女帝について2


 このまま皇室典範を改正しなければ皇位継承者、ひいては天皇の存在自体が消滅してしまうのはまぎれもない事実。しかし、いくら改正したところで「女系天皇」以外の道は無いように思われる。だが実はもう一つ選択肢が存在する。それが昭和二十二年(一九四七)に「皇籍離脱」した「旧皇族」とその子孫たちの「皇籍復帰」なのだ。

 皇籍離脱した十一家の現状を簡単に説明すると、東伏見・山階・閑院の三家は既に断絶。残った八家のうち、伏見・北白川の両家当主には女子しかおらず現当主逝去に伴い断絶となる。梨本家は久邇宮多嘉王の皇子で伯爵となった徳彦氏が養子に入っている。賀陽家の場合直系は絶えているが傍系は存続。あとの四家、久邇・朝香・東久邇・竹田の現当主達には後嗣たる男子がおり、十一家中五家には男系男子の子孫がいらっしゃる。
 備考として、竹田・北白川・朝香・東久邇の四家には明治天皇の皇女が嫁いでいる。さらに東久邇家には昭和天皇皇女成子内親王が嫁ぎ、旧皇族中最も皇室と血縁的に近く、現当主の信彦氏は昭和天皇の初孫、今上天皇の甥になる。また久邇家は香淳皇后の実家にあたる。賀陽家にも貞明皇后の姪が嫁いでおり、女系を介してみると、五家ともに、皇室とは非常に近い血縁関係にある。

 それでは「旧皇族」の皇籍復帰、どれくらい現実味があるのか。まるっきり荒唐無稽な話でもなさそうだ。平成七年(一九九五)一月十五日付の読売新聞に、宮内庁は、皇籍離脱した旧宮家の子孫を皇籍復帰させる事を検討し、既に内部資料まで作成していると報道されている。その中ではすでに具体名まで挙がっているらしく、その筆頭に上げられているのが先述した東久邇信彦氏のご子息・征彦氏だとも報じられている。もっともこの記事の内容に関して宮内庁は否定しており、実際どの辺まで議論が進んでいたのかは定かではない。
 当然ながら彼らも戦前には皇位継承権を有していた。その継承順位は「嫡庶長幼(ちゃくしょちょうよう)」の順で決められていた。(「嫡(皇后・妃が生んだ子供)」は「庶(側室の生んだ子供)」に優先し、「長(兄)」は「幼(弟)」に優先すること)例えば側室の生んだ長男と、妃殿下の生んだ次男とでは、妃殿下の生んだ次男が優先される。具体的に皇籍離脱直前の十一宮家の継承順位を示すと、1伏見宮 2山階宮 3賀陽宮 4久邇宮 5梨本宮 6朝香宮 7東久邇宮 8北白川宮 9竹田宮 10閑院宮 11東伏見宮 の順番となる。これを現時点(平成十七年二月末日)で存続しており、なおかつ継嗣である男子に恵まれている家のみに当てはめてみると、1賀陽 2久邇 3朝香 4東久邇 5竹田 の順番になる。

 二千六百年にわたり「男系」のみによる継承を可能とした理由には、大きく二つの要因があった。一つは世襲親王家など傍系皇族、そしてもう一つが「側室」の存在である。皇后が男子を出産するか否かは幸運と偶然に頼るしかなく、事実歴代天皇の約半数が側室を生母としている。だが今の時代、側室の復活は、世論の反発も考えられ難しい。(この場合、嫡出子だけでなく庶子にも皇位継承権を認めるように皇室典範を改正すればよいだけと考える)
 一夫一妻制のもとで「男系」を保とうとするならば、より多くの宮家が必要となるわけだが、現実を見ればそれとは逆の方向にむかっている。皇位継承者確保のために、御成婚された内親王による「女性宮家」を創設しようという声もあるが、女帝同様配偶者をどこから迎えるのかという問題があり、解決策にはなりえない。

 もし皇籍復帰が実現するとなれば、そこには様々な問題が生じることが考えられる。皇族に戻る事によって様々な義務・制約が課せられるためだ。なお、この件に関して最近の産経新聞の報道によると、旧皇族の中にも皇籍復帰に関して前向きに考えておられる方が相当数いらっしゃるとの事。
 また復帰対象は長男の系統のみに限定するのか、次男・三男らの系統も視野に入れるのか。(将来のことを考えれば、できるだけ多くの宮家が存在するのが望ましいのは言うまでもない。)
 大半の国民が旧皇族の存在すら知らないと思われる中、彼らの皇籍復帰はどのように受け止めらられるのだろうか。彼らが内親王・女王と結婚した場合、多くのマスコミが、政略結婚だと非難する可能性も考えられる。乗り越えるべき障壁は多いが、一番の問題は、「皇統」が「男系」によってのみ継承されてきたと言う事実を省みない、というよりも全く知らないと思われる国民の存在だろう。更なる啓蒙活動が望まれる。


【平成十五年六月九日   開設】
【平成十七年二月二十三日 更新】

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