気まぐれ日記:5月、6月
- 6月27日(月):武市半平太
- 久々に「おーい!竜馬」を読んでいて武市半平太の三文字切腹には感動した。そこで少し調べた結果、武田鉄矢と小山ゆうの創作が結構あることにちょっとshock!
- 竜馬と半平太と以蔵が幼馴染→年齢的におーい!竜馬みたいにはなりえない。(以蔵が生まれたとき、竜馬4歳、半平太10歳、少年時代の資料は残ってないらしい)
- 加代さんも創作(故司馬遼太郎のお田鶴さまも創作、土佐勤王党の平井収次郎の妹に平井加尾といった龍馬の初恋とされる人がいて、それがモデルらしい)
- etc
少年時代のことは司馬遼太郎の「竜馬がゆく」にもなかったし、面白いと思う。私は「おーい!竜馬」から入ったので、以蔵に「坂本さん」と呼ばれている竜馬に違和感感じまくりです。
ここでちょっと武市半平太についてまとめとこう(おーい!竜馬をbaseに)。
武市半平太(1829-1865)は江戸時代後期の土佐藩士(土佐藩では上士と郷士という身分があり、郷士以下は人間のように扱われなかったので土佐藩士と言っていいのか?)である。土佐勤王党の盟主。諱は小楯。瑞山は号。贈正四位。
土佐国吹井村(高知県高知市)にて、武市正恒の長男として生まれる(竜馬より6歳年上)。武市家は白札(上級郷士)で経済的に裕福で、おーい!竜馬では竜馬の親戚。竜馬と同じ道場に通うも、お家の事情でやめることに。
その後、20歳くらいのとき、郷士の娘富と結婚(この頃富は14歳、竜馬がゆくでは1歳年上、よくわからん)。同じ頃くらいに、城下の新町で剣術道場を開く。1856年に、江戸へ出て鏡心明智流の桃井道場で学ぶ。道場に
入ってすぐに塾頭になる(この頃、江戸の3大道場、斉藤、桃井、千葉があり、そのうち斉藤の塾頭は桂小五郎、小千葉の塾頭が坂本竜馬)。帰国後、1861年、一藩勤王を掲げ同志を集め、土佐勤王党を結成。翌年、土佐藩の
参政で武市にとって邪魔な吉田東洋を暗殺。土佐藩を一藩勤王に動かし、上司格の留守居組に出世(この頃、長州藩などにより勤王がブーム
となりつつあったので、前藩主山内容堂は長州藩とつながりのあった武市を処刑するわけにはいかず、しかたがなく餌付けしていた(武市はまんまと乗せられる))。
また、京都に出て、尊王攘夷のため佐幕派を天誅と称し暗殺しまくった。
しかし、1863年8月18日に会津藩と薩摩藩が結託したクーデタ−により長州藩が失脚すると、勤王派は急速に衰退し、代わって公武合体派が
主導権を握った。これを機に容堂は武市を帰国させ(竜馬は止めたが、武市は容堂を信頼しきっていたので帰っちゃった)、そのまま捕縛される。
1865年に獄中で切腹を命ぜられ、享年36歳、未曾有の三文字の切腹を成し遂げた。
武市は色白の美男子で、頭脳明晰、剣の達人(桃井道場の塾頭)、カリスマ(土佐勤王党の党首)、貞操(京都にいる間、他のものは遊郭に行きまくっていたのに対し、武市は
通わず富だけを愛した(おーい!竜馬では竜馬たちと遊郭に行ったときに、やらずに果ててしまったので(early ejaculation)、それがトラウマに))などなど。
武市は五徳(仁、忠、信、智、勇)を有し、ほぼ完璧。郷士でなければ明治維新に大いに貢献しただろう。ペリー来航に幕府が揺らいだのを機に、日本の改革を目指すも竜馬のように
脱藩せずして国に貢献するには暗殺しかなかった。それだけ特に土佐藩では身分差別がひどく、上士以外は人間とも思われていなかった。山内容堂を妄信しすぎたため、
武市は死ぬ嵌めになった。武市の唯一の欠点だ。この頃、西郷も桂もせいぜい藩のことしか考えなかったのに対し、武市も竜馬も日本のことを考えた。スケールのでかい男でもある。
最後の死への恐怖に打ち勝ち、プライドと無念さを込めた三文字の切腹には驚嘆するしかない。2005年7月3日は武市の140回目の命日だ。安らかに眠れ。
- 6月25日(土):ドラゴンボール
- 友人S.I氏と遊んでいるとき、ドラゴンボールの話になって、バーダックってなんやろうという話になった。友人宅で調べた結果、
バーダック→ごぼう(burdock)、ジース→ヂース→チーズ(ジースはジュースから来ていると思っていて、でもギニュー特戦隊で1人だけ乳製品でないのはおかしいと思い、考えたら思い浮かんだ)、
ネイル→スネイル(sneil、かたつむりの英語)、パイクーハン→中華料理(排骨飯パイコーハン)ということがわかった。このページを参考。
またもやボウリングへ行ってきました。今回は2ゲーム目が200越えを狙えるほど8フレーム目まではよかった(8フレーム目で160くらい)。9フレーム目でスペアがとれなくて、200越えが厳しくなって握力もなくなってきたため、
ダメダメになってしまった。結局175やったし。まあ、今回は平均的にそれなりによく、アベレージが158だったので、よしとしよう。3ゲーム目は14ポンドでスピードをつけずに狙って投げて151だった。14、15ポンドになると
スピードなくてもそれなりに倒れてくれるので楽。
理系のみなさんへ。理系のための恋愛論というページがあります。管理人は女性です。もてる人ももてない人も一度見れてみると面白いかも知れません。
女の人は彼氏よりいい男が現れると、あっさり平気で乗り換えるそうです。恐ろしい。
- 6月24日(金):結構不運な日
- 1つ目、電車の中で「おーい竜馬」でも読もうと思い、4〜8巻まで4冊持っていた。大学についてから気づいたことだが、6巻を忘れていた。不運1つ目。これは単なる不注意だが。
2つ目、夏の学校の申し込みが来週の月曜の正午までということだったので、急遽書くことにしたのだが、abstractなどを書かなければならないから大変だった。
ここで問題になったのが、飯をどうするか。朝食650円、昼食750円、夕食1250円くらいだった。高すぎる。ということで周りに何かないかと探した。その1つにラピーヌとあったので、もしや
イタリアンの店ではと思ってしまったが、実際は服か何かの株式会社。Oh My God!結局1番近いので30分くらいかかりそうなので、しかたがなく朝食以外はそこで食べることにした。好き嫌いの多い私にはかなりの賭けだ。
これは別に不運ではないが、このため帰りが遅くなり、関空快速の最終に乗ることになった。それが西九条についたまま止まってしまった。23:15頃、長居と我孫子町の間で人身事故。頼むぞJR。というかそんなところで
事故った人は何をしていたんだ。自殺だったら他でやってくれという感じ。結局0:20くらいまで止まっていた。しかし阪和線のダイヤが乱れているから、環状線に乗って天王寺に行けというアナウンスがあったので、言うとおりにしたところ、
天王寺で最初にでる電車がその快速だった。腹も減っていたので、かなりいらだってました。仮にどこぞの電○男みたいに酔っ払いにからまれたりしたら、十中八九ぶっ飛ばしてますね。結局
最寄の駅についたのが1:05くらい。自転車置き場が1:00までしか開いてないと思い、歩いて帰るしかないかと思っていたら、1:30までだったのでなんとか助かりました。
- 6月19日(日):ボウリング3
- 昨日、またボウリングへ行ったが、散々だった。久々に2桁を出してしまった。かなり久々。今までひどいスコアのときでも後半なんだかんだで、3桁に乗るようにはなっていたんだが、昨日は違った。
スペアを狙っても絶対に1本残ってしまうし、投げた感じがストライクだと思っても、端のピンがたっていたり、運がなかった。90くらいだったと思う。思い出したくもないが。コントロールがおかしかったから
フォームが少し変になっていたんだろう。今日は回転を意識して投げたため、フォームが少し変だったのだろう。
- 6月14日(火):若手ゼミ;論文発表
- 昨日、研究室に泊まり頑張った。わからないところはほとんどPDの先輩に聞きました。というかほとんど聞いたと思います。
その論文が何気に今年出た論文なので、そのbackgroudやら今までどういう風に発展してきたのかがわからなかったので、少し難しかったと
思う。この論文だけならまだしもまた別のゼミなどのため、時間が十分にかけられなかったと思う。3時間ぐらい説明したが、全部説明できなかった。
簡単に言うと、blazer(我々の方向にjetを出している天体)からγ線などがでていて、それがaccretion diskからではなく、jetから出ている。また観測事実からjetにspein-layer構造があり、
それがお互いにphotonを出し、お互いに強めあい、inverse Comptonにより強いγ線などが出ると考えられる。このlight curveには
二山ある。またこの構造がjetの減速(inverse Comptonによるenergy lossによる減速)が説明できる。今までのSSC(synchrotron self Compton)
modelでは磁場と電子のエネルギーがfactorで全然違っていたのですが、このmodelではだいたい同じくらいになる。また、これをradiogalaxyやらに当てはめると、
まだγ線源としては見つかっていないradiogalaxyなどがGRASTにより見つかるかもしれないと予言していると言うこと。
とりあえず、この発表により峠はクリアしたが、また2週間後にこれをPowerPointで発表しなければならない。peakが二山
ある。最近、何かと二山にからんでいるような気がする。
- 6月13日(月):第2回研究室泊まり
- 6月13日、14日の若手ゼミのため、発表する論文を読み、まとめるために研究室に泊まった。M1の2人は24時過ぎても残っていた。
いつまで残ってんねんって心の中で突っ込んでました。なかなか読んでもまとまらず、理解もできない。非常に悩んだ挙句、4時頃に寝た。
今日は空き部屋の元助教授室のソファーで寝た。寝る前に秀吉の時世の句を思い出した。
露と落ち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢
私も全部終わらせてから寝たかった。
ちなみにテニプリででてきた「百錬自得の極み」の百錬自得は剣道の言葉で、百錬が「たくさん稽古をする」で自得が「自ずから会得する」つまり、
「技術は日々の研鑽がものをいい、自然に身につくものだ」という意味だと思う。小学生にしてそれを極めてしまう
とは、さすがは手塚。腕の怪我で封印していたとかしていないとか言っている(by 真田)が、これを使ったほうが負担が少ないと書いていたので、普通使うのではないだろうか。
ドラゴンボールなみの強さのインフレだな。
- 6月12日(日):ハイキング・武庫川渓谷&大峰山
- 6月12日に研究室の遠足で武庫川渓谷および大峰山に行った。ここにはJR宝塚線の生瀬駅から国道176号線沿いいを左にたどり武庫川の右岸に下れば、
旧JR福知山線廃線跡のスタート地点に着く。武庫川を果敢にカヌーで漕いでる人がいました。上流のほうへ上っていくと、トンネルがありそこには照明もなく真っ暗だった。涼しくて、暗くて夏に来れば結構いいかも。
桜の園付近で昼食を摂り、大峰山を登った。日頃の運動不足がたたって非常にきつかった。心肺機能がついていかなかった。さらに道を間違えたり、
してさらに中山も登った。これで二山登ったことになる。こちらはまだましだが、やはりつらかった。M2の先輩も選択ミスとか言っていた。6月14日にしてまだ筋肉痛。
下山後、宝塚の宝船で焼肉を食べた。そのとき隣に座っていた同じM1の○○君が酒に弱いとかいいつつガンガン飲んでちょっと酔っていた。
その帰りに○○君に下車する駅で「まだ着いてないで」と言ってやったら、「大丈夫、景色見てるからわかる」と言ってそのまま座っていた・・・。ちょっとしてから
「もう、ついとるぞ」と言ったら慌てて降りていきました。酔っ払っている○○君はいじりやすそうだ。今後に期待!
- 6月10日(金):液晶テレビの原理
- 今日、超伝導の話とかしていてそのときに液晶テレビってどういう原理だろうという話になったので調べてみた。簡単に言うと、
右図のようになっている。液晶自体は発行せず、バックライトの光を使って表示している。液晶のもつ、電圧の変化により透明度が変わる性質を用いて、前面に配置したカラーフィルター
の透過する光の量を変化させ、映像を表示しているらしい。
ちなみにプラズマテレビの原理は下図のようになっている。液晶テレビとの違いは発光源が色を持つこと。
約315万個(水平1024個×垂直1024個×3(RGB))の小さな蛍光灯が画面いっぱいに並んで発光しているらしい。ブラウン管テレビはガラスの真空管の前面に配列したRGBの蛍光体を
電子銃で当てて光らせることにより映像を表示していて、走査(画面の左隅から右下へ、電子銃で蛍光体をなぞる)という線で映像を作っているため、
チラツキ・色のにじみ・画面隅でのゆがみや地磁気の影響を受ける。その点プラズマや液晶テレビは影響を受けないし、静電気の発生もない。しかしプラズマテレビは消費電力が大きい。
(参照)日立
- 6月9日(木):初・研究室泊まり
- 昨日、とうとう研究室に泊まってしまいました。1時限目から授業があり5時半起きはつらかった。そこでためしに泊まってみた。
電車での往復時間3時間強がなくなったため、そのぶん勉強はできたと思うが、ソファーで寝るのは慣れてないせいか快適ではなかった。
2時間に1回くらい起きた。ソファーから落ちるのかなと少し期待していたが、全然落ちなかった。寝相はそんなに良くはないはずなのだが。
昨日、水曜なのでサンデーを読んだのだが、そのWILD LIFEで感染症の猫の右足を直すため、右足を切り、胸かどこかにつけて感染症を治し、
また元に戻すというものだった。そういう手術に前例がないため飼い主が拒否していたのだが、人間でそういう手術があるそうだ。ゴーディナ法と
言う。個人的にはそういう手術は先に動物などで実験してから人間で実行されそうな気がするのだが。人間が先だったとは。
マガジンでやっている涼風がアニメ化するそうだ。これは陸上漫画らしいのだが、どっちかというと恋愛ものらしい。
陸上漫画ということで気になったのだが、主人公が気に食わない。そもそもちょっと必死に練習したからと言って10秒台なんか出せるはずがない。
どんだけ才能があっても無理でしょう。他に別のスポーツをやって鍛えていたならともかく、何もやってないやつは不可能です。今年の
日本選手権の優勝タイムで10'4ですよ。作者の瀬尾も何考えてんでしょうね。元陸上部の癖に。
スポーツ選手で上を目指すのに必要なのは@身長(体格)A運動神経B環境Cコーチだと思う。むしろ@で篩にかけるられると思う。
どんなスポーツでも身長がないとだめでしょう(競馬や競艇の選手は別でしょうが)。某バスケット漫画の陵○の監督田岡茂一が言ってました。
「でかいだけ?結構じゃないか。体力や技術は身につけさすことはできる・・・だが・・・おまえをでかくすることはできない」(19巻P133)。
まさしくそのとおりでかいことこそ才能。これだけはどうしようもない。同じM1にちっちゃいと素早そうというイメージがあるのだがと言われた。
私の考えではたんに親子がいて、子供が走り回ってるのを親がなかなかつかまらないというイメージがあるからそういう思ってしまうのではなかろうか。
あるいは猫やゴキブリといった小さい生き物が素早いからそういうイメージがあるからそういう思ってしまうのではないのだろうか。まず普通に考えて
普通の親(あまり太ってない)ならおそらく徒競争すれば子供より速い。ではなぜ、なかなか捕まえられないかというとおそらく小回りが利いたり、
小さいものは捕まえにくいということがあるからだろう。また猫などの場合は運動神経が良いというのもあるが、筋肉の割合が高いのではなかろうか。
運動会などの徒競争を思い出せばわかるように速い奴はたいがい身長が高い。身長が高ければ、バランスのとれた良い体格になれる。チビで
鍛えてもチビマッチョになっても明らかにでかいやつに比べて効率が悪い。私のようにチビの人はどうしようもないですね。私の場合は体格etcで
圧倒的不利な立場の中で勝つということを楽しみました(当然上も目指していましたが)。しかし、高校時代にもっとさぼっておけば、近畿IHにさらに全国IHに出れたかもしれません。
歌を歌っている人に言えますが、スポーツ選手にとってもどこで息を抜くかがポイントです。どのタイミングでさぼればよかったのか今なら多少わかるのですが。
残念です。私の某友人のことでもありますが、先人(先生やコーチ)のありがたいお言葉は素直に従いましょう。「卒業する前に絶対に告白しましょう。絶対に後悔しますから」。
- 6月6日(月):電車男2
- 今日、M2の先輩から電車男2巻を借りて読んだ。もっと紆余曲折するかなと思ったが、意外と順調にいっているではないか。本来なら
こういう話では何らかの障害を入れるのが定石なんだろうが、実際にあった話(本当か???)だからないのだろう。次の巻で終わりやし。
今日は月曜なのでジャンプを読んだが、テニスの王子様の世界ではオーラが具現化するのだな。キテレツがちっぽけなオーラとか言ってるし、
まわりもわかっているようなので、目に見えるのだろう。だいぶ、テニプリもはじけてきましたね(藁)。今後のはじけっぷりに期待大。
最近、ジャンプの中でナルト、デスノート、テニプリ、こち亀、D.Gray-manしか読んでない。D.Gray-manも最初読んでなかったけど、改めて
読むと結構面白かった。もうそろそろ立ち読みでも良いぐらいになってきたかも。
月刊少年マガジンも買いました。龍狼伝で久々に趙雲が出てきました。三国志のキャラがほとんど雑魚になってる中(許緒(魏で最強)なんてもうひどい!)でかろうじて蜀の
五虎将軍はなんとか強いキャラ(呂布でも弱い)でやっているが、あれからどんどん周りが強くなっているのでもう趙雲も雑魚
になってそうで怖いです。これも結構面白いです。
- 6月5日(日):ボウリング2
- ホームページを作ってから2回目のボウリング。昨日はまじめに投げた(スピードも狙うけど)。ハイスコアは172。そのゲーム中にターキー2回だしたけど、
172しかいかなかった。10フレーム目でターキーだしてもあまり意味がなかった。ちょっと悔しい。昨日は14ポンドでちょっとスピードをつけて
スピンを強めにしてみた。これは真ん中より少し外れたところに投げればストライクになる。ど真ん中だとストライクにならないが。コントロールが
定まれば最高記録が狙えそうな気がする。問題はかなり握力を加えなければならないので1ゲームしかもたない。握力の強化を図る必要がある。
スコアの低かった原因はスペアがあまり取れてなかったこと。ストレートのコントロールがあまりつかなかった。フックで狙ってもスピンの具合によって
曲がりかたが違うのでスペアがなかなか取れなかった。ちなみにスピードもいまいちだった。
- 5月28日(土):IQ,PQ
- 現在、IQ,PQに関する番組が結構ある。今日も伊藤四郎司会のIQサプリという番組(7時から)を見た。そんなに難しくはなかったけど、初めて見たときは
こんなのありかよと思わせる問題だった。もう1つ土曜の8時から島田紳助のPQテストというのがある。今日は世界一受けたい授業のほうを見ていた。
今と20年前で日本の歴史の教科書が少し変わっているとかいうのに惹かれた。それはさておき、そのホームページにPQテストをやってみたが、ぜんぜんできなかった。
PQとは頭のやわらかさを問う問題なので、結構難しい。時間をかけて考えればそれなりにできるとは思うが、すぐに思いつくには無理がある。
こっちの問題のほうが、現実的で面白い。私は最近、IQとかにはまっている。
Q.E.D.の9巻を読んでると、こういう問題がある。右図のように陸と橋があり、この7つ橋を一度しか渡らずに
すべて回ることができるかという問題。これを「ケーニヒルスベルクの橋のパズル」という。ケーニヒルスベルクというのはロシアの町の名。
18世紀にオイラーがこれを右下図のように一筆書きの問題にして不可能であることを証明した。こういう問題からトポロジーという概念が生
まれ、オイラーが創始したと言われている。しかしケーニヒルスベルクの橋では可能である。
私は月刊マガジンGREATは読んでなかったのでQ.E.D.のことを知らなかったのですが、特別企画かなんかで、月刊マガジンのほうで1話
だけやることになってそこで初めて読んだのがこの問題。あの天才オイラーでさえ、不可能と言ったのに本当に可能なのかと考えたが私には
わからなかった。そして続きを読むとなるほどと思った。まさに現実に当てはめれば可能だった。この問題から私はQ.E.D.が面白いと思い
見るようになった。こういう頭の柔軟性が私には皆無に等しい。
かの光武帝も「柔よく剛を制す」と言ったように私ももう少し柔軟性がほしい。ケーニヒルスベルクの橋の問題の答えが知りたければ、Q.E.D.の9巻を読んでみてください。
- 5月26日(金):電車男
- 電車男というタイトルですが、呼んだのは3日前。小説のほうは読んだことはないのですが、とりあえず漫画の第1巻を読んでみました。
主人公が秋葉系のオタクということであまり面白いとは思ってませんでした。けど意外と読んでみると面白かったです。概略はなんとなく
聞いていたんですが、なかなかやるオタクですね。それに2ちゃんねるの住人があんなに良心的とは思えませんでした(本当にあんなに協力的だったのか???)。
もっと荒しとかあったのではないでしょうか。今度6月4日に映画が始まりますが、主人公が山田孝之というのは明らかにあってません。おかしいです。
また、電車男が7月7日夜10時からフジテレビ系でドラマもやるそうです。見る気はありませんが。先輩の話によると第1巻ではまだまだ序盤
だそうなので2巻以降に期待しています。
- 5月22日(日):ボウリング
- 昨日、ボウリングへ行った。最近、あまりスコアが狙えない。昨日の最高は138だ。一様、ストライクだけは狙っている。ストライクのなりそこねの1とか2
ピンだけ残っているような場合、普通スペアを狙うのだろうが私の場合、スピードを狙ってしまう。つまりどちらかというとわざとはずす。
昨日も36km/hを出し、14ポンドで26km/sが出た。14ポンドで30km/sはかなり難しい。もう少し指にフィットするボールがあればいいのだが。
特に、昨日はひどく両手でなげたり(それでスペアをとったが)、穴に指を入れずに抱えて投げたり変なことをボウリングを冒涜するような行為をしてしまった。友人J.Nくんが
そんなことをしたからだ。かなり反省。
- 5月17日(火):兵法書
- テニスの王子様の真田が風林火山という必殺技らしきものをを使っているが、「風」はたんなる速いレシーブだったり、「火」はたんなる
強いスマッシュやらなんやったり、全然技じゃない。というよりネタ切れなのか最近のテニプリは超人的になってきた。あれはやりすぎだな。
菊丸は完全に分身はするし、沖縄人の奴はなんかハブとかいって、ありえない軌道を描くし、もう限界なのでは。氷帝戦までは結構面白かった。
で、ここで風林火山で一般的に「その疾きことは風の如く、その徐かなることは林の如く、
侵掠すること火の如く、動かざること山の如し」ですが、これは武田信玄の軍旗に書かれたもの。孫子では「その疾きことは風の如く、その徐かなることは林の如く、
侵掠すること火の如く、動かざること山の如く、知られざること陰の如く、動くこと雷霆の如し」。
なぜか途中までが引用いれている。クラーク博士の「Boys Be Ambitious」も本当は「Boys,be ambitious like this old man」で「野心的であれ、俺のように」だそうだ。
孫子はナポレオンの座右の書だったり、世界的に有名な兵法書なのでそのうち解説書かなんか読もうと思う。今、伝わっている孫子
の最古の注釈書は曹操の「魏武注孫子」。曹操は実はいろいろとしている。それはともかく、他の兵法書には呉子・尉繚子・六韜
・三略・司馬法などなど。今回史記列伝を読んでると司馬穣苴についてあったのでメモっとく。
・司馬穣苴列伝
司馬穣苴は姓が田、名が穣苴である。司馬は官名。斉の景公のとき、晋や燕に敗れた。景公が憂慮していると、晏嬰が
このとき田穣苴を推挙した。彼は気に入られ、将軍として燕や晋の軍を防ぐよう言われたのだが、「私は卑しい生まれなので士卒は心服せず、人民も信用しないので国で微分の高い方を
軍の目付け役にしてくれ」と頼み、荘賈をつけた。彼は荘賈に明日の正午におあいしましょうと約束したのだが、
荘賈は身分を鼻にかけ、軍は自分のだし、おまけに目付け役だからいそぐことはないと思い遅刻した。で、遅れてきた荘賈に穣苴は遅れた理由を聞き、
荘賈は言い訳したのだが、大将たるもの命令を受けた日より、すべてを軍に出てこなければならない」と言いm群立に照らし合わせて荘賈を
処刑した。しばらくして景公から荘賈の赦免のためのしるしの節をもってこられたが、「将たるもの軍にあっては、君命も受けぬ場合がある」といい無視した。
穣苴は士卒とともに行軍し、兵を奮い立たせ、晋や燕を打ち破った。この功をもって、大司馬(今で言う国防長官)に取り立てられた。
- 5月11日(水):ゼミでの発表
- 今日、ゼミで発表をした。ゼミで発表とはいっても、英語の教科書を読んでそれを発表するだけ。1時間30分しゃべり続けるはかなりしんどい。
結構エネルギーを使う。精神的にも結構負荷がかかる。こう考えると、講義がちょうど1時間30分なので教師の皆様お疲れと思います。聞いているだけの
受講生はとても楽です(寝れるし)。それでも教師の人のほうがかなり楽なんだろうなあ。我々M1はまだまだ知識不足なので発表する内容も
本当に理解できているのかというとかなり怪しい。質問されるのが怖い。それにこのゼミだけの予習に十分な時間を裂けなかった。何気に
週4つもゼミがあり、さらに今週は宿題を提出する講義もあった。家を8時出、22時帰りで頑張っているんだが、時間が足りない。これで寝る時間
を抜くと、家でのフリーな時間は3時間。飯、風呂の時間を抜くと・・・特に何もできない。通学時間3時間をどうにかしたい。
下宿したい気がするが、如何せん金がない。睡眠時間を削っても頭が回らなかったら本末転倒。ナポレオン・ボナパルトや芥川龍之介は
1日3時間睡眠だったそうだが、アルバート・アインシュタインは10時間睡眠だったとか。私も8時間は寝たい。高校3年生のときは
クラブやって、家帰ってちょっと仮眠して受験勉強して3時間睡眠という生活を1年間つづけてこれたが今は不可能。そんな気力も体力もない。時間がほしい今日この頃。
それもM1になってから1ヶ月しかたっていない。
ある意味時間がたつのが遅く感じる。まあ、ぐだぐだ文句を垂れても時間が変わるわけはないので気持ちを切り替えて明日から頑張ろう。来週も再来週も
発表があるけど。
史記列伝(一)の続きを読んでいて、高校の歴史ででてきた(資料集に人名しか書いてなかったが)蘇秦、張儀が出てきた。横山光輝の「史記」
ではでてこなかったので、面白く読めた。まさか蘇代(こちらは横山光輝の方でもでてきた)が蘇秦の弟とは思わなかった。
- 5月7日(土):史記列伝(一)(伯夷、荘子)
- 今日から史記列伝(一)(岩波文庫)を読み始めた。そこで内容を少し書こう。
・伯夷列伝
伝承によると、伯夷と叔斉は弧竹君(どっかの有力者)の2子である。父は叔斉を跡継ぎにしたく思っていた。父がなくなるや、叔斉は
伯夷に譲ったが、伯夷は「父上のいいつけだ」と言い、かくて逃亡した。叔斉もやはり君となろうとせずに逃げた。結局2人の真ん中の
子を君とした。そのとき伯夷と叔斉は西伯昌(姫昌,周の文王)のもとに赴いた。西伯がなくなるにおよび、武王は父の木主(位牌)を車に安置し、
東に向かって殷の紂王を征伐に出た。伯夷と叔斉はその馬の手綱にとりついて、「なくなられた父君を葬りもせず、しかも干戈(戦)を
起こすとは、孝といえましょうか。臣として君を弑せんとすること、仁といえましょうか」と諌めた。しかし武王は聞かず、殷の乱れを
平定しおえて、天下は周を主人とした。ところが伯夷と叔斉はそれを恥とし、義をまもって周の穀物を食べることをいさぎよしとせず、
首陽山に隠れ住み、薇を採って食べ、飢えて死が迫ったとき歌を作った。
采薇の歌「彼の西山に登りて、其の薇を采る。暴を以って暴に易へ、其の非を知らず。神農・虞・夏、忽焉として没し、吾適に
安くにか帰らんとす。于嗟徂かん、命の衰へたるかな」
かくて飢え死にした。「天道には親無し(ひいきしない)。常に善人に与す」というが伯夷と叔斉のごときは、善人といってよい
のだがそうではないのか」という人もある。仁を積み行いを潔くしたことかくのごとくであっても餓死した。天が善人に対する報いとは、
いったいどんなことなのか。
盗蹠(人の名)は毎日罪のないものを殺し、人の肉を生で喰い、兇悪でわがままであり、数千人の徒党をくみ、天下を横行したが
、寿命をまっとうして死んだ。それは何の徳をおこなったのであったか。このように善を尽くしても早死にし、悪を尽くしても寿命を全うすることがある。
伯夷と叔斉は賢者であったけれども、孔子のおかげで有名になった。いくら有能であろうと青雲の高き人(精神的に高貴な人)に見出されない限り、後世まで
伝えられることがないだろう。
・老子・韓非列伝
荘子、名は周。彼の学問はひろく、あらゆる学派の説に通じていた。けれども根本的な点では老子の説いたところに落ち着く。
彼の著書は十余万字、概ねは架空の人の言葉である。これは文辞をつづり、比喩を使うのにたくみであった。彼の言葉はどこまでのびる
か知れぬほど自由自在で、このため王・公・大人たちも、彼の器の大きさをはかりかねたのであった。
楚の威王は荘周を賢者だと聞き、使者をたて手厚い贈り物を与え、宰相にすると約束したが、荘周は使者に笑いながら言った。「千金
の利益は重く、卿・相は尊いくらいだが、お主は郊の祭に生贄にされる牛を見たことはないか。何年も飼育して、繍の着物をきせて、大
廟へ引き込む。そのときになって、小さな豚になりたいと思っても、それができようか。お主はすみやかに去れ。わしを汚してくれるな。
わしは汚い溝の中でゆるゆると泳ぎまわるのが愉快なのだ。国をもつものに縛られることなく、一生仕えず、わしの心のままにしているまでだ。」
この当時、天運とか天命とか言った言葉があるようにすべてのことは天が決めてると考えられていた。まあ神様みたいなもの。だから善行
を行えば、天は報いてくれるものだと考えられいた。しかし上の伯夷と叔斉のことからもわかるように天が善人に対する報いとはいったい
どんなことなのか。まあそんなことはわからないが、善行は人のためにするもので(または自己満足)、見返りを求めるものではないだろう。
それでも確かに夭折は勘弁してほしい。荘子は「天才は縛られず、自由気ままに才能を伸ばしていく典型的な人」だなあと思いました。