海外で教えてみて



はじめに
 1990年から92年までの2年間パリの天理日仏文
化協会で日本語を教えました。ここでは初級から中
級までクラスがあり、一般の人たちを対象に授業が
行われています。天理教の海外での文化活動の拠
点として日本語教育だけでなく、ギャラリーなどもあ
ります。
 日本で教えたことしかなかったので、行く前は言
葉が大丈夫かな?とか子供のこともだいじょうぶか
な?と不安が多かったです。出発の何ヶ月か前か
ら、NHKのラジオ講座でフランス語を勉強したり、冬
に着る服を箱づめしたり、けっこう忙しかったように
記憶しています。
 私の30歳の誕生日(5月18日)の次の日に出発で
す。準備で忙しく、誕生日どころではなかったように
も思います。



初日
 現地に着き、アパートに案内されて、まず驚いたのが、明るい!時計はすっかり夜なのに外がや
たら明るくて昼のようです。時差ぼけもあって寝られないし、10時をすぎないと暗くならないので、変
な感じがしました。
 窓をよく見ると木でできた折り畳みの雨戸のようなものがついているので閉めてみると、部屋が暗く
なり、夏場はこれで部屋を暗くするのか!と変に納得しました。
 そうやってパリでの生活が始まりました。



通勤途中
 アパートはパリの郊外アントニーという町にありました。ここから毎日、パリ市内まで通勤します。
RERという郊外線で乗り換えなしです。駅まで坂道を歩いて30分。途中、静かな住宅街を歩き、教会
や中学校の前を通り、駅へ行きます。
 中学校の前を通ると「あれ?」と思うことがありました。休み時間らしく子供達が外へ出ています。
そしてみんなでたばこを吸っているではありませんか「ここは中学校だよね?」と自
問してみるが間違いありません。あとで現地の人に聞きましたが、先生が「校内で吸うな。」と
注意するそうです。「なんか指導の仕方が違うんじゃないの?」と思いましたが、火事が起きた
ら大変だと考えると、正しい指導なんだと納得。


日本語教室
 私が担当したクラスは初級クラスが2つ、中級クラス1つでした。
教科書はそれぞれ海外技術者研修協会の「日本語の基礎」、交流基金の「日本語中級1」です。
授業は90分授業で初級が月、水、金の昼と夜、中級が火、木の夜のクラスです。
 ここに来る人たちは趣味で日本語を勉強している人、仕事で日本語が必要な人、配偶者が日本人
で勉強をしている人、など様々ですが、皆さん熱心でした。
 私がフランス語がわからないから、一生懸命、日本語で質問もしてくれました。こちらも万が一に備
えて、教案を書く時に、単語を辞書で調べておき、また文法書のフランス語の部分でポイントになるこ
とを調べておき、教案に書き込んでおきました。
 しかし、授業では分かりやすく日本語でゆっくり説明するので、こういった準備はむしろ私の生活で
必要なフランス語の勉強になったような気がします。


アリアンス、フランセーズ
 パリでの生活が始まり、仕事の上でも言葉がわからないというのではいけないと思い、夏休みを利
用してアリアンス(語学学校)へ通いました。幸い、職場からも近いし、午前中の授業がとれたので毎
日、通い始めました。ここでの経験は本当に参考になりました。なんせ、自分が学習者の立場
になれるんですから
 自分が学期の初めの授業で「挨拶から自己紹介」などをしますが、同じことをフランス語でやられる
んですからね。教え方は直接法で先生はポーランド出身の女性でした。最初「ジュ、スイ、ポロネ
ーズ」と言われた時に「あれ?フランス人じゃないの?」と思いましたが、正しいフランス語を教えてく
れたらそれでいいじゃないかと納得。これからの時代、日本でも韓国人が中国人に日本語を教える
ことだってあるかもしれないんだから。要はしっかりした教授法で正しく教えられればいいんだから。
 それから簡単な自己紹介に始まり、教科書へ移っていきます。ここで驚いたのは教科書です。絵
が多いんです。だから場面がすぐわかり、また何の作業をするのかも絵で示してあるので、非常に
分かりやすいです。「絵とタスクで学ぶ日本語」という教材がありますが、あれを想像されると理解い
ただけると思います。またOHPを使って、準備してある文型練習をするんですが、みんなで答えるか
ら、間違えても恥ずかしくないし、その練習をくり返すことで文法も帰納的にわかってくるということも
体験できました。
 韓国語以外、勉強したことのない私がフランス語なんて、、と自分自身思っていましたが、ここでの
授業はいい経験になりました。また言いたいことがうまく言えないもどかしさも何度も味わいました。
「仕事は?」と聞かれてどう答えていいのかわからず、「ジャポネ、プロッフェッスール!」と答えたら、
変な顔をされました。後日、正しくは何と言うのか調べて、もう一度チャレンジしたのは言うまでもあり
ません、、、、。
 またクラスに韓国人が何人かいて、分からないことがあったらお互いに韓国語で尋ね合いました。
しかしよけい分からなくなることのほうが多かったかも?


習慣の違い
 外国にいるんだから、習慣の違いがあるのは当たり前です。何が違うかって?そりゃ、考え方が違
うんですよ。まず、日曜日はみんな基本的に休むんですよ。日曜日は聖なる休みの日な
んですよ。つまりタバコ屋まで休んでしまうんですよ!おかげで土曜日にたばこを買い忘れたら月曜
まで我慢するか、パリ市内まで電車に乗って買いに行かなければならないんですよ。
 しかし、考えてみれば休むのは人間にとって必要なことで当たり前の権利だと思うんですよ。過労
がもとで死ぬなんてこちらの人には理解できないでしょうね。スーパーでも閉店時間まぎわにレジに
行くと思いっきり嫌な顔をされますし、郵便局に切手を買いに行ったら、もう終わりですから、、と冷た
く言われるし。「お客様は神様です」というのはありがたいことなのかも知れませんね。
 また制服というものがほとんどない!ある日、乗っていた電車が駅で動かなくなりました。「何だろ
う?」と思っていたら一番前の列車の運転席からアロハシャツを着た人が降りてきて、閉まら
なくなったドアを蹴飛ばしていました。幸い閉まったので発車しましたが、その時「なんでアロハ
シャツを着たお兄さんが運転しているの?」と思いましたが、別にどんな服を着ていても
いいんですよね。ちゃんと運転できれば。そういえば郵便局の人もみんな私服だったし。規律や規
則にしばられて、言いたいことも言えないで、着たいものも着れない国の人から見れば自由だなあ
〜と思います。


なんてデモが多いんだ
 日本ではデモなんてめったにお目にかかれませんが、あちらは凄いです!
何が凄いかと言うと集まる時は集まるという感じです。シャトレの駅で高校生達のデモに出くわして
しまったんですが、何百人という学生が改札を飛び越えていく様子は強烈です。私は真
面目に改札で自分のカルトオランジュ(定期券)を使うのですがその横を飛び越えていくものや私に体
をすりよせて、一緒に出ようとする者や、とにかくその日はパリに地方の高校生が集まってデモをや
るということで大集合のようでした。
 夕方のニュースでももちろん見ましたが、いたって平和的に話で解決していくことが印象
的でした。韓国で学生のデモというと3日間はその場所を通れないくらい催涙弾のにおいがとれま
せんが、そんなこともなく、自分達の意見を代表が意見をまとめ交渉していくことは民主主義が守ら
れているようにも感じました。自分のクラスにいた大学生にその話をしたら、「親もよろこんでデ
モに参加しろ」というそうです。まあ経験を積んでこいといったところなんでしょうか?
また私の職場があったダンフェールロシュローでも看護婦さんのデモなんかもありました。看護婦さ
んの待遇改善を叫ぶデモだったようですが、どこからわいてきたのか看護婦さんがわんさかと押し
寄せてプラカードを持って歩く様は日本ではまず見られないでしょうね。やはり高校生の時から
経験を積んだからでしょうか? 



パリの日本語学習者たち
 私がパリにいたころに日本語を勉強している人は趣味でやっている人が多かったです。仕事で必要だという人もいましたが、多くはありませんでした。それより日本文化に惹かれて日本語の勉強を始めたとか配偶者が日本人でという人も結構いたように思います。いずれにせよ当時、日本語が勉強できるといったところは少なく、特に会話を中心に教えている学校は文化協会くらいだったと聞いています。日本を研究したりする機関もありますが、会話力養成を中心にした授業をやっていたところはほとんどなかったようです。
 授業は皆さん、まじめでした。私は当時、週10コマ(1コマ90分)持っていましたが、月、水、金の夜のクラスに来る学習者はさぼることもなく、授業に来るのが楽しそうでした。教科書は海外技術者研修協会の「日本語の基礎」を使っていましたが、自作の絵カードを見ながら、リピートしたり、文型練習をしたりして、いつも時間が流れるのが早く感じました。クラスにはベトナムの人、黒人の人、白人の人、韓国の人など、いろいろいました。みんな国籍はもちろんフランスです。共通に通じる言葉はもちろんフランス語です。教室では私がほとんどフランス語が話せないので、日本語で何とかコミュニケーションをとっていました。でも不平を言われたこともないし、かえってそれが練習にもなったようです。
 また私も何とかして意味をわからせようとあれこれ工夫をしていたので、お互いによかったと思います。フランス語に訳された文法書もあったので、それに目を通し、重要な部分だけをフランス語で言ったりもしていました。信頼関係ができれば、何よりも強いと本当に感じました。
 夏は日が長いので8時でもまだかなり明るいです。授業が終わり、クラスの人と近くのカフェへ行って、パナッシェ(ビールの炭酸割り?)を注文して飲みながら、下手なフランス語と下手な日本語で話し合うのは本当に楽しかったです。
 滞在中、休みに自宅へ招待されたり、招待したりしたこともありました。私は自宅で手巻寿司をしたんですが、なかなか好評でした。パリは本当に様々な人種がいます。昔から移民をたくさん受け入れているからでしょうか。個人主義が発達しているといわれるのでアジアの人には何か冷たい感じがすると思われがちですが、住んでみれば皆同じ人間で、ルールを守れば、とても住みやすいと思います。
 
 犬のふんがたくさん落ちていても、日曜日にたばこが買えなくて、スーパーが休みでもなんとなく許せます。やはり魅力的な街なんでしょうね。



トップへ
戻る