六部定位との出会いと別れ

更新日:2025/09/05

著者:山崎 治

兵庫県神戸市須磨区稲葉町5-3-20

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もくじ

  • 1,六部定位との出会いと別れ
  • 2,私の選経の方法
  • 3,私の選穴の方法
  • 4,施術の具体的な方法との出会い
  • 5,私の手技は補法だけ
  • 6,補法だけしかしない
  • 7,寸口脈だけで
  • 8,目標とすべき、寸口脈

1,六部定位との出会いと別れ

1979年4月、はり師免許を取得しました。

さっそく、はりの勉強会に参加させていただきました。実技の基本として「六部定位」を教わりました。そのころは、個人的には、数冊のテキストを購入して、最初の原文には触れることもなく、最後の解説の部分だけを適当に読んでいました。しだいに難経のどこかに、「六部定位」について書かれているものだと、思い込むようになりました。

1992年の春。「難経の原文を読み合わせしませんか」と誘われました。

このときから、現在まで、皆さんと、難経の原文の読み合わせを繰り返し続けてきています。続けるうちに、いくつか疑問がわいてきましたし、その疑問を自分なりにではありますが解決することもできてきました。私なりに一文字一文字、丁寧に確認しながら読み合わせをしてきたつもりです。六部定位が、どこにも存在しないことも確認することができました。「六部定位は、どこにも、ありませんでしたね」と、私がいったとき「昭和のはじめに考案されたのだから、書いてないのは、あたりまえですよ」と、いわれたことがなつかしいです。私の思い込みが、修正されたことに、はじめて気がつきました。

2,私の選経の方法

1993年春に参加させていただいた勉強会。実技の時間に、3菽や15菽をとらえるために、指の当て方を、試行錯誤されていました。

難経の原文の5難を、技術として習得しようとしている人たちが、実際に存在していることに感動しました。これ以後、私の中で、この技術の習得の訓練は、今も続けているつもりです。

そして、現在では、選経の方法として用いています。具体的に、説明しますと
  • 最初に、浮なのか、中なのか、沈なのかを判断します。
  • 浮いていれば、心肺(4難)
  • 沈んでいれば、肝腎(4難)
  • どちらでもなければ脾(4難)
  • 次の段階として
  • 浮いている場合、肺か心かを見わける方法として
  • 最も浮いているところで脈動をとらえれば肺経の変動。
  • 最も浮いているところで、脈動が触れなければ、心経の変動。
  • 沈んでいる場合、腎か肝かを見わける方法として
  • 最も沈んでいるところで脈動をとらえれば腎経の変動。
  • 最も沈んでいるところで、脈動が触れなければ、肝経の変動。
臨床においては、脈に幅の広いものや、狭いものがあるので、こんな工夫をしています。

さらに、心経と判断すれば、心包経に施術しています。これが私の、選経の具体的な、方法です。

余談ですが、3菽に指を添える、15菽に指を沈める、こんな方法は、この勉強会に誘っていただいていなければ、いまだに考えもしなかったと思います。難経の原文の読み合わせと、この勉強会と、誘ってくださったことに、感謝しています。

3,私の選穴の方法

49難に基づいて、脈状を分類して5行穴に結びつけています。しかし、具体的に、補うべき虚とは、瀉すべき実とは、どのようにして決定すればよいのか、決めかねていました。「虚すればその母を補う(69難)」とあります。すべて母穴をおぎなえばいいのか。それとも、たとえば木邪は木穴を補えばいいのか、決めかねていました。

そんなときに、また、原文の読み合わせで、「母、よく子を虚せしむ(75難)」と書いてあるのにきがつきました。69難と、75難とで矛盾があるのか。迷い続ける年月でした。そんな、ある日の勉強会。

「50難の虚邪と、69難の虚は同じだと、講義している、録音を聞いたことがある」というのです。私自身、記憶にあまり無かった50難の原文を読み返してみました。そして、50難と69難とを重ねるように読んでみました。この結果、私の中で69難がスッキリと読めるようになりました。
  • 虚邪を処理するには、母穴を補う
  • 実邪を処理するには、子穴を瀉す
  • 賊邪を処理するには、剋穴を補う(まさに先はこれを補う)
  • 微邪を処理するには、畏穴を瀉す(しかり後はこれを瀉す)
  • 実邪でもない、虚邪でもない、正邪を処理するには自穴を補う(自らこれをとる)
今は、これで、選穴を追試しています。

余分なことですが、モヤモヤしていたことが、スッキリしました。これまでは、「実でもない、虚でもない、平和であるので、何もする必要はない。」と書かれていない69難に対して、不信感さえいだいていました。しかし、実邪でもない、虚邪でもない、正邪であると読めば、とてもスッキリすることができました。

4,施術の具体的な方法との出会い

たとえば、左で9菽に洪脈があれば左の脾経の火穴に施術します。右で9菽に洪脈があれば右の脾経の火穴に施術します。右の12菽に滑脈があれば、右の肝経の水穴に施術します。左の12菽に滑脈があれば、左の肝経の水穴に施術します。

右ならば右、左ならば左というのは19難に書いてありました。

ここで、施術とかきましたが、76難の原文に書いてある補法のつもりです。

1999年6月に参加させていただいた勉強会。

私にとっては、意識が大きく変換するキッカケとなりました。あえて、表現すれば、はりの施術というのは、それまでは、針金で刺激して、白血球の数を増やすというイメージでした。この勉強会をキッカケに、このイメージを自分自身で完全に粉砕しようと思いました。
  • 気を信じる。
  • 気を動かす。
  • 気の流れを応援する。
私の考え方が、こんな具合に、変化してきたようにおもいます。そして、この日から、この手法を今も試行錯誤しているところです。

5,私の手技は補法だけ

75難はつぎの言葉からはじまります。「東方、実し、西方、虚すれば、南方を瀉し、北方を補う」。このあとに「金木水火土、こもごも、あい平ぐべし」と書いてあります。さらに、そのあとに、具体的に、繰り返し繰り返し、繰り返し、あいたいらぐことが述べられています。
  • 「木、実を欲すれば、金まさに、これを平ぐべし」
  • 「火、実を欲すれば、水まさに、これを平ぐべし」
  • 「土、実を欲すれば、木まさに、これを平ぐべし」
  • 「金、実を欲すれば、火まさに、これを平ぐべし」
  • 「水、実を欲すれば、土まさに、これを平ぐべし」
このように順番に、繰り返し、書いてあります。とても重要なことなので、省略することが許されなかったのでしょうか。このあとに、冒頭の説明として東方、実は、肝の実、西方、虚は、肺の虚のことですと書いてあります。南方を瀉すは、火を瀉す、北方を補うは、水を補うことだと書いてあります。

そして「ゆえに、瀉火補水は欲しています、金が木を平に、なし得ないことを」と書いてありました。金が木を平に、なし得ないことを欲するような方法をとることは、ルール違反です。そして、すぐ後に、「その虚を治することあたわずば、いずくんぞ、その余を問わん」と書いてあります。つまりルール違反してでも、肝実を、ねじ伏せるのではなく、肺虚を修復することが優先されるべきだと書かれていると理解しました。

優先しなければいけないことは、虚を修復することだと理解しました。まずは、補法の手技を磨いていこうと決めました。ぐたいてきには、76難の補法を、実現するための技術を、現在も試行錯誤しています。

6,補法だけしかしない

補法だけしかしないと決めました。しかし、これでは、すぐに、問題がおきてきます。たとえば、12菽に洪脈があれば、肝経の子穴を瀉すことになります(実邪はその子を瀉す)。

私は実際には、脾経の子穴に補法をしています。77難に、「肝実の患者に対して、脾を実せしめよ」と書いてあることを追試しています。「実せしめる」方法としては、「子よく母を実せしめる(75難)」と書いてあるからです。さらに、つけくわえますと、12菽に緩脈があれば、肝経の畏穴を瀉すことになります(微邪はその畏穴を瀉す)。私は実際には、脾経の畏穴に補法をしています。

7,寸口脈だけで

「ひとり、寸口をとり、五臓六腑の死生吉凶の法を決する(1難)」

「寸口脈を用いないで、それ自体が虚実を有している病症のデータをかきあつめて、そのでーたから総合的に結論を導き出して施術方針を決定するというやり方をすれば、不足を損辭、有余を益するという失敗につながる(81難)」

これらを読んで、寸口脈だけで、施術方を決定するべきだと考えるようになりました。

8,目標とすべき、寸口脈

目標とする脈については、いろいろと、教わりました。そしていろいろと迷いました。それというのも、私自身の体に施術していただいたり、自分で施術してみたり、さまざまな体験をしてきたからです。頑固な微熱から解放されたこともありました。食欲が出てきてホットしたこともありました。私自身、ながい年月の間、いつでも、だれにたいしても、正しい、目標とすべき寸口脈の状態に、たどりつきたいと念願してきました。やがて、この念願は、こちらの意図で強引にかなえてはいけないことだと考えるようになりました。たとえばすべてのひとに共通するピッタリの洋服はないのと同じだと。さらに、同じ人で、同じ洋服でも一年たてば、サイズが合わないこともあるのと、同じだと考えるようになりました。

3菽に洪脈であれば、肺経の火穴に施術します。洪脈が消えて、締りが現れれば目標達成としています。

ここからは、一人一人の気の働き具合により、異なるのだと思います。先ほどの洋服のたとえでいえば、強引に標準サイズになるまで、あれこれと施術するのは、いかがなものかと考えるようになりました。

気を動かすという目標ではなくて、気の流れを応援することを目標にしています。的確に選経と選穴をして、施術すれば、この目標は達成されると考えています。

つまり、邪(風・熱・飲食労倦・寒・湿)が触れなくなることが目標であると考えています。

リンク: 山崎はり院