MEMBER'S PAGE TOSHI(3)
“お下がり”“他人観察”からもたらされる穏便道みたいな感じも致しましたが、その分内心は管理されていた。人への観察、何事も穏便な道を嗅ぎ当てる習性からか、当然通信簿の項目「協調性がある」「責任感が強い」「指導性がある」はAであったと。通信簿の性格欄はオールAかと思うと、『ロックの魂に目醒めた時』に『ざけんじゃねえよ』という反抗期があってそうでもないと言う。私、]を初めて知った時、あのMCの「てめえら〜」に“あぶない人間”だ!と敬遠感が沸きあがりましたが、こんな実像が裏にあるとは誰一人]を知り始めた頃のファンは思わなかっただろう。しかし、作った虚像じゃなく地で行ってくれてたら、後の天地鳴動はなかったか?。宿題提出もみんながしてるのに自分だけ提出しないというのは?『そういうのは嫌いでしたね』。人目をかなり意識するところがある?『そうかもしれませんね』。クラス委員とかは?『(級長、班長、学年○○委員)そういうのはやっぱ何回かやったことありますね』。その心理を「実は嬉しかったでしょ?」と聞かれ『そうですね、やるまでは嫌だなって思って・・・いざやっちゃうと、なんかしっかりやっちゃいますね』『なるとやっちゃうってわかってるから・・・でも、やらずにはいられないっていうか、ちゃんとしなきゃなっていうのがあるんで』。「責任感の塊のような男だ」と記者に言われながら、その責任感の出どころは?と聞かれて『嫌なんですよね。なんか人から信じられてるとか任せられてるって思った時に、それを裏切るっていう行為が・・』『やっぱり人から期待されるのっていうのは、・・『やろう』とか『やらなきゃ』とかって』。人への気遣いが変じて、人の思いに“期待”や“要望”を感じた時、その人の思いを体現させてあげようという気遣いに変って行く。やってあげようという決意が、自分への当為性となって“責任感”を作ってくる。人への気遣い・思いやりが多いから、自分がそれだけ意識と行動を向けて行く。去年のGIG最終日(1/27)、YOSHIKIがいみじくも引用したTOSHIの言葉『やるときゃ、やれぇ!』の人格と合致してしまう。「]の中では、ヒデとトシが責任感の強い人間じゃないかと思う」と記者が褒めてくれると、『みんな責任感って強いと思う』。記者「責任感強い人間が1時間も取材に遅刻しないだろ」(誰のことでしょう?)。『その辺はルーズですね。こと]の5人の中だけで考えると、1人1人凄く責任感強いと思いますよ。ちゃんとやらなきゃいけない、みたいな。音楽面に関してだけですけどね、他は駄目ですね』。、前に書いたHIDEの話で、YOSHIKIがHIDEに与えたもの、そして次にHIDEがYOSHIKIや]に与えたものと聞かれて『俺がそんなこと言うような人間じゃないってわかるでしょ』って言う部分に、HIDEも“気遣ってるな”と感じましたが、気遣いと人への思いが“責任感”を作ってゆく要素じゃないかと思ってしまった。
1