毎年二月には海外にダイビングに行くことに決めており、今年はフィリピンのディマクヤ島に行くことになった。
ディマクヤ島は小さな島で、島全体が1つのリゾートになっており、その名をクラブパラダイスと言う。ドイツ資本のリゾートで、日本人スタッフはいない。日本語を話すスタッフもいない。ということは日本語は通じない。いささか不安だが、潜ってしまえば、言葉はいらないからその点ダイビングは楽だ。何はともあれ、海外へ行くダイバー必携の「ダイバー英語」という本を持っていく。
マニラで一泊し、翌朝国内線の空港に行く。ここまでは日本語を話すフィリピン人のガイドが一緒だった。まず荷物の計量。国際線では二人で四十キログラムまでの荷物は無料だが、国内線ではそうはいかないだろうという予想どおり超過料金を五千円ほど取られる。二人分のダイビング機材の入ったトランクは三十キロほどあるのだ。計量されるのは荷物だけではない、私たちの体重まで計られる。かなり小さい飛行機ではないかとイヤな予感がする。念のためにトイレに行っておく。
出発時刻が来て、私たちはドイツ人三人とフィリピン人一人の計四人と共にトイレの横のドアを出る。そこは自動車整備工場みたいなところで、油くさい臭いがする。屋外には小さな窓がいくつか付いた比較的大きな飛行機があり、ああ、あれかと安心したのも束の間、空港のスタッフが別の方向から声を掛けながら手招きしている。見ると、セスナに毛の生えたような飛行機だ。やれやれ。ここまで来て引返すわけにもいかず、仕方なく乗込む。狭い。脚を縮めて坐る。座席数六、満席。機長一人。双発のプロペラ機で、座席のすぐそばにエンジンがあるのでとてつもなくうるさい。これで一時間はつらいと思ったが、飛立ってみると意外とそうではなかった。快適というわけにはいかないが、機体はほとんど揺れず、何よりいかにも空を飛んでいるという感じが楽しい。エンジンの音も耳が麻痺したのかそれほど気にならない。ただ機長が心臓病か何かで突然ぽっくりいけば、それで終りだなという不安はあったけど。
空港のあるブスワンガ島に近づいたとき、私たちが下を見ながらあれがクラブパラダイスかなと言い合っていると、機長が一つの島を指さして「クラブパラダイス」と教えてくれる。見るとプールの青とテニスコートの緑のある小さな島が視界に入る。その周りには珊瑚礁のあるあの独特のスカイブルーの海。あの色を目にすると、胸がわくわくする。いわゆる胸キュンってやつですね。
ブスワンガ島上空に入り、空港はどこかなと探してみたが、それらしき所はどこにも見当らない。そのうち飛行機が高度を下げていく。どこに降りるんだと見ていると、大きな原っぱみたいな土地に茶色い道が延びている。まさかあそこじゃないだろうなと思う間もなく、飛行機はそこへ降りていく。舗装もしていない農道みたいな滑走路だ。ゴツゴツした振動を感じながら、無事着陸。滑走路の横にはコンクリート一階建の待合所があり、クラブパラダイスのスタッフが迎えてくれる。とんでもなく辺鄙なところにやって来たという感じがする。
そこからフィリピン特有のジープニーというジープの荷台に座席を取付けた車で、船着き場に向かう。マニラから一緒に来たドイツ人たちは別のところに行くらしく乗込まず、代りに待合所で待っていた若いドイツ人のカップルと一緒になった。二十歳くらいの感じ。女性が超ミニスカートで向いに腰を降ろすものだから、目のやり場に困る。ウーン。
三十分ほど右に左に揺られながら、粗末な小屋のそばに停車する。そこから船着き場まで歩かなければならない。三十キロのトランクを持って、それはないよと思っていたら、小屋にいた五十歳くらいのおじさんが私たちのトランクをひょいと肩に担いで歩いていく。別にクラブパラダイスのサービスではなく、勝手にポーターをしているのだ。頼んだ覚えはないけれど、ありがたくお任せする。
坂を降りたところからマングローブの林が広がっており、丸太を組んだ橋が船着き場まで数百メートル続いている。歩きにくい橋で、私たちは一歩一歩足許を確かめながら歩いているのに、おじさんはひょいひょいと進んでいく。
船着き場に着いて、おじさんにチップをあげなければならないのだが、あいにくと細かいお金がない。チップは大体二十ペソ、弾んでも五十くらいなのだが、手元には百ペソしかない。まさかお釣りを要求するわけにもいかず、「べリー、ヘビイ」と言いながらおじさんも汗をかいていることだしと百ペソを渡す。おじさんは大変喜んだが、それは百ペソのせいなのかどうかは分らない。
船着き場には長さ七、八メートルの両側に安定板のついた船が繋がれており、それに乗込む。エンジンがかかって船がマングローブ林の入江を進み始めると、ドイツ娘がビデオカメラを取出して周りの風景を撮影し始める。カメラにはサンヨーというロゴが入っている。やっぱりと私は納得する。
余談だが、外国人の持っているビデオカメラやカメラは百パーセントと言ってもいいくらい日本製だ。そのため日本のイメージは昔のフジヤマゲイシャから、テクノニッポンに変わっているようだ。昨年、モルジブでオーストリア人と同じテーブルで夕食を取っていたとき、ワインを飲んでいた彼が「日本でもワインを造っているのか」と訊いてきた。「もちろん、造っていますよ」と私が答えると、「コンピュータワインだろう」とからかってきた。
「なに言うてんねん。日本には山梨ワインや十勝ワイン、そうそう神戸ワインもあるんやで」と言いたかったが、ワインをあまり飲んだことがないのと英語力に自信がなかったので「ノー」と笑ってすませてしまった。クヤシイ。
さて、三十分ほど穏やかな海を進むと、建物のある小さな島が見えてくる。白い砂浜には何艘かの船が繋がれている。桟橋はなく、船は砂浜に直接乗上げる。ゲストの数よりはるかに多いスタッフが出迎えてくれる。目にまぶしい白い砂浜を踏んで、大きな建物に入る。玉突台や卓球台、それにバーもあり、私たちは受付の前の長椅子に腰を降ろし、女性マネージャーから説明を受ける。と言っても早口の英語なので、さっぱりわからない。マネージャーはまずドイツ人の若いカップルに「英語、わかりますか」と訊き、二人がうなずくとべらべらと説明を始める。ドイツ人は大抵英語を話す。ドイツ語と英語は親戚みたいな言葉なので話せて当り前だと、話せない私はいつも僻んでしまう。
ドイツの二人に説明が終ると、マネージャーは私たちにゆっくりとした英語で、食事の時間と場所を教え、ダイビングをするということでダイブマスター(ガイド)を紹介してくれる。ところがそのガイドはきょうまでで明日からは別のガイドになると言う。取りあえずそのガイドにライセンスカードを見せ、書類にダイブ本数、最後にダイビングした日付を書き入れ、サインをする。
一本目のダイビングはウェルカムダイブということで、すぐ目の前のハウスリーフで行うと言う。午後からどうですかと訊かれ、私はオーケーだったが、妻がためらったので、結局明日からにする。昨年の十月に宮古島で潜って以来、三ケ月半ほど潜っていないので、最初はシュノーケリングで水慣れをしたいというのと、それにウェルカムダイブは多分チェックダイブだから、なおさら水慣れが必要だというのが妻の言い分。チェックダイブというのはマスククリアとかレギュレターリカバリーとか中性浮力など一通りのテクニックを実際に水中でさせられるダイビングのことで、昨年のモルジブでは一本目がそうだった。私の前にマスククリアをした女の子が鼻から水を吸込んでパニックを起こし、急浮上をしてしまったこともあり、チェックダイブと聞くと、いくらか緊張することは確かだ。
泊まる所はコテージで、ベランダには籐製のハンモックが吊されており、すぐ先には波打際がある。室内は板張りで、板と板の隙間から下が見える。ダブルベッドと小さな補助ベッド、机とクローゼット、それにトイレと洗面所とシャワーが一体となった部屋。バスタブなし、お湯も出ない。小さなリゾート、特にこういった一島一リゾートでは、お湯の出ないことが多いので、やっぱりと妻とうなずき合う。
トランクから荷物を出して整理が終ると、昼食を食べに教えられた場所に向かう。プールの横を通って食堂に入ると、テラスにテーブルが三つ出してあり、食器も二組ずつセットされている。昼食の時間は始ったばかりだし、誰も食べ終った様子はない。ということは客はたったの六人! 道理でスタッフはのんびりしているはずだ。これで経営が成立つのかとこっちが心配になってくるほどだ。
真ん中のテーブルに腰を降ろすと、スタッフの一人がメニューの書かれたホワイトボートを持ってくる。手書きの英語で、しかも上からずらずらっと取留めなく並べてあるので、何がなんだかさっばりわからない。スタッフに、これ何、これ何と尋ねて、ようやく上からスープ、前菜、メインディッシュ、デザートと並んでいることがわかり、その中から単語で大体の料理の見当をつけて、注文する。暑いところだから辛いんじゃないかと心配したが、それほどでもなく、まあまあ口に合ってひと安心。料理が口に合うかどうかは、リゾートライフの楽しさを左右してしまうので、結構重要なのだ。
食事中、マネージャーが明日からのダイブマスター(ガイド)を連れてきて、紹介してくれる。デイブという太めの男性で、三十歳くらいの感じ。笑顔がかわいくて、頼りになりそう。私たちは「よろしくお願いします」と握手をする。
昼食後、マスクとフィンを持ってコテージの前の海でシュノーケリングをしようとしたら、少し離れたところにいたスタッフのおばさんが、もっと向うのほうがいいと教えてくれる。その言葉に従って浜辺を歩いていくが、どこがいいのかよくわからない。なにしろ誰一人シュノーケリングもしていなければ、泳いでもいないから。取りあえず船が繋いである横で、海に入る。水が透明で、光が底の白い砂に当たって揺れている。自分の影が砂に映る。二十センチほどの白っぽいハマフエフキの群れが一列になって泳いでいる。頭から海中に突っ込んでハマフエフキの後を追うが、当然彼らの方が速くて、あっという間に飛び去ってしまう。海面に浮かんで見ていると、彼らはまた集まってきて、一列縦隊に泳ぐ。そうやって四十分ほど充分水に慣れてから、海から上がる。
翌日、午前九時から一本目のダイビング。潜るのは私たちとデイブの三人だけ。ガイドとだけで潜るのは初めてなので、それだけで嬉しくなってしまう。なにしろ自分たちのペースでダイビングできるのだから。
妻がチェックダイブかどうかをデイブに尋ねると、デイブはチェックダイブとはどういうことか訊き返してくる。マスククリアとかレギュレタークリアをするのかとゼスチャー入りで説明すると、テイブは笑って、そんなことはしないと言う。ヨカッタ、ヨカッタ。
陸上でタンクを背負い、砂浜を歩いて海に入る。ハウスリーフの縁を回って戻ってくるというコースで、透明度はいい。このとき初めて大シャコ貝を見る。一メートルほどのやつがごろごろしていて、口を開けたやつに手を入れると、すっと閉めてくるのであわてて引っ込める。口の中の色はさまざまで、鮮やかな青があるかと思えば、深い緑のものもある。黒地に白の「ハ」の字模様のツノハタタテダイがやけに目立つ。
砂地のところでパン屑で餌付けをすると、コバンアジやツユベラなどがわっと集まってくる。このハウスリーフにはもう一回潜ったが、そのときにはコブシメ(コウイカの一種)の交接と産卵を間近で見た。産卵は枝サンゴの中に産みつけるもので、ピンポン玉よりふた回りほど小さい白い卵が見える。その卵をニセフウライチョウチョウウオが尖った口先を突っ込んで食べようとし、コブシメのメスが追っ払いに来るということもあった。
午後のダイビングにも期待したが、透明度が思ったより悪い。プランクトンを豊富に含んだ潮が流れてきているとデイブが申し訳なさそうに言う。それでも潜る度に透明度が上がっていき、イスラ・ワラング・タオ(人のいない島という意味のタガログ語)というポイントでは、素晴らしい鹿角サンゴの群生を見た。先端が鮮やかな青で全体が紫っぽい淡い青のサンゴが一面に広がっており、そのために水中が青っぽく光っているように見える。そのサンゴの枝の中にロクセンスズメダイの群れが出たり入ったりしている。そういう青いサンゴの中に、まるでペンキでも塗ったような黄色の鹿角サンゴが太い帯のように入っている部分もあった。どこにも荒された跡がないのがうれしい。私たち三人はサンゴから二メートルほどのところで立ち姿のまま中性浮力を取りながら、しばらくこの幻想的な光景に見とれた。
その他にタカサゴとウメイロモドキの群れに取囲まれたり、モヨウフグを手でつかんだり、テーブルサンゴの下で眠っているエイを引っ張り出そうとしたり、そして初めての沈船ダイブ。
太平洋戦争中に沈んだ旧日本軍の補給艦がダイビングポイントになっているのだ。マストのてっぺんで水深十二メートル、甲板で二十七メートル。今回いちばん深く潜ったポイントだ。マストのてっぺんで一度集合すると、ウメイロモドキとツバメウオが迎えてくれる。そこから甲板に降り、倒れている煙突の中を通って、船首に行く。透明度が余りよくないが、船はほとんど原型をとどめているようだ。船内には入らないようにと言われているので、甲板から穴の開いた船倉を見るだけだがライトを照らしてもよく見えない。甲板からさらに下に降りて海底まで行くと、ひょっとしたら人骨でもという気がしないでもないが、そのためにはさらに十メートル以上は潜らなければならないので、エアが持たないだろう。
全長七、八十メートルの船の周りを一周して浮上したが、旧日本軍の船ということで、楽しさや興奮よりもいささか複雑な気持になったダイビングだった。潜る前は手を合わせようと思っていたが、中に入るとすっかり忘れてしまったので、今ここで手を合わせます。合掌。
合計十二本潜ったのだが、そのうち十本はデイブと私たちの三人だけ。後の二本は、六十近いオーストラリア人のおじさんと一緒だった。その人は若い中国系の女性と一緒で、ダイビングのボートにも同行してきた。妻が興味を持って、どこから来たか訊くと、チャイナだと言う、体験ダイビングはやったことがあるが、ライセンスは取っていないらしい。二人がどういう関係か興味があったが、もちろんそういうことは尋ねるわけにはいかない。おじさんは六年前から潜っており、フィリピンのベストシーズンは四月だと言う。ウェットスーツを着ると息苦しいからとTシャツとショートパンツで潜り、テーブルサンゴの下を片っ端から覗いて回るという面白いダイバーだった。
さて、三日目の昼頃、午前のダイビングを終えて帰ってきたときバーなどがある建物の前を一人の中国人か日本人らしきおじさんが歩いているのが目に入った。背が低くて、白いポロシャツに白い短パンをはき、眼鏡をかけて頭はいくらか薄い。妻はすかさず「あの人、日本人よ」と言う。
「まさか」と私は答える。どう見ても五十は過ぎているおじさんがたった一人で日本からこんなところに来るわけがないやんかというのが私の言い分。ひょっとしたらダイバーの可能性がなきにしもあらずだけど、とてもダイバーには見えなかった。しかし妻は確信を持って、日本のおじさんだと言い張る。私は中国系フィリピン人だと思うが、百歩譲って多分マニラ在住の日本人が休暇で来たのだろうと答える。
昼食を食べにテラスに行くと、先ほどのおじさんがいちばん向こうのテーブルにこちらに背を向けて坐っている。隣のテーブルに腰を降ろすとき、ちらっとおじさんの読んでいる本に目をやると、横文字が書かれてある。ああ、やっぱり中国系フィリピン人に間違いないと私は頷き、そのことを妻に話すと、妻はそうかしらとなおも納得のいかない顔をする。
注文した料理が運ばれてきて、食べていると、妻が「やっぱり日本人よ」と私に囁く。私たちが話していたらこちらをちらちらと振返ったものと言う。私はおじさんを背にしているから見えない。多分日本人が珍しいんだろうと私は答え、それでその場は終りになった。
午後のダイビングを終えて、バーでテイブと一緒にビールを飲んでいると、あのおじさんがやって来て向い側に腰を降ろす。すかさずデイブの隣にいたドクターが、こちら日本から来たHさんですと紹介してくれる。「どちらから来られたんですか」とおじさんの口から日本語が飛び出してくる。妻以外の人間の口から日本語が出てくると一瞬戸惑ってしまうが、私は「大阪からです」と日本語を意識しながら答える。
Hさんと一緒に夕食をとりながら、話をする。昼食時に読んでいたのはこちらに来るときマニラで日本人ガイドから渡された実用英会話の本だったのだ。今までの海外旅行はすべてガイド付きで、今回ここに来るとき初めてガイドなしになったのだが、ガイドが気をきかせて持たせてくれたと言う。「しかし、こんなもの何の役にも立ちませんな。こちらから本を見ながら言うことは言えるけど、相手の言っていることがわからなければどうにもならないですからな」
Hさんは千葉県の市川市から鳩バスのエメラルドツアーでフィリピンに五泊六日の予定で来たと言う。奥さんは海外旅行が嫌いなので、いつも一人で来ると言う。クラブパラダイスへはオプショナルツアーでやって来て、温泉に行くはずだったのが、今はオフシーズンなのでやっていないらしい。コテージにあったパンフレットにも書いてあったが、ブスワンガ島のコロンというところには温泉が湧いているのだ。
その他にここから船で一時間ほどのカラウィット島というところには、マルコス元大統領がアフリカから持込んだキリンやシマウマなどの草食動物が生息していて、サファリ気分が味わえるらしい。Hさんに代ってマネージャーに尋ねてみると、ゲストが四人集まるとツアーを行うと言う。朝六時からの半日ツアーと九時からの一日ツアーがあるらしい。Hさんが一緒に行きませんかと誘ったが、私たちはすでにダイビング込みの料金を払っているのでと断り、逆にHさんに体験ダイビングをしてみませんかと提案した。Hさんはとんでもないというように手を降る。カナヅチの上、血圧が高いからとてもだめだと言う。せっかくここまで来てダイビングしない手はないですよと誘っても、Hさんは首を振る。翌日、Hさんは釣りをして三十センチほどの魚を釣り、午後はスタッフの生活を見せてもらい、次の日の朝マニラで川下りですと去っていった。
クラブパラダイスにまるまる一週間いたのだが、帰りに飛行機から島を見ると、もうすでに夢のような気がした。夜光虫のきらめきや満天の星、それに潜った海のことが次々に頭に浮んで、本当にパラダイスだと実感した。
ところで、マニラで飛行機の搭乗を待っていたとき、昼食を食べに日本食レストランに入ったら、何と一日前にクラブパラダイスを去ったダイバーのオーストラリア人のカップルに偶然出くわした。一緒にラーメンを食べたのだが、これからおじさんはマレーシアのクワラルンプールに赴任すると言う。吉本ばななに似た中国人女性は北京に帰ると言う。香港まで同じ飛行機で行き、そこで別れるらしい。どういう関係か是非とも知りたかったが、それも叶わない不思議な二人だった。
|