REPORT 9

  2011,04,09   東日本大震災 Toshlチャリティーディナー&ライブ in 岐阜グランドホテル   papa

羽島では握手が引き続いてあり、ToshIに握手してもらって、ディナーショーの会場、岐阜グランドホテルに5時40分頃着いた。道のりで20キロぐらいは離れており、チケットには6時半開場と書いてあり、急いだ。皆さんもそうだったろう。50分からグッズ販売、7時受付が始まり、7時13分にはディナーの会場に入った。半からトーク&ライブとなってるが、押してゆくだろうとは思ったが、しっかり急いで食べたのであった。ホテルにしては、ステージが芸術公演会場のように大きく、普段からいろんな歌手などのディナーショーが開かれているらしかった。6人テーブルで、5テーブルがステージにそって並び、2列目、3列目と後ろへ続いていってる。テーブル番号は34まであった。55分「ToshIのコンサート、まもなく始まリます」とのアナウンス。
 ほどなくして、ToshIが登場、ToshI「皆さんこんばんわ。今日はお越し頂き、ありがとうございます。10日前に決めました。何をすればいいのか、とにかく行動と言うことで、コンサート、急遽、決めました。まずは岐阜羽島、夜はこちらのホテルで、今からスタートとなります。自分の友人が、気仙沼におりまして、連絡しますと、彼は沢山の店舗をやっていましたが、家族だけは無事でしたが、天国から地獄でした。その事は、子供達が学校に行ってる間に起こりました。物資も少しずつ届いていますが、皆を楽しませるもの、エンターテイメントなものを僕には期待したいとのことで、音楽はどんな力になるか分かりませんが、今日のコンサート決めました。岐阜では多くの人に来てもらって、始められました。海外にいるYOSHIKIと電話がつながっています。YOSHIKI「朝の4時です。ねむたい」ToshI「YOSHIKI、チャリティーに参加してくれてありがとう」Y「・・・大丈夫・・・」(電話の音声が、不安定で、レコード回転数を落としたような音声が多く混じり、聞き取れない)T「今日の地震に、どんなこと、思いますか」Y「ミュージシャンとして、皆の気持ちを、音楽を通して・・・」T「どんなこと、具体的に」Y「ひみつ」T「ニュースに載ってたんだけど」Y「わかんない」T「オークション、何出してくれますか」Y「ToshIに言われたら、何がいい」T「いつも使ってるもの、音楽な物」Y「そしたら、タンバリン」T「使う事、ないだろう」Y「カスタネット」T「使った事、ないでしょ」Y「ドラムステック」T「それいい。ドラムステックにサイン入れてください」Y「入れます」T「ありがとう」Y「コンサート、始まったばかりなの」T「そうなの、スティク送ってね」Y「ステック、送るよ」T「ありがとう。ちょっと音声悪く、すいません。YOSHIKIも、ピアノをオークションに出したり、YOSHIKIファンデーションをアメリカで出そうとしていたり、彼は目だってない所でも、積極的に活動しています。XJAPANとしても何かやろうとしています。XJAPANのギタリスト、スギゾーと言う人物、すばやく現地に行って、今日はヘドロ掃除したとか、今日は炊き出ししたとか、いち早く活動しています。(ここで、スギゾーに携帯から電話しようとしたが)スギゾーの番号、入ってない。もう一つの携帯あります。(スタッフ、ないとの動作)ない!じゃー、電話待ちということで。あっ、きた!。(スタッフ、鈴つきの携帯持ってくる)じゃー、スギゾーにかけます。(6回、呼び出す。「ただ今・・・」)そういう感じが・・・。今、移動中かな、もう1回、かけてみよう。あっ、もしもし、スギゾー。皆さん、聞いてます。スギゾー、現地に行かれて、9日間行かれて、現地、どうですか」S「普通に生活してたら、絶対に経験できない風景です。今、ちょうど、東京に戻ってきました」T「どんなこと、思いましたか」S「町の中は、車ぐちゃぐちゃ、泥だらけ、船が上がっていて、・・・前半は泥を排除、後半は炊き出し。町は戦場ですね」T「直接経験して、これからどうして行きたいですか」S「自分に出来ることやります。アーティストとして出来ること、自分で出来ること、復興のために、もともとシークレットで行くとしてたんです。(表に出たのは)ボランティアを皆に啓蒙して行こうと思いました。誰もが出来ることなので」T「スギゾー、ありがとうございました。チャリーティ、してほしいんだけど」S「ライブで使ったぼろぼろになった・・・僕のDVDとを・・・」T「ということで、YOSHIKIとスギゾーの電話、つないでもらいました。じゃ、音楽に入りたいと思います。僕も準備します」
 8時14分、T「ではまず、最初に聞いてもらいますのは、先日のToshIフィーチャリングYOSHIKIの曲、@『クリスタルピアノのキミ』」。ステージ構成は、昼と同じ。バイオリン等演奏者も同じ。ステージの大きさに、昼の部と錯覚しそうな感じ。21分まで(ペットボトル水)。T「えーでは、この曲は、CD化してないですが、A『星空のネプチューン』と言う曲、演奏します」。27分まで。T「どうもありがとうございます」。ハンドマイクを手に持って、前へ出てきて、置かれている中央の椅子に座る。T「今日、来てくれたゲスト、呼びます。パーカッションのシンヤ!」。シンヤ出てくる(叩きながらではなかったような)。T「どうですか、シンヤ君」シンヤ「ちょっと、酔いしれていました」T「1月から、セッションしたりいろいろ。TELしまして、こういうことやるので、参加してくれと連絡しました。震災についてどうですか」シンヤ「自分のことのように、被災地のことを愛さなければと、考えさせられました」T「もう一人は、XJAPANのベース、ヒーちゃん」(ノートパソコンもって登場)T「今回は、ヒースも声かけて、協力しますと言って、来てくれました。シンヤもヒースも慣れてない・・・」シンヤ「ですね」T「まあ、頑張ろう。ヒーちゃんは、今回の震災について思うことありますか」ヒース「人ごとに思うことってあるじゃないですか。今回は、そう思わせない所で、皆で何かしなきゃいけないなぁと思いましたね」T「音楽の力で、何かしないとと思いますね。じゃXJAPANの曲、B『Say Anything』聞いてください」。ToshIはギター抱え、ヒースはパソコン見ながらベース、シンヤはパーカッションを伴奏。椅子に座っての丁寧なパーカッションの伴奏、感じよかった。38分まで。T「Say Anythingと言う曲でした。YOSHIKIやスギゾーから出してもらった品を、オークションしたいと思います。初めてのことで、どうなるかわかりませんが・・・どうするんですか」司会者「私の方から、品物と値段を言いますので」
(司会が、オークションの品物を、YOSHIKIのステックから始めるというので、ToshIは、半ばびっくりした様子で、YOSHIKIには言わないように と言ういきさつの後)T「YOSHIKIのステックからですが、ライブでは、粉がドラム周りにいっぱい落ちてしまうほど激しいドラミングで、『大事に大事にしている』と言ってますが、ロサンゼルスでは、・・・(沢山、転がってる と言う意味を言ったように記憶。メモには書ききれなかった)」。司会「3万から」客「20万!」で即決(司会が、名前を聞こうとしたが、ToshIが、それは言わない方がいい と制止)。T「次はスギゾーのぼろぼろのストラップとDVDです」司会「1万から」客「10万!」即決。司会「次は、ToshIさんのアコースティックギター」T「これです(たった今Say Anythingを伴奏したギターを持って)。今、出てくるのなら、今渡してしまいましょうか。ストラップと」司会「皆様、これ、3万から」客1「20」客2「21」客3「25」で、25万で決まる。T「今、渡しますか。今!。サインペン」を要求。ヒースの席へ。T「ヒースの匂い、しますけど」と言って、その場でサイン。サインしたギターをスタッフに渡し、客3はそれを受け取り、ToshIと握手してステージを降りる。T「次は、ヒース。それ、帽子」と、ヒースがかぶっている帽子をオークション。ヒース「記者会見とかに被っていたハットです。復活の時も、被っていたもので、高くないので・・・」司会「1万から」客1「5」客2「12」客3「15」客4「20」客5「25!」決定。T「今、ほしいですか。来てください。皆、ありがたいねぇ」。客5がステージに上がってくる。ヒースと握手。ヒースから帽子を被せてもらい、降壇。司会「次はPATAさんで、Tシャツとピック」T「PATAさん、出してくれたんだ。連絡来ないので、ダメかなと思ってたら、『わりぃ、カゼひいてた。で、何がいいの』(PATAの口調を真似た、どす太い声で)。いつも使ってるピックとか、ギターとか・・・ギターは出せないと言うことで」司会「1万から」客「10万!」即決。他に2点あると言うことでYOSHIKIとToshIのサイン入りラファエロの画集。T「お楽しみ会があったので、2人で行った時に、とにかくサインしといてと言ったもの。もう一つは、モーツァルトの曲が入ってる「弾けるんです」と言う教則本みたいなもの・・・」司会「ラファエロのもの、5000円から」客「35万!」即決。司会「次は「弾けるんです」、5000円から」客1「5」客2「10」客3「15」客4「18!」で決まる。司会「以上になります」T「皆さん、御協力ありがとうございます。僕は、赤十字を通じてしようと思いますが、現地の話、子供達へのケアなどに特化したものにも寄付したいと自分なりに考え、周りの人の意見も入れて、ちゃんと届けたいと思います。もう1回、シンヤ、ヒースに出てもらいましょう」(時計は8時52分)。2人出てきて、シンヤ「ヒースと同年だと思ってたら、2ヶ上とわかって、それからヒース君と呼ぶようになった」と話した時に、司会者が出てきてToshIに耳打ち。するとToshI「次で最後になります」と即座に言う。シンヤの話の続きとなって「被災者の、津波でもう一歩で飲み込まれそうな人のこと、(テレビで)見た。「命があってよかった」と言うのを見て、物じゃなく、心を大事にする生き方、大事と思った」。T「ヒースは」ヒース「言葉がないというのが、正直な気持ち。小さな力が集って、大きな力が出ようとしている時ですが、復興叶うまで頑張りたい」T「最後の曲はですね、カバーですが、心から一日も早い復興を願います。子供達も本当に春が来るように、何かできるように、ジョン・レノンのC『イマジン』を歌います」(57分から9時まで歌う)。ToshIの声量のあるイマジン、ToshIの思いを乗せたイマジン、聴き応えがあった。T「どうもありがとうございました」。客席へ深々と礼。シンヤと握手、ヒースと握手。そして袖に消えた。
 すぐに手拍子が起こる。スタンドマイクが左袖に出てくる。司会「この度、ある方からの詞・・・」で朗読が始まった。昼間コンサートの最後の詞である。読み終わるとToshIが登場。ピアノの鍵盤を強く叩いて始まったのは、D『春の誓い』。(私事ですが、さっき自分の机の周りのいろんな書類をあちこち移していると、偶然にもtokumitsuさんが、当ホームページに上げて下さった『春の願い』の歌詞を発見。プリントした(3/31にしていたのに)ことも忘れてしまっていたが、偶然出てきてくれたのは、何かの縁かも。その詞を再度、ここに上げておきます。
   
    大地に生きる 聖なる夢を
    いまだ寒い  春の光に
    こころ ひとつ 山をも越えて
    あなたのもとに ああ
    どうか どうか 届けてください
    この深い想いを  この強い願いで
    「私を守って」
 
    空に羽ばたく 清いこころを
    夜空の向こう 星は輝く
    こころ ひとつ すべてを越えて
    あなたのそばに ああ
    どうか どうか わかってください
    この暖かな想いを
    この信じる願いで
    「あなたを守る」
    「春の願い」
 
9時7分終わる。T「皆さん、今日はどうもありがとうございました。一日も早い復興を願い、やって行きたいと思います。御協力をよろしくお願いします)。9時9分ディナー&トーク&ライブ終わる。テーブルから立ち上がり、帰りかけようとするその時、相棒さん、感が働いたのか、同じテーブルの、あと一人の男性の方に話をさせて頂いた。それがshinさんであった。34テーブルの中の一つに偶然同席させて頂いたのは、運命共同体を感じますね。お住まいの所にあるYOSHIKIが泊まったと言う旅館の話しなどしましたが、当時(2002年ごろ)はあった有名人宿泊写真がまだあるのか、も一度行ってみたい衝動もあります。また何処かでお会いできる事、楽しみにしてます。(ToshIチャリティ岐阜 完)

間違えた所もたくさん有ると思いますが、最後まで読んで頂いて有難うございますm(__)m