hideミュージアムメモリー       papa

2006・02・05  hideミュージアムメモリー(2階奥の部屋)
ミュージアム2階、開放的なクジラ展示ホールの右扉を開けて順路を進むと、薄暗い次の世界が広がる。辺りをほのかに照らす光の元は、ほとんど展示を照らすの照明が担っているらしい。外観のhideミュードームの内部構造が、半円形の弧を形どって弓なりの壁面を眼前に現してくる。真横左手向こうへは直線の壁が続き、その終点辺りに暗い展示ホールの出口が開口している。すぐ前には半円形の壁に沿って階下に降りる赤い鉄製の回り階段の降り口がある。弧を描く壁には8窓2段の展示窓が出口側へと並んでおり、上段右手前より@→G窓とすると、@には白い理容服とその横に1986年の「VISUAL LOUD &CULT」と銘打ったライブポスター。ポスターには、14Fri目黒鹿鳴館、23Sun大宮FREAKS、26Thu目黒LIVE STATION、To BE CONTINUED(G.HIDE、V.KYO、G.REM、D.TETSU、B.TOKI)とあり、hideがすごいドラムに出会ったというTETSUそして解散の原因となったそのTETSUがここに載ってる。サーベルタイガー全盛期のポスターか。A黒のツーネックギターB分厚い黒革のhideの人形C94年のライブ衣装(赤と黒帽)D96年ライブ衣装(迷彩服)Eライブ衣装FギターGギター。
下段手前より@理容卒業証。ハリウッド理容学校学長 牛山清人、校長 メイ・ウシヤマとある。さらにKISSのLP。小学校担任の岡田道子先生への便り(出さずにあったと書いてある)『先生お元気ですか。ぼくは今 山中こに来ています。モーターボートへのったり、山の道さんぽしました。さんどうのまわりには きれいなみずうみがありました。水がとても冷たいでした。かみなりもよくなりました』(山中湖にて)。A]のLPなど]関係B「横須賀 弥無危異寿」と金文字の黒服。ステージ衣装EXTASY SUMMIT1992使用の服とギターChide Faceの仮面、ガスマスクなどDカバン、ベアー、レモショグッズE]DAHLIA TOURのパンフレット、解散ライブのスタッフジャンパー・スタッフバス、「PSYENCE A Go Go」ビデオのアナログ盤Fフジテレビ「ロケット・パンチ」の時の衣装、財布、カード入れ、迷彩服GJETSの会誌 4冊、その他のパネル。
 赤い回り階段を降りると、途中から目に付く正面の壁にイラストの絵(グッズのTシャツにも染め抜かれていたようなイラスト)。さらに降りると小さなモニターが点在し、hideのプロモーションビデオが勢いよく流れている。進む床には、ガラス張りで展示窓にもなってる床面が切られていて、外人ミュージシャンのレコード類。自身の声でロスでの日常が語られてるhideのモニターや3枚のパネルが狭い両壁面に配置されてる通路をさらに進むと、ガラス張りの床にはKISSやIRON MAIDENのLP/ジャケット。通路が右折れするその正面には、鉄格子で囲われたスペース、奥にはhideの使用したものと思われる音響機材。床窓にはhide人形、CD類。その角には「ever free」の衣装をまとった等身大の蝋人形。等身大人形の向かいの壁には、hideのロスのオープンカフェでのスナップパネル。その横は、壁に映像を映して]時代のステージ衣装。進むと右にhideのステージ衣装9着。左には歌詞の原稿やノート書きページが展示。
 2階に戻る。弦にあたる直壁には、40枚のパネルが掲げられ、hideのいろんな写真。壁の中央には透明の円筒が置かれ、中には「hide your face」のグロテスク仮面。作者や使用経緯の説明があった。その左にはガラスケースに歌詞原稿(ノート書き)、右ガラスケースにはギブソンレスポールスタンダードのギターが展示され、説明には「Hide Your Face」のレコーディングから全てのレコで使用したもの とある。暗室内展示はおおよそこんな所で、出口扉を出ると、光あふれるhideの音楽のようなクジラ展示ホールに戻るのである。

2006・02・07  hideミュージアムメモリー(2階受付あたり) papa
(17.9.1のメモから)
11時50分着。門を入ると、左右のしゅろ(やし?)の木を渡して「2005年9月25日をもって閉館いたします。 hide MUSEUM THE FINAL 5年間 たくさんのご声援をいただき ありがとうございました」の横断幕。向こうには20〜30人の人が動いてる。正面本館のコンクリート壁面のhideポスターは、イエローハートを抱えチェック衣装の上目覗き見ポーズ。右下にサイン。本館手前に来ると1階2階への別れ道の標識 右→「Cafe Le PSYENCE」、左→「hide MUSEUM」。hideのポスターの後ろ、ミュージアムの大きなドームのせり出しに狭められた2階への階段を登る。20段ぐらいを登ると大きな踊り場。踊り場左、コンクリ壁に沿って3本のマストが高くそびえ、3種の旗をなびかせている。広い踊り場右が入場の扉になっていて、その前には記念写真用の抜き顔のhide等身大ポスター。入口ドアを入ると、すぐ右に記念スタンプのテーブル。やや広いエントランスになっていて、右手には階下に向かう階段(お手洗い)、その目立つ向こうの壁にはアルミ縁の「hide MUSEUM 閉館のお知らせ」。『(入館時のパンフにも同文が入っていたが、も一度読み返すと)この度ご愛顧いただきましたhide MUSEUMは 2005年9月25日をもちまして閉館させていただく運びとなりました   1998年5月2日hideが空に旅立ったあと hideが創り上げてきた「“ROCK"SPIRITS」を 後世に伝えていきたいという想いから
 たくさんの方々のご支援ご協力のもと 2000年7月20日 hide生誕の地 横須賀に 日本のロックミュージシャンとしては初めての記念館 hide MUSEUMを設立いたしました    当初 hide MUSEUMは3年間の期限を設けての運営予定でした しかしみなさまからお寄せいただきましたご高誼により この夏おかげさまで5周年を迎えることができます そして昨年は多くの方に見守られながら hideの7回忌を執りおこなうことができました これまでのみなさまのあたたかいご声援に深く感謝申し上げます     hide MUSEUM閉館後も hideと彼の「“ROCK" SPIRITS」を 末永く応援していただきますようお願い申しあげます   2005年4月 hide MUSEUM 』。お知らせの横にはくわえタバコおちょぼ口のhideがこっちを見ている。 その下には黄色い丸テーブルが3客、アンケートBOX、アンケート記入台。左に目を転じると2枚のhideのパネル。その横には羽毛服レッドヘアーのhide大パネル。やや広いエントランスが奥に向かって狭められて行く通路の壁面は、黄色と白の配色に統一され、奥に続いてゆく。hide大パネルに続き狭まる通路に沿って2台のUFOキャッチャーが置かれている。左が、hide人形・イエローギターのパブリカ・4種の枕のアイテム、右はhideの小さな人形(フィギュア)の商品が景品。1回左が500円右が300円だったかな?。UFOキャッチャーの先には、3台の丸テーブルが並べられ2つの小さな額。一つには『A special Thank you to・・hide MUSEUM 様    難病の子どもの夢をかなえる メイク・ア・ウィッシュ オブジャパンに ご支援をいただきありがとうございます   2004.9.13   MAKE-A- WISH Make-A-wish of JAPAN理事長 八木 昌実』。もう一つには『A Special Thank you to・・hide
for your Contribution in Making Wishes Come True May2.2002 MAKE-A-WISH Make-A-Wish of JAPAN  President MASAMI YAGI』。パソコン2台が次のテーブルに置かれてhideミューやその他のhide関係の案内に供されている。パソコンの先には、CDを背に透明ギターを抱えコードに絡まれたhideの大パネル。通路右には6枚のポスターが貼られてある。そして入館の受付に至るのである。 


2006・02・09   hideミュージアムメモリー(カフェラなど)   
平成通りに面する玄関には、いろんなパンフや本日のメニューなどが掲げられていた。しかし、それをみてちょっと休んでゆこうかという通りすがりの一般人は、ずっと向こうにある建物をみて二の足を踏んだことだろう。その長い助走のような垣根と芝生の中道をホップステップジャンプと進むとするなら、まず助走の中ほどの噴水を越えて訪れるホップにレモネードショップを選ぶことになる。まずはグッズの自分好みに目星をつけておこうと言う軽い衝動。噴水先を左折すれば、平屋建こじんまりとしたグッズレモショが行きと帰りの道草を促している。公道からミュージアム搬入路を横切り、木製のテラスの足踏みを入ると左右に長細い陳列棚が室内中央にあって、いろんな小物、ストラップやホルダー・人形など、さらにその陳列台を周回する品定め道の外側、つまりレモショの壁伝いにはTシャツやhideの衣装の複製服や著作物の大物が並べらていたが、値段が高く視線と姿勢は同極を反発しあう磁石のように陳列棚に向き変えてくる。天井の梁の下には、hideミューを訪れたミュージシャンのサインが色紙に踊っていて、彼らにもここに来たことの感動が感じ取れる。YOSHIKIのサインもH4.3.2の日付であった。最初の頃は、]のBGMは流れていなかったが、4年か5年ごろにかけて、レモショに入るとToshiの]の曲が流れていたことがあり、食欲をそそる香辛料の効果にも似て、購買意欲は前向きに変るはずに思えたが、実際はことさらきびしい財布の現実が意欲をほだすまで行かなかった。ほしいものは山ほどある。しかし相談しきれない一線を超えることが出来ず、手持ち無沙汰の手には、軽くて安い小物があってレジに出されてしまう。買えなくてごめんという申し訳の愛嬌がつい出て、とりとめもない会話がレジの店員さんに向けられる。自分の期待に自分が応え切れなかった無念がさせるのか、帰りのドアはちと重い。出ればhideの大きな人形が、椅子に体を投げ出して、やや仰向いて語りかける。『お客さん、グッヅの袋、お忘れですよ?』と。余談だがレモショを出て右側、公道側にはレモショの倉庫のような扉が1枚見えてる。何の変哲もない1枚の扉は、案外見落とされる。玄関から中道を通ってくると視線はレモショの看板と店内へ注がれる。レモショを出れば次のステップの目標、カフェラの方に向いてしまう。この1枚の扉はその視線の動きになかなか入らない角度の位置に設けられている。死角を利用したこの目立たない1枚の扉が、hideミュージアムの事務所である。中は事務用の机が、会社風に並んでいて案外と通路も狭いように感じた(ちょっと用事で入った時)。石渡さんや支配人橋本さんがひょこっと首を伸ばしてこっちをみてくれた。
 レモショを出ると、まずは一息入れようかとカフェラにステップする。分かれ道の矢印を右直進すると、地面はミュジアムの躯体に続くコンクリートの面となり、うみかぜ公園との境界垣根は高い板塀になる。板塀は20m先の岸壁まで白く一直線にのびて、左にそびえるミュージアム本体との空間を、大きく開放的に広げる。向こう海に見開かれたウッドテラス前方には海原が水面の波頭を揺らし、スローモーションの舟を浮かべている。海に向かって広がる板塀空間の真ん中には、黄色く色付けされたギターのレリーフが小さな段差で浮かび、その中には腰高のモニュメントが立っている。彫刻でもあり式台でもあり。これはhideミューで行われるウエディングセレモニーの晴れた日の誓いの儀式に使われる(雨の日は、2階のクジラ前でセレモニーが行われる)。モニュメントの手前左側に、hideミュージアムの大きな鉄格子に埋めたガラス板の外壁にカフェラの入口がある。入口の面が少し海側に延びさらに左へ海沿いに透明の見晴らしの構造を延長している。扉を入ると、左にレジ、その後ろドームの楕円カーブの壁と海側透明ガラス構造は、先ですぼめられ、そこにもう一つの入口がカフェラ内部のホール入口となってる。入口までの海側ガラスに沿って休憩のテーブルに椅子が5〜6セット置かれてある。ホールの中は、800人ぐらいのキャパを要するライブ場も兼ね、右にクッキングスペース、その上に照明音響の設備があり、ホール中央にはステン製の丸テーブルと椅子が10〜15セット置かれていた。ホールの周り高い所にhideのパネルが30枚前後並べられていた。その正面にはステージがあって、いつもは黒いどん帳が下ろされているが、前面のスクリーンには、営業中hideのライブ映像が流れている。11時開店と同時ぐらいの早い時刻には、貸切でhideが自分達にライブをしてくれるので有頂天になれる。ホールを向こうに突きっ切るとお手洗いがある。真っ暗の中に淡い青系の照明がポイント辺りを浮かばせているが、ポイントには怪獣をかたどった装飾があったようだ。hideミューお手洗いは、幽玄の世界に近い。ステージはミュージシャンしか上がれないが、実際上がると広く、客席は足下に見える。ステージ向かって右側に進むと、ステージを降りる階段があって、少し進んで左に折れるとレモショ前を通る搬入の駐車スペースに直進して出、しかも左折左に楽屋入口がある。ちょうど2階階段の踊り場下か、入った直後のエントランスの下辺りに位置していると思われる。楽屋は6畳ぐらいのスペースで、大きな鏡が3面あってパイプ椅子で座る。洗面所やシャワーの設備、缶物を冷やす保冷庫のようなものがあった。ミュージシャンの化粧はもちろん、ウエディングセレモニーの時はここで化粧も行われる。何かのイベントの時は、お客さんの入ってしまったレモショ前を通り搬入スペースから楽屋、舞台袖と関係者や館長がせわしく往来したんだろう。カフェラの食事、映像に来館の疲れも和らぎ、さて2階のミュージアムへジャンプとなる(以下はすでに書いた)。


2005・07・20   hideミュージアムメモリー(くじら)
(くじらホールに付いては2005・07・20のレポの一部を引用)
受付を済ますと、その場所からは撮影禁止のホール回廊が回れ右の後ろ側へつながっている。左へ緩やかにカーブを切るように、hideミューの外壁のカーブに沿って、回廊も左へ緩やかにカーブを描いている。右側にはhideの活動の経歴を掲げた黄色いパネル(10パネル)が目線よりやや高く掲げられ、3m巾ぐらいの回廊は約10mぐらい進むと終わる。hideのパネルに目を奪われながら進むので、回廊が途切れる辺りでは、突然と言える具合に大きな白を基調とした空間ホールが突如広がる。視界が広がる前方向こうの壁面には、目を圧倒する巨大な海岸風景の大パネル(目測縦5m×横7m)がはめ込まれ、薄暮の海岸に沈む太陽の長い帯が海上手前に伸びて来る風景、その左には溶岩が海に流れ込み白煙を上げている荒あらしい風景。その手前中央にはこのホールのシンボルのように赤いソファーがハート型に床面に置かれ、hideの息づかいを感じながら、ここに座って周りに配置されたhideゆかりの展示物を概観できるようになっている。ハートを四角く取り囲むようにその四隅の位置あたりに、白の逆四角錐の基台にステージ衣装をまとったhideのマネキンが見上げるようにステージ視線で高く望まれ、海岸大パネルへ向かう3方の基台の中間には、赤黄色を基調とした四角柱(約50cm×70cm×180cm)が配され、hideのスナップ写真が展示されている。驚きをもって周りへめぐらした視線が次に止まるのは、回廊左カーブの壁に包み込まれ最初は目隠しされた、海岸大パネルの反対側に置かれているhide 愛用のキャデラック(だったかな?)通称“くじら”。その大きさ、黒光りするレトロな車体は、床からの小さなライトに照らされてボディやバンパーも行き届いた光りを放っている。床面にはくじらを取り囲むように赤い造花の盛りバラがくじらのステージを作り上げている。回廊の延長にある右壁面には、黄色のパネルの次に船室の窓にも似せた丸ウインドウ(20個ぐらい)の中に、hideの作品のビデオやCDを展示、その先にはhideの中学生ぐらいのギターを抱えた写真が額縁入りで掲げられている。そして海岸大パネル壁面に設けられた次の展示室への入口扉につながってゆく。その扉の上には、hideのイエローハートを抱え弾きポーズのパネル(約縦1m×横2m)。同じ扉は左壁面前の同位置にもあって、中の展示室からの出口扉になっており、扉の真上にはチャップリン風おどけたポーズのhideのパネル。出口扉を出た左壁面すぐに、hide宛ての小包の箱がケース入りで展示され、その先にhide愛用のギターが四角い透明な展示ケースに入れられ壁面にはめ込まれる形で展示されている。壁には計20の展示スペースがあるようだったが、そのうち10本のギターケースがはめ込まれて展示、残りはケースを収める四角い穴となっていた。くじらの奥には、黄色く塗られたH鋼の足場の2階に、hideの勉強部屋が再現されているようだった。勉強机、椅子、パソコンディスプレイや書籍類が見えている。その右には2階から床面まで届くかと言うような、ピンクスパイダープロモ衣装のパネル風スクリーン(約4m×4m)が吊り下げられている。2階に目が行ったところで天井を仰ぐと、ホール天井は空調ダクトの配管(約Φ50cm)が4本、銀色の覆いをまとってくじらから大パネル方向に通されていて、その間には20基の水銀灯が白く輝き、採光のため配管の高さの位置の外壁は1mほどの切り窓が周囲にめぐらされている。その切り窓からは、外の青空やhideミューのひらめく旗がソファーからちょうど望まれる。ソファーに座った位置から眺めたくじらホール概観は、ざっとこんなものであろうか。4体のhideのマネキンには回廊側から左回りにチェック柄が2体、黄色のブレーカー、迷彩服となっていた。その迷彩服のかたわらには、天井からサルのしっぽの様な太いロープが床に届くぐらいに垂れ下がっている。なんとギターのピックを重ね合わせたものらしくとんでもない数のピックの作品。また海岸大パネルの左右には50cm巾の黄色の縁取りが縦に描かれていて、パネルをテレビ大画面に見たてたように両側にスピーカー6個ずつを黄色の中に組み込んで描いてある。描いた絵ではなく本物のスピーカーかも知れないが、座り込んだら立つのもおっくうで確認できなかった。赤いソファーには、常時10〜20人が腰掛けていて、ホール内も常時50〜60人がいると言う盛況。hideのにぎやかな楽曲も絶え間なく流れていて、人の多さに展示物の一つ一つが異彩を放って輝いていた。次回の来館時には、さらに細部や次の展示室、経歴パネルのメモなど閉館までに記録できるものは出来るだけ記録しておこうと考えてる。


間違えた所もたくさん有ると思いますが、最後まで読んで頂いて有難うございますm(__)m