MEMBER'S PAGE TOSHI(2)
3歳ずつ離れた兄2人の三人兄弟末っ子だったので、何ごとも兄貴がやってたから、お袋がやってたからと入っていった感じで、『自分から〜する』と言う自主性はなかったと言う。所謂“お下がり”が生活全般に及んでいたと。自分で切り開いて行く先駆者パイオニアではなく、人のやってる『美味しいとこだけをもらってくぞ』的ちゃかり屋さん。家庭は、『本当に普通』だが、あえて言うとすれば『奔放家族、何も言わない、管理体制なし』の家庭で、『自由にやってました』。がその“自由”が、『細かいことに気がつく子』へとなぜか向かってしまった。『2人の兄貴の、良い部分と嫌な部分を見て』る。『こういう風に言ったら親は悲しむなとか他人は嫌な風に思うな』とか。例えば(兄貴の)親子喧嘩を側で聞いてて、両方の言い分、どっちが良いどっちが悪いを自分の中で判断してる。『良いこと悪いことっていう区別を周りが先にやってくれてるから、こういう状況にこういう受け答えをしたら人はこう思うだろう』と自分の中で整理されてる。我を通したり我儘言ったりとかも『あんまりないですね。これ以上我儘言うと迷惑かけるな、って思っちゃうんですよ』『なんか観察してるんですよね、人のことを』という。“良い子でいたい願望”ではないけれども、なぜか『自然に形成された性格』『自然な性格』とTOSHI自身は分析するが、記者は「無理がある人格だなあ」と突っ込んでしまう。結果、『親に怒られたことって1回もないですね、叱られたってこと1回もないし、兄弟喧嘩も1回もないです』と。見事な自己管理ですが、「集団生活の中でもその方法論はそのまま生きるわけで」の問いに、『他人が入ってくるとまたちょっと違ってくる』と言いつつ『やっぱ変わんないか』とその方法が生かされて、総体的に“良い子”だあったという。受けのいい良い子ではあったが、それは内心の気苦労からもたらされる結果であって、心の中では、判断に苦慮し、気遣いを巡らし、自然と言うにはあまりにも不自然な子供心を浪費してたわけで、その反動で『わりと1人で遊んでるほうが気楽で良かったですね』という。気遣いが変に働くことが、末っ子という立場から出来上がってしまった。YOSHIKIはたぶん我儘の王道を行き、TOSHIは受容の王道をいった。そして30歳を超えて、TOSHIにも遅い自我が目覚めたのか。唯一の反抗が、天地をひっくり返す大鳴動、極限反抗となってしまった?。脱退・洗脳騒動は、メンバーもファンも親も兄弟も投げ打ち、それまでの自分のやってきた全てを投げ打つってしまった。記者の言う「無理がある人格」管理が、結局大爆発を起こしたのか。HIDEの褒めてくれたあのMC,見事な先駆者パイオニアだったのに。
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