REPORT 5
2006.04.02 和歌山レモネードカフェ東海林のり子トークショー papa
和歌山レモネードカフェ1周年イベント、東海林のり子トークショーに参加した。Xの話など出れば嬉しいなぁと内心思っていたが、ちょこっと話してくれた。午後1時から3時までの1回目だけ参加。2回目は夕方のなんばHatchのJのライブ参戦の為、残念ながら参加できなかった。以下は話のあらすじ(メモなので変な部分もありますが、メモ通り復元)。
『お父さん、お母さん、1周年、おめでとうございます。お母さん、手芸教室もしており・・真由ちゃん、またきれいになって、そのお膚ちょうだい って言ったんです。妙齢の乙女になって・・・。吉田さん、お花ありがとう。お花(バラ)の花で、Xを形づくってくれてありがとう(黄色い花の中に、赤いバラでXと浮き立たせてあった)。黄色はレモネードの色でいいよ。吉田さん、hideちゃんの代わりのようなヘアー(真っ赤な)して、あれでPTAの役員をしておられるそうです(笑)。14〜15年前に、XJAPANになる前、Xと言う頃で、ラジオ番組で来てくれという事で、Xって知らなかったんですが、Xと言うバンドは胸にXと刻んで怖いと思って行ったら、音楽に熱心で極やさしくて、1年間Fanが待ってるんですが、今度武道館でライブやるんで、(チーフに)今度Xの武道館の取材したいんだけれどと言うと、月〜金の縦割りの番組編成で、金曜日のチーフだけが許してくれて、武道館に行ったら、黒い服でYOSHIKIがいたり、hideがいたり、皆写真撮ったり、ゴミ拾ったりしてるのを放送したら、視聴率の数字もよくて、夏、冬休みにXを追いかけることにした。この前の番組で、お花で印象に残る話なのですが、Xがロスに行ってロングビーチアリーナでフィルムの為のロケやった。5/26と書いてあって、私の誕生日だわ5/26と言ったら、夜、Xのメンバーが花くれて、しかも夜にアカペラでハピバースディー歌ってくれて、今初めて言うんですが、その花束をスーツケースに入れて、ドライフラワーにして飾っていた。その後、Xのファンが手紙くれるようになって、Xのライブに行くのは非行になるので行かせてもらえないが、Xのファンはやさしくて、お返事いらないですと言ってるんですが、住所書いてあるんです。TELも書いてあるのでTELしてあげると、お母さん出て来て、お母さんライブに行って悪くなるなんてないと教えて、ライブに行くように言ってあげて下さいと言ったりしました。・・放送しておりましたら、どうこうしてる内に真由ちゃんが出て来て、よく目立つ赤帽の真由ちゃんをhideがかわいがり、ドームでライブ後も真由ちゃんへ飛んできて『真由子・・・』としゃがんで『もう少し、待ってなさい』と同じ目線で話して、真由ちゃんも今やシンボルみたいなことになって、真由ちゃんがああして頑張ってるのは、hideが見守ってくれてるんじゃないかと思います。私は、真由ちゃんを思う時、時々病院に行ったり報告してくれるんですが、いつものかわいい真由ちゃんを想像してしまうのですが、それは真由ちゃんにものすごいエネルギーがあるからで、あの笑い顔を見ると真由ちゃんと出合ったことが私の励みにもなります。遠くにいてもいつも元気だと思うことにしています。hideがいなくなった時に、一番心配したのは真由ちゃんのことで、それで気持ちが落ち込んだりしたらどうしようかと思ったけれど、築地本願寺に行った時もYOSHIKIなど真由子って声かけて、しっかりして頑張った。人間ってすごいなぁと思うのは、人を引きつける力、人を元気づける力があると思う。私は心配してない。いつも元気にしているだろうと・・今も上で東海林、何話してるかと気にしてるだろうけど・・(真由ちゃんはトークショーの時も1階のお店におられた)。
みんなが気にしていたバンドはなくなっても、音楽は生きていて、hideちゃんの曲はいつまでも続いてゆく。ボーカルでhideが歌う時『歌うの?』って聞いたら『歌うよ』って言って、何回も練習していいボーカルになった。また絵のセンスもあってギターによく絵を描いていた。家から一歩出たらXのhideだからとピンクの髪の毛で歩いていたのを思い出します。Xが出たあと、弟のルナシーも出て、hideが紹介するバンドが世の出て、紹介していたんですが、今もインディーズのバンドと交際してます。インディーズもいつまで音楽できるか不安になってるので、みんな応援してるよと、応援の人がいることを伝えると喜んでくれる。チラシもらう時に、『今度、行ったげるわ』と言った手前、東海林も行くんですが喜んでくれる。生でバンドやるのは大変なことで、武道館なんかでは、ライブ前ステージそでで震えてるのを見ると、(勇気を奮い起こして)新しい気持ちでステージに上っていく人を見ると、ああいいなぁ と思うし応援してあげなきゃと思って、音楽は人の心をつないでゆくもので、そのつないでゆけばゆくほどいい音楽になってゆくみたいで、私は「TELL ME」と言う曲を聴くと涙が出てきます。たぶん「TELL
ME」は名曲なんだと思う。毎回毎回聞いてると、明るいんだけど悲しい、たぶんそれもあるし、「HURRY GO
ROUND」も亡くなる前の曲で、未完成だったが、Kiyoshiなんかが後を完成したんですが、春に会いましょう と言う曲も、事故で死んじゃったんですが春に会いましょうとメッセージして亡くなって。この間TBSのプロデューサーが亡くなったんですが、貫太郎の記者会見までしてたんですが、本人も意識してなかったんですが皆にお別れしていたみたいになってました。元気の素は笑うと言うことと思うんですが、笑うとなんで健康なんですかと医者に聞くと。オギャーと生まれるでしょ、息は吐くことが大事です。吸ってから吐くより、吐いて吸うと奥まで空気が吸い込まれる、笑うと免疫が出てアルファ波が出て、死ぬ時は「うっ」と吸うなァ、笑わんといかん。山梨大の先生が、笑う人と待ってる人と2つに分けて実験した。笑う人の横で待ってる人も免疫が上がるらしい。楽しいことをやる前でも免疫が上がる。私の夫は定年5年前に退職したんでが、楽しいと思えるにんじんをぶら下げる。家の近くの箱根へ旅行計画したり、北海道の旅行、鹿児島旅行とか計画しても、仕事が入って中止になったりしても楽しいことを目標に置くと免疫が上がる。そこへ笑いを入れたらさらに元気になれる。綾小路キミマロの漫才がすきで、「中高年鼻で確かめる賞味期限」などノートに書いとくと、友達に言ったりすると受けて、友達関係がよくなり・・。私はライブに行くので難聴、夫は年で難聴。(いずれも聞き取れず、おかしい会話になる)ボローニャ歌劇見たいなぁと言うとソーセージの歌劇か。行き違ってると面白いから補聴器買わないことにした。家の中で笑うことが多くなって、夫婦が仲良くなってくる。いつもとんちんかん、目も心もとなくなって、近くの駅が新調したが「500円落ちてる」と言うので見たら、大理石止めてる鋲(びょう)。5年早く退職したら、釣・ゴルフ行くかと思ったが、ヒゲぼうぼうパジャマで起きてくる。なんとか元気にさせんとと赤い服を着せたら、ホルモンが出る。赤いヘアーもいいんで、この頃は赤いのを着せる。映画も連れてくとグーグー寝てる。「オダマリ!」となるんですが、終るごろ起きて「この映画、盛り上がりがない」って、まん中寝てるのに。予告見て、あれもこれもと見に行く。ペットも好きで、ミミちゃんという犬を買いに行ったらネコ買って来た。ミミちゃん、女の子。2人立つとミミはパパの方見る。エサ、フン取替えするとミミちゃんと言ってるうちに、ママちゃんと言う、パパちゃんと呼ぶようになって、この2人だんだん仲良くなって。元気にしなきゃと言うことで、いろんなことして元気になって少しずつ若くなってきた。男の人は、正直で、褒めると本気にしちゃうから、キャップかぶせると「若くなったわ」と言ってあげると・・・。奥様とご主人はエネルギーが違って、奥様は高いもの食べても主人は1000円。旅行でも行こうと言うと主人は家でいっぷくしてしまう。「ただいま」と帰って、主人「お帰り」となって奥様は元気。
この前のエレベーター投げ落としも、モニターにあれだけ顔映ると逃げられない。変な事件がこの頃多い。阪神大震災以降、理由がわからない事件が多くなった。そのあとオウム、そのあと神戸の事件。それにしても民主党は大変だった。昨日も、梨元、みといさんと花見に行った。勘三郎と米倉はデキテルとか、ネタが仕入れられる。勘三郎と宮沢と昔、仲良かった。あれはデキテルとかカンカンガクガク、いろんな噂話をしていた。梨元さんはこのぐらいの手帳に名前書いて束ねてあって、電話していろいろやってる。この間横内さんの奥さんが講演をやった。どうも熟年離婚についてやったらしいという話を、昨日やってました。今、芸能ネタが少なくてワイドショーでも減ってきていて、昨日は伸助さんの会見やっていた。コンビでやってて、一人が成功、一人が仕事無くなるの気の毒。再度、つなぎの服で2人でやる手前だった。たぶん伸助が竜助のこと思って、励まそうとそうしたのかも。伸助も言葉にならないくらいショック。昨日も、梨元、みとい、皆、各局違うので聞き耳立てて、携帯かかって来ると、皆「何かあったのか」「何もない」と言ってちょっと場をはずす。
自分は元気、自分は幸せだと思うことが潜在意識になって元気になれる。自分の置かれた立場が幸せだと思うことが元気になれる。私はいい星の下に生まれたと思うことにしていると元気になれる。芸能界でカゼ引かないのはさんま。自分で笑って免疫、人を笑わせて免疫で、東海林のり子もカゼ引かない。引いても引いたって言わない。そうするとかかってもそのうち治ってゆく。東海林さんも股関節4cmづれていて、15年ぐらい前セラミックスの手術も可能だったんですが、もし手術しないで行くとしたらどうなんだろうと言うと「なるべく歩かないこと」と言われ、レポートの仕事できない。そこで痛いと言わないことにした。すると“痛い”に慣れてくる。レポートの仕事、来なくなるといけないので黙っていたら、なんとか仕事も来る。ある日、山の所の山荘の取材に行けとなった。リフトもあるし、軽く思って行ったら強風でリフト中止。山荘まで取材できない所だったが、一歩ずつ登って仕事できた。帰ってデスクに言ったら「ああ、そう」。何年もこうして仕事していたら、軟骨を保護するようになって、かがとを少しあげて歩くようになった。ある日、女の人2人来て、股関節悪いですね・・・東京で股関節の大会があって呼ばれてゆくと、(ある人が)辛抱していたが手術してよくなりましたと・・・(私には)よけいなこと。ある日、打ち合わせで地下で仕事して階段を上へあがった。上がる所でコキッとなって、痛くて歩けない。帰ってコキッとなったから戻るはずと3週間頑張ったら、治った。治そうと思ったら人間の体、治ってゆく。手術もうまく行けばいいが、今後もゴキッといったらゴキッと治そうと思う。真由ちゃんも何かこういう力があるんだと思う。思う意思、治す意思を秘めているんだと思う。そういうことで東海林さんの話、このぐらいにして、写真なりサインなどこの後することにして、以上現場から東海林がお伝えしました。』(2時04分終る。後は参加者の写真や、サインなどに気さくに応じられていた。まん中ぐらいで私達の番が来て、済んだ後すぐなんばに向かった)
間違えた所もたくさん有ると思いますが、最後まで読んで頂いて有難うございますm(__)m