膳所神社(ぜぜじんじゃ)


所在地:大津市膳所二丁目

御祭神
 ・豊受比売命
(とようけひめのみこと)=御食津神(みつけのかみ) 
   伊勢神宮外宮と同じ神様で五穀豊穣の起原の神。
   この地の衣食住の守護神であり、商売繁昌、厄除開運、無病息災、延命長寿の守護かみでもある。
 ・磐鹿六雁命
(いわかむつかりのみこと)日本料理の祖神、料理人、板前の人達の篤い崇敬を受けている。


御由来
 天智天皇が大津宮に遷都の際、この地を御厨所(みくりどころ)に定められ、天武天皇の時代に大和の国より奉遷し大膳職(だいぜんしき)の御厨神(みくりかみ)とされたのが膳所神社の始まりと言われています。膳所神社(膳所大明神)は築城前は浜田町(現在の公営団地や生涯学習センター辺り、高禄屋敷内)の大榎の傍に鎮座していました。慶長6
1601築城に際し相模川を付け替え、膳所大明神を現在の場所に遷座したとの事。社名も大梵天社、膳所大明神、倭神社、膳所神社と変わってています。

 慶長年間に至り、豊臣秀頼、徳川家康などが篤く尊信され種々の神器があり、東山天皇(16751710)は膳所大明神の宣下をされた。江戸時代には膳所大明神と呼ばれ藩主本多家の崇敬も篤く、社領、社殿の寄進、造営がたびたびおこなわれました。

 膳所大明神はかなり格式の高いもので天子御厨地(てんしみくりのち)として菊燈を掲げ、周囲は筋壁で全て御所に準じていました。神紋の菊は後に藤、橘に変え、筋壁は安政の大地震で壊れましたが現在表門左右に残っています。
筋壁の筋は5本〜4本〜3本とあり格式を現す、5本が最高。もともとは皇族や摂家などの御所に用いられた。膳所神社は5

本殿
 一間社流造   間口:一間二尺  奥行:一間四尺

境内社
 愛宕社:祭神は火之迦具土神
(ほのかぐつちのかみ)鎮火、火防せの神また鉱業、製鉄、農機具、刃物等製造守護神
 松尾社:祭神は大山昨神
(おおやまくいのかみ)市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)酒造業、酒屋、酒飲食業者の繁栄を願うお酒の神様
 稲荷社:祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまかみ)商売繁昌、火災、災難除け、子孫繁栄などの御利益あり。
 月道龍神:祭神は闇於迦美神
(くらおかみのかみ)、闇御津羽神(くらみつはのかみ)水の神、雨乞い、止雨に霊験あり、灌漑や養蚕の守護神

表門(脇戸付薬医門)国指定重要文化財
 この門は旧膳所城の二の丸から本丸への入口にあった城門で、明治3年(1870)の膳所城取り壊しの際に移築されたという証が、昭和53
1978に修理のとき発見された棟札から判明しました。門は棟筋と扉筋が同一の垂直面にない薬医門形式で城門として多様されています。屋根瓦(軒丸)には本多家の立葵紋が見られ桃山時代の建築として貴重なものです。大正13年に重要文化財に指定(当時は国宝)。なお、膳所藩主本多家の紋の正式名称は立葵右離紋(たちあおいみぎばなれもん)

北門(薬医門)膳所城本丸入口にあった門と推定される。屋根瓦等は葺替えられている。

南門(高麗門)水門と推察される、部材や瓦は新しくなっている。

北門(薬医門)

南門(高麗門)

膳所の祭り(五社祭り)
 本多氏6万石の城下町であった膳所の祭りは、若宮八幡、篠津、膳所、和田、石坐の五つの神社が明治23189020年振りに最後の藩主本多子爵(康穣)が帰って来られた事を祝して祝賀行事を開催。53日に五社の神輿を担いでみせた事が毎年の例大祭として受け継がれています。このように統合、協力して一つの祭りを斎行しています。総祭りは、各神社での例祭、五社の神輿の合同渡御、各神社の神輿の氏子、町内への渡御の順に進められます。