REPORT  14

2005・9・25 hide MUSEUM FINAL(閉館日)    papa
 

hideを知る人毎に万感の思いを募らせて、遂にその日が来てしまった。台風17号が横須賀の南海上を通過中で、25日はその影響で相当の荒れ模様になりそうだった。もう疲れはピークで、24日PM11時出発の予定が、2時間の仮眠の目覚めよろしくなく、12時出発となった。うみかぜ公園駐車場には7時20分到着。通り過ぎたhideミュー門前には、10人前後の待ち人と路上には数台の車が止まってる。。外は台風の強風に雨。第一駐車場は、奥2/3が詰まっているぐらい。早く並ばないととビニールレインコートを着込み、足下はサンダル、傘にマイチェアー抱えて門前に急いだ。7時半並び開始。大体10人ぐらいの人数で、みなさん通常の服に傘で待っている。門前の桜の木を揺らす風の強さは激しく、雨は小降りだったが、傘無しではぬれてしまうという状況。街路樹が横風に震え雨の縞模様が強風にあおられ、通り過ぎる。辺りの強風に比べ、門前のすぐ横は陰になっていて風雨の強さはまともには来てないようだった。hideミューも関係者は来てない様だったが、なぜか垣根の中ほどの非常灯が音を上げ2回回転した。後ろにも人が並びかけたので相棒は、車に。1時間ぐらいして交代。うみかぜ公園のトイレは、海からの波しぶきが飛んできてかぶってしまうし、トイレの落下物が下に届かず、途中で風にあおられ飛んでしまう。コートは海水に尿に雨が一緒くた(うえっ、汚い)。車は、強風でゆすられ、船酔いになるぐらい宙に舞ってる感じ。9時に列に戻った頃には50人ぐらいの列になっていた。もううみかぜ公園の第一は満杯であったが、今日の天候では釣にスケボー・テニスは皆無のはずで、全てhide関係の車のようだ。列に戻ると消防車が1台、門前に止まっている。さっきの非常灯の関係かと思ったが、しばらくして3人の横須賀消防署員が出てきたが、3人とも事務用のブルーの服装であった。非常の事態ではなく、何かの点検に関した訪問のように見えた。9時ごろには雨は止み、風のみ吹き荒れている。雲は左回りに急旋回しているが、あかるいほころびもあり、雨は止んだ様だった。その後、門前にはトラックや関係者の車が到着して、バックで入る誘導やゴミトラ(清掃車じゃなく)の入れ替えなどあわただしい。カメラマンも辺りを撮影しておられたが、一人が近くに来た時に挨拶してくれる。去年の続婚式セレモニーの時にビデオ撮影してくれたカメラマンで覚えていてくれたらしく、記念に何か一言と言って、メッセージを撮影してくれた。上がってしまいなんて言ったか覚えていない。9時54分には「花松」商店の車が路駐して、GLAYの看板と花を持って入った。列は相当後ろまで行ってるようであった。10時を過ぎると、どんどん人が詰めかけて、門前を通過してゆく。2人だけ白とブルーのレインコートが大げさに待ってたが、誰も雨が降っていたとは想像しないぐらい天候も「曇り」に確定して、強風と若干寒いぐらいは軽い辛抱で待っていられる。どんどん詰め掛けるお客さんに、時間前の開門もありそうに思ったが、20分ぐらい前に横4人の列に並び直しただけであった。敷地内ではスタッフが動いており、館長も来館して、スタッフと写真撮影しているようだった。スタッフが3人、近づいてきて開門かと思ったら、植木に何かしに来たり、いよいよ開門かと思ったら違ったりで、11時3分頃の開門まで、気をもませてくれた。
 開門と同時に、横4人の列はガードマンに先導され「ゆっくりお進みください」のとおり、ゆっくり前進。噴水で左右に分裂する時に、レモショへ行く人は左へ、その他は右へ意識的に分かれたようだった。相棒はレモショへ、私はミューへ行くことになっていたので、そこで分かれたときには、前方に一人の女性が歩いておられ、さらに前進すると女性はカフェラの方に進まれ、ミューの先頭が自分になった。ミュージアムへの階段をガードマンの靴を見ながら先頭で行くのは照れくさかったが、館内に入ると照れくさ隠しにニコニコ顔になった。受付のお姉さんも笑っていたが、それは大きな紙袋に傘2本とイスの足が飛び出し、荷物で膨れた異様な紙袋を見てのことだったと思う。1500円とパンフで中へ。入口が少し変っていて、2階ベランダへ一歩上がって右へ入口がもうけられていた。中はhideのマネキンの間に、透明ケースに入ったギターがハートソファーを挟んでこっち向こう3つづつ展示されてる以外はホールは同じようだった。私は、今日最終日の第一の目標が黄色いパネルを写す事。今まで8番目まで写したがあと9・10番目が残っていたのでこれを写したかった。先日の「HIDE DAYS」の本にも年譜が載っていたが、パネルと少し違うようだったので、とにかく写しときたかった。荷物をソファーにおいて、一目散に写しだした。途中、写している横に人がたまって来たが、下がったり場所を変え、邪魔にならない様にしたが邪魔だったかも。9枚目を写し、相棒にTEL。レモショは2番目でレジ、すぐにスタンプを済まして、今ミューの入館列のうみかぜ公園駐車場の方の列に並んでいるとの事。レモショにはニットキャップと目覚まし時計を頼んでおいた。キャップはかわいいし、目覚ましは去年、レモショのご希望グッズのアンケートにhideの呼びかける目覚まし時計と書いたものの、その後時計のグッズが出てこないため諦めていたが閉館2日目の情報で出現、とにかくほしかった。小休憩して最後の10枚目を一気に写した。「みんな写してるんですか」と声かける人もいた。とにかく写し終えてソファーにドタン。そこに相棒が来た。どのくらい時間が経過したかは集中していてわからなかったが、案外早くミュージアムに入れたように思った。1時ぐらいだった。それからしばらくして奥の展示室をのぞく事にしたが、詳しくメモしようと前から考えていただけで、もう時間もなく最後の見おさめ。時間は夕方まであるが気力がもうなえていてメモは出来そうになかった。
hideミュー2階のホールは、最近はずっと休憩場所になっていた。快い音楽に正面にはスプレビの大ポスターが壁面一杯におどけ、くじらの展示も反対側にスペースをとってあり、ライブ衣装のマネキンにギターなど、明るい空間に赤いハートのソファーが音楽と展示の中心に置かれていて休んでしまう。一度休むとその心地よさでいつまでも休んでしまうと言うのが最近の例で、今日もファイナルでないのなら、思う存分休んでしまう所であった。奥への扉を入ると、暗い暗室の展示場は、半円形の室内の、手前は弦、向こうに弧を描く壁面に展示物だけがくっきり浮かび上がっている。半円形の底面中央には1階展示へ向かう周り階段が階下へ延びている。ざっと見ようと思ったが、癖とは恐ろしい、ちょっとメモの気分が湧いてくる。弧を描く壁面には上下2段8つづつの展示窓が並んでいて、上段手前より向こうへ@→Gとすると、@には白い理容服の横にサーベルタイガー時代のポスターだろうか「VISUAL LOUD &CULT」とタイトルを打ったポスター。『14Fri目黒鹿鳴館、23Sun大宮FREAKS、26Thu目黒LIVE STATION、To Be CONTINUED(G.HIDE、V.KYO、G.REM、D.TETSU、B.TOKI)』と書いてある。昔『Pink Cloudy Sky』(平成11年12月25日初版〕と言う本の著者、荒木“REM”正彦が書いた中に、新生SAVER TIGERがいずれ解散へ向かう時の名前が並んでいる。Aには黒のツーネックギターBには分厚い黒皮衣装の等身大hideC94年のライブ衣装(赤と黒帽)D96年ライブ衣装(迷彩服)Eライブ衣装FギターGギター、下段手前より@→Gとすると@には理容卒業証。ハリウッド理容学校学長牛山清人、校長メイ・ウシヤマの認証。KISSのLP。小学校担任の岡田道子先生への山中湖からの旅行だよりのハガキ(出さずにあった、とある)『先生お元気ですか。ぼくは今山中こに来ています。モーターボートへのったり、山の道さんぽしました。さんそうのまわりにはきれいなみずうみがありました。水がとても冷たいでした。かみなりもよくなりました』と文面を綴っている。A]のLPなど]関係のレコードB「横須賀 弥無危異寿」と金刺繍した黒服とギター。EXTASY SUMMIT 1992使用のステージ衣装らしいChide faceの仮面、ガスマスクもあるD四角い黒カバン、ベアー、レモショグッズE] DAHLIA TOUR のパンフレット、解散ライブのスタッフジャンパー&スタッフバス、「PSYENCE A GO GO」ビデオのアナログ盤Fフジテレビ「ロケットパンチ」の時の衣装、財布、カード入れ、迷彩服GJETSの会誌4冊、その他のパネル
 赤い塗装の回り階段を旋回して降りると見える2面の壁に大胆なイラストの絵(昔この絵のTシャツも売られていたような絵柄)、降りてしまうと前面の壁面には小さなテレビモニターが進行方向に縦3画面、6つの壁面計18面のモニターが設置されていて、hideのプロモが流されている。足下床にはガラス張りの透明窓があり、hideが愛した外人ミュージシャンのレコード類、その先にはKISSやIRON MAIDENの特にhideの思い入れの強いLPやジャケット類。暗室の通路が展示窓の明かりで道案内となって先に進むと、鉄格子に囲まれた小さな部屋には、hide使用の音響機材、前進すると通路左にはパネル3つ右には小さなモニターが3つ4つ並んでいる。映っているのは手前のモニターと同じかどうかは定かでないが、hideの昔を回想する話が流れていた。そこの足下にもhide人形がパイプにからまれて眠っており、次の床ガラス張りにはたくさんのCD類、そこは通路が右に折れ曲がる角で、左の大きなショーケースには「ever free」プロモ衣装をまとったhideの等身大人形が現役のままに飾られている。たぶんMLJの時に特殊メイクを相棒にしてくれた福岡洋一氏の作品かと思った。hideの蝋人形も作成してると聞いた。その辺りにはモニターからのhideの話し声があふれていて、耳はhide目は展示物と聴視神経が分化してしまった。等身大人形の向かい壁には、hideのロスでのオープンカフェのスナップパネル。その横の壁には、]時代のステージ衣装を映像照射で動かしている。進むと右にhideのライブ衣装9着。96年の代々木ライブ衣装がはっきり確認された。その左はhide自筆のノート書き歌詞原稿。人盛りで垣間見ただけであった。1階の展示はこんな所であった。
 回り階段を2階へ戻る。半円形の弦にあたる壁面中央には、円筒形のショーケースが飛び出していて、そこには「hide your face」で使用されたグロテスク仮面が展示されている。作家の名前とかも案内されていた。その左右には向かって左ショーケースには歌詞原稿(ノート書き)があり、右ケースにはギブソンレスポールスタンダードのギター。これには「hide your face」のレコーディングから全てのレコードで使用されたものと解説が付いていた。その後ろ壁面全体にhideのいろんな写真がパネルになって展示されていて、その数40枚あった。それぞれの展示にはたくさんの人が覗き込んでいて、なかなか十分な閲覧は皆さんできなかっただろう。ハートソファ-で休憩してる時も、ここの展示への入場の列がホールへ何度もつながってはみ出してる現状だった。
再びホールに戻って来た時刻は3時ごろだった。最後のhideミュージアムも、今日の入館と今までの思い出とで、たぶん自分の死ぬ間際には人生を駆け巡る走馬燈の一場面に登場してくれるだろう。館内のどこの場面が登場するかはお楽しみ。ちょっと疲れたので、夕方の気合入れがある頃まで車で休む事にした。館外は移動するにもすんなりとは行かない混雑。ものすごい人である。車に戻るにも、ミュージアムの列、レモショの列が太く続き、門の外にも延々続いている。どちらも入館まで気の遠くなるような人の列。うみかぜ公園の戻り口には、熱烈なhideファンの車がいつもより多い。列は駐車場のふちを岸壁手前で向こうの歩道に移り、さらに交差点の手前まで延びていた。7回忌の列と同じくらいの人波。風に車体をゆりかごされながら、次に起きたのは5時ごろ。スケボー広場駐車場側と第一駐車場の入口辺りにコスプレのメンバーがそろそろ集まりかけている。先日のhideミュージァム5周年イベントの日はミューの岸壁で行われたが、今日は台風で波しぶきに岸壁が洗われ不可能。場所がここになったようである。先日ファイナルは150人の気合いれを予定とリーダーAKIYAさんの話もあり、さっきもミュージアムでhide年譜を写していたら「えりさんの旦那さんじゃないですか」と声かけてくれ、今日も夕方やると言ってくれたので、観客として参加の予定でいた。スケボー広場を中央にミュー側と向こう歩道側には小高い丘があるので、見晴らしとしてはそこが見学ポイントかと待った。6時前後には体勢も整い、AKIYAさんの音頭で中にいる各グループリーダーの気合で始まり、すぐに周りを取り囲む総勢100人ぐらいの輪の周回を気合の甲高い声が全体の気合と共に進んだ。気合で輪が波打ち、大同した気合のかけ声がミュージアムにもhideにも届いたのは間違いない。一回終って再度フィナーレの如く2回目があり、そして全員の記念写真があった。「みんな見てないで参加しようよ」と白い特攻服のリーダーが誘いに来てくれたが、参加より記録が大事に思えた。AKIYA主演気合入れのビデオは出来栄えもよく(監督兼カメラが自分)、記念にしてもらえたらと思う。6時半頃だったのか、再度hideミューカフェラへ。7時には閉店で何かあるのではないかという期待で行くことに。列はまだ歩道を取り巻いていて、門の中の込み具合を考えれば、とても閉館には入りきれない。混雑の中に道を探し、カフェラへ。カフェラもフロアー一杯に腰降ろす人で満杯。いつものスクリーンには、hideのライブ模様が映し出されている。最前にkyoさん一行がいるとのことで探すとそのとおり最前に。しばらく話していた。周りの人の出入り、kyoさん達も行くところがあって行かれる。7時も近いし待っていたが、過ぎても変化なく、幕内をのどくとトークが出来る椅子・机があるようだし、最後の挨拶が館長よりあるのかもと勘ぐっていた。が、8時まで何もなく、8時過ぎ映像が切り替わりスクリーンにはhideの歌の中からメッセージ的な歌詞が順に上がってきて、そして愛顧の御礼などで締めくくられた。すぐにホールから出るように案内があり、全員出たくない動作ありありに仕方なく押される背に動かされてゆくように出口へ進む。外はおびただしい人。話ではレモショとミューのスペースに、3台の車があり、hideが愛用していたものらしいとのことだったのでそちらに。あのスペースには、その3台だけ、車がテープで囲われてやや斜めにポーズを作っていた。カリフォルニアナンバーもあるとのことだったが、階段付近のガードマンの前に着いたので、向こうに確認に行くにはさらにエネルギーが要り、もうなかった。半時間ほど眺めていたが、先に駐車場から車を出しておこうと思い、一人館外に。列はまだ続いている。そしてもうこれで帰ってくるつもりはなかった。相棒の帰りを外で車で待つつもりで出た。9時ごろ携帯すると、今敷地内の全員が外に出て、バイク練習場の空き地に集まって、館長の挨拶を待ってる所だと言う。花火は車から見えるかと考えていたが挨拶は聞こえないのでそちらに向かう事に。hideミューに隣接するバイク(自転車)練習場のhideミューから遠い方の縁にみんな並んで待っている。真ん中にはガードマンが支配して、hideミューに近寄れないようにガードしている。hideミュー敷地内の様子が垣根でよく見えないが、7時に列の最後を締め切り、その人達がレモショを終えれば挨拶が行われるとの情報。敷地内ではライトの準備などが平行して行なわれているようだった。じっと待つこと約1時間、レモショの最終のお客さんが買い物を終え、10時になってレモショ入口側に置かれた大型ビジョンに館長の映像が映し出され、挨拶が始まった。素晴らしいファンのお陰で5年と66日やってこられたこと、笑顔をモットーにやってきたこと、何もわからないままやって来たが、7回忌も出来た事。今後もhideのことよろしくお願いしますと言う内容だった。途中、何回も言葉につまり、その都度「ひろしー」とかけ声が飛ぶとまた言葉に詰まると言う場面が何度とあった。終るとビジョンにはhideのGOOD BYEが流れ、終るとROCKET DIVEが始まった。ロケダイが終った瞬間、噴水花火が垣根を越えるようにあふれ上がり、終わり間際に打ち上げ花火(小型の)が10筋ぐらい七色に数回上がり、再び噴水の花火があがり打ち上げ花火が繰り返され、終ったかと思うと最後に1発、打ち止めの大花火が打ち上げられた。終ったかと思った最後の1発にはびっくりした。大型ビジョンにはMISERYが流れ出した。そしてMISERYが終ると瞬間に、敷地内の照明が消され、hideミューの大きなドームの明かりも最後のスイッチ一つでで全消まで行ったが、また全灯、二三度まばたきをした後、全部が消された。10時22分、ここにhideミュージアムは永い眠りに付いた。また何かの縁で目覚める事を願わずにはいられない。ありがとうございました。特に私どもにとって5年余りの入退院の最終の退院後25日目に向かったhideミューから今日まで、hideミューの歩みは私どもの回復の歩みでもありました。]JAPANがあってhideミューがあって、回復に大いに寄与してくれた事を思うと、大きな支柱がなくなったような寂寥がありますが、いつかよくなって]JAPANのライブに行くぞの夢は実現できませんでしたが、hideミューがあったことでそれに替わるものを実現できたように思います。見違えるように元気になったのは、hideミューのお陰かと思わずにはいられません。本当にありがとうございました。

間違えた所もたくさん有ると思いますが、最後まで読んで頂いて有難うございますm(__)m