[行市山(滋賀)] |
平成23年11月13日(日) | メンバー.4名 | |
11/13(日)曇り時々時雨 余呉町新堂・毛受兄弟墓P(9:10) 大池山(9:30) 林谷山砦跡(9:35) 標高350m地点引返す(10:00) 毛受兄弟墓P(10:20)彦根市佐和山城跡案内所(龍潭寺)P(13:00) 本丸跡(13:30) 龍潭寺P(14:20) |
|||
![]() |
![]() |
||
行市山登山口 |
行市山案内図 |
||
湖北地方は「江・姫たちの戦国」ゆかりの史跡があちこちにある。姉川・小谷山・賤ケ岳・行市山・佐和山・関ヶ原?と枚挙にいとまがない。今回は柴田勝家と羽柴秀吉の合戦で毛受(メンジュ)兄弟が柴田軍の越前への退去を助けるため壊滅的な戦いをしたと言う行市山周辺を歩く。 遺跡のある登山口から50分ほど登った所で雨が降り出し引返す。この季節濡れることは年寄りにはダメージが大きい。毛受兄弟のような決死の覚悟はさらさら無いのである。 相談の結果、弱い冬型気象なら南の方は大丈夫だろうと、彦根の佐和山城跡に行くことにする。佐和山下のグランドで昼食を取っていると、又々時雨れてきた。それでも案内所で説明を受け、チョットそこまでのつもりで傘をさして、空身で行くことにする。雨はまもなく止んだが、コースは思いのほかハードであった。佐和山は初めから計画するほどの山では無いが、今回のハイキングは思わぬヒットであった。 佐和山城は数々の合戦の歴史を刻む古城で、最後の城主は石田三成である。関ヶ原に敗れ、三成の父・兄の守備は堅かったものの、兵力の違いは遺憾ともしがたく落城。徳川時代に入り彦根山へ移築し、歴史の中にのみ生きる城となったのである。 本丸跡から彦根市街の展望が素晴らしく南の方は良く晴れている。彦根城から琵琶湖も良い眺めである。カエデが多かったのだが紅葉には一寸早かった。麓の名刹「龍潭寺」の拝観など又のチャンスの宿題にして、早々と帰途に就く。 |
|||
![]() |
|||
佐和山から彦根駅 |
|