REPORT 2
2005・7・16 東海林のリ子トークショー(12時からの1回目) 和歌山レモネードカフェ papa
今日は、和歌山レモネードカフェにて2回の東海林さんのトークショー。梅雨が明けたかの様な暑い大阪から和歌山への行程は、阪和道が横浜横須賀道路を南下してるかのような錯覚にも思えて、わくわくしている。11時10分ごろ、和歌山レモネードカフェに到着。お店の前には12時スタートのトークショーの参加者が、すでに3人おられた。11時開店のお店はすでに営業中で、時間に余裕もあり軽い朝食を取ることにした。すでに真由子さんもお店の奥の定位置にご出勤で、参加者と笑顔で接客されていた。食事の間にも、順次今日の参加者が到着され、お店の中はにぎやかな挨拶が交わされて、華やかなムードになって行く。東海林さんとアシスタントのお二人も11時半ごろに到着されて、真由子さんと笑顔で話されていた。チケットの完売の張り紙も店頭に張り出されていて、20名の定員がオープン(11時40分)前には詰めかけ、お店の中は溢れる話声で満ちている。40分少し前、2階の準備の完了が案内され、チケット確認を済まして2階の会場へ上がった。4人掛け丸テーブルが4つ、2人掛けテーブルが4つ配置されて、階段上がった方が後ろ側になるような会場設営で、一番前の丸テーブルが空いていたのでそこに座った。その前の空間にはトークの足掛け丸いすが置かれ、角のテーブルにはきれいな花が花瓶に盛られて咲き誇っている。12時、貴志和子さんの挨拶がありトークショー後のサイン会や写真撮影などご自由とのお話があって、東海林さんが紹介されて入場、すぐにトークショーへと移った。
拍手に迎えられ笑顔で登場。『今日はお暑い中をお集まり頂きまして、誠にありがとうございます。私は現場の東海林です』とまず場をつかみ、『本当に暑い中を来て頂いたんですが、お父さんとお母さんと真由ちゃんがレモネードカフェを作ったと、しかもちょうど横須賀にhideちゃんのミュージアムがあるんですが、それが9/25日に閉館になっちゃう。その前にお父さんがお仕事やめてレモネードカフェをやって、真由ちゃんが毎日お店に出てるというんで、お母さんから偶然電話かかって、7月始めにイベントやりたい、で、売れてないんだけど忙しい、売れてないんだけどぽつぽつ仕事があるんです、2日空いてることはないんですがぽつぽつ仕事があるんで・・とか話でちょうどその頃にやりたかったらしいですが、うまく話が合ってトークショーが出きる事になって、で、真由子ちゃんに会いたいと思ってもね、なかなか会えなくて、こういう時に真由ちゃんに会ってですね、真由子はね、どんどんきれいになっちゃう、憎たらしいからつねっちゃう、なんで真由子は美人になって、笑顔が可愛くて・・と言うのは心の中に何もなくて心がきれいかと・・“ミス中ぶらくり”の感じで、真由ちゃんに会うとこっちも心がきれいになる。hideの方がいなくなって、真由ちゃんがhideのお姉ちゃんになってきたみたいで、東京に行くのもお父さんお母さんが来て会うと、いつもニコニコしてて私もエネルギーをもらってる。何かバンドを追いかけてる間に、途中hideは天国に行ってしまったが、才能あって、絵も描いて、人が一生かかってもできない事をやったんだろう。真由ちゃんが絵も上手で、人と人と出会ってエネルギーもらって、昨日も福井から来た人もいて今日も大阪などから来た人がいて、エネルギーを感じる。結びつきと言うのは、人との出会いでやっぱし縁を感じ、昨日も和歌山に東京から帰って来たという人がいて話したら、私の住んでる近くであったの。私は大ホラ吹きですが、寂しい顔をしていたが元気をもらったと、私と会えば元気になれると話した。
番組でハワイへつれてくツアーがあって、テレビの視聴者多く集まって、私も行きますよといわなきゃいけないんで、飛行機初めての中年の方もいて、私、東海林の乗った飛行機は落ちないんですよと言うと、安心したと喜んでくれた。私はラッキーなので落ちないと言うと喜んでくれて。私は4人姉妹で、普通美人4姉妹ですが自分とこはいろんな顔してて、最後の娘で味噌っかすになってて、正月の片付けなんかも大学生になってるのに「外に行って遊んでなさい」と言われてたりして、のんびり屋になったの。卒業して結婚しようと思ったが、雑誌の婦人記者なんかいいかなぁ、有名な作家に会えるしいいと思ったが、コネないと出版社に入れなくって。つぎにスチューワーデスになろうと思い、国際線で外国に行ければ旅行も出来るし、「アテンションプリーズ」とかかっこいい。英語でもその当時、慶応、早稲田、一橋、立教で競争してて、立教優勝した。野際陽子さんが一つ上で、私が副、野際さんはかつらかぶったらさらに美人で、私は合わないかつらであった。そうだスチューワーデスになろうと思い、パンフをみると@容姿端麗とあった。A身長制限5尺3寸以上。私はテレビ映りは大きく見えるけれども立つと小さい。スタジオは大きく見えるが、1m52.5で、155ぐらいかなと最近思っていたんですがナースが「縮むんです」。みんな私より背が高く、5尺3寸は160cm以上で、10cmは大きな差。鉄棒にぶら下がっても伸びず、諦めた。受けなかったが飛行機に乗るとよくわかった。荷物棚がスライドしてて、私では仕事は出来ないと納得。そこで次にライブドアのニッポン放送がアナ募集してて、顔見えないし、試に受けたら、受かんないと思ってやったら、2000人が来てたのに受かった。男4女4が受かって喜んだが、他の7人は勉強もして受かったが私はそうでもなく、研修はNHKから教えに来てて、怖かった。私の本名は青葉のり子で、これが私を傷つけた。間違うと「青葉か」、何回も間違うと「大馬鹿」。何回も怒られてビリとわかっているけど悲しかった。はじめ全国天気概要の放送で「海上の船舶はご注意下さい」と読むと、青葉が読むと誰も注意しないよと言われ、悲しくて泣き出して読むと、泣いた間が良くて「それだ」と言われて。なんで私がアナに受かったんですかとある時尋ねたら、おいでと言って言うには「人にはその人なりの癖があるので、ずぶの素人をとれば治せるだろう」と言われ納得。1,2番でないのは何か得してただろうか。マラソンは、1番でなんとかこのままテープを切りたいと思うし、2番なら追い抜ければ劇的であるので頑張ろうとする。ビリがいい、ビリは気が楽だしとイメージすると急に気が楽になって、仕事をし始めた。他の7人は番組もって頑張っていったが、自分はJOLFと言って、後に9:00,9:30とか言ってるだけで、そのうちうまくなって、JOLFとか頑張ってると、お前にもレギュラー付いた、連続放送で「君の名は」で、奥さんが皆家に帰った。スタジオへ行ってごらんで行くと、言うのが「明治乳業提供サザエさん」だった。仕事を続けてると、3、6、9年と続けると仕事がわかってくる。3年でわかり、6年でかなりわかり、9年でプロになってくる。当時は女性は男性より給料が低く、ニュースは男性のみ。婦人ニュースは良かったが、なぜニュースが読めないのか聞くと女性では「信憑性がない」。女性はアシスタントで、ちょうどhideがなくなった頃に、女性が悲しんでいる時に明るくやろうとなって、オールナイトニッポンで明るくやって、YOSHIKI,TOSHI,PATA,HEATHなど皆で楽しくやって、追悼にしなかった。私がオールナイトでメインが出来たのは、hideちゃんがくれたと喜んだ。そうしてやってると他の人がいい人が出来たから辞めますとか言って辞めたり。仕事にはいろいろあってつまらなくなる。ビリを歩いていた人が、1番になって、そのまま走っているから1番になって、アナウンサーやってる人で残っているのは私一人。周りはいなくなってラッキー。あの時はやめなくて良かった。通してみて何が良かったかは、最終的に残ったそれもラッキーだった。アナウンサーになりたかったが、インタビュー受けると困るが、いろいろラッキーが重なった。結婚した男(東海林)もラッキーだった。その男はラジオやってたら、ガールフレンド連れて見にやってきた。そのうち1人で来だして「あぶない!」。車持ってきて、当時の住まいが浦和だったので、そのうち先輩送るとかで・・・。当時自分には好きなディレクターがいて、お茶でも飲もうと誘ってくれたが、好きな人で言えなかった。好きな人に比べて、この男なら何でもいいからデートもジーパンかなんかで、そのうち結婚しようよとなったが、「待って」と言って、結局楽な方の年下の男を選んだ。これが結構幸いで、結婚しても先輩後輩なので楽チン。ハンサム男は落ちるのが早い。「あら、ふけたわ」、夫は目が小さくて変り映えせず、夫には自分のことは自分でしましょうねと言った。インタビューで東海林さんは、妻でお母さんでどう両立してますかって言われるけれど両立しない。後輩が子育てもし、私がベビーバス入れると小さな手で落っことしてしまいそうなので、ちょっと東海林君来てで風呂も入れるようになる。私、料理得意じゃない、簡単なものしか作れない。夫はこんな簡単なものしか作れないのかと言うので「シングル イズ ベスト」で魚も塩焼き、ほうれん草もゆでるだけ。「そうじゃないだろー」『そうねー』とかごまかしてるうちに、近所の奥さんが、暇がないだろうから作ってきたわよと持って来てくれた。そのうち子供も預かってもらったり。そのうち東海林さんはひどいわね「子供まで預けて・・」と言われた。女は息を抜きたいと思うし、DNAの中に手を抜きたいが入ってる。男の人は料理の先生もいるしシェフは男。夫に男の方が料理作るセンスがあるのよと言うと、「やってみようか」。コンロの使い方も私よりうまいし、片付けもうまい。秋田の出身で味は濃いが、なんて上手なのと褒めると、作るようになりました。褒めるのはタダなのでここが大事。作るようになると、買い物するようになる。近所の奥さん「東海林さん、まとめて買い物できません、旦那さんが重いカバンもって買ってましたよ」。グサーと来た。帰って夫に、そう言われたの、家には家のパターンがあるのよと言って、夫は自分で作って、今日も食べている。夫の友達が電話してきて「おう、お前、何勉強してるのかよ、何、味噌汁かよ」とか話してる。男の料理教室で、彼はまだ味噌汁の段階だよ。・・私の荷物をどんどん落としたい。夫は65が定年で、60ぐらいから元気が無くなった。この男は会社でいらなくなった。早く気付いてよかった。仕事しないでお金もらえる会社って無いの、行きなさい。コーヒー飲んで時間つぶしてくれば会社は終るが、男はプライドがあって、それが邪魔する事があって、体育会系の人でやることなくなると元気なくなる。このまま行ってうつ病になるといけないので、「やめていいよ」っと言うと元気になったが、やることがないと辞めても元気なくて、テレビ前に座り続ける。毎日が休みでサンデー毎日で、覇気が無く沈んで行く。私は決断して、仕事を続けるために後輩のために赤い服着せたり、ヒゲはやしたりすると元気になって来た。4年ぐらい経ったが、考えてみたら、旅行もせず、猫のミミちゃんの面倒見て、呼びかけるとまずパパの方を見る。2人寝ていてもパパの方を起こす。そうして夫は元気になり、夫婦と言うのも突然近くになり、ラブラブ。若い頃より良く分かり合えるようになり、最初の想像してた頃より良くなった。ストレスためないと人間は125歳まで生きる。人間は50年50年で細胞が入れ替わる。120ぐらいでマイクしゃべってたらすごい事で、しわがれ声でしゃべっててる元気だといいなぁ。現場から東海林がお伝えしました』。12時52分終った。その後すぐに、サイン会や写真に気楽に納まってくれた。色紙には「愛をこめて」と書いてくれた。
(注)走り書きメモで、話の内容や筋道が変ってしまってるかもしれません。アナウンサーの仕事にまつわるビリ談義や夫操縦法は、たぶんに謙遜とサービスが伺え、トークショーの意味合い上、やっぱりお客さんへの「うけ」に努力や苦労を軽妙に装飾されたと思いますので、半分はジョーク、半分は東海林さんの人柄のお話として理解していただきたく思います。
間違えた所もたくさん有ると思いますが、最後まで読んで頂いて有難うございますm(__)m