MEMBER'S  PAGE  YOSHIKI(5)
   
YOSHIKIの孤独の深さ、“戦士の魂”の戦いがどのようなものであったかは計り知れない。しかし現代までのYOSHIKIを見ているとそのなごりがところどころ厳しく顔を出しているように思えてならない。同じ境遇にあったであろうもう1人の弟も、YOSHIKIの弟を名乗れば準主役ぐらい付くというのになぜか地道に自分の力で頑張っている。次元が違う何かを家族が生きてきた証がここにも見て取れる。 YOSHIKIは回りくどい言い訳をしない。人の悪口を言わない。自分の立場を擁護する為に弁解・言い訳は可愛い自分を守る術なのにこれをしようとはしない。仲間との信頼性を担保し、自分もあなたの方を信じていますよというサインの人の悪口を言わない。音や音楽に妥協はしない。当時のYOSHIKIの孤独を救ったのは、母(家族)とピアノじゃなかろうか。ドラムはそのあと最初の誕生日にプレゼントされた様だから、当時のYOSHIKIを癒し救ったのは、母の忙しさから考えればピアノであった。5歳(裸にしたい男では4歳と言っていた様に思う。どっちでもいいが・・)から始めたピアノが興味尽きなく続いていた。音や音楽の興味が膨らんでいる時の、感情が底抜けるショックをピアノがかろうじて持ちこたえくれたんじゃないか。音へのこだわり、妥協を許さない厳しさは、過酷で厳しいその時を乗り越えてきた厳しさを物語るものではないのか。押し殺し、じっと我慢していた鬱積の感情が、中1の頭髪事件より押さえつける者への極端な反抗へと変った。また自分を孤独の淵から日の当たる所に置き換える極端な手法が、きれいな化粧や衣装を作り出す美意識、行動の美学すなわちわがまま行動や条規を逸したパーフォーマンスじゃなかろうか。意識の最下層に流れる孤独や我慢の反動が、こうした極端なものと作り出すという当時の深さを表しているのじゃなかろうか。厳しい孤独があったからこそ、激しく熱く燃える。戦えない自分の少年という未熟の悔しさがあったからこそ、戦える時にはその時の何倍も戦ってしまう。言い尽くせぬ寂しい孤独があったからこそ、ひときわ優しく人なつっこく慈雨に富んでるように人に接してしまう。YOSHIKIの通過した試練の深さが、厳しさ・優しさ・熱さ・すがすがしさなど感情の際立ちにつながっているのじゃなかろうか。ドラムでもなぜ速や弾きに進んでいったのだろうかと思っている。当時なら、そんなことする必要はなかったとと思うが、自分の感情の満足を満たすには自然とそうなってしまった。激しく極限を戦い抜くドラミングは、孤独や我慢のはけ口の表現じゃないのか。たたいてたたいてたたき尽くす思いに駆られる元は、孤独や我慢の自由に出し得なかった感情表現じゃないのか。俺の孤独、俺の寂しさ、俺のいたたまれなさ、俺の無念さ、俺の渇きを、訴えずにはいられないのだといっているのじゃないのか。前を見れば黙って激しく走ろう。後ろを見れば底なしの果てから、悲しみが押し返してくる。観客のいつまでも忘れないで変らぬ応援を注いでくれる目を見ると、どっと崩れてしまう。YOSHIKIには、持ちこたえられる圧倒的な強さと、涙腺が通るどうしようもないもろさが、なごりの感情として生き続けてるのじゃないのか。