導入当時は意義があった総合選抜

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明石市議会議員には、昔名門の明石高校をご出身の方が数多くいらっしゃるかと存じます。 まずこれを見てください。明石県立図書館で調べてきました。

私は、このデータを見て、昭和50年当時、明石で総選が実施されたことは、大きく間違ってはいなかっ たと思いましたよ。

総選の第1期と第2期です。昭和53年は単独選抜最後の浪人生がいらっしゃると思いますが、昭和54年 合格者実績には驚かされます。総選の初期は、明石4高が切磋琢磨し、素晴らしい実績をあげていたこ とを再確認させられました(この頃の他校実績がないのが残念)。

昭和54年:71名 京大:7名 阪大:6 神大:9 慶応:9 早大:8
昭和53年:117名 データなし


「広島でも総選の初めの10年あまりは、レベルのそろった学校が互いに競い合い、切磋琢磨して遅れた 生徒には補講を、進学希望者には補習をと力を入れたので評判も良かった」と言われています。

また、明石では、新設校に生徒を集めるという意味も大いにあったようです。単独選抜だと伝統校に志望が集中し、 新設校に生徒が集まらないことが懸念され、その打開策として総選が導入されたのです。

しかし、今やこの惨憺たる有様。

明石高校の最近3年間の国公立大学進学者人数です。
平成14年:41名 神大0名、阪大 0名
平成13年:39名 神大:3名
平成12年:17名 阪大1名、神大2名

中学教師や高校教師、そして親や生徒が「総選」という「ぬるま湯」 の中で、ふやけてしまった結果ではないでしょうか?

因みに、単独選抜時です。国公立大学の数も少なく、世代人口も多いのに、言うまでもなく凄い。
昭和52年:165名 データなし
昭和51年:156名 東大:1名 京大:7 阪大:8 神大:27 北大:3 東北:1 一橋:2 名大:2
昭和50年:198名 データなし
昭和49年:173名 データなし
昭和44年:149名 京大:2名 阪大:6 神大:28
昭和43年:249名 データなし
昭和42年:189名 データなし


神戸のような単独選抜は、進学実績の面では素晴らしい実績を示します。だからと言って、神戸方式 を踏襲するのではなく、新しい学校制度を考えませんか?


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