アホもカシコも一緒くたで世界が広がる?

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 「単独選抜地区に見られる過酷な受験競争に陥ることなく、また親や子が誤った優越感、劣等感を持つことなく…」

 これは、前にも紹介した、平成10年に総選賛美派の明石市市議会議員が提出した「明石学区の総合選抜制の維持を求める意見書」の中の一文ですが、「誤まった優越感、劣等感」とは一体なんだろうと思います。

 逆に「正しい優越感、劣等感」とはなんでしょう? そんなものがあるのでしょうか?

 日本の大部分を占める単独選抜地区では「誤まった優越感、劣等感」を渦巻いていて大部分の人間は堕落しており、明石の県立高校出身者だけが「正しい優越感、劣等感」を持ち、高い人格を形成しているというのでしょうか?

 私は、ある会社に勤める極普通のサラリーマンですが、職場では、ただ一人の総合選抜高校出身者で、他の同僚は全員、単独選抜高校出身者です。その中で、単独選抜高校出身者が特に学力差別主義者であるとか、私がとりわけ豊かな包容力、幅広い世界観を持っているとか、そんな風に感じたことはありません。

 また、明石の総合選抜制度は「様々な学力の生徒が同じ高校に同居しているということには幅広い層の人間と触れ合うことができ、人間形成に大きな役割を果たしている」という取ってつけたようなことを言う人がいます。総合選抜ついて議論する中でいつも言われることですが、これについてもどれだけの効果があるのか疑問です。

 成績優秀者の中にも、低学力者の中にも、様々な人格の者がおり、様々な学力=幅広い層の人間であるとは思えません。

 確かに総合選抜校では、一部の成績優秀者に影響された普通の生徒が勉強に励むようになることはあります。これは総合選抜の良い点です。しかし、友人と触れ合い人間形成をしていくということに、同じような学力の集まった単独選抜校とアホもカシコも一緒くたの総合選抜校に大きな差があることはありません。

 こういったことはデータ化するのが非常に難しく経験則でしかものを言うことができませんが、少なくとも、社会に出てからも出身高校にレベルの拘る人は、いつまでもそういう見方をしますし、拘らない人は全く気にしません。(拘らない人が大部分でしょう)そういうことは、総合選抜出身者であることや単独選抜校出身者であることに相関関係は認められず、人それぞれだと言うしかありません。

 最後に言いますが総選賛美派の方には統計データとして納得できるものだけで明石総合選抜を評価するようにして欲しいと感じます。


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