄せた。電源をケースの中から取り出し、窓枠に置き、ケーブルをつないで、ガラス戸を閉める。それでパソコンのスイッチを入れてみた。
 無音だ。元々静かな電源なので、隣の部屋に置いてしまうと、ファンの音は全く聞こえない。ということは、パソコン本体からファンがなくなったということだ。
 究極の無音パソコンが完成した! 静音スパイラルから逃れることができた!
 私は大いに満足し、快適に使い始めた。
 それから何日か経って、パソコンを使っていると、ふと微かなブーンという音が耳に飛び込んでくるではないか。今まで聞こえていたかどうかわからないが、確かに何かが鳴っている。私はどこから聞こえているのか耳を澄ましながら体を動かした。そしてそれが天井の蛍光灯から聞こえていることを発見した。今までは電源ファンの音に隠れて聞こえなかったのだ。試しに蛍光灯を消してみると、ブーンという音が消えた。
 と思ったら、さらに微かなブーンという音が聞こえてきた。残る騒音源は水中ポンプしかない。水の入ったポリ容器に耳を当ててみると、はたして微かに唸っている。
 蛍光灯を取り替え、ポリ容器を隣の部屋に移せば、完璧になるはずだが、さすがにそこまでする気はなかった。どこかで歯止めをかけなければ、最終的には無音室を作るところまで行ってしまうだろう。
 妻はファンがぶんぶん回るうるさいパソコンを使っているが、全然気にならないと言う。
「画面に向かって集中していたら、音なんて聞こえないんじゃない」
 何やら耳の痛い話である。
 

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