朝、五時半過ぎ自宅を出発。
山陽道、瀬戸中央道、高松道、高知道を経て南国IC下車。一路、光石へと向かう。
ここへ足を向けるのはかなり久しぶりなので目にする風景にやや戸惑いながらも、土佐山田まで来ると、これまでに見た風景が広がり、あとは一本道を大栃へ。
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大栃からは上韮生川に沿って遡り、狭くなった道を進み、民家が終わったらヘアピンカーブを何度も繰り返し、ようやく光石駐車場着。
登山口に至近の駐車場はほぼ満車。
登山口のかぶりつきに駐車し、少しの腹ごしらえのあと支度したら歩き出す。
今回の山行の目的は昨今、ニホンジカによる食害がひどいとされるさおりが原を自身の目で見ることと、ちょうど二年前の連休に山頂ヒュッテで同宿し仲よくしてもらった高知在住のSさん親子と、同じ山頂ヒュッテで再会することの二つ。 |
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彼らの車は駐車場に駐車してあり、きっと事前の打ち合わせ通り予定のルートを歩いているに違いない。
同じルートを歩くことで、それまでに出会えればそれはそれで行動を共にすればいいし、もし出会えなくてもヒュッテで会えるはずだ。
このあと堂床野営場をみて長笹谷に架かる橋を渡る。
この橋、かつては立派な鉄の橋だったのに、いまは仮設ともいえる丸太を利用したものに架け替えられていた。
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近年の水害によって流されてしまったようだが、あんなに立派な橋が流されてしまうとは自然の脅威を思い知らされる。
さおりが原へのルートは尾根筋の急登で始まる。
大きなジグザグを切りながら針葉樹帯をしばらく歩くと、傾斜が緩くなるとともに植生が変わり広葉樹帯となる。
トラバース気味にしばらく進むと、やがてそこへの入り口のしるしの小さなガレ場に出くわす。
短く下ればさおりが原のはずだったが・・・、目の前に現れたのはこれまでとはくらべものにならない、目を覆いたくなるばかりの光景のさおりが原だった。
林床にはたくさんの野草が茂り、溢れんばかりの緑に包まれた印象だったのに、地面が丸見えで何だか工事現場にでも来てしまったかのようだ。
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きれいになったのは標識ばかりで、辺りの風景はというと「あのさおりが原はどこへ行ってしまったのか?」と思わせるほど一変してしまった。
空を見上げれば何とか過去の光景を想像できなくもなかったが、それにしても哀しすぎる現状がそこには広がっていた。
さおりが原はどこへ行ってしまうのか・・・
『森の巨人たち』の大樹上部でSさん親子に追いついた。
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予定よりずいぶん早い再会となったが、時間的に余裕もあるので、これからは彼らとともに歩く。
この後、カヤハゲに向かい歩くようになってもササの被害は深刻さを増すばかりで、そのお陰か尾根上からの展望はそれなりに利くようになり周りが見渡せるのはいいのだが、これまでは見えなかった景観が見えるからか何だか初めてのルートを歩いているようで変な感覚だった。
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「こんなに見えたかな〜?」
尾根上を歩くようになるとササが枯れてしまったせいで標高の低い地点からでも白髪山や三嶺が見えてしまい、また、時折施されているシカよけネットを目にすると、その都度複雑な気分にさせられる。
今朝ほど見たばかりの長笹谷の仮設橋は、確かここから見えるフスベ谷上流の大規模土石流が発生した際の水害によるもので、その大きな爪あとも痛々しい。
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カヤハゲ直下のルートは、かつては灌木を縫って歩いたはずなのに、遠景の次郎笈はもちろんよく見え、その南に位置する大きな露岩でさえ、その存在がこちらからでも丸分かりになるほど木々は枯れてしまっていた。
着いたカヤハゲ山頂にササはなく、わずかにホンの短い下草が生えているだけで、まるでハゲ山のようだ。
三嶺山頂方面を見れば山頂部はこれまでどおり緑のさササに覆われた姿を見せてくれるが、反対の白髪方面はササ枯れの様子がひどく、白い部分が目立っているのも哀しいばかり。 |
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山頂直下、大岩を過ぎると真新しい人工物が目の前に現れた。
テキサスゲートと呼ばれるシカを侵入させない為の小さな歩道橋のような橋だ。
足元が小さなハシゴ状になっているので四足のシカは侵入できず、ここで退散!ってところかな・・・。
登山路部分はこのゲートを施工し、他の部分はすべて保護ネットでぐるりと囲い山頂部のササをシカの食害から守ろうというものらしい。
ここまで徹底してやらないと現状から抜け出せないことを考えると、食害がかなり深刻であることが解る気がして、何とかこの策がシカの被害をくい止める策になることを願うしか仕方ない。
(シカに罪はないんですけどね〜) |
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同行していた5年生のお兄ちゃんと山頂で佇むと、やがて1年生の弟君の声が聞こえてきた。
お父さん曰く、
「ちょっと反抗期なのか、あまりしゃべらないんですよ。」
のお兄ちゃんに対し、
「しゃべってないと、死ぬらしいです。」
の弟君。
「元気があればぁ、何でもできるっ!!」A・猪○風に
元気で快活、子供はこうでなきゃ・・・。
西側にややガスがあるものの山頂からの光景はいつもの通り素晴らしい。
ただ、ここまでにいろんな想いを持ちながら来ただけに、目の前の景色はこれまでとは少し違うようにも見えた。
このあと向かった山頂小屋の様子はこれまでと変わりなく、少しホッとした。
何とか一階に四人分の場所を確保したら、お兄ちゃんと水取りに出掛ける。
名頃への登山道をしばらく下ると、こちらにも例のテキサスゲートが設置してあった。
(西熊山への縦走路にも設置してあったので、おそらく、奥祖谷・いやしの温泉郷方面への登山路にも設置されているだろう)
夕方からガスが沸き夕景は多くは望めなかったが、それでも一人、山頂でねばってみた。
残念ながらガスは晴れることなく、日没時間後しばらくして小屋へと戻り夕食とした。
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それにしても今日の小屋は、知っている限りこれまでで最多といっていいほどの宿泊者で、すごい賑わいようだ。
大勢の人の熱気のお陰で寒さは感じられず、防寒着めいたものは朝まで不要だった。
夜中に小屋の外へ出てみると、空はすっかり晴れ渡り満天の星空が広がっていた。
去年、穂高・白出乗越で見たときも素晴らしかったが、ここは人家の明かりがほとんど見えなかったり、空が180度以上に渡り見えたりと地形的にそこよりも勝るところが大きく、星の見え方だけに関してはむしろこちらのほうがさらに素晴らしい。
これぞまさしく星の数ほどの無数の星が煌めいていた。
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日の出の頃は快晴だった。
これを良いことに山頂付近で長居してしまい、八時前小屋に戻ってみると、そこはすっかりもぬけの殻。
二階の三人が居られただけで、一階には自分の道具だけが雑然と残されていた。
西熊山への縦走路は素晴らしいのひとことだ。
振り向けば次第に遠ざかる凛々しい三嶺がそこにあり、辺りには見事なシコクザサの草原状の山容が広がる。
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これぞ稜線漫歩。この景観はいつまでも残しておきたいものだ。
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西熊山で先行のSさん親子と合流。
山頂から少し下がったお亀ヒュッテで昼食を兼ねたブレイク。
中をのぞくと、この小屋はこの小屋で山頂ヒュッテにも勝るほどの素晴らしい小屋であることを感じさせる。
小屋内部の南側が屋根裏まで吹き抜けになっているのが特徴だ。
南面に付けられたいくつかの大きな窓から太陽の光が小屋全体に入り込み、明るくて気持ちいい。
屋根までも十分な高さがあるのでせま苦しさは全くなく、宿泊人数さえそれなりなら、ここほど快適な小屋はないかもしれない。
カンカケ谷源頭に立つヒュッテ付近は紅葉がほぼ見頃で、ヒュッテの赤屋根と空の碧さ、山肌の色彩とが見事なコントラストを描いていた。
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お亀ヒュッテの下方の水場で土産の水を取ったばかりに、背中のザックがずいぶん重くなり、このあとしばらく続く急な下降に両肩が悲鳴を上げる。
このカンカケ谷はかつて(あ)とともに登ったことがあるが、「こんな急な所をよく登ったものだ。」と思わせるくらい急な登山路に感じながら、今、目の前を一緒に下っているお兄ちゃんが(あ)に見えたりする瞬間もあり、いろんな想いを交錯させながら下って行った。
心配の種だった渡渉点は難なく越せたが、むしろその後の本流・右岸の歩きのほうが気を遣った。
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やがて”ワサビ田”があるはずと思いきや、すっかり過去のものとなってしまっていて、無残に残されたネットと石垣が、その名残をわずかに見せるだけで、ここでも山の荒れようを見たような気がした。
樹間から三嶺山頂を望んだら八丁は間もなく。
ヒュッテ付近で待つこと40分。ここでも元気な声が山のほうから聞こえてきた。
やや心配していたが、そんなことは無用なほど元気な姿で二人、到着した。
あとは遊歩道を堂床、木戸の河原へと下り、最後にしばらく登り返したら駐車場に到着して無事、今回のSさん親子との再会山行を終えた。
さおりが原をはじめ三嶺界隈のシカによる食害を目の当たりし、少なからずショックを受けたのは事実だが、保存会の方々の努力が実を結び、これまでに見たとおりの三嶺がよみがえり、その姿が末永く遺されることを願ってやまない。
備前インター手前であった事故の影響でやや遅れたものの、二〇時過ぎ、無事帰宅した。 |
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