伯耆大山・三鈷峰
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三鈷峰より象ヶ鼻、天狗ヶ峰方面を見る(ケルンの右にユートピア避難小屋)
◆【山行日時】 2007年11月3〜4日  晴れのちくもり(3日)、ガスのちくもり(4日)




パタゴニア


◆【画像と概要】

鍵掛峠で一夜を明かし、あろうことかバッテリー切れとなってしまったカメラのそれを買うため溝口まで一度下山しがてら、知り合いのペンションにお邪魔したあと、再度健康の森に戻ったのは10時頃だった。

さいわい、桝水方面からの車列はまだそう多くなく普段通りで走って来れた環状道路だったが、一方の奥大山方面からの車列はそれとは比べ物にならないほど連なっており、車を停めるのに一苦労する。

結局、健康の森入り口の直近の駐車場に停めることはあきらめ、もうひとつ下の道路脇の小さな路側帯のようなところの一番端の小さなスペースに駐車した。

こうすれば夜、ポツンと一台だけになってしまっても翌日の駐車車両に迷惑をかけることがないので、ある意味安心だ。
健康の森の黄葉
準備したら10時半前、歩き出す。

朝の冷え込みはそうひどくなく、上着は着ずにTシャツ一枚でもちょうどいいくらい。健康の森の黄葉は今がちょうど見頃のようで気持ちよく歩く。

しばらく歩くと文殊堂からの道と合流。

ここからはトラバース気味に鳥越峠へと向かう。

急坂を登り詰めるようになると峠に着く。





駒鳥小屋鳥越峠

















このコースの唯一ともいえる難点は、ここから駒鳥小屋まで標高差にして200メートルほど一度下らないといけないこと。

峠直下で短く急降下したら、しばらくトラバース気味に緩やかに下り、やがてもう一度、小さな谷をしばらく急降下すると小屋の裏手に出る。

小屋前を通過し、地獄谷の河原への下降は慎重に。

振子沢のブナ河原で憩う人たち

















ロープの手も借りそこに降り立つと、まず広い河原や水量に驚かされる。

誰もこれだけ歩いてきたところにこんな場所があるとは思っても見ないからだ。

山側を見上げれば槍尾根や天を指す槍ヶ峰が望め、北壁や南壁以上にアルペン的な景観を目にすることができるので、ここが優美な姿を見せる伯耆富士とも称される大山の只中であることを感じることはない。

大小の岩が散在する広い河原を少しばかり上流へ向かうと振子沢出合。

ちょうど昼時だったが今宵、小屋での就寝場所が確保できるかどうかの心配が頭から離れなかったので、ここでも昼食はとらず短く休んだら先を急ぐ。

本沢と比べれば振子沢はずいぶんか細く、沢の水量も少ない。涸れないうちに早めに水を補充したら、出合で先行した地獄谷からの二人を追うように歩き出す。

残雪期に来たことのある振子沢だが雪のない時期は初めてのことだったので、これまでは沢底の様子を知らなかった。

実際に目の当たりすると、踏み跡はしっかりとあるものの予想外に岩が多く、おまけに乾き切っていないものやコケのへばりついているものも多いのでスリップしやすく足元に注意しながら歩かなければならない。

やがて先行の二人に追いつき、大山はまったく初めてとのことだったのでこちらが先行して歩く。

振子沢上部を見上げる背後に烏ヶ山を望みながら振子沢を行く
















振り向けば烏ヶ山と蒜山方面の山々振子沢と奥に槍尾根















見事なブナの樹の黄葉や側壁の草もみじを見ながら細い谷を登高し、背後に烏ヶ山や蒜山方面が望めるようになると前方上部には象ヶ鼻付近の稜線を歩く人たちを確認することもできるようになり、振子沢の全容を見上げれる箇所までもう少し。

ナナカマドを見ると沢を離れ、象ヶ鼻から振子山へと続く稜線へ向け急登。ダイセンキャラボクを見るようになると草付きに出て、間もなく鉄柱に出合う。尾根上の鉄柱と象ヶ鼻

振子沢出合付近から見上げた際には上空には青空も顔をのぞかせていたものの、この時間には天狗ヶ峰付近の主稜線にはガスがかかり始め眺望は得られなかった。

見上げれば、象ヶ鼻に数人の人。
「どうか泊まりでなければいいが・・・。」

勝手なことを考えながら悲鳴を上げる足を引きずるように登高する。

象ヶ鼻に到着し彼らのザックを目にしてひと安心。持っているのは小さなものだった。

象ヶ鼻から小屋までは、目と鼻の先。
ユートピア避難小屋と三鈷峰
ガラ、ガラ、ガラ〜。

小屋に入ると、
「セ〜フ。」

中にいたのは二人だった。おまけにそのうち一人の人は日帰りの人だったので、結果的にはこの時点で泊まりは二人だった。

後行の二人も泊まりだから
「4人なら充分なスペースが確保できる。」

13時30分過ぎだった。ここでようやく安心して遅めの昼食をとった。

「これで天気がよければ言うことはなかったんだが・・・。」

後行の二人もやがて到着。彼らは早々に夕食の準備をし始め、小さな小屋内にはいい匂いが漂う。

外はというと相対にガスっていて眺望は利きそうになかったので、本来はこの時間帯に明日の朝の下見に行くつもりにしていたがそれはキャンセルし、とりあえず三鈷峰山頂にだけは足を向ける。

山頂直下に西壁側が崩れているところがあるが、ロープもあり以前よりもずいぶん危険度は低く、難なく来れた。

山頂に居るしばらくの間にも、不気味な音をたて崩れる岩音を何度か聞いた。

終始、思ったような眺望は得られず、剣ヶ峰や弥山方面の主稜線や北壁は一度も見ることはできなかった。
ユートピア小屋内部
小屋に戻ると若い夫婦が到着。奥に陣取っていた場所を彼らに譲り、こちらは上がり框(かまち)のような上がり口のわずかな部分を寝床とする。

この場所の不安は、奥行き(幅)が狭いのは仕方ないにしても、すぐ下が土間で夜になると少々冷えそうなところ。

しかし、この心配は真っ暗になった17時30分頃、大休峠方面から到着したご夫婦により解消された。

場所的には大変気の毒だったが、この土間を彼らの寝床としてもらったおかげで、前室にも人が3人居ることとなり、ずいぶん暖かく感じられるようになった。

夕食後、このご夫婦や一番に到着していた若い彼、一緒に振子沢を上がってきたおじさん達と歓談するうち夜は更けた。

そんな時、真っ暗闇のガスの中、小用を足しているとヘッドランプの明かりが上部よりこちらに近づいてくるではないか。時刻は19時頃だっただろうか。

「こんな遅い時間に小屋に到着とは、何とも不謹慎なヤツがいるものだ。」

テントの持ち合わせはないらしく小屋内にはすでに寝床となるスペースはないので、どうしたものかと思ったのもつかの間。

「自衛隊だから大丈夫です。」
平気な顔でこう述べた。米子駐屯地の隊員らしい。

登山口を16時に出発。駒鳥で日が暮れ暗闇の中、振子沢を上がってきたというのだから閉口もの。彼らにとっては日々の訓練の一環のような口ぶりだったが、普通の人間からすれば考えられない自殺行為とも映る。

月は出ていないので真っ暗闇の中だからなおさらだ。

結果的に、彼ら二人は土間のさらにもうひとつ前室的な小さな場所で、腰を下ろし膝を曲げただけの格好で夜を過ごしたようだ。
振子山付近のダイセンキャラボク
あんな時間に到着するのは決して褒められた行為ではないと思うが、それなりの自覚を持っての行為なのでよしとしよう。

こんな自殺行為的なことを平気な顔をしてやってしまう二人も、いざ話をしてみるといい青年で、その後、玄関先ともいえる小さな土間でしばらくいろんな話をしたあと、それぞれの小さな床に就いた。

夜中に目覚め外に出ても、ガスのせいで展望は得られなかった。



朝になるとガスはさらにひどくなり、すっかり雲の中の様相だった。

それでも夜明け30分ほど前には小屋を抜け出し、6時前に目的の場所に向かう。

予定通り、日の出の時間までにそこに着くことはできたが、肝心のお陽さまが顔を出してくれないのが予定外。

記念の写真を数枚撮ったにとどまり、本来撮りたかったアングルのものは一枚も撮れないまま、ここを後にした。

小屋に戻る際もガスで何も見えず、下山にかかっても同様の景色ばかりだった。

振子沢の下降は沢筋に下りるまでの急降下はもちろん、傾斜の緩んだ沢沿いも登り以上に注意を要した。

振子沢出合の道標ナナカマド















振子沢を出て本沢の河原で一休み。

見覚えのある二人連れと思いきや、自衛隊の彼ら。ずいぶんのんびりしてると思ったら、天狗ヶ峰まで往復してから振子沢を下って来たというので納得。

悪天ながら鳥越峠からキリン峠方面も面白いよ、と推薦すると、下山して駐車場で帰り支度をしているところに彼らが下山。話したルートの槍尾根の鉄柱下まで行って来たらしい。

さすが自衛隊!彼らの行動力には感服させられた。

はっきり云って天候に恵まれずこれといった収穫のない山行だったが、久し振りに小屋に泊まりしたことで見ず知らずの人との会話も弾み、大山を楽しめた山行となった。


最後に、小屋で話した鳥取大医学部のMくん、学業も山行も陰ながら応援してるよ。
(2011年秋現在、彼は将来のさらなる野望に向け、遠く北海道稚内市民病院にて日々研修医として腕を磨いています)


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