北大手門(きたおおてもん)跡周辺
所在地:大津市木下町
内堀内に入るには中、南、北に大きな門(虎口)がありその一つがここにあった北大手門(追手門)。門を入ると食い違いの桝形の進入路になっていてお城の防御に備えていた。門の跡は今は駐車場になっており、目印と成る物は何も有りません。
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北大手門(現、篠津神社表門) |
北大手門(内側) |
北大手町
明治22年(1889)4月元北大手門内の高禄屋敷地区を北大手町と称する様になった。
江戸時代湖岸に御水主(おかこ)長屋2棟、御舟入りが5棟あり、膳所藩水軍とまでは言わないが水上警備の拠点であった。幕末には家老戸田五左エ門(五男が川瀬太宰で膳所城事件に関わってくる)、森喜久蔵などの侍屋敷があった。
水主(かこ)とは
一般に舵取り、船頭などの上級船員に対してその配下の下級船員を指す事が多いが、古くは船員の総称として用いられることもあった。
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幕末膳所城下の詳細図 |
舟つなぎ石 |
現在の中森邸(地図の赤マル辺り)の庭に舟つなぎ石と伝えられるものがあり、下の辺りに綱を巻き付けた溝が見られる。舟が繋がれた前は堀があったことが伺える。