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「キタカマ」と言えば、槍ヶ岳から北に派生する尾根で、槍ヶ岳北鎌尾根の略称である事くらいは、卑しくとも登山を志す岳人にとっては常識であろう。 私が生まれたのが1948年1月、翌年の1月「風雪のビバーク」で知られる松涛明の壮絶な遭難によって一躍有名となった所でもある。 遠くからでもすぐそれと判るピラミダルな山容の槍ヶ岳は、四方に尾根と沢を伸ばしている。尾根は東西南北に、東鎌・西鎌・槍穂高・北鎌の四稜、沢は東南に槍沢、南西に飛騨沢、北西に千丈沢、北東に天上沢の四沢である。 今春のFAC例会山行である北鎌尾根縦走は、槍沢を大曲まで遡り、東鎌の水俣乗越しを越え、天上沢を北鎌沢出合まで降り、北鎌沢右俣を詰め尾根に上がるルートと決まった。 |
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私個人の目標である「クラッシックなアルパインルートを自分の足で登る」と言うもので、北アルプス三大岩稜の中で、剣岳八つ峰・前穂高北尾根に続き三番目となる岩稜である。 しかも季節は残雪期、自分にはまだ無理なのではと感じていましたが、二度と無いチャンス、参加することを決心した。 勿論、アイゼンやボッカ訓練を兼ねて大山槍尾根縦走、氷ノ山流れ尾、わさび谷等の山行を重ね、十分な準備を行い当日を迎えた。はたして完登出来るのであろうか。 いつもの草津SAで待ち合わせ出発。GWのためか名神高速は渋滞気味。飛騨高山を経て平湯温泉アカンダナ駐車場に着いたのが4時前、暫し車で仮眠。 |
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第一日目 快晴無風、明るくなった頃上高地へ向け出発。30分程でバスは上高地バスターミナルに到着、軽く食事を摂り準備を整え出発。何時来ても賑やかな所であるが、例年になく残雪が多く上高地でさえそこかしこに堆く残雪が見られる。 吉則さんは上高地が初めてとのこと、有名な「カッパ橋」に立ち寄り観光客に混じり岳沢をバックに記念撮影。 通い慣れた道を横尾までゆっくりペースで歩く。横尾からは涸沢に向かう登山者と別れ槍沢に沿って進む。 槍見河原では少しだけ穂先が見えた。 残雪を踏んで尚も進むと一ノ俣に着く、以前は一ノ沢を詰めて常念までの登山道があったが現在は荒れ果てて一般登山道としては通行止めとなっている。 尚も槍沢を詰め二ノ俣を渡る、登山道は次第に沢から離れ傾斜も増してくると林の中の槍沢ロッジに到着、およそ6時間そろそろ疲れが出てくる頃、 ここで少し長めの休憩をし最期の登りに備える。 |
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広かった槍沢もここまで来ると両山際が立ってくる。氷河期の名残を留めるU字谷特有の地形の中を進む。
天気は雲一つ無い快晴、旧槍沢ロッジ跡の高台には色とりどりのテントが張ってある。 その横を抜け大曲に差し掛かる。東鎌尾根を眺めると2~3人の登山者が水俣乗越しを目指し急な斜面を登っているのが確認出来る。 我々も大曲に到着したが予定より遅れている。これより水俣乗越しを越えるには少し時間が遅く、気温の上がった腐った雪の急斜面は、 思った以上に時間が掛かる事と、一段上がった台地にテントを張れる場所もあり第一日目は予定より早く行動を打ち切る。 夕食は焼き肉どんぶりにワカメのスープ。午後6時過ぎ就寝。 |
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第二日目3時半起床。快晴無風、5時出発。 朝の冷え込みにより雪面は堅く締まりアイゼンが小気味よく雪面を捕らえ、快適に登ることが出来た。 1時間半で東鎌尾根水俣乗越しに上がる。稜線上からは今回初めて北鎌尾根がその姿を現す。 真っ青な空にクッキリと描く鋸歯状のスカイライン、雪を纏ったその岩尾根に初めて対峙し、これから始まる戦いに身震いを覚える。 降りは一気に谷底へ向けて駆け降る。折角稼いだ高度を一気に吐き出すのだ。勿体ないが尚も降り北鎌沢出合に到着。 初めて見る北鎌沢は白い一本の帯を稜線から垂らしたようで上部ほど切り立っている。先行者の姿が中程に豆粒ほどの大きさの黒い点として見える。 |
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我々も稜線に向けて一歩を踏み出す。 出来るだけ重量を切り詰め、食料を含め16kg程にしたのだが、水と共同装備が加わり18kgを越えてるようだ。 一歩一歩登るがみんなより遅れてしまう。さらに傾斜が加わり足を持ち上げるスピードが鈍くなる。 これ以上遅れると計画が大きく狂い、ひいてはパーティの安全にも重大な影響を及ぼすことになると思い、自分だけここから戻ろうと提案したが却下、 共同装備を抜いてもらい軽くなったザックで稜線を目指すこととなる。 私としては屈辱的な事だがどうすることも出来ない歯がゆさで一杯。 |
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ただ足許だけを見つめひたすら登ることに専念するしかない。 傾斜もますます急になり、休む場所さえままにならない状態が続く。さしもの急登も終わりに近づき、あと少しで稜線という所まで来た。 歯を食いしばり稜線まで登りきったと思ったその先には、もう一段上に本物のコルが斜面の先に続いていた。これには流石にガックリ。 トップを行く一典さんも同じ気持ちだったのではないかと感じた。ここから義晴CLと吉則さんがトップになり、気温の上昇でザラメ状になった雪壁を登り切り北鎌のコルから一段上がった尾根に予定時間を大幅に過ぎて到着。 コルを隔てたピーク6には湯俣から登ってきているパーティの姿も見える。天上沢を隔てた東側には、燕岳から大天井岳へと続く表銀座の稜線が目線と同じ高さで連なり、西側には硫黄尾根と裏銀座の山々が大パノラマとなって遙か遠くまで見通せる。苦労して登ってきたご褒美だろう、又と無い天候と景色に我を忘れて見とれてしまった。 |
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ただ休むだけでは行動不能に陥ってしまうので行動食を食べようとするが、緊張と疲労のためか喉を通らない。無理矢理に口に詰め込み水で流し込む。栄養の補給と水分の補給で少し落ち着きを取り戻せたようだ。 見上げれば遙か高みにピークが幾重にも聳え立つ。登るにせよ戻るにせよ此処まで来たからにはもう後戻りは出来ない。 最低限あのピークまでは行かなくてはならないとCLからのお達しに、只頑張るしかないと言い聞かせる、何故なら明日一日で槍の頂上まで行けなくなるからである。 ハーネスを装着しヘルメットを被り覚悟を決め行動に移る。確かに急な斜面だが先ほどまでとは違い苦しくとも15分もすればピークに登り着く。 後はこれの繰り返し、どんどん高度が上がる。そして遂に天狗の腰掛けと呼ばれているP9(2749m)に到着。 |
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遠くから北鎌尾根を眺めたとき、槍の穂先から北へ順次高度を下げ、中程で独立標高点(独標)を持ち上げ、更に北へ頂きを連ねその後切れ落ちるように高度が下がる姿が特徴であるが、その最後のピークがP9である。 正に天上に設えた展望の頂、広さは10mほどの円形既にテントが2張、独標まで行ければ良いのだろうが、独標までの雪の状態と時間を考えると今日はここで行動を打ち切るとCLの判断。 続々と後続のパーティが登ってくる、グズグズしていては良いサイトを占領されるので早速テント設営に取り掛かる。風もなく穏やかな日差しに包まれ北アルプスの稜線にいるとは思えない。 夕食は五目飯にコンニャク海草サラダとスープ。午後6時過ぎ就寝。夕闇が迫る頃から風が吹き出し天候悪化の兆しか、だが見上げる空には星が瞬き月も昇っている。 後一日だけでも持ってくれと祈るような気持ちでシラフに潜り込むが中々寝付けない。 疲れているはずなのに何故だろう。 |
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第三日目3時半起床、晴れ風強し、5時出発。 昨夜は何故か寝ていないような感じでまだ少し眠たい。 女性陣から栄養補給にと「アリナミン」を貰い飲んでみた、今日中にナンとしてでも槍の頂上を越えなければならない。気持ちを引き締め幾分か軽くなったザックを背負い独標へ向け出発。 昨日までと違い風が吹き更に緊張して岩峰を登ったり降ったりしながら独標取り付きまで来た。いよいよ核心部に突入。 SL慎吾さんトップでワンピッチザイルを伸ばす。後続はザイルにタイブロックをセットしルンゼ状の雪壁を攀じ登る。 朝も早いので雪は締まってアイゼンもよく効いているようだ。 |
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出口の這い松を掴み稜線に上がる。下を覗くと後続のひろみさんが上がってきている、こんな場面を是非とも写真に納めなければと思い微妙な体勢でシャッターを押す。 次は岩と雪の混じったミックス岩稜を登る、グレードは私が登れる位の3級-か。上を見上げれば更に続く雪壁、岩と岩の間を抜け広い雪原にでる。傾斜も落ち丸い山頂に到着、ここがP10独標(2899m)の頂上。 今まで見えなかった槍の穂先が更に続く稜線の先に遂にその姿を現す。子槍孫槍を従えた円錐形の三千メートル峰槍ヶ岳。 ここからしか見ることの出来ないその素晴らしい姿に暫し疲れを忘れ、苦しくとも登ってきた甲斐があったと思える瞬間である。 ザックを下ろし暫し休憩。記念の写真を撮る。携帯を取り出し待ち受け画面用に一枚写す、残念ながらアンテナは圏外で通話不能。まだまだ槍の穂先は遙か彼方、先を急ぐ。 |
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P12(?)のピークは千丈沢側を巻いて降る、前向きでは降れないような傾斜が遙か下まで続いてる。 岩壁に沿って後ろ向きでしっかりとピッケルを打ち込みアイゼンの前爪を蹴りこみ一歩一歩慎重に降る。 15m程降ると今度は岩峰を回り込むようにトラバースし稜線に戻るのだが、この間ザイルの確保無しで一番緊張した箇所であった。 次々と岩峰を越え進む。段々と槍の穂先に近づいて来た、P15は広い頂、最期の休憩を取り槍の穂先へ向け進む。 先行者のトレースを追いグングン高度が上がる、いよいよ頂上直下のチムニーが近づき、最期の2ピッチはザイルをフィックスして登る手筈であったがまだザイルは出てこない。 岩場の登りは3級程度の岩登り、しっかりしたホールドが多く緊張するが少しずつ身体を持ち上げ岩壁を東に回り込んだ所でザイルがフィックスされていた。 タイブロックをセットし凹角状の雪壁を抜けるとすぐ上に仲間が見えた。 |
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「頂上やで」と言う声にタイブロックを外し一登りで頂上の社のすぐ横に飛び出した。「えっ」という感じで最期の登りを終え穂先に到着。 ときは11時15分。 いつもそうだが、バリエーションを登り終えた時感じるのは、「やったー」と言うより「やっと終わった」と言うものであるのだが、今回もやはり同じ感覚であった。 多くのギャラリーによる拍手は無かったが、静かな山頂に全員が揃いガッチリと握手を交わす。 CLの義晴さん、SLの慎吾さん、本当に有り難うございます、同行の皆さんには色々とご心配を掛け申し訳ありませんでした。 遂に私も北鎌を登れました、しかも5月の残雪期に。 記念撮影を済ませば長居は無用、最期の降りにも最善の注意を払い穂先の岩場を降る。 梯子や鎖が設置されてはいるが、この降りの方が難しいのではと思うほどのルートを降り、やっとの事で槍ヶ岳山荘前に到着。 |
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思ったより早く頂上を抜けられたので、今日中に降りることとなり、少し長めの休憩を取り一気に飛騨沢を降る。 途中尻セードで斜面を楽しく降る。 槍平小屋で残りの食料を食べ、長い長い飛騨沢を一目散に駆け降る。滝谷出合、白出沢出合を過ぎ沢に沿って尚も降るが遂に踏み跡も無くなる。 堰堤をよじ登ったり、小沢を渡ったりを繰り返すが新穂高への林道に出ない。最期は斜面を登りやとのことで林道に出た。 日も沈み暗くなった林道を、ヘッデンを灯し淡々と降る。一度穂高平小屋で休憩しただけで新穂高目指し歩き続ける。 やっとの事でロープウエイ駅が見えバスターミナルに午後9時過ぎ到着。実働14時間長い一日が終わった。 タクシーでアカンダナ駐車場まで戻り、高山ラーメンでお腹を満たし、栃尾の露天風呂で汗を流し、広場にテントを張り就寝。 |
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第四日目 明るくなり起床、快晴。 露天風呂に入り平湯経由で往路を戻り加古川帰着解散。 今回の山行は、念願でもあった三大岩稜の北鎌尾根を歩くことができ大変印象に残る山行となりました。 反省点は多々在りますが今後の山行に生かしたいと思います。 チャンスを与えて頂きましたCLの義晴さん、余分に荷物を持って頂いた慎吾さん、本当にお世話になりました。 そして何かとご心配をお掛けいたしました同行の皆さん有り難うございました。 今後も、やり残した事や新しい目標にも挑戦したいと願っています、是非又一緒に行きましょう、憧れを求めて。 |
参加者 CL:義晴、SL慎吾、吉則、明宏、一典、ひろみ、武子、雲水 計8名 |