REPORT 6



2008 ・11・29   和歌山レモネードカフェ・東海林のり子トークショー  papa 

  

和歌山も久しぶりなら、レポを書くのも久しぶり。3月のXJAPANと5月の味スタ・hideメモリアルのレポが宿題として残っているが、なかなか書くきっかけがつかめず、ずるずると先延ばしになっている。両ライブに参加できた感動をどうしても残しておきたいと思うが、早く書かないと記憶もあいまいになってきた。このごろ時間は少し余裕が出来てきている。あと、きっかけを一押し。そんな状況の中、東海林さんのトークショーがあったので、東海林さんの話のレポを書いて、膠着状態の打破としたいと思うのだが・・・。
 和歌山への阪和道は、なぜか混んでいる。10時半過ぎ家を出発、土曜日の昼前と言うのに、混んでいるのである。ガソリンが安くなり、一斉に休み外出をはじめたと言う感じ。12時頃、レモネード到着。お店には、トークショー一部の参加者が来店して、食事をされたりしている。真由子さんも、お店に顔を出しておられた。東海林さんは、1時前ごろ到着。前後して那托さんも来られ、久しぶりの再会となった。トークショーは1時35分から、2階の会場で始まった。お母さんが司会の挨拶をされ、今回オープニングに、レモネードのライブでの飛び入りコンテストの常連、北田ようすけさんのギター演奏があった。コブクロ小渕さんに憧れて高三でギターを始めたという彼、地元ラジオにも出演したりして、年数が短い割りには腕を上げているらしく、今回の出演を進められたようであった。「コンドルは飛んでゆく」、桜をイメージして作ったオリジナル「桜のアーチ」、「戦場のメリークリスマス」、元気の出る曲「翼」の4曲を披露してくれた。演奏を聴いていた東海林さんが、演奏終了と同時に、彼の終わりのMCを引き取りながら登場されて(2:00)、トークショーへとつながった。
 『特に2番目の曲が良かった。インディーズのバンドで、いつか有名になったら、インタビューしますと言うと喜んでくれる。何時だったか、インディーズのバンドに、うっかりライブに行きます と言ってしまって、行ったの。そしたら去年だったか、それぞれの道を歩むと言うことで、お花贈ったら喜んでくれた。「ようすけ」で行くと良い。友達連れてこなかったの?。連れてきて派手にやるの。ここにはhideの魂がこもっているから、夢は叶うから頑張って。和歌山に「北田ようすけ」いるということを言ってゆく。ここに来てラッキーなのは、真由子が笑ってくれること。来ると必ずいる、必ず笑ってくれる。Xと言うバンドで、hideちゃんとつながってるんですが、ここのお父さんに会ったら、ロックのTシャツが見えたので、何?ときくと、ロックやるのというの。仕事を始めて51年。ポコッと言うと拍手してくれるの。これ、ボケ防止で良い。何時に家を出て、しゃべること考えたりで、防止になる。若い早稲田の人が来て、講演してくれと来るので,何を言うのと聞くと,「働く」と言うことについて話してくれ、「働く」ことの実感がわからないと言う。働くことは、お金儲けだけじゃない、自分を創るんだということを言った。講演は都合で断ったら、4人の学生がインタビューにやってきた。働き続けること、どんなに楽しいことか、エネルギーになることを4人のインタビューに話した。取材に行ったりすると、長年の経験で、人が来るだけで、事件がどこで起こっているか、わかる。警察はだいたいのことしか教えてくれない。現場辺りに行って、ベランダ見ていると、どこの家も花が咲いたりしていて元気なのに、端のベランダの家はアロエが枯れている。干してあるランニングが重なって一本になっている。もしかしたら、そのうちじゃないの と言うと当たっている。小4のお母さんが、体育の先生に恋をした。先生も何時までも付き合ってられないから、体育館の裏で刺したの。そういう風に、心が枯れてくるんですね。別の事件では、家の裏に行くと荒れてる。私、ベランダの花枯らしたらいけないと言って、花に水やり続けていたら、枯れちゃった。どんどんやってゆくうちに、仕事が嫌でなくなった。13年、ラジオをやってフリーになったの。長男生まれて、営業できないの。テレビ局から来る話しか仕事ないの。そこで、元気なレポーターと言うことを売った。そしたら、皆がそう思い込んで、こっちも元気を装って仕事を続けた。穴をあけないレポーターと言っている。先日、ぎっくり腰になったの。言いきかせたら良いのに、それがなぜか仕事をするとだんだん痛くなる。でもその日になると来れるようになるの。そう思っているといい展開になる。ようすけ君に(想いが)なるようになると言ったが、そのようになってゆくの。股関節が悪くて、4cm足が短いの。かがとを上げて歩くんですが、取材で行くと痛くて痛くてしょうがない。そこで整形の先生に言うと、手術しなさいと言う。手術したら仕事なくなる。先生、手術しないならどうしたら良いんですか と尋ねた。あまり歩かないことですね と言う。レポーターの仕事やってきたが、一歩も歩けなくなったら手術しよう と思った。ある日の取材は、雪山の頂上。行けないと言うと、リフトがあるから頂上まで行けると言う。当日行くと、リフトは休み。若いディレクターは止めようと言う。そこで怒って、取材できないじゃないと一歩一歩登ると、頂上に着いて取材できた。疲れてくると足を引きずってるようになる。hideメモリアルでチッタの時に,一歩も歩けなくなったの。全部終わったのが11時ごろ、帰って寝ると一歩も歩けなくなったの。今日は、仕事できないよ とパパ。穴をあけないと言ったので、その日は雨が降っていたので傘を杖にして長野まで行ったの。新宿の駅では、歩幅も少しのチョコチョコ歩きで歩いていると、「あら、東海林さんじゃないの、どうなさったの」『ちょっと転んで・・・』。伊那総合病院まで行って、玄関降りて、チョコチョコ歩いていると、先生が、「東海林さんですか、おい、車椅子もってこい」。(でも歩いて)控え室までやっとの思いで行って茶を一服。ドアをノックする人がいる。レントゲン科の先生。レントゲンすると明日からの仕事が出来ない。『ときどきあるんです・・』と断る。講演が始まると、中央の演台まで遠い。チョコチョコ歩くのを皆が見ている。そして終えて帰ってきた。次の日はラジオの仕事。夫は、好きでやってるんだからと言う。そうすると自信もついてくる。風邪も引かない。そう思い込む。明石家さんまも風邪を引かない。言って笑って受けて笑ってるでしょ。風邪を引かないのはさんまと私。私はときどきひく。プラスの展開になってゆく。笑うと免疫が出来て元気になる。笑うと(息を)吐く。赤ちゃんはオギャーと泣きながら吐く。死ぬ時は「うっ」とひく。吐いてないといけない。けんかすると息を吐く。ケンカすると体温が上る。体温を変えると気持ちが落ち着く。息を吐いてる方が元気になる。ケンカしても謝る。ごめんなさいと吐く。綾小路さんの、いいですね。笑うと免疫が上って、血流が良くなり、白血球が多くなる。「中高年 鼻で確かめる 賞味期限」。パパが冷蔵庫からハム出して、賞味期限過ぎてるの と言うので、いいから食べなさい。狭い道を100キロで飛ばしてるトラック、前方におばあさん、ところが生き残った。おばあさん、101キロで走ってた。こういうことをノートの書いて残しておく。日本人は缶詰を捨て過ぎる。25年まで食べられる。何十人か一部屋に入れられて、25年前の缶詰食べさせたら、皆、うまいと食べてしまった。私は台所探したら出てきたの。10年前のシーチキン。野菜にシーチキンのせて、パパできたわよ、 うまいと言って食べてくれた。1人前しか作らなかったが。25年前の缶詰食べられるのなら、10年前は軽い。風味は変わらない。笑っていることは、こんなに良い。しかし、笑うにはそうネタがない。そこで作り笑いでも良い。同じように免疫が上る。私なんか、電車に乗っても、作り笑いで読んでる。そうすると大脳がそう思い込んで、免疫が出来る。なんで私はこんなにお金持ちと思い込む。潜在意識で、借金があっても、なんとか金持ちになろうと思うと、生活が変わってよくなる。高周波の声で話しなさい。高い声で話すと自分の為になる。骨伝導できている。高い声で言うと、骨伝導でいい話しを自分の体の中に落としてゆく。嘘でもいいから人をほめる。その人も気持ちがいい、私もいい。さっき、サングラスの人に、東海林さんやせたの とほめられた。他の人を楽しくさせることは自分のため。低周波で話す人は、なんで私不幸なの・・・という人。低い声になっている。高い声で話すと自分の為になる。何でも幸せな方へ考える。不満を数えるのじゃなく、いい方へ考える。100万円落としたって、喜ぶの、命より安いって。何でも命より安いので、こう考えると人生楽しく生きられる。近所で3日間でもいいから、作り笑いをして歩きなさい。4日目にうわさになるから。レモネードへ行って、話し聞いてきたらしいの、何かいい話しみたいだったらしいの・・・。子供にやかましいこと言うんじゃなくて、高く「お静かになさいませ」。夫婦喧嘩も、高い声で「あなた、およしなさい」と言うといい。11/29日から、人が変わって、お金持ちになりますから』。2時44分一部終わる。
一部のトークショーが終わると、東海林さんのサイン会や撮影会となった。サインの色紙は、お店の方で十分な枚数が用意されていて、買い求めることが出来た。写真も、いろいろなポーズに気安く応えてくれた。相当な時間、お客さんとの交流に費やしたあと、階下へ休憩を取りに行かれた。
 2部は、お父様の司会で始まり(4時41分)、北田さんのギター演奏4曲(3曲目は一部と異なる曲「ブザービーザー」と言う名前の曲。何のことだと思ってると、すぐ説明があり、バスケットの試合で、タイム切れの瞬間にシュートして、タイムアウト後に入るシュートを「ブザービーザー」というという説明)があって、ようすけさん最後のお礼のMCに入り込んで、東海林さんの登場となった。
 『北田ようすけ君、東海林もはじめてお目にかかったんですが、ビッグになります。ようすけ君は何時からギターを?。「高三から、きっかけはコブクロの小渕君にひかれて、最初に買ったCDはゆずの『ゆずの夏色』、癒しの曲が好き」。顔が癒しで、これだけカッパ(体格のこと)があれば、舞台栄えするし。ストリートライブするの?。「和歌山駅でときどき」。小遣い貯めて、NHKの前辺りの路上ライブをしていると、お声がかかるかもしれない。いつか聞いた曲かもしれないと握手ぐらいしてくれるかも。チャンスは自分で作っていかないと。そういう所でやるとスカウトされるかも知れないので、和歌山の北田ようすけ、東京でお目にかかるかも。
 現場の東海林です。今日は香港から来られてる方もおられて、日本語ぺらぺら。私の息子の嫁も、中国人です。「お父さん、お母さん、こんにちは。わたし、ワガママです」と。息子が選んだんだからいいかと。嫁姑の話を聞きますが、嫁は優しくて、誕生日とか敬老の日とか覚えていて、よく料理してくれる。(香港の人に)どこで日本語覚えたの?「大学」。(テーブルを同じくしている男の子を意識して)ボーイフレンド?「ここではじめて会った」。(その男の子に)音楽やってんの?声、いいわ。お父さんとこで飛び込み、やったことあるの?「ええ、いつも」。名前は?「カズヤ」。ここで頑張ってやってください。トークもやるの?声、いいわ。香港に連れて行きなさい。hideちゃんカラーになってるわ。レモネードに行くとピンク色のお姉さんがいるの。Xファンだったの。なぜあんな服装してるんだろう。(頭も)片方剃ってある。レポートしてるとラジオ番組に呼ばれて。XのToshiのXクラメーション。娘に聞いたら、ちょっとこれは。やめようかと思ったけれど、行ってみたの。行ってみたら、髪の毛普通で、一般なの。「東海林さん、リクエストないですか」。(前もって2曲だけ急遽覚えこんでメモしていたので)エンドレスレインとセイエニシングを言って、セイエニシング、いい曲よね。(Toshi)「僕達の曲、知ってるんですか。2曲目はエンドレスレインにしましょう」。最後に歌うでしょ。「よく知ってるね。3曲目は」。書いてない!。高峰みえこさんが思い出されて、何でもいいですか、湖畔の宿。そうすると顔色ひとつ変えず「かけましょう」。Xのファンは1年間待ってる。「1年間でも、待ってくれてるんです」。1年間も待ってるのなら、一回見に行こうと思い、テレビ局の(各曜日の)ディレクターに話したの。Xと言うと、皆、シラーとしてる。ロックなのと言うと家庭の奥さんはみんな演歌。木曜日のディレクターが許してくれて、行くと、ゴミひとつ落ちてないの。とにかくきらびやかで、静かな曲はいいし、視聴率悪くないの。次はルナシー。hideちゃんが、ゴールドというディスコがあって、そこでDJをやってて、じゃあ見に行こうと行って、お立ち台にセンスもって踊るの。終わるとhideちゃんがルナシーのスギゾーを紹介してくれて、行くとスギゾーは全身真っ黒なの。シンヤなんか、きのこみたいなの。そのライブも視聴率良かったの。女の子のリクエストが(テレビ局に)あって、あんなところに行くとお母さんが・・・行けないよと言うの。その娘が住所電話番号書いてあるから、電話したの。もしもし東海林です・・と言って、お母さん、不良にはなりません、力尽きて帰りますから、よろよろになって帰りますから、安心してください。お手紙の中に、ヤクザのお嬢さん。わたしの父は組長で、と3人のスリーショットの写真が入ってる。見るからにそれらしきご夫婦でしたが、お父さんはいい人のように見えますと返事に代えたの。その流れの中で、真由子ちゃんを知って、このように人のつながりが出来てゆくの。またいつかどこかで会うと、和歌山のレモネードで会ったと言われるとうれしいの。タクシーの運転手さんに迎えに来てもらったの。東海林さん、私、2度目なの。どこで会ったの。築地本願寺。そこで泣いてたの励ましたの。そこで携帯のhideちゃんの写真を送ってあげたの。そういうように人のつながりはhideが天国から何かしてくれてるの。上から良く見えるからそうして何か会わせてくれる。上はゆっくり休んでいてくれればいい。こっちはさっきのヤクザのお嬢さんの話の続きで、昔、山口組と一和会の分裂の時に、行けと言うことで取材に行った。高知の方で撃ち合いでガソリンスタンドで何人か亡くなった。高知の組長は一和会の老組長でそこの事務所へ行った。ピンポーン、防犯カメラがあるの。フジテレビの東海林です、少しレポートさせてください。「今、理髪店に行ってます」。少し待たせてもらいます。寒いところで待ってると、組員が3人飛んでくるの。「東海林さん、組長がお茶でもと言ってます」。「カメラはちょっと(控えてください)・・・3階に組長がいます」。細い階段を登ると組長がいて「よくテレビ、見てるよ。東海林さん、度胸があるね。若い者に任して暖かい所で待ってればいいのに」。レポーターはそうじゃいけないんです。組員がコーヒーをだす。その上って来た人は片腕がない。そこで度胸決めた。組長、おトイレ貸してください。行くと広くて畳敷きのトイレ。昔の殿様もそうなので、刺されないように。組長、山口・一和会の抗争、話してもらえませんか、と言うと「うん、しゃべろう、どこがいい」。組事務所で。迫力があるじゃない。「組長、やめてください」と組員。何時、撃ち込まれるかわからないから。回り見たら、米俵などあるの。ろう城してるから。出席簿がある。札がひっくり返ってる人がある。お休みの人?と聞くと、「お勤めに出向いておる。これは名札とは言わない。メイサツという」。今考えると行きたくない。今は組長亡くなってるから見ることないけど、女の人はそういう時は強い。カメラマンはガタガタ震えてる。お正月には年賀状が来た。大変ですよ、今なら。4代目が大阪江坂で愛人といる所、殺されたの。病院の周りに組員がいるの。こっちは腹ごしらえでラーメン食べに行く。そしたら皆寒いから、組員も食べに入ってくるの。「おお、東海林さんか、なにしに来たの」。心配で来たの。取材できました。伝票、置いとけと言うので置いといた。皆払ってくれて、名刺くれて、ダイナマイトのテツ(鉄?)と書いてあるの。いつか電話したの。今、お勤めに行ってます。そのうち、お葬式が始まる。神戸の事務所で、レポートで待ってると、手袋持ってきてくれる人がいるの。神戸の奥さんか何かのお葬式、何時に始まるんですか。3時。いや2時半。指がない加減ではっきりわからない。暴力団よりすごいのが兵庫県警。暴力団と見間違うの。県警から、なんで若いレポーターが来るんだ としかられた。香港のお嬢さんにはわからないかな。ギャングとギャングの話。そんな、大変なところ歩いてきたので何でもないの。
 一週間前、ぎっくり腰になり、今日なら来れたけれど、昨日ならわからない。農業のおばあちゃん、腰が曲がってるんですが、前へ行くのが大変と同じ・・。(会場)後ろにかわいいお嬢さん2人いるの(2歳ぐらい)。暴力団の話、わからないわね。双子さんなんだ。お名前は?。若い人もいれば、レモネードのお父さんぐらいの人、hideちゃんぐらいの人、こんなつながりいいですね。(hideサミかな)最初に開会式やれと言われてびっくりした。“皆、元気ー”。バンドの人達も元気をつけてくれて、自分の方向へ行くのっていいなぁと思ってます。hideの誕生日、暮れはどうなるか心配ですが。いつかロスまで取材に行きました。ロングビーチ。いつもミーティングしてるの。「東海林さん、もうすぐですよ」とhideちゃんが出てくるの。その一言、うれしいですよね。時間またかかってミーティング。ロングビーチアリーナ、5/25、私の誕生日なの。そしたら皆で、YOSHIKI、hide、PATA、heath、Toshiが出てきて、大きなバースディケーキに花束くれたの。花束をスーツケースに入れて帰ってきてドライフラワーにしたの。それが生まれて一番うれしかった・・・。
 ある日電話がかかってきて、番組でXの曲歌ってくれ。どうしても歌えないと言うと、教えてあげます、髪も立ててあげます、衣装も貸してあげます で歌ったの。和田アキ子がほめてくれたの。その写真も持ってるが、それも人のつながり。前半中に真由ちゃんに会え、ミュージシャンにも会え、いつか名前が出てくるでしょう。いつかビッグになった時に忘れるんじゃないわよ。香港に帰った時に変なおばさんいたわ って。4時間もかけて来てくれたの。平均年齢は23歳ね。前半は元気出して行きましょうと言うとおばあさんが「東海林さんに会えて・・・」って言ってくれたが、後半は若い人、この変わり身の早さ、東海林のり子でした。5時48分終わる。
 サインも写真も前半でもらっていたので、すぐに帰る。外に出るともう暗い。那托さんと暮れのライブ、当たればまたの再会を約して別れた。


間違えた所もたくさん有ると思いますが、最後まで読んで頂いて有難うございますm(__)m