そろそろ本格的に水中写真をやってみたくなって、妻にニコノスVを買ってもいいかなとお伺いを立ててみたが、妻はすげなくダメと言う。水中写真のコンテストでグランプリを取ったら、タヒチへの往復航空券が二人分ももらえるんだよと誘いをかけてみるが、鼻で笑われてしまった。もう少し今使っている「潜るんです」で我慢しなさいと言うのだ。「潜るんです」というのは、レンズ付きフィルムを入れる強化プラスチックのハウジングのことで、つまり使い捨てカメラを水中に持って入れるというわけだ。しかし使い捨てカメラでグランプリを取った人間は誰一人としていない。それなりの性能しかないカメラでは、それなりの写真しか撮れないのは当たり前だ。フラッシュが貧弱、フィルム感度が400か800で粒子が荒い、ファインダーが小さくて、自分では真ん中に捉えたつもりの魚が端っこでちょんぎれる、等々。特にフラッシュが貧弱なのは致命的で、少し離れると光が届かなくなってしまう。水中では水深三メートルを越えた辺りから本来の色(特に赤)がなくなっていくので、強力なフラッシュは必需品なのだ。
というようなことをるる説明したが、妻はうんとは言わない。そこで私は奥の手を出す。実は、水中写真をやっている青年を主人公にした作品の腹案があって、そのためには実際に水中カメラを手にしなければいけない、まさか主人公に「潜るんです」を持たせるわけにはいかないだろう。妻は疑わしそうに私を見たが、しぶしぶ承知した。ただしあまり高いカメラは駄目と注文をつけたが。
ニコノスV(ファイブと読む)はプロも使うことのあるカメラで、入門用としては最も安い部類に入る。それでも水中ストロボや水中ファインダー、二十ミリレンズなどをセットすると、定価で二十三万円ほどする。心斎橋のナニワに行ってみたが、十九万くらいまでしか安くならない。十九万も出せば、二人で沖縄に行けるわよと妻は私を牽制する。私はそういう声は無視してどんと買いたいが、あまり高い金を出して買うと、なくしたときに打撃が大きい。水中では何が起こるかわからないし、カメラの中に水が入ったらそれまで。「潜るんです」は二万円ほどだったので、たとえなくしてもこたえないが、ニコノスVだとそうはいかない。
私は新品を諦めて中古を探すことにした。しかしニコノスVの中古は全くと言っていいほど出回っていないのだ。最後の手段として、私はタウンページにある中古カメラ専門店に片っ端から電話をした。大阪、神戸合わせて七、八軒あったが、ニコノスVの本体のある店が二軒、そのうち一軒が私の希望するセットを持っていた。店に足を運んで実物を見ると、ほとんど新品同様だった。値段十三万円。中古にしてはちょっと高いんじゃないかと値切ったが、おじさんはニコノスVの中古が出回っていないことをよく知っていて、交渉に応じない。こっちも他の店にも同じ物があれば強気に出られたが、そうもいかず私の負け。言い値を払ってセットを手に入れた。
さて、カメラは手に入った。次は潜る場所を決めなければならない。時は二月。潮の流れの速いところにカメラを持って入るのは、まだ自信がない。できればハウスリーフ(島の周りの珊瑚礁)の透明度のいい、流れのあまりないところで水中写真の練習ができたらというのが私の希望だった。となると、自ずと行けるところは決まってくる。一、二月がダイビングベストシーズンのモルジブしかない。
モルジブには二年前に一度行ったことがあるが、確かに透明度はよかった。ただ二年前は地中海クラブのあるファルコルフシだったが、そこはビーチからハウスリーフまでの距離が遠くて、ビーチエントリーで気軽にハウスリーフに潜るというわけにはいかなかった。だから今回はすぐそばにきれいなハウスリーフのあるリゾートを選ばなければならない。私の第一希望はヴァドーダイビングパラダイスだった。そこは日本資本の経営で、マネージャーが日本人、ダイビングガイドにも日本人がいて、なにより素晴らしいハウスリーフがあるのだ。
ダイビング雑誌を広げて、まず旅行会社を選ぶことから始める。といっても大抵値段で決めることになるのだが。今回全員女性でしかもダイバーという東京の旅行会社がモルジブツアーを安くしていたので、そこに連絡し、こちらの希望を伝えた。二、三日後電話があり、ヴァドーダイビングパラダイスは取れないと言ってきた。二月十一、十二、十三日の連休に、団体客の予約が入っているからということだった。連休をはずせばオーケーらしかったが、こっちも連休をはずすわけにはいかない。仕方なく、第二希望のビアドウを伝え、これは予約することができた。ビアドウはインド系ホテルの経営するリゾートで、ここも素晴らしいハウスリーフを持っていることで有名だった。料理もおいしいらしい。ただ日本人スタッフはいないし、ガイドにも日本人はいないのが残念だったのだが、出発の前になって、旅行会社からFさんという日本人の女性ガイドが一月から入っているという連絡があり、少しは安心した。
航空会社の希望はシンガポール航空だった。成田から出発する場合は安いエアランカ航空というのがあって、スリランカのコロンボ経由でモルジブに行けるが、大阪からの場合、エアランカが入っていなくてシンガポール経由でしか行けないのだ。二年前はシンガポール航空で行って、なかなかよかったので同じ航空会社にしたのだ。しかしかなり経ってから、旅行会社からシンガポール航空が取れなかったので、シンガポールまでは日本航空、シンガポールからモルジブまではエミレイツ航空にしたいと連絡が入った。エミレイツ航空? 何それ。アラブ首長国連邦の航空会社です。アラブと聞いて、真っ先に頭に浮かんだのが、爆弾テロだった。爆弾が爆発して、旅客機が炎上しながら墜落していく光景が頭をよぎる。大丈夫かいな。大丈夫です、十月に就航したばかりで、機体も新しくてサービスもいいですよ。仕方なく、オーケーする。まあ、考えてみれば、爆弾テロに遭うのはイスラエル系かイスラエルシンパの航空会社なので、アラブ系は大丈夫なのだ、と自分を納得させる。
ここまでは十二月の話。年内に日程表とか旅行申込書を郵送しますという話だったのだが、年が明けても届かず何の連絡もない。しびれを切らして電話をすると、年末に送りましたよという返事。届いてませんよと言うと、郵便局が紛失してたんですね、たまにあるんですと答える。そっちはたまでも、こっちは初めてなんで本当かなと疑心暗鬼になる。本当に郵送したのと言いたくなるのを堪えて、じゃあとりあえず日程表とリゾートの予約確認書だけでもファックスで送って下さいと伝える。妻の仕事の関係でファクシミリを入れておいたのが、こんなところで役に立つとは思わなかった。
ほどなくファックスで日程表と予約確認書が届き、とりあえず一安心。二、三日後には宅配便ですべての書類が届いた。早速旅行申込書に記入して郵送し、料金を銀行に振り込む。後は航空券が送られてくるのを待つばかり。
しかし出発日二月五日の一週間前になっても、音沙汰無し。今までのツアーで、こんなことは初めてだった。少なくとも二週間前までにはすべての準備が揃っているのが普通だったから。つい、女性ばかりの旅行会社に頼んだのが間違いだったかと差別的言動を漏らしてしまう。またこちらから電話をする。係員は申し訳ありませんと謝り、二、三日したら宅配便で送りますのでと答える。しかし二、三日たっても送られてこず、本当に出発できるのかと気が気でなくなった二月三日に旅行会社から電話があり、実は日本航空のオーバーブッキング(二重予約)のため帰りの大阪行きの便が取れず、成田経由で帰っていただくことになったのですが、よろしいですかと言う。バカヤロウと私は思わず怒鳴りそうになった。今さら、じゃあ結構です、ツアーは取り消しますなんて言えるわけがないじゃないか。休暇が一ヵ月後ならいざ知らず、二日後なんだよ。
結局十三日の朝八時に大阪空港着が、午後二時着になってしまった。しかし結果的にこの帰りの便の変更が幸いするのだから、世の中はわからない。
航空券はすぐに宅配便で送って、四日に着くようにしますのでということだったが、四日にファクスが届いて、五日に大阪空港の団体カウンターでお受け取り下さいとなっていた。最後の最後まで気を揉ます旅行会社だった。
五日、重いトランクを押して団体カウンターに行き、航空券を受け取ったときは、さすがにほっとした。
出発ロビーで飛行機を待っているとき、隣に五十歳代の夫婦が旅行日程表を広げており、ちらっと見るとなんとヴァドーダイビングパラダイスへのツアーだった。へえ、このおじさんおばさん夫婦もダイバーなのかとしげしげと見つめた。
この夫婦も私たちと同じエミレイツ航空の旅客機に乗ったが、他にも日本人がわんさか乗っていた。三連休を利用してベストシーズンのモルジブへ行く。考えることは誰しも一緒なのだ。
さて、エミレイツ航空だが、これが何ともグーなのだ。機体は新しいし、エコノミークラスなのに液晶テレビが各々ついているし、一人一人に櫛、歯ブラシ、アイマスク、靴べら、ボールペン、ティッシュペーパーの入ったトラベルセットをくれる。そして何よりスチュワーデスが美人ぞろいなのが気に入った。ペルシャ系の彫りの深い顔で、背が高く、目の色が青とか灰色なのだ。うーん、いい。それに行きも帰りも時間が正確だった。さすがにアラブ首長国連邦は石油のおかげで金を持っているのだろう。
モルジブのマーレ空港に着いたのは、夜中の一時頃だった。いろんなリゾートから迎えが来ていて、多くの日本人が散らばっていく。ビアドウの係員の所に集まったのは、何と二十人。三分の二が若い女性。去年のフィリピンでは日本人は一人もいなかったのに、この違い。妻と顔を見合わせて、ため息をつく。
マーレ空港からビアドウまで、スピードボートでさらに一時間かかる。リゾートに着いてシャワーを浴び、ベッドに入ったのが三時。それでも七時には目が醒めてしまった。
百人ほどが入れるレストランで朝食を食べて、ぶらぶらとビーチを散歩する。一周歩いて二十分くらいの大きさで、周りはすべて真っ白い砂に、スカイブルーの海。まさしく絵はがきに見る光景そのまま。思わずニヤニヤしてしまう。
一日目は疲れているのでチェックダイブは受けずに、シュノーケルで身体を水に慣らし、二日目に受けるつもりでダイビングセンターに顔を出すと、日本人ガイドのFさんがいて、十時からチェックダイブを行いますと言う。時計を見ると、九時五十分。「今からじゃ間に合わないですね」と言うと、待ってますから準備してきて下さいという返事。夕べ二十人来た日本人のうち、ダイバーは私たち二人と、男性五人のグループだけらしかった。後の十三人はノンダイバーということで、意外な気がした。
早速部屋に戻り、器材をメッシュバッグに詰め込んで引き返す。男性五人のグループはすでにウェットスーツを着て、タンクを背負っている。Fさんは「先に五人のチェックダイブを行なってから、お二人のチェックをしますので、準備ができたらあのサーフボードのところまで来て下さい」と沖を指さす。二十メートルほど沖合いにサーフボードがロープで繋いであり、そのすぐ向こうはドロップオフになっているらしくスカイブルーの色が深い青に変わっている。いささか緊張する。三ヵ月半ぶりであることに加えて、チェックダイブを受けなければならないというのが何ともイヤなのだ。マスクの完全脱着とバディブリージングをするというが、マスクの完全脱着なんて講習のとき以来だ。しかしこれをクリアしなければ潜らせてくれないのだから、仕方がない。
タンクを背負ってサーフボードのところで浮かんで待つ。Fさんが浮上してきて、親指を下に潜降のサインを出す。BCのエアを抜き、息も吐いて潜降する。
どこでチェックをするのかと思っていたら、ドロップオフの際の珊瑚に片足を置いて、ほとんど中性浮力を取りながら行なうのだ。え、ここでやるのと言いたかったが、もちろん声は出せない。
まず妻から。マスクを外し一呼吸おいてから再びつける。マスククリアをするとき、息を大きく吸い込んだためすーと浮いていく。私はあわてて妻の足をつかんだ。
次に私の番。マスクを取ると、近視のせいもあって完全に視界がぼやけてしまう。ここでつい陸上のつもりで鼻から空気を吸おうものなら、水が気管に入ってとんでもないことになる。水中でエアを吸うのは必ず口から。マスクを再びつけ、鼻から息を吐き出してマスククリア。一息では完全に水が抜けなかったので、もう一回やって終了。バディブリージングも何とか無事にこなし、FさんからOKサインが出た。ほっとして、後はエアがなくなるまで、妻と二人でハウスリーフ沿いにファンダイブをする。ガイドなしで二人だけでダイビングをするのは初めてなので、少し不安があったが、リーフ沿いに行って戻ってくるだけなのだから、迷いようがない。後は残圧と水深のチェックさえしておけば、自分たちの自由に潜れるのだからむしろ面白いと言える。流れもなくキンギョハナダイやウメイロモドキの群れがいて、いかにもハウスリーフを潜っているという感じがした。
ただ透明度が思っていたより悪かった。二年前に比べたら、明らかに落ちている。二十メートルほどしかないようだ。上がってから、Fさんにそのことを話すと、どうも天候が不順なせいもあるのか例年よりも透明度が上がっていないということだった。一ヵ月ほど時期がずれているらしい。その話を聞いたときの私と妻の落胆度を想像してみて下さい。何とまあ、がっかりしたことか。
しかし気を取り直して、午後からカメラを持ってハウスリーフに潜る。島は海面すれすれまで発達した珊瑚礁で囲まれているため、どこからでもハウスリーフに潜れるわけではなく、珊瑚礁の切れ目を通って外に出なければいけない。そういう通路がここには六カ所あって、一から六まで番号がつけてある。ダイビングセンターのところが六番で、一番は文字どおりナンバーワンのポイントらしい。従って真っ先に一番に潜ることにした。タンクはセンターの前に置いてあるやつをポイントまで自分たちで運ばなければならない。これが結構重労働なのです。
汗をかきながらタンクを運び、レギュレーターをセットし、タンクを担いで海の中に入ったときは、水の冷たさが心地よくしばらくBCの浮力に身を任せたままでいた。それからゆっくりと珊瑚の切れ目に向かう。潮が入り込んでいて、流れが結構あるのがわかる。海の中を見ると、先にチェックダイブを受けた男五人組がすでに潜っていて、五、六メートル下で珊瑚にしがみついている。午前中よりも透明度がよく、青色が澄んでいる。潜降しているとき、一.五メートルほどのホワイトチップシャークが遠くを通り過ぎるのが見えた。男五人組は珊瑚にしがみつきながら、潮の流れに乗ってやってくる大物を見ようとしているのだ。
私たちは潮の流れに乗って、六番に向かう。フィンを動かさなくても進んでいくので楽チンは楽チンだが、速すぎて写真を撮ることができない。ナポレオンとかロウニンアジとか大きなゴマモンガラなどを目にしたが、撮ろうとすると流れに逆らってフィンを蹴らなくてはならない。潮の流れが時速二キロメートルもあると、逆らって泳ぐことは難しいと言われているので、たぶんそのくらいの速さがあったのだろう。結局流されている間は一枚も写真が撮れず、リーフが曲がり込んだ六番に来て潮の流れが緩やかになると、ようやくカメラを構えることができた。
水中で写真を撮るのは、思ったより大変なのだ。魚などの被写体はじっとしていることは稀だし、写すこちら側も動いていることが多い。ということはファインダー内に被写体を捉えるのが難しいし、寄っていけば魚は基本的には逃げていく。それに水中では物の大きさが陸上よりも二五パーセントほど大きく見えるので、自分では大きく捉えたつもりでも実際は点にしか写らない場合がある。結局数多く写真を撮って経験を積むしかないようだ。
六番のサーフボードのすぐ下には、二、三十センチのギンガメアジ数十尾の群れが渦を巻いていて、私は夢中になってシャッターを押す。いかにもモルジブ的な光景に興奮して三十六枚のフィルムを使い切ってしまう。
次の日も午前の一本は一番から六番に向かってハウスリーフを潜る。きのうと違って潮の流れはほとんどなく、カスミアジやブルーフュージュラーの群れにカメラを向けながらゆったりと泳ぐ。
そして午後、ボートに乗ってカンドマというポイントに向かう。事前の話ではそんなに潮の流れはないということだったが、ポイントについたあたりでどうも様子がおかしかった。ポイントをなかなか見つけることができず、ボートがあちこち移動するのだ。そのときはFさんがガイドだったが、後から思えばまだモルジブの海のガイドに慣れていなかったのだろう。来てまだ一ヵ月足らずなのだから無理もないのだが。
ようやくポイントが決まって私と妻は五番目くらいにエントリーしたのだが、潜降してみると水中にいるのは私と妻ともう一人の三人だけ。上を見上げると十人ほどがブイにつかまって水面にいる。何してんのやろと思っていると、Fさんが上がって来いと浮上のサインを出している。仕方なしに浮上してボートに上がり、Fさんにわけを尋ねるとポイントからずれてしまったというのだ。潮の流れが予想外に速いらしい。
もう一度ボートをポイントに戻し、今度はBCの空気を抜いてエントリー即潜降ということを全員に言い渡して、次々に飛び込む。私と妻は先ほどのことがあるので最後にしようと決めたが、結果的にこれが悪かった。私たちの前にエントリーしたダイバーがカメラを受け取ったりしている間にポイントからずれてしまい、私たちが潜降したときにはダイバーの姿が見えなかった。首を回して周りを見ると、かろうじてフィンがばたばたと動いているのが目に入ったのでそちらの方向に行こうとしたが、潮の流れをまともに受けて進めない。これではいけないとフィンを思いきり動かしてついていこうとしたとき、ひょいと横を見ると妻が流されているではないか。私はその瞬間他のダイバーの後を追うということをやめて、潮の流れに身を任せることにした。というより翻弄されたと言ったほうがいいかもしれない。妻を視界の端に捉えながら流されていき、妻が海底に着いたのを見て珊瑚の壁を手でつかんだ。水深計を見ると二十メートル。妻のいる海底は私のところより五、六メートル低い。距離にして十五メートルくらいか。
妻は岩につかまりながら周囲を見回そうとしているが、私のいる方向には顔を向けない。後で聞いたところによると、潮の流れが速くてマスクがずれそうになるため向けられなかったと言う。私の方もつかんだ珊瑚が取れて別のをつかみ直さなくてはならないくらいなので、うかつに近寄れない。近寄ろうとして潮に流されてしまうと本当に離ればなれになってしまう。
いずれ妻は浮上を始めるだろうと私は思っていた。変に冷静で、これだけ潮が速ければ大物が出てもいいのにと私は周りの海に目を凝らしたが、何も出なかった。
二分ほどたって、妻が浮上を開始したのでここぞとばかり私は近づいていった。どちらも流されているので近づくのは容易だった。途中で妻が私に気づき、私の方に泳ぎながら手を伸ばしてくる。私はその手をつかんで潮の流れを横切るように泳ぎ、珊瑚の壁のところに着いた。そこは潮の流れがだいぶ緩やかになっており、もう手を放しても大丈夫なのだが、妻は私の手を握り締めて放さない。浮上のサインを出すとようやく手を放した。
浮上すると、意外と近くにボートが見えた。ボートにはドイツ人の男性が一人すでに上がっていた。一人ということはバディとはぐれてしまったのだろう。しょんぼりとしていた。
妻は恐かったと言うものの案外元気だった。海底の岩につかまっていたときは周りに誰も見えずひとりぼっちで、あんな心細い思いをしたことはなかったと言う。水深計は二十六メートルを示しており、このままここにいればエアがなくなると思って浮上を始めたのだが、「突然そっちが現れたので、これを逃してなるものかと必死だったわ」と笑って言う。二人でゲージを見ると、潜水時間十四分、最大水深三十四メートルで、今までの最短最深だった。特に水深が三十四メートルもあったことに驚いた。自分ではそんなに深く潜っているつもりはなかったのに、そんなに行っているということは潮の流れによっては五十、六十メートルと引き込まれる可能性だってあるのだ。下向きの潮の流れにつかまれば、プロのダイバーでも命を落とすことがあると聞いていたが、まさにその一端を垣間みた思いだった。
それから二十分ほどたってダイバーが次々と上がってきたが、Fさんが上がってきたとき、彼女は素早く私たちのほうを見てにっこりとした。私たちが無事にいるということがわかって、ほっとしたのに違いない。
Fさんに潮の流れのことを訊くと、地元の漁師でも潮の予測は立てにくく、実際にその場に行ってみなくてはわからないらしかった。
というわけでそれ以後、比較的潮の流れの穏やかな午前中にボートダイビングをし、午後からはハウスリーフを潜るというパターンになった。
三日目の朝、レストランに行くと、私たちのテーブルにもう二人分の食器がセットされていた。誰かと相席になるのだ。テーブルに立てられたもう一枚の名札を見ると、S……とN……という日本名がアルファベットで書かれてあった。名字が違うので男二人か女二人かと思っていたら、二十代の男女二人だった。なかなか感じのいい二人だった。二年前のモルジブでも夫婦ではない男女のペアが来ていたが、私たちの若い頃とは隔世の感があるなあと妻と二人で羨望の溜息を漏らしたものだった。
男のSさんは七年間で五百本も潜っているダイバーで、セミプロの水中カメラマンらしかった。Nさんは一時ダイビングを止めていたが、Sさんと知り合って再び始めたという。本数は百本ほど。妻が私に、Sさんから水中写真を習ったらと冗談めかして言う。私は余程そうしたかったが、どうも彼らは二人だけになるためにここに来たようなので無粋なお邪魔をしたくなかった。
朝食を食べ始めて、Sさんが、パラオでダイバーが遭難したことをご存知ですかと訊く。初耳だった。ちょうど私たちが出発した二月五日にペリリューコーナーで地元ガイドを含む六人のダイバーが流されて行方不明になったというのだ。Nさんはそのニュースを聞いてすぐに親のところに、今度行くところはモルジブと言って、パラオなんかと比べてずっと安全なところだから心配しないようにと電話をしたと言う。私が思うに、何も言わないでいると、心配した親が友達に電話をして、ひょっとしたらSさんと行っていることがバレるかもしれないと彼女は考えたのかもしれない。
パラオのペリリューコーナーは潮の流れの速いところとして有名で、速いときは時速五、六キロになるという。私たちの流された潮の二、三倍はあったのではないか。それだけあるととてもダイビングをすることはできず、流れに翻弄されるしかないだろう。だからそういうときはダイビングを中止するのが常識なのだが、後で新聞などを読んだところによると、男二人が女性三人に声を掛けて人数を揃え、あるダイビングサービスに頼み込んだらしい。何日か後に死んで漂流している女性ダイバーが発見されたが、流されてから三日間ほどは生きていたことがメモなどからわかった。男性ならば二日間、女性ならば三日間というのがウェットスーツを着て漂流できる限界だと言われているが、まさにその通りになった。その間彼女は何回か上空を飛ぶ捜索機を見ているが、発見されなかった。海に浮かんでいるダイバーを飛行機から発見するのはほとんど不可能だろう。船の上からでも、少し離れれば見つけるのが非常に困難になるのだから。しかも彼女は緊急用のフロートとか海面を蛍光色に染める非常用の染料などは持っていなかったらしい。私たちはモルジブで、空気を入れて膨らませば一メートル半くらいになる真っ赤なフロートをそれぞれに渡された。それをBCのポケットに入れて潜り、もし浮上したとき船の姿が見えなかったらそれを膨らませるのである。ダイビングの場合、ガイドはあくまでもガイディングだけを担当するのであり、安全確保はあくまでもダイバー自身の責任なのだ。日本では残圧チェックをしてくれたり、浮上の時はみんなで一緒に上がったりと安全面に気を配ってくれるが、それに慣れてしまうと海外で潜る場合戸惑うことが多くなる。海外ではバディシステム(二人のペアで潜る)で、自由に潜りなさいというところが多いのだ。もちろん潜る前に、事故があってもそれはいっさい自分の責任ですという誓約書にサインをさせられるのである。だからパラオの場合でも、ダイビングサービスの責任を追及することはたぶん無理だろう。
私たちはパラオの事故の話の続きできのう流されたことを話した。Nさんは本当ですかと驚いた表情をする。彼女はモルジブは初めてで、潮の流れが速いと聞かされていたから心配なのだろう。Sさんはボートダイビングをしないから大丈夫と笑っている。透明度もそんなによくないし、写真を撮るならハウスリーフのほうがいいみたいですよと私たちもその考えに賛成した。
最終日、私だけが午前七時半からの早朝ダイビングに参加した。私とバディを組んだのは東京から来た二十代の男性で、モルジブの海は最高だからと友達夫婦を誘って来たらしい。ところが今年の透明度の悪さにがっかりで、彼らに申し訳ないことをしたと嘆いた。私は沖へ出るよりもハウスリーフのほうがずっといいですよと言ったが、やはりモルジブまで来てハウスリーフで済ませる気にはなれないらしい。そのとき潜ったナギリティラというところも相変わらず透明度が悪く、しかもブリーフィングではドリフトダイブのはずが、潮の流れに逆らって泳ぎ、帰りは潮の流れに乗って戻るというまるでアンカリングした船に戻るようなダイビングだった。その疲れること、疲れること。どうもエアの消費を早めて全員をいっせいに浮上させ、ダイビングを早く切り上げたいというフランス人ガイドの陰謀ではなかったかとバディと話し合ったくらいだ。
昼前に船で十五分ほどのところにあるビリバルに渡る。そこはビアドウよりも一回り小さい島で、経営しているのはビアドウと同じホテルなのだ。Sさんからビリバルのハウスリーフも面白いですよと勧められて来てみたのだ。ビアドウと違って人の姿があまりない。施設もこじんまりとしている。
ダイビングセンターの辺りにやって来たとき、ちょうど海から日本人のおばさんダイバーが四人、女性ガイドに連れられて上がってくるところだった。私たちはさっそく彼女たちに声を掛け、「ヨスジフエダイの群れが見られるって聞いたんですが」と訊いてみた。一人が「今そこで見てきたところですよ」と答える。
ドイツ人の女性ガイドにダイビングをしたい旨を伝えると、タンクの場所とハウスリーフのエントリーするポイントとコースを教えてくれる。早速私たちはウェットスーツに着替え、機材をセットして白い旗の立っているエントリーポイントに向かう。
海の中はビアドウよりも若干透明度が落ちるかなという程度で、流れも穏やかだった。狙い目のヨスジフエダイは直径五メートルほどの球形のような感じで群れていて、そういう群れが三つほどあった。私は喜び勇んで写真を撮りまくる。途中でウミガメが珊瑚を枕に休んでいるのを見つけて、これも写真に撮り、なおかつ両手でつかんでみる。これが意外と力持ちで、泳ぎ出すと振り払われてしまった。
ビリバルで昼食を食べ、ビアドウに戻ると夕方六番で最後のダイビングをする。一カ所でじっとしている風呂場ダイブで、カメラに残っているフィルムを使いきってしまうつもりだった。こういうハウスリーフに潜り慣れてしまうと、いろいろな魚がそこここにいることに大して驚かないが、串本などと比べると実に豊かなところであることがわかる。この風呂場ダイブだけでも、ギンガメアジ、オニオコゼ、ハナミノカサゴ、カスリハタ、モヨウフグ、キンギョハナダイ、ハナタカサゴ、カスミアジ等々を目にすることができるのだから。
水中写真の練習もできたし、透明度がいまいちの割にはハウスリーフがよかったと満足して、ビアドウを後にした。
そしてシンガポールに着き、飛行予定の掲示を見ると、私たちの乗る成田行きの便が「DELAYED」となっている。よく見ると、オーバーブッキングで乗ることができなかった大阪行きの便は「CANCELLED」。その他にも大阪と成田に向かう便はすべて遅延か欠航になっている。私は一瞬日本の過激派が一斉に蜂起して日本の空港を襲ったのではないかと思った。まあこういうことを思い浮かべること自体、歳を感じさせることなのだろうが。
乗り継ぎカウンターで事情を訊くと、「ヘビィスノウ」という答えが返ってきた。ああ、なるほど。きょうは二月十二日だったのだ。暑いところにいたから、雪などということはこれっぽっちも頭に浮かばなかった。
私たちはチャンギ空港でほとんど夜を明かし、七時間遅れで成田行きに乗れたが、欠航になった大阪行きの乗客はいつ帰れるかわからない状態だった。成田から大阪に向かう便に間に合うかが問題だったが、ぎりぎりで間にあった。これに間に合わないと、たぶんその日の内に大阪には帰れなかっただろう。成田でも大阪でもまだ空港のあちこちに雪が積もっていた。
さて、肝腎の写真の出来映えだが、百数十枚撮った中で何とか見ることのできるのは四枚ほどだった。後はすべてクズ同然。まあ、そんなものです。
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