REPORT 15

 2007.11.17&18  PATA(Ra:IN)横浜&上野・Saw4お台場シネマメデアージュ   papa

すっかり寒くなり、この遠征には雪も降るかもしれないとしっかり防寒準備をして出かけた。横浜と東京・上野でのRa:INのライブも、冬間近の頃となり、岡山松江の真夏(8/10・11ごろ)のライブから、季節はすっかり移った。東京へ入る前にいつも休憩を取る足柄SA(海老名は混むので)の周りの山々も、紅葉に色ずき始め、富士山も中腹まで雪を積もらせている。夜中零時半に出たのに、なんとゆっくりの行程で、足柄を12時間後の昼1時に出て、横浜に向かうチョースローペース。しかも3時前にホテルにチェックインして、また休んで、6時の7thアベニューのオープンぎりぎりに行こうかと考えてる。横浜も晩秋のたたずまいで、街路樹も枯葉色への変色途上にあった。7thから見て横浜スタジアムの向こう側のホテルだったので、歩いて7thに行く途中、スタジアムの南べりの公園端の歩道を通った。100年の年輪がありそうな大きな楠木などが植わっていて、公園を仕切る古いレンガの段差の様な擁壁にも歴史が感じられ、古い公園の一角にスタジアムが作られたように感じた。建設当時は、樹木の保存運動もあったのではないかと思われる、相当の歴史がありそうであった。いつもは7thすぐ近くの、一時、福祉スペースの確保がないという反論を、社長の認識不足の発言で大いにたたかれた安くて便利なホテルを予約してるのであったが、なぜか満室とのことで少し離れた同系ホテルになったが、所変われば公園など別方面もわかっていい。ペナントレース中の横浜ベイスターズの勝利の日には、この公園が勝利に酔いしれる観客であふれかえっているのかもしれない。公園を横切るとコンビニがあって、忘れたレポ用小ノートを買うことにした。適当なのがなく、仕方ないと思って買ったのが500円。こんな小さなノートでも横浜はえらい高い。普通100円ぐらいので良いわけで、それが原因でもないが、せっかく買ったのにメモはほとんど取らなかったのは、どこかに腹立たしく思い、書いてやるものかと反発してしまったのかもしれない。
 6時前、7thには表まで人が並びかけている風に見えたが、中の階段はまばらで、予約チケを買ったついでに順番位置の中段ぐらいで待つことにした。先日のお騒がわせに心配をくれた人にもお礼を述べ、また階段の写真など見ていると、エバカンなる人の写真がプロマイドの拡大番で張ってある。誰かの写真館の作品だったが、彼と先日、ひょんなことで話をする機会があり、いつもステージでは毛皮のコート衣装でライブ、太った体に暑苦しい感じがしていたところに、シップの臭いを振りまいていたりという彼は、案外優しい人なつっこい義理堅い人のように感じた。写真は、いかつい顔にアクセサリーを打ち込んだロッカーの面持ちだったが、ステージの笑顔満開からはとても似つかわしくなかった。一世一代の演技をしたのだろう。今日のRa:INのライブは、イベントの一環として演奏。イベントとは『THE WHO』のベーシスト「ジョンエントウイッスル」から多大の影響を受けたミュージシャンが、彼の他界(2002年)から毎年鈴木ミチアキを中心に7thで追悼イベントを行って来ており、今回5回目ということである。6時過ぎに入場。6時半から最初のバンド「気まぐれオールスターズ」の演奏が始まった。私は後ろの方で始まるまでマイチェアーで一服していたが、赤いちゃんちゃんこを着た人が通り過ぎて、演奏が始まりかけてるステージへあがりかけ、それを放り投げ、金太郎衣装のよだれ舞い掛けで歌いだす。ユニークな個性あふれるステージで、客席でもビール箱に細工したステージ台を引っさげて歌ったり、荒々しくこけたり、ベースも客席フロアで背中回転で引いたりとパーフォマンスが売りのバンドだったが、歌がよく聞き取れず、不発感が否めない。7時8分から「Zombie Eat Panda」、7時50分から「ROSE PINK CADY」の演奏。『THE WHO』のナンバーも折り混ぜ、演奏が行われた。年季の入ったバンドで、ステージはうまかった。8時56分からRa:INのステージが始まった。その瞬間、さっきまでのバンドと音の質が違うように感じた。洗練された聴き心地のよさ、音質の粒子が滑らかでつややかというか、インストだけで聞かせるバンドの存在感というものが、そこに潜んでいそうであった。いつのも曲に、PATAやMichiaki 、ドラムのTETSUのみなぎる演奏姿は、やはりプロ中のプロ演奏という技量の高さがあり、評価されるべき至高の演奏を聞かせてくれている訳で、毎回最高の演奏に慣れてしまった自分には、そのありがたさが見失しなわれて日常化されてきていたが、その奥の深さ、肝に銘じてありがたく音に触れる気持ちが大事かとも反省したのであった。演奏中、MichiakiがPATAに、最近の出来事の話で「バッテンは?」と振る場面があり、『ちょっとだけ』とPATAが答え、Xの話はこの一瞬だけであった。またRa:INは12月からレコーディングを開始、来年3〜4月ごろにリリースするとのことであった。ということは、この時期、ツアーもあるということ。『I.V.』でのYOSHIKIの『来春のXのライブ』は、やはり5月かな?と勘ぐるのであった。後半はボーカルに水野カツヒロ氏を迎えて、『THE WHO』のナンバーを何曲か演奏。10時前後になると、電車最終の時間の関係で、1人2人と帰る人があり、会場もはじめに比べ人数が減ったが、それでもイベントにふさわしくにぎあっていた。2回のアンコールを入れ、最後のアンコール終了後、DIEがPATAを前がかえに抱え、肩を背にPATAの顔が後ろ、お尻が前に出た姿勢で、客席にPATAのお尻、おさわりサービスを敢行してくれた。客席は、思わぬサービスにキャッキャッの大興奮。10時40分ごろ終了。今回は物販もなかった。
 翌朝は、10時にチェックアウト。この後、『SAW4 』を見に行く予定で、横浜近辺のTOHOシネマは、地図で見れば第三京浜の港北インターを降りて行くところ。初めてのところへ迷いながらいくぐらいなら、お台場のメディアージュに行けば、もう慣れたところ、急遽お台場へ行くことになった。横浜を出て、30分ぐらいでメディアージュに到着。首都高湾岸線からだと、「13号地」の出口を出たところが、フジテレビ横の道路、したがってメディアージュの前面道路に続くわけで、今回初めて近道できた(I.V.の時は、出口を通り過ぎ、レインボーブリッジを渡って、「銀座」出口まで行ってしまった)。11時半開演であったので、チケット買ってから40分ぐらいの余裕があり、“ぬかりなく”屋上のI.V.会場を見に行くことになった。エスカで屋上にと思ったが、6階の催し会場までしか通じてない。ここでは1階の大クリスマスツリーをプロデュースした野口健さんの写真展が開催されていた。ついでに見る気持ちもなく、ユーターンで駐車場へ上るエレベーターに乗り換える。屋上は一面駐車場で、エレベーターを降りてI.V.の方向に歩く。屋上の建物が邪魔して、駐車場通路も矩形に曲がってるなど、平面の見通しのよいところではないが、通り過ぎて行くと、ビルの公園側は駐車場、向こうの端は、建物も途切れて平面が回り込むように公園反対側に広がっている。建物の構造は、屋上中央部が、駐車場へ上がる通路や換気口の設備などが屋根つきの建物構造、その周りを平面の駐車場が取り巻いているという構造らしい。I.V.のステージは、公園側の長方形の駐車スペースに設営され、向こうへ回り込んだ平面には撮影カメラが置かれ、公園反対のスペースにはテントが張られ、招待者や東海林さん、大島さんがそこに待機していたらしい。テントからステージまでは遠い。I.V.のステージ辺りは、2m高のビル外壁が立ち上がり、外の風景は目隠しされて全然見えない。せっかくここまで来て、YOSHIKIが見下ろした公園、我々の見え方がどうであったか、ぜひ同じ視線と視点で見たかったが、不可能なのである。歩いてゆくと、一番はしに小さなさつきの歌壇があり、30cm高に歌壇の囲いがある。相棒がそこに上ったが、カメラの手先をかろうじてビル外壁に伸ばすだけで背はいっぱい、きっちり撮れないのである。よく見ると歌壇には、散水用の水道蛇口が歌壇の角から50cm高で立ち上がり、大股幅の近くのビル外壁には消火器の収納箱が1m高で置かれている。水道蛇口から消火器箱(15cm四方)へ乗り移れば、ビルの外はのぞけそうに思ったので、拙者に交代、外壁に消防箱を足場によじ登った。中腰で外を概観できる高さで下界もしっかりのぞけて、下の公園めがけてシャッターしたのがギャラリーに上ってる公園の写真及びレインボーブリッジを含む遠景である。昼と夜の違いはあろうが、YOSHIKIたちの見ていたほぼ同じ視点と視線で公園を見下ろし、遠景をみた視界が写真。同じ視線に入った事で、非常に満足感が沸いたが、いい年して何やってるんだとも思った。そんなことでこの労作をぜひ、味わって頂たいと願うわけです。で、当日、屋上に遡上できず、願いむなしく水門の下流(1階下)で溜まってしまった人々の前に、お台場神社があったということで、それまた見学に行くことになった(当日拙者は車で寝ていました)。魚だまりのようにここを何回もいったりきたりした人の無念の象徴のような、お台場神社。向かって左端の植木が倒れ掛かっていたのは、風雨のおかげ、腹いせのおかげ、願い叶えられなかった神社の自滅の表れ?。11時20分、映画のホールに入った。Aのゲートの1番ホール。大ホールであったが、お客はアベック2人。中央の水平目線のシートに腰掛けた。開演までその周辺に何人か来て、最終20人弱というところ。映画は最初から、死体検視の解剖から。頭皮をむき、電のこで切断切開。内臓切開、意味ありげなカセットが出てくる。このシーンがこの映画の最後ストーリーで、次回作への続きらしい。話は回想的映像と現在の進行形とが入り乱れ、つかみにくい。拷問や猟奇的なシーン、むごたらしい殺戮など目を覆いたくなるが、全編を通じてその映像ばかりなので、最初がみれれば同じむごたらしさの同調慣れ、感覚も麻痺して平気な傍観者になれるかも。で、見てしまった。話の内容はよくわからず。ジグソウという妊娠の妻がドアの衝撃で流産、その後人格が変わり、ゲームのような殺人拷問へ駆る立てられる人が一人の主人公(YOSHIKIと対談した人)。もう一人がFBIかの捜査員だったか、何かの会話の反感でその言った同僚を拷問、90分のタイムリミットで人質の2人が殺される仕掛け。そのゲームに駆り出される捜査官がカセットに吹き込まれた難問をかいくぐり、犯人の所に近づいてゆく。そういう話のようである。2つの話が同時進行かとも思うが実際はよくわからない。SAWシリーズ1・2・3を見てから行くと、よくわかるらしいが、今回の目的は、XJAPANのI.V.がどうかかるのか、その1点で、物語は二の次。I.V.は最後、映画のキャストが流れ出すところでかかり始める。自分には、お台場のシーンがよみがえるのであった。音楽はすばらしくよかった。下から上に流れ続ける字幕のスーパー、細かい映画関係者の中に、「Perfomed by XJAPAN」とあったように思う。その下にYOSHIKIの名前が「Written by・・・」の次にあったように思うが、これも記憶が薄い。I.V.のお台場で90分の「SAW4」の映画も見て、レッドカーぺット以来4回目のお台場メディアージュ、まさか5回目はないんだろうと思うが・・・。
 すぐに上野へ。首都高はガラ空きで2時半ごろには上野へ。「JR上野駅」の前を折れ曲がったが、『どこかに故郷の 香りを乗せて・・・」の上野駅、井沢八郎の『ああ、上野駅」はここを歌ったものかと、ひとしお感慨。その近くにライブ会場「センセイション」があった。近くまで行くと、いつもの人と会い、「車入れてくるわ 」と分かれたが、この一帯の駐車場、広いところもあるのに満車。ぐるぐる回って、順番待ちしてやっと入れた。5時半まで休憩。会場に行くため、外に出ると、駐車場に空きが目立つ。一番混んでる時に来たのか?。センセイションの入り口ドアの外に3〜4人、並んでおられる。木枯らし1号が吹いたというこの日、外は寒いので中に入ったらいいのにと思いながら、その後ろの順番へ閉まったシャッターづたいに並ぶ。上野は威圧する高層ビルもなく、東京で言えば下町に当たるのだろうか。4m幅ぐらいの前面道路も化粧レンガで敷きつめられ、商店の多そうな町並み。そのレンガ通りを巡回バスが遊園地仕様のつくりで何回も回ってくる。1時間ぐらいの間に3回も通りすぎて行った。6時半前、ローソンチケットとピアとの2列に分けられ、しばらくして交互に入場。ドアを入ったところが受付となっていてびっくり。階段を下りるとそこが会場。長方形の箱で、客席フロアはほぼ四角という感じ。後ろに調音の機材スペース、そこを背もたれに今日も最後尾で観戦。この背もたれやて天井の一部など、ステンの網目のメッシュで覆い、その中にきれいな発光体を伝わしているなかなかきれいなつくり。左壁際には、1人用机が2つと椅子が2つ。7時半の開始時刻前から、グッズを販売。今日も結構な人が入ってるようで、PATAやMichiaki、DIEのテンションの高さがわかった。ドラムは姿勢が低く、立っていても人ごしには見えない。がそのテンションの高さは、ドラムの音で察せられた。今日の一番は、Michiakiのヘアースタオル。前髪をたらし、後は後ろへ舞い上がらせて、野性味あふれ、細身によく似合っている。白系のマフラーも髪の黒とのコントラストで引き立っている。せわしなくステージを左右に動いてる。PATAも前の方に詰めて演奏する姿が多かった。『12月からレコーディング。12月中には仕上げてしまわないといけない事情になってきた』というようなことをMichiakiがいう。8時50分ごろ、一部が終わる(メモなく不確か)。4〜5分してアンコールに応えて2部が始まる。3曲やったのだろうか。『ありがとう』『またね』と言ってさがっていった。9時15分ごろ終わる。再びアンコールの手拍子が鳴っていたが、電気がともされ、「今日の公演は、これをもちまして終了です」でアンコールのないことがわかった。グッズが売られていたが、サイン会は今日はないとのこと。次回はあるとのこと。寒風の吹く中、車へ。4000円ぐらいだろうと見込んだ駐車代金、8500円にはびっくり。思わず指を繰ったが、、次回のライブでは、夕方入庫して、空き状態の料金節約ということにしたい。木枯らし1号は、別のところで吹くことになった。





間違えた所もたくさん有ると思いますが、最後まで読んで頂いて有難うございますm(__)m