2004年
5月8日
AM5:28

俊介誕生





靖の部屋へ来室有難うございます。

ついに私もお父さんになりました。

言葉にできない感動がありました。

俊介誕生までを写真を含めてドキュ

メンタリー風に記述しようと思います。

ちなみに、これらの手型、足型は

俊介の手足の実寸です。




    <第一回超音波検査>

    9月13日、前日に妊娠検査薬に陽性反応がでたので、家内の
    妹の生まれた大阪警察病院に行きます。ちょうど家と会社の間
    にあり、通院に便利ということで、この病院に決めました。

    超音波検査及び病院での尿検査により妊娠が確定しました。

    この時俊介は右の写真の黒い部分、(13.3mm)の袋上の
    中にいます。

    この翌日から家内は妊娠が発覚したにも関わらず、山口祐一郎
    の舞台を見るために友達と2泊3日の東京旅行へ行ってしまい
    ました。まだ安定期に入っていなかったので、とても心配でし
    た。

    余談、丁度この頃阪神タイガースが優勝を決めましたねー♪



    <第二回超音波検査>

    10月1日、第二回目の超音波検査です。前回の超音波検査で
    は黒い袋しか写っておらず、あまり実感はありませんでしたが、
    今回の写真ではかなり人?の形がわかるような感じです。

    小さな頭と両手が写っており、実際の超音波の映像ではピクピ
    クと動いていたそうです。

    この写真を見てかなり実感がわき、感動したのを覚えてます。

    この時は画面上で体長を測っていませんが、俊介は約3cmく
    らいです。

    この日に俊介の出産予定日は5月7日と決まりました。



    <第三回超音波検査>

    10月29日、第3回目の超音波検査です。写真のキューピー
    ちゃんみたいなのが俊介です。逆に見た方がわかりやすいかな。

    完全に人間の形をしています。まだ家内のお腹は目立っており
    ませんでしたが、このような写真をみると、私の心の中で、
    「父親になるんだなぁ」って気持ちがどんどん強くなっていく
    のを感じたことを覚えています。

    この検査のときは画面上で実寸を測ってもらっております。

    俊介の体長は6.25cmです。



    <第四回超音波検査>

    12月17日、年の瀬です。俊介の体長もかなり大きくなり、
    家内のお腹も少し目立つようになってきました。寒くなってき
    たので風邪とインフルエンザに注意して、毎日を過ごしていま
    した。

    さて、写真をみてください!妊娠5ヶ月の終わりですが、写真
    の中央のやや下部に注目。突起があります。ボールペンで丸を
    しているところです。

    多分「男の子でしょう」って先生がおっしゃりました。私は性
    別は本当にどちらでもよかったのですが、ただ元気に生まれて
    きて欲しいといつも思っていました。

    この3日後、12月20日に俊介がはじめてお腹の中で動いた
    そうです。



    <第五回超音波検査>

    2月19日の検査の写真です。妊娠8ヶ月目です。この2週間
    前に伊勢に旅行に行ったり、赤ちゃんグッズをそろそろ買い始
    めたりしていました。家内のお腹もかなり前に突き出してきて、
    俊介も「ボコ!ボコ!」とお腹を内側から蹴るようになります。

    写真ですが逆から見たらわかりやすいのですが、俊介の横顔で
    す。かなり大きくなっているので、超音波では部分部分しか確
    認することしかできません。

    この頃俊介は逆子の状態で、夜寝る前に家内は逆子体操をずっ
    と行っておりました。





    <最終超音波検査>

    この日は私も会社を休んで検査について行きました。胎児の臓
    器がちゃんとできてるかとか、そういった細かな検査だったの
    です。ちゃんとビデオも撮ってきました。

    さて、妊娠9ヶ月に入ってますので、家内のお腹は横綱状態。
    俊介もお腹の中で「しゃっくり」をしたりと、かなり活発に動
    いていました。

    私もお腹に手を当てて、ポンポンとたたいてやると、そこで俊
    介が動いたりするので、かなり感動したのを覚えています。

    3月4日が検査の日だったのですが、この5日後に不覚にも家
    内が発熱。夜の9時から警察病院に救急でかかりました。イン
    フルエンザではなく、ただの風邪でした。一安心。

    この写真は俊介の左足です。





    このようにして10ヶ月はあっという間に過ぎていきました。でもとても私も家内も充実した10ヶ月でした。さて、陣痛が来
    るまでにひともんちゃくあるのですがね。


    <おしるしなのか??>

    4月16日PM11:00、トイレから出てきた家内が「おしるしかも!?」って・・・。ついに出産間近なのか?!と思い私
    も少し動揺しました。会社にも迷惑かけてはいけないので上司に報告しておりました。さらに入院しちゃうと豪華な夕食は無理
    という理由から、陣痛がくるまで2〜3日連続で少し豪華に「最後の晩餐」をしました。

    しかし・・・、1週間が過ぎても陣痛は来ない・・・。2週間が過ぎて次の健診を迎えてしまいました。そこで先生に聞くと健
    診の後は出血しやすいそうなんです。それを「おしるし」と勘違い・・・。しかしこの時の健診では「連休中かもね♪」ってお
    っしゃいました。さらに会社にはそのように報告してたので、連休が明けてしまってから「生まれた??」と毎日のように同僚
    にたずねられて、少し恥ずかしかったです。



    <運命の日、前々日>

    5月6日、最後の健診の日。「まだもう少し先かもしれないね。1週間して陣痛が無ければ促進剤を使いましょう。」と先生か
    ら宣告され、さすがに家内もお尻に火がついて、うろうろと歩き始めました。この日も検診の後、上本町でやってた北海道展で
    隅々まで歩き回って、色々買って来ました。そして帰ってからも夜に近くの公園まで一緒に歩いていったりと、少々無理をして
    いるような感じでした。



    <運命の日、前日>

    5月7日、この日は本当に長い1日でした。

    AM2:00頃、陣痛らしきものがきたらしい。(私は爆睡中)

    AM4:30頃、家内から腹部の痛みを聞く。時計で間隔を測ると30分間隔で痛みがきている。

    AM8:30 、会社に休暇を取る連絡を入れる。

    AM9:30頃、陣痛の間隔が遠のいていく。本当に陣痛だったのか!?

    PM2:00頃、再び陣痛らしき痛みが復活する。なんと陣痛が遠のきつつあったので、家内が友達と会う約束をしていた。
            陣痛が再開しているにも関わらず、友達と会うことを決行。

    PM3:30頃、家内は腹部の痛みを陣痛と考えてないような素振り。友達と一緒に近くの百円均一ショップへ買い物へ。
            私も心配だったので、近くで待機。この間に友達が間隔を測ってくれていた。

    PM5:00頃、陣痛の間隔は10分を切って、7分間隔になる。病院からのしおりでは10分を切ったら病院に来て下さい
            と書いてある。さすがに友達も心配になり、私と合流して病院に向かうことにする。

    PM7:30頃、大阪警察病院に到着。陣痛の間隔は変わっていなかったのだが入院となる。陣痛室に入り助産師さんから説
            明を聞き、「歩き回ってくださっていいですよ。」の言葉を勘違いする。

    PM8:30頃、入院患者のくせに、パジャマを着たまま桃谷の駅前のコンビニまで買い物に行く。さらに本屋、マクドとハ
            シゴをし、陣痛がきてるにも関わらず頑張る。陣痛の間隔は5分を切っていた。痛みもきつくなり、陣痛が
            来ているときは立止まらないと我慢できない状態。

    PM10:00、病院に帰ってくる。助産師さんに外出したことを伝えたら、「何も起こらなくてよかった・・・。歩き回る
            のは病院の中だけにしてください。」と半分呆れられる。

    AM0:00頃 陣痛室で音楽をかけながら会話をしていた。陣痛の間隔は5分を切っていたが、まだ会話をできる程度。痛
            みがきてるときはさすがに少しつらそう。しかしコンビニで買い込んで来た食糧を食べまくる2人でした。
            まだ余裕あるね。

    AM2:00〜 陣痛の間隔は2分くらいになってくる。そろそろ会話も少なくなってきた。痛みと寝不足の疲れでかなりま
            いってきている。痛みはさらに激しくなり、寝ていたらしんどいのか、陣痛室の木馬みたいな椅子に座り一
            緒に呼吸法を行う。

    AM4:00〜 陣痛の間隔は2分を切る。2分を切るともう会話どころではない。家内も痛みが来てるのか来てないのかわ
            からないような素振り。私も半分パニックになり、かなり動揺した。この時は痛みが着てるときはただひた
            すら家内のお腹をさすり、一緒に呼吸法をするのに必死だった。

    AM4:45〜 助産師さんが来て陣痛室から分娩室に移動する旨を伝えられる。すぐ隣なのだが、荷物の移動やら、家内の
            痛みを我慢する悲鳴やらで、究極のパニック状態。家内の陣痛を我慢する表情、悲鳴を聞くたびに何もでき
            なく、ただ応援するだけの自分に苛立ちを覚える。

    AM5:00頃 「バッシャ!」という音がして、助産師さんが「はーい破水しましたよー。」っておっしゃった。その音の
            大きさと羊水の量にめちゃくちゃ動揺・・・。頭がクラクラした・・・。

    AM5:20頃 家内が分娩台に乗ってからはよく覚えていない。ただ家内も赤ちゃんも無事に生まれてきて欲しいというこ
            とをひたすら祈っていた。神様、こんなときだけお願いしてごめんなさい。助産師さんが「お父さん、頭が
            でてきましたよー、こっちから見てみます?♪」と私に声をかけてくれたが、そんなに私には余裕がなかっ
            た。ただ家内の顔を分娩台の上から見て、ひたすら祈っていた。

    AM5:28  ついにその時がやってきました。私の視界に飛び込んできたものは、灰色と紫色をたしたような赤ん坊の俊
            介でした。俊介が大きな声で泣く前に私の目から涙が溢れてきて人生最高の感動でした。それから俊介が泣
            くまでは夜中でなかったら、「泣けーーー!!!」って大きな声で叫んでいたかもしれません。それから俊
            介が大きな声で泣いたあと、やっと少し冷静になり、家内に「ようがんばったなぁ、ようがんばったなぁ。」
            と連呼してました。

            2004年 5月8日 AM5:28 3348g

            喜多 俊介 誕生。























トップへ
戻る