2013.6.21〜22にかけて、安房高校文化祭が催された。21日は関係者、22日は一般にも公開されるというので見学に行った。YOSHIKI達が在校した当時と多少なりとも変化があろうが、こういう伝統は毎年引き継がれて行くもので、大差ないとも考えられる。いつもは外より、正面玄関や周回道路からしか中の様子は伺えないが、当日は校内入校が大手を振ってできるのである。このチャンス、最近の館山詣から思いついた。さらに、私には、校内雰囲気を知りたいもう一つの理由がある。前にも書いた館山を舞台にした小説『海を感じる時』(中沢けい著)の雰囲気を、高校に入って知りたいという思いである。この小説は1978年群像新人文学賞受賞で、18歳まで館山で過ごした著者が、18歳の時に書いたものである。YOSHIKIとは約5歳年上、ほとんど当時の情景が描かれたものと考えられる。2005年4月16日の日経夕刊に「名作のある風景−102−」で紹介されたそのあらましと館山湾の大きな写真は、すでに当時写真の光景を何度も見た後だけに、私には衝撃だった。小説に出てくる場所はどう描かれているのか、館山に通ううち、ある程度の場所の特定も町の雰囲気も距離感もわかりかけている。「18歳の少女である作者が、その年齢の子宮感覚を描くとき、それは見事である」と作品を評した選者の吉行淳之介だが、少女の抱いた恋愛感情から書かれた小説には、たぶんに高校時代の生活が大きくかかわっている。その高校に入れる数少ないチャンスに食指が動いた。
正門にタクシーで到着した。JR館山駅から670円。正門門柱には、文化祭の看板が立てかけられて、出入りの学生(他校生も「入っていいの」とはいって行った)、保護者や一般見学者、家族連れなど行き交っている。当時もこういう雰囲気で文化祭が行われていたのだろう。門柱左側には、「安房高文化祭Connect〜つながれ未知への安房ism〜」の看板、右側には、華やかな若武者芝居立ち回り絵を目立つ構図で中央に描写、上部には「里見八犬士之内 犬坂毛野」の吹き出しとその下に「〇彫〇國周筆」、その右には飾り提灯の絵に小さな松原や版元か「錦盛堂」の印の絵。どちらも2m×1mの立て看板。正門(西向き正門)から見える正面の大きな植え込みは、植込み向こうの校舎正面玄関を挟んで、大きなロータリーとなっいる円形の植え込みとなっている。円形植え込みの中央には、「初代校長 狩野鷹力先生」の高さ3mぐらいの土台石造りと胸像が載っている塔。正面玄関(南向き)を入ると向かって右が職員室、左が来賓の下駄箱、コンクリート廊下にはグリーンのビニールカーペットが敷かれ、そこから土足厳禁と注意書きがある。職員室から廊下が伸びるように、北へ中央廊下が延び、鉄筋コンクリート4階建ての校舎を2棟(東西方向に立つ南校舎と北校舎)を貫き、体育館へ突き当たる。生徒は正門を入ると、ロータリーを1/4周左回り、南校舎の西側を通り、両校舎の間にある生徒通用門へと入る。1/4周左には、「甲子園出場記念碑」があり、「常に全力」の下には当時の校長以下5名の関係者、正選手18名の名前、17名の選手名があげられた石碑、さらに右側には「第80回記念選抜高等学校野球大会 21世紀枠 甲子園初出場 2008.3.22〜4.4 阪神甲子園球場 第80回記念選抜大会 1回戦安房2−0城北(熊本) 2回戦安房3−4宇治山田商(三重)の戦績があげられ、その下には関東大会や千葉大会の戦績」があげられている石碑がツインで並んでいる。続きに全国制覇の平成17年度 第52回全国高等学校剣道大会 千葉きらめき総体優勝記念碑が2つ。甲子園出場は高校にとって大きな誉らしく、主要文字は金文字が燦然と輝いていた。生徒通用門前は、中庭となっていて、四角い空間と敷地はレンガ敷き、周りを植栽の樹(2〜3m)が等間隔で植えられ、中央には円形花壇があり、松が2本植わっている。花壇の中央には「文武両道」の石碑。なお職員室の正面玄関の南はアスファルトのロータリーに続く広場となり、南側に数台の駐車場、その横に全国英語スピーチ大会出場などの横看板が立てられていた。