韓国に関するページ


昔、撮った写真を交えながら話を聞いて(読んで)やってください。

韓国留学中に撮った写真です。

← 韓国の伝統的な結婚式の写真です。
 
なぜか男の役を女の人がやっていた。 →
← 景福宮の民族博物館前で
下宿の部屋で
徳寿宮でハングル百日場に参加して
 

昔の教え子だったヨンジェさんと再会
新村でタッカルビ(鶏のカルビ焼き)を食べる


私と韓国との出会い
 私と韓国との出会いは大学生時代に遡ります。大学で韓国語を専攻していましたが、3回生までは一度も韓国へ行っ
たことがありませんでした。クラスメート4人と初めて83年の3月に釜山、慶州、ソウルを旅行しました。下関からフェリー
に乗り、釜山から私達の旅は始まりました。
←  関釜フェリーの甲板で
 もう今では取り壊されてしまった釜山のエイリンユースホステル前で元ロサンゼルスオリンピック柔道銀メダリスト、チョー、チェイギ先生と写した写真です。

 この後、釜山にある東亜大学校日語日文学科の学生さんを紹介され、私達と韓国の学生の交流が始まるわけです。

 

今はなき釜山のエイリンユースホステル前で

日本料理店で東亜大学の学生さん達に大歓迎される
 初めて接する韓国の若い人たちでお互いに緊張していました。向こうも日本の学生に会うのは初めてだと言っていました。当時、語学力の面では私達が完全に劣っていました。韓国の若い人たちは政治にも関心が高く、質問ぜめにあい、四苦八苦しながら答えていました。しかしいい刺激になったのは事実です。

 男の学生はみんな軍隊を出ているし、私はいつ自衛隊に入るかと言われた時には「えっ?!」という感じでした。それぐらいお互いの国のことを知らなかったんですね。
 釜山に滞在中はみんな親切に私達を案内してくれました。いろいろな話をしましたが、私達と話をして日本人に対する考え方が変わったと言われた時には内心うれしかったです。

 83年ごろですからまだまだ反日感情は悪かったし、教育面でも子供の頃から「日本はこんな悪いことをした。」とか「日本人と言うと恐いイメージ」というのが普通でしたから。

 

釜山の龍頭山公園で

チジムの店で
 韓国のお好み焼き屋というかチジムの店で特に仲がよかった友人達とチジムを食べながら話をしているところです。このチジムは思い出があります。

 これから後、休みごとに韓国を訪れたんですが、私だけ食中毒にあってしまい、釜山の旅館で1人、寝ていたんです。ひどい下痢と嘔吐で死ぬかと思いました。そんな時、東亜大学の友人が病院へ連れていってくれて、しかもあとで市場までおかゆを買ってきてくれました。涙が出そうになりましたよ。

 それ以来チジムがこわいのですが、大好きです。余談ですが、韓国では注射はおしりに打ちます。病院で看護婦さんに早くズボンを脱げといわれた時にはびっくりです。それも今ではいい思い出です。

 
 全部ハングルの看板です。あたりまえか、、、ハングルを知らないと本当に困りますね。

よく歩いた釜山の繁華街ナンポドンです。

ナイトクラブで
 日本と似ているようで違うのが韓国です。何となく似ているんだけどやっぱり違うと感じます。お酒を飲む時のつまみも韓国では果物やきゅうりなどの野菜が出てきたりします。コッチュジャンにつけて食べるんですが、慣れるとうまい。

 辛い料理が多いことは知られていますが、辛さも慣れればうまさに変わり、日本へ戻ると何か物足りなさを感じます。きっとそんな人はけっこういるんじゃないでしょうか?今でも辛いビビンバやメウンタンを思い出すと「食べたい!」と思います。
 当時、韓国では規制がきびしかったですから、Hな映画は日本とはぜんぜん違います。というより日本があまりにも規制が少ないのかも知れません。アメリカに比べればまだまだという意見も聞こえてきそうですね。

 でも私がフランス滞在中は夜10時になると子供はもう寝てください。大人の映画の時間ですというようなスーパーが出て何らかの警告がありましたからね。

 日本ではいきなり7時のゴールデンタイムに裸がでたりしますからね。留学生の若い男の子が「日本のテレビはいい!」というのもわかるような気がします。なんの話や!

映画の看板ももちろんハングル


慶州旅行 仏国寺の前で
 慶州も何度か行きました。ここに来ると私が住んでいる奈良とよく似ているなあと感じます。この写真は初めての慶州で撮ったものです。釜山で東亜大学の学生達がバスのターミナルで送ってくれたんですが、涙ぐんでいました。たった3〜4日間くらい釜山に滞在しただけでこんなにも別れが辛くなるのは初めてでした。

 今から考えるとお互いに言葉が完全ではないから、お互いにいろいろ理解し会おうと努力して短時間で親密になれたのかなという気がします。バスターミナルでもらったバナナ牛乳の味が忘れられません。なにはともあれ私達4人は次の目的地である慶州に行きました
 旅行中、4人で写真を撮るときはいつもこのポーズでした。今は恥ずかしくてできないよね。

仏国寺前でとくいのポーズ
← たまにはポーズを変えようということでLOVEです。
 慶州へ行った方ならきっとここへ行ったことがあると思います。昔の小高い山のようなお墓がたくさんあります。案内をしてくださったおじさんはみなさん日本語が達者で私達のへたなハングルは必要ありませんでした。

 日帝時代に日本語を習った方ですから本当に自然な日本語でした。

慶州の天馬塚で

エミリーの鐘の前
 慶州でもユースホステルに泊まり、有名な観光地はだいたい回ってきました。博物館を回ると日本と大昔から関係が深かったということがよく分かります。勾玉なんか同じ物がたくさんあります。大陸の方の文化が韓国を渡って日本に入ってきたことは間違いないでしょうね。

 慶州でも親切な方が町を少し案内してくれました。行く前に反日感情が悪いと言われていましたが、実際はそんなこともなく本当に皆さん親切でした。

 私達はこのあと慶州を発ち、最後の目的地であるソウルへ向かいました。それにしても韓国の交通費は安いです。日本が高すぎるのかな。

 写真がかなり古いことがわかるでしょう。光化門の後ろに旧朝鮮総督府の建物があるんですからね。2年前に行った時には一番上の部分を取り外すところでした。その後、建物自体も取り壊され、ここにはもうありません。日本の植民地政策の代表的な建物ですからね。韓国内でも「残しておくべきだ。」「いや、いまわしい過去を捨てるために取り壊すべきだ。」と意見がわかれたと聞いています。複雑な気持ちですね。

 もし皇居の真ん前によその国の政府が日本を統治するための機関の建物をボーンと建てたら日本国民はどう思うでしょうね。韓国とかかわりができてからというもの戦争がいかに愚かな行為だということを考えさせられます。時代がそうさせたのかも知れませんが、くり返してはなりませんね。そのためにも過去の歴史を正しく両国民が認識していくことが重要だと思います。

 先日、朝日新聞に京畿道広州郡退村面にもと従軍慰安婦だった方々が「日本軍慰安婦歴史館」を建てたと出ていました。機会があれば是非行ってみたいです。日本の若い人たちは独立記念館と合わせて見学すれば日韓の歴史をもっと深く知ることができると思います。

やってきました。!ソウルです。
 写真を撮る時はなぜかポーズをとっていました。いや単に「旅の恥はかきすて」というような感じだった気がします。なにはともあれ当時韓国語を勉強していると言うだけで会う人が皆、感心して親切にしてくださいました。今でこそ韓国語を勉強している人は多くなりましたが、私が学生のころは「なんで朝鮮語なんか、、」とか「変わった言葉をべんきょうしているね、、」とかよく言われました。その度に「これから韓国と日本はもっと関係が深くなる」と答えつづけてきました。

 実際、民間レベルでの交流も盛んなようですし、旅行で両国を訪れる人はかなり増えています。一番近い国ですからね。「近くて遠い国」も「本当に近い国」になりつつあるような気がします。それだけでもなんかうれしいような気がします。

京福宮前で

おなじみの民族村です。
 バスの中で知り合った韓国のおねえさんがたと撮った写真です。私達の超へたな韓国語でなんとかコミュニケーションをとり、楽しく民族村を見学しました。

 私達4人とおねえさまがた4人で一緒に行動して気が付いたんですが、韓国の方は写真を撮る時にきれいに写るようにポーズをとるのがうまい!木にもたれかかったりして、なんか見合い写真でも取りにきたのかな?などと憶測していましたが、当時の語学力では知る由もなし。
民族村でお馴染みの農楽  →

ソウルで泊まったデーウォン旅館
 ソウルに到着した私達4人組はさっそく旅行案内所へ行き、安い宿を紹介してもらいました。外国人用の安い旅館があるということで、すぐに行ってみましたが、ショックでした。本当に外国人ばかりでしたし、しかも安いだけあって設備はひどかったです。

 釜山、慶州とけっこういいところに泊まっていたので風呂もない、シャワーもないというのはきつかったです。
  韓国では朝、風呂に入ることが多いんですよ。日本では朝は顔を洗って歯を磨いて、、というかんじで、夜、寝る前にあつい風呂に入るのが普通ですよね。だからこの時の旅行で夜、近くにある銭湯へ行ったんですが、しまっていました。それで次の朝、さっそく行ってみました。余談ですが日本も韓国も風呂にはいるという習慣がありますが、結構、違いがあるようです。

 日本人は毎日、夜に風呂に入り、せっけんをたくさんつけてゴシゴシやりますね。韓国では毎日は軽くシャワーをあびて汗を流し、週末なんかに近くの銭湯やサウナへ行き、あかすりをしてもらいきれいさっぱりするというのが普通のようです。もちろん個人差があることなんですが、風呂談義で何人かの韓国人と話した結果、毎日せっけんでゴシゴシやるのは皮膚の油分がすべて落ちてよくないとのことでした。私はどうしても日本人感覚ですので、「毎日、せっけんで全身洗わないの?えーきたない。」と言って、ひんしゅくを買いました。文化や習慣の面では違いを認めるのは大変なことです。、、、が、お互い理解する心があればどうってことないような気がします。自分だけの枠にとらわれず、「こんなこともあるんだな。」と寛容に受け取ることも大切な気がします。異文化理解という面で。
朝起きて、たらいに水を入れて頭を洗いました。う〜気持ちいい



韓国との文化習慣の違いについて

文化習慣の違いと言うとなんかおおげさな感じがするので、私の経験をもとに感じたことを書きます。




 今は服装に関して日本も韓国も大きな違いはありません。ただ服に対するセンスがかなり違うような気がします。私
が大学生で訪れた頃は男の人はジーンズをはいている人はいませんでした。聞いてみると子供や女の人がはくもの
だ。とのことでした。ですから当時、私達は旅行中かなり浮いていたんでしょうね。

 今はそんなこともありませんが、全体的に日本人よりはでなものが好まれるような気がします。新村などの若者の町
を歩くと梨花女子大の学生さんたちを見かけますが、ファッション雑誌から出てきたような感じで、化粧も濃く、(失礼な
言い方かも知れませんが、)夜のお仕事関係の方かと錯覚してしまうこともあります。でもお話すると普通の人です。日
本から行った人はくれぐれもひんしゅくをくことをしないようにお願いします。

 最近、日本へ留学してくる若い人を見ても全くと言っていいほど日本の学生と変わりませんね。考え方まで。しかし大
きく違うのは礼儀ですね。言葉遣いがやはり丁寧で儒教の精神がまだまだ残っていて年上の人を敬うことは大切にす
るようですね。ですから日本人の学生が先生に話し掛けているのを韓国の学生が見ていると不愉快に思ったり、「先生
に対して失礼じゃないか!」とまで言ってくれたりして何となく恐縮してしまうことがあります。話が逸れましたね。
 女の人は結婚するとがらっと変わってしまいますね。急におかあさんになってしまいますね。服のセンスも雰囲気も
「アジュマ」になります。こんなことを書いたらあとで「そんなことはない!」とメールが来るかも知れませんね。でも私は
そう感じます。女性の方ごめんなさい。



 食べる事に関しては違いが大きいです。まず「辛い」。そしてけっこう野菜を食べます。
 一般に韓国料理というとプルコギ、カルビ、などの肉料理が有名で日本人は韓国人は肉をよく食べるんだなと誤解さ
れがちですが、そんなことはありません。日本人でも刺身やすき焼きを毎日食べていると思われたら、否定するでしょ
う。普通の時は魚も食べるし、煮物もあるし、洋食も最近は多いようです。ただ味付けはとうがらしを使うことが多いよう
ですね。

 違いと言えば食べ方ですね。最近はよく知られていますが、箸はおかずを食べる時に使い、御飯はスプーンで食べま
す。だから急いでいる時は右手にスプーンと箸を持って使い分けしながら食べます。これができればかなりの韓国通だ
と言われます。(真っ赤なうそですが、、)
 それから日本との違いに食べ物を小分けしていないことがあげられます。大皿に盛ってあることが多いので好きな分
だけ取って食べる。鍋料理も同じく、みんなで食べる。この辺は中国と似ているんではないでしょうか。(もっとも日本でも
すき焼きや鍋料理はそうしますが。)日本だけが食べる分を1人1人用意するようですね。

 日本人と外国人の異文化衝突にあげられる食事についての問題(アジアの学生を招待したら友だちを連れてこられ
て困ったなど)はここにポイントがあるわけです。韓国に限らず、アジアの国では料理は多めに作って大皿に盛り付け、
それをいくつか用意しておけばお客さんが増えてもどうってことありません。だから急に友だちを連れてこられても問題
は起こらないし、それが普通だとおもっているわけですね。

その感覚のままだと日本人に変な誤解を招いてしまうんです。実際に韓国で生活してよくわかりました。



 建築中の家を見て思ったのですが、コンクリートを打つ時、鉄筋が少ないように感じました。地震が少ないから大丈夫
なんでしょうが、「おいおい、大丈夫か?」とつい思ってしまいます。
 フランスにいる時も同じように思いましたが、地震の少ない国ではどうってことないんでしょうね。日本の建築技術は
やはりすごいんだと思います。というより地震との戦いがそうさせるんでしょうね。

 韓国でも壁紙をよく張り替えるようです。フランスにいた時には何度もやったり人の家のを手伝ったりしましたが、韓
国でも同じでした。コンクリートの壁にのりをぬって壁紙を裁断して一枚一枚貼っていきます。そこで気が付くんですが、
家の造りがけっこういいかげんなんですよ。日本の家なら恐らく許可が降りないだろうというくらい寸法がちがうことがあ
るんです。だからきちっと壁紙を貼るとなんかずれていたりするんです。おかしいのでやり直してもずれているんです。
正方形の部屋がけっこう台形になっていたりするので、「おいおい、、」となることがあるんですが、「ケンチャナヨ!」で
いけます。フランスでは「サバ!サバ!」ですね。「ケンチャナヨ精神」についてはいろんな本に載っていますので省略し
ます。

 オンドルはいいですよ。日本へ帰ってからなんか寒いような気がします。コンクリートの床の中にパイプが通っていて
お湯が循環しているんです。だから部屋全体が暖かく、空気も汚れません。これは素晴らしい。いや待てよ。同じような
ものがあると思ったら、そうです。ヨーロッパの家にある暖房と全く同じです。フランスではショファージュといって各部屋
にラジエターがあってその中をお湯が循環しています。だから各家庭にボイラーがあり、そこから各部屋にパイプが通
っています。韓国で下宿のボイラーを見たんですが、フランスで見たのと同じ機構でした。おもしろいもんですね。こんな
ところに類似点があるんですね。私はショファージュもオンドルも大好きです。だって家の中ではどこでもTシャツでいら
れますからね。日本でできないものかと考えたんですが、やはりちょっと問題がありますね。やはり地震です。ちょっとし
た地震でパイプからお湯がもれる。また大きなボイラーが普及していない。畳の部屋には乾燥し過ぎてあわないんじゃ
ないか?などです。



 あれこれかきましたが、所変われば品変わるです。どこの国でもそれぞれの事情に合わせてうまくやっているんだと
思います。外国人が日本へ来て日本の衣食住をどう感じるんでしょうね。私も勝手なことをたくさん書いたような気がし
ますが、同じようなことをきっと外国の方もホームページで紹介しているのかも知れませんね。
 これを読んでくださっている皆さんは異文化に接しても偏見で見ずにうまく消化して自分の糧にしてくださいね。、、、と
いうところでいったん終わります。



韓国での話(その1)

 韓国での話はいろいろあります。まずはテレビの話です。KBSだったか、MBCだったか、記憶は定かではありません
が、「日本スケッチ」という日本を紹介する番組が夜の11時ごろからやっていました。扱う内容もいろいろで私は下宿で
同じ下宿人達と一緒に見ていました。その日のトピックは温泉でした。

 日本には多くの温泉があり、、、というように始まり、他の下宿人達と見ながら、「日本にも温泉がありますよ。」などと
話ながら私の韓国語の練習も兼ねて説明していました。ところが「日本の温泉は混浴で、、」などと説明が入り、私も仰
天です。そこにいたみんなはびっくりして本当かと尋ねます。儒教の教えが今でも色濃く残っている韓国社会で男と女
が一緒にふろに入るなんて考えられないことですから無理もありません。

 「いいなあ〜日本へ行ってみたいなあ。」と言い出す下宿の息子もいれば、延世大学の女学生Y嬢は「信じられな
い。」という顔をしていました。私は全部がそうではないと言いましたが、あの番組を見た人はおそらく日本の温泉はみ
な混浴だと誤解するでしょうね。
 マスコミの影響というのは実に恐ろしいと思います。


韓国での話(その2)

 同じく「日本スケッチ」の話ですが、日本のあるうどん屋の話でした。昔から何代も続いている老舗のうどん屋でそこの
息子さんは日本の某有名私立大学に在籍していました。インタビューを受け、将来はこの店を継いで頑張りたいといっ
たこと言っていました。

 私は別に何とも思わなかったのですが、一緒に見ていた下宿人から「いい大学まで出たのにどうしてうどん屋なんか
継ぐんだ。」と言われ、「そりゃ、何代も続いた伝統ある店ですから親も継いでほしいでしょうし、本人も了解しているん
だから普通じゃないの?」と私は答えました。
 韓国では食べ物を扱う仕事は少し低く見られているということを聞いてどうしてこんな会話になったのか合点がいきま
した。私は「基本的にどの職業でも同じで仕事に貴賎はない。みんなががんばっているから社会が成り立っているんじ
ゃないの?」といったことを言ったんですが、それは理解できるが、親は自分が苦労したから子供にはいい学校に入れ
て、いい仕事につけるようにしてやろうとするのが普通だと言われました。そりゃ、日本も同じだと思いましたが、考え方
に違いがあることをはっきり感じました。

 日本人は「わざ」を大切にします。何代も続いた老舗ではその「わざ」を大事にし、代々、続いていくものですが、韓国
では特別な店を除いては一般に食べ物を扱う仕事や体を使う仕事は頭を使わず、簡単にできるから、「わざ」というか
「技術」というような概念が理解しにくいように感じました。

 そのあとテレビが終わってからもこの話を続けたんですが、昔からの両班(ヤンバン 韓国の昔の貴族のようなもの)
のようになりたいという考え方が残っていることを強く感じました。顔も似ているし、文化的にも似ている面もあります
が、実際に現地で生活すると「似て非なるもの」を強く感じました。

 私にも子供がいますが、将来自分の能力がいかせる仕事なら何をやってもかまわないと思うんですけどね、、



韓国での話(その3)

 カレーライスの話です。日本人はカレーライスが大好きです。日本人に親しまれている料理の中でもこれが嫌いだと
いう人は少ないんじゃないかと思います。

 韓国滞在中、カレーが食べたくなりカレーをやっている食堂を探し、食べてみたんですが、ハッキリ言っておいしく食べ
られる代物ではありませんでした。そこでスーパーへ行き、カレーを探してみたんですが、ありました。「ラッキー!」とば
かりに早速下宿に帰り、おばさんに話したところ作ったことがないとのこと。そこで作り方を簡単に説明し『今日の晩御
飯はカレーだ。』と部屋で待っていました。しかしやたら黄色く、味も日本のものとは違う。せっかく作って下さったので美
味しくいただきましたが、やはり味覚の違いがあるんでしょうね。

 韓国ではインスタントラーメンはかなり種類も多く、日本人の口に合うものも結構あるんですが(ただし辛い) カレーは
あまりポピュラーなものではないようです。私が下宿の食堂で食べていると他の下宿人や息子さんが帰ってきて席につ
いたんですが、みんな「これは何だ?」という顔で私が一通り説明し、食べ始めました。そこで私が気がついたことなん
ですが、普通、日本人は汁ものと御飯があったら、御飯に汁ものをかけませんか?(私の錯覚ならごめんなさい) おば
さんは小さいどんぶりのような入れ物にカレーを入れてくれていたんですが、みんなそこへ御飯を入れてビビンバを食
べる時のようによく混ぜて食べ始めたんです。「あれ?」と思いましたが、そういえば汁ものが出た時はみんなそこに御
飯を混ぜて食べていたから同じようにしているんだなとすぐに分かりましたが、私だけ御飯にかけて、しかもあまり混ぜ
ずに食べていたので、変な食べ方だと思われていたんでしょうね。

 韓国の人はとうがらしの辛さには非常に慣れていていますが、コショウの辛さにはさほど慣れていないようです。だか
ら日本の辛いカレーなんかはだめでしょうね。日本人はその逆でわさびやからし、コショウなんかに案外慣れていて、と
うがらしの辛さに弱いような気がします。

 外国で生活するとまず食べることで苦労するといいますが、本当だと思います。それを思うと多くの留学生が日本で
食事をする時、同じように苦労しているんだなとつくずく感じました。現地の人が心をこめて作ってくれても味の面でどう
しても合わないことがあるのは仕方がないことなのかも知れません。私は韓国滞在中、おばさんが気をつかっていろい
ろ料理してくれたことが本当にありがたかったです。毎日、美味しいものを食べていたわけではありませんが、気を使っ
てくれたことがうれしかったです。人間と人間のつきあいなんて国は関係ないと感じました。
 その後、おいしいカレーが食べられる店を教えてもらい時々食べに行きました。ソウルに滞在する方は高速バスター
ミナルの2階のS&Bというカレーの専門店へ行ってみてください。期待するカレーが食べられます。今もあるのかな?保
証はありませんが、、、。たぶん日本でカレーのことを研究した人が店をやっているんだと思います。だって壁にはハン
グルで「おいしいカレーの食べ方」というように紙が貼ってあって、そこに「はしのほうから少しずつ混ぜて食べてくださ
い、、」というようなことが書いてありましたから。



韓国での話(その4)

 韓国滞在中、こちらでの日本語教育事情を知る意味で「韓国版月刊日本語」の出版社である時事日本語社によく出
入りさせていただきました。

 時事日本語社はソウルのチョンノに事務所があり日本語教育関係の本を取り扱っています。また時事日本語学院と
いう日本語学校もあり、日本への留学の斡旋なんかもやっています。
 それだけでなくソウル在住の日本語教師の集まり「トヨイル会」もやっています。滞在中何度か邪魔?しに行きまし
た。金照雄理事さん、本当にお世話になりました。また編集部の銀庭さん、銀美さんお世話になりました。この場をお借
りしてお礼申し上げます。

 「月刊日本語韓国語版」にも自分の原稿を載せていただいたり(96年6月号,7月号)、教材の録音のお手伝いができた
ことも今ではいい思い出になっています。
経済的にも韓国は今、苦しい時期だと思いますが何とか乗りきって、ますます発展することを祈っています。



通訳は大変だ!

 私が住んでいる天理市と忠清南道ソサン市が姉妹提携を結び、7年です。市のほうから職場の方へ依頼があり、私
が通訳として視察団に同行することになり10月19日より23日まで韓国へ出張して参りました。

 日程は行った日と帰りの日がソウルで中二日はソサン市です。視察団も市の助役、市議会議長、公室長、議員さん
というメンバーで私を含め、総勢7名でした。行ってみて思いましたが、わが町に負けずいなかでした。ソサンに着いて
からはあちらの職員の方が全て案内してくださったし、また通訳さんも一人いたので比較的楽でした。

 久々の韓国ですし、また偉いさんを案内するので初めは緊張していましたが、皆さん紳士でしたし?視察も会議もうま
く進んだようなのでまずはよかったんじゃないでしょうか?話によれば日本中で韓国の都市と姉妹都市提携を結んでい
る市が結構あるようですね。

 ソサンについてからの晩餐会でのこと。テーブルをはさんで双方の代表が挨拶をし、通訳し終えてほっとしていたこ
ろ、あっちで通訳してくれ、こっちで通訳してくれと相手側の通訳さんと二人でてんやわんやでした。そんなとき韓国側の
ある市議会議員さんが韓国の歌「アリラン」を歌ってくれということを言い出し、こちら側では誰も歌うことができず、日韓
親善に来ているのに「やばいかな」と思い、私が知っているということで歌いました。すると固かった雰囲気が一気に和
み、私の歌に合わせて踊り出す人まで出てきました。あまりに受けたのでサービスで「カクソリタリョン(打令)」もやったと
ころ、もう雰囲気はばっちりになってきました。やっぱり歌はいいですね。何が役に立つか分からないものだと本当に思
います。もう少し調子に乗ってたら私もノレバンで鍛えた喉を披露してしまうところでしたが、年輩の方が双方とも多いの
でやめました。

 宴会の次の日は市内視察です。三星と現代の石油科学工場地帯の見学でした。そこでびっくりしたことは規模の大き
さですが、それより現代の副社長が挨拶に来て、その横に居た通訳の優秀さに驚きました。私の出る幕なし!という感
じでした。あとでエレベーターの中で聞いたところ夫婦で東京に5年いたそうです。なるほどと思いましたが、さすがは現
代の超エリートとうなずいてしまいました。

 名所、旧跡の視察はマエ三尊仏(百済の岩に彫刻された仏様),ヘミウプソン(昔の城郭)などを見てきました。ソウルに
戻ってからは緊張の糸もほぐれ、ミョンドンで飲みながら、楽しく過ごしました。ただ一つ、飲み屋のお姉さんがパガジ
(ぼったくり)しようとしたのを耳にして、いいかげん腹がたち声を荒らげてしまったことが心残りですね。

 通訳は今までに三回したことがあります。知り合いの旅行社に頼まれ、韓国の団体を案内したこと、また毎年、吉野
で行われる国際小学生サッカー大会の韓国チームの通訳をしたこと、そして今回の視察団と、それぞれ違った苦労が
ありましたが、私のいい思い出になっています。
 これからもまたあるのかな?こんなチャンスが、、、依頼があれば行きたいものですね。誰か私を韓国へ連れてっ
て!


韓国の歌はいいぞ〜

 最近、韓国の歌を扱っているホームページへ遊びに行くようになりました。(SUMさん!あなたのページですよ。)きっと
日本でもファンは結構いると思っていましたが、想像以上でした。

 私もその例にもれず、韓国ではノレバン(カラオケ)で歌いまくりました。韓国でも18番(シッパルボン)はおはこという意
味です。私のシッパルボンは何かというところでソリッドの「イーバメ クトゥル チャプコ」(カタカナで書くとなんか変!)と
か、イーチャンウ「訓練所へ行く道」なんかですね。キムジョンミンの「最後の約束」やベンクの「カジルス オンヌン ノ」
なんかもよく歌いました。知っている方はよく御存じのはずですし、またいつ流行っていたかもよく御存じと思います。
 延世語学堂でギターを弾きながらR,efの「サンシム」を歌っていたのは私です。ひょっとして見ていた人がアクセスして
いたりして、、なんてね。それはともかく歌には文化、習慣、考え方等が現れていて歌詞なんかも辞書を調べながら訳し
ていくと結構勉強にもなるし、日常会話で役に立つ言葉があって便利です。

 私が面白いと思ったのは「訓練所へ行く道」という歌の歌詞です。まず普通の日本人なら「訓練所」というと職業訓練
所とか警察関係?とか思い浮かぶんじゃないかと思います。御存じの方も多いと思いますが、韓国ではまだ兵役があ
り、大学2年くらいで招聘されます。我が下宿にいたチャニョン君も行ってしまいました。(それはどうでもいいんだけ
ど、、)

 歌詞はだいたいこうです。「俺が疲れたという時、心配そうな目をしているけど、、いや俺も男じゃないか、他のやつの
ようにがまんできるよ。そんなに悲しそうに泣くなよ。なんか俺が悪いじゃないか、これからしばらく会えなくなるけど俺を
思い出した時には面会に来てくれ、初めての休暇には短い髪の毛でたぶん気恥ずかしいけど、、」というような内容な
んですが、韓国の事情が分からなければこの歌詞はいったいなんだろう?となってしまいますね。でも私を泣かせるの
は次の部分で「俺のことを待つな、お前に負担をかけるのは嫌だ、いい人に会う機会を俺のために避けるな、けれども
お前が俺を忘れられないだろう、何ごともなくまた新しく始める時に、許してくれるなら、その時お前と結婚したい」とまあ
だいたいこういった内容の(ちょっと直訳っぽいですが、、)歌詞なんですが、この歌を聞く度に親切にしてくれた友達の
顔が浮かびます。まるで日本へ帰る私が軍隊の訓練所へ行くような気分に陥ります。

 最近、近所の飲み屋のカラオケで韓国の歌があるのに気付き、行ったら歌うんですが、韓国を知らない人の前ではな
んかね〜。  ということで韓国の歌マンセー!



パンマル(ぞんざい語)はむずかしい!

 韓国語の難しさはどこにあるかと聞かれたら、発音とパンマルと答えます。
韓国語を話していて「えっ?」と言われるようでは発音が甘いと言えるのではないでしょうか?特に濃音、それからニウ
ン(n)とイウン(ing)をはっきり区別して発音するようにしなければいけないようです。、、が、難しい!私の場合、喉の奥を
(空気が通る部分)を絞り込むというような感じでカー、サー、ターとやっています。

 韓国人の発音をよく聞いていると濃音ははっきりと喉に力が入っていることがわかります。聞き取れない音を実際に
発音するというのは難しいわけで、私の経験では注意して韓国人の濃音を聞き取るようにして耳を鍛え、そこから真似
というか、似た音が出せるようにするのが、早道のような気がします。何度も矯正されて、その時は出ても、喉を閉め
る?あの感覚がつかなければ実際の会話の時にはなかなか出てこないように思います。

 さて次にパンマルですが、何が難しいって、まず「ヨ」をとらなければならないことです。
 初級段階から「〜ヨ。」の形で勉強してきた者にとって、いきなり「ヨ」をとるのは難しい!(というより口についてしまっ
てとれない!)歳をとってから留学した私にとって周りは若い人が多かったので、「パンマルでいこう」とは言っても、すぐ
「ヨ」がついてしまい、「またヨがついている。」とあきれた感じで言われてしまいます。こんな経験は私だけかな?

 それだけではありません。パンマルを使うということはそれだけ上下関係がはっきりしてしまい、一度、パンマルで話
すようになると元には戻れないということが感じられます。
 実際、何人かの韓国人に尋ねたところ一度パンマルになったら、やはり「ヒョン(兄貴)!」「オンニ(姉さん)!」という関
係になり、上のものは下をかわいがり、上は上でそれらしく振る舞おうとするのが一般的なようです。だから言葉使いに
は気をつけなければなりません。「固い契りをかわす」くらいに日本人は意識しておいたほうがいいかも知れません。そ
うでなければチョンデンマル(尊敬語)を使いつづける方が無難かも知れません。ただそうなると相手になんかぎこちな
いと言われるかもしれませんが、、

 ですからパンマルを使う相手が増えた今では自分自身がなんか、えらそうにしゃべっているなあ。なんか品位が落ち
ているような、、という感じがしますが、相手はそう感じてはいないようです。

 言葉使いに厳しい韓国では下の者がえらそうにパンマルで話したら厳しくたしなめられます。最近の日本の若い人た
ちの喋り方を韓国の留学生達はなげいています。そして韓国語を教えている韓国の人が日本人の若い人たちと話して
不快感をあらわにしています。文化的にいい悪いは別にして目上の人を敬う精神は大事にしたいものですね。

 余談ですが、韓国で下宿していた頃、下宿にいたY大学のY嬢とS大学のC君が例のごとく、夜、私の部屋へ来て、テ
レビを見ながら、いろいろ話していた時の事です。Y嬢はC君に丁寧な話し方をしていたのでC君が年上だと思っていま
した。ある日、私が何歳か二人に聞いたところ、同じ歳だということが判明?しました。ここからがびっくりです。Y嬢は激
怒し、「お前、だましていたな!」とまくしたてC君はたじたじです。当然、そこから二人はパンマルで話していました。
 韓国では歳が一歳違うだけでも、シビアだということを知りました。それにしてもパンマルを女性が使っているのを聞く
のはなんだか恐い感じがします。なぜなら男でも女でも「お前(ノー)」というのは同じだし、パンマルには男女の区別がな
いから、女の人がパンマルで年下に話しているのを聞くとなんか恐い感じがします。私だけかな?そう感じるのは?


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