MEMBER'S  PAGE  YOSHIKI(2)
   
千葉県館山市立北条小学校が40年にわたる研究実践の積み上げから生み出した『ふだん着の総合学習』という本が、平成12年10月30日初版発行されている。子供達の総合学習として、地域を少人数で課題を見つけて調べると言う学習法らしい。5年「館山市再発見」の中に、児童の作文として挙げられてるのが、YOSHIKIの作文である。昭和51年12月17日(金)の「歩く会」の様子を次のように綴っている。             歩く会          林   佳樹 「バジャーン、ザボーン、バジャーン。」 沖ノ島の海の歌、でも人間によごされてしまった。沖ノ島は人間によごされてしまった。  12月17日金曜日は歩く会、みんなは四十数班に別れて出発した。ぼくたちの班の行きさきは沖ノ島、メンバーは関君、国本君、相馬君、要藤君、起汐君、飯田君、そしてこのぼく。みんなで時間やコースなど、いろいろくふうして、計画をたてた。7人のたんけん隊は、沖ノ島めがけてロケットにでもなったようにとても速いスピードで、マラソンをして行った。そのせいか、7.8キロもある長い道のりをわずか1時間で走りぬいた。  沖ノ島で約30分ぐらい遊び、今度は、暖地園芸試験場へむかった。みんなももうくたくた。もちろんぼくも、みんなは暖地園芸試験場につけばおやつもおべんとうも食べられるぞ、この気持ちをもってぼくたちは走りつづけた。ついに、暖地園芸試験場の目的地に着いたのだ。ぼくは、とてもうれしかった。しかしもう大部分の人たちは、着いていた。  あとから今までのことを考えてみると、ぞっとするほどくたびれた。それにしても沖ノ島のあのよごれ方、ビニールやプラスチックのごみの山だ。2,3年前はもっときれいだった。白い砂浜、青い海を見ようとして来たのだが大まちがいだった。これでいいのだろうか。  こんどの歩く会では、ぼくは自然についてもいろいろと考えさせられた。         (昭和51年度作品集より:筆者は元]−JAPANメンバーYOSHIKI)  小学校より沖ノ島は西へ直線距離で約5キロ。暖地園芸試験場は小学校より東へ同2.5キロ。5キロの道のりが7.8キロあり、2.5キロの道のりも約4キロあると考えると、YOSHIKIたちは、8時40分に学校出発し、9時40分に沖ノ島着。10時10分に沖ノ島出発、7.8+4.0=11.8キロを(11800m÷80m/分=147.5分)約2時間半費やして、12時40分に園芸場に着いた。沖ノ島から園芸場は少しのぼりと考えると、「もう大部分の人たちは、ついてい」て「ぞっとするほどくたびれた」にちがいない。沖ノ島は、館山港よりもう少し西へ回り込んだところで、去年館山港に行った時に、先へ続く道が林の中へ細く続いていたので止めてしまったが、その道を行ったのだろう。行った道を帰る事を考えると子供の足では小学校より遠すぎる(実際の感覚で言うと)。沖ノ島に2〜3年前の思い出があって行って見たいと思ったのだろうか。海岸の汚れなら、手前の館山港やさらに手前の北条海岸がいい教材なのに、なぜ遠くの沖ノ島に行ったのか、7人の冒険心がまさったのか。もしかするとYOSHIKIがここにしようと言ったんじゃないかと想像する。YOSHIKIの片鱗が見えてるようで、前半だけ考えて後半はおろそかにしてしまった?。「あとから今までのことを考えてみると」の中にかわいい無謀が芽を出しかけていると言ってるようで、「白い砂浜、青い海」が呼んでたから・・となるのかもしれない。まだ健全なYOSHIKIが反抗もせずにいた姿がここにある。