女帝について3


 旧皇族の皇籍復帰に反対する理由のなかに、彼らは全て約六百年前に北朝第三代崇光天皇から分かれた伏見宮家の血を引いており、皇室とはあまりにも血が離れすぎているからという意見がある。だがこの認識は間違っている。伏見宮家をはじめ四親王家の当主たちは、代々天皇の猶子となった後、親王宣下を受け親王を称してきた。これの意味するところは大きい。既に形骸化していたとはいえ、律令の規定で親王と称する事ができたのは、あくまでも天皇の兄弟・子だけであり、確かに実系では十世以上離れてはいるが、親王である以上彼らはまぎれもなく「天皇の子」なのだ。
 伏見宮邦家親王(自身は第百十九代光格天皇猶子)の皇子である朝彦親王・能久親王の御兄弟は、共に第百二十代仁孝天皇の養子になっており、社会的関係に即してみてみると、旧皇族の現当主達は、「天皇四世の孫」となる。

 光格天皇┳仁孝天皇┳孝明天皇━明治天皇━大正天皇━昭和天皇━今上天皇┳皇太子徳仁親王
     ┃    ┃                        ┗秋篠宮文仁親王
     ┃    ┃
     ┃    ┃       ┏賀陽宮邦憲王━恆憲┳邦壽(直系は断絶)
     ┃    ┃       ┃         ┗章憲━正憲━男子二人
     ┃    ┃       ┃
     ┃    ┣久邇宮朝彦親王╋久邇宮邦彦王━朝融━○邦昭━朝尊
     ┃    ┃       ┃
     ┃    ┃       ┣朝香宮鳩彦王━孚彦━○誠彦━明彦
     ┃    ┃       ┃
     ┃    ┃       ┗東久邇宮稔彦王━盛厚┳○信彦━征彦
     ┃    ┃                  ┗眞彦━照彦━男子
     ┃    ┃
     ┃    ┗北白川宮能久親王━竹田宮恒久王━恒憲━○恆正━恒貴
     ┃
     ┗伏見宮邦家親王                            ○は直系の現当主


 このように置き換えてみれば、徳仁親王と実際に皇位継承の対象となるであろう現当主の孫世代とは、十二親等離れていることになる。相当離れているともいえるが、過去の親等の離れた継承を見ると前例がないわけではない。

 第二十五代武烈天皇から第二十六代継体天皇 →十親等
 第四十八代称徳天皇から第四十九代光仁天皇 →八親等
 第九十九代後亀山天皇から第百代後小松天皇 →十二親等
 第百一代称光天皇から第百二代後花園天皇  →八親等
 第百十八代後桃園天皇から第百十九代光格天皇→七親等

 過去の親等の離れた皇位継承を見た場合、前天皇の皇女・姉妹が新天皇の皇后として冊立された事例が目立つ。継体天皇は武列天皇の同母妹である手白香皇女を皇后に迎えており、光仁天皇皇后は称徳天皇の異母妹の井上内親王(のち廃后)、そして光格天皇の場合は、後桃園天皇の一粒種欣子内親王を皇后としている。
 前例に倣うなら、愛子内親王を皇后に迎えた男子皇族が皇位継承となるのだが、残念ながら、彼らは現時点であくまで旧皇族であって皇族ではない。皇籍復帰が成らないことにはいかんともしがたい。しかし彼らが皇族として受け入れられたとしても、践祚・即位ともなると一部に拒否反応が考えられる。そこで一番の落とし所として、愛子内親王(場合によっては眞子・佳子両内親王)と皇籍復帰した旧皇族男子との間に生まれた男子皇族が、徳仁親王の跡を受け皇位継承することと考える。
 愛子内親王と年齢がつりあいそうな旧皇族男子も、賀陽家に二人・東久邇家に一人、計三人いらっしゃる。父親を差し置いてという意見もあるだろうが、御父君が存命中でありながら践祚された天皇には、後堀河天皇・後花園天皇・光格天皇がいらっしゃる。

 又別の意見として、男系で旧皇族より血の近い、近衞信尋・一條昭良・鷹司輔平らの子孫(皇別摂家実系系図参照)も考慮に入れるべきとの声もあるが、彼らはあくまで臣下に養子に出た身であり、ほんの六十年前まで代々皇族であり続けた旧皇族達とは比べられない。もしもの時の第二候補くらいに考えたほうがいいと思われる。

 旧皇族達は、あくまで「皇籍離脱」しただけであって、断じて「臣籍降下」したわけではない。そもそも皇籍を離れたのも、占領という非常事態下において強制されたものであって、そこにはなんら正当性は認められない。彼らが皇族として表舞台に戻るのもなんら不自然なことではなく、本来あるべき姿に立ち戻るだけの話なのだ。


【平成十五年六月九日   開設】
【平成十七年二月二十三日 更新】

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