REPORT 2
2005・8・19 J 2005 summer tour"DIVE to the SUN"~hide MUSEUM SPECIAL~ papa
8/19はJのhideミューライブ。急遽友人からのメールで参戦が決まった。hideミューイベントの時は、とにかく横のうみかぜ公園の駐車場へ入れようとあせる為、出発時間は早くなるが、7/20の記念日その思いで行ったのに10時ごろにはまだ第2第3駐車場はがら空きで、学習した結果いつもの出発時間でも十分大丈夫と確信。10時過ぎに到着。hideミュー門前には4人の方が待っていた。一番近い第一でも半分の埋り具合。テニス練習横に駐車。11時まで休憩して、開門を待って行くことにした。相棒さんは写真、私はあまり眠ってないので眠れる場所を探しに(車中は暑くてダメ)。レモネードをのぞき(5/1に迷彩服のいいのがあって狙っていたがもうなし)、カフェラで目玉カクテル(相棒)とhideちゃんパフェ(拙者)を頼んで休憩。レモネード奥の関係者駐車場にはJのツアートラックがすでにオレンジ一色のボディを止めていた。空きのスペースにはグッズ用の机などが降ろされたままになっていた。カフェラも食べ終わると、いつまでも席を占めてるわけにも行かず、出たものの次に行ところが見当たらず、海風が気持ちよく通り抜けるミュージアム階段に腰掛けていたが、眠れる状態にはあらず、遂にミュージアムの中に入って休む事にした(12時半ごろ)。今度入るときには、前回の続きのメモをする気持ちでいたが、とてもその気力もなく、ただ涼しく休むだけの入館になった。子供が中で遊ぶハートのソファにしばらく腰掛けていたが、体勢は次第に床に近づき、遂にハートの内側に入って子供の邪魔にならないくぼみに冬眠。hideの歌う子守唄が効いて、しばらく意識を断絶。起きた時にはしんどさがなくなっていた。ぼさーとした意識の中に音楽が流れ、入館者の通り過ぎるのを見るでもなく見ていたが、急に7/20ここでカサブランカさんと長くしゃべったことを思い出した。その一つに東から横浜まで車で来れるがそこからここまでは来れなくて・・・という話になったので、首都高湾岸線をさらに西進して釜利谷JCTから横横道路横須賀方面へ出て・・・(さらに今付け加えると23キロポイントの横須賀ICで降り、本町山中有料道路(200円現金)を降りれば、ダイエー・横須賀芸術劇場前出る。1キロぐらい直進して平成通り(海岸通り)へ左折、さらに直進すると1キロぐらいでhideミューの3本の旗が左に見える)という話をした。フラッシュバックのようにその場所に立って始めて思い出したのは居眠り効果かも。3時ごろ「こんな所にいたんですか」とkyoさんがナップサック姿で登場してくれた。腰にはhideちゃん人形が衣装を着せてもらってダッコ(orサックのポッケだったかな)。今からhideのお墓参りをするという。電車・バスを乗り継いでのお参りにも感心したが、今から行って18時30分のスタートに帰ってこれるのかなぁと心配。確か前を通って行かれたので出口へ出て墓参りに行かれたものと思っていた半時間後、まだhideミューひとまわり見学して目の前に登場。この時は正直びっくりした。さっきでも間に合うのかなと心配してるのに、まだ道草(失礼!)してるとは!!。10分歩いて4時に横須賀中央駅で乗れても三浦海岸駅まで半時間、バスで金田まで待ち時間入れて20分、三浦霊園まで歩いて15分、お参り10分、帰りも1時間15分かかるとしてちょう度ぐらい。予定通りには行かないから遅刻間違いなしと感じたが、帰りはタクシーに乗ってぎりぎり間に合ったとの事。豪快でおます。一度お酒をご一緒にと思っていたが考え直す方が無難かな(笑)。4時半過ぎ、外に去年の我々30年イベントのバンドメンバーが到着するらしいのでミュージアムを出た。一人はJの今回のツアーにほとんど同行してるツワモノ。hideの音楽を継承してるのがJとの強いお勧めで我々も今回3回目の参戦となった影響力の主。もう一人は、ベースの達人でTAIJIを尊敬。12日も忙しい最中、何とか来れたと言っておられた。レモネード前で待ち合わせたが、その後ろJのツアートラック横にベンツが1台。さらにレモネードショップ門側のせせこましいスペースにプレジデントが1台。前者がJの車で後は松本氏の車かと思う。その間、ガードマンがそのあたりを堅固に警備してる顔つきで突っ立っていた。そこに伊藤さんが現われ、何かを話しておられた。3月のYOSHIKIの成田帰国時には伊藤さんの姿がなく、どうしたんだろうかと心配していたが元気にツアーの警備本業に従事されてるのを見て安心。Jのツアーにも全部張り付いていて、少ない100人ぐらいのツアー会場では一人で奮戦してると上記ツワモノ氏の弁。5時半前、整理券順に大まかに整列。5時半、順番に中に呼び込まれる。今回は700人ぐらいの定員で、当方202,203は、そう長く待つことはなかった。さて問題はこれから。我々前2回のJのライブは、幸運にもアリーナじゃなく2階席からの観戦。人が人の上を流れていようが波打っていようが高見の見物で澄ましていられたが、今回はそのアリーナと同じ現場に立つわけである。老体にケガを負っては、本人も主催者にもJにも迷惑がかかる。そうでなくとも、Jツアーのモッシュ・ダイブ(頭上の人流れ)の禁止が各ライブ場から要請されていて、J自身も「今さら言われても・・・」とファンに理解を示しつつ、事故があれば会場出入り禁止の瀬戸際に立たされているらしく、事故を起こさないという大前題はファンも会場も全員が肝に銘じてる自明の理。流れの起きない壁際に避難。
ステージに向かって左端は、モッシュを終えた人が自分の持ち場に帰る通り道になる。あんなすごいサーカスみたいな曲芸の当事者を見るのもまた楽しみ(不謹慎かな)。多くの人は、首にJ専用のタオルを巻き、汗対策も万全の出で立ち。Jライブならではのユニフォーム。ライブはほぼ時間通りに始まった。静かにメンバーが登場して、1曲目を演奏し始めるや、会場は瞬間に興奮のるつぼ。全員がJに向かって手を送り、同じ波動で縦揺れを始める。それが全員同じ動きの揺れ方に統一されていて、この私一人が波間に浮き沈みしてるような錯覚を覚えた。こりゃ、現場はすごいわ!。差し出す手の動きは、バリ島の手踊りのような勢いと統率があり、崇める神のJに祈っているかのよう。ライブの縦揺れはそれぞれのバンドで見ているが、Jの場合は全員の統率が見事と言う点で、ファンも芸術品の域。5曲ぐらい突っ走ったのだろうか。初めてJのMCがあり「我々の熱い思いを、(天井を指差して)彼に届かせよう」みたいなことを言った。一同の歓喜は花火の如く爆発、その後の楽曲には、たまっていたエネルギーを打ちあげるかのように、モッシュが始まった。空中へ足が突き上がるや胴を回転しながらステージ前へと押し出されてゆく。ステージ前には伊藤さんをはじめ、頑強なスタッフが流れ着く人を抱えては体勢を直して床に戻す。その後ろでJが自分めがけて這い上がっては手前で沈んでゆく流れをいたわりながら、熱い演奏を続けている。モッシュを終えて持ち場に帰る漂着者は、やや興奮した表情に息をはずませ、汗ににじんだ首筋にほつれ毛をからませ、足早に帰ってゆく。女性の方が多く参加してる。モッシュやそれを手繰る役割には、金目のものは身につけないルールが出来てるとの事。引っかき傷や打撲など家に帰って初めて気付くこともあるだろう。最小限の負傷を、できれば無傷のライブであることを現場に立ち会って祈らずにはいられない。Jは演奏の合間に、hideへの思いを何回も言っていた。熱いhideへの思いから、このhideミュージアム閉館に何か出来ることはないかと考えた結果、ライブをする事に至ったことも述べた。ここにこれないほかのファンの為にも、みんなには責任があるとも言った。MCで、メンバーとのトーク中急に思い出したように、「忘れた」と袖に下がって持って来たのが1枚のぺーパー。そこには松本氏から「1日館長をお願いします」と書かれていた。松本氏からJへのライブ御礼の演出やさらにはこうしてライブが実現した事の御礼をミュージアム、スタッフに述べたり、お昼hideのお墓参りも済ませてきたことも言った。ライブは興奮の頂点を突っ走った最後から2曲目、今日の特別なライブに特別な曲をやると言って、ロケットダイブを演奏しJが歌った。そして最後の1曲と言う曲を演奏してライブは終った。9時前だったと思う。Jのhideに対する心情を理解する事が出来た。]を応援し、]メンバーを応援したいと思う自分には、メンバーに協力し応援をしてくれるアーティストもまた応援したいと思う。hideミューのJライブ、Jも応援したいと思う一人のアーティストになった。
間違えた所もたくさん有ると思いますが、最後まで読んで頂いて有難うございますm(__)m