MEMBER'S PAGE TOSHI(1)
前にも書きましたが、]にものごころついた頃に、事情があってこれから参戦だ!といけず、無念の涙を呑んでる間に、]の解散HIDEの別れとなってしまいました。たった1回きりの東京ドームライヴ(=94年12月30日)が、]JAPANと私(共)が生で時間を共有した唯一の機会でありました。ちょうどその日は、タモリのMSの中継があった日で、会場にいると歓声で中継の会話が良く聞き取れませんでしたが、TOSHIの『お茶の間に・・お茶の間に・・』の呼びかけだけが聞こえました。帰ってビデオをみて、物凄い観衆に圧倒される光景に、確か1階のあの方向にいたんだとその場に存在した満足を覚えました。新幹線では、コスの一団が通路を歩いて行く、会場にはとんでもない集団が気合入れやパフォーマンスを繰り広げている。綺麗なコスの人にこわごわ写真を一緒にお願いすると、実に愛想良く気軽に応じてくれて、見かけと実際はわからんもんだと思いました。思い出される貴重な一瞬でしたが、怒涛の如く去ってしまった後に残された無念を少しでも埋めたいと1人昔に遊んでおります。知らないことが多すぎて、]ファンと言うには恥ずかしい訳ですが、今からでも追いかけるぞと変な気持ちが涌いております。このHPをお借りすること、面汚しの場違いの感じもしておりますが、興味の赴くままに独断の解釈と理解をもって遊んでみたい、そして無念を埋めて行きたいとの思いでおります。HIDEのインタヴューに『(ヒデの部屋について)いいんですよ、どういう風にとってもらっても。・・嫌いな人はその間にパンフレット買いに行ってくださいっていう時間なの』ってありましたが、私も皆さんを意識せず、勝手に書いてゆこうと思ってます。気の赴くままに、です。で今日からTOSHIのインタヴューの所を読み始めます。YOSHIKIと、HIDEの半分超は終わっていましたのでここには載せられませんでしたが、おいおい何かの機会に引用してゆくことにします。
HIDE言うには、TOSHIのMCは『その手法というかあの独特の世界、世界にただ一つのあの話術というかMCはねー、今でこそいろんな人があの話術を真似してますけど、あれがオリジナルですよ、ホントに。あの、怖がらせて、体育会系なんだけども何か、何か笑っちゃうなあっていうのは彼が始めたことですよね!』(『HIDE夢と自由』p32)の評価と同じくインタヴューの記者は前説で、このMCの印象からTOSHIのインタヴューの先鞭をつけている。私もあの透き通る声が曲にマッチする魅力も震撼するが、間を取り持つMCの魅力こそ、TOSHIのTOSHIたるゆえんと思わずにはいられない。その一方で、「超普通人」とか「醒めている」とか「筋金入りの一般常識人」といわれる人間像。この2つが“違和感”を募らせることに人間的興味を深く抱いていると記者は言う。話は、大阪城ホールライブの打ち上げから入り、TOSHIが、今日は俺が暴れるぞ、と宣言したので、普段暴れる他のメンバーも、自制が利いて気勢を殺がれ暴れられなかった。TOSHIも言うほどに暴れなかったみたいだが、『やっぱり言ったもん勝ちですからね。・・・たまには先制攻撃で言っちゃおうかなっていうね』と。せっかく宣言したんだから暴れたらいいのにと言われて、『別に暴れる理由も何もないから』とやっぱシラーとしてるんかなと思ってしまう。TOSHIの打ち上げの印象は、『普通よりもいい方かな』と言ってから気づいて“普通”の基準がわかんないと察し、『でもそれ基準はわかんないですよね、普通よりもいい方なんて』と論理思考する部分がどうも考えの飛躍をもたらさない人間像に見えてしまうのかなと思う。呑み会などの最近の傾向も、もう目茶苦茶はやらないと言い、それは『やっぱ一番悔しい』から『身体を気遣ってる』。が他のメンバーが暴れようがそれは『本人の問題だし本人の生き方だし』と一線を画してる。全員が倒れてようと『演奏さえしてくれれば、歌いやすいいようにやってくれれば』、別に手がちぎれてようと『それが動いてればね、何も問題ないです』。割り切り方人間かな?すぐれた自己世界人間かな?どんな話になってゆくのかな?。