 | ← 関釜フェリーの甲板で |
もう今では取り壊されてしまった釜山のエイリンユースホステル前で元ロサンゼルスオリンピック柔道銀メダリスト、チョー、チェイギ先生と写した写真です。
この後、釜山にある東亜大学校日語日文学科の学生さんを紹介され、私達と韓国の学生の交流が始まるわけです。
|  今はなき釜山のエイリンユースホステル前で |

日本料理店で東亜大学の学生さん達に大歓迎される
| 初めて接する韓国の若い人たちでお互いに緊張していました。向こうも日本の学生に会うのは初めてだと言っていました。当時、語学力の面では私達が完全に劣っていました。韓国の若い人たちは政治にも関心が高く、質問ぜめにあい、四苦八苦しながら答えていました。しかしいい刺激になったのは事実です。
男の学生はみんな軍隊を出ているし、私はいつ自衛隊に入るかと言われた時には「えっ?!」という感じでした。それぐらいお互いの国のことを知らなかったんですね。 |
釜山に滞在中はみんな親切に私達を案内してくれました。いろいろな話をしましたが、私達と話をして日本人に対する考え方が変わったと言われた時には内心うれしかったです。
83年ごろですからまだまだ反日感情は悪かったし、教育面でも子供の頃から「日本はこんな悪いことをした。」とか「日本人と言うと恐いイメージ」というのが普通でしたから。
|  釜山の龍頭山公園で
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 チジムの店で | 韓国のお好み焼き屋というかチジムの店で特に仲がよかった友人達とチジムを食べながら話をしているところです。このチジムは思い出があります。
これから後、休みごとに韓国を訪れたんですが、私だけ食中毒にあってしまい、釜山の旅館で1人、寝ていたんです。ひどい下痢と嘔吐で死ぬかと思いました。そんな時、東亜大学の友人が病院へ連れていってくれて、しかもあとで市場までおかゆを買ってきてくれました。涙が出そうになりましたよ。
それ以来チジムがこわいのですが、大好きです。余談ですが、韓国では注射はおしりに打ちます。病院で看護婦さんに早くズボンを脱げといわれた時にはびっくりです。それも今ではいい思い出です。
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全部ハングルの看板です。あたりまえか、、、ハングルを知らないと本当に困りますね。 |  よく歩いた釜山の繁華街ナンポドンです。
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 ナイトクラブで
| 日本と似ているようで違うのが韓国です。何となく似ているんだけどやっぱり違うと感じます。お酒を飲む時のつまみも韓国では果物やきゅうりなどの野菜が出てきたりします。コッチュジャンにつけて食べるんですが、慣れるとうまい。
辛い料理が多いことは知られていますが、辛さも慣れればうまさに変わり、日本へ戻ると何か物足りなさを感じます。きっとそんな人はけっこういるんじゃないでしょうか?今でも辛いビビンバやメウンタンを思い出すと「食べたい!」と思います。 |
当時、韓国では規制がきびしかったですから、Hな映画は日本とはぜんぜん違います。というより日本があまりにも規制が少ないのかも知れません。アメリカに比べればまだまだという意見も聞こえてきそうですね。
でも私がフランス滞在中は夜10時になると子供はもう寝てください。大人の映画の時間ですというようなスーパーが出て何らかの警告がありましたからね。
日本ではいきなり7時のゴールデンタイムに裸がでたりしますからね。留学生の若い男の子が「日本のテレビはいい!」というのもわかるような気がします。なんの話や! |  映画の看板ももちろんハングル |