MEMBER'S  PAGE  TOSHI(4)

   
『ただ自分が嫌なんですよね。なんか人から信じられてるとか任せられてるって思った時に、それを裏切るっていう行為が・・』。『裏切る』のが『嫌だ』というのは、やはり真面目な人なんだろう。『ロックの魂に目醒めた時』に反抗期というものがあったと述べておりましたが、小学校3年の時にも、『登校拒否症』という反抗期似の1週間があったとのこと。理由も何もなく、『とにかく行くのが嫌だったの』という時期があって、先生が嫌いとか、怒られた、何か言われたとかないのに『ただ先生とか誰とも会いたくなかったんです』。「いやー、気ィ遣って疲れるわ」みたいな反動があったんじゃない?と記者からからかわれて、『それがたまっていきなりストレス解消っていうんですか?ストレス解消が登校拒否になって出た』と冗談で受け応えしたしたが、記者の直感か「生まれてからずうっと鬱積したものが少しずつ地層のようにたまってるように見えるけどね」との投げかけに、『そうですねえ、だから50年ぐらい生きた頃には危ないですね』。記者「反抗期はまだ、みたいな」『(笑)そうそう』。冗談が冗談でなくなる反抗の日が、それから7年後(インタヴューは90年5月21〜29日の間)に訪れようとは、本人を含む誰もが想像し得なかった。期待を背負ってしまうというか、自分の責任感を通して解決しようというのか、裏切りたくないと考えてしまう真面目さが、やはりストレスの蓄積をもたらしたのかなあ。私なんか、自分に人はそんなに期待もしてないし、自分が出てゆかなくとも物事は勝手に進んで行くわいと思っておりますが、これでも真面目なほうだとうぬぼれてもいるんですが、“真面目”の何が違うんでしょうか?。7年後にどでかい反抗期を迎えたサイクルで行くとその7年後の来年あたりに、歴史は繰り返す法則で再度どでかい反抗期が生じ、我々のもとに“お帰り”が叶うんじゃないかと“期待”するんですが、この“期待”、責任感を感じてなにすりゃいいんかの“期待”じゃないが、TOSHIには感じてもらいたい切実な“期待”なのであります。前に自主性がないといっておりましたが、中学時代のTOSHIは、『普通の人です』といいながら、“体育祭で応援団、生徒会役員(3年間必ず何かの役職)、球技大会・音楽会を率先してやる奴”で、これって自主性が“ある”ということじゃない?。クラブも、「エースをねらえ!」に憧れ、『お蝶夫人みたいになりたくてね』テニス部に入るも、TOSHIにとっては“不運”、我々にとっては“幸運”にも、怪我して『すぐやめちゃった』。そして次に入ったのがブラバン。「中学校の時の転機っていうのはやっぱりブラス・バンドですか?」の問いに『やっぱりブラス・バンドに入ってバンドを始めたってことでしょうね』。]が始まりかけるという転機が、日本の音楽史上の転機につながって行くとはね。