2003・10・24 TAIJIサイン会、HIDEミュー]強化月間、館山

24日のTAIJIのサイン会、ずっと前から予約していた人間ドック2日目と日程が重なっていたので、行けないなぁと漠然と諦めていた。しかし、1週間前ぐらいになり、こんなチャンスはめったにないなと思うと、急に行きたくなり、病院と交渉して2日目のドックを別の日に変更して頂き、ここから急に横須賀も館山も行きましょうとなった。
 当日は、深夜1時半大阪出発。サイン会会場の横浜みなとみらいパシフィコ横浜に8時20分頃着いた。だだっ広い建物であった。9時ぐらいから楽器フェアーが始まると思っていたが、なかなか。9時半から入場切符売り出しますと言っていたのに、10時前になっても始まらない。会場内に入ってゆく人は皆関係者のようで、もう切符売り場に並んどこと思って、2人、前に立つとすぐに長い列が後ろに出来、「長い列が出来てますが・・」と関係者が携帯してすぐに売り出し開始となった。当方は前売り券を用意してあったが、引き換えに入場カード(首ぶら下げ)をもらわないと入場できないとの、ただそれだけのことで順番待ちしていたのであった。すぐに85番ブースのキラーギターズ(株)に直行。男性2人がおられたが、「まだ職員の方、来られてません」とのこと。なんでじゃ、外部の人間にはあんたも職員も変わりないが・・。仕方ない、会場を一回りすることとして、河合楽器のピアノ関係にはYOSHIKIの何かがあるんじゃないかと行ったが、残念、クリスタルピアノが目立つところに展示されていたが、YOSHIKIの演奏写真やその他はなかった。会場はあらゆる楽器(神殿の太鼓もあった)や放送設備が展示されていて、照明ライトの会社のブースでは、ライブで見る点滅照明ライトやスモーク機材が実演されていて、十分それだけでライブ感覚にしたれた。会場1周してキラーギターズに戻っても、まだ誰も並んでいるわけでもない、職員も来られた様子もない、仕方ない、ここでも待つことにしようとその場に立った。10時はとっくに過ぎていたはず。立って4〜5分して、やっと整理券がいただけた。1・2番。振り返ると30人ぐらいの列がつながっていた。中には入場前からよくお見かけした方もおられ、同じ思いで待っておられたんかなぁと連帯感が湧いた。
 4時からのサイン会までの空きを利用して、HIDEミューの]JAPAN強化月間を見に行くべく、そそくさと会場を後に。高速を利用すると、もうすぐ。近づくと3本の旗がひらめいている。今日は開いてるな(7/30に行った時は水曜定休日)。ちょうど11時にHIDEミューの入り口に立ったが、今日も閉まっている?・・慌てて門を開けに走ってくる人が見えた。掃除をされてる人が、「いらっしゃい」と声かけてくれる。快晴の日和、空も海もすがすがしさが溢れていた。1500円の入場券を求め、入る。中央に3本の角柱が立ててあり、ドーム公演やその他のスナップ写真が貼られていた。壁備え付けのギター収納ケースの両面にも同じように貼られていた。なかのギターはなかった(まとめて箱に収められてやや中央に展示)。奥の暗室の所には、HIDEの等身大の蝋人形があり、出来栄え良くしばし眺めていた。いつから展示されてるんだろう。8/30オールナイトも来たがここへは入らなかったが、去年はたしかなかった。くじらの展示室に戻ると高校生ぐらいの人4人と女性がお一人。出しなに、クレーンを1回ずつやった。相棒はみごとHIDEちゃん人形(キーホルダー?)ゲット。カフェラに行き、紅カレー1200円を注文。それに何々パフェも。ステージ前のスクリーンには、]やHIDEのライブ模様が映し出されていた。2人だけのカフェラのお客のために(カフェラ貸切で)、わざわざ歌っていただき(私らだけのための公演)、うーん最高でした。オールナイトの時の溢れんばかりの大賑わいも良かったが、貸切も良いもんであった。満喫して外に出ると、4人がけの椅子のところで松本裕士が先ほどの高校生4人のインタビューを受けてる感じであった。軽く会釈をした。レモネードに行き、子供らの土産を買う。BGには、TOSHIのライブの歌声が流れている。子供らは、親ほで熱烈なファンではなさそうだが、気持ちを込めた親の土産のつもりで探す(いらなければいつでも親に戻してもらって結構)。ふとレジの上のサイン色紙に相棒が反応。02.3.4の日付け。なんとやはりYOSHIKIのサイン。中での写真撮影は出来ないので、外からののぞき撮りも、ガラスの反射でうまく撮れないようだった。去年の3/4日に来られたとの説明であった。出しなに、「ありがとうございました」と言ってくれたのは、入る時の掃除のお姉さん(大サービス)いやお嬢さんと言って良いぐらい、感じのいい言葉であった。取ってつけた愛想じゃなく、感じのいいお見送りの言葉であった。
4時からのサイン会。3時に車を出れば十分(会場真下の駐車場なので)であった。行くと午前中とは大違いの大勢の人。楽器フェアーは大盛況と言う感じである。すぐキラーギターズに行ったが誰も並んでいる様子もない。会場をぶらぶらする。3時40分頃に歩くのも疲れたので、並びがてら一服。すると列が続くのであった。なにも1番をめざした訳でもないが、そうなってしまった。4時前、誰かが「来た来た!」と言った。東の入り口方向の人ごみの中から、3〜4人、向かってくる人がおり、長髪、細おもて、サングラスのTAIJIとわかる人が向かって来ていた。(これから後は、記憶がまばらになってしまってます)取り仕切る人が、写真は駄目と言う。開始のマイクがあって、目の前のTAIJIがサインを始める。お名前はと係りの人に聞いて、〜SANとTAIJIの名前の下に書いてくれた。1番の相棒は、花束を渡し、なにやら言っている。TAIJIは、うつむきかげんに「うん、うん」と聞いている。あのTAIJIがすなおに目の前で「うん、うん」と話しに耳を傾けている姿に、ものすごく親近感が湧いてきた(この様子は、Be FreeのHPの写真にアップされています)。ロッカーそのものの威容があり、かっこいいと思った。HPでのひ弱さなどない!。HPで聞く音風の音源をかっこよく引くTAIJIが目に浮かんだ。2番目の私の番に来て、サインの手許を見ていた。几帳面な字の運びであった。体を大事にしてほしいこと、12/28の鹿鳴館のことをしゃべって、あとはしどろもどろ。握手もしてもらった。脇へ退くと、みんな写真を撮っている。制止をする様子もない。さて次の予定のため、20〜30m会場を後にした。相棒が写真を撮ってくると言って、待っててとの事。すぐ戻るだろうと待つこと30分、まだ戻らない。キラーギターズ手前まで戻った。TAIJIを囲む人盛りは、崩れることなく続いている。その最前列のTAIJIの正面に、人を待たしていることなど忘れ切っている相棒の顔がちらっと見えた。最後、TAIJIが集まってくれたことの礼を述べ、サイン会は終わった。華やかなサイン会だった。
 パシフィコ横浜を出る頃は、外はもう暗くなりかけていた。5時半前後。今から館山まで行くのである。ホテルには8時ごろ着く予定とTEL。アクアラインから館山道、R127を通って、7時半過ぎ、ホテル着。去年1度来たので大体の道順は分かっている。荷物を置き、すぐ食事に出る。近くの居酒屋『香』。ママさんと娘さん2人で営業されていた。営業許可証の名前が林とし子になっている。さいさき良くYOSHIKIとTOSHIが合体したような名前。その辺のきっかけから、「YOSHIKI追いかけて来たん」となり、少し話を聞くことが出来た。地元にはマスコミには上らない話がいっぱいあるようでもある。10時半ぐらいまで、飲んで食べていたが、阪神が3連勝が決まった瞬間、一同、会計と言っている。館山にも阪神ファンがいっぱいいたのには驚いた。私らも出た。
 翌日は、YOSHIKIが行った場所めぐり。9時出発して、先ずは館山南南西の沖ノ島。YOSHIKI小学5年の作文にある「沖ノ島」。「ザブーン、ザブーン・・・汚れてしまった沖ノ島」の現状はどうか。自衛隊の敷地を海沿いに回ってゆくと沖ノ島がある。途中の海岸は、地層の千畳敷の岩を斜めに差し込んだ形状の海岸。波打際の整備された堰堤には、もう釣り客が多くいた。沖ノ島前面まで車がゆける。国定公園の看板。150mぐらいの砂浜が海上に堆積した先に沖ノ島はあった。YOSHIKIの校外学習時と同じ時刻だと思うが、ちょうど引き潮時。沖ノ島まで渡る砂浜には、満潮時にはその最上部まで潮が満ちてくる濡れた跡があった。砂浜両側の波打際はきれいなもので、確かに波打ちから離れた高いところには、海草、木屑、など打ち上げられていたが、汚れた海岸の印象はない。YOSHIKIが訪れた時に比べ、沖ノ島はきれいになったようだ。せっかく来たのだから、1周することにした。鳥居をくぐり右回りに小道を行くと、海岸に出たり、入ったりの小道。波に洗われて途切れた部分もあった。千畳敷を差し込んだ海岸はここでもあり、見事だと思った。ちょうど反対側には、小さな灯台があり、少し先から小道は島の頂上へ向かっていた。頂上には神社の小さなほこらがあり、辺りはうっそうとした原生林の様相。島全体が、この小さな神社の境内になってるようである。灯台と神社、ここが館山の漁師の安全を祈願する聖域として信仰を集めているらしい。1周を終え、再度砂浜伝いに車に戻る途中、波打ちでなにやら取っている人に話してみると、この辺では皆遠足にここに来ることになってると言っておられた。取っているのは「ごかい」というミミズにムカゼの足がついてる奴。           館山ビジネスホテルからここまでの道のりは、相当長いと思いながら、遠方の館山城を背景に館山港の写真を車中から撮り、「宮城」交差点を左折して北条海岸を北へ。「県立安房博物館」へ立ち寄る。南館は、水族館、北館は昔の漁業盛んだった頃の船、漁具、生活を展示してあった。外には、船のエンジン、捕鯨のモリが展示されてあった。12時前後に博物館を後にして、北条海岸を北へ、海岸が広がるところにピザの食堂があり、休憩。食後、道を隔てた海岸へ行ってみる。安房水産高校がすぐ前方にあり、去年はここで見事な夕日を見たのである。そのあと「北条」交差点から国道をそれた道を東へ行くと、「金台寺」があり、見事なマキの大木が目に付いたので中に入ってみた。胴回り3mはあろうか、見事なマキの大木。なかなか由緒ある浄土宗のお寺。門前には「あわれと見送る人も、やがてまた、あわれと人に見送らるる身ぞ」の張り紙。次に第三中学校。市役所の西隣。校庭北側に校舎を集め、南には広い運動場が広がっている。移動式の大きな門扉が正面玄関にあり、ガラス戸の多い透けた開放感のある校舎の造り。運動場では野球部の練習がなされていた。校舎の北側には、大きな宮澤書店があり、この日も中学生がやってきていた。次に安房高校。中学から北へ600mぐらい北にあり、全く住宅地のど真ん中にある。周りを笹や雑木のような垣根で囲まれており、中の校庭は手入れが行き届いた感じであった。正面玄関が分からず、細い周回道路を半周すると西向きに正面玄関があり、中の植木は刈り込まれていて、歴史ある館山筆頭の進学高校の風情。次に、沖ノ島の話の続きの暖地園芸試験場へ行く。その日、YOSHIKI達は、北条小学校から沖ノ島へ行き、この暖地園芸試験場まで歩いたのである。たしか9時前に学校出て1時前に暖地園芸試験場に着いたのである。R128を行くと右折の看板。なだらかな道が次第に坂道になり、こんな坂道歩けんぞーという坂道を登ったところに、試験場はあった。山の中腹かやや上。北条小学校から沖ノ島へ行き、試験場までの道のりは、その距離、上り坂を考えると相当きつい。好奇心に動かさられない限り、この行程は限界ぎりぎりだなと思った。恐れ入ったの感想で、試験場を後に。次に、館山商工会館。これは]活動間もない頃(87.6.7)、地元ライブをやったところで、終わったあと海に飛び込んだと、どこかで見たので行きたいと思っていた。はじめ中央公園の西側にある菜の花ホールかと思って行って見たが、海岸沿いの道を北へ2つ目の信号との事であった。ちなみに中央公園は元北条小学校の跡地で、きれいな公園であった。商工会館は、海岸に面した道沿いにあった。2階のホールが、それらしきホールで、行った時も1列16基の椅子が17列並べられていた広いホール。ステージも広く、誰もいないことをいいことに、ステージや幕下までも不法侵入させていただいた。横がジャスコで、当時はあったのかどうか知らないが、買い物帰りに、地元のバンドを応援に来た人もいたはず。道理で、これだけ海が近くなら、飛び込めるわと思った。次にすぐ近くにあった立派な鳥居の「鶴谷八幡宮」へ行ってみた。なかなか立派な社であった。本殿でなにやら修理している人がいたので、お祭りはいつか聞いてみたら、9/14・15との事。確か昨日「香」で聞いたTOSHIの参加した祭りは、10月第三日曜日だったが・・・と思ったが、調べれば分かる事と宮司らしき人にはもう聞かなかった。相当疲れたので、今回はこれで打ち切り。実は夕日を見て帰る予定であったが、運悪く台風17号の影響で曇り空。武道館のように大当たりまで行かなくて、4時まで持っただけでもありがたい。次回の時は、祭りも含めもっと地元の話が聞ける場所を選んで、館山風情に浸りたいと願い、館山を後にした。



間違えた所もたくさん有ると思いますが、最後まで読んで頂いて有難うございますm(__)m