MEMBER'S  PAGE  YOSHIKI(1)
   
国道127号線が館山市に入ると、南国のイメージをかもし出す大きなやしの木の並木となる。視界も南方に広々と開け、太陽がさんさんと大地に降りそそぐという土地柄である。視界の中から市の中心部の建物群を察っそうと見渡しても、それらしき建物群がないほどの平坦な所である。国道左は低い山並み、とすると右手に折れれば市の中心かと進むと、館山税務署の標識。すぐ館山市役所。そして「北条」と言う交差点標識。確かYOSHIKIも北条幼稚園小学校卒業だから、その近くに来たに違いないとすぐさま角の店の駐車スペースに止めた。二杯のミルクティーと交換に「北条小学校は近くですか」と尋ねると、隣接の道を東へ50m行くとありますとの返事。お礼に店の品物いくつか買って出ると、車で行く距離ではない近くに小学校の正門が花壇を後ろに控えてあった。正門右側が小学校、左が幼稚園。校舎の後ろが正門と言う配置の為、全体の様子は伺えないが、南に面した校舎とその前に広い運動場がのびのびと横たわっている姿が想像できた。惜しみもなく空間を取り入れた造りのように思えた。明るく自由闊達な生徒を育む場には最適に見えた。この校門を出た少年は、南西方向に歩いて帰ってゆくことになる。YOSHIKIの家は、小学校下校時刻から言えば、西に傾きかける太陽に向かって歩いて行く方向に位置していた。館山駅も近くにあり、帰ってゆく家は市の中心部の範疇に入っている。家の西に行けば国道410号線が館山駅の前を南北に通っており、別名「銀座通」となずけられるとおり商店街を両脇に抱えている。呉服商を営んだ両親のお店もこの通りのどこかにあったのかもしれない。家の北側を通る国道128号から車がようやく対向できる道を南へ入ると、レンガタイルの2階建ての瀟洒な家がある。西面に大きな鉄扉の玄関があり広い庭があった。周りの建物も低層階ばかりだが、医院や駐車場など盛業域を感じさせた。この家に生まれ育ったひとりの少年が、やがて天皇陛下在位祝典の演奏をする音楽家になってゆくのである。どこにでもある住まいの風景から、選ばれて行く過程を不思議に思うがこれが運命と言う背負わされたものだろうか。背負わされた過酷な運命、その生き様、Gacktのいう『彼は非常に孤独だと思うし、背負ってきたものも大きい。けど、そういうものから目を背けない人間だと、こっちもなにかしたいって思わされるし、惚れるよね。で、熱いし優しい。現代のこの世の中で戦士として生きてる数少ない男じゃないかな。僕もひとりの戦士として生きて、命をまっとうしたいと思うね』(『プレイボーイ』H15.4.15発行38巻14号P212)の“戦士”というYOSHIKIを評する言葉に非常に共感を覚えるのである。大きな壁を突き倒し、今も戦い続けている偉大な戦士を見つめてみたい思います