REPORT 7

    2009.10.10 レモカフェ暴奏祭り、夏・延長戦!これがねぇ〜と夏は終わんねぇ! 和歌山レモネードカフェ  papa

「レモカフェ暴奏祭り、夏・延長戦!これがねぇ〜と夏は終わんねぇ!」と銘打った、チケットにチラシ。主催:レモカフェ暴奏祭り実行委員会、協力:レモネードカフェ、と大きなイベントに変貌して、10/10〜11両日開催される真由ちゃんのお店のイベントに10日だけ参加した。しかし、盛大なイベントを心待ちにしていたであろう真由ちゃんは、9/30日に亡くなられた。8/8に、津田さん・ぽるんさんのライブに参加した時には、お店にも出ておられ、来客の挨拶を受けておられたのだが、体調は普段とそう変わりない様でもあったのだが・・・。心からのご冥福と、支えて頂いた感謝を、先日捧げさせて頂いた。真由ちゃんとは長いお付き合いであった。相棒が悪い時、励まそうと病院の主治医の先生が、こんなに負けない人もいるよ と紹介してくれた。病室でXのラジカセをひっきりなしに聞いている私たちに、何か治療以外の力添えをと考えて下さったのだろう。その先生はXのファンではなかったので、どこでどうつながっていたのか不明だが、どん底を彷徨っている私たちには、一筋の光となった。97年頃だったか、最初は文通から始まった。文通には、暗号のような一文字を書かないと、真由ちゃんの手元に届かないと言う文字をしっかり入れて投函すると、励ましの言葉を添えてお返事が返ってきた。Xの曲がただ大好きと言うだけの自分達に、初めて外に同じX好きな仲間が出来た。相当世代もかけ離れ、胡散臭い見知らぬ人がにわかに漂い始めたことを、毛嫌いせず親切に接してくれた。あの時は、ホント助けてもらった との思いがこみ上げる。hideさんの訃報には、Xファンとしてとても悲しかったが、真由ちゃんの落胆に心を馳せるといたたまれなかった。築地本願寺には、とても行ける状況ではなく、テレビのワイドショーを見つめるだけ・・・惨憺たる日々であった。その中に一筋の光明を与えれくれた真由ちゃんには、折に触れ、お顔をのぞき話かけると笑顔を返してくれ、声が出せなくなってからは、文字盤に文章を書いてくれた。その笑顔、その一挙手を忘れることは出来ない。今日のイベントに参加された、木村世治さんやカットさんも、同じような語らいの場を振り返られていた。皆さんに、やわらかく暖かく接し、自分の病状を感じさせない接し方は、東海林のり子さんのいう「強い女性」であったからだろう。真由ちゃんは、10/2の笑顔の姿で、いつものお店の定位置から少し前に出られ、愛用の車椅子に変わりなく腰を据えられ、皆さんをお出迎えされていた。
事前の電話では、10日はたくさんのお客さんなので、10時ごろにはお越し下さい と言う話しだったと言うので、10時前お店に到着した。黄色いようせいさんのTシャツを着たスタッフ(実行委員会の方々と思う)が、お店のショーウィンドウや店内、2階へと10人以上は立ち動いて、将に準備の真っ最中。いつものように何かを頂き、休憩して2階へ上がるという雰囲気にはない。受付だけを済ませて、すぐ前の喫茶店で休憩。そこで受付で頂いたチケットを見ると、Time11:00〜22:00となっている。オープン・スタートの時間も確認せず、早すぎの到着、慌てものの感が否めない。あまりに長丁場のイベントに気後れして、失礼だが東海林さんや木村さん・カット君の出演をそっと聞くと、東海林さんは3時ごろ、カット君が5時ごろと言う話。3時前まで休むことにした。さて、1時過ぎ、目が覚め、空腹をどこかで満たすことになり車を出たが、なぜか相棒はレモカフェへ直線的に行き、2階のイベント会場へ上がってしまう。お母さんの後をダダをこね、のろのろ歩きをする子供のように、しぶしぶ2階へ。1時半頃だった。一部と二部の間らしく、丸椅子が並べられた会場は、空きの椅子もそこそこあって、相棒を探すと中ほどにうまく座ってる。直近の空き椅子一点を目指して座って、ごそごそして気付くと那托さんご夫婦がそこにおられた。それまで気付かないという他人行儀、まぁショッチュウなのだが、無愛想に思われたかもしれない。失礼をいたしました。話を聞くと、東海林さんは司会をされていて、一部にも出られてるらしい。10/2〜3のお話しもお聞きして、時を経ていると、スタッフの方が前に詰めてくださいと次の準備。5脚並びの最前の椅子には御三人と若い御2人の女性、私は2列目の真ん中に座ることになった。五脚並びの椅子が10列以上、後ろに連なり、ホントにたくさんのお客さんがこられている。出演の方がアコギのギターのチューニングをされ、準備が出来た頃、2時となり、第2部が始まった。那托さんのご主人のそばの最前で東海林さんの司会。「こんにちわ。東海林です。午前中はいいライブして下さいました。第二部も行きましょう。松本陽太君、白浜から来てくれました。本業以外に、音楽もやってまして、松本ですから、いいなぁ。第二部トップバッター、松本君、やってもらいましょう」『松本陽太です。24です。フォークをやります。森山直太郎さんの“レスター”やります』(以後、曲名や歌手名は聞き間違え、多いと思います)。終わると「すばらしい声」と東海林さん。2曲目はバング・オブ・チキンの曲。『やっと2曲、終わったと言う感じです。いろんな人の関係で、昔のフォークソング聞く中で、カガワリョウさんや高田ワタルさんの曲が好きで、次はカガワリョウさんの弾き語りの曲、“下宿屋”』。終わって『もう1曲、カガワリョウさんの“幸せそうな人達”。この歌は歌い継がれなければいけないと思う曲です』。曲をやり『あと1曲やって和歌山を代表する藪下将人さんにつなぎたいと思います。最後の曲、皆さんに参加していただきたい。あーるき と言ったら あーるき とハモリ、つかーれた と言ったら つかーれた と言ってください。高田ワタルさんの曲“生活がらみの曲(or歩き疲れの曲)”』。歌詞には、歩きつかれ、草の上で眠れないのです と言う歌詞が聞こえた。声のいい、雰囲気をかもし出した歌手のように思えた。終わって東海林さん「ありがとう。すごい声。素敵でした。森山君よりうまい。(いま出しているのは)半分ぐらいの声でしょ。もっといい声、出るでしょう。これからも頑張ってください。お仕事にも頑張ってください」。松本さん片付け、次の出演者の準備。
2時30分、次の出演者の準備が出来、東海林さんの司会「藪下君、とにかく和歌山を盛り上げようとしている藪下君です。藪下将人君です。Tシャツに“I Love 和歌山”って書いてある。hideカラーです(ピンク系)。今日もみんなで歌うの?」藪下『東海林さん、歌ってくれます?。じゃ、歌います。それにしてもすごい人、集まってますね。嬉しいな。和歌山のオリジナルナンバー、お届けします』。どことなく藤井フミヤ似な感じで、1曲目“空”と言う曲名を歌い、『皆さん、楽しんでください、手拍子をお願いします』と始まった2曲目“?”、“楽しい場所を 探しましょう”と言う歌詞で始まった。『まだまだ行きます。大丈夫ですか』と3曲目へ移り、“この町を出る前に・・・”と歌いだした。一気呵成に3曲歌い終えて、『有難うございます。どうも、ヤブシタマサトです。いろんな人にパワーもらって、このステージに立ってます。いろんなパワーもらっていますのは、ここの店長です。名前がマサト(政人)です。いい名前です(ここで、店長、後ろの方から、“人”ってつくのはいいのよ。松本秀人 と差し挟むと 会場、うーん、なるほど という納得ムード)。hideが好きで、コピバンもhideなんです。部活は、陸上・ホッケーです。夏の運動部終わって、部活終わって半年間、文化祭出るためにドラム叩いていました。歌いたかったです。(そして、“ロケダイ”歌いだす。途中まで歌い)歌いたかったですよ。僕は、和歌山出身で、皆さん、白浜知ってます?。その中間の由良町、知ってます?。しらさぎ海岸って、ものすごい岩があり、その和歌山を歌った曲“がんばれ ふるさと”。“すいせんの花が咲く一日  たまに降る雪が嬉しくて・・・がーんばれー がーんばれー”と 歌中に“がーんばれー”を何度もはさむ。“この町で育って良かったなぁと思えるようにしてゆこう。あじさいの花が咲く6月 かえるの鳴き声聞こえるよ 雨の中思い出す君の・・・・がーんばれー  がーんばれー この町の・・・がーんばれー がーんばれー この町を支える大人たち この町に生まれたことを誇れる様にしてゆこう がーんばれー がーんばれー 変わらないところが素敵じゃないか・・・ がーんばれー がーんばれー  こんなに空が青かったのかなぁ この町に生まれてよかったなぁと思えるようにしよう・・・がーんばれー がーんばれー  ・・・” 『ありがとうございます。“がんばれ ふるさと”と言う曲、自慢します。今年4月に、コンテストで日本一になったんですよ。河島英五のコンテスト2009の最優秀に選ばれました。河島英吾の“のんで のんで のまれて のんで”の曲、河島英吾さんも地元愛した方で、松本秀人さんも地元横須賀を愛したんで、和歌山を愛す“ I  Love  和歌山”歌います』“山には鳥たちが 川にはう魚たちが 大空には星たちが 時を越え輝いてるよ・・・和歌山 愛しているーいつまでもー”『どうもみなさんありがとうございます。このステージで、和歌山歌えてうれしいです』。ここで東海林さん「グレイのジローによく似てるよ、ビジュアル系」『和歌山のジローで行こうかな。ここで紹介したい人 います。僕の師匠、ウインズの平坂さんです』。紹介を受けた平坂さん、後ろから前のステージ域に進み出て『こんにちは。今日は、若い人多いと思ったら 前に来たらそうでもなかった(ここで笑ってしまったが、突っ込みを入れるべきだった)。和歌山は近畿エリアのなかで言えば、京都の人、大阪の人、神戸の人と言う流れで関西人となってしまう。和歌山の人に、地元の歌を強制して歌わしてるんですが、今でも地元の歌うたうとくすくす笑うんですよ。和歌山出身にはミゾバタジュンペイ サカイアユミちゃんがいるんです。君のステージに出させてよ。ビッグステップ(大阪難波)なんかでライブするんですが、僕のステージには歌い込んでくるくせに、今日は歌わしてよ。皆さん、かつお節、味噌、しょうゆ これみんな和歌山発祥なんですよ。大阪から来た人?(相棒さん、まんまと手を上げる)。空気は和歌山から貸してるんです。泉南も、大阪の泉南じゃなく 和歌山の横にある泉南。みかんも桃も梅干も和歌山です』と、実に軽快に歯切れ良く、しゃべってゆく。これだけで飯が食える素質十分なコメディアン。『このまま帰ったら、漫才師になってしまう。1曲歌いたい。お前ら、ハンカチ・鼻紙持ってるか。泣くぞー。お前ら泣かなんだら俺が泣くわ。洪水になったら、この店が困る。手拍子頼みます』で歌いだしたのが、ジョーシン(上新電気)のコマーシャルソング。“きょう あした いろんなこと起こるけど・・・”とうたう国土建設のコマーシャルソング。あと2曲コマーシャルソングを高らかに歌い『(うけたのは)やっぱり、ジョーシンか。最近の曲は“全力投球”と言う曲で、今までしんどい時は、何が一番の元気の素かと言えば、貯金なんですが、それを貯めてると思ったら頑張れた。先日、和歌山の文化賞もらったんですが、しんどい時頑張ったらいい事あるんですね。ABC(放送)のセノオカズオの番組のテーマソング“全力投球”聞いてください』。終わって『ああーしんど。これで終わると思うなよ。ヤブシタ君と合唱しよう。ウインズ平坂にしろ、ここに来て歌わずに帰ったら罰金がある。約1000円。安すぎた2000円。“和歌山〜♪和歌山〜♪”テンポ取ってるだけじゃなく、歌って欲しい。弟子の方がギターがうまい。それは教え方がうまかったから。ウインズ検索したら、小文字のが出てくる。それは別のバンドでウインズの大文字の所、検索したら出てくる』とか、賑やかに放談して“和歌山 ラブソング”2人で合唱。歌い終わっても和歌山を持ち上げ、アピールして終わった。3時25分。
東海林さんの話が、後に続いた。「わたし、埼玉県ですけど、ダサイでしょ。と言うことで、東海林です。本当にたくさん、5万人ぐらい入ってます。本当は、今日は前からこういう予定だったんですが、真由子に会って、チュッチュしようと思ってたんです。でも私は、お父さんお母さん、本当によく頑張って、私が一番心配してたのは、来年hideの13回忌です。hideのお葬式の時、真由ちゃんもXと来てて、しっかりしていた。そのあと頑張って頑張って、永遠に生き続けるのかと思った。人間の命だし、物理的なものもあり、悲しさ半分、よかった半分、永遠に真由ちゃん愛され続ける と言う歌うたった時、hideを通しての真由ちゃんだけど、今度は真由ちゃん通してのhideとなった。2人ともすごい。股関節悪い私ですが、真由、頑張ってるので私も頑張ってきた。2人亡くなっても上から見てくれてると思う。hide32の時は、年齢差があったが、28(今の真由ちゃんの歳)となれば、そう差はない。hide坊32に真由が行くと28で、子供が来るかと思ったら、いい女性が来ていいかなぁと思う。亡くなったかとか、hideが亡くなったのはすごい突然だったという問題とちがって、2人とも力持ってる(メモ上、ところどころ文脈がちょっと変ですが)。hide、5月に亡くなり、その年の1月に会って、黒澤明のスタジオで大規模なセットを組んでやったの。いいねぇ、と言うと、hide『金、かけてるもん。何千万とか』。そしてバーンと音楽がかかった時、すごい!。hideちゃん、これ、売れるね、と言うと喜んでいた。『去年はあまりよくない年。ベッドで飛び上がって頭打ったり、Xの解散。でも今年はやるよ、8月に』。hideちゃん、いつも毎晩、メールをチェックするんですが、インターネットで『ライブハウスつないでやるから。ドレスにコート作るから』。(曲の振りの踊りを)私、出来ないわ。『簡単な踊りするから、来てね』と言ったの。お年玉あげたの。『俺、くれんの。大人にくれんの』最高の笑顔、見せてくれた。私、メンバー好きだけど、ファンのこと、一番考えていたのはhideちゃん。『ロスなんかに行って、ファンレター読むと胸を打つんだよ』と言って、優しい。派手な格好してたけど、あれしないと外に出られなくなるんだって、言ってた。シャイで・・・。あのメンバー、いつもそう、曲目いつも変わるの。ヌードの踊り子さん、ロックで使った人なかったの。そこに、メンバー知らなかった所へ、上から降りてきたの。PATAちゃんなんか、恥ずかしがってた。驚かすのが好きなの。そういう意味で、hideちゃんが真由子愛したの。千葉の野球場でライブやったの。一番最初に真由このところに行って『今から、挨拶してくるからね』。目線の高さで話してるの。hideちゃん、子ども好きで、結婚して子供できたら離さない。女の子にビキニなんか着させない。ブルマなんか着せて俺守る と言ってた。そこで、裕士の子供、かわいがってたの。真由子が待っていたXの、最高のXを見れたこと、よかったと思う。去年の3月と5月のライブ、見れたことよかった。大丈夫だと思えるほど頑張った。リミテッド頑張ったこと、よかったと思う。強い女性だった。下に来ているのでよかった。ここでいつものトーンを変えて、カット君も来ているので。オーイ!オーイ!」とうわずり声で 言うと、カット君、木村世治さん、後ろから前のステージ域に登場。回転丸イスに腰掛けた。
木村世治さんは、ジーンズに黒系の薄がらシャツにベストを引っ掛け、ベストの前ファスナー金具に真由ちゃん手製の子ねずみを吊り下げている。その黒系薄がらシャツは、那托さんのシャツの色・がらともよく似通っているように思った。カット君はジーンズにフード付きのグレーのトレーナー(orニット)を着ていた。木村『ご無沙汰です』司会「真由、会ってきた?」『あの写真は、お姉ちゃん結婚の時の写真で』司会「カット君は、いつもほほ寄せてしゃべってたね」カット君(丸いすの加減を気にしながら、座高は高くないのですがと言って)『いすの加減でしょうけど、木村さんの頭の上でしゃべっている』と、御2人とも座り始めの落ち着きを得るべく、苦心の様子。司会「ここで、カット君と世治君、2人がここにいるということは、すごいことです。しゃべるの困っちゃう。真由子はずっと待ってたの。hide32真由子28、いいあんばいなの。10歳年下ならまずいけど、4歳年下でちょうどいい。視界の中に入る。出会った頃に比べれば、視界の中に入る。いい事言うなぁ、このやろう っという感じ。4/30ぐらいに東京に出てきて(とhideちゃんに言われてた)と言うことで、hideちゃんと滑り込みで・・・」木村『98年、僕、ボヤーと言う感じでしょ。hideさんに怒られたこと一つあるんですけど、写真撮る時、しゃんとせよ、目に力を入れて、今日からロックスターだろ と。』司会「ロサンゼルスで、木村さんの曲流れたの?」木村『(hideさんと)たまたま車乗ってたらかかった』司会「(カット君へ)いつも真由ちゃんとしゃべってたの、何しゃべってたの」カット『僕ですか。いつもくだらないこと。いつもほほ寄せ合ってしゃべって、hide、Xの話、共通なので、93年の髪型いいよねー とか一方的にしゃべってた(と苦笑い)』司会「ロングビーチアリーナでやっていた頃、追っかけレポーター東海林です。なかなか出てこないのあのバンド。hideちゃん、トイレ行く振りして出てきてくれるの、『もう少しだよ』と。その頃の髪型、よかった。でも2日で元に。セイちゃん、外国人みたい」木村『ロシアっぽいみたい って言われる』司会「セイちゃん、メモリアルで1人出てきたの。うれしかったね。ファンを持ち上げたの。TMの西川君の後だったの。1人で持ち上げたの」木村『緊張しました』司会「曲もよかったね」カット『レモネードアイスクリームやられたんですけど、あれはトリビュートの時の私のやり方で、パクったの、うれしかった』木村『パクらせていただきました(笑)』司会「ロック界の母、セイちゃんとシェイム2人に声援したいなぁと思う。ねぇ、お母さん、今日は真由子がお祭りだと言ってくれてるので、2人のライブ、やってもらいます。カット君が先?」。ここで、お店の方からCMがあるとかの声がして、真由ちゃんのお母さんが、くじ引き用の小箱を抱えて司会の東海林さんのすぐ前で話はじめられる。「お店の方から、プレゼント用意しましたので、御三人に引いてもらいます」ということで、カット君の箱に手をいれると、55番の人(番号はチケットの番号)。カット君は、shame の時のハンカチ(グッズとしていたもの)。木村世治さんの番号は21番。記念品は何だったか記憶もメモにもないが、ピックも渡しておられたのは記憶してる。東海林さんは39番。番号呼んでも返事なし。すわもう一枚引いてくれるかなぁ と期待し始めた頃、1階におられると言うことで、上がってきたのが2歳ぐらいの男の子。記念品の種類について記憶・メモないが、珍しい名刺もあげる と 東海林さん。もう一枚、カット君のプレゼント。2001年のshameの時の手ぬぐい、汗がしみこんだというもの、51番の人に当たる。あとレモネードカフェのキーホルダー三種のプレゼントがあり、カット22番、世治27番、東海林45番、先番から好きな色を選んでプレゼントされていった。次のライブは5時から始まります ゆっくりしてください という話しがあって、4時03分終わる。すぐ目の前(約2m前)で、木村世治さんとカット君を拝見でき、去年だったか、2人を混同してレポ書いてしまったが、これだけ間近で対比できる2人の話やしぐさや人物を見ることが出来、もう間違えることはない記憶に入った。長いメモ中、途中でボールペンがインク切れ、探すと赤色しかなく、仕方なく赤のメモ。休憩でレモカフェ通り前の、津田書店に買いに行った。津田書店?!・・なんと縁があるんですねぇ。帰ってくると、何か食べる?と相棒さん。ドライカレーの小鉢を買ってきてくれた。1時過ぎから4時過ぎまで、3時間、おあずけをくらっていた。
1時間の休憩。それぞれ友人との話や食事、階下ではお店の外での喫煙。2階ではhideの曲がボリューム高揚させて流れてゆく。ロケダイ、エバーフリー、テルミー、ダウト、ビューティ&ステュピッド・・・。5時、カット君が出て来、スタッフがギターを持って出てくる。ライブの準備。シンセも少し弾いて、スタッフと打つ合わせ。5:10始まる。『レモカフェ暴奏祭、カットの番になりました。今年一番、緊張する気がします。今日は一生懸命、歌います』とまえ説を述べ、1曲目が始まった。聞いた曲、なんと言う曲だったか とふと思った瞬間、全然わからない。あれーあれーと迷路を彷徨って終わりに差し掛かり、やっと“レモネードアイスクリーム”らしい。曲の雰囲気や歌い手が異なると、単純思考の頭には捕捉出来ない事態に。2曲目は『真由ちゃん、来られたライブで一番多くした曲“PFP”』。終わってペットボトル。『今日は、木村さんと一緒に来まして、写メールなどとりながら来ました。いつも木村さんとの時は、鍵盤をやるので、今日は弾かないの ときかれて、弾きます と言ってしまいましたので、鍵盤を少し。ここレモネードカフェでライブするのが3年ぶり。いろいろ思い出しますが、3年前に比べて機材が充実してまして、どんなものあったらいいかなぁ と聞かれて、それはどんなものかと(問われ)悪戦苦闘しました。僕が感謝している曲を聴いてください』で始まった“ワンデー・・・”の歌いだしの英語歌詞、鍵盤に乗せて“レモネードアイスクリーム”の英語バージョン。終わって、『後ろの皆さん、再びこんばんわ。たぶん見えて(来られて)なかったろうと思って。わりと、こんなに暖かいお客さんの前だと、やりにくいですね。誰も応援してくれないと、自分で応援するんですが、そこまで落ち込んでないです。俺、3曲やった?。今日はお祭りということで来て下さったと思うんですが、自分が何を求められてるかと言うことを考えず、やろうかと思います。どうですか最近?。僕が最近、ソロでやること多いんですが、ソロをやり始めにレモネでやらしてもらって、shameでやったんですが、ソロの曲も作るようになって気に入っている曲“今日の誓い”。『ありがとう』ですぐ5曲目。“通り雨止むまで カプチーノでも飲んで・・・”と始まる曲。『さっき、あのー、チーズケーキほしいですね。急に思ったんで言ってしまいましたが。さっき、お母さんに、・・あー見えないなぁ、間違えてもいいか(楽譜スタンドの楽譜が、クーラーの風圧でヒラヒラして、とどまらない)・・・さっきお母さんに、名前の由来について、どうして真由子ちゃんなんですか(と聞くと)、お宮さんでつけてもらいました。そ、そ、そうですか。女の子らしい名前がいいです。ということで、この曲。テンポある明るい曲』“名前をとりじゃん”(どう見てもメモはそう読めるが・・・)という曲。続いて“恋に恋した・・・のエバーフリー”を続けてやった。終わって、お母さん、洗濯バサミを持ってくる。『イェー!イェー!、やってみたかっただけです。えっと次で最後の曲です(えーっ と客の反応)。一応ありがとう。あのーまぁ、考えることしゃべりますけど、あれですねぇ、うまく言えないんで言わないんですけど、うーんと、伝えられるかどうか、最近、あのー、僕、子供がいるんですよ。世界5各国に10人ぐらいいるんですけど、“ショック!可愛いぜ!”(と暑気払い)。その娘の、包み隠さず言えば、僕の母じゃないおばあちゃんが亡くなって、おばあちゃんどこに行ったの と聞くんですよ。父として大切なことしなくては と思って、いろんなところにいる様になったんだよ と言うと そぉ と納得してくれたんで、僕もそうかなっと思って、気持ちを込めて、僕の曲。コードなんだったんだろうな?やばい!やばい!。Cだったっけ。・・・Bだ!Bだ!失礼しました。“バースディ”と言う歌、最後に聞いてください』。歌い終わったのが5時51分。『自分が何を求められてるかと言うことを考えずにやろうかと思います』のMCの下り、カット君と言えばいつかチッタでやってくれたギターでのXメドレー、密かにあれを心待ちにしてるんですが、そんな雰囲気を見す透されての予防線(こんな意味じゃなかったかもしれませんが)、少々残念であった。チーズケーキがどこかで出てきたように記憶が残っているのですが、どこだったか。
 すぐ木村世治さん登場。ギターのチューニングなど手っ取り早く終え、6:00ライブが始まった。『木村です。カットに続きまして、木村です。ライブよくやってます。今年一番、緊張してるのかもしれません』と挨拶して、1曲目始まった(“不明”です)。『ありがとう(ペットボトルのむ)。すごく楽しみにしていました。2年ぶりにレモネードカフェ、乗り込みました。車で来たんですが、途中、スピード違反でつかまると言う、にがい思い出があります。横にhideさんがいると言う所(確か、hide
 spirits のポスターが横の壁に貼ってある)でのライブ、キンチョー。ロックスターに感謝する曲“ダンシング”。2曲目を終え『木村です。こんばんわ。すごく照明がまぶしくて、お客さんの顔、全く見えません。前の方、5人だけです。hideさんには丸見えです(横のポスターから)。そんなhideさんの曲、どうしても歌わせてください』で始まったのが“Flame”.。感情を込めて歌う。『でした。で、次の曲』“ヒアリー(?)”と言う曲。“大事な言葉を積み上げた なんとか自分を見つけて 悲しいこと乗り越えてきた 何度も迷って 迷って 何度も自分を信じて 大切な人 溢れるほど教えてくれた・・・”『元気よく行こうと言っていて・・・この曲は大事な時に歌う曲でした』。5曲目、“ありふれた日々に感謝して・・・”と始まる。客の手拍子が起こる。6曲目、お客さんに手拍子を求めて始まる(“不明”)。『もう1曲、のりの曲“ブルー”』。終わって『楽しい時間は、あっという間に過ぎるものです。今日は、ちゃんとイベント出来たことうれしいですし、真由ちゃんも喜んでいてくれると思います。さっき、カットが言っていたように、みんなここにいるんです。真由ちゃんは、こんな人がいないと思うほど、強い女性だったと思います。hideさんと今頃、初めてのお酒を、飲んでいるかもしれません。(しんみり感に)ごめんなさい。hideさんも真由ちゃんも、大好きだと言ってくれた曲“Don't  away・・・”』“道の片隅で 何度も抱き合った 小さな背中から ぬくもりを感じてた この手は今は冷たい 君にさようならを 静かなさようならを・・・・・”『木村世治でした。ありがとう』と言って、急に即興アドリブライブを始めた。“ありがとう真由ちゃん みんなに出会って 僕は・・・ 真由ちゃん会わせてくれた hideさんありがとう みんなの心はあったかいよ サンキュー サンキュー サンキュー ただそれだけで 僕は生きてゆけるよ”と、即興で歌って、『ありがとう』で終わる。6時40分。第三部は、19時から始まります。当店の貴志政人さん率いるバンドです・・・。場が緊張から解かれて、和やかになった。この幕間に、疲れもあったので帰ることにした。10時前にレモカに到着、一旦通りの喫茶店で休憩、続いて車で休憩、1時半頃からライブ会場。東海林さんは、確かカット君の始まりの時まではおられたのだが、あとお見受けしなかったので、5時過ぎに帰られたのかもしれない。2階からの階段を降りようと、下を向いた時、木村世治さんが階段途中におられて、その壁に張られてるポスターか何かを携帯で写真を撮っておられた。横をすり抜けた。人見知りなので、こういう時はなかなか声がかけられない。このお店の、店内も通りの前も、人が異様に溢れている。この一角だけ、異様な盛り上がりを見せていた。交番前の最寄の駐車場も、超満車状態。いいお祭りであった。駐車場の料金は、なぜか500円。50分100円の表示、約10時間駐車、1000円ぐらいのはずだったが、割引日だったんかな。   (完)



間違えた所もたくさん有ると思いますが、最後まで読んで頂いて有難うございますm(__)m